2019年05月29日

奮闘記・第1081回 研修会のツボ/東京都

●2019年● 東京都足立区

足立区社会福祉協議会

【1】介護記録のポイントについて
〜記録の重要性を学び、支援記録に活かす〜



足立区社会福祉協議会では、足立区で働く介護職員へ向けて年間を通して研修を行っている。その中で佐藤は、「介護記録の書き方」「サービス提供責任者の仕事術」を担当している。

今年度は、2つの研修を連続で行ったので、2回分を一挙に連続してアップしたいと思います。

 
介護記録のポイントについて 〜記録の重要性を学び、支援記録に活かす〜
 

「記録は身を助ける…」こんな言葉を聞いたことがないだろうか? 今回の研修では、普段の業務に追われ、つい二の次になりがちな「記録」に焦点を当てて、「なぜ記録するのか?」「何を記録するのか?」「どう記録するのか?」を整理したいと思う。

この研修は、毎年訪問介護員を対象に行ってきたのであるが、今年度は、施設で働く人々にも参加を呼びかけた。17時半からの開催ということもあってか、会場には40名弱の方に集結して頂いた💛


■今回の研修で行ったこと
(1)なぜ記録するのか?
(2)何を記録するのか?
(3)どう記録するのか?



佐藤の研修の多くは、グループワーク方式をとっている。今回も1グループ6名で開始した。まずは、1分間スピーチである。

この自己紹介は、グループ内の緊張をほぐすのに欠かせないものである。また、本来介護職は話好きであるし、そうでなければ難しい職業だろう。その後、早速演習に入るのだ。

今回の研修の目的は、(1)なぜ記録するのか?、(2)何を記録するのか?、(3)どう記録するのか? である。

そこで、演習はこの3つに焦点を当てて、話を進めていく。

(1)なぜ記録するのか?では、「記録がないと困ること」をあげて頂いた。
(2)何を記録するのか?では、その「困ることを解決するために書く内容」について説明を加え考えて頂いた。
(3)どう記録するのか?では、各事業所で、「具体的な記入ほ方法を定めること」が重要とし、マニュアル化を推奨した



そして、後半では、事例をもとに介護記録を作成してみた。


●介護記録に挑戦●JPG.jpg

●介護記録に挑戦●



(1)なぜ記録をするのか ?= 記録がないと困ることがある。

@その時々の利用者の状況がわからず適切な援助ができない。
結果、利用者の情報を共有し適切に援助するため(アセスメントの記録)。
具体的には、利用者の健康状態や、日常生活動作能力(していること、できること)、家事活動への参加(協力動作の有無や意欲)意思疎通の状況(コミュニケーション能力)、認知機能の状況(理解力や記憶力)、家族の状態(家族の介護力やその状況)、関係者(関係者の有無や変化)からの連絡や相談、注意事項などなど。

A記録が無いと、前回の支援の日から、今回の支援までの利用者の状態も変化を知らないと、その時の適切な援助方法がわからない。
結果、利用者の状況の変化を把握し適切に援助するため(モニタリングの記録)。
具体的には、利用者の支援は、計画に沿って行われている。その結果、利用者のしていることやできること、したいことなどに変化が現れてくる。その状況の変化を記録し、状況の変化を把握して、計画変更の必要性を検討する。

B記録がないと介護報酬を請求できない。
結果、サービスを提供した証を残し、適切な報酬を得るため(サービス内容の記録)。
具体的には、訪問介護であれば、身体介護・生活援助・介護予防などなど。訪問介護は提供する、サービ内容によって報酬が違う。そこで、報酬に見合った働きをしたという記録を残す必要がある。

C記録が無いと、自分が提供した援助が正しいか否かの証明ができない。
結果、自分が提供した援助の正当性を証明するため(介護技術の記録)。
具体的には、その時々に提供した介護技術を具体的に残すことで、援助の正当性を証明することができる。特に、訪問介護は1人で援助を提供しているので、物損や事故には十分注意して、何か気になること(ヒヤリ・ハットを含む)がある場合には、記録に残す。

(2)何を記録するのか? その資料に基づいて説明を加え、皆さんに「何を書くのか」を考えて頂く。

「介護職員が残す記録の意義 = 利用者の有する生活機能の推移を把握するため」
介護職員の残す記録は、ずばり介護技術の記録である。介護職員は、介護技術を用いて利用者の自立を支援している。

そこで記録には、その時々アセスメント(利用者の状態)の記録、自分が提供した技術などを記録するのだ。

そもそも、利用者の有する生活機能の推移を把握するというが、この「生活機能とは何か」
それは、平成13(2001)年5月、世界保健機関(WHO)総会において採択された、「ICF(International Classification of Functioning, Disability and Health)」を指す。

ここでは、生活機能を(心身機能・活動・参加)としを、現在「していることやできること」などプラス面からみるように視点を転換し、さらに環境因子等の観点を加えている。その上で、介護職員には、利用者の生活機能の維持向上に向けた支援が求められていることを図を用いながら説明した。

さらに、佐藤は、ICFの言語である「心身機能」「活動」「参加」「環境」を介護の現場に落とし込んで説明を行った。

@『心身機能』に関すること
心身機能に関する内容:体調・服薬・痛み・歯の問題・栄養の問題・排便・排尿・飲料・嚥下・精神的なこと(悲観的・うつ傾向など)。

介護職員が利用者に対して行う心身機能の支援は、「体調把握・確認」である。あいさつをして体調を把握する。

訪問介護員の場合、その時々によって支援する内容が違うが、服薬確認が必要な利用者に対しては、訪問時に「薬を飲めているか」を伺って、薬カレンダーや薬箱等を観て、薬の飲み忘れが無いかを把握している。

また、飲めていないことを把握した場合には、「薬を飲む必要性について説明をしたり、なぜ、飲まないのか(飲めないのか)など、本人の訴えを傾聴する。その上で、必要に応じて、サービス提供責任者に収集した情報を報告しているのである。

A『活動』に関すること
活動に関する内容ADL(日常生活動作能力)である。そこにはIADL(手段的日常生活動作能力)も含まれる。

日常生活動作には、移動(起き上がり・移乗・立位・歩行に関すること)、食事(食べる行為・飲む行為)、排泄(物品準備・トイレのドアを開けて、排泄行為を行いトイレのドアを閉めるまでの一連の行為)、入浴(物品準備・脱衣所のドアを開けて、衣類を脱ぎ、脱衣室から浴室へ行き、体等を洗い、浴槽へ入り、浴槽から出て、浴室から脱衣室へ戻り、体を拭き、衣類を着て、脱衣室から出るまでの一連の行為)、口腔ケア(物品準備・義歯の取扱・清潔動作・後始末に関する一連の行為)、更衣(季節に見合った服装を選択・着脱する更衣・汚れ具合によっては他の服に着替える・日常着から寝巻へ(逆も))などがある。

手段的日常生活動作の主なものは、家事活動である。掃除(掃除に関する一連の行為)、洗濯(洗濯に関する一連の行為)、買い物(買い物に関する一連の行為)、調理(献立を考え、材料を揃え、手順に沿って調理を行い、食器に盛り付け、片づけるまでの一連の行為)、その他、電話を受けたりかけたり、必要な要件を受けたり、伝えたりする行為。必要な手続きに関する一連の行為のなど様々なのだ。

まぁ、いうなれば活動は、それぞれの行為に関する、はじめから終わりまでの一連の流れについて何ができて何ができないのかを把握する必要があり、介護の肝といえる部分なのだ。

この家事活動は、特別養護老人ホームや、老人保健施設等では、施設職員等が行っている場合が多いと思う。

また、訪問介護の場合、ヘルパーが全面的に行う家事代行は生活援助に区分されており、ここでいう活動には含まれないのだ。

B『参加』に関すること
参加は、他者との交流や、趣味や楽しみを行うことを指す。意思疎通の可否や、コミュニケーション能力も含まれる。

一方では役割を果たすことも参加である。役割には、主婦の役割・男としての役割・妻としての役割などがある。

「利用者の参加に関する介護職のサービスとは何か」
訪問介護の場合、利用者が、ヘルパーとかかわることも参加のひとつになるであろう。例えば、利用開始直後は、パジャマを着ていた利用者も、訪問介護を継続して利用するうちに、日常着に着替えたり、訪問を待っていてくれたりするようになる。これは訪問介護を通して、利用者が社会性を取り戻した行動といえる。

その他に、介護職員ならば、利用者支援の最中に必ず下記のようなことをしている。それが「役割の提供」であり、参加に関するサービス(支援)である。

「これからすることを説明し、本人の意向を把握すること」
「利用者に協力動作を求め、協力が得られたら、感謝を伝えること」
「利用者が頑張っている姿を励まし、うまくできたら、称賛したり、うまくできたことを共感すること」
「時に、頑張ったけど、うまくできずに落ち込んでしまったりすることもある。そんな時には頑張ったことに対して労をねぎらうこと」
「何かを依頼して、手伝ってくれた時には、労をねぎらい感謝を伝えること」


などなど。

えっ、そんなこと、意識してサービス支援していなかったって? おいおいおいおいおいおい(笑)。介護職が利用者のそばに寄り添い、している援助のすべては、この参加への支援「意欲の向上」への支援として肝に銘じておいて欲しい。

特に、訪問介護の場合は、『訪問介護におけるサービス行為ごとの区分等について』老計第10号の「身体介護1−6 」、『自立生活支援・重度化防止のための見守り的援助(自立支援、ADL・IADL・QOL向上の観点から安全を確保しつつ常時介助できる状態で行う見守り等)』において、支援している内容はまさしくこの参加に関する支援となのだよ。ヘルパーさん頑張れ!

C『環境』に関すること
環境への支援は、利用者家族に対する支援だ。施設では、家族が面会に来た時に利用者の様子を伝えたり、季節の変わり目には、衣類交換を依頼したりしていると思う。

また、施設サービス計画更新時には、家族に、サービス担当者会議への参加を依頼して情報を共有しているはず。だからこそ、介護職員は、面会時に家族と話す機会を設けて、環境に向けた支援の記録を残すようにする必要があるのだ。

地域の園児訪問や、ボランティアさんとの関わりも、行事記録に残すだけではなく、個人の介護記録にも記入するように心がけよう。一方、福祉用具に関する記録も必要である。もっともこれは活動を広げるための道具として捉えるのであれば、活動の補助具として記録しても良いだろう。

(3)どう記録するのか?
ここでは、佐藤が作成した足立さん事例を読み上げて、皆さんには、介護職員の新田さんになって頂き、新田さんがした介護の記録を作成して頂いた。

あらかじめ、佐藤が介護記録の様式を配布しており、皆さんにはその様式に、ICFの視点(@心身機能・A活動・B参加・C環境)を意識して記録を作成して頂いた。こちらには、その枠組みを使用したものでは無く、白い空欄へ書く記録を掲載しておく。この記録を読んでどのような支援が行われたのか伝われば良いと思う。

2019年5月15日
本日の献立。そうめん。卵焼き、トマトの乱切り、キュウリのスライス。

@体調確認。体調良く痛いところもない。暑くなってきたので水分補給するように助言。
A排泄は済まされており、伝い歩きにて台所へ移動。転ぶことが無いようにそばに付き添い、注意を喚起する。所定の椅子に座って頂き、片手まな板を置く。本人が包丁を用いて、トマトは乱切りに、いんげんは、へたを切って、半分に切る。キュウリは受け皿付きのスライサーの使用を提案。卵はお椀に右手で割り入れる。うまく割れたことを認めると「シェフのようだ」と笑顔で話す。胡麻和えの材料をお椀に入れる。和える作業は、「疲れた」との訴えにより自分が行う。工夫したことは、いんげんは、輪ゴムを使用してばらけないようにした。スライサー使用時には切り安いように、受け皿を抑えた。C娘さんより水出し麦茶の提供があり水分補給をするように言われたとのこと。受け皿付きスライサーをひとりでも使用できるように100円均一にあるゴムの敷物の購入を提案。連絡帳にて娘に依頼する。 援助中は本人のできることを依頼し、協力動作に感謝を伝え、うまくできたことをともに喜ぶ支援を行い意欲の向上に努めた。(新田)


佐藤が事例(ダイアローグ方式)を読み上げて、足立さんの支援を可視化して行くと、会場からは、これを45分でするのは無理!との声が聞こえた(生活援助2は45分だからね)。

そうなんですよ。これは、身体介護2、つまり1時間の支援なのである。また、ダイアローグの中には、介護職員の丁寧な関わりが見え隠れしており、参加者からは、こういう介護しているかな(笑)との声もあった。

もちろん、佐藤は、皆さんはもっともっと丁寧な介護をしていると思っている。ただし、それはもう自然の所作として行われていることでもあり、意識されていないのかも知れないけれど。

介護記録の研修はこれにて終了。今後は、それらの技術を意識して伝わる記録を残してくださいませ!



●情報を共有する●.jpg

●情報を共有する●



(To Be Continued!)

posted by さとうはあまい at 14:54| 東京 ☁| Comment(0) | 研修会のツボ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月18日

奮闘記・第1080回 研修会のツボ/東京都

●2019年● 👊令和元年💨 東京都町田市


町田市・町田市介護人材開発センター・共催

対人援助職に必要な能力
2019年度 相談援助研修・初級編(第1回)



いやいや、皆さまお久しぶりです。町田市は令和に入っても熱い!(気温もだが) 

町田市介護人材開発センターさんでは町田市と共催して、町田市で働いている「相談援助業務」を行っている方々を対象に、スキルアップ研修を開催しているのだ。

この研修は「初級編」「上級編」があり、佐藤は、昨年に引き続き、導入部分である初級編を担当することになった。まずは街道筋(?)の大國魂神社へ寄り、令和元年の初大吉を頂き、町田市内では母智丘神社で挨拶を済ませて、会場の町田市健康福祉会館入りした。


●令和元年の初大吉ゲット!(大國魂神社也)●.jpg

●令和元年の初大吉ゲット!(我が大國魂神社也)●


●母智丘神社にも参拝●.jpg

●母智丘神社にも参拝●


●じゃ〜ん!おなじみ町田市健康福祉会館が会場である●.jpg

●じゃ〜ん!おなじみ町田市健康福祉会館が会場である●



研修に先立ち、町田市介護人材開発センターさんの事務局の方と、日程調整やら研修内容やらを打ち合わせ、いよいよ参加申込みを開始すると、何と言うことか、定員が50名が60名となり、定員を超えることになった。

もちろん、佐藤は、会場が広い場所を確保して頂いているので、MAX 80名位までは可能ではないかと伝えていた結果、80名弱の申込みとなったのだ。

こんなに参加者が多いのは、町田市では、主任介護支援専門員を希望する方々には、この研修と上級編の参加することを条件としているからだろう。

であるから、当然介護支援専門員の方が多いのであるが、その中にあっても、通所介護や訪問介護、施設の職員など、幅広い職種の方の参加があった。

人材がいないので、参加したくても出せないという話もある中で、こんなに多くの方が参加する地域であるのは、すごいことである。介護福祉業界は、全国ですっかり温度差が開いてしまった感がある。


この研修の目的は、

『「相談業務」と一言で言っても様々な役割の中で仕事を進めていきます。相談援助者として何をすればよいのか。どのように進めていけばよいのか等、分からないことがいっぱいあります。面接等に際し「御用聞き」にならず、専門性のある相談援助をするにはどのようにすればよいのか、利用者にとって正しいアセスメントとはなど、一緒に考えてみませんか。自分の仕事を説明する力、判断する力を身に付けたい方、相談援助者としてご自身を振り返りたい方など、初心に戻れる機会にできればと考えます。』

というもの。実際「御用聞き」にすらなっていないところもあって問題は深いのだが。

研修は全3回シリーズで行われ、今回はその第1回目であり、テーマは「相談援助の展開(PDCA)と記録 〜バイステックの原則について〜」である。

研修に入る前に、町田市と介護人材開発センター、双方から参加者へエールが送られたw。


●定員を超える人々が集合した●.jpg

●定員を超える人々が集合した●


●開会を告げる山城氏●.jpg

●開会を告げる山城氏●



■研修で行ったこと
(1)相談援助の展開と記録
(2)演習 1⃣ 自己紹介
(3)演習 2⃣ ロールプレイ



今回は、開始直後に事務連絡などもあり、スタート時点でタイムスケジュールが大きく崩れてしまった(笑)。まぁ、そういうときは臨機応変に対応するしかない。

まずは、資料を用いて、バイステックの原則を案内。相談業務に就く人であれば、一度は聞いたことがある原則である。

ただし、実際の相談援助をしているときに、この原則を意識することは難しい。まして、原則通りに振り舞えるようになるのは相当な訓練が必要であろう。

とりあえず、原則を読み上げて、さらに介護支援専門員には、「専門職業的援助関係を構築する」ことが含まれると言うことを付け加えた。

なんせ、本来の相談援助というのは、本人が、相談者に相手をしてもらいながら、自分と向き合い、自分が抱えている困りごとを、明らかにし、それをどうしていくのかを本人が導き出せるように支援することなので、援助者の役割は、本人が決定できるように寄り添い、本人の気持ちを受容し、感情を表出させて、本人が自己決定できるようすることである。

とは言え、介護支援専門員には、「本人の困りごと」を明確にし、その困りごとを「本人がどうしたいの」を考えられるように寄り添い、その上で介護支援専門員や、他の専門職の意見、本人のこうしたいを実現するためには「○○が必要である」という助言をする役割があるのだ。しかしどうも介護支援専門員は本人の困りごとのほうが深いようで・・・。

さて、そのためには「専門職業的援助関係を構築する」ことが重要で、いわゆる利用者および家族から信頼を得られなければ、そもそも支援は成り立たない。

その、利用者および家族から信頼を得るための過程が、ケアマネジメントのプロセスである。
今回は、介護支援専門員の他にサービス提供事業所の参加もあったので、ケアマネジメントの正しいプロセスを案内した(参考資料:ケアマネジメントのプロセスをマニュアル化しよう)

【参照】ケアマネジメントの正しいプロセス. p.204〜『八訂 介護支援専門員基本テキスト:第1巻 介護保険制度と介護支援』(介護支援専門員テキスト編集委員会・編)、一般財団法人長寿社会開発センター・発行、2018.


(1)受付「利用の申込みの段階」
(2)初回面接相談「説明と同意」
(3)アセスメント「課題分析」「解決すべき課題(ニーズ)の把握」「居宅サービス計画原案の組み立て」
(4)居宅サービス計画原案の作成「原案を、利用者及びサービス提供事業所へ送付する」
(5)サービス担当者会議の開催「居宅サービス計画原案の説明・承認」「居宅サービス計画の交付・同意」「サービス事業書に各介護計画の提出を依頼する」
(6)サービス利用票及び利用票別表の作成交付「各介護計画書を確認する」「サービス開始」
(7)モニタリング
(8)終結


このプロセスで重要な所は、(3)(4)である。
現在はと言うか、いまだにと言うか、居宅サービス計画原案がサービス担当者会議の席上で配布されることが多いと聞く。

その原因は、なぜか? それは、その方法が正しいと捉えられているということと(それ自体、お話にならないわけだが)、介護支援専門員が、利用者に利用したいサービスを聞いて、そのサービス事業所の空き情報を得て、利用出来そうとなると、そのままサービスに繋げてしまうからではないかと考えられる(しかしこれならAI次第で簡単に居場所が奪われることは請け合いである)。

本来は、(3)のところで十分に相談援助スキル駆使して、「生活全体の解決すべき課題」を導き出し、その後「長期目標」「短期目標」相談したうえで、短期目標を達成するために必要な「具体的なサービス内容」を導き出し、そのサービスの提供にふさわしい「サービス種別」を提案するのであるはずだが・・・(まぁできぬものはできぬのでしょう)

その段階を経て、ようやくサービス種別が確定したことで、該当するサービス提供事業所に空き情報を問いあわせることが出来るのだ。

この段階を十分にクリアしていれば、おのずと「居宅サービス計画原案」は出来ているはずで、サービス提供事業所にも「居宅サービス計画原案」を提示出来るはずなのである。

しかしねぇ、というかやっぱりというか。実際にこの段階が大変なのである。利用者は人それぞれだし、ましてや家族もそれぞれ違う。一方では利用者と家族の思いや考えが統一しているなんてことはまずない(笑)。

だからこそ、相談援助技術が必要になるのである。自分を守る手段としても。

そうそう、サービス提供事業所は、介護支援専門員から、サービス提供の問い合わせがきたら「サービスの申込みにおける調整」を行い、サービス提供の可否を介護支援専門員へ報告します。そして、サービス提供が可能な場合には、事前訪問を行い、ケアマネジメントの言うところの(2)がスタートする。

介護支援専門員が、(3)において、利用者及び家族の困りごとや意向を十分に引き出して、必要なサービスに付いての説明がなさられていれば、相談員等が行う説明は少なくても良いのだが、逆に、本人達の同意が得られていない場合には、それこそ、サービス利用を拒まれるなんてこともあるかも知れないのだ。

それでも、相談員が丁寧に事業所の特徴や売りの部分を説明することで、利用者が利用したい気持ちになれば良いのだから、相談員は、常に「自社の売り」を蓄えて事前訪問に出向くようにしましょうよ。


●皆さんの話に耳を傾ける佐藤●.jpg

●皆さんの話に耳を傾ける佐藤●


●佐藤の解説に耳を傾ける参加者●.jpg

●佐藤の解説に耳を傾ける参加者●



演習 1⃣ 自己紹介
初級の研修は全3回シリーズで行い、グループメンバーは交代しない。そこで、各グループの中で、メンバー同士の交流を深めて頂く意味も込めて、自己紹介を行った。

話す内容は、「自己PR (自己紹介及び役割)と、事業所の売りである。聞いている皆さんが、利用したい気持ちになるように説明する」こととした。まぁこれが他の地域なら、書いた時点で暗澹たる気持ちになることが多いのだが、まずは町田市で良かったw。


自己紹介の時間は、1人・2分30秒で行った。話す順番は決めない。話した人が次の人を決めるというご指名制である。

佐藤は、話す人が持ち時間を目一杯使って、話しが出来るか否かは、実は聞く人の態度によっても左右されると考えており、聞く方も、相手に興味を持って聞くようにと伝えた。

そして、まずは、初回に話す人を決めて頂き、演習をスタート。さすが、皆さん相談業務を生業にしている方であるため、話しもうまいし、聞く態度も素晴らしい(いやな〜に)。

中には、時間まで持たずに終了してしまう方もいたが、皆さん何とか自己PRが出来たようである。


●ひゃ〜参謀と参加したウナギいぬ君●.jpg

●ひゃ〜参謀と参加したウナギいぬ君●



演習 2⃣ ロールプレイ
ここでは、相談員役が、利用者と娘に初回面接を行うという設定のもと、相談員が、情報を提供し、必要な情報を得るというロールプレイを行った。

私が、過去に行った「介護支援専門員の実務研修」では馴染みの演習である。

演習の設定
介護支援専門員の方
町田さん(女性78歳)の長女(現・伊藤さん)から、けやき居宅介護支援事業所に電話があり、介護認定を受けた結果が、要介護3であったので、早速ケアプランを作成して欲しいとのことでした。事業所では、担当者を誰にするかを相談した結果、福士さん(男性32歳)が担当することになりました。福士さんは長女に連絡を取り、日程調整を行い、初回訪問を行うことにしました。

その他の方
(自分は◇◇◇事業所の相談員です。※相談員を読み替えてください。)けやき居宅介護支援事業所の福士さんより、サービス提供依頼があり、本日は事前訪問として、町田さん宅を訪問しました。

いきなりの演習は難しいこともあり(人生誰でも初舞台💛)、佐藤が初回面接の悪い例を資料を参照しながら案内した。そして、皆さんに初回面接ですることを説明したのち、演習をスタートした。


●参加者の演習を笑顔で見守る石原氏●.jpg

●参加者の演習を笑顔で見守る石原氏●



ここでは1人5分間かけて行う。最初は、ロールプレイのやり方がわからずにいたグループもあったが、徐々にするべき演習を理解し、最後には各グループが盛り上がって行った(笑)。

ロールプレイは、ドイツの文豪・ゲーテの戯曲『ファウスト』みたいなもの。やはり二部(後編)から盛り上がるのだw。

まぁ、他の方が観ている前で、利用者役や娘さん役の方に、自分の役割を説明したり、本人の困りごとを聞き出したり、娘さんの気持ちを聞き出したりするのですから、最初は緊張しますよね。それでも、2人、3人と進んで行くうちに、皆さんがそれぞれの役を演じるのがうまくなって行った。特に、本人や、娘さんの役が板に付いていた(笑)。

しばしば慣れとはそういうものであるが、現実の仕事や関係性に慣れてしまうのは感心しない。

さてさて、中には、「自分はなんでも出来る」「何が問題なんだ」と言い張る利用者もいて(笑)、相談員役は、本人の訴えを受け取りつつ、日常生活動作をひもときながら、本人の出来ることや出来ないことを具体的に聞いていく姿には、「さすがだなぁ〜」と感激した。これなら、まぁ、素晴らしいと言えるのだ。

こうして、会場は皆さんの熱気に包まれて行ったのだ。そして、最後の方が終わったと同時に気付けば、もう16:00、終了時間である。

今回は質疑応答の時間を取れずにごめんなさいねぇ〜、理由はあれこれにありますので(笑)。

次回は、他者と語りながら、自分と向き合う時間を多く取ろうと考えています。佐藤は再会を楽しみにしていますよ。


●ロールプレイは緊張しますねぇ●.jpg

●ロールプレイは緊張しますねぇ●



さてさて、一見過ごしやすい季節を迎えましたが、急に暑くなったり、朝夕は涼しかったりと、体調を崩しやすい季節でもあります。どうぞご自愛くださいませ!



(この地上で過ごせる時間には限りがある。本当に大事なことを本当に一生懸命できる機会は、2つか3つくらいしかないのだ。スティーブ・ジョブズ。The end is the beginning!)
posted by さとうはあまい at 12:31| 東京 ☀| Comment(0) | 研修会のツボ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月04日

奮闘記・第1079回 見聞録/東京都

●2019年● 東京都北区&府中市


「天壌無窮」(てんじょうむきゅう)を楽しむ

〜「平成」から「令和」へ!終わりがはじまり〜


皆さまお久しぶりです。

元号が変わり、あれよあれよと日が進み気づけば連休も終わりに近い。
皆さんはどのようにして連休を過ごされたのでしょうか。

佐藤は、出かける予定などは全く無し(笑)。研究所にこもり(家だからね)、もっぱら資料づくりと家事をしておりました。

そんな中、唯一、1日は外出して過ごしました。そう、もちろん『令和元年5月1日』ですもの。

佐藤は、新たな年号を迎えたお祝いと、新たな月を迎えられたことから、 「ひゃ〜参謀」を誘い出し、近所の王子神社を参拝した。

「平成」から「令和」に変わったその日は、あいにくの雨で朝を迎えた。しかし、その雨も8時くらいには止み、雲間から太陽が顔を見せてくれた。そして9時過ぎには眩しいくらいに輝きを発していたのだ。

まぁいろいろ、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)や三種の神器にまつわるものを結びつける古代史ファンや神道フリークもいるが、それはそれ、儀式と神話をまぜてもいけない。そもそも、天叢雲剣(のちの草薙剣)の初代(?)は、壇ノ浦に沈んでいるわけだし・・・。


さて、佐藤は、その陽光の下で「令和」の時代は、この太陽のように暖かく、災いの少ない時代を願うばかりである。

(「無理だな」と「ひゃ〜参謀」)


【近所の王子神社】
実は、我々は可能な限り、毎月初めには王子神社を参拝しているのだ。
とは言え、この日は元号が変わった特別な日。境内には、いつもより多くの参拝客がおり、入り口の鳥居から外れて列ができていた。
まるでお正月のようである。


●御朱印で並ぶ列が王子神社でも●.jpg

●御朱印で並ぶ列が王子神社でも●



もしかして、この列に並ぶのかしら?と覚悟を決めて良く見たら、なんと、その列は御朱印を頂くために並んでいる列であった。

佐藤は、御朱印を否定するわけでも、非難するわけでもないが、それを頂きに来ている方が、肝心の神社を参拝せずに、御朱印だけを求めているとししたなら、なんだか残念に思う。せっかくなんだから、拝殿に手を併せても良いだろうに。

もちろん、多くの方は参拝後に並んでいるとは思うのであるが・・・。我々は、御朱印を求めて並ぶ列から離れ、参拝を待つ列に並んだ。

この日は、やはり参拝客も多くて中には赤ちゃんを連れお宮参りに来ている家族や新たな年号に改めて、ご祈祷をする人々や、我々のように月参りに来ている方などでおおいに賑わいを見せていた。

やがて順番が来て、我々は、拝殿にて手を合せる。佐藤は、


「新たな天皇の時代、平和で災害の少ないことを願い、また、新たな月に入ったことで、今月も無事にすごせますように」


とお願いをした(さて?)。

本来で有れば、ここでおみくじと行きたい所ではあるが、そこはほら、御朱印を頂く方々が社務所に列をなしていたので、断念した。

そうそう、神社本庁では、毎月「生命の言葉」という、デイサービスしおりのような紙を出している。王子神社では拝殿横に、箱を置きその中に紙をいれて、参拝客が自由に持って帰れるようになっている。

我々も、毎月この言葉を楽しみにしているのだ。ここ数か月はどことなく、がっかりさせられていたが、今回は大物中の大物!

今月の言葉は、


「天井無窮(てんじょうむきゅう)」


という言葉で、天照大御神(アマテラスオオミカミ)様の言葉であったw。その紙の裏に書いてある「口語訳」を転記する。


『天照大御神が、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)に勅して申しされるには、「豊かで瑞々しいあの国は、我が子孫が君主として治める国土です。我が孫よ、行って治めなさい。さあ出発しなさい。皇室の繁栄は、天地とともに永遠に続き、窮まることがありません』


とあった。

まさに元号が変わった初日にふさわしい言葉であった。


●「天壌無窮」のしおりがあった●.jpg

●「天壌無窮」のしおりがあった●



「体よく、高天原から追い出されただけですよ。だって、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)は自ら光れないから跡は継げないから」

ですと。さて、我々は、こうしてて無事に王子神社を参拝し、次を目指した。

「ん? 何か問題でも」(笑)


そう、本日は元号が平成から令和になった記念すべき日ですからねぇ。どこぞの神社へ行きたいものだなぁ・・・ということで、

急遽我らの聖地・大國魂神社を目指すことになった。

ちなみにここから大國魂神社へ行くには首都高速を使うのがベスト。しかし、連休真っ最中ですからね。「渋滞は勘弁」と思いつつも首都高に入ったのでありました。

この日、その首都高速は思いのほか空いており、我々はスムーズに調布インターまで移動したのであった。いや〜空いてる空いてる。


ひゃ〜参謀:「調布飛行場から飛行機が来ても大丈夫だぜ!)

佐藤   :「」



さて、参拝前に腹ごしらえ。食事はマンマパスタ(Mamma Pasta)府中店でと決めていた。

こちらはイタリアレストランで、平日のランチはセット料金でコスパであり、すでに馴染みの店である。

しかしこの日は祭日(笑)で、昼時ということもあり、店内は結構混んでいた。また、予約された方もいて、後から後から人が入ってくる。もちろん食事を終えて出ていかれる方もいる。

我々はしばしエントランス横の椅子に座り順番を待つ。やがて名前を呼ばれ、お店の方の後ろについて案内された席に着いた。

すると、店員さんが定番メニューをテーブルに置き、さらに、その後黒板メニューを持参して


「こちらは、この季節限定のメニューです💛


とその黒板を椅子において去って行った。へへんだ。


我々は、あれこれ迷ったすえに、季節限定のピザと、定番メニューからパスタを選択して注文した。もちろん、飲み物はジンジャエール(ウィルキンソン)の辛口である。大人は辛口だよねwww。

まずは、飲み物が運ばれ、続けてパスタ。次にピザが到着した。テーブルの上は一瞬にして美味しそうな香りに包まれていった。


●マンマパスタ府中店のパスタはうまい●.jpg

●マンマパスタ府中店のパスタはうまい●



我々はそれらの料理をシェアして頂いた。

こちらのピザは石焼きで、耳がふっくらしていてもちもち感がある。具材は春の野菜。たけのこ、アスパラガス、トマト、極め付けはモッツァレアチーズの燻製である。ほほう。

佐藤はそれに辛味のある油をかけてほうばる。パスタは、シャケとほうれん草のクリームパスタだ。


●これも美味しいピザ(笑)●.jpg

●これも美味しいピザ(笑)●



2人にとってはこのくらいの量で十分である。特にピザは1人では食べきれないのだ・・・。

食後に軽く仕事の打ち合わせをして店を出た。


店を出るときにもまだ多くの方がエントランスでの内外に並んでいて驚いた。うまいし安いし当たり前といえば当たり前だけど素晴らしい混雑ぶりであった。

さて、先を急ごう。


旧甲州街道を走り、いつものように神社の駐車場に入れよう左折したら、なんと、お祭準備で駐車場は閉鎖されていた。

そこで、閉鎖している所に係りの方がいたので他の駐車場の場所を尋ねて見たが、「自分にはわからない」という。まぁ、素直で良いが、これでは参拝客は困るであろうに。仕方がないのでナビ様にパーキングマークを表記させ、周辺の駐車場を探すことにした。


もちろんあちこちパーキングマークはあるがいずれも「満」という文字が、赤く光っている。
やがて、遠方に「空」という青い文字を見つけ、そこへ移動し、ようやく車を置くことができた。

なんと、大國魂神社近辺はすっかり、かの有名な「くらやみ祭」(4/30からすでに前夜祭)モードに突入していたのだ!


我々は、徒歩にて数百メートル移動し、入口の鳥居をくぐり神社境内に入った。すると、境内のここかしこでお祭の準備が行われていた。

見ればお化け屋敷まである(笑)。ここは神社の境内ですぞ! また、境内には参拝客も多く、子供を連れた家族も多く来ていた。


●武蔵国総社・大國魂神社の参道●.jpg

●武蔵国総社・大國魂神社の参道●


●昼間のお化け屋敷ほどコワイものは・・・●.jpg

●昼間のお化け屋敷ほどコワイものは・・・●



さらに、こちらにも御朱印を目当てに多くの方がきており、すでに神門より手前の手水舎あたりまで並んでいた。我々は、その列を横目に、手水舎にて体を清め、境内に入った。そして参拝客の列に並びその時を待った。

やがて列が進み、やがて我々の順番となった。そこで、改めて元号が変わったこと。月が変わったことに関連し、良い年になるように。今月も無事に過ごせるようにお願いをしたのであった。


さてようやくおみくじタイムである。

佐藤は、拝殿横にあるおみくじコーナーにてシャカシャカと棒の入った箱を振る。そして、そばにあるみくじの箱から棒に書かれた番号の引き出しを開く。

まずはわたし。うーん、残念!小吉
次に「ひゃ〜参謀」。彼はなんと大吉であった。令和はじめの大吉ですよってさ。ハハハ。そりゃぁようございましたね!

佐藤は、踵を返して摂社・住吉神社大鷲神社を参拝商売繁昌を願う。


●おみくじは・・・・府中ならぬ不調なり●.jpg

●おみくじは・・・・府中ならぬ不調なり●


●「ならぬものはならぬのです」●JPG.jpg

●「ならぬものはならぬのです」●



さて、こちらのおみくじはいかに。じゃーん、中吉だってさ!まぁ良い。

その後である。なんと我々は御朱印の列に並んだのである(笑)。

それこそ我々は、あちこちの神社に出没しているが、今まで御朱印を頂いたことがない。なぜならば、参拝をすることに意味があって、御朱印を集めることに興味がなかったからだ。なんせ時間がかかるし、神職がいなかったり、食事中だったりでそんなことまで気をつかうことはあまりしたくない。

だが今回は年号が変わった記念すべき日である。しかも先程から、境内には「御朱印を前もって作成したものを他の列で配布しています」という、巫女さんの涼やかな声が響いているのだ。

さすれば、それを大吉の代わりに頂こうということで、生まれて初めて御朱印を入手したのであった。これで令和は安泰間違いなしw。


●東京都の守り神・令和の時代も健在である●JPG.jpg

●東京都の守り神・令和の時代も健在である●


●ひとりわが道をゆく(笑)●.jpg

●ひとりわが道をゆく(笑)●



こうして参拝を済ませた我々は、先ほどの駐車場まで戻り、車に乗って渋滞に巻き込まれることなく無事に帰ってきたのであった。


さて、大國魂神社の「くらやみ祭」は、東京都指定無形民俗文化財に指定されているお祭りである。祭りの期間は5月3日〜5月6日に渡って行われるお祭りで、日々それぞれの神事が行われている。

まぁ、くらやみというだけあって、夜半にお神輿や山車が出るようだ。詳しくは大國魂神社のホームページでご確認くださいませ。

https://www.ookunitamajinja.or.jp/wp/info/279.html


佐藤は、そのお祭を舞台にした映画「くらやみ祭の小川さん」を楽しみにしている。
先ほど、公開はいつかと調べたら、なんと劇場公開は、当初4月の予定であったが、10月公開に変更になったというのだ。

その理由は、「くらやみ祭の小川さん制作実行委員会のホームページ」によれば、本作品はとても良質な作品に仕上げることができたので、急いで公開するよりもじっくり宣伝して、きちんと育ててから公開することが作品のため、ひいては府中のためになると判断したのだという。

なんでも海外の映画祭にもエントリーするらしいですよ。

そして、日本人の心と祭という日本文化を世界に伝えて行くとしています。

素晴らしい取り組みじゃあないですか!ということで、佐藤も10月公開の映画を楽しみにしたいと思います。


余談だが、令和初日、明治神宮のご朱印待ちは10時間を超えたらしい。ディズニーランドに匹敵する混み具合だな、こちらもすごいぜ。でもなんであそこがそんな人気があるのかわ・・・(強制終了!)。

皆さま、令和の御世もご自愛ください!



●はじめての御朱印●.jpg

●はじめての御朱印●


●「ひゃ〜参謀」紫蘭ちゃん(笑)●JPG.jpg

●「ひゃ〜参謀」紫蘭ちゃん(笑)●



(K朝鮮、飛翔体発射、日本海上に到達。まったくあのデ○はすぐひがむんだから!The end is the beginning!!)
posted by さとうはあまい at 17:27| 東京 ☀| Comment(0) | 見聞録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月05日

奮闘記・第1078回 見聞録/千葉県

●2019年● 千葉県館山市&安房郡鋸南町

サクラの花に誘われて、房総半島へ!

〜安房神社を始め、南房総は見どころがたくさん〜



さてさて皆さま、4月になりました。《平成》の世もあと1か月弱で《令和》の世を迎えますねぇ、元気ならば(笑)。

そして、新年度を迎えて、新入社員が入ったり、入社された方はもちろん、先輩達も緊張する時間を過ごしているのでは無いでしょうかね。

東京はサクラの開花は平年より早かったようですが、その後に寒の戻りがあり、4月に入っても、関東周辺でも雪が降った場所があったとか。いやしんどい!

そのためサクラの木にブレーキがかかり、平年よりも長持ちをしているとのこと。良いのだか悪いのだか。

新入社員の方々をサクラもお祝いしているかのようですねぇ。

一方、佐藤は・・・・、本来は昨年度中に終わっていなければならない仕事があったのですが、終了するまでの間に、いろいろなアクシデントがあり、ようやく先日終了した次第です(やれやれ)。

ということで、まぁ、そのう、ようやく時間にゆとりができたというか(笑)。

さようであるならば、どこか「良い神社」(ここがポイント)へ行きたいというもの。佐藤は、参道にサクラの木が植えられている安房神社へ行くことにした。ハハハ。全くの思いつき!!

そこで佐藤は例のごとく研究所の「ひゃ〜参謀」

「明日、千葉の例の場所へサクラを見に行きたい。同行を依頼したいが、いかが?」

とメールを打った! すると「はいはい。良いですよ」との2つ返事でメールを返してくれた。

と言っておきながら、その日は午前に私用があったので、いつものように早朝から飛び出すことはできないず、10時過ぎににチーバ君たちをバックに押し込み、研究所をあとにした。今回は、その見聞録である。

佐藤は、ナビ様のおっしゃる通りに車を走らせていく。羽田空港を通り過ぎ、東京と千葉を結ぶ、東京アクアラインをめざしている。

ただ、車中で「ひゃ〜参謀」との話に夢中になっていたら、なんと木更津方面へ左折しそびれてしまった。困ったなぁ〜。このまま何処まで行くのであろうか?

すると、ナビ様が10キロ先の大黒パーキング(PA)に入ることを指示している。大黒PAから外へ出て再度高速に乗るのだなと思いそのまま海上を走る高速道路を駆け抜けて大黒PAへ入った。そう、ここのパーキングはUターンが、できたのであーる。やはり困ったときのダイコクさまだなw。

よっしゃ! 今度こそアクアラインへ乗るぜいということで、《覆面なんとか》に捕まった車をしり目に、無事にアクアラインに乗ることができた。

ここ、東京アクアラインは、神奈川県川崎市から東京湾を横断して千葉県木更津市へ至る高速道路である。東京湾アクアラインの、道路全体の総延長は15.1kmである。

川崎側の約9.5 km区間に東京湾を横断する東京湾アクアトンネルがあり、途中《海ほたるPA》から、先の木更津側の約4.4 km区間にアクアブリッジと呼ばれる橋があるのだ。ふう、もう少しネーミングがね・・・。

そうそう、この海ほたるPAは「木更津市」だそうで、つまりここはもう千葉県だったのだ。

佐藤は、前の車に続いてトンネル内を爆走していく。トンネルと行っても日本一標高が低い海面下60mと言う場所を通っているんだから、このトンネル上は海なんだよなぁ。


【海ほたるPA】
我々は、途中で海ほたるPAへ立ち寄った。なんと、この日は通常のパーキングエリアがすでに満車で、臨時駐車場へ案内された。もう、何回も来ているが臨時パーキングエリアは初めてである。

この海ほたるPAは先ほど書いたように千葉県木更津市の人工島なのだ。臨時パーキングから徒歩にて、はじめて1階の正面玄関から《海ほたる》に入った。「ひゃ〜参謀」は、以前、ここでマスコットの海ほたる君を手に入れている。今回は、その海ほたる君の里帰りでもある。


「ここで津波が来たら死ぬな・・・」


海の見える道を歩きながら、「ひゃ〜参謀」。我々は5階の展望デッキに出て、いつものごとく写真を撮った。久しぶりの里帰りに海ほたる君チーバ君と語り合い、ご機嫌である。ハハハ。


●正面玄関から入る●.jpg

●正面玄関から入る●


●海ほたる君の里帰りです●.jpg

●海ほたる君の里帰りです●



ちと、ゲームセンターに立ち寄り。「こうていぺんぎんくん」をクレーンゲームでつり上げようとしたが残念!だめであった。まぁ、良い。また来ましょうぜ。

我々は車に戻り、先を急ぐ。東京アクアラインから館山道に入った。高速道は渋滞までは行かないが、それなりに混んでいた。途中、ここでも覆面パ○カーにゲットされた車があった。我々は法定速度でぐんぐん加速していく。もちろん、法定速度を厳守!(笑)先を急ぐのだ。

そして、昼食はここでとろうと決めていた、ハイウェイオアシス富楽里に立ち寄った。ここは「道の駅・富楽里とみやま」でもあるが、マグネットはなし。


●青空がまぶしい館山道●.jpg

●青空がまぶしい館山道●



【ハイウェイオアシス富楽里(ふらり)】
ここには、海の幸をふんだんに使った食事処があるのよ。その名も食事処 網納屋(あみなや)さんである。

「ひゃ〜参謀」は、マグロ丼。佐藤はあみなや丼(小)とコーラを注文。暫し待っていると、小丼にマグロやタイやいくらなど数種類の魚が乗っていた。みそ汁と小鉢が付く。

確かに小丼で、見た目は「えええ?」と思う大きさであるが、いやいやお刺身の一切れが大きく、さらにその下のご飯がボリュームがあるから、私には十分な量であった。我々は、お腹も満たして幸せな気分のまま、安房神社に着いたのであった。


●網納屋さんで頂くあみなや丼(小)●.jpg

●網納屋さんで頂くあみなや丼(小)●



【安房国一の宮・安房神社】
ナビ様に導かれるまま、国道410号線を左折すると、そこはもう安房神社へ向かう道となる。その道を進むと、ほどなく参道に咲き誇るサクラの花が見えてくるのだ。

おお、良かった。今が満開じゃあーりませんか。内心散りサクラだったらどうしようと思っていたのだが・・・。

そこはほら、天太玉命(アメノフトダマノミコト)が、我々が来るという話を聞きつけ、意地でも散らせなかったのだろうな(笑)。


●これこれ!安房神社の参道である●.jpg

●これこれ!安房神社の参道である●


●満開のサクラの下チーバ君たちも大はしゃぎ●.jpg

●満開のサクラの下チーバ君たちも大はしゃぎ●


●まだまだ持ちそうである●.jpg

●まだまだ持ちそうである●



我々は鳥居前の駐車スペースに車を置いた。

安房神社には、参道に沿っても駐車スペースがある。そちらにはデイサービスや特養の名前が入った車が駐車しており、皆さんお花見にいらしているようだ。いいねぇ。

我々は、鳥居の前にて一礼し、参道に入った。そこは、ピンクのカーテンが揺れるがごとくピンク色に染まっていた。これよこれ!ここのサクラは背が低く、見上げることなく花を楽しむことができる。たまに枝でラリアットを頂くこともあり、今回も頂いた(泣)。

近づくと花蜂が「じっくり行きなさいね」と羽音を鳴らしていた。近くの木で鶯が鳴く。おお、これぞ、正しき日本の春! ピンクのトンネルを抜けると、第2の鳥居がある。そこを抜けると境内となるのだ。

こちらは先ほどまでの賑やかな花の香りとは違い、凛としたすがすがしさが漂っている。

我々は手水舎で手を清め、拝殿へ向かう。前方の階段上には、神明造りのふっくらとした社殿が現れる。我々は、まず上の宮の拝殿にて参拝する。


●こちらが神明造のお社・上の宮●.jpg

●こちらが神明造のお社・上の宮●



主祭神は、天太玉命(アメノフトダマノミコト)である。ご神名は『古事記』では布刀玉命、『日本書紀』では太玉命である。式内社(名神大社)安房国一の宮旧社格・官幣大社別表神社である。

忌部氏(斎部氏)祖神であり、細かいことは語り尽くした感があるから省くが、まぁ高木神の子にして、香取神宮経津主大神のモデル(天日鷲命:忌部五部神)の父神様と考えられる。

また、相殿には、

后神天比理刀当ス(アメノヒリトメノミコト)
忌部五部神
 出雲忌部の祖・櫛明玉命(クシアカルタマノミコト)
 阿波忌部の祖・天日鷲命(アメノヒワシノミコト)
 紀伊忌部の祖・彦狭知命(ヒコサシリノミコト)
 讃岐忌部の祖・手置帆負命(タオキホオイノミコト)
 筑紫忌部&伊勢忌部の祖・天目一箇命(アメノマヒトツノミコト)

とまぁなじみの顔ぶれである。阿波忌部が東遷して来たとされ、地名も「阿波」(あわ)と「安房」(あわ)であり、深く考えなくとも良いかな、と(笑)。

千葉を含む、「房総半島」はもともと総国(ふさのくに)で、麻の栽培がさかんであったそうな。だからこそ、産業振興商売繁盛の神様で有り、《日本三大金運神社》の1社とされる。

ん? あと2社は、新屋山神社(山梨県富士吉田市)と金剱宮(石川県白山市)らしいが、この2社は現在それほどでもないという噂もある。後者は、伺ったこといはあるが、そうだろうなぁ・・・そんなもんだろうなぁという気がしたw。でも、それはそれ。ご利益だけじゃ、いくらなんでもここまでなかなかこれませんて。やはり神社自体が良くないとね。


「天太玉命様、サクラに誘われてやってきました。今年も1年良き年でありますように!・・・ムニャムニャムニャ」


さて、ここでおみくじタイムだ。佐藤は小吉であった(例のかたは)。残念。ふふふ、まだあるもんね。

次に琴平社を参拝こちらには大物主神(オオモノヌシノカミ)が祭られている。こちらでは、もちろん、商売繁盛をお願いした。

続いて、下の宮を参拝する。こちらには、天富命(アメノトミノミコト)が祭られている。こちらでは、再度参拝に来られますようにとお願いした。


●こちらは下の宮の拝殿●.jpg

●こちらは下の宮の拝殿●



その後、再度おみくじにチャレンジ ほらね、大吉でしたよ(笑)。「ひゃ〜参謀」ですか? さぁ(笑)。

帰りに社務所に立ち寄り、久しぶりに、桃色の錦織りの「交通安全守」をゲットした。このお守りは、すぐに研究所の愛車・カナメイシ君の窓に張り付き、効力を発揮しております。そもそも、御岩神社だけでも「鉄板」に近いのにさらにこれだ!


●新緑に萌える境内の紅葉●.jpg

●新緑に萌える境内の紅葉●


●お社(上の宮)上の千木が美しい●.jpg

●お社(上の宮)上の千木が美しい●



参道は、さらにお年寄りが増えまして、広場では宴会も始まっているようで、天岩戸前のごときである。このような非日常的なふれあいが、利用者さんや、職員さんの心を癒してくれているようで、ほっこりした空気が漂っていた。

さて、実は寄り道したい場所が2箇所ほどある。それはズバリ「道の駅」だ。めざすはマグネット(笑)。


【道の駅・南房パラダイス】
まずは、道の駅・南房パラダイスである。道の駅の後方には、アロハ・ガーデンたてやまがあり、熱帯・亜熱帯植物を展示しており千葉県下一の植物園らしい。そこから流れてくる。ハワイアンが南国情緒を醸し出しているのだ。まぁどこかの神社の近くの野鳥園が、その、なんだから(笑)、過剰な期待は・・・ね。

こちらマグネットは3種類あったが、佐藤はハワイの神様の象徴、ティキ像が描かれていたものを選択し、「ひゃ〜参謀」にプレゼントした。実は前回来たときには売り切れで無かったのだ。まぁ、こんな可愛い神様が付いていたら売り切れますわなぁw。

ちなみに、ティキ像は、地球上の最初の人間を表しているという。彫られるときは、特定の神とされ、その力(マナという)によって具体化されるそうだ。

《ティキ》はハワイ語だと「T」が読まれるが、本来ポリネシアの神様なので《キイ》と発音するらしい。ハワイ4大神(出雲みたい💛)とは、

「クゥ」様(戦いの神・山海の神)
「ロノ」様(農耕の神・平和の神)
「カネ」様(万物の神・生命の神)
「カナロア」様(海の神・死者世界の神)


らしい。うーん、ハワイには行ったがそれほど詳しくはないが、南房パラダイスのティキ像はどの神様なのかなぁ? ハワイ4大神の中に商売繁盛の神様は、万物の神の《カネ》様かなぁ(それじゃ実もふたもない「そのもの」って感じではあるが・・・)。

きっと日本では商売繁盛の神様も始めた・・・いや、「ハワイ」は繁盛しているから、もともと本業なのかも知れん。品ぞろえもいいから、近くに来られたらのぞいてみてくだされ。

もう1箇所はこちらのあとに寄るとして、来るときに気になっていた「ピーナッツソフトクリーム」屋さんに立ち寄った。


【木村ピーナッツ / ピネキ】
こちらは、木村ピーナッツ / ピネキさんである。栽培から製造までの工程、販売をすべてを自分たちでなさっているお店だとか。

お店の前には、駐車スペースがあり、お店の前にはテーブル席が設けられていた。中に入ると、ご婦人達が「いらっしゃいませ!」と出迎えてくれる。

この落花生の直売所「ピネキ」さんの濃厚ピーナッツソフトクリームは、あの「とんねるず」のお2人も食べて大絶賛したらしい。壁に「直で」ノリさんのサインがあったwww。

お店は観光地のお土産屋さんふうで、ピーナッツ製品が所狭しと並んでいた。ここもまたいいのよ、すごく(笑)。千葉県ってお土産屋さんが充実してるんだよなぁ。

レジそばの案内にはパフェなども見えたのだが、我々は迷うことなく、「ピーナッツソフトクリーム」のコーンを選択し、店内の椅子に座って頂いた。

すると、あとからあとからお客様が入って来る。中には子どもさんを連れたカップルも。気軽に挨拶をされているから、おなじみさんかも知れん。

ちなみ、このソフト、尋常じゃありませんぜ。一口ほおばると、口の中が落花生の香りが広がります。二口食べると、ピーナッツの濃厚な甘味が広がるのだ。

ピーナッツだからねぇ。もう少しべたべたしていると思いきや、食べ終わると、さっぱりとした後味なんだよなぁ。とにかくうまいよ! これはまた来ちゃいますよねぇ、参謀!

さて、いよいよ最後、道の駅・保田小学校だ。


●ピーナッツソフトクリームは逸品ですぞ●.jpg

●ピーナッツソフトクリームは逸品ですぞ●



【道の駅・保田小学校】
えええ、小学校?と思うでしょ(笑)。こちらは館山道の鋸南保田インターから200mの距離にある道の駅である。保田小学校は2014年に126年間の学校としての役割を終え、2015年12月道の駅として生まれ変わったという。改築にあたり、学校の雰囲気を残して、地元で取れた野菜などの直売所、食堂、レストラン、宿泊、温浴施設などがある複合施設らしい。

高速を降りて、案内に従って中に入ると、そこはまさしく学校であった(笑)。いや〜そのもの。でも、いや、ほんと小学校を流用しているのだ。

今回の目的は、道の駅マグネットであるから、我々は一目散に売店へ行って中を散策。無事にマグネットを手に入れたのであるが、ここも道の駅。佐原や常陸大宮、潮来なみの品ぞろえ。房総半島の道の駅は恐ろしいレベルだ。

どうも、あちこち後ろ髪が引かれる所ばかりであった。次回は、やはり、早朝に飛び出して来んとな。夕方までのんびりしたい。そんな欲求が残る、思いつきの旅であった。

いやいや、千葉県、恐るべしですよ。ここで紹介したところは、絶対ススメですよ!


●保田小学校の顔出しパネル(背後霊ではない)●.jpg

●保田小学校の顔出しパネル(背後霊ではない)●



《余談》
佐藤が住む、東京都北区も何かとテレビで取り上げられることが多くなった。ええ、犯罪ではありませんよ(笑)。何でも東京の中でも物価が安く、住みやすい場所だとか・・・。住んでいる身には全くわかりませんが、確かに住みにくくもない。ひゃ〜参謀も小さいころはここらへんに住んでたらしい。

東京オリンピックがあるから、北区の広報も力を入れはじめたのでしょうねぇ。変わった人も多いが、やはり電車の便が良いからね。

ぜひぜひ、サクラのころには、JR王子駅前の飛鳥山公園王子神社や、厚焼き玉子の扇屋さん、その他いろいろお店もあるから、お越しください。そうそう、都営南北線・王子神谷駅近くにはニュージュン・タラもありますから、よろしかったらお越しください。今日は営業ばかりだったな(笑)。

皆さま、ご自愛ください。

★特選のお店データ★
「木村ピーナッツ ピネキ」
 〒294-0048 千葉県館山市下真倉 236-3
 (有)木村ピーナッツ
 http://kimura-honpo.com/shop.html


(「子育て」とは大変。両親や配偶者などの協力度もあるだろう。でもそういうのもひっくるめて、昔は《家族計画》があった。子供は1人ではできないし、勝手にできるものではない。平成人がよく「昭和的」とバカにするが、それなら自分らでやるべきことはちゃんとやってから言わないと、そうそう昭和人もお人好しではないからな!To Be Continued!!!)
posted by さとうはあまい at 22:58| 島根 | Comment(0) | 見聞録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月11日

奮闘記・第1077回 見聞録/和歌山県

●2019年● 和歌山県田辺市

熊野の神々様の導きで熊野本宮大社に初詣!

〜熊野詣でのにぎわいを感じつつ、ご神気を頂くのだ〜



今回は今年1月に行った和歌山県でまわった熊野の見聞録です。

いよいよ、熊野本宮大社を参拝する日が来た。ふふふ。これまで、佐藤は、いろいろな素晴らしい神社や神々様との出会いがあった。

しかし、和歌山県に出向く機会はあったし、日前神宮・國懸神宮和歌山城の素晴らしい場所には足を運ぶことはできたが、ここ熊野本宮大社・速玉大社・那智大社の熊野三山を参拝するには至らなかった。


伊勢へ参らば熊野に参れ どちらかけても片参り

伊勢へ七度 熊野へ三度 愛宕様へは月参り


とはよくぞ言った。しかし、このペースで人生であと2回は難しいかな(笑)。今回は、研究所の「ひゃ〜参謀」とともに熊野詣でとなったのである。

例のごとく、早朝に東京を抜け出し、南紀白浜空港に着いた。空港からたいそう離れた空港店に着きレンタカーを借りた。現時点の使った空港でレンタカーの店舗が1番離れていた長崎空港を抜いてしまった(笑)。


●迫りくる熊野!(ってこちらが近づいてるんだって)●.jpg

●迫りくる熊野!(ってこちらが近づいてるんだって)●


●無事、南紀白浜空港に到着●.jpg

●無事、南紀白浜空港に到着●



今回も、車はトヨタのヴィッツ君である。ナビ様に「熊野本宮大社」と入力すると、ゆるゆると国道311号線を走るコースを示した。そこから一気に全開で熊野本宮大社を目指した・・・といいたいが道路工事やらなんやらで、なかなか進まない。

しかも、この日はあいにくの天気で雨が降ったり止んだりしていた。道路も勝手がわからず、ベストな選択ができずに、熊野古道の中辺路に近いルートを通る山あいの道で進んだ(結構カーブが多く、ブレーキ操作が大変!)。

なんせ和歌山県は、山々が総面積の約81%を占めている県なのだ。神武天皇でなくとも、迂回に迂回を重ねて行かねばならぬ。冬は規制も多いらしいし、確かに日程を立てるのも難しい行軍で有る。

やがて、道しるべにあちこちに「本宮」の文字が見え始め、我々はなんとか本宮大社の近くに付いたようだ。いったん前を通り過ぎ(失礼します!)、情報収集を考えて道の駅を目指した。


●今回も和歌山のヴィッツ君との出会いがあった●.jpg

●今回も和歌山のヴィッツ君との出会いがあった●



そして、まず道の駅・奥熊野古道ほんぐうに寄った。なかなか品ぞろえも良く、マグネットもあるので入手。さて、ただ今11:00前、本来は神社から行きたいところだが、神社内でどれくらい、たたずむかはわからない。できれば長くいたいのだ。先に昼ご飯を済ませた方がゆっくりできると判断した。ということで車をUターンさせて、昼ご飯を先に食べに行くことにした。


●道の駅・奥熊野古道ほんぐうに立ち寄る●.jpg

●道の駅・奥熊野古道ほんぐうに立ち寄る●



昼食は、杜の郷 みるりいなを選んだ。こちらは「ひゃ〜参謀」が事前に調べていたお店である。イメージでは小さいお店であったが意外と大きく、きれいなお店である。

国道と熊野川沿いにある洋食屋レストランで、木のぬくもりがあるログハウスである。店内に入るとそこにはおもちゃや絵本などがおかれた子どもの遊び場があった。

席に着いて、メニューを観ていると、店の方が来て「本日のランチは○○ですw」とさわやかに説明してくれた。佐藤は、そのランチを「ひゃ〜参謀」はハンバーグランチを注文する。

この稿を書くためにみるりいなさんのfacebookを参照してみた。すると、佐藤が食べたメニューを発見したので載せておこう。

チキンと採れたてレモンのハニーマスタード煮込み・マッシュポテトとベーコンのチース焼き、卵の天ぷら 甘酢あんかけ・豆腐ステーキ 味噌マヨソース添え・かぶらのピリ辛昆布漬け、採れたてお野菜自家製玉ねぎドレッシング・お野菜とたまごの手作りスープ・コシヒカリ白ご飯。

1日10食限定・ワンプレート(800円)である。お料理もさることながら、新鮮野菜のサラダがしゃきしゃきしていて美味しかったこと!


●みるりいなの外観●.jpg

●みるりいなの外観●


●みるりいなの店内●.jpg

●みるりいなの店内●


●「ひゃ〜参謀」はハンバーグランチ●.jpg

●「ひゃ〜参謀」はハンバーグランチ●



ちなみにこの店は、家族経営のお店で、店の名前は2人の子供さんの名前を付けているとか。もちろん、お子さん達もお手伝いをしているようで、facebookには、様々な情報が盛り込まれていた。子供は親の背中を見て育つからねぇ。

さてさて、美味しいランチを頂いたところで、ゆっくりと熊野本宮大社に詣るとしょう。


熊野本宮大社には公式参拝ルートがあるが、これがまたチトうるさいw。まずは熊野本宮大社(この中もたくさんお社が!)、次に産田社(うぶたしゃ)大斎原(おおゆのはら)である。晴れていれば、熊野古道から大斎原を見るのがたまらんのだが・・・今回は雨で無理。熊野の神様が「無理するな」とのたまったようだ。


●とうとう熊野本宮大社へ!●JPG.jpg

●とうとう熊野本宮大社へ!●


●本宮の参道●.jpg

●本宮の参道●


●これぞ八咫烏ポスト!●.jpg

●これぞ八咫烏ポスト!●



熊野速玉大社熊野那智大社には、アウトライン(こう廻ってほしい)こそあるが、ここまでの公式参拝ルートはない。詳しくは、当ホームぺージの「強運・開運神社」の熊野本宮大社で述べているが、そもそもの神社の成立過程や性格からして、なぜ祓戸大神があるのがわからない。


When in Rome, do as the Romans do.(郷に入れば郷に従え。)


である。そもそも神社のルールの大半が、明治以降、あるいは昭和になってから作った○社本庁のこしらえたルールなのだ(たぶん)。もし神様が「自然のままを愛する」というのなら、今の山々を愛するはずがないだろう。

なぜなら、きれいに山が整備されているのは、人間が手入れをしているからである。つまり「不自然」なのだ。自然のままであれば、山は荒れ放題、生命力のある強い木々だけが生き残るはずだ。きれいな花など、生き残るすべはないだろう。

和歌山県出身の某作家が以前、荒れた山が自然の山であり、きれいに整備されているのは人工的な山で、それを知らない奴はほんとうの自然を知らないだけということを書いていた。その通りだと思う。

また、別なケースではあるが、「自然」に関する疑問を大久保利通が勝海舟に尋ねている。

「先だって、(明治維新後)京都の嵐山に行ったらすっかり荒れていましたが、どうしたんでしょう?」

と大久保利通。

「それよ」

ポン!と煙管で膝を叩いて勝海舟がいう。

「(嵐山が)今までできれいになっていたのは、人の手が入って居たからよ。そう幕府が費用を出していたのさ。幕府は金を出していたが、あんたらは(明治政府は)出していないだろ? だから荒れているのさ」

それから政府は口だけではなく、そういった経費も金を出すようになったという。

神社の自然はその逆のパターンだ。

もし神様がほんとうの自然を何万年も愛し続けて来たならば、人工的にきれいにされた風景を愛する理由がないであろう。じゃあ誰が喜ぶのか? 神社に関わる人間だと思われる。

以前、修験者が、山中で誰も参ることのないようなボロボロのお社を通り過ぎたとき、お社の中で楽しそうな話し声がしたという。中をのぞいてみると、清らかそうな神々様が、皆楽しそうにお話されていたという。

「人工的な汚さ」は論外にしろ、「人工的な美しさ」も神々様は好まないはずなのだ。むかしの教育勅語や主教団体の訓話のような厳しさが、神々様のこころの中にはたしてあるのかどうか(笑)。

適度な厳しさは人間にも必要である。しかし、神様が怒るよ云々などは頂けない。

電車内で我が子が騒いでいるのを「あんまりうるさいとあそこの恐いおじさんに怒られるよ!」というのと同じ。自分が不愉快なだけなのに、他者に責任転嫁して叱るなど、だらしない親の言い訳であり、とても躾とは言えるシロモノではない。

さて、話を本宮に戻すそう。

熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)とは、熊野三山の1つで、家都美御子大神(ケツミミコノオオカミ)を主祭神とする神社である。

素戔嗚尊(スサノオノミコト)の別名とされるが特段の根拠はない。たぶん人気があるから併記したのだろう。明治政府が「記紀」を重視し過ぎたため、政府から予算を取るためにしばしばこういう事態が発生している。ご祭神かどうかは別に、五十猛神(イソタケルノカミ)のほうがこの社(本宮)に限って言えば縁が濃い気がするのだ。

延喜式式内社(名神大社)で、旧官幣大社にして別表神社であるが、紀伊国一の宮ではない。創建は崇神天皇65年とされ、平安後期にほぼ成立した信仰形態である。熊野にいらっしゃるから、熊野坐大神(クマヌニマスオオカミ)の他、いろいろなご神名がある。

また、唐(中国)の天台山から飛来したとも書かれてもいる(「熊野権現垂迹縁起」)

このころの中国は日本、いや世界の憧れの的であった。また、末法思想が流行っていたため、神様だけではなく、地獄行きの要素が多い貴族たちの中で一層「あの世」への不安が高まり、仏様の力も借りたい時代であった。詳しくは述べないがお釈迦様の広めたお法(教え)の賞味期限が来て、大変な世の中になるという思想とでもいうのだろうか(いい加減)。

ちなみに天台山とは、天台宗発祥の地であるが、道教の歴史も長い場所で、那智の滝のような大瀧があり、道教の神仙が住む景勝地の1つである。結局は道教などのおまじないが好きなんだよね、当時の貴族は。

【熊野本宮大社】(くまのほんぐうたいしゃ)
「八咫烏」の舞い降りし甦りの聖地である。といっても、他の2社との共通点である、「神武天皇」も「八咫烏」もここの境内ではご祭神とあまり関連性が見られないのが不思議であった。とにかく好き勝手もなんであるから、先に述べた通り、作法に従ってみた。

大鳥居の前で、お邪魔しますと一礼して、参道に入る。ちなみに、参道の中央「正中」は神様が通る道なのであるから中央は避け、右端を登り、左端を下るのが作法なのだ。まぁ・・・神様を封印しておいて何が「作法」だよと思わないでもないが(ご神名に「坐」(〜にます)とあれば、だいたいそれ)。

しずしずと、石段を登り、左手にある祓戸大神にごあいさつ。

「これから本宮大社に参拝に詣ります。日常の穢れをぬぐい去り清らかにしてくださいませ!」(作法だからね・・・)

その後もゆるゆると杉木立の中、158段の石段を登り、やがてご神域へと入って行くのである。やがて、開かれた空間が現れる。左手の手水舎にて清める(これも現代の風習なんだよなぁ。だいたい江戸時代まで爪楊枝で歯を・・・・強制終了)。

ちなみに、これらは文句ではない。古式ゆかしきと言うのに、明治以降のやり方を示しているのがおかしいと思うのだ。熊野・出雲・伊勢にそういうのは似合わないな。特に熊野には・・・・。

神門から先はご神域の地であるため、撮影禁止区域であった。許可をもらえば撮れるらしいが、まぁいきなりはね・・・。こちらには、神様のお社が複数あり、参拝にも順序がある。

@から番号通り参拝する。たくさんいらしゃるには、良くも悪くも妥協と相談の産物であろう。

ここのホームページがきれいにできている。おそらくWEBのプロに頼んでいるのだろうが、神社の方が作ったのではないと思う。であれば、ご祭神名が混乱して、わからなくても当然である。

もし、神社の人間が作ってこれならば洒落にならない。ゆえに外注だと思う。それくらいこれだけたくさん祭神がいても、合理的な集合体ではないから、混乱しているのだ。どうしてこういう相殿の仕方をしているのか自体不明である。

たとえば、熊野速玉大神は、熊野速玉大社では伊邪那岐神(『古事記』の表記)である。熊野本宮大社熊野速玉大神は『日本書紀』に出て来る速玉之男神は、伊弉諾尊が唾を吐かれ、このときに生まれた神であり、伊邪那岐神自身(『日本書紀』の表記)ではない。

しかし、ここのHP内では混同されている(ワザとかもしれないが)。まぁおおらかと言えば、おおらかであるが、本当は《熊野三山》の神々様はそれぞれ別物なんだよというサインではないかと考えられないでもない。熊野は初心者には難しい。


●熊野本宮大社の神々様とお会いできた●.jpg

●熊野本宮大社の神々様とお会いできた●



(上四社)
@証誠殿(本宮・第三殿) 家津美御子大神(素戔嗚尊)
A中御前(結宮・第二殿) 速玉之男神
B西御前(結宮・第一殿) 熊野牟須美大神、事解之男神
C東御前(若宮・第四殿) 天照大神
D満山社         結ひの神(八百萬の神)



実際、ご神気が感じられるのは、証誠殿(本宮・第三殿)家津美御子大神のお社である。ここだけが神門からもチラと見えて居るのが暗示的である。他はよくわからない(笑)。もちろんきれいなお社に違いはなく、神様も居るかもしれないし、そう考えて拝んでいるのだが・・・。

「ひゃ〜参謀」などは、

「証誠殿には神様いらっしゃるねぇ、他はわからんなぁ。だってここにいる理由がないんだもの。ほんと証誠殿はすごくいいね! でも素戔嗚尊かどうかはわかんないけどねぇ。ハハハ」

とのこと。参拝後はもちろん、おみくじタイム。結果は? まぁそれなりであった(笑)。
その後、佐藤はふつうの御守りをゲットした。

次は、参拝ルールに沿って、産田社を目指す。我々は今登ってきた山道をくだり、案内に従って産田社を参拝した。

【産田社】(うぶたしゃ)
こちらは新宮川の土手の側に鎮座していた。ご祭神は伊邪那美命(イザナミノミコト)の荒御魂である。こちらにも参拝し、参拝できたことに感謝を伝えた。

ここにはなぜか熊野らしい神気が漂う。これは本来の熊野のお社に近い位置にあるからだろう。本来伊邪那美命は本宮とは縁が薄い神様なのだが。


●ここが産田社●.jpg

●ここが産田社●



熊野坐大神とは、キリスト教的な神様である。いや、その教義の影響は少なからずミックスされているはずだ。キリスト教やユダヤ教がどうのこうのというと、トンデモ本的に聞こえるが、「記紀」が作られた時代にこれらの情報を「編著者」達は知っていた。なのにまるまるスルーするほうがおかしい。

この神様は、人間の原罪を背負って、代わる神様である。だからこそ、自ら水に流されることで清めているのであり、祓戸大神に待機して頂くことは不要なのだ。だから伊勢にもない。五十鈴川とそこから組む手水舎で清めているからだ。

出雲大社の場合は、少なくとも室町期にはしっかりした高く立派な社殿を作るようになっている。早い時期に流されることを拒む形に替わっている。再建の費用がかかるからだ。だから祓社で祓ってもらう略式になったのだろう。身体全部から手だけ洗うようになったのと同じ。まぁ低い土地だから江戸期になってもけっこう流されてはいるのだが・・・。

さて、熊野本宮大社の場合は、明治期になって大きく方針が変わった。木々が生い茂り、山に保水効果が高まっており、もはや「社殿を流されて人々の原罪を祓う」という性格の神社ではなくなっていたのだ。

じゃあ立派な社殿を作ろうかと、熊野の山々の木を切り、社殿の材料を集めたと思われる。それにより山の保水効果がなくなったのだろう。そのために大水で社殿が流されるという、皮肉な事態となったに違いない。明治政府ってやはり・・・。

産田社は、新たなものを生み出すというご神徳があるという。その神社と向かい合う形で大斎原の大鳥居が建っている。我々は、産田社に一礼をして、大斎原へ向かう。先ほどまでは、小雨程度だったが、ここに来て雨は大粒となった。

参道に沿って、両側には田んぼが広がっており、春が来るのを静かに待っているようであった。

【大斎原】(おおゆのはら)
こちらは、かつての熊野本宮大社があった場所である。それが先ほど書いた明治22年の未曽有の大水害により社殿のうち中・下社が倒壊し、現在地に上四杜のみが祭られ、他八社は石祠として旧社地・大斎原に祭られている。

ここはまた凄いご神気である。現社地よりも重厚でビシビシくる。ちょっと比べるもにがない。現在の本宮は優しい、穏やかな気である。こちらはガンガンくる気なのだ。社地が静かであるだけによけい心に体に響いて来る。

この大斎原には二基の石祠が建てられ、左側に中四社下四社を、右側に境内摂末社の御神霊が祭られている。鳥居の中に入ると、こちらにも写真撮影禁止の立て札があった。いや〜ここは一見さん(いちげんさん)が撮ったらいかんでしょうw。

神聖な場所だからねぇ・・・と言いつつ、神社からすれば権威づけのためであろう。なぜならば、許可を取れば撮れるからだ。神聖な場所で許可を取れば写真を撮れる場所ってなんだか・・・、社殿内部じゃなんいだから。神職だって写真を撮ってるんだよ。自分たちはいいの?

そもそも、速玉大社や那智大社でも社殿の外部は写真を撮れるし、ここより古い成立の神倉神社でも撮れるのだ。大斎原はともかく、明治期にできた熊野本宮大社の社殿の外部の写真が撮れない理由は、他の神社と同じく、ただの権威づけに過ぎないだろう。


●これが旧社地・大斎原の全景●.jpg

●これが旧社地・大斎原の全景●


●熊野本宮大社旧社地・大斎原(写真は控えました💛)●.jpg

●熊野本宮大社旧社地・大斎原(写真は控えました💛)●



我々は雨に煙る大斎原をしずしずと進み、静かに参拝を済ませた(神々様に問題ない)。これにてルールに沿った参拝は終了! しかし我々には、まだまだせねばならぬことがある。それは、宝物殿を観ることであったw。

宝物殿は、先ほど行った本宮の神門前の授与所の側にある。我々は泣きながら再度158の石段を再度登った。そう、先ほどは昼休みで閉まっていたからだ。

その前に大斎原でエネルギーを再チャージし、あらためかえしておみくじを引いた(「大斎原」の分💛)。結果はどちらも「大吉」であった。さっきまで黄泉平坂を登る気分であったが、早々に再生した佐藤は、熊野牛王神符を頂いた。帰宅後、研究所の壁に貼りお護り頂いているのですよwww。

【宝物殿】
ホームページによると、ここには、室町・戦国時代の火災、明治時代の水害など幾度もの災害を免れ、国・県の重要文化財に指定された、貴重な宝物が収蔵されている。

江戸中期〜後期頃の製作と伝えられる「熊野本宮并諸末社圖潤vは、明治22年の大水害によって流失した大斎原の社殿が威風堂々と描かれ、往古を語る貴重な資料となっているという。

ここは絶対観た方がいいですぞ。

まぁ、この絵図を見れば、大水害があれば流れてしまうのは仕方が無いと思う(いや、そもそもそれが目的なのだ)。だからこそ、本宮は熊野川の中州に位置していたのだ。

自然環境の変化は、恐竜ですら鳥に変えるし、古墳に木々など、生えていなかったことが今誰が想像できるだろう?

その他、三角縁神獣鏡や、平清盛公が奉納したと伝えられる紺紙金泥経(水で膠にかわを溶き、金粉を混ぜた顔料を金泥と呼び、紺で染めた紙に金泥で経文を書いたもの)。

日本で東大寺についで2番目に古いとされる鉄湯釜(湯立神事に使用、入れてやりたい奴がいるw)や熊野本宮八葉曼荼羅(熊野比丘尼:熊野御師)が、熊野の霊威を広く衆生に知らしめるために用いた巻物)などなど、国や県の重要文化財に指定されている品物を観ることができる。

佐藤が1番心ひかれたのは、館内入口の側に置かれた本宮大社の「千木」であった。千木は、古代建築で屋根を組む際に、屋根の勾配を形成する垂木を交叉させて縄などで締結した形を踏襲したものだ。太古の形式の遺産と言ってもいい。

本来は建物の補強が目的だったが、時代が下るにつれて、装飾的な部材になり、古い伝統を踏襲した建物であることを示す物(良い意味での権威づけ)として、神様がお鎮まるになっている神社本殿に用いられているのだ。

こちらに展示されている物は、平成24年に行われた本殿修復工事のおりに、損傷が激しかったために交換された物である。実際に明治24(1891)年から120年以上にわたって第一殿、第二殿の屋根に載せられた物であると書かれていた。ふふふ、ここでも本物が見れたw。

ちなみに神社好きならわかると思うが、この千木の先端がとがっていると男神が、先端が平だと女神が鎮座されているとされ、社殿を観れば神様の性別がわかる・・・ことになっている。

しかし、これらの風習も権威づけであって、実際とは別。伊勢神宮だっておかしいでしょう? 両方女神様なのに違うし。とは言え、そういうことは公式には言わないのが大人である(笑)。

ともかく、神社検定参級を保持している佐藤とすれば、もう、この千木を間近に観られただけでも大満足!

思わずすりすりしたくなったが、そこは、ほら宝物殿の中ですから、「美しい」とため息をついて暫したたずんで観ていたのである。そして、宝物殿を出るとき、

「どうもありがとうございました!」

と係の神職さんにあいさつをして出ようとすると神職さんからも、

「ありがとうございました」

と笑みを浮かべて送り出してくださった。なんせ、昼過ぎの宝物殿は我々しかおらず、2人してうるさくない程度に、賑やかに観ていたからねぇ(笑)。どこの宝物殿でも自らの神社の宝に誇りを持って展示しているのだ。それを嬉しそうに観ている者を見れば、いやな気にはなりますまいて。

帰りは境内にあるカフェ・アロマで珈琲を頂きました。いやいや美味でした。次は熊野速玉大社を目指すぞ!(笑)


●本宮に戻ってカフェ・アロマでひとやすみ●.jpg

●本宮に戻ってカフェ・アロマでひとやすみ●



さてさて、花粉が飛び交う季節になりました。皆さまどーかご自愛ください。

●杜の郷 みるりいな・店データ
所在地:〒647-1702 和歌山県田辺市本宮町大津荷
営業時間:9:00〜18:00
電話:0735-42-0289
※2019年のデータです。ご確認の上、お出かけくだされ。



(行きつけのファミレスの小松さんが「卒業」しました。春から就職も決まり、新・社会人となるそうですが、おめでとう。平成最後の社会人として大いに活躍してくだされ!To Be Continued!!)
posted by さとうはあまい at 17:16| 島根 ☁| Comment(0) | 見聞録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月22日

奮闘記・第1076回 研修会のツボ/群馬県

●2019年● 群馬県前橋市

群馬県健康福祉部 障害政策課 地域生活支援係

「平成30年度 サービス提供責任者現任研修」


皆さま、まだまだ寒いですね。「冬来たりなば春遠からじ」(シェリー/イギリスに詩人)の詩の精神で頑張らないといけませんねぇ。もし今悪いことばかりあっても、それを乗り切れば幸せがやって来るよということ。

ちなみに原文では「If Winter comes, can Spring be far behind ?」ですが、「冬が来たからといって、春が遠いのか?いやあ、そうではあるまいて(遠くないだろう)」という反語で使うらしいが難しいですねぇ(笑)。

さて、今回は先日群馬県で行った、訪問介護(居宅介護・重度訪問介護・行動援護・同行援護)事業所のサービス提供責任者向けの研修報告である。この研修は2日間続けて行うものである。

佐藤は、いつものように研究所のゆるキャラ(どこが?)「ひゃ〜参謀」と共に群馬県に入り、群馬の神々様を巡っている。まさに巡礼の旅であった。その見聞録は「おそらく」後日報告することと思う(笑)。

その前段階にいろいろ天気に不安があった。2月に入り、東京でも妖しく雪が降り、雪が積もる、積もる、積もると言われていた週であったのだ。

ところがどっこい。関東平野の天気は、あ・ま・り・に・も、読みにくい。だから「積もる」「いや、積もらない」とニュースも二転三転であった。ここら北区(東京都)では、雨であっても、箱根(神奈川県)や町田市(東京都)ではドカドカ振っていたりする。

まぁ、近くの昭島市の大将は新宿へ出るのに「ちょっと東京に行ってくる」とのたまうし、国立市のドンは「東京は雪降ってましたか?」と聞いて来たりする。どちらも東京都ですがな・・・。

それはそれ、佐藤は高速道路でチェーン規制にあったらどうしようかと不安を抱いた。もちろん、タイヤはスタッドレスを履いているには履いている。だが、例のスリップ渋滞以来、高速でもチェーン規制が行われていると聞いた。

でも、そう言われても簡単に撒くことができない、こちらにはこちらの運転の歴史があるんだよ!(怒)と怒りを覚えながらそのまま出た。

しかし、東京都近辺の積雪もほんのり白くなっただけで道路には影響が無かった。いや〜、おかげさんで無事にやり過ごすことができた次第である。気象神社って効きますねぇww。


研修当日は、常宿にて朝食を摂った。いや、ここで初めて頂いた。そう、このホテルいつの間にか微妙にリニューアルをしていたらしく、良い意味で変わっていた。

今までも特に何もないホテルであったが、とてもなんというか、お気に入りのホテルであった。しかし、それがことさら愛おしいホテルに進化していた。その1つが朝食なのだ(笑)。これまでは外で摂っていたのをホテルで摂ることにした。


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●同じホテルなのか?朝食が充実していた(笑)●



朝食後、一路上野国総社神社を目指した。そう、群馬県のすべての神々様が祭られている神社だから行かないといけない。

その通い慣れた道をナビ様を頼りに行く。でも、県庁への道は、「蟻のなんとか詣で」のごとく、車の渋滞が続くので注意して出なければならない。

神社では研修では参加者の協力を得て無事に済みますようにと願った。早朝おみくじの結果は、なんと「ひゃ〜参謀」大吉で、佐藤は・・・。ふん。まぁ、良いわ。昨日、貫前神社大吉を頂いているのだからさ(捨てゼリフ)。


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●上野国総社神社を参拝●



その後、車に戻り県庁を目指した。


県庁では、佐藤係長が駐車場に出迎えて下さっていた。お互い、初対面なのだが、あの方かな?と思い近づくとやはりそうであった(笑)。

県庁で働いている方ですもの。立ち振る舞いでピンと来ちゃうのだ。群馬県庁の管理職って・・・、○○れの方がいないのが凄い。もちろん、担当者も、だが。お世辞と思われるかもしれないが、いくらなんでも人材が「イマ●チ」なら話題にはあげない。

そんなこんなで、今回も研修会場は、県庁のすぐ近くで、某政党の県連の隣りのぐんま男女共同参画センターである。

会場に着くと、すでに参加者が会場が開くのを並んで待っていた。中には以前受講された方もいらして会釈を頂いた。こちらも会釈をし、よろしくねぇとご挨拶。

そして、講師控え室にて、今回の研修を担当している地域生活支援係の高橋さんと、先ほど案内してくださった佐藤係長と名刺交換を行った。

この研修を佐藤が担当して、かれこれ10年は経過している。この間、担当者が替わり、係長も交代している。その中から地域生活支援係に配属された方(主に若手)は、群馬県の障害者施設で体験実習をするという話を伺っていた。

そこで、高橋さんにも話を聞いてみた。「ええ、何もわからないし、迷惑ばかり掛けてきました」などと苦笑いをしながら語ってくれた。

体験実習とはいえ、少しでも「現場を知っている」というのは、彼の人生の中で、確かな強みになり、より血の通った県庁人になるに違いない。他県ではなかなかそうもいかないだろう(もちろんやってるところはやっているだろうが)。さてさて、このような経過を経て、研修がスタートした。


●ここが研修会場のぐんま男女共同参画センター●.jpg

●ここが研修会場のぐんま男女共同参画センター●



◆研修目的
居宅介護サービスのキーパーソンであるサービス提供責任者等を対象に、居宅介護計画の作成及び事例検討の方法について研修することにより、適切な居宅介護計画に基づく、居宅サービス計画を提供するために必要な知識・技能等を有する、質の高いサービス提供責任者を育成することを目的にする。

◆研修で行ったこと

《1日目》
【1】障害者総合支援法について
(1)障害者総合支援法(共生型・改正を見据えて)
(2)相談支援専門員が行うこと「サービス等利用計画の作成」
(3)サービス提供責任者が行うこと「指定基準で定められていること」

【2】居宅介護計画の作成
(1)アセスメント手法 ICFの考え方
(2)居宅介護計画の作成(演習・持参事例で考える)
(3)ケア手順について
(4)モニタリングについて
(5)サービス担当者会議への参加

【3】事例検討
はじめに、佐藤係長の開講のご挨拶から。訪問介護の要であるサービス提供責任者に向けて熱いメッセージが伝えられた。

会場には5つのグループができていた。今回の研修はこの仲間と共に演習などを行っていくことになる。まずは、佐藤が自己紹介を行い、各グループ内でも自己紹介をして頂くことを伝えた。そして、自己紹介1分間スピーチについてルールを説明した。

自己紹介では、1人1分間スピーチにて「自分が働く事業所の売り」を伝えて頂いた。とはいえ、急に1分間話せと言われても緊張するだろう。皆さん「えーっ」と嘆きつつも(笑)、佐藤が得意の「ブタさんタイマー」にて1分を測る。

「はい、終わり。次の方を指名してください!」

と伝えても、なかなか終わらない(笑)。1分間ではなかなか話がし尽くせないようであった。

やはりサービス提供責任者の方々は、自己開示が早く、すぐに仲間と打ち解けていた。そこが素晴らしい! こうして会場が穏やかな空気に包まれたところで本題に入っていく。


●開講の挨拶。新担当となられたお二人、相変わらず群馬県庁は層が厚い●.jpg

●開講の挨拶。新担当となられたお二人、相変わらず群馬県庁は層が厚い●


●開講はお互いに緊張する●.jpg

●開講はお互いに緊張する●



【1】障害者総合支援法について

(1)障害者総合支援法(共生型・改正を見据えて)
今年度は、介護保険制度と障害者総合支援法が改正された。そこで、資料を用いて改正内容を案内した。

1番の大きな所は「共生型サービス」が実施されるという所である。これは、改正前では、障害者の方が65歳になると、障害者総合支援法から外れ、介護保険制度に移行するとされていた部分であるが、その利用者が利用している事業所が「共生型」の指定を受けることで、その利用者は、馴染みのサービス「場所や人」を利用できるということになのだ。

さらに、今回の改正で訪問介護の部分の改正としては、重度訪問介護の訪問先が拡大された。対象者は日常的に重度訪問介護を利用している最重度の方が、医療機関に入院した方(区分6を予定)

(医療機関とは、病院診療所、介護保健施設、介護医療院。)

「サービス内容」
@ 利用者ごとに異なる特殊な体位交換などの介護方法について、医療従事者に的確に伝達し、適切な対応に繋げる。
A 強い不安や恐怖などによる混乱(パニック)を防ぐため、本人にあった環境や生活習慣を医療従事者伝達し、病室等の環境調整や対応の改善繋げる。

(2)相談支援専門員が行うこと 「サービス等利用計画の作成」
次は、相談支援専門員が行う事を説明するのだが、その前に利用希望者がサービスを利用するまでの工程を資料を用いて説明した。

「利用者が、サービスを利用するまでの工程」
@ 申請・市町村へサービスにかかる利用申請書を提出する。
A 市町村から利用計画案提出依頼がある。
B 指定特定相談支援事業所・指定障害児相談支援事業所と契約する。
C 市町村による障害支援区分認定調査と障害支援区分の認定を受ける。
D サービス等利用計画案・障害児支援利用計画案の提出。
E サービス利用の支給決定と受給者証の交付。
(市町村は、提出された計画案を参考に、サービスの支給決定を行い、サービス受給者証を申請者に交付する。)
F サービス等利用計画・障害時支援利用計画の作成。
(指定特定相談支援事業所等は、支給決定の内容を踏まえ、サービス提供事業書等関係者とサービス担当者会議を開催し計画を決定申請者に交付する。)
G サービス利用の開始。
申請者は、交付された計画を市町村に提出し、サービス利用を開始する。
H モニタリングの実施。
指定特定相談支援事業所等は、一定期間ごとに、サービス等の利用状況等の確認を行い、必要に応じ計画の見直しを行う。

介護保険制度も同様な工程を経るが、大きく違うのは、要介護認定を得るために訪問調査が先にあり、要介護度を得た後に、居宅介護支援事業所(要支援者は地域包括支援センター)と契約をするというあたりである。

さて、上記の経過を経てサービスがスタートするのであれば、サービス提供責任者はいつ利用者と面談を行えば良いのであろうか?

それは、サービス担当者会議の前に事前訪問を行い、事業所の特徴などを説明し、利用者に「サービスの選択に資する援助」をしなければならないのである。しかし、なかなかそうはいかず、何処もサービス担当者会議の後で自己紹介やら、サービス事業所の特徴などを説明しているのが現状なんだと思われる。

なぜ、そんなことが起きるのか? それは残念なことに、サービス提供責任者も指定基準を把握していないということ。さらに、相談支援専門員や介護支援専門員がサービス提供事業所の指定基準を把握していないという所に原因があると思われる。

(3)サービス提供責任者が行うこと 「指定基準で定められていること」
佐藤は資料に、介護支援専門員のプロセスの展開とサービス提供責任者のプロセスの展開を並行して示し、皆さんにサービス提供責任者が何処で何をするのか説明をした。

「相談支援専門員や介護支援専門員が、計画を作成する手順」
@ 課題分析(現状把握・アセスメントを行い課題を抽出する)
A 長期目標(課題を克服するための長期目標を設定する)
B 短期目標(長期目標を達成するために細分化された短期目標を設定する)
C 短期目標を達成するために必要なサービス内容を抽出する。
D サービス内容を担当するサービス種別を設定する。
E Dで選別したサービス種別を利用者に説明する。利用したい事業所の有無を伺う。希望が無い場合には利用者が選別できるように地域にある事業所を案内する。(必要に応じて見学などして頂く)
F 利用者が希望している事業所に空き情報を確認する。空きがある場合には利用申込み書を送る。
G サービス担当者会議を開催して、各サービス計画に付いて承認を得る。

「サービス提供責任者が行うこと」
相談支援専門員や介護支援専門員より、

@ 相談受付(サービス利用の相談を受ける)
A サービスの申込みにおける調整を行う(ヘルパーの空き情報を確認してサービス受託の可否を決める)。
B 介護支援専門員と連携(可能な場合には、その旨を伝え利用申込み依頼を得る・利用者の基本情報などを得る)。
C 利用者にサービスの選択に資する援助を行う(事前訪問)。
 重要事項説明書やパンフレットなどを用いて、訪問介護事業所が行える援助内容を説明する。
 利用者等はヘルパーは何でもしてもらえると思っている方が多いので誤解を修正する。
D 訪問介護計画書等(案)を作成する。アセスメントを行い、具体的なサービス内容等を導き出す。
E サービス担当者会議へ参加して、他のサービス事業所等と計画(具体的な援助方法などに付いて話し合い統一した援助を提供できるようにする)。
H ヘルパーに利用者情報を伝達する。同行訪問を行う。
I 一定期間後にモニタリングを行い利用者の状態の変化を把握し、必要に応じて計画を変更する。
J 受給者証及び要介護認定の更新の時期にはモニタリング及び評価を行い、介護計画の更新に必要な手立てを講じる。

さてさて、なぜ、事前訪問が必要なのか?

それは、援助を必要とする人々は、それまでの人生があるから。我々と同じように1人ひとりが価値観を持ち、生活にこだわりを持ち、自分らしく生きているからである。

特に在宅に出向いて、必要な援助を行うヘルパーは、自分の価値観を利用者等に押し付けてしまったら、即刻出入り禁止になるに違いない。サービス提供責任者は、ヘルパーを守る役割もある。ヘルパーが苦情をもらわないように、介護事故を起こさないように、事前に丁寧な情報収集を行う必要があるのである。

「訪問(居宅介護)計画作成の視点」
ここでは、居宅サービス事業所に求められている役割。
利用者の心身機能の維持向上・活動の維持向上・参加の促進・介護者の負担の軽減が求められているということについて説明した。

ここで用いられている心身機能・活動・参加・環境は、生活機能分類(ICF)であること。そこで、サービス提供責任者は、計画作成をするときに、健康に関する援助内容・日常生活動作に関する援助内容・役割や自己選択に関する援助内容及び家族介護者及び地域(民生委員や・友人など)に関する援助内容を区分して考えるように助言した。


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●日常生活動作とは・・・●


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●メンバーと語り合う●


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●お弁当もすごい!味もハンパなし●



【3】事例検討
14:30〜17:00までかけて、グループ内で事例検討をして頂いた。
事例検討の方法。@ 発表。A 質問を溜める。B 質問に答える。C 発表内容を共有する。1人の持ち時間は20分。もちろん、佐藤も皆さんの中に入って皆さんの活躍ぶりを伺った次第である。

この時間は、皆さん水を得た魚のようにそれはそれは賑やかにまた有意義な事例検討を行っていたようであった。

佐藤も仲間に入れて頂いたが、行動援護などは長時間利用者と行動を共にするために、行く場所の選定や行く手立てなど様々な思考を凝らして援助している様子が伝わってきた。

また、障害者を支援している家族も高齢となり、本人と家族の両者を支援する必要もあり、制度の狭間でもがいている家族の様子などもうかがうことができた。

本当に他者を支援するというのは、はじめて会うサービス担当者会議で共有するなんて、そんな簡単な事ではできませんって。今後はちょっと勇気を出して、事前訪問にもチャレンジしてみてくだされ。


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●他者と語り合う●


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●さて、話した相手のイメージは・・・●


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●夕食は、ラ・ピッツェリア。またロボット君はいなかった●



《2日目》
【1】サービス提供責任者とリーダーシップ 「対人援助職に必要な能力」
自己理解・他者理解
【2】緊急時対応及びリスクマネジメント 事故・苦情を共有する
【3】ヒヤリハットから対応策を考える (グループ演習)KJ法を用いて取組む
発表・質疑応答


佐藤が会場に入ると、各グループでは、すでに参加者同士が集まり賑やかに情報交換をされていた。いや〜、良い雰囲気である。昨日事例検討において、お互いにお互いのしていることを共感し合った仲間であるからね。さて、今日もよろしくお願いしますよ。


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●群馬県で見る山々は360°楽しめる(写真は榛名山)●



【1】サービス提供責任者とリーダーシップ 「対人援助職に必要な能力」自己理解・他者理解
本日は、サービス提供責任者に必要なリーダーシップスキルを磨くこととする。サービス提供責任者は、訪問介護の要であり、ヘルパーのリーダーとしての働きが求められる。

そこで対人援助職に必要な「自己覚知」を得るという研修を行った。佐藤は自己覚知を「交流分析のツール」を用いて行っている。

@ 自己理解
自分はどのような人間なのか。5分間自分と向き合い、思い当たる文章を書き出して頂いた。
その上で、自分の好きなところには○印。自分の嫌いなところダメと思うところには×印を付けて頂いた。そして、佐藤が「×印より○印が多かった方」「○印より×印が多かった方」と挙手を求めた。

すると、自分に×印を付けた方が多かった(笑)。どうやら、会場には、物事を見るときに厳しい視点をお持ちの方が多いようであるな・・・。

A 他者理解
2人一組になって頂いて、今年1月半の間の出来事で楽しかったことを語り合って頂いた。佐藤が「終了です」と言ったら終わりにしてくださいと伝えて演習がスタート。

いや〜、皆さんはすぐに打ち解けて会場が壊れるくらいの賑やかさに包まれた(笑)。良いことである。

佐藤は場がある程度和んだところで終了を告げた。通常であれば15分はかけるのだが、今回は8分程度であった。それだけ場が盛り上がっていたのである。

そして、今話し合った相手とじゃんけんをして、勝ち負けを決めて頂いた。その上で、今語り合った「あなたはどのような人にみえたか」を1つ2つ程度思い描いて頂いたのだ。

そして、勝った人が負けた人に、今思い描いたことを素直に伝え、負けた方は言われたことに付いて、「ありがとう」と答えるという演習をした。

実はこれ、簡単なようで結構難しい。

なぜなら、人間は物事を素直に伝えたり受け取ったりすることが苦手なのだ(笑)。もちろん、年を重ねることにできるようになるのである。ふつうはね・・・。

皆さんは、自分の思ったことを相手に伝え、相手から伝えられた内容を、何とか素直に受け取ることができたようだ。この演習で更に会場は熱気に包まれて行った。

B エゴグラム・ストローク表にチャレンジ
ここからは、株式会社ヒューマンスキル開発センターの「エゴグラムとストローク」という心理テストのツールを利用して、各自に自分と向き合って頂いた。

エゴグラムでは、自分のパーソナリティーを。ストロークでは、他者との関わる傾向を見ることができる。

皆さんにグラフを作成して頂いた後、佐藤は、簡単な解説書を付けて、エゴグラムとストロークについて説明した。

私たちは、幼い頃から誰かに育まれて生きてきた。その過程の中で、親や、教育者などから
「人には親切にしてあげなさい」「困った人を助けましょう」などと言われて、我々は素直にそれに従って生きてきたように思う。

その結果、対人援助をする人々は特にであるが、自分より他者が大事という隠れたメッセージまで受け止めてしまったと思われる。だから、ストローク表では「自分自身に肯定的なストロークを与える傾向」が少なくなっていたのだろう。

実は、「この人には親切に」の言葉には、本来は「あなたに余力があったら」という言葉が隠れているだ。

親は、あなたに余力が無いのに人を助けなさいとは、ふつうは言わない。なぜならば、あなた自身がかけがえの無い人間なのだから。そうは思ってくれない親が、どこかにおりましたが・・・、悲しいよね。

対人援助を行う人であれば、自分に余力がなかったら、他者に素直に良い援助ができなくなる。時に、「待ってって言っているじゃない!」と待ってくれないことを相手のせいにしたり、

「私は、このように援助したいのに、○さん(利用者だったり、ヘルパーだったり)は聞いてくれないんです」と不平をつぶやいたりしてしまう。

これは、きっとあなた自身が目指してる援助では無いはずだ。さすれば、サービス提供責任者は、常に「客観的な物事の見方やとらえ方、感情の出し方」などを気にかける必要があるわけで・・・。佐藤は会場をまわりながら、グループごとに解説をして、メッセージを伝えてまわった。

皆さんは、佐藤からのメッセージを受け取り、1人ひとりが様々な気づきを得ることができたようであった。

【2】緊急時対応及びリスクマネジメント 事故・苦情を共有する
ここでは、内閣官房社会機能に関する分科会(第7回)の資料を用いて、「事業継続計画」について解説をしました。事業継続計画(Business continuity planning, BCP)とは、災害などの緊急事態が発生したときに、企業が損害を最小限に抑え、事業の継続や復旧を図るための計画をいう。すでに新型インフルエンザに対してのBCP計画は出ている。

まぁ、これを機会に、各事業所での優先業務と縮小業務について職員と語り合っても良いと思うし、また、最低限ヘルパーが訪問せざるを得ない方の居場所についての地図などを作成するのも良いのでは無いだろうか。

【3】ヒヤリハットから対応策を考える (グループ演習)KJ法を用いて取組
さてさて、事業継続計画も必要な計画ですが、ヘルパーとして、目の前にあることから事故を未然に防ぐ対策を立てることも重要なこと。

ここではヒヤリハットを起こさない対策を考えて頂いた。手段はKJ法を用いた。

@ 名刺大の付箋に各自が遭遇したヒヤリハットを書く。
A 書いた付箋を模造紙に広げておく。ヒヤリハットをたくさん書いて模造紙を付箋で埋め尽くす。
B 付箋を眺めながら、同じ内容の物をまとめて島を作る。
C その島にふさわしい名前を付ける。
D その島を放置することによって起こる事故を考える。
E そのヒヤリハットを起こさない手立てを考える。


つまり、ヒヤリハットを未然に防げば、事故の発生を未然に防ぐことができると言うもの。佐藤は皆さんがヒヤリハットを付箋に書いている内容を読んでびっくりであった(笑)。

あの、もしもし、利用者さんが椅子から滑り落ちていたらもう事故なんですから! それから煮物を焦がしても事故、しりもちを付いてしまっても事故、エトセトラ、エトセトラ。大丈夫かなぁ(ため息)。

もうここからは皆さんがしたいように付箋をまとめて頂いた(笑)。最終的には、手立てを考えることもできた。

皆さん最後の力を振り絞りそれはそれは賑やかにワークをしていた。実は、ここで出ている会話が重要であり、「そんなことがあったの」「それでどうした?」「そうそう、うちも同じ」「だからね。こうしてああしてね・・・」などなど。

もう佐藤の助言よりも、お互いの助言の方が効果がありそう(笑)。佐藤は演習を静かに見守り仕上げのタイムだけを知らせてした。まぁそれでも事故は事故。ヒヤリハットでは断じてないが・・・。

この作業は1時間半かけて行い、最後に発表をして頂いた。


●発表って緊張する●.jpg

●発表って緊張する●


●島を描いたのは絵心がありました●.jpg

●島を描いたのは絵心がありました●


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●みんなを見守る高橋さん●


●最後まで頑張りました●.jpg

●最後まで頑張りました●



この発表各グループに10分程度でしていただくつもりが思いの外、語るのが好きなようであった(笑)。最後は「巻き」で伝えて頂いた。

さてさて、最後は群馬県から皆さんに修了証書が渡されてこれにて研修会は終了である。

参加してくださった皆さま、自分の存在価値を大切にしつつ、他者の援助をしてくださいませ! ではまたね、みんなありがとう!

ご多忙中、良い研修になるために支えてくれた、担当の高橋さんや佐藤係長、応援に来てくれた皆さまに感謝します。くれぐれもご自愛ください!!



●帰りはもちろん、寄居星の王子さまPAである(笑)●.jpg

●帰りはもちろん、寄居星の王子さまPAである(笑)●



(群馬県を歩いていると、某国の前身の渡来系の人々と、ふつうに関わってきた歴史を垣間見ることができる。でも、もはやそんなふうには関われないことが分かる。日常的にウソもつき、レーザー照射も平気でやれるなんて、古代の渡来人はどう思うのだろうな!To Be Continued!!)
posted by さとうはあまい at 13:20| 島根 ☁| Comment(0) | 研修会のツボ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月15日

奮闘記・第1075回 見聞録/和歌山県

●2019年● 和歌山県御坊市


(株)ネクストビジョン 社内研修
【職員向け研修・編】
〜日本中、何処だって熱く繋がれるのだ!〜



皆さまお久しぶりです!

2月に入ったと思ったら、バレンタインデーとやらも過ぎました。確かブログって日記のような物だった気がするんですけど(笑)・・・。まぁ豚コレラにも気をつけながら、日々記録を付けるように頑張らんといけませんねぇ。

さて、今回も遅くなりましたが、今年の1月中旬に訪れた和歌山県で行ったある事業所での研修会の報告ですよ。


この「熱い依頼」は、実は以前に紹介した、長崎県五島市で電気自動車の充電中のときであった。充電しているとスマホから着信音が! そこには懐かしい方の名前が表示されていた。

電話を頂いた彼とは、もうかれこれ15年くらい会っていなかった。それはそれは佐藤が独立した直後なのだ。う〜ん、若いかったなぁぁ懐かし過ぎるぞwww。

挨拶もそこそこで話を伺うと、その頃とは別の会社で新たな事業を立ち上げたとのこと。そちらでの職員研修を依頼であった。もちろん、断る理由はない。

その後、メールでやり取りを重ね、無事に研修当日を迎えた。研修は場所にもよるが移動にゆとりを持ちたい性分なので、今回も前日から和歌山入りしていた。ふふん。


●よいっしょ!南紀白浜空港に到着●.jpg

●よいっしょ!南紀白浜空港に到着●


●研修風景(管理者向け)●.jpg

●研修風景(管理者向け)●



今回は、存在感はあまりないがよろずなんでも来いの所員・「ひゃ〜参謀」(冬場は「さやえんどう参謀」になる)もいちおう同行している。

研修内容は、交流分析のツールを使って自己に気づき、行動変容を促すことが目的。今回のの修は管理者向けと職員向けに分けて開催したが、以下は夕方から行った職員向け研修の報告である。研修会場には、昼間は利用者で賑わう通所介護事業所のフロアで行われた。


●ここが能楽の「娘・道成寺」でも有名なお寺である●.jpg

●ここが能楽の「娘・道成寺」でも有名なお寺である●


●御坊市の須佐神社を見つけたぁw●.jpg

●御坊市の須佐神社を見つけたぁw●



■研修テーマ:介護職員としての心構え〜自己理解を深め、他者との関わりを見つめ直す〜
(1)自己理解・他者理解
(2)自己理解を深める「エゴグラム・ストロークを理解する」


はじめに「これなんだ?」さんに登場して頂き、皆さんに問うてみた。

「これは何でしょう?」


参加された方々はどんな研修なんだと内心ドキドキ。それが、開口一番、得体の知れないものを見せられ、「何か?」とたずねられたのだ。まさに眼が点であろう。それでも一生懸命に考えている(参加者の心をわしづかみ?)。

人は自分の視覚でとらえた物が、みんなと一緒の物だと思うと安心するのだ。むしろ、違っていたら恥ずかしいのかも知れない。だからそれが正体のわからない物(得体の知れない物)だと不安になるし、考えるのって面倒なのだ。

でも・・・である。

人は、自分と同じ人がいないのと同じように、物事の見方、とらえ方、考え方、表現の仕方、受け取り方は千差万別である。そこでお互いに、どう見て、どうとらえて、何を考え、どう表現するのか。はたまたどのように受け取るのか。コミュニケーションが計られていくと言うわけだ。

さらに、対人援助をする人々は自分自身でも気づいていない「ものの見方、考え方、とらえ方、行動の仕方」によって拘束を受ける。それだけではなく、他者(自分)に様々な影響を与えていく、いや与えてしまうということを認識している必要がある。

さてさて、ここらで「これなんだ?さんの正体とその物語を伝えた」そうそう、「星の王子さま」が登場し、場が和んだところで本題に入る(いや〜まさかバルタン星人がねぇw・・・終了)。


■自分とはどのような人間か?
ここでは、皆さん1人ひとりが、自分と向き合い、「自分はどのような人間なのか?」を考えて書いて頂く。時間は5分。30秒に1つ書ければ、5分で10個の私を書き出すことができるわけだ。ハハハ。

佐藤は、そう言って「豚コレさんのタイマー」のスイッチを入れた。そして書いている皆さんの周りをうにうにと歩いて書いている文字をあるときはチラリと、あるときはジックリと眺めます。ハイ。

すると、始まってすぐにサラサラと書き進め、すぐに5個くらいかける方と、2個くらい書いたと思うと、「ふううう」とため息混じりになかなか進まない方もいる。

実はもうこの時点で物事の見方(ポジティブ、ネガティブ)が現れているのだが・・・。誰だって嫌なところばかり書きたくないからねぇ。やがて、豚コレさんタイマーが、会場にピッピッピッと鳴り響き、5分経過が告げられる。

そして、佐藤から皆さんに次の指示を出した。今、自分で書いた自分を眺めて頂き、自分の良いところや好きなところには○印。嫌いなところ、ダメなところには✕印を付けて頂いた。

皆さんは素直に佐藤の指示を聴いてくれる。ややややややややや、✕印を付ける人が多いな(笑)。その上で、○印と✕印どちらが多いかを聴いてみた。


「◯印の方が多い方」
「は〜い」

「✕印の方が多かった方」
「は〜い」



あれあれあれあれ多くの方が×印の方に手を上げてしまったではないか残念!いやいや、そうですかそうですか。自分に厳しい方が多いんだなぁ。問題は、そーいう人は他人にも厳しい方が多いことなのだ。

つまり、「今日の参加者」は物事を見るときに、《厳しい判定》をする傾向にあるということなのだ。


●夕方から全体で職員研修●.jpg

●夕方から全体で職員研修●


●研修風景(その1)●.jpg

●研修風景(その1)●



では、なぜ、そのようなことが起きるのだろうか? それは、その方を育んて来てくれた方の言霊による(愛の言霊?)。自分を育ててくれた方が、常にそのような言葉を使って「関わってくれた」ということである。

例えば、「まーったく、あんたは気が短いんだから!」とか、「もう!わがままで困った子だね!」などなど。

すると、→自分は短期 (✕印)
    →私はわがまま(✕印)

となるわけだ。でも・・・である。これとらえ方を変えると○印になるのだ。例えば、「自分はすぐに行動できる」「私は自分に正直に生きる」などだ。

つまり、関わり方や物事の見方、考え方、表現の仕方は、皆さんを育んで来た環境に原因があると言うわけ。では、そろそろ、そのルーツを探る旅に出発しょう。ここからはおなじみ、《ヒューマンスキル開発センター》が開発した、エゴグラムとストローク表を作成していく。

(カッパの女王はおカッパ!)


●研修風景(その2)●.jpg

●研修風景(その2)●


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●研修風景(その3)●



■チャレンジ・エゴグラム
これは(株)ヒューマンスキル開発センターによる心理テストである。自分のパーソナリティが測れるものである。

佐藤はそれを使用して、問題を読み、皆さんに答えを書いて頂き、それをグラフにして頂いて解説した。

先ほど、皆さんが書いた自分。その自分を表現した言葉は、実は皆さんを育んでくれた親、あるいは両親に変わる誰かから言われた言葉を、自分の物として取り込み、それを価値観や人柄としてとらえているものである。

批判的ペアレンツ(お父さん的役割)・保護的ペアレンツ(お母さん的役割)・アダルト(大人)・自由な子ども・順応な子ども・反発の子どもなどなど。

皆さんが該当箇所に点を入れ、折れ線グラフを作成。ここまで作成したら次の作業に移る。


●研修風景(その4)●.jpg

●研修風景(その4)●


■チャレンジ・ストローク
これも(株)ヒューマンスキル開発センターが開発した心理テストである。自分の他者(自分)との関わる傾向を測ることができる。

こちらも佐藤が問題を読み、皆さんに答えを書いて頂いてグラフ化した。「ストローク」とは自分の存在価値、他者の存在価値を認めて関わること。そして、その反対側には、ディスカウント(否定的に関わる)があるということを説明した。


■解説
最後は資料を使って解説した。すると、皆さんはお互いの図表を見つめて、「うんうん、あたっているねぇww」「そうか。そういう風にみえないけどwww」

ワイワイ、ガヤガヤ、お互いに感想を伝え合ったところで研修も終了した。最後に定番であるが「これなんだ?」さんが再登場する。

佐藤は再び皆さんに尋ねる。皆さん「これなんでしょう?」と。

すると、皆さんは「えっ?・・・・○○でしょう?」とさっき眼にしたことを口々に漏らす。ほらほら、みんなと同じだと安心してしまう。いかんね、いかんよ(笑)。

そこで佐藤は皆さんに「あなたはだあれ?と聞いてくださいな」と言った。すると、皆さんいっせいに「あなたは誰ですか?」と聞いてくれた(そこは素直)。

佐藤はおもむろに《その方》を紹介した。すると、会場は笑いの渦となった。


そうそう、我々は外見を見ただけで、「○○だ!」と決めてしまう。しかし、私たちが日々気持ちが変わるように、利用者さんも日々変わっていく。どうか明日からは、利用者さんに興味を持ち、挨拶をするときにも一言添えてくだされ。

「おはようございます。今日の○○さんはお元気ですか?」

なんてね。そうすると、そこから意外な関わりが始まるかも知れませんぞ。

さてさて、研修会はこれで終了。

その夜は皆さんと美味しいお酒を頂きました。御坊市も穏やかで良いところでした。研修前には、島根から勧請したという由来を持つ須佐神社や、「安珍清姫」の悲恋物語で有名な道成寺(どうじょうじ)も参拝しました。

帰りには、熊野那智大社那智の大瀧を参拝して、帰路に着きました。和歌山もまだまだ見どころがあります。皆さまもぜひ行ってみてください。

遅くなりましたが、五味さんや研修に参加し、協力して頂いた(株)ネクストビジョンの皆さま有り難うございました。くれぐれもご自愛しつつ、ご活躍ください!



●これぞ、名瀑・那智の大瀧!●.jpg

●これぞ、名瀑・那智の大瀧!●



(韓国の一連の暴挙についての抗議など、外相の重要な公務を考えない野党はどこの国の政党か?って意見もあるが、辻元氏を退けられない立憲民主党あたりに何を望むのかは知らんが枝野氏自体がもう退場してよって感じだから、政党ごと韓国に亡命・・・ああ石破氏もご一緒に!To Be Continued!!)

posted by さとうはあまい at 14:51| 島根 | Comment(0) | 研修会のツボ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月02日

奮闘記・第1074回 見聞録/長崎県

●2019年● 長崎県五島市


日本の最西端、「みみらくのしま」・福江島をゆく!

〜 島中を電気自動車で、ゆらゆら南へ西へ(その2)〜



皆さま、新年あけましておめでとうごさいます!

昨年も新たな人々との交流もあり、充実した1年となりました。
今年も、昨年同様、対人援助スキルアップ研究所をよろしくお願いします。
昨年の漢字は“災”でした。今年は何としても“福”の年にしたいものですね。

今回のブログは、昨年(2018)の続き、長崎県五島列島、福江島での見聞録です。まぁ、2019年としながらも、昨年の話ですが笑納くださいませ。


この島は、長崎県五島列島の中では1番西南に位置し1番大きい島である。佐藤と研究所の「ひゃ〜参謀」と、“島の宿ごとう屋”での朝食後、電気自動車にて福江島を見聞して周るところから。


ちなみに、福江島や五島市の観光マップは長崎の本土でもなかなか手に入らない。時間があれば、福江港のターミナルに行くと充実していましたよ。


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●ごとう屋の朝ごはん。丁度いいわ●



【鬼岳】
はじめに鬼岳をめざす。“鬼岳”は島の宿ごとう屋から6.5q・約17分にある。地元の人は「おんだけ」と呼ぶ。国土地理院での登録名は「おにだけ」である。まぁ日本語は標記が問題(最近それも怪しい)の国なので、読みなどはどうでもいいのだ(ホント)。

ここは、福江空港や福江港からもほど近い、標高315mの山である。全面が芝生に覆われ、その名とは裏腹に美しい流線形を描いている、堂々とした火山である。いまだに活動の兆候は微量だがあるらしい。島の方々定期的に野焼きをしているらしく、時期を誤ると火口を歩くと煤で真っ黒になるという噂。

我々が、鬼岳に着くと、そこには一足早く観光バスが到着していた。バスの中からは元気なバスガイドさんに続いて、元気とは必ずしも言えない、我々の「大先輩」が、「それなりに」ワイワイ、ガヤガヤと降りて来てガイドさんに続く。デイや特養の遠足かとも思える。

元気に歩く方、足腰をさすりさすり杖を突きつつ歩く方、それぞれがマイペースにバスガイドさんに続いて行く。

我々も息をひそめ(何で?)、一呼吸おいて後に続く、鬼岳には、展望台あたりまでは、なだらかな階段が備え付けられ、ルートに沿って登れる。その上には展望台があり、その隣りには鬼岳神社があった。我々はこちらの神々様にもごあいさつ。


●鬼岳神社にまず参拝●.jpg

●鬼岳神社にまず参拝●




そして、いよいよ鬼岳登山である(笑)。これが結構大変。なんせ、火山岩ですからねえ。あちこちごつごつしている溶岩がそこかしこにある。さらに芝生に映えている丈の長い草が足に絡みつくのよ。

“よいしょ、よいしょ”とかけ声をかけながら、遭難(笑)しないように互いに励まし合いながら登る。ここは火口の淵にあたる場所なのか、右手には、火口のような場所とカルデラのような盛り上がりがみえる。

とにかく、風が強く歩くのが大変。佐藤はぐるりと1周したい気持ちを諦め、下山(笑)した。


●鬼岳に登山中●.jpg

●鬼岳に登山中●


●「わが大将は山だけは空海上人のごとく黙々と登るのだ!」(ひゃ〜参謀)●.jpg

●「わが大将は山だけは空海上人のごとく黙々と登るのだ!」(ひゃ〜参謀)●


●鬼岳山頂から見る福江港。映画「二百三高地」的心境である●.jpg

●鬼岳山頂から見る福江港。映画「二百三高地」的心境である●



【五社神社】
次ぎにめざすは、五社神社である。鬼岳から北に5q 約13分である。佐藤は、ナビに導かれるまま、今回の愛車・三菱車電気自動車のiMiEV(アイ・ミーブ)君を走らせる。しかし、音は静かで快適なんだが、エネルギー(電気)が微妙な距離で切れる。というか切れそうになる。ちょっとばかり、ウルトラマンの気持ちがわかったような気がするww。

神社の案内板には、下記のように記載されていた。

市指定有形文化財「五社神社の筥崎鳥居」この鳥居は、八幡鳥居と呼ばれる形式である。慶長19年(1614)それまでの居城であった江川城を焼失した藩主五頭盛利は、石田陣屋の構築、福江城下町の造成などを企画し、五島における中央集権体制を目指した。

盛利は、五社神社に参詣して工事の無事成就を祈願した。“千早ぶる 神の御前の石鳥居 くちはさせまじ 八百万代も”という歌とともにこの鳥居を奉納した。

この時期は「大浜主水事件」と言われるお家騒動が持ち上がった時でもあり、これらの難題を一気に乗り越えようとした盛利の内面が伺い知れる史料でもあるそうな。福岡の筥崎宮の鳥居(一の鳥居)に似ていることからこの名があると言う。


五社神社は、持統天皇の御世(695年)に天照大神(あまてらすおおみかみ)・武甕槌神(たけみかづちのかみ)・経津主神(ふつぬしのかみ)の三柱を奉斎し、称徳天皇の御世(769年)に天児屋根神(あめのこやねのかみ)・姫神(ひめのかみ)を大和の春日大社から勧請して、合わせて「五柱の神」を祀ったらしい(単純明快)。他にも旧知の神様がたくさんいらっしゃった。


●五社神社の筥崎鳥居、本家も見たばっかり(笑)●.jpg

●五社神社の筥崎鳥居、本家も見たばっかり(笑)●



我々が付いた時は、神職さん達が境内を掃き清めているところであった。佐藤は、筥崎鳥居下で一礼をして中に入り、左にあった手水舎にて手を清めた。

すると、境内の側にある木々の間をメジロが黄緑色の体をくぐらせて飛んでいくのが見えた。ひゃ〜参謀にはカラス天狗が見えたとか(笑)。我々は参道をゆるゆると歩き、神門をくぐり境内に入る。

すると、そこにはご神気があふれ、凛とした空気が漂っていた。さすが、原・高天原(げん・たかあまがはら:実存のモデル)の候補地の1つとされるところでもある。

なんせ旧石器時代より、古墳に至るまでの貝塚・住居跡・甕棺埋葬群・祭祀遺跡が有ると言うのだ。なのに古墳がほとんどない。恐らく、何かの理由で集団で移動したとも考えられている。古墳は一族の移動と共に移動する。

応神天皇陵は元々福岡にあったと言われ、それが大阪まで移動して来たと言われる。だから、古墳や遺跡だけではなく、周りに同時代の遺構がどれくらいあるかが問題である。誰もいない所や、時期が合わない遺跡や古墳があったら怪しいでしょう?

宮崎でも福岡でも、中国はしばしば政権が変わり、その度に前政権とおなかよしだった国家は、安全な地へ移動する。いま穏やかな地方都市であっても、太古の昔からそうであったとは限らない。2500年前の江戸(東京)だってそう。何もない春を幾度迎えたかわからんし、いつから江戸と呼ばれたかすらわからないのだ。

右手には、焚き火ができる場所があり、そこで、女性が落ち葉焚きをしていた。「おはようございます」とあいさつを交し、拝殿前に立つ。参拝手順に沿って静かに手を合わせた。


神様、はじめてここに参拝します。佐藤と申します。

この島には昨日からあちこち見聞させて頂きました。

海岸線や、自然豊かで、景勝地にゴミひとつありません。

素敵な島ですね、来させてくださり有り難うございました。

また、参拝できますようにお導きください。

(ホホホ、長いなぁ〜。)


おみくじは、なんと“大吉”である。もちろん、絵馬を奉納したのは言うまでもない(笑)。そうそう、ちなみに佐藤の奉納する絵馬には、常にイラストが着いています。これは、「ひゃ〜参謀」からのメッセージなのだ(なんの?)。


●「大吉」なので絵馬●JPG.jpg

●「大吉」なので絵馬●



【大瀬崎灯台】
次は、大瀬崎灯台である。大瀬崎灯台は福江島の最西端に位置する灯台だ。五社神社からは西へ38q 約1時間の距離にある。

福江島を東西に横断する国道をゆるゆる行く。ナビ様に導かれ、行くと向こうに駐車場がみえてきた。そこには観光バスが駐まっていた。ナビはまだ先を案内している。ナビに示されるままに行くと、そこには空き地があった。

車から降りて周囲を見渡すと案内板が立っている。それを見ると、灯台まではここから徒歩で行くしかないようだ。しかもその距離が結構ありそうだ。そこで、灯台まで行くのを断念し、先ほどの駐車場に引き返した。

そして、遊歩道を歩いて行くと、眼下には断崖絶壁が広がった。ひゃ〜。遥か下方に真白い灯台を認めることができる。映画(「悪人」)で舞台になったらしい。


●遥か遠くに大瀬崎灯台が見える●.jpg

●遥か遠くに大瀬崎灯台が見える●



「あそこまで行けるのかな?」

「ホホホ。行けるらしいわよ。ほら、あそこに道があるでしょう?」

「あんなの道じゃない! おれは絶対行かないぞ。なんなら、大将ちょっと行ってきてくだされ。そんであそこ(灯台)から手を振ってくださいな」

「冗談じゃないわよ! あそこまで行ったら簡単に帰って来れないでしょう。往復4時間くらいかも!」



ということで断念。遙か彼方にある灯台を写真に納めて納得した。遠さは段違いだが、島根の隠岐の島町のローソク島に似ている。

ローソク島は船でしか行けないのだが、雨で行けなかった。いつかあそこは行きたいな。隠岐の村上さ〜ん、お元気ですか? 佐藤はまぁ元気です!

さて、今回我々が乗っている車は、電気自動車であるからにして、朝から福江島を右往左往して、合計80q程度走っている。そろそろ、充電が必要かな?

ということで、先ほど来る時に見つけて有った。玉之浦カントリーパーク前の充電所まで移動。この島には何か所か、島のどこからを起点にしても、短時間で行ける場所に充電所がバランスよく配置されている。この減り方だと充電所がまだまだ点在の本土ではなかなか心もとない。

とりあえず充電することにした。ただ、充電には30〜40分かかる。お腹も空いて来たから食堂でもあれば良いのだが・・・。ないのさ、これが。島にはまとまって施設があり、ここはない地域らしい。そんなこと言われてもな。

近くには、井持浦教会がある。かなり有名であるぞ。堂崎教会のようにもしかしたら、(近くに店があって)軽いお菓子でも手に入るかも!と言う甘い考えを思い浮かべつつ、教会に立ち寄った。


【井持浦教会(ルルド出現の聖母)】
もちろん、ここは教会であり、教会内にはむやみに入れる場所ではない。

「長崎の教会 五島」(http://www1.odn.ne.jp/tomas/gotou.htmによれば、明治28年(1895)全五島の司牧宣教を委ねられたフランス人宣教師・アルベルド・ペルー師の指導によって建立された聖堂で、島内における木造からレンガ造りへの移行のハシリとなった。

設立当初は両外側にアーケードを持つ、初のロマネスク風聖堂として名を馳せたが、大正13年(1924)室内拡張のためアーケードを堂内に取り組んだ。


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●井持浦教会の清楚な佇まい●



教会境内にあるルルドは、フランスのルルド(フランスで初めて聖母マリアが出現したといわれている地)を模倣して五島全域の信徒が島内の奇岩・珍岩を持ち寄り、明治32年(1899)に建設された。

聖母像は、本場ルルドの聖母像を求めて洞窟に収め、さらに本場の奇跡の泉から霊水を取り寄せ洞窟横の泉水に注ぎ入れた。日本最初のルルドで日本全国からの巡礼者は後を絶たないとある。そう、そのルルドを見学することはできる。


●「マリア様」にご挨拶●.jpg

●「マリア様」にご挨拶●



まぁ良し悪しというのでは全然ないが「聖なる場所のコピー」をいくら作っても、聖なる存在が降りて来てくれるかどうかは、また別問題のような気がしないでもない。

そう思いながら、教会の裏手に向かい、整備された場所に佇んだ。正面には泉があり、その泉を囲む洞窟には、マリア像が置かれている。「マリア様」は両手を合わせ、天を望んでいた。

こういうのをみると、キリスト教も仏教も、もちろん神道も、他の宗教も、神様に祈るという点では同じ、神聖な行為なのだなと思う。しかし、これを「人間を拝む」行為(たとえ聖人でも)に変えてしまうと急に胡散臭くなるね。

玉ノ浦は福江島の西の瑞に位置し、教会は波静かな入江の懐に抱かれるように小高い丘の上に建ち、出船・入船を見守っている。今でこそ、島内の道路網が完備し、不便を感じることもない・・・と言いつつ、いま大不便を感じているわけだが(笑)。

しかし、キリスト教迫害の嵐を逃れた時代、ここに住み着いた信徒はそれはそれは大変なことであり、相当なご苦労であったことであろう。キリシタンの迫害は、まさに「そこまでやるのか」というものだったからなぁ。我々は、「マリア様」に別れを告げ、車に戻った。まだフル充電とはなっていないが、その場を切り上げて次へ向かった。充電中も商売、商売(笑)。

なんせ、この日は夕方から仕事がある(第1073回にて報告済み)。充電後、再び福江島の中央へ戻った。


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●充電しながらも商談中である!●



【おっどん亭】
我々は、五島名物「五島うどん」を求めて、旅の宿ごとう屋のすぐ側にある「おっどん亭」に入った。

要するに、この界隈しか、飲み食い買う場所がまとまって存在しないのだ(笑)。先ほどいた、井持浦教会からここまでの移動距離は30q 約40分である。

ここ五島手延うどん・おっどん亭は、株式会社中本製麺の製麺所のすぐ隣に併設している食堂である。入り口には、お土産屋さんもある。われわれは食券を購入して席に着いた。佐藤はトリ天定食を注文。

できあがったら、カウンターまで取りに行く。すると、カウンター横には、「天かす」が置かれており、自由にうどんの上に載せることができる。ハハハ。「東京的自力天粕多目麺上散布謝謝」である。佐藤も天かすをたっぷりと入れて席に戻った。まぁふつう全然期待してないですよね、こういうタイプのお店(笑)。

しかし、「名物にうまいものなし」とは何処の言葉なのか? きっと、○△××県かな?(笑) ここのおうどんは細麺だがその分お出汁がからみ美味しい。

「いやこれ、ふつうにうまい。あふあふ」(「ひゃ〜参謀」

トリの天ぷらも美味である。ふう、満腹! ご馳走様でした。


●五島うどん、おっどん亭。これがまた・・・●.jpg

●五島うどん、おっどん亭。これがまた・・・●



【福江(石田)城】
「石田と名がつくモノにロクなモノはない」とは、「ひゃ〜参謀」の言葉であるが、その後、腹ごなしに、幕末、というか江戸期に幕府が作らせた最後のお城である(1年で役割を終えたが)。石田城こと、福江城まで行ってきた。

我々は再び福江港にある駐車場に車を置き、徒歩で城跡へ行ってきた。現在は、五島観光歴史資料館は福江城の二の丸跡に城の様相で復元されている。城壁はホンモノである。中には城山神社もある。

ここは、島内で一番安いおみくじ(ハハハ)で有名らしいが、本日はビニールでぐるぐる巻きに封印されて、おみくじBOXは使用できなかった。次回があれば、復旧をお願いしたいな。

五島観光歴史資料館は、秀逸で有る。まぁ、五島列島や倭寇、遣唐使などに関する情報は大変豊富であり、かなりいい出来で館内のVTRを見まくった。皆さまもお時間があれば、ぜひぜひご覧頂きたい。


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●五島観光歴史資料館●


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●福江城の守護社・城山神社にて●


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●福江城跡のお濠●



福江城は、幕末1863年に福江藩の最後の藩主・五島盛徳が完成させたお城である。いまでこそ、五島市の中心街であるが、当時は、三方を海に囲まれた海城であったという。幕府は「本気で」ペリーがこちらに来たら、砲撃させる気でいた。江戸から離れているから他人ごとなのだろう。そういう政府(といえるのかは疑問だが)だから滅びるのだろう。

幕末期の東シナ海の海上防衛や異国船の来訪に備えるため、城内にはフジテレビ近くの台場(これも同じ用途)よろしく、台場(砲台)が設けられていた。観たかったなぁ、その大砲。いまはこちらは敷地内に学校もできている。余談だが、関門海峡の下関側の川べりに硬貨を入れると「時間差で気の抜けた音が出る」大砲が思い出されるなぁ(笑)。

これにて、福江島の見聞は終了。佐藤は、その後、無事に仕事を終えた。次の日の朝、佐藤はホテルの送迎車で送って頂き、福江港から長崎に渡った。

おわりに、その福江港でのお話。

我々は例のしまとく通貨を2,000円位使えずに持っていた。お土産屋を散策して、朝食用のお弁当を買おうとすると、そこでもしまとく通貨が使えることがわかった。船は早い時間に出るのだが、お店はちゃんと早くからやっていたのだ。

そこで、佐藤はお土産に「五島 なんや餅」500円を2個購入した。このお餅、帰って家族と食べてみた。周りはしっとりとしたお餅で、中にはあんこがたっぷり。帰りがけにたまたま買ったお餅ではあったが、福江島の海を懐かしくなり、思い出して胸がキュンとなった瞬間であった。

福江島で関係して頂いた皆さま、有り難うございました。福江島は予想をはるかに凌ぐ、良いところでした。どうか皆さま本年もご自愛ください。


さて、今年も頑張ってブログを続けていきます。今年は、どんな出会いが待っている事やら楽しみです。ブログを見て頂いている皆さま、有り難うございます!ご自愛ください!

(「世界でもっとも美しい顔ベスト100」を批判し、某院長がのたまう。「美人かどうかは、コンピュータに任せるのが一番いいの。簡単だよ、コンピュータで顔認証して・・・」院長、全く正論ですが、それはそれでつまんないですよ!To Be Continued!!)
posted by さとうはあまい at 18:20| 島根 ☁| Comment(0) | 見聞録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月22日

奮闘記・第1073回 研修会のツボ/東京都

●2018年● 東京都町田市

町田市・町田市介護人材開発センター・共催
法令遵守研修 訪問介護におけるアセスメントのポイント

〜自助・共助・公助の観点から〜



皆さまお久しぶりですね! ずいぶん寒くなりました。今回のブログは先だって町田市で行った研修会のツボです。


この日、朝から、あちこちの神々様に今年1年の感謝を述べてまわり、最後に会場近くにある母智丘神社を参拝した。この母智丘神社(もちおじんじゃ)は、伊勢神宮の外宮の神様である豊受姫大神を主祭神とし、大歳神様と併せてお祀りしている神社で、創建は大正8年、五穀豊穣の神である。

会場の町田市健康福祉会館には、何回も来ているのだが、すぐ近くに神社があるとは知らなかった。

今回は「ひゃ〜参謀」が小耳にはさみ、


「親方! 近くに良い神社がありますよ」


と案内された。ほんとうに近くだった。

細い参道を通り抜け境内に入った。そして、参拝をしていると、今通ってきた参道から風が巻き起こり佐藤の後ろから体を撫でながら空へ吹き抜けていった。神社を参拝していると、たまにこのような現象に遭遇する。良いことがあるといいなぁ・・・。


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●会場近くで見つけた神社に参拝●


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●会場入り前に肉ダイニングで夕食を頂く●


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●会場の町田市健康福祉会館●



夕食後会場入りし、時間が迫ったので、我々は近くのセブンイレブンで飲みものを購入して、会場へ向かった。駐車場前に開発センタ−の切れ者のセンター長・石原さんが待っていてくれた。

なんでもセブンイレブンに我々を認め、待っていてくれたとのこと(やはりただものではない)。このような心遣いは有り難いねぇ。


こうして、石原さんの案内で会場に入ると、そこには以前大変お世話になった上 静子さんが座っていたのだ! おお!!

佐藤は懐かしさから、上さんに駆け寄り握手をした。上さんは、介護福祉士の育成に力を注いでおられ、私が親しくして頂いていたのは、介護福祉士実務者講習会が盛んな頃であった。彼女はその他にも初任者研修など様々な講師を勤めていた。現在も介護保険関係の仕事をされているとのこと。素晴らしい! 私も頑張らないと。

さらに、なんと! 是枝祥子先生までも駆けつけてくれたのだ。彼女は現在はこの「一般社団法人町田市介護サービスネットワーク 町田市介護人材開発センター」の代表であり、知る人ぞ知る、東京都介護福祉士会の初代会長であり、大妻女子大学名誉教授なのだ。

佐藤が特別養護老人ホームで働いていたときに、小笠原祐次先生を囲んでの福祉寮母の会という研究会があった。その会に参加させて頂いたことがきっかけで、その後様々なご縁を通して、折に触れて佐藤を助けてくださった師匠のお1人であり、数年前、某・かいごの○〇のイベントで、佐藤のTAを見に来て頂いて以来かな? 佐藤は、是枝先生との再会を激しく喜んだ次第である。

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●なんと!是枝先生にお会いできました●



目的
介護保険法改正が行われ、サービス提供責任者の役割も多大になりました。「地域包括ケアシステム」の深化・推進が求められ、地域支援事業・介護予防・認知症施策の推進、地域共生社会の実現をめざし、訪問介護事業所、ケアマネジャー、高齢者支援センター等に加えて住民が参加、協働するネットワークの構築も求められています。そのためには各サービス事業所のアセスメント力が求められてきます。適正なサービスを提供していくために、訪問介護でのアセスメントは何を基本に聞き取っていけば良いのか学びを深めることを目的とします。

ふむ。今回の研修の主な対象者は、訪問介護事業所のサービス提供責任者である。町田市には、市が推奨している訪問介護のアセスメントシート及び訪問介護計画書がある。

今回はその帳票を使用して帳票の書き方を踏まえながら、訪問介護が行うアセスメントについて案内するのだ。

さて、研修は18:30から20:30まで。会場には仕事を終えたサービス提供責任者や介護支援専門員の方々が集まってきた。まずは区役所の担当の責任者から熱きご挨拶を頂き、その後、訪問介護事業所連絡会の会長さんよりご挨拶を頂く。どこでも同じなのだが、人材不足が話題となっていた。

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●主催者からの熱きメッセージ●



研修で行ったこと
(1)居宅サービス事業所のサービスが果たす役割について
(2)町田市推奨のアセスメントシートの記入方法


今回は訪問介護アセスメントについての研修である。佐藤は研修には3種類の資料を作成した。

1.基本資料
2.介護支援専門員が作成する帳票
3.サービス提供責任者が作成する帳票

である。佐藤はこのような計画作成にかかる研修には、事例をひとつ作って説明するようにしている。もちろん、訪問介護計画とは、居宅サービス計画に沿って作成されるものなので、ケアマネが作成する帳票も作成しているのだ。

ただし、その帳票を一度に渡してしまうと、だいたいがその帳票を観ることに夢中になってしまい、私の話を聞いてもらえないことが多い。それでは寂しいので、資料は小出しにすることにした(笑)。


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●会場の外は寒いけれど、会場では熱く語る佐藤●



1.居宅サービス事業所のサービスが果たす役割について
まずは、基本資料とサービス提供責任者が作成する帳票である。はじめに基本資料を用いて、「居宅サービス事業所が果たす役割」を説明した。

居宅サービス事業所は利用者の「心身機能の維持向上」「活動の維持向上」「参加の促進」これらを果たすことで「介護者の負担の軽減」につながるとしている。

ちなみにこれ図表になっており、しかも平成27年の介護保険制度改正前に社会保障審議会で示された図なので、皆さんは十分に理解されているはずなのだが会場は静まり返っていたのがねぇ・・・。

そこで資料にもあるのだが、佐藤はホワイトボードを利用して、その内容を解説した。

「心身機能の維持向上」とは、利用者の健康状態に対する支援である。

訪問介護のサービスで言うところの、あいさつをして体調を伺う。服薬確認。栄養状態の把握(食事内容、水分量)排泄状況、排便の有無。体温測定や血圧測定を行い、数値を記録するなど。医療連携に関する支援である。

「活動の維持向上」とは、日常生活動作すなわちADLに対する支援である。

訪問介護の行為ごとの区分等(老計第10号)に示されている一連の行為に関する支援である。もちろん、掃除・洗濯・調理・買物などの家事活動もこの活動に入る。ただし、要介護1や2の方々はこの何気なくこなしている動作が思うようにできないのである。さすれば、その方々の家事活動はどこに入るかというと、「参加」に入るということになる。

「参加の促進」とは、他者との交流、生きがい、楽しみ、役割の提供などである。

訪問介護のサービスで、軽度者に対する家事活動の支援は役割の提供である。したがって、介護予防のときに流行った、本人ができることは本人にして頂き、できないところをヘルパーが行うなど、一見自立のようだが、いわゆる放置のような支援ではない。

役割の提供とは、ヘルパーと本人が相談しつつ、本人がしていることやできることを認め、ヘルパーがそのしていることやできることを本人に依頼する。そして、本人の側に付き添い、依頼した内容を本人にして頂けるように励まして、できたときには、協力動作に感謝を伝え、さらにうまくできたときには、その成果を共に喜び、労をねぎらうという支援なのである。

「家族介護者の負担の軽減」(環境への支援)
在宅へ訪問して行う訪問介護のサービスは、家族とのかかわりが重要なポイントになっている。家族の価値観、その方の価値観に沿った妻、夫、息子や嫁、娘など、介護者の今までしてきた介護に添うように支援すること。その結果、情報収集を行うときには、今までの在宅介護の流れを壊さないよう意識して支援に必要な情報を収集するのだ。

そう、ここで示された「心身機能」「活動」「参加」「環境」というのは、ICF(International Classification of Functioning, Disability and Health)、つまり、国際生活機能分類の中の言葉である。

この言葉を意識する必要があると言うことを伝え、いよいよ本日のメインであるアセスメントに付いてである。

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●今日は座学が中心であった●


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●会場に60人ほど参加して頂いた●


2.町田市推奨のアセスメントシートの記入方法
ここでは、基本資料に書く内容を示し、佐藤が事例として書き込んである帳票を用いて案内していった。

そもそもアセスメントとは何か。多くの方が、情報を収集することと捉えているようだが、アセスメントとは情報収集だけではない。

確かに現状把握は重要である。ただ、現状を把握しただけではアセスメントをしたとは言えない。アセスメントとは集めた情報を分析することなのである。

介護保険の利用者はアセスメントの段階が3回ある。

1回目は、認定調査である。ここでは、利用者の現状から要介護度を導き出している。
2回目は、介護支援専門員によるアセスメントである。介護支援専門員には、このアセスメント時に情報収集する内容を国が
定めている。それがいわゆる「課題分析標準項目」である。介護支援専門員は、ここから居宅サービス計画書を作成している。
3回目は、各サービス提供事業所によるアセスメントである。こちらには国が示した項目は無い。

ただし、通所介護には平成27年の法改正のときに「興味関心シート」と「通所介護計画の帳票」などが示されている。各サービス事業所はここから個別援助計画書を作成しているのだ。

ここ町田市では、訪問介護に対して、このアセスメントシートと、訪問介護計画書及び評価表の推奨版を出しているのである。市区町村では、監査に入りいろいろと指導はするが、なかなかそのような帳票を示すところは希有であると聞く。その分町田市のやる気が伝わって来るというもの。

佐藤は、アセスメントシートと解説を示しながら何処に何を記入すれば良いかを説明していった。


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●研修風景●



そして、いよいよ情報分析の段階である。アセスメントシートの裏面には、「情報」「情報の解釈(根拠)」「課題(必要な介護)」の欄が設けられいる。

「情報」には、健康状態・日常生活の状況・楽しみ・生活環境・生活習慣の項目がある。これって、まさしく「(国際)生活機能分類」ではないか。素晴らしい!!

でもここには、各項目は記載されているが、その他は白い空欄が広がっているのよねぇ・・・。佐藤の経験上、介護職も介護支援専門員までもが、白い空欄が広がっている所には、何を書いて良いのかわからなくなるみたいなのだ。

そこで、もしかしたら、佐藤が書き入れた内容が、何かのヒントになればと思い、事例を作成しているというわけ。まあ、書き方見本として参照して頂ければと思う。

情報の空欄には、各項目別に書く内容が示されているので、情報収集をしていく段階で重要だと思った情報を項目別に整理して記入していけば良い。この時の記入のポイントは、No.を付けて書いていくということ。

この情報欄で付けたNo.は、その後の「情報の解釈」や「必要な介護」の所で、同じNo.として流れていくからである。

例えば、日常生活の状況(ADL・IADL)(活動)

【情報】※bヘその上の健康状態から連動しているためBとなっている。
B腰や膝の痛みのために、移動につかまり所が必要。室内歩行器・屋外は押し車を使用している。痛みと付き合いながら本人のペースに沿った支援が必要。
Cトイレは自立。移動に時間がかかり漏れる程度の失禁はある。パッドを交換し、必要時には着替えている。

【情報の解釈(根拠)】
B自分のペースで動きたい気持ちが強い。
C自分でも早めに意向と思っているが間に合わないことがあるとのこと。

【課題(必要な介護)】
《活動の課題》
@歩行器を使用して転ばないで生活する。
A失敗しないためにも早めにトイレに行く
《必要な介護》
B転ばないように注意喚起が必要。移動時にはそばに付き添い、転倒しないように見守る。
C支援の前にはトイレ誘導が必要。

となるのである。そうそう、佐藤は訪問介護サービスの課題についても案内している。
訪問介護の課題となるのは、居宅サービス計画の「短期目標」である。

なぜならば、居宅サービス計画は、生活全般の解決すべき課題→長期目標→短期目標を導き出し、その短期目標を改善するための必要なサービス内容を決め、そのサービスを担当するサービス種別を決めるのである。

したがって、訪問介護の課題は、「短期目標」となり、モニタリングのときには、この短期目標の達成の度合いをモニターすることになるのだ。

佐藤は、この段階で、事務局に手伝って頂き、介護支援専門員が作成する帳票を配布して頂いた。ここで、問題となるのは、介護支援専門員が作成する「居宅サービス計画書」の課題が、必ずしも、国際生活機能分類を意識して作成されていない所である。

もちろん、佐藤が国際生活機能分類を意識し、作成した居宅サービス計画を示している。

したがって、心身機能の短期目標、活動の短期目標、参加の短期目標、環境(家族や地域)の短期目標が明記してある。そこで、この課題(必要な介護)欄の課題には短期目標を転記して、その下に具体的な援助方法を記入すれば良いということを伝えた。

ここまできたら、会場からため息混じりに「すごいね!」という声が聞こえてきた。そう、実際ヘルパーのしている介護は凄いことなのだ(笑)。

さてさて、もう残り時間が少なくなってきた。本日はここまで。

佐藤は、このアセスメントから導き出した、訪問介護計画書も作成してあり、すでに皆さんの手には渡っている。今回はそこまで説明ができなかったが・・・。

研修後記
指定基準・第24条には、サービス提供責任者は、「利用者の日常生活全般の状況及び希望を踏まえて、指定訪問介護の目標、当該目標を達成するための具体的なサービスの内容等を記載した訪問介護計画を作成しなければならない。」とある。

そこで、町田市推奨の訪問介護計画書の帳票に示されている、「援助目標」「長期目標」「短期目標」には、このアセスメントシートから導かれた、訪問介護の長期目標と短期目標を記載してある。その文面を転記しておく。

《長期目標》
@薬を確実に飲み、体重が目標数値まで減量できるように励ます。
A痛み具合を相談しつつ、現在していることやできること維持できるように支援する。
B本人の意向に沿った掃除を行い、バランスの良い献立を考え調理できるように励ます。
Cその時々の困りごとを解決できるように相談助言を行う。

《短期目標》
@体重を意識しながらバランスの良い食事を摂り、確実に服薬ができるように支援する。
Aトイレに間に合うようにお誘いし移動時には側に付き添い転ばないように支援する。
B一緒に掃除ができるように支援する。また、一緒に献立を考え調理する。
C他の支援者たちと情報を共有し、統一した支援を行う。

となる。もちろん、ここに示した数字は、@心身機能 A活動 B参加 C環境である。

さてさて、最後に理事の沼田裕樹氏(日本社会事業大学)より、皆さんに励ましのあいさつが有った。

この帳票の作成に自分の事例をあてはめて、まずは作って見ましょう。難しそうと思ったら前には進まない。でひチャレンジしてみてください云々。

そうそう、その通り、皆さんは現役のサービス提供責任者。実施の利用者さんが目の前にいるんですもの。ヘルパーさんや、利用者さんや家族を頼りに、どうぞ、これからも活躍してくださいませ。ど素人ではなく、プロフェッショナルですから、難しいからやらないはできませんもの。

参加して頂いた皆さま、町田市介護人材開発センターほか、ご協力頂きました皆さま、有り難うございました。

佐藤も、介護業界で学ばせて頂いたことを、次世代に伝えて行けるよう、まだまだ頑張ります。皆さまもご自愛ください!


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●外は真っ暗。石原さん、皆さまお疲れ様でした●



(介護保険改革、来年から議の本格化により、とうとうケアプラン有料化がテーマのひとつになります・・・って、もともとタダで作ってたわけじゃない。これからケアマネはコミュ力を発揮するかが問われますな!To Be Continued!!)
posted by さとうはあまい at 20:33| 島根 ☁| Comment(0) | 研修会のツボ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月10日

奮闘記・第1072回 見聞録/長崎県

●2018年● 長崎県五島市


日本の最西端、「みみらくのしま」・福江島をゆく!

〜 島中を電気自動車で、ゆらゆら東へ西へ 〜



さあてと。いよいよ長崎県福江島の見聞録である。

福江島は、日本で2番目にでかい島である(1番は佐渡)。長崎県の西南(東京からは西)にあり、東京・羽田空港から長崎空港に行くと、島には空路と航路がある。

佐藤は、島への移動方法を最後の最後まで迷ったあげく、ゆきは空路で、帰りは航路にすることにした。これまで天気でいろいろあったから、とにかく島に入っておかないと気が済まない。仕事に間に合わないと困るし。もちろん、例の研究所員も同行するのだ。

出発の日の早朝、いつものように「ひゃ〜参謀」を車に押し込み羽田空港へ向かう。なんせ、今回は出雲空港から隠岐空港と同じく、飛行機を乗り継ぐ移動である。ただし、今回は、航空会社が違うという問題もある(今のところ、JAL好き?)。

まず、羽田空港のJALの荷物預かりカウンターで、係の方に(必殺仕事人w)のお姉さんに、

「長崎空港で、ANAに乗り換えて、福江島に向かいますがうんぬん」と告げる。

すると「仕事人」は、ノート(マニュアル?)を引き出して、手続きを始めた。そうありそうで、なかなかない手続きなのかもしれない。

「うーんこういう姿がかっこいい」(佐藤)

多分手続きは、頭に入っていると思うのだが。それでも、こうして、ノートを開いて、自分の行為を指差し確認して行く。そこには無駄な行為はない。しかし、結構時間がかかっているし、同じことを何回もやり直したり、聞かれたりする(笑)。

「たぶん、(プレッシャーで)頭が真っ白になったのだろう」(「ひゃ〜参謀」)


我々は、十分余裕をもたせて来ているので、別段嫌な顔はしていない。それより手違いで荷物がどうかなる方がよっぽど困るからだ。

しかし、一般の客は、空港の手続きでもたつくと、「何しとんのや!」「さっさとやってくれ」的なプレッシャーが多いのだろう。

途中で何かの不具合というか、お姉さんのやりかた自体に不具合があったと思われる(「ひゃ〜参謀」)様子。

「少々お待ちください!」

と我々には、ややひきつった笑顔で断りを入れてからビューんと奥へ引っ込んだ。そしてしばし待つと奥から駆け足でカウンターに帰ってきた。


「お待たせしてすみません!」

と言いながら、最初からやり直して行く、しかし何度もやり直すw。

ところが、佐藤は「仕事人」に聞かれないので、

「あの〜、荷物は飛行機(JAL系)から飛行機(ANA系)へ移すことはできますか?」

と尋ねた。しかし、ここでまた「頭が真っ白」になった(と思われる)。


この方は、仕事はキチンとできるのだろう。しかし、まだまだ、見た目も若いし、経験不足かまじめで融通が利きにくいのだろう。一度やり始めると、修正や追加がまだ随時うまくはいかないようだ。

我々に応対しつつ、パソコンの手を休めることはなく、頑張っていた。そしてなんとか手続きを終えた。

「荷物は飛行機(JAL系)から飛行機(ANA系)へ移動するように手続きしました。・・・ただし、長崎空港では一度外へ出てANAさんへの搭乗手続きが必要なのでよろしくお願いします」とのこと。

すべての手続きが終了後、彼女は時間のかかってしまったことを詫び、我々を笑顔で見送ってくれた。トラブル自体は誰にでも起こり得ることだし、大したことではない。

「でも、これほんとうは初めにキチンと聞いて、確認してから打てばいいと思うんだけどなぁ。そうすれば何度もやり直さんで済むし。何か言われるたんびに全部やり直しじゃ、(頭が)真っ白になるよね。別に自分が大変なだけだからいいけどw」(「ひゃ〜参謀」)

そう。通常は先に乗り継ぎの有無と、荷物の移動を確認する。でも、彼女が「できる」と思ったのは、頭が真っ白になってからの「思考の立て直し」の方法と実践である。

適時のマニュアルの確認し、上司への相談、指さし確認を行いながら思考を戻し、きちんと手続きを終えたのだ。実際に恙なく、荷物も別会社間のリレーで、福江島で受け取ることができた。

ここが、JALの教育システムの凄みであろう。介護業界のことを思うと、やや暗澹たる気持ちになったが・・・。我々は、久しぶりにプロの仕事(危機管理)ぶりを見せて頂き、満足であった。

さて、長くなったが、こうして無事にJALは長崎空港へ着陸した。そして我々は言われた通りANAへのトランジットやらで約1時間くらい待った。


●長崎空港に到着●.jpg

●長崎空港に到着●



乗り継ぐ飛行機はプロペラ機である。やがて、搭乗案内が流れた。我々は前の方々に付いていくと、滑走路上に出る。そう、ここは徒歩にて飛行機まで移動する。地上整備員の方々が笑顔で道案内もしている。

我々が、機体をバックに記念写真を撮っていると、それを大変うれしそうな顔でみていた。自分たちが手塩にかけた飛行機に興味を持たれているのだ。仕事に誇りがあればこその笑顔であろう。


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●あれに乗るのですよ●



我々は飛行機から伸びる、タラップを登り中に入る。キャビンアテンダントは、こぼれんばかりの笑顔で乗客を迎えている。このようなおもてなしが旅行客をうきうきさせるのだ。


「まるで悪霊島に行く、金田一耕助の気分だな!」(「ひゃ〜参謀」)
「悪霊島?・・・・・」(佐藤)

やがて、すべての乗客が乗り込むと、彼女はタラップを収納し、飛行機はプロペラの音を轟かせて滑走路から飛び立った。


●機内はこんな感じ●.jpg

●機内はこんな感じ●



佐藤は窓側だったので眼下の景色を眺めて見て、かなり高いところを飛んで行いて驚いた。なんせ、隠岐に行った時は、海や島を観ることが出来たのだが、こちらは海もかなり遠くに見えた。ううん、長崎にある米軍との制空権の問題かもしれない。その後、約30分程度の空の旅を終え、無事に福江空港(五島つばき空港)に着いた。


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●そろそろ着陸。けっこう高いところを飛んだ●



空港では、今回お世話になる島の宿 ごとう屋さんのお迎えの方が、プラカードを広げ待っていてくれた。
レンタカーも 同じ場所で借りられたし、「しまとく通貨」も使えた。

ここでしまとく通貨にも少し触れておく。これは長崎県内の複数の島の市町で共通に使用できる「プレミアム付き商品券(電子地域通貨)」である。

旅行やビジネス・観光で使える6000円分のしまとく通貨を5000円で購入でき、3万円購入すれば、6000円のプレミアムが付くのだ(上限は1人3万円まで)。今回はホテルとレンタカー分を、3万円+プレミアムで支払うことができた。

ホテルは宿風で、家庭的な雰囲気のホテルである。宿は平屋で奥に浴室・反対側に食堂がある。冷蔵庫がかなりシンプルで小さいので沢山入らないのと、部屋に姿見(大鏡)が無かったぐらいで十分コスパは良かった。

レンタカーは、三菱車電気自動車の、iMiEV(アイ・ミーブ)君だ。三菱車も、電気自動車もおそらく初めてである。早速、我々は福江港へ向かったのであった。目的は、もちろんお昼ごはんである(笑)。

福江港近くの駐車場に車を入れ港に向かう。福江港ターミナル内には、チケット売り場や乗船待合場所、お土産やさんや五島市観光協会の窓口などがあり、ある意味、福江島の活動拠点と言える、賑やかな場所である。

福江島はコンビニ(ポプラ)も数店あるし、ショッピングモールもある。しかし、それぞれがかたまって存在しているのため、同じ通りを用事に合わせて、何度も通り抜けることになる。

佐藤は、自分のしまとく通貨を使い切ったので、所員の分で新たにしまとく通貨を入手した。

まぁ15000円で18000円の買い物ができるのだが、残っても払い戻しができないのがねぇ・・・。使えるお店も指定されているし、曜日によって休みだったり、早く終わったりで、以外と残ることになる。

福江港ターミナルのお店で、ご当地を代表するゆるキャラバラモン君をゲットした。このバラモン君は、あのばらもん凧をマスコットにしたものなのだ。ちなみに「ばらもん」とは、同地の方言のばらか(元気な、活発な)に由来するそうな。


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●「もえる」ではなく、「もやす」という強固な意志を感じたw●



その後、福江港ターミナル2階にあるレストランの遊麺屋(ゆめや)さんに入った。ここは作先にチケットを券売機で購入するシステムだ。

佐藤は、「焼き魚定食」をゲット。運ばれてきたお膳には、ふっくらとした鯖が半身のっかっていた。

「おお、これぞ、島で食べるにふさわしいぜ!」

我々は大満足で車に戻った。駐車料金は0円! 1時間は無料なのだ。遅くなったがいよいよ見聞がスタートだ。


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●福江港のレストランでお昼●



【堂崎協会(with 巡礼カフェ オラショ)】
福江港から北へ約10 km。時間で20分弱。電気自動車の操作にも慣れ(?)、快適に進む。やがて、右側に教会に似た建物を発見した。おしゃれだなぁと思ったら、なんとそれはトイレであったw(むかしPトイレをアンティックな家具のイスと間違えた介護職いたが笑えない)。

今回、福江島を見聞してみて、感じたのは、観光地であろう場所が「観光化されていない」こと(人があまりいないとも)。そのような場所でも、何処にもきちんとトイレがあり、きれいに整備されていた。

まぁ、中・・・などの外国人らしき方々が頻繁に来るところは、きれいさが維持できていないようだが、基本的に他はすごくきれいであった。

トイレは観光地なら重要である。あちこちらにないのならば、観光地を名乗ってはいけないと思う。トイレの前には駐車スペースが設けてあったのでそちらに車を置く。駐車場の前は海である。その海の透明度が素晴らしかった。


さて、ここ堂崎天主堂は、江戸時代からのキリスト教禁教令廃止以降、五島列島で最初に建てられた聖堂であり、現在は堂崎天主堂キリシタン資料館となっている。ちなみにいまだにその組織も続いているという。

教会の中央には、祭壇が設けられマリア像がおかれている。内部は木造で、ステンドグラスの模様は椿をモチーフとしている。外には、日本二十六聖人の1人で五島出身の聖ヨハネ五島の像も建てられていた。某H吉公は、日本の偉人(?)かも知れないが、トップに立ってからは国内外でろくなことをしていない。


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●じゃ〜ん!ここが堂崎教会である●



駐車場から教会への向かう途中には巡礼カフェOratio(巡礼カフェ・オラショ)がある。店内は意外とひろく、普通にテイクアウトもできる上品なカフェである。

ちなみにオラショとは、ラテン語のOratio(祈祷文)が語源だそうで、日本のキリシタン用語として「祈り」「祈祷」と訳されている。

知らない言語を耳で聞き、カタカナで書いて(いわゆるディクテーション)いたこともあり、長いときを得て、日本独特のおまじないのようなものにもなっているが、おおむね内容は間違ってはいないらしい。さすがは外来文化の交流地点・長崎とでもいうべきか。

「ひゃ〜参謀」の調査によるとマドレーヌがうまいとのこと。本来であれば、店内で珈琲などと頂きたいのだが、先を急ぐ。我々は中マドレーヌを2個ゲットし車中で頂いた(マドレーヌには要飲み物、『失われたときを求めて』冒頭参照w)。 


【道の駅 遣唐使ふるさと館/白ヶ浜万葉公園】
今度は、進路を西へとり、島内唯一の道の駅、道の駅・遣唐使ふるさと館をめざす。移動距離約25qで、約40分。

 「ひゃ〜参謀」お目当ての品「道の駅のマグネット」がある(笑)。車の充電施設も完備されている。近くにある、白浜ヶ浜万葉公園に向かった。

そこには、遣唐使船を模した展望台がある。この船を観ることも目的のひとつだったが、行くと、なんとそこはアスレチックよろしく遊具もおかれていた。しかも他に誰もいない。


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●遣唐船のレプリカ●



佐藤は、緋色に輝く遣唐使船にのり、両手を広げ、白浜海岸を見下ろし、海風に吹かれた。その後は、約60mものローダースライダーに挑戦したw。置かれていたピンク色のシートを敷いて滑った。

「まさに《やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ》 (山本五十六大将の言葉)ですな。まぁやり過ぎの感も無きにしもあらずですが」


●「やって見せ・・・」(山本五十六大将・談)●.jpg

●「やって見せ・・・」(山本五十六大将・名言)●



とは「ひゃ〜参謀」 。再び車に戻るが、まだまだ充電するには早いかな・・・。このタイミングが難しい。


【高浜海水浴場】
道の駅から南下すること約6q、7分の距離にある。ここは天然の海水浴場としては、日本一の美しさを誇る白砂の海浜であり、遠浅で澄みきった海で知られる五島市を代表する海水浴場なのだ。
我々が行ったのは、日も西に傾きはじめた時間。まぁ、冬でシーズンではないが、それでも観光客はまばらだがいる。この島は人口(3万くらい?)に比してなかなか広い。


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●日本屈指の高浜ビーチ!しかも人がいない●



駐車場には、わナンバーのレンタカーが何台か駐まっていた。その方々と行き違いに海辺から去って行き、この東シナ海に広がる広大な海岸がわれわれ2人しかいないのだ。入れ違いでまた人が来るのだが(笑)。

そうなると、この浜は断然広い。行けども行けども砂が広がり、波打ち際に行くには時間がかかりそう。砂地が結構ぬかるんでいるので、波打ち際に行くのは断念した。

砂地には、白やピンクや真珠色に輝く貝のかけらがそこかしこに落ちていた。また、中には、ピース型の動物の足跡がある。どうやら鹿の足跡のようだ。まぁアルくまやイノシシだったら、こうもしてはいられないが。

我々は青い海、白い波、誰もいない浜辺を満喫し、再び車に戻った。


●海岸に鹿が来ている●.jpg

●海岸に鹿が来ている●



【空海記念碑:辞本涯の碑】
高浜海岸から北へ11km、約24分。そこは東シナ海へ突き出た岬にある。ナビ様に導かれて行くのだが、どんどん道幅が狭くなり、対向車が来たらとうてい避けられない(意外と得意?)という場所を進む。

「某島根の安田の兄さんが、一本道で結婚式の列に合って、バックで1q戻らされたことがあったよなw」 (「ひゃ〜参謀」)

おいおい(笑)。佐藤は例のごとく車の中心で「対向車よこないでー!」と叫びながらも、何とかその場所へたどり着いた。ここは、岬の開けた場所に、空海上人像と辞本涯の石碑が立てられている。


●辞本涯の碑には悲壮感を感じない●.jpg

●辞本涯の碑には悲壮感を感じない●



遣唐使にゆかりのある三井楽町と第16次遣唐使船で唐に渡った空海さんが深く関わりのあることを広く紹介しており、その偉徳を顕彰するために、地元の有志によってこの地に建立されたらしい。

記念碑に刻まれた「辞本涯」の文字は高野山清涼院住職さんの書により、「日本の最果ての地を去る」という意味。航路に変更はあったが、遣唐船の最後の停泊地であったという歴史がある。

三井楽は、現在の地名では「みいらく」と読むが、歴史的には、三井楽は「みみらくのしま」と呼ばれていた。古くは、美禰良久(みねらく)の崎、美弥良久の埼(『続日本後紀』)などとも書かれていた。

いろいろな漢字の当て方は、わが国には、耳で聞いた人が「好きに当てて良い」という法則があり、実は江戸時代でも続いていた。現代人には、いい加減に見えるかもしれないが「漢字」の知識とは、その人の教養そのものを現している。

関係ないが、昭和50年代までは、免許の名前でさえ、実際とは違っていた。悪しき当用漢字や常用漢字の問題であるがここでは深追いしない。

みみらくのしまは、「亡くなった人を甦らせ、見ることのできる、西方浄土の地」の代名詞として信じられてきた。島の向こうは海であり、異国(中国)があるため、憧れや未知の不安が入り混じった感情で考えられたのだろうか。

特に『蜻蛉日記』藤原道綱母・著、975年ごろ成立)などの古典文学の文中でも、「亡き人に逢える島」(みみらくのしま)として語られ、歌枕としても定着していた(現在、当時の雰囲気が残る風光明媚な景観として、平成26年10月に国の名勝に指定)。

あの緋色に輝く遣唐使船で、東シナ海をゆくのだから、生きて帰ってくる保障はなかっただろうし、わざわざ正月に中国皇帝に拝謁するために困難な時期に渡っていったから被害も拡大した。

でも、佐藤はこの海、この景色を見て、なぜか「わくわく感」を感じていた。空海さんをはじめ、船に乗った人々は、船旅に不安を抱えながらも、新たな地を見聞する自分を想像し、高鳴る胸の気持ちを抑えられなかったに違いない。


●西の果てに陽は沈み、陽はまた昇る●.jpg

●西の果てに陽は沈み、陽はまた昇る●



そんな海を眺める私たちの近くを、孫と犬を連れた老人が軽く会釈をして遠ざかっていった。おや? ここは「みみらくのしま」。もしや以前に会ったことがある人たちかも知れない。


最後にも余談だが、佐藤の近所の○○山公園に昼間でも「幽霊が出る」という噂があったという。知人から聞いたある人がそれを確かめに昼間に出かけた。しかし、公園には犬を連れたおば様がいただけであった。空しく帰ったその人は知人に、


「どんなのが出るんだよ!」
「ああ、犬を連れたおばさんらしいよ」
「・・・・」



東京にも「みみらくのしま」があるのかも知れないなw。

さてさて、こちらにはお土産屋さんらしきものはないが、きっちりとトイレが完備されていた。ほんと素晴らしい。西の最果ての果てに来たが、まだまだ陽は沈みそうにない。宮崎や浜田以上に陽が長い感じだ。まぁ完全に陽が落ちると完全な暗闇になることにのちに気づくことになる。そろそろ、宿の方に戻るとしょう。

ここで気がかりなのは、電気を半分消費したと言うこと。まだまだ、夜の島も散策したいしねぇ・・・。

ということで、道の駅に戻って充電した。先ほどの柏崎から道の駅までは約7q、17分程度だ。道の駅はすでにカラオケ大会も終わり、先ほどの賑やかさとはうってかわって静かであった。


●ただいま充電中!●.jpg

●ただいま充電中!●



外の売店にて最後のソフトクリームを頂き、車の中にて充電を待つことに。この間にとうとう陽が沈み、あたりは暗くなってきたし、道の駅の方々もお帰りになった。

佐藤はまだフル充電ではないが、鵺(ぬえ)でも出るといかんので、途中で終了し、夕食場所へ移動した。

移動途中、五島シティモールに立ち寄り、中にあったダイソーにてお買い物(笑)。なぜか100均って、あちこち観ていると飽きないので時間が経つのが早いよねぇ。

外に出たらすでに真っ暗になっていた。


【レストラン・ミッキーハウス】
佐藤は対向車の明かりと、車の明かりを頼りにお店を探した。ほんとうに暗いぞ。道の駅から約18km、28分。そして偉大なる暗闇の中、その店の看板を見つけた。

お店で聞いたところに車を停め、中に入ると、カウンター席と、4人掛けの席が3つ。我々は4人掛けの席にすわりメニューを見た。そして、「ひゃ〜参謀」はハンバーグとエビフライ定食。私はハンバーグとミニグラタン定食を注文する。

店内は名前のとおり、ディズニー一色である(笑)。あちこちに年代もののミッキーやミニーオブジェが飾られていた。待っていると、小鉢に入ったサラダとあつあつのコーンスープが運ばれて来た。

その後、おのおのの注文したものがテーブルに運ばれて来た。うん。「ひゃ〜参謀」の選択に間違いなかった。グラタンもあつあつで、文句なし。我々は無口になって美味しく頂いた。近所の方々らしき方々も来ていた。


●夕食はミッキーハウス!うん?●.jpg

●夕食はミッキーハウス!うん?●



会計時に「しまとく通貨でお願いします」というと、女将さんがスマホを操作して無事に会計を済ませた。しまとく通貨を使用すると、お店の方が、画面にスタンプを押してくれる。そこには、しまうまのマークが現れるのですがこれがめちゃ可愛いのだ!! ふう、ご馳走様でした。

さてさて、今回の見聞録はここまで。さらに島はめぐりが続きます。おそらく見聞録も続きますので、続きましたらご覧ください。

皆さま、寒くなりましたね。くれぐれもご自愛ください!


●しまの宿 ごとう屋データ●
住所:長崎県五島市吉久木町699-3
連絡先:0959-88-9569
営業時間:チェックイン15:00/チェックアウト10:00
定休日:年中無休
駐車場:あり。また、福江港および五島福江空港からの無料送迎あり(要事前予約)。
HPhttp://gotoya.jp


※なお2018年12月現在のデータです。


(「推定無罪」という法治国家の原則はなく、国家公務員の給与は5年連続引き上げで民間平均より246万円も高い。こういう感覚を持った政府のトップに憲法改悪はして頂きたくないな!To Be Continued!!)

posted by さとうはあまい at 12:31| 島根 ☁| Comment(0) | 見聞録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする