2011年10月25日

奮闘記・第766回 読んでみた!/富山県

●本の分野● ノベライズ

富山市総曲輪フェリオ・紀伊国屋書店にて購入

読んでみた、行って見た!

映画ノベライズ 『RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへ』 (大石直紀・著)



ただ今は、千葉でコミュニケーション・介護記録研修の真っ最中。確かに会場は熱気であふれているのだが、それだけではなく、ほんとうに暑い。もう10月ですぞ! しかも、どこのホテルもエアコンの冷房が入らない。死ぬぞ!!


さて、それとは別のお話(笑)。


今回のブログは久しぶりに読んでみた!というか、新コーナー「読んでみた、行ってみた」という感じ。


この頃、老眼が進み(泣)、なかなか読書に集中できない日々が続いていたのだが、なんと、この本は速やかに読み終えることができたのだ(笑)。


昨年の夏、島根県出身・錦織良成監督の映画「RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語」の映画を島根県出雲市ゆめタウン出雲の映画館で観た。


その後、舞台となった一畑電鉄に乗ったり、ロケ地を歩いてみたり、ノベライズ(小学館文庫)を読んだ。男の生き方についても考えてみたのだ(笑)。


その映画の第二段が、今度は富山県の「富山地方鉄道」を舞台に映画化されるというのだ。佐藤は、今回その映画の舞台となるところを見聞した。



●常願寺川にかかる鉄橋●.jpg

●常願寺川にかかる鉄橋●



同時に、富山市の総曲輪(そうがわ)フェリオ紀伊国屋書店で『RAILWAYS〜愛を伝えられない大人たちへ〜』のノベライズ(大石直紀・作)を購入し、読んでみた。


本の内容は、細かくは触れない。


大雑把なストーリーは、長年連れ添った夫婦が、旦那の定年退職を期に、お互いが、それぞれの第二の人生について考えていく、というか、お互いの人生設計を初めて相手に示さなければならない時が来てしまったのだ。この時の夫婦の葛藤を見事に描かれている。


夫は、仕事一筋の人間(59歳)。たぶん、最後の仕事命世代(団塊の世代のすぐ下あたりかね)であろう。一方の妻(55歳)は、子育てを終え、仕事に復帰したいという願いを抱いていたものの、夫は、妻の願いを退け、ひたすら良妻賢母であることを強い続けてきた。


妻は、内心じくじたる思いを感じながらも、仕事への復帰を諦め、ひたすら良妻賢母を演じていた。その妻が、夫が定年退職を潮に、妻は、職場への復帰を決意する。夫にも相談するが、もちろん、夫はその願いを聞き入れようとはしない。そこで妻は強硬手段をとることになるのだが……。


その結果、夫は、慌てふためいて、今までの夫婦の人生を回想しながら、人生の方向を模索し直すことになる。


まぁ、ここまでは、よくある熟年離婚の危機、という感じ。ところが物語は、この夫婦と、子どもとの家族模様を描きつつ、前回同様、がん患者(末期)の生き方も絡んで、なかなか奥が深い。


前作は、エリート・ビジネスマンから、島根県の一畑電鉄の運転手に転職する「49歳の電車の運転手」役を中井貴一さんが好演した。ほんとうに中井貴一という俳優は上手い人なのだな、と再認識した。


今度はなんと望月三起也原作の同名人気コミックを映画化した映画『ワイルド7』(来春公開予定)のボス・草波 勝役だそうだ。ははは、ぴったり!


さて、「RAILWAYS」の第二弾に戻る。


主人公役が三浦友和さん。前作は息子さん(三浦貴大君)が、確か俳優デビュー作であったと思う。今度は父がどのような感動を与えてくれるか楽しみである。こりゃ息子へ俳優の力量の見せどころじゃ(笑)。


佐藤は、お馴染みの、熊が出やすい、越中国一の宮岩峅雄山神社(前立社壇)を参拝。



●岩峅雄山神社(前立社壇)を参拝●.jpg

●岩峅雄山神社(前立社壇)を参拝●



その後、ノベライズに出てくる岩峅寺(いわくらじ)駅に行ってみた。ここは立山線と不二越・上滝(ふじこし・かみだき)線との接続駅で、急行停車駅であり、不二越・上滝線のすべての列車はこの駅を起終点駅としているのだ。


この駅は2007年に公開された『劔岳 点の記』(新田次郎・作)でもロケに使用されたらしい。駅舎内に映画「剣岳」のスナップ写真が展示されていた。



●岩峅寺駅に行ってみた●.jpg

●岩峅寺駅に行ってみた●


●富山地方鉄道を激写!●.jpg

●富山地方鉄道を激写!●


●岩峅寺駅を出ていく電車●.jpg

●岩峅寺駅を出ていく電車●



ううん。これは来てみなければわからない。また、レトロな駅舎の、前には、ナナカマドの大木があり、赤く色づいた、見事な実をたわわにつけていた。


佐藤が見上げてみていると、ゆるゆる歩いてきたお年寄りが立ち止まった。


「見事なナナカマドだろう?」


木を見上げながら言った。


「そうですねぇ〜」


というと、うなずきながら動き出し、道路を渡って、反対側にあるJA農協のお店に入っていった。


うん?……JAですかい! 安田さん、お元気かな(笑)。



●駅前にはナナカマドの実が赤く色づいていた●.jpg

●駅前にはナナカマドの実が赤く色づいていた●



それはともかく、そのかかわりは一瞬の出来事であったが、佐藤になんとも懐かしい情景を思い出させてくれたのだ。


佐藤は、翌日、夕方少し時間があったので、呉羽山公園(呉羽丘陵)に向かった。ここは映画「RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへ」の中で、主人公役の三浦友和さんが立ち寄る場所で、しかもかなり重要なポイントをしめる場所なのだ。そうでなくとも立山連邦や富山市内、能登半島まで見渡せる屈指のビュースポットである。


映画を見たあかつきには、誰でもきっと来てみたくなる場所だろう。展望台には、立山(信仰)を開山したと伝わる伝説の少年・佐伯有頼(さえきありより)の像が立つ。


佐伯有頼像は、肩に白鷹を乗せ、立山を指さしている。佐藤も、負けじと、肩に前回立山駅で手に入れた雷鳥の幼鳥(まつたけ君と命名、ははは)を肩に乗せ、立山を仰いだ。



●遠く立山連邦が一望できるはずの呉羽山公園●.jpg

●遠く立山連邦が一望できるはずの呉羽山公園●


●佐伯有頼像と共演●.jpg

●佐伯有頼像と共演●



しかし、……見えん。


残念だが今回も立山連峰を見ることはできなかった。まことに残念!


「立山はどこにも逃げやしないよ! またくればいいじゃん」


しおしおになりかけた佐藤に、立山を開山した伝説の少年・佐伯有頼像が、そう言って、ほほ笑んでくれたような気がした。その像は立派な青年の顔になっていた。そうだね、また会おう!



●ノベライズと富山で手に入れた映画のチラシ●.jpg

●ノベライズと富山で手に入れた映画のチラシ●



【本のデータ】

□ 『RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへ
□ 大石直紀・著
□ 小学館文庫
□ 2011年10月11日発行
□ 500円(税込)


(衆院議員のパソコン、ウイルスに感染したという。衆院事務局では「サイバー攻撃、事実関係は確認できず」とのこと。自分のことも守れない奴が国民を守れるのか! To Be Continued!!)
posted by さとうはあまい at 14:46| 島根 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 読んでみた! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月16日

奮闘記・第707回 読んでみた!/東京都

●本の分野● ノンフィクション


まど・みちお『百歳日記』を読む

〜そうか、「ぞうさん」の作者はこのひとだったんだぁ!(笑)〜



読んだのは東京だが、この本は、島根のJR松江駅に隣接するシャミネの今井書店で手に入れた。


まぁ、微妙な本屋さんである。東京にあっても、使うかはどうかわからない規模の書店だが、松江にくれば、必ず利用する(笑)。やはりTPOと言うものは大事だよなぁ、と思う。今ごろ松江は大雪かも〜!(ないない)。ははは、この本を買った時の松江は雪だったのだ。ううん、懐かしい!!


さて、この本は2009年1月3日と1月30日にNHK総合テレビで放映された、NHKスペシャル「ふしぎがり〜 まど・みちお 百歳の詩」の取材記録と、本書(NHK出版生活人新書)編集部による追加取材をもとに再構成された本である。まぁ、かのN●K出版なら、たいがい外注さんに丸投げという噂もあるが、本の良し悪しには関係ないから追及しない(笑)。


佐藤は、この『百歳日記』という名前にひかれ手にしたのだが。取材本なので、日記はすべて、まどさんの語り口調で書かれている。


本の構成は、第1章・第2章・第3章・第4章。現在と、過去が交差する話の中に、まどさんの詩と絵が挿入されているのだ。


まどさんは、自分は、本当は絵描きになりたかったと言う。


ところどころに描かれている絵は、まるで落書きのようである(失礼)。


まるをいくつも積み重ねたものや、丸と四角をつなげたもの。ハート型の顔を持つ絵など。それらすべての絵には顔が付けられており、そのすべてが笑みを浮かべているのだ。


ページをめくるごとに、次はどんな絵が出てくるのかと楽しみになる。それらの絵には文字が添えられ日付が付けられていた。


まどさんのことは、この本のまどさんの略年譜を参照しながら紹介したい。


まど・みちお(本名:石田道雄)さんは、1909年11月16日、山口県徳山町(現在は周南市)に生まれる。


お父さんは、まどさんが3歳のころ、仕事の都合でひとり台湾へと渡る。


お母さんは、まどさんが、5歳の時に、なんと、まどさんだけ置いて、お兄さんと妹を連れて台湾へ行ってしまったという。


まどさんは、当時の事を振り返って、お母さんがいなくなったことは、それはそれは寂しく悲しいことだと話している。


だから、まどさんは、5歳から9歳まではおじいさんと暮らしている。おじいさんも優しかったけどお母さんにはかなわない。


10歳の時におばさんに連れられて、台湾の家族のもとへ行き、ようやく家族との生活がスタートしたそうです。


15歳の時には台北工業学校土木科に入学。在学中に、同人誌あゆみ』を創刊し、詩を発表しています。


どうも、将来、文学の道に名を連ねる人々は、学生時代にこのような同人誌を創っていますねぇ。


20歳の時、台湾総督府の道路港湾課に就職。


25歳の時、台湾を訪れていた北原白秋先生の講演を聴き、同年(1934年)、雑誌コドモノクニ』の童謡募集に応じて5篇を投稿する。


このうちの2篇が白秋先生により特選に選ばれました。まどさんは、これをきっかけに詩や童謡の投稿を本格的に行うようになる。


1936年には、山口保治氏によって、童謡ふたあつ』が作曲されている。


この「ふたあつ」は、なんとも懐かしい歌です。確かこんな詩だったような……。



ふたあつ、ふたあつ、なんでしょね。

お目々が いちに ふたつでしょお耳も ほらね ふたつでしょ

ふたあつ、ふたあつ、まだあって

まあるいあれよ かあさんの おっぱいほらね、ふたつでしょ




このおっぱいが印象的だったなぁ(笑)。


1937年には、同人誌昆虫列車』の創刊に加わり、1939年に廃刊するまで、同誌で活動することになる。


30歳の時、妻・寿美さんと出会い、結婚する。


寿美さんのことは『百歳日記』にも出てくる。現在は、二人とも病気になり、別々の病院へ入院しているという話。


現在は、ぼけてしまったといいながらも、妻をいとおしく思う気持ちが語られています。お互いが年をとり、ぼけてしまってきているが、その現状を困り事としてとらえていても、ちいとも悲観していないんですよ。それよりか、妻の面会を心待ちにしている。


まどさんに、夫婦円満の秘訣を聴いてみると、なかなか人には教えたくないんだけれどといいながら、


「ほかのひとに気があるようなそぶりをみせないことだ」と。


ううん、素晴らしい! いやはや、説得力のあるパワー(言語)は、何処から生まれてくるのでしょうか。あの良寛さんに通じるものがあるような気がします。


まどさんは、昭和18年(34歳)に召集を受け、戦争に駆り立てられました。入隊先は台湾の船舶工兵隊、ここで終戦までアジア各国を移動しながら、シンガポールで敗戦を知ることになる。


しかし、まどさんは、戦争中もひそかに日誌や詩、短歌や植物記を書き続けていたらしい。凄いじゃないですか! ねぇ?


昭和22年、37歳で帰還。


その後、1948年には出版社に入社し、雑誌チャイルドブック』の創刊にたずさわり、詩や童謡の発表をしながら子供のための雑誌、書籍の編集やカットに関わっていったという。


このような経緯を経て、42歳の時に、あの、「ぞうさん」が誕生。この歌は、こどものぞうが、自分が一番好きなお母さんを誇りに思っている歌なのだという。


なるほど。自分の長い鼻を見せびらかしながら歩くぞうさんに、だれがすきなのと聞けば、立派ななが〜い鼻を持っているお母さんが一番好きだと歌っているんですものね。


まどさん自身、お母さんが大好きで、立派な人だと思っているそうです。


そんな、まどさん。なんと、50歳で出版社を退社し、その後は、詩・童謡・絵画に専念していくのです


53歳の時(1963年)に、それまでに作った童謡を『ぞうさん まど・みちお子どもの歌100曲集』としてまとめている。


59歳で、はじめての詩集となる『てんぷらぴりぴり』を出版し、第6回野間児童文芸賞を受賞する。


その後も様々な賞を受賞されているのですから、いやはや素晴らしい!


今、まどさんのお仕事は、なんと「病気」であると(笑)。病院での暮らしは忙しいそうな。


次々にしなければならないことがある、と。その合間を縫って、絵を描いたり、詩を書いたりして、まどさんは「書かずにはおれない」と言う。そして、修正、修正、また修正。


人間は生きている限り、変化している。だから死ぬのはもったいない、とも。


佐藤も、まだ50代半ば。まどさんからみれば、まだ「ひよっこ」です。


まだ、先は長い(だろうな)。そんな佐藤は、この本から生き方のヒントを得たような気がしますね。皆さんも元気で長生きできるようがんばりましょう。これはもうがんばるしかないもの!



●仕事、仕事!●.jpg

●仕事、仕事!●


●ちぇ〜、仕事だってさ●.jpg

●ちぇ〜、仕事だってさ●



■本のデータ

『百歳日記』まど・みちお著、NHK出版生活人新書、740円(税別)、2010年刊。

●この本です●.jpg

●この本です●


●この花の名前はなんでしょう?(ひゃ〜所有)●.jpg

●この花の名前はなんでしょう?(ひゃ〜所有)●


(細川厚労相は「決してだましたような形で労働者を原発の作業で働かせるということがないよう措置を取った」とのこと。職業安定法違反というより詐欺であろう。今後、原発で働く人間はかわいい、かわいい社員だけかも。どうする東電!To Be Continued!!)
posted by さとうはあまい at 15:39| 島根 | Comment(0) | TrackBack(0) | 読んでみた! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月20日

奮闘記・第701回 読んでみた!/東京都

●本の分野● ドキュメンタリー


吉村 昭・著

『三陸海岸大津波』を読む!



佐藤は、震災当日、島根県にいた。松江のホテルで、東北や関東の町を覆っていく津波のシーンが繰り返し、繰り返し、放映されているテレビを食い入るように見つめていたのだ。


昨今、地球温暖化が原因か、たまたまそういう時期なのか、外国の津波や地震、火山の噴火などが世界各地で頻繁に起きていた。


なにしろ、人類で、何万年も続いた文化はないのだ。1〜2万年単位で休んだり、噴火したりする火山噴火の法則や、長い目で見れば一定の割合で発生している震災にも、「我我の時代には来ない」という甘い認識で生活しているところに、大地震と津波、原発事故が連動して起きてしまったのだ。


まぁ、ここ数年、刺激的な映像は多かった。しかし、紛争でも、災害でも、それらは日本の出来事ではないものをながめていたのだ。


ところが、去る3月11日、突然、我々日本人は、世界の大惨事の被災地(佐藤は関東にいなかったので被災はしていない)になってしまった。


震災から1か月。佐藤は、仙台へ行き、その現実を目の当たりにした。テレビ画面でみる被災地と、実際に行って見た被災地は違うのだ。現場に行くと、その規模の大きさ、水の強さ、痛めつけられその場の醜さが気持ち悪いくらいにわかる。


佐藤は、仙台の知人が言っていたように、見て、あったことを伝え、書いた。


過去にも大津波に関しての記録本(ノンフイクション)はさまざまある。今回は、評判がよく、比較的手に入りやすかった津波のノンフイクション、吉村 昭(よしむら・あきら:1927 - 2006年)氏の『三陸絵画大津波』(1970年作品)を文春文庫が再刊されたので、読んでみた。


吉村 昭氏と言えば、海洋物や史実に即した歴史物で評価が高い作家である。佐藤は、あまり吉村氏の良い読者とは言えないが、『長英逃亡』(1984年作品)などの筆力は凄まじく、あたかも自分が高野長英になったかの如く、臨場感があったのを覚えている。


吉村氏は、三陸海岸の景色が好きで何度も三陸海岸を旅した。海岸線をたどったり、海上に舟を出して、断崖の壮絶な美しさをみあげたこともあるそうだ。


旅の途中、地元の方々と話をする機会も増えて行く中で、ひとりの婦人より津波の話を聞いた。彼は、その話に触発されて、津波の事について調べ始め、この天災を「記録」として残そうと考えた。


東北地方の太平洋側、青森県南東端から岩手県沿岸部を経て、宮城県の牡鹿半島までの海岸を総称して三陸海岸と呼ぶ。その長さは、総延長で600km余りあり、日本有数のリアス式海岸である。


この地域を明治29年と昭和3年に大津波が襲った。明治29年は、明治27年に起きた日清戦争が、日本海軍の力をして明治28年には勝利し、東洋の大国の位置を占めていた時代であったが、そのような時代でも、まだ、この三陸沿岸地方は時代の恩恵からは、遠く見はなされた僻地に過ぎなかった。


深くくいこんだ無数の湾内におは小さな漁村が点在しているに過ぎず、内陸部と通じる道路はほとんどなく、舟を頼りにした海上連絡があるのみで、陸の孤島のような存在であっただろう。


我々は考える。なぜそのような地域に住む人がいるのだろうか?


このリアス式海岸特有の入り組んだ入り江や、深い海は、魚介類が多く住む豊かな海をつくり出し、文明の恩恵こそ、受けられないものの、自然の恩恵は有り余るほど受けられるたのだ。


当時の被災者で生き残った方々のインタビューは貴重である。死んだ人と、生き残った人との紙一重の差がそこに浮き出されてくるようである。


地震や津波は、その兆候があっても、“こういうふうに来る(起きる)”という定説や迷信が毎回通用しない相手であるということがわかる。


ここには、助ける側のドラマも、助けられる側のドラマもある。吉村氏は淡々とそれらを記録していくのだ。ただ、残念なのは、吉村氏の欠点でもあり、視点が合えば美点でもあるだが、“勧善懲悪”の視点があることである。


たしかに、史実を外れていなければ、その人物をどう「評価」しても、ノンフイクションとしての問題はないだろう。吉村氏の卓越した取材力とその筆力に相反して、申し訳ないが、少し基準が古臭いのだ(笑)。


明治二十九年の津波、昭和八年の津波、そして、海外からの余波、チリ地震津波を扱っている。ノンフイクションとしては一級である。しかし、資料がなく、“付加的な考えは書かない、記録に徹する”という考えで書かれているためか、やや短い気がする。


もし、これが最後に「津波は何度でもやってくる。そして何度でも人は被害にあう」という視点で書かれていれば、今回の大津波への強烈な警鐘となっただろう。


“人類なら切り抜けられるのではないか?”という視点は、被災者を取材する吉村氏の温かい視点である。ただ、津波は勧善懲悪という人間的な考え方が通用する存在ではない。被災者へ視点を合せたために、自然災害である大津波への視点はやや甘いような気がする。


まぁ、これは読者の読み方それぞれでよいものでもある。今回の津波を見たら、吉村氏なら、どう結末に手をいれただろうか? それとも……。そう思う楽しみも許されるのではないか。まさに「天災は忘れたころにやってくる」。そう教えてくれる記録でもあった。ぜひぜひ未読の方にも読んでもらいたい。



●本のデータ●

吉村 昭・著

『三陸海岸大津波』文春文庫、438円+税、2004年


●『三陸海岸大津波』とあかべぇ●.jpg

●『三陸海岸大津波』とあかべぇ●




追伸

復興支援のための増税とやらで、民主党と自民党で話が合わないようだ。民主党は復興国債と消費税の期間限定の増税。自民党は、被災者からも税をとることになるから良くないので、所得税や法人税の増税だという。


ちょっと待ってくださいな。復興も大事だろうけど、我々の生活はどうなるのさ。なんで、地震や津波でやられてない地域が増税されなきゃならないんだ? これも嫌だが、平等なら消費税でやるのが筋だろう、期限付きで。


もし、われわれ関東人が大地震で被害にあっても、全国民の四分の一が被災することになり、国も他の地域も支援らしい支援は難しいであろう。我々も家を建てろだとか、復興しろなどとは、願っても主張はできないだろう。財源がないのだから。


それを被災していない他の県に増税して、お金を取って助けてくれとまで言うことはできない。みんな大変なんだもの。震災前の日本は「不況」だったのを覚えてないのかな。


大都市でさえ、大学出ても就職先がなく、リストラされたオジサンたちが家族を養えなくて、電車に毎日飛び込んで自殺してる状態だったんですよ。それを知らない人まで養えと言うのですかね。


ほんとうに忘れやすい民族だ。だから、何度も津波が来て被害にあっても根本的な対策を立てられないのだろう。


これが慣習化し、大災害があるたんびに、所得税や法人税を増税されたんじゃ、生活できないよ。まず、国と自分たちでやれる範囲でやるのが筋でしょう。消費税なら協力したくないものは買い控えることもできるのだ。選択の余地がほしいね。


今までの大震災でもそこまでフォローしてないだろう。まったく平等じゃないな。他人の財布の金で復興するなんて世界の常識では考えられない。


原発事故の福島県はともかく、自然災害にそこまで肩入れするような、余裕が日本人にあるのかい。自民党もそういう無神経なことはやめて頂きたい。これじゃ、民主党ではなく、自民党へなんて危なくて変えることもできゃしない。


やるなら、まず、議員さんの給料を期限なしで半分にしてくれ。また、使える建物があるのに、不要に高層ビルの役所や議員会館などを建てんでくれ。


これをやってから考えてほしい。生活保護と同じく、支援の上限をきちんとつけるべきだろう。生活保護だって批判は多いが、審査はきちんとされているし、上限もある。少なくとも災害給付よりもきちんとしている。


地元の人の話では、被災地でも、被害に遭っていない、困っていない人まで、わざわざ配給品をもらいに、被災者のような顔をして列に並んでいる者もいるという。


被災地の人も「いかんな」と思っているそうだ。海外へのODAよろしく、こういう垂れ流しの支援をしていると、我々も支援しょうという気持ちはそうそう長くは続かない。まずは、くれぐれも、自立支援でいかんとな。


福島県の原発事故は別だ。安全対策や、近隣の住民まで含めてお金がかかるのは、ある程度仕方がない。


あれは我々だけではなく、全人類が直面した未曽有の危機である。そしてまだ終息していないのだ。そんな中で、残念だが自然災害の被災者まで長期的なカバーをする国力はいまの日本にはないのだ。偽義援金はもちろん、ゼネコンが震災でひと儲けしょうとするならさもしい。


言いたいことが言えない雰囲気のまま、太平洋戦争に突入し、国が一度滅んだことを忘れてはいけない。


(民主党の桜井充財務副大臣が「内閣の一員は全部、(首相が)間違っていようが何しようが、『その通りですね』と言わなきゃいけないのか。私はそうだとは思わない」と述べていた。そのとおり、いわんや国民をや!To Be Continued!!)
posted by さとうはあまい at 13:09| 島根 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 読んでみた! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月08日

奮闘記・第676回 読んでみた!/福島県

●本の分野● エッセイ



福島片岡鶴太郎美術庭園で購入

『良寛椿』



貞心尼さんには及ばないものの、良寛フェチ(?)の佐藤は『良寛椿』を読みながら、佐藤と良寛さんとの「出会い」を思い出した。青空の下、きらきら輝く海面がみえた。


良寛さんの見ていたであろう、日本海は、戦後の暗い時期をテーマに事件が展開された名作、『ゼロの焦点』松本清張・作)あたりから、日本海の暗さが強調され、以後、山陰北陸東北と日本海に面する地域の作家が「暗い、暗い」と強調されたと思う。


まぁ、確かに暗い場所も多いかもしれない。あまり人がいない地域であるので、例の拉致事件が多発する舞台にもなってしまっていたから、よけいイメージが悪いのかもしれない。


この日本海は、佐藤も暗い(?)思い出があった。幼いころ、父と、母と、妹と一緒に父親の友人がいる、新潟県の出雲崎に行った。ここはその暗さが絶品である。夕陽を見ると海に飛び込みたくなる(遊泳ですよ)。でも心にしみる夕陽なんだなぁ。人生の良いことばかりじゃないもの。


さて、その海へ、この時はじめて飛び込んだ(もちろん遊泳)。海の中には藻がぎっしりと生えており、藻の臭いが鼻をついたのだ。死ぬ。


しかも、その途端、海藻中から、ジョーズのような大きい魚が飛び出してくるような恐怖に襲われた(妄想?)。なんだか海が怖くなってしまい、そそくさと上がっていった。


海のない土地に生まれた佐藤にとって、日本海は、得体のしれない魔物(サメ?)が住んでいるというイメージが根深く残ってしまったのである。


年を重ね、私も母となり、父となり(ならない、ならない)、家族が増えた。そして、父や、母や、妹の家族と再び、先の出雲崎に行った。


浴衣を着て、良寛堂のそばで花火をした。寝る前に子どもたちに良寛さんの物語を伝えたのだ。良寛さんはね、エロ坊主で……。いやいや、それは一休さんだ。うううん……。そうそう、良寛さんは、
子供たちと、かくれんぼをしているうちに眠ってしまったんだって……。そんで……


鶴太郎氏の『良寛椿』を読んでいて、なぜ、自分の生い立ちを思い出したのか。この『良寛椿』は、まさしく片岡鶴太郎氏自身の生き方を、良寛さんと重ね合わせて書いているからではないだろうか。


人は皆、老いていくのだ。好き嫌いはあるだろうが、彼が売れっ子としてテレビや映画に出ていた。


余談だが、彼が映画でたくさんの賞を取った「異人たちとの夏」(監督・大林宣彦、出演・風間杜夫他)という映画がある。


傑作である。


あれを観ると、たとえ自分の父母とうまくいっていない人でも、その直後なら、自分の親に「有り難う」と思わず言いたくなってしまうかもしれない。鶴太郎氏の演技も素晴らしい。あの時代に生きていないひとでも、“共通体験”として瞬間に共有してしまうだろう。


内容は言わない。もったいないもの。もちろん、何度観ても泣けるのだが、このタイトルを見ただけで泣いてしまうひともいる。そう名作である。もちろん、自分以外はどうでもよいという人は何を観ても読んでも、ただの無駄にしかならない。だから面白くはないかもしれないが。


原作は、新潮文庫に入っている山田太一さんの同名小説である。これがまた泣ける。これだけ完成度の高い小説は、」近来、少ないでしょう。ああいう、映画(または小説)が、俳優の好き嫌いで観られないならばほんとうに惜しい。


話がそれ過ぎた、戻そう。


そんな演技もできる彼(片岡鶴太郎氏)が、今の視点で書いているエッセイだ。


冒頭で、


「年を重ねたなぁ」


ふとそう思うことがあります、と。彼は芸能界という賑やかな世界に身をおきながらも、今後の自分の生き方を見つめていたという。


「今のままでいいのか?」と彼のなかに棲む「腹の虫」ならぬ、「腹の主」が問いかけてくるらしい。


彼が30歳で始めたボクシングも、40歳で出会った絵の世界も、


「俺の人生これでいいのか?」


と思った時に出会ったものである。そして、40を過ぎて絵や、書を描くようになると、良寛さんの詩を書いて欲しいと言われこともあった。それに備えて、何気なしに良寛さんの書をみたとき、以前はなんも感じなかったものに、彼は「あれ?」という感じを胸に抱いたそうな。


良寛さんが、他者からせがまれて、さらさらと書いたシンプルな文字。余計なものがなく、余分な力もすっかりそぎ落とされていた。


良寛さんの書は、一般的に、ダブりや誤字脱字が多いという。そうかね? ならばこれは内容よりも、“書くこと”を第一としているためだろう。誰かのマネをする書道の時間ではないのだ。良寛さんの書を観て、鶴太郎氏は考え続ける。


若いころ観ても気がつかなかったこれらの書は、「余分なもの」がそぎ落とされているのだ、ということに気づくようになった。これは自分も年を重ねたからであろう、と。


そうそう、私も、私の師匠から、「本には不思議な力がある」「若いころに読んだ本を、年をとって読み返すと、違う感覚で読める」と言われた覚えがある。


年齢を重ねれば、若いころの感性で本を読むことも、読書量をこなすことも、もうできない。しかし、自分の実体験とあわせて、何倍にも楽しむことや、身につけることはできるのではないか。


さて、再び『良寛椿』。


若いころの彼は、自分が傷つきたくないから、わざと「とげとげ」を出して、外敵から自分を守ってきた。年を重ねるということは、その「とげとげ」を削り落していくことなのではないか、と。


実にうまい表現である。


では、私(佐藤)が削ぎ落してきたものはなんだろう? たぶん、親が私に抱てきた、幻想・イメージに対してかもしれない。


「あんたは、小さい子たちの面倒見がいいから将来は保母になるといいよ」


いま考えれば、全く都合のよい、親が子供にもつ幻想だろう。子供がいくら電車が好きでも、電車の運転士には簡単になれないし、人助けがすきなだけで、海猿(レスキュー)など、とても勤まらない。


ところが、子供の私はそんな言葉の暗示に、見事にはめられた。そう保母になったのである(笑)。


やがて、結婚し、私も親になった。


祖母の看病をする傍ら、


「もしかして、自分は、子どもとかかわることより、お年寄りと関わる方が向いているのかもしれない」


と考えるようになった。これは自己暗示なのかもしれない(笑)。


そして、ひいてくれたレールを降り、自らレールをひき直した。そう、自らの手で自己成長の道へと旅立った瞬間でもあった。


施設、在宅と場所は変わったが、「介護」という仕事から、多くのものを学ぶことができた。介護福祉士という資格取得を通して、後輩を育成する楽しさも学んだ。今、自らが、起業し、さらにその道を歩み続けている。その心境の変化を文字化すると、


「新しい自分をみたいのだ ―― 仕事する」(河井寛次郎先生)


お陰様で、毎年新潟へ仕事で出かけられるようになった。そして、JR長岡駅で「良寛さん(銅像)」と再開したのだ。



道のべのすみれつみつつ鉢の子を忘れてぞ来しその鉢の子を

鉢の子をわが忘るれども取る人はなし取る人はなし鉢の子あはれ



その「良寛さん」は、右手にすみれの花を持ち、満面の笑みでたたずんでいる。私は、しばしその像から離れられなかった。この良寛さんと語り合いたいと思ったくらいだ。


そして、ブログとの出会いである。


自分の「していること」の足跡を残していくためにブログをはじめた。これらの「記録」を残していかなかったら、これほど良寛さんのことに興味を持ち続けていけたかどうかわからない。自分のしている事を残すということは、継続するためには、やはり大切なことなのだろう。


このころ、佐藤は良寛さんに取りつかれたように、精力的に良寛さんに縁のある場所を訪ね(第371回・第372回・第486回など)、関連する本を読んだ(第487回等)。


あちこちを見聞する中で、民藝家の柳 宗悦先生や、棟方志功河井寛次郎両先生の世界を知り、自分の価値観や、物の見方、考え方の表現に変化を持たせられたように思う。そして、今、『良寛椿』を読むことができた。


彼は、芸能界という賑やかな世界に身をおきながらも、今後の自分の生き方を見つめていた。いや、見つめざるを得なかったのだろう。浮き沈みの激しさは外部の人間にはわからないのだ。


そんなときに、彼は棟方志功先生(出た!)をドラマ、「おらぁゴッホになる」で、主役の棟方志功役演じた。その影響もあり、自らが絵を描くようになったのだ。


佐藤も棟方志功記念館を訪れたときには、思わずわくわくした。彼の気持ちがよくわかる。彼のそばには棟方先生がついていて、守っているのか、ちょっかい出しているのかも知れない(笑)。


絵に興味を持ってしまった彼は、しばらく、やや芸能界から遠ざかる。そのころを、彼は「自分でも忙しいふりをしていたような気がする、と。仕事の日程の合間に、しっかりと書や絵画の活動を予定として入れてしまったのだ。


これでは、長期的な仕事や、急な仕事への対応はできにくいだろう。仕事のほうを断ると「またか」と思われる。それが続けば仕事は減り、やがては来なくなる。当然であろう。若い芸人や俳優はどんどん現れているのだ。生き馬の目を抜く世界生きることは、これでは難しい。


するとどうだろう? 自分の立ち振る舞いで(芸能関係の)仕事が来なくなっていることに気づくと、絵を描くことができなくなったという。仕事にささえられていた自分に気づいたのだ。この頃(男の「更年期」だったかもしれない、という)に、彼もまた良寛さんと出会ったのだ。


そして、自分には、芸能界も、絵も、同じように切り離せない、大切な存在であることに気づいたのだ。それからというもの、彼は芸能界での仕事にも積極的に関わり、絵もまた精力的に描いていった。


書籍の中で「人間関係を円滑にする」として、良寛さんが残した。「戒語・愛語」について紹介している。もっとも、「愛語」とは道元(どうげん:日本曹洞宗の開祖)禅師が残した『正法眼蔵(四)』にある心構えであるが、その「愛語よく廻天の力ある」という一文は名言であろう。


良寛さんは、印可(師匠から悟りを開いたというお墨付き)を受けたお坊さんにもかかわらず、他人に法を説いたり、道を談じたりすることはしなかった。いいのか悪いのかは別として。


その半面、言葉については、実にやかましい。また、自筆で綴る「戒語」では、他者の前では、このようなふるまいをしないように説いている。ただ、これもその人の本性で、できないものを禁ずるのではなく、できるのにやらないことについて、こうるさいのである。


そして、愛語では、言葉は、このように遣いなさいと説くのである。


『良寛椿』で、再び「戒語・愛語」の尊さを思い出させてくれた。鶴太郎氏は本の中で、良寛さんの生き方と、年を重ねた自分の生き方とを見事に重ねていた。


作家の五木寛之先生は


「もし、日本人(とりわけ知識人)が良寛に出会わなかったら、安心して年をとれたかどうかわからない」


と言わしめた。よい年のとり方の見本としての良寛さんの存在があったということだろう。なかなかうまく年をとることは難しいのだ。


また、夏目漱石先生の晩年の心境、“即天去私”は、良寛さんの心境に共鳴して書かれたもの。あの北大路魯山人先生に至っては、良寛さんの書を崇拝していたという。


この強烈なうるさ型の大先生たちをノックアウトした。そして、良寛さんの書画は鶴太郎氏をもノックアウトしたのだ。先人の優れた遺産に接して、こういう生きかたが出来てこそ、年齢を重ねることの意義を理解できるのであろう。


鶴太郎氏のつかんだものは、明日の自分たちにも役立つに違いない。前向きに、自分の生き方、死に方についても、しみじみ、ほのぼのと考えることができる傑作だ。


誰かに勧められて読むのも悪くはない。だが、書物とはそれぞれが自ら出会い、選び、読むのがいいのだ。だから佐藤は本を勧めない。「読んでみた」であり、「読んでみなさい」ではないのだ(笑)。


さてさて、長くなりました。


佐藤は今、島根県の研修会でケアマネの皆さんと頑張っています。風邪などひかぬよう、自愛しつつ頑張りましょう!



【本のデータ】

『良寛椿』片岡鶴太郎・著

佼成出版社、2009年7月、A5判変型・184ページ、1,575円



●『良寛椿』を読了●.jpg

●『良寛椿』を読了●


(昨日、「池上彰の世界を見に行く」で紹介された石見銀山に行きました。石見銀山大森郵便局は見れたが珈琲屋はやってなかった。地元の人は番組放映を知らんかったがテレビ東京じゃけんねぇ……、また今度ってことで!To Be Continued!!)
posted by さとうはあまい at 21:58| 島根 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 読んでみた! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月29日

奮闘記・第661回 読んでみた!/東京都

●本の分野● 絵本


Amazon.co.jpで購入

『さいごの恐竜ティラン I'll stay with you 』



ははは。やっと買いましたよ。はい、自分の本です! Amazon.で買ったからさすがに早い……が、佐川さんとの連携が難しかった。たぶん、年末のせいもあるだろうな。でも送料がかかるから、ネットで買うのはケースバイケース。使い分けだろう。確かに迅速に手に入るから魅力は魅力だ。


さて、再び読んでみた、である。


先に書いたように、この物語は、草食恐竜のお母さんが肉食恐竜の子どもを育てる物語です。もちろん、お父さんも、子供達も出てくるのだ。詳しい内容は皆さんにも読んでもらいたいし、他にも詳しく出ているので書かない。


この本は、以前にも書いたように、草食恐竜一家(?)が消滅していく過程から始まるので、小さい子に読むのも、読ませるのも少々つらいかもしれない。字も多く、子供向けというよりは大人向けの内容なのかも知れない。


結局、家族を失ったお母さん草食恐竜は、縁あってティラノサウルスの卵を拾い、育てる。そして隕石で、その恐竜たちも一部進化したものたちを除いて、全滅する。


これはその間際の話。


ティランは草食恐竜の子として、他のティラノサウルスに食べられつつある母の身体を遠くで震えて見ていた。


そして怒りがわき、とうとう切れた。もちろん、今までに、他の恐竜に牙をむいたことはなかった。そのたくましいからだを疎ましくさえ思っている優しい恐竜であったのだ。


母を守るため、産みの親にもらった体を、育ての親が大きくしてくれた立派な肉体を使って戦った。


壮絶であった。


戦い続け、ボロボロになった彼の前には、とうとう動くものがなくなった。


そこで、ティランは小さくなってしまったおかあさんの体を抱きかかえるようにして、一緒に雪の中で深い眠りについた。


これでやっと眠れる、と。


雪が静かに恐竜たちの時代に幕を下ろした。


もちろん、ティランが恐竜たちを滅ぼしたわけではない。恐竜たちの時代の終りであった……。



ううううん。もう、うる、うる、くること間違いない。


ちなみに、この絵本、女性より男性が号泣するらしい。男性の方が、母親に対する愛情が強いのかもしれない。


一般的に女性は子供を。男性は親を大事にする。しかし、いったん事件が起きると、女性は子供を、男性は親を手にかけるころが多いようだ。ここらへんが不思議である。



さて、先日、5歳の孫(女の子)と母親(私の娘)に、この本を朗読してあげました(無理やり?)。は、ところが孫は5匹の赤ちゃんがいなくなったところで落ち着かなくなり、最後におかあさん恐竜が死んじゃうところで、私の膝から「いやあ〜」と逃げ出してしまった。


そばにいた、孫の母親(つまり娘)は最後まで話を聞いていた。そして、ひとこと言った。


「いい、話じゃないの……」


と目をうるませていた。


孫はともかく、そこには立派に母親となっていた娘の姿があった。


娘よ。孫の感性の成長をあなたに託したよ。とにもかくにも逃げ出すのは、いかんね。いかんよ。




●『さいごの恐竜ティラン』を手に入れて読んでみた!●.jpg

●『さいごの恐竜ティラン』を手に入れて読んでみた!●



●かんなちゃんもうるうる(してないじゃん)●.jpg

●かんなちゃんもうるうる(してないじゃん)●




【本のデータ】

『さいごの恐竜ティラン I'll stay with you』

著者:村山由佳/絵:広瀬 弦

集英社 1470円(税込)



(今度は菊田まりこの『いつでも会える』を読ましてみるかな。あれは立ち読みしてレジに持って行くまでに泣いちまうぜ!To Be Continued!!)
posted by さとうはあまい at 17:27| 島根 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 読んでみた! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月26日

奮闘記・第586回 読んでみた!/東京都

●本の分野● 文芸


『立松和平が読む 良寛さんの和歌・俳句』

を読む!


(池袋西武・リブロにて購入)




なんということ。この「読んでみた!」のコーナーは、昨年の7月11日の瀬戸内寂徳先生の小説『手毬』を載せて以来、書いていなかったではないか!!!(笑)


もちろん、この間、本をまったく読まなかったわけではない(どうだろう?)。ただ、佐藤が怠け者だから「読んでみた!」を書かなかっただけなのだ(言い訳)。


今回、うるさい近くのかた(誰のこっちゃ)が、立松和平氏が良寛さんのことを書いた本が出ていましたよ、と教えてくれた。わざわざ、池袋のリブロから(笑)。


良寛さんとなれば興味津々じゃ! というわけで今回も「良寛さんモノ」である。


佐藤は、帰宅を急ぐサラリーマンの群れの中を逆襲し、鉄仮面をかぶり(ないない)、槍を振り回し(絶対ない)、池袋西武リブロに侵入! そうして、ようやく手にしたのであった。


さて、作家・立松和平氏は、本年の2月8日に突然永眠された。これには驚いたものだ。まだ62才だった。


彼は、1947年、栃木県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。79年より文筆活動に専念している。国内外を問わず、各地を旺盛に旅する行動派で、近年は自然環境保護問題にも積極的に取り組んでいたという。


佐藤にとっての、立松氏の思い出は、ニュースステーションである。立松氏が自然の中をリポートする「こころと感動の旅」良かったなぁ〜。


司会の久米 宏さんとの語り合いが思い出される。佐藤は、立松氏の優しく穏やかに自然界をみつめる視点。そこで起きている真実のあたたかさや厳しさを淡々と話す語りが好きだった。


立松氏は、2002年、歌舞伎座上演道元の月』の台本を手がけ、第31回大谷竹次郎賞を受賞している。その後、2007年には『道元禅師』(上・下)を書き第35回泉鏡花文学賞を受賞。


続いて、2008年には『道元禅師』(上・下)で第5回親鸞賞を受賞している。佐藤はまだ、こちらの本は読んでいない。だから、立松氏が、どのように道元さんのことを書いているかはまだ知らない。


今回、この本を読んだのは、表紙に「良寛さんの和歌や俳句」と記載があったからだ。それにつられて読んでみた。読み進めていくうちに、良寛さんよりもむしろ“立松和平”という人に興味がわいてきた。これは同時代に生きた生々しい人物の「声」であったからかもしれない。


彼の視線の先には「道元さん」がいた。良寛さんを通して(良寛さんは曹洞宗の僧)、『正法眼蔵』や日本曹洞宗禅思想を説いていたのだ。


道元(どうげん)さんとは、鎌倉時代初期の禅僧であり、日本曹洞宗の開祖である。いたずらに見性を追い求めず、座禅している姿そのものが仏であるといい、修行の中に悟りがあるという。


只管打坐(しかんたざ)」の禅を伝えたという。仏教思想書として『正法眼蔵』を著しており、この大著では“日本曹洞禅思想”の神髄が説かれているそうな。


先述した通り、立松氏は『道元禅師』を書き、賞を受賞している。このことを知っていたら、「なるほど」と思ったに違いない。そんなことを全く知らない佐藤は、この本にまさしく「こころと感動の旅」を求めていたのだ。


さて、いくつかの歌をあげながら、立松氏が描く良寛さんを紹介していく。



“梅の花散るかとばかり見るまでにふるはたまらぬ春の淡雪”



立松氏は、この歌を初めに置き、


「梅の花が散ったとばかり思っていたら 春の淡雪が積でもなく降っている」


という、たったこれだけの内容であるが、「良寛の歌はどうも深読みしたくなる」と繋げている。


そして、道元さんの『正法眼蔵』のうち「梅花の巻」を用いて、


“老梅樹のたちまち開花のとき 開花世界起なり 開花世界起の時節 すなわち 春到なり”

(老梅がたちまち開花をするとき、花開いて世界は起こる 花開いて世界が起こるとき すなわち春の到来である)


両者の解説を用いて、道元さんの使う言葉は表面の意味だけではないところが難解でもあり、深遠でおもしろいという。


そして、立松流に、仏性や法性について説き、やがてその論は真理へと繋がっていくのである。ふう、佐藤は仏性や法性などと説かれてもわからない。


しかし、文章の中で、立松氏のあの語りが響き合って聞こえてくるのだ。そうそう、彼ってこういう語り口だったなぁ〜。


もちろん、本の中は良寛さんの歌で溢れている。彼は良寛さんの歌を用いながら、道元さんを引き合いに出し、その中に彼の感情を繋げているのだ。


次の歌はこれ。


“道のべにすみれつみつつ鉢の子を忘れてぞ来しあはれ鉢の子”


この和歌の解説で立松氏は、良寛さんが一衣一鉢の人であったと説く。僧の厳しい修行について解説し、この「一衣一鉢」は僧としての最後の最後の威儀であるという。


だから、それを忘れるとは大変なこと、良寛さんはあわてて探しに戻ったのである(笑)。可哀想なのは、鉢の子ではなく、良寛のほうだ。と結んでいる。


新潟県の長岡駅前には、良寛さんが手にすみれの花を持ち、笑みを浮かべている立像がある。その横にこの和歌が添えられているのだ。


佐藤は、長岡に行った時にこの像を見るのが好きだ。ね、セノさん! 立像の前で良寛さんを眺めていると、


「ほら、すみれが咲いてたよ〜」


と、今にも得意げに話しかけて来そうな気がしてならない(笑)。立松氏の言うように、確かに、托鉢で糧を得ていた良寛さんにとって、鉢は大切な威儀であったかもしれない。


それでも、佐藤は良寛さんが五合庵の道のべに咲くすみれに、のんきに春を感じてわくわくしていたのではなかろうかと思いたいのだ(笑)。次は、


“秋の雨の晴れ間に出でて子供らと山路辿れば裳のすそ濡れぬ”


立松氏はここでも道元さんの言葉と呼応しあっていると説くのだ。


「露の中を行けば衣湿る」(道元)


この意味は、良き人と交われば、知らぬ間に影響を受けているということだ。良き人と交われば良き香りがつき、悪い人と交われば悪臭がつくと解説している。


そして、濡れた良寛の裳裾には、良い香りがついたであろうと説く。なぜならば、良寛は大好きな子どもたち遊んでいたから。私欲のない子どもたちは、良寛にとってはさとった人、つまり仏だったのだ、と。


なるほど。良き人と交われば、知らぬ間に影響を受けているわけだ。これには同感! しかし、悪しき人もいる世の中、良き人との交流を深める事が大切であるとも。そのためには、まずは自分自身が良き人になる努力が必要ではあるのだが(笑)。


さて、良寛さんは備中国・円通寺の国仙和尚に印可を受け、修行を終えたことを証明された人である。望めば大寺の和尚になるのもそう難しいことではなかったかもしれない。良寛さんは全てを捨て、五合庵で乞食僧の暮らしを選んだのだ。


立松氏は、理由を以下のように推測する。良寛さんは日本海に面した出雲崎で宝暦8年、名主・橘屋山本以南の長男として生まれた。良寛さんは早くにして出家したので、弟の由之が家督を継いだ。


その後、由之は庄屋職と石井神社の神職を継いで苦労したのち、ついに、尼瀬の京屋との争いに破れ、由之は財産を没収され、出雲崎所払いの処分を受けた。また、父親の以南は桂川に身を投じてしまう。


立松氏は、雪深い五合庵で生活しながら弟由之のことを思いやり、良寛さんが残した和歌や俳句を通から、良寛さんは責任を果たせなかった自分の生涯を懺悔したのではないかと考えたらしい。


ううん、良寛さんの気持ちを深読みしているなぁ〜と納得。しかし、このままでは、あまりにも自虐的過ぎるではないかぁ〜と思っていたら、幸いなことに、立松氏も、後半は、あの貞心尼とのかかわりについては、こうあった。


貞心尼については、「手毬」を用いて紹介済み。貞心尼は、その師とする良寛さんとの唱和連作をおさめた『はちすの露』を残している。


この書物が残されたことにより、良寛さんと貞心尼の心の交流をありありと偲ぶことができる。


立松氏は、「はちすの露」を用いながら、良寛さんは、貞心尼と同じ時間を過ごして、どんなにか気持ちが安らかであったろうか。このことは、後世の多くの人が良寛さんをうらやましくも思うところである、と。


本来無一物の厳しい弁道生活を送ってきた良寛にとっては、天の配剤ともみえ、天恵とも感じられただろう。


「本当に良かったなあと、私は良寛のためにしみじみと嬉しく思うのである」

と、立松節をきかせているのだ。



“うらを見せおもてを見せて散るもみじ”


(紅葉は裏を見せ表を見せながら散っていく)


裏だけを見せて生きていくことのできる人生はない。人生とは、喜びと悲しみ、美と醜、よき事と悪き事、強気と弱気、様々な要素によって織りなされているのだ。


良寛さんは自分の生涯を整理して語ったことはない。な○ぐさ坊主臭プンプンの鴨長明とは違うのだ(笑)。


彼が自分の事を語ったのは、諸家に残されている数多くの墨蹟として書かれている詩歌によってのみである。


残されている墨蹟には、良寛さんという人物を取り巻いた、人々が作った和歌や短歌もある。良寛さんがいた時代(江戸末期)、その時代、越後国蒲原郡(新潟県長岡市)はまだ、日本の片田舎である。


とした上で、その農村地帯において、名主階級の人々は大変な教養を持っていたことに、改めて私は驚かされたと述べている。


さらに、彼らが、乞食僧であった良寛さんを発見し、彼ら自身がお互いの人生を大いに楽しんで、良寛さんの存在を後世に残したのだ、とも。


立松氏の文章を読んだのは、実は初めてであった。にもかかわらず、読後、佐藤は再び、新潟県燕市の五合庵や乙子神社、分水にある良寛資料館へ行きたくなった。


この本にはまさしくニュースステーション時代の語りべであった、立松和平氏の「こころと感動の旅」が記されていたのである。改めてご冥福を祈りたい。


ちなみに、当研究所(佐藤家)の赤のデミオ君は、やぼちゃんと決まりました(笑)。研究所は、通りに面しているので車庫入れは大変。他人の家の前を通るくせにブーブー、クラクションを鳴らす輩がおる。


「うるさい!」


そう、車の中でささやきながら、また町内を一周してくる佐藤であった。トホホ。



通りに面した車庫入れ.jpg

通りに面した車庫入れ





【本のデータ】

『立松和平が読む 良寛さんの和歌・俳句』

立松和平・著、二玄社刊 2010年、1400円+税



本これがその本です!.jpg

これがその本です!



(“How Starbucks Saved My Life”某中国の航空機が勝手に成田空港に着陸したそうな。理由はともかく、前原大臣、なめられたモンですな。猛烈に抗議できないのなら、大臣やめなはれ!To Be Continued!!)
posted by さとうはあまい at 15:27| 島根 | Comment(0) | TrackBack(0) | 読んでみた! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月11日

奮闘記・第487回 読んでみた!/東京都

●本の分野● 小説



『 手 毬 』(瀬戸内寂徳・作) を読む

〜貞心尼の純愛小説を発見。女心を熱くさせるぜ!〜


(池袋西武・リブロにて購入)




さる2008年11月、新潟県長岡市島崎にあるわしま村良寛の里美術館に寄った(見聞録371)。



この美術館には、良寛さん と愛弟子・貞心尼の書や詩歌を中心に、ゆかりの文人墨客の作品も含めて展示されている。



この中に、晩年の良寛さんと貞心尼の問答歌があった。佐藤はそれらを読み進めるうちに、貞心尼と、良寛さんの間に恋愛感情のようなものを感じていた。



失礼ながら、その時点では、「ほうほう老いらくの恋であろう。それもいいかもしれない」ぐらいにしか思わなかった。



その直後、この美術館のロビーに、良寛さんと貞心尼が問答をしている銅像があったのだ。結構写真などにも載っている有名な物だ。その像は、囲炉裏を挟み2人が座っていた。まさに「いい雰囲気」で見つめ合う、良寛さんと貞心尼の姿があった。



佐藤は、良寛さんから感じる優しさもさることながら、貞心尼の美しさについて、心惹かれるものを感じたのだ。



なにしろ、良寛さんの前にいる貞心尼は、尼さんであるが、まだ若い後家さんであり、美人であったと言われる(笑)。



ここで、貞心尼の生涯について少し紹介したい。



貞心尼は長岡藩士・奥村五兵衛の娘として生まれ、幼名はマスという。幼くして母親と別れ、義母に仕えて暮らしていた。



マスは毎日、義母に言いつけられた分の賃糸をとり、それを母親にわたし、余ったお金で筆墨紙を買ったという。また、囲炉裏の灰に文字を書きながら色々学んでゆく。



マスは17歳で小出島の医師と結婚する。だが、5年後に色々あって離別。長岡の生家に戻り、人生の無常を感じ出家の道を選ぶのだ。そして、浄土宗西光寺の末寺閻王寺に行き、沙彌尼となり、剃髪してのち、貞心尼となる。



ここで、貞心尼は、かなり厳しい修行を積む。やがて、托鉢に出られるようになって(これは最上の修行である)から、良寛さんの歌や漢詩に関する情報に接する機会があったのだろう。



当時、日本は識字率が高く、文字が読める人はそれなりにいた。でも、精通している人となると限られてくる。だからこそ、よけい、活字中毒者は文字や、発信できる人(たとえば良寛さん)を求めるのだろう。良寛さんとは違う宗派なのに、である。



そして、独り立ちした貞心尼は、一人で閻魔堂に起居するようになるのだ。



すでに、前のブログでも頻繁に触れている、瀬戸内寂聴(せとうち・じゃくちょう)先生は、『手毬』の中で、貞心尼を主人公に一人称の問わず語り語るスタイルで、話を展開してゆく。



先生については、数々の文学賞をとられ、各方面でも活躍されている方で、いまも現役の作家なので佐藤がとやかく説明する必要はないだろう。これだけの大家ではページを食い過ぎるのだ(笑)。とにかく貞心尼同様、年を重ねられても、良い意味での“つや”を失わない方である。




さて、この閻魔堂で起居している貞心尼が、良寛さんの書をよみ、ひとり、良寛さんを思い描き、どうしても良寛さんに逢いたくなった、と言うところから物語は始まっている。



閻魔堂から遙か彼方に住まう良寛さんを思い描いて外を眺めているところへ、一人の旅商人、「佐吉」が登場する。



この人物は、先生が狂言まわし(物語展開上のキーマン)として想像された人物で実際には存在しない。モデルになるような人物はいたかもしれないが。



この佐吉は、良寛さんが出家するきっかけになった理由や、その後の修行のこと。また、現在の良寛さんの暮らしぶりを、旅すがら得た情報として貞心尼にそれとなく、伝えていくのだ。これはもちろん、我々読者に向けて発信されている情報なのだが。



貞心尼は、佐吉から、良寛さんの話を聞くごとに、良寛さんに逢いたいという想いが大きくふくらんでいくのだ。



そして、貞心尼は、良寛さんの情報を得たいがために、いつしか佐吉が現れるのを待つようになる。もちろん、やがて佐吉そのものへも飛び火する。



貞心尼は、良寛さんと子ども達が手毬をつく様を思い描きながら、佐吉が置いて行った絹糸で手毬をかがっていくのであった。そう、この手毬らしきものを、実際見たから、読んでいく佐藤にも気持ちが入ってくる。



そして、できあがった手毬をもち、いよいよ良寛さんに会いに行く決心をし、1人で出掛けていく。



貞心尼が良寛さんをたずねたのは、五合庵でも乙子神社の草庵でもない。長岡市の島崎にある木村家(能登屋)である。佐藤は、良寛さんの事蹟をまわりはじめたころ、ここやお墓も実は「通り過ぎて」しまったのだ。



まだこれほど、入れ込むことになるとは思わなかったし、第一車を止めるところがみつからない。多いんだよなぁまだまだそういう史跡類が。いつかリベンジしたいね。



さてさて、その木村家の当主・木村元右衛門は、良寛さんの御高徳に傾倒し国上山時代から良寛さんを訪ねていたのだ


そこで、良寛さんの弟子、遍澄(へんちょう)さんは、70歳を迎えていた良寛さんを、心配して、木村家に引っ越しをさせることにしたという。ここらへんが宗教家、坊さんというよりも、生臭い、人間・良寛の魅力や思想があったのだと思う。



だから、お墓は自分の流派(曹洞宗)ではないお墓に眠っているのだろう。



もし、生前から、良寛さんが「そんなの(宗派)どうでもかまわんよ」という人でなければ、坊さんを違う宗派で供養なんかできないだろう。なにしろ、「曹洞宗」の高僧なのだ。



木村家に引っ越しした良寛さんは、母屋に住むことは辞退し、木村家の裏にある木小屋に起居するようになる。良寛さんは留守に訪問した貞心尼は小屋に、「手毬」と、肌着などを置いて帰る。



その後、良寛さんとの手紙のやりとりや、訪問が始まっていくのである。さて、本文から手紙文を引用する。





「手毬と肌着有難く納受仕候。

折角御出之処、

留守に致しお目もじ適はず残念に候。
 
つきて見よひふミよいむなやこゝのとを

とをとをさめてまたはじまるを」





この手紙を受け取り、貞心尼は、良寛さんから「まぁ、また遊びにおいでや」と誘われたように思うのだ(笑)。



いいな〜、出家していてもこの前向き(というのかどうか)な考えかた。このあたりが、寂聴先生のお人柄がわき出ているように感じた。また、良寛さんの、若い頃遊び慣れた旦那衆のころの心意気が垣間見られるのもいい(笑)。



その後、貞心尼は、いよいよ良寛さんと逢い、囲炉裏を囲んで酒を気味交わし、やがて、問答を始める。この問答で2人の距離も縮まり、その後に手紙のやりとりが始まるのだ。



この物語では、良寛さんの詩や歌、漢文などが、所々にちりばめられているが、寂聴先生は、貞心尼が、それらをどのように読み、その時々にどのような感情を抱いたのかを女性の立場で、同じく出家した物の立場から、明晰に書き表していく。



だから、佐藤も、いつのまにか、貞心尼の心に入り込み(実は寂聴先生の中なのだが)、はらはら、ドキドキさせられたのである。



貞心尼の感情には、まだまだぶれている部分があったのだと思う。そう、まだ若いのだから。本の終末に、貞心尼が良寛さんの終焉の時間をそばで過ごし、献身的な介護をしている場面が描かれている。



もちろん、貞心尼は色々な感情を胸に秘めていたはずだ。ここでは、介護をされる良寛さんの恥じらいなどが見事に描かれていた。貞心尼は、これだけの高僧が、自分に対して「女性」を感じてくれたことが嬉しかったのかもしれない。それは精神的な、ほのかな愛であったとしても。



これを読んでみて、今度は貞心尼の足跡も辿りたくなりました。いいですねぇ、楽しみが増えるのは。皆さんも、読書の夏をお楽しみくだされ。ではでは!




【本のデータ】

『手毬(てまり)』

瀬戸内寂聴・作、新潮文庫1994年438円+税




●読みました!(島根県・松江の研修会場にて)●.jpg

●読みました!(島根県・松江の研修会場にて)●



(でも揺れる電車やバスの中で本を読み続けると、針に糸が通せなくなるのでご注意くだされ。結構つらいですじゃ!To Be Continued!!)
posted by さとうはあまい at 16:41| 島根 | Comment(0) | TrackBack(0) | 読んでみた! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月31日

奮闘記・第432回 読んでみた!/東京都

●本の分野● ノベライズ

『おくりびと』(百瀬しのぶ)

〜人はみな、いつか「おくられ」てゆくのだ〜


(池袋西武・リブロにて購入)



 今回読んだのは、2009年2月26日に、第81回・米アカデミー賞外国語映画賞日本映画作品で初受賞(名誉賞時代を入れれば四度目、外国語映画部門となっては初)となり、注目を集めた『おくりびと』(滝田洋二郎監督)のノベライズである。

 実は、まだ、佐藤はこの映画を見ていない。この本は、一人の男性(大悟=映画では、本木雅弘さんが主演)が仕事にあぶれるところから物語が始まる。

 主人公の大悟はチェロ弾き、演奏家なのだ。しかし、所属するオーケストラが解散。自分が幼い頃から目指していた演奏家への夢が立たれた。

 借金してまで購入した新品のチェロも、ローンが払える見込みがなくなり、楽器専門店に新品同様で買い取ってもらうことになる。そして、彼は東京には見切りをつけて故郷へ帰っていく。

 その後、故郷に帰った彼は「“旅の手伝い”をする人求む」「年齢問わず・高給保証・実質労働時間わずか」という、やや怪しいキャッチフレーズに誘われて、とある事務所に入る。そう、旅行代理店と勘違いしたのだろう(笑)。

そこの社長さんと、面接。社長は履歴書をみて、「車の免許を持っているか?」を確認しただけで「よし、採用! 明日からきてくれ」というのだ。実にあやしいでしょ?(笑)

そこで、大悟は、初めて仕事内容を知ることとなる。給料は片手、50万円(!)。まずは社長のアシスタントとして働く、その仕事は「のうかん(?)」という。

 出来のいい、パソコンの変換メソッド(ATOK)でもすぐには出ない。大悟も頭の中でこの言葉をうまく漢字変換できない(笑)。

 すると、社長が「遺体をお棺に納める仕事」であると説明したのだ。ここで、やっと大悟は、旅のお手伝いの仕事を理解したのだ。(「話が違う!」)そう思った大悟は、いぶかしがる社長に、募集広告をみせた。

 社長はいう、「これは誤植。“旅のお手伝い”ではなく、“安らかな旅のお手伝い”なのだよ」といった。

 これには大悟も参ったろう。さすがに、ここまで話を聞いてしまえば、いくらお金が欲しくても無理。絶対にこんな仕事はできない、と思ったのである。

 社長もさすがに察したようで、これも何かの縁だ。とりあえずやってみて向いていなかったら辞めればいいさ、とりあえず今日の分だといって2万円を手渡す。もし、一晩たって、やる気があったら明日も来なさいといって別れた。

 大悟は、自分にはこのような仕事はできない。なにせ、つい最近まで演奏家だったのだ。明日には断るつもりでいた。

 胸にもやもやしたものがありながらも、大悟は手にしたお金で米沢牛を買い、自分の帰りを待つ妻の元に帰った。

 何も知らない妻は、良い仕事が見つかったのだと思い込み、大いに喜んでいた。大悟は、妻の喜ぶ顔を見てしまうと、「旅のお手伝い」とは、実はどんな仕事であったのかを、とうとういうことができなかった。

 大悟自身は仕事を続けようか、辞めるべきかを悩んでいた。その時に初仕事が入ってきたのだ。それは、なんと焼けただれた遺体の納棺であった(ひぇー)。大悟は、死体から湧き出る臭い、その感触に思わず嘔吐した。

 次の日、このような仕事は自分には出来ない。断然、断る。それどころか職場にも行かなかった。

 もはや、あてもなく、ぶらぶらと川原を歩いていると、そこへ、社長の車と遭遇。「乗れ!」の言葉とともに、有無を言わせず車に乗せられ、納棺現場へ、またもや連れて行かれてしまう大悟であった。

 彼は、社長の見事な仕事ぶりを見た。そして、同時に自分の家族の突然の死を受け止めなければならない遺族の姿を見たのだ。納棺師という仕事に対する、「ある種の偏見・嫌悪感」をもっていた大悟の気持ちにある変化が生じ始めていた。

 無残な姿となった遺体は家族も辛い。その無残な姿でさえも、納棺師によって修復されていくのだ。その作業(嫌な言い方ではあるが)の過程で、家族が身内の死を受け入れ、死者を見送る心の準備ができてゆく、そんな瞬間を目の当たりにしたのだった。

 この瞬間、大悟の中にあった「偏見」が崩れ去っていったのだ。いつしか大悟の気持ちも、遺族に死者を見送る心構えを整えるお手伝いする「納棺師」へと変わっていた。しかし、その時点で妻は大悟の仕事内容については何も知らない。

 ある日、妻に、自分が全裸でオムツを当てて死者のモデルとなっている納棺師のための教育ビデオを観られてしまう。

 妻に問い責められる大悟も自分の仕事についての言いわけはしなかった。大悟の仕事に猛反対する妻は家から出て行った。その後も様々な葛藤を繰り返し、本当のプロの納棺師へと成長してゆく。

 ノベライズでは、大悟の生育歴などが盛り込まれ、巧みなストーリー展開がなされている。この場面も結構意味深く、読み応えがある。ある意味、これはお葬式入門書かもしれない。

 そして、とある日。妻は大悟のもとに子供を身ごもったことを伝えに戻る。重ねて仕事をやめて欲しいという思いとともに。

 その後も、人間模様を織り交ぜながら、情緒的な雰囲気で淡々とストーリーは展開していく。最後は、幼い頃に自分を捨てたと思っていた父親との再会の場面には感動させられてしまう。ヤラレタ!っていう感じかな。

 死とは語られてきたようで、語られていない。また、遠いようで近くもあり、近いようで遠くもある。なにしろ一度しか経験できないことなのだ。

 映画を観ても、観なくても。死について、考えたことのある人もない人も。この本が、死生観を見つめ直す、ひとつのきっかけを作ってくれるかもしれない。皆さんもお試しあれ。



■本のデータ
『おくりびと』百瀬しのぶ・著、小学館文庫
 2008年7月刊、本体438円(+税)


●サメ君と 『おくりびと』●.jpg

●サメ君と 『おくりびと』●


(読んでから観るか、観てから読むか。あれ?どこかで聞いたセリフが!To Be Continued!!)
posted by さとうはあまい at 15:31| 島根 ☁| Comment(0) | TrackBack(1) | 読んでみた! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月28日

奮闘記・第342回 読んでみた!/福島県

●本の分野● 推理小説


横溝正史・著

金田一耕助ファイル3

『獄門島』 を読む!


(2008年9月 福島県・郡山駅の改造社書店で購入)



 金田一耕助生誕の地へ行った後、まぁなんとなく横溝先生の本を読みたくなった。そこで、手に入れたのがこの本。

 なかなか読む時間をとることが出来なかったが、松江から浜田までを各駅停車で移動したので、その間に読んでみた(笑)。

 もちろん、推理小説だから、内容は書けない。プロローグで金田一耕助は、備中笠岡から南へ七里瀬戸内海のほぼ、真ん中の小島へわたる(もちろん、架空の島、岡山の真鍋島あたりがモデルともいう)。

 横溝先生はここで、獄門島の名前の由来について歴史を開陳し、いくつかの説を上げて解説していく。

 1説には、北門島と呼ばれている説。

 藤原純友(天慶の乱の首領)の昔から瀬戸内海の名物は海賊であった。この海賊の勢力については、遠く奈良朝の時代から江戸時代の初期に至るまで、連綿としてその伝説は受け継がれていた。

 なにしろ、ほぼ同時に起こった平将門の承平の乱がおよそ2か月で平定されたのに対し、鎮静化するのに2年近くかかったのだ。

 これらの海賊は伊予海賊と呼ばれ、常に伊予の海岸線から、燧灘、備後灘へかけての島嶼を根拠地としていた。

 現今の「獄門島」は、当時、彼らの一味が北の固めとしていたので、北門の名前が残り、やがてそれがいつしか転訛して、獄門となったという説。

 また1説として、江戸初期にこの島から五右衛門という、身長6尺7寸(201cm)の大男が現れ、それが全国的に喧伝されることとなった。

 それ以来、この島は五右衛門島と呼ばれるようになる。それが転訛して獄門島となった、という説。

 そして、有力な1説が有力として、この島は旧幕時代、中国地方の某大名の飛地領になっていた。住む者はみな海賊の子孫といわれる、ごく少数の漁師達の島であった。

 その島を流刑地とさだめ、それ以来、領内の罪人達のうち、死一等を減じられたものが毎年この島へ送り込まれて行った。

 そして、いつからか獄門に相当する罪人が流される島として、獄門島と呼ばれるようになったという説である。

 明治になって流人の制は止んだが、元来、島の住民はきわめて排他心が強く、環境に誓約されるところも多いために滅多に他の島々と縁組をしないらしい(だろうね)。

 だから、この島の住民はことごとく、海賊や流人の子孫といわれていた(いまなら偏見とされるが時代が時代だからねぇ)。

 さすれば、このような島で犯罪が起こった場合、かばい合いや、犯人隠匿など、捜査がどんなにやっかいなものになるのかは想像がつく。

 金田一耕助の「仕事」がいかに困難を伴うのかが暗示され、物語は始まる。

 名探偵・金田一耕助は、日本へ帰る復員船にいた。この船で仲間が亡くなるのだが、臨終の際に、彼に頼みごとをするのだ。

 そして、彼は獄門島を訪れることになる。そして、「閉じられた」島の因習や、外部とのかかわりや、誤解が連続殺人事件へと繋がっていく。

 佐藤は、一読した後に、初めに戻って、いろいろなポイントを読み返した。「な〜んだ。もうここで犯人がわかるじゃないの!」というが、それでは後の祭り。

 読んでいる途中は、ついつい、金田一耕助とともに、事件が事件を呼び、犯人に引きずり廻されてしまうのだ。まぁ、金田一耕助も事件は解明できるが、解決はしないのだ。

 最後まで犯人も理由も確定できない。もちろん、クライマックスは、金田一耕助が犯人のトリックや動機を解明していく過程である。

 見聞録でも書いたが、金田一耕助は探偵だから、事件の「解決」はしない。内田康夫先生の、名探偵・浅井光彦のような、積極的な行動はとらない。

 佐藤には犯人すらわからんから情けないが、結末の数ページを読むことにより納得ができるのだから、本のお金の元は十分とっているが(笑)。

 ううむ、この本は途中で置くことが出来ない(笑)。最後までしっかり読ませていただきましたよ。

 こうして読み終えてみると、横溝先生人間観察の奥深さには、参りましたと頭がさがる思いです。

 やはり、金田一耕助シリーズを読んでみると、先の内田先生の浅見光彦ミステリーを思い浮かべてしまう。内田先生の場合は小説の中に自分も登場して、探偵の浅見光彦がその存在を迷惑がる部分が面白い。

 まぁ、横溝先生も作中に出てくるという噂はあるが。そういえば、角川映画にはよく出てたなぁ。

 確か、映画の『金田一耕助の冒険』か、なんかで、「こんな映画に出たくはなかった」と言ってたっけ(笑)。

 皆さんも、秋の夜長。金田一耕助と一緒に謎解きの旅を楽しまれてはいかがでしょうか。そして機会があったら、推理小説にかかわらず、その舞台となった地を歩くことをお勧めします。

 研究所内には、いくつも読みかけの本が「いい加減に読んでくれ〜」と転がっている本が叫んでいる気がする、トホホ。ではでは!



【本データ】

横溝正史・著

『金田一耕助ファイル3 獄門島』

 角川文庫、580円(税込)、1981年


●『獄門島』と佐藤●.jpg

●『獄門島』と佐藤●


(この項は終わり!To Be Continued!!)
posted by さとうはあまい at 14:39| 島根 ☀| Comment(0) | TrackBack(1) | 読んでみた! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月16日

奮闘記・第239回 読んでみた!/東京都

●本の分野● 評伝

工藤美代子・著

ラフカディオ・ハーンの生涯(日本編)

神々の国 』 を読む!


(2008年6月某日 群馬県・高崎駅くまざわ書店で購入)



 佐藤が、そもそもハーン(小泉八雲)先生に興味を持ったのは、島根県松江市の小泉八雲旧居にうかがってから。

 なにしろ、松江に向かうのは出雲空港から入るルートと、山陽新幹線で岡山を経由し、特急やくも号で来るルートがだいたい。その「やくも」とは小泉八雲先生の八雲なのです。

 そして、ハーン先生が書かれた『日本の面影』(翻訳)を読み、小泉八雲旧居の庭に咲く、四季の花々に興味をもち、北側の池の小動物にも興味を深めていったのです。

 だが、断片的にしかハーン先生に関する知識がない。熊本旧居にも、神戸居宅跡にも行き、明治村では、夏休みには泊まりに行っていた静岡の宿、そして大久保の終焉の地にも行ったのにぃ(笑)。

 だから、この本でハーン先生を少しでも知ることができるかな?と思い、興味津々で読みはじめたのですが、いやはや、ものすごい迫力。まるで映画の観客にでもなったような醍醐味を味わうことができました。

 この『神々の国 ラフカディオ・ハーンの生涯(日本編)』では、まさしくハーン先生が日本に上陸し、どのようにして、日本人とかかわり、家族をもち、やがて「小泉八雲」となって、日本人として生き抜いていったのかが描かれています。。

 ハーン先生は、40歳で横浜から入国。やがて、松江に移り、セツさんと結婚。その後セツさんの身内を引き連れて、大家族で、熊本・神戸・大久保へと住居を移し、最後大久保で54歳の人生を閉じるのですが、この本は、ハーン先生が日本の中を移動していった通りに、本の項目が、「横浜」「松江」「血族」「熊本」「隠岐・三角」「神戸」「東京・焼津」「西大久保」「晩節」となっています。

 そして、著者は、ハーン先生が、日本人として生き抜いた様子を、様々な文献を引用・活用し、さらに、著者の感性を織り交ぜ、分析され、まとめられていました。

 附記してある、参考文献は、日本の書籍や、小泉八雲全集や雑誌。更には英語の書籍などと、それは、それは幅広い分野でハーン先生の功績を研究し、執筆していることがわかります。もちろん、良いことばかりが書いてあるというわけではなく、批判もキチンとされている。

 だから、読み進めていくと、まさしく当時の状況が、ビジュアル的に頭の中に浮かび上がり、まるで映画のように場面が目の前に写し出されます。

 その中で、ハーン先生が家族に注いだ愛情の深さを見て取ることができます。また、セツさんが、ハーン先生と、こども達をどのくらい大切にしていたのかをも知ることもできました。

 そして、最後の項目である「晩節」、八雲立つでは、小泉八雲という、文学者(または教育者)が亡くなるまでの過程がしっかりと描写されていました。そして、先生没後の長男・一雄さんと、セツさんとの心の葛藤なども客観的に描かれていたのです。

 佐藤は、読後、セツさん、お子さんたち、更には兄弟での争いごとは他人事とは思えません。どこの家庭でも、一家の生活は誰かが集中して支えているものでしょう(だいたいが父親)。「その柱」を先に失ってしまえば、一般のどの家庭でも起り得ることであり、また仕方がないことなのでしょう。

 それにしても、このようにラフカディオ・ハーンという人間を、愛情を持って分析・評価し、その価値の再発見に成功したと思います。

 手に取ったときは、「でも、いまなぜラフカディオ・ハーンなのかな?」と思いつつ読みましたが、読み終わると「でも、やはりいま、ラフカディオ・ハーンだろうなぁ」と思ってしまうから不思議(笑)。

 異国の地で、その風習を愛し、時には格闘し、その国の人を愛し、また格闘し、その国の人間になり、その国の人間として永眠する。ハーン先生は、その人生を濃厚に生き、駆け抜けた人なのです。54年は短くて長い。

 佐藤は、新たにこの本も参考にし、さらにさらに、ハーン先生の足跡を辿り、ハーン先生の考えや感情などに思いを馳せてみたい。みなさんも気になるかたの評伝(伝記)を読んでみてはいかがでしょう? きっと自分の中で何かが変わりますよぉ。ではでは。



【本のデータ】

『神々の国 ラフカディオ・ハーンの生涯【日本編】』

 工藤 美代子(著) ランダムハウス講談社文庫、2008年、

 定価:本体920円(税別)


図1 松江駅の今井書店でも売ってますぞ(笑).jpg

図1 松江駅の今井書店でも売ってますぞ(笑)


(To Be Continued!)

posted by さとうはあまい at 17:05| 島根 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 読んでみた! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月19日

奮闘記・第218回 読んでみた!/東京都

●本の分野● ミステリー


宮部みゆき・作品

『火車』を読む!


(2008年4月某日 福島県福島市・岩瀬書店で購入)



 文庫になってからもずいぶん経ち、新潮文庫に入り、「このミステリーがすごい!」の記念ムック『もっとすごい!! このミステリーがすごい!』(宝島社)で過去20年間の読者アンケートの「ベスト・オブ・ベスト」国内編で1位に選ばれた作品なのだ。ただ、難しそうな感じで暫く避けていたものを読むことにした。ふふふ。

 この作品は直木賞の選考委員の意地悪だか嫉妬だかはわからないが、彼女が直木賞に選ばれず、別の作品(『理由』)でやっと取ったという覚えがある。恥ずかしいよ、あとあと歴史に残る作品にそういう評価をした作家センセはねぇ。

 第一、現役の書き手で、ライバル意識もある同業者に選考させるのはどうなんだろうねぇ。作家代表と、編集者あるいは、読者に投票させりゃいいだろう。あと該当者は一年にひとりでいい。芥川賞や直木賞作家が不要に多すぎる気がする。

 さて、物語は、交通事故で最愛の妻を亡くし、自分も捜査中の事故によるリハビリで仕事を休んでいる刑事が主人公。妻の親戚から失踪した婚約者をさがしてほしいと頼まれたところから始まる。

 その婚約者は、女性から「自分はクレジットカードを作れない人間」ということを聞かされていたという。

 主人公の刑事は、まだ不自由さが残る身体で、婚約者の女性の写真を手に、彼女の働いていた場所をまわって個人的な立場で捜索を始める。

 話を聞いた時点では、すぐに見つかりそうな人探しだった。だが、話を聞きまわり、調べていく内にその事件は大きな深みにはまっていく。探している女性(親戚の婚約者の女性)は、写真に写っている女性とは別人であることがわかるのだ。そう、婚約者はまったく違う名前・履歴を名乗っていたのだ。その女性の「存在」が消えてしまったのだ。

 ここから、物語は急速にどろどろとしてゆく。1人の人間が、他者に成りすます。北朝鮮を出すまでもなく、国際的な、国家レベルの話で言えば昔から多くあることだろう、密入国やスパイなら。

 日本で他人になりすますのは、できそうでできない。日本は、身元のわからない人間は生活しにくい国なのだ。よくも悪くも最近は崩れつつあるが。

 犯人がなぜ、そういう困難なことをしなければならなかったのか。そこには、経営破たん、家族離散、クレジットカードによる自己破産など、お金にまつわる誰でもが遭遇する可能性のある問題の不運な連鎖であった。

 これもミステリーなので詳しくは書けない。物語では、作中に弁護士を登場させ、クレジットの仕組み等、わかりにくい用語を自然な形で作中で啓発してゆく配慮がなされています。まぁ、それでも佐藤には、法律用語が続いているために少々難しかったが(笑)。

 後半、犯人像が絞り込めてくるに連れ、犯人が自分を消し去るために実行した手口が明らかにされてゆく。こうなってくるともう駄目(笑)。事件がどのように解決していくのか知りたくて、ページをめくるスピードがはやくなる(笑)。なにしろ、追えども、追えども「犯人」の実態に近づかない、姿が見えないのだ。

 弱者ゆえに罪を犯し続けてゆく犯人が、「強者」である刑事(でなけりゃ捕まえられない)を翻弄してゆくのだ。「もしかして殺人事件」などと悠長な標語を使っている警察ではちょっときついかもしれない。

 読み終えて、松本清張先生の『砂の器』が脳裏によぎった。弱者がおこなう犯罪を裁くのはつらい。まぁ「弱者」の定義にもよるのだろうが。

 二作品に共通するのは「追う者」より、「追われる者」に読者の気持ちが近づいてしまうことだ。日本人独特の感情かもしれない(いわゆる判官びいき?)。久しぶりに、読み応え十分のサスペンスでした。宮部みゆき恐るべし!


【本データ
 『火車』
  宮部みゆき・著、新潮文庫、1998年、857円(税別)


図1 読後の『火車』を手にする.jpg

図1 読後の『火車』を手にする


(To Be Continued!)
posted by さとうはあまい at 12:19| 島根 | Comment(0) | TrackBack(0) | 読んでみた! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月13日

奮闘記・第214回 読んでみた!/東京都

●本の分野● 映画ノベライズ


『小説 砂時計』

(橋口いくよ・著/芦原妃名子・原作) を読む!


その前に映画 「砂時計」 も観たぁぁ!!


(2008年5月某日 東京都豊島区・池袋リブロで購入)



 映画 「砂時計」 を観た(漫画のほうはまだ。池袋テアトルダイヤにて)。この映画は、島根県が舞台になっている映画。これを佐藤が黙ってみていられるわけがない(黙ってみてろって?)。

 島根の情景を楽しみたいというのが目的(笑)。自分がよいと思うものを、他人がどうとらえるのか? ぜんぜん違うものをクローズアップされることもあるから面白い。島根県といっても広いんですから、たいへん興味があったのです。

 で、ストーリーはやはり、もう少し尺の必要な内容なので駆け足の感が否めない。ただ、「ああ、そこいってないじゃん!」とか、「行った! 行った! ○○さんの仕事で行ったじゃん!!」というちょつと違った楽しみ方をしてしまいました。

 島根というと、杵築大社や松江がたいがい話題の中心。最近は石見銀山もあるのだが、浜田は意外に観光ガイドでも出ているのは少ない。まぁ出雲や松江は行きまくりだから素晴らしいには違いない(笑)。ただ、三瓶山や浜田の石見海浜公園などもいいのにな、と思うのです。


図1 遠くに観ゆる、あの石見海浜公園.jpg

図1 遠くに観ゆるは、「あの」石見海浜公園


さて、映画 「砂時計」 を観て、本屋さん寄るとふと『小説 砂時計』とあり。この本を手に取ると、映画公開に際して、原作コミックをもとに、著者が書きおろしたとのこと(いわゆるノベライズですかね)。そうですか、そうですか。またあの感動に遭遇できるのね(いちおう感動はしてるのです)。

 今回、島根へ向う飛行機の中で読み進めてきました(そう、今日は浜田にいます)。

 映画では、杏の視点から見た形でドラマが展開していましたが、小説では、映画ではあまり触れていない、杏の視点からみた回想シーンや、大悟の視点からみた回想シーンが交互に登場し、物語を形成しています(映画では、今の杏と過去の杏が対比)。

 杏と大悟のこころの葛藤とともに、2人を通して、藤や椎香のこころの葛藤も知ることができました。「ああ、小説だなぁ」と改めて感じ入りました。映画はやはりビジュアルがメイン。やや島根の、というか、東京などでは見られなくなった「ほんとうの暗闇」や「夕暮れ」にこだわり過ぎて、ふつうに明るく撮ればきれいなのになぁと思う映像もありました。素人意見で申し訳ないが。

 内容はきれいなラブストーリー。島根の皆さんにも観て、批評して頂きたいな。自分の街がうまく表現されてましたか? 考えていたものとは違いましたか?と。ただ松江サティの映画館でしかやってないのはねぇ……。

 小説と映画の感想が入り混じってすみませんが、佐藤が小説を読んで感じたのは、「砂時計」の主人公は、実は杏ではなく、大悟こそが「主人公」なのであろうと感じたことです。島根県の男を描いたものなのだと。

 でなければ、島根県で撮る意味があまりありませんからね。極端な話、女性はどこの誰でもあまり関係ない。いま風に傷ついた都会の女性であればいいのだから。

 もし、杏が博多の女性でも、大阪の女性でも話の本筋は変わらない。でも大悟が島根の男でないならば、映画はまったく変わってしまいませんか?

 砂時計をひっくり返すと、「過去だった砂が、未来の時の砂にかわる」まだ落ち切れていない砂は、まだ、経験しない未来の時間です。私達は生きている限り、まだ落ちていない未来の時間を有意義に過ごすことを考えていかないとな〜。

 すぐ未来は過去へと流れてしまうから。これは悠久の時間が歴史として流れている島根だから(ある意味、京都、奈良も可能かもしれない)生きるラブストーリーなのでしょうね。

 若人は若人の感性に十分響くでしょう。大人は大人で過ぎ去った過去を悔やむのもよろしいでしょう(笑)。どうぞ、映画も本もみてくださいませ。ではでは!


図2 某ワシントンホテルでくつろぐ佐藤(笑).jpg

図2 某ワシントンホテルでくつろぐ佐藤(笑)


(To Be Continued!)
posted by さとうはあまい at 22:24| 島根 ☁| Comment(0) | TrackBack(1) | 読んでみた! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月29日

奮闘記・第131回 読んでみた!/東京都

●本の分野● エッセー


阿久 悠(あく・ゆう)・作品  
    

『歌謡曲の時代 〜歌もよう人もよう〜』を読む!


(2007年12月某日東京池袋リブロにて購入)



 昨年(2007年)8月、作詞家・阿久 悠(本名:深田公之 ふかだ・ひろゆき)先生が癌で逝去されましたね(享年70)。残念ですが寿命ではしかたがない。

 阿久 悠先生は、ご存じのように、作詞家としてだけではなく、小説家・放送作家など、文筆家としても活躍され、映画にもなった「瀬戸内少年野球団」(直木賞候補)、『殺人狂時代ユリエ』(第2回横溝正史ミステリ大賞、1982)なども多数書かれており、文章ももちろん達人。

 今回取り上げた『歌謡曲の時代』は、阿久 悠先生が、自分の作品のタイトルをテーマにしてその曲や当時の世相を回想して、新聞に書き続けたエッセーをひとつにまとめたものです。

 阿久 悠先生は歌謡曲という言葉が、時代が昭和から平成に変わるころ、存在感が薄くなったと語り出します。昭和が終わり、平成の始まりと同時に消えたという「俗説」に対し、歌謡曲というものの、底力、実力に関して述べていらっしゃいます。

 歌謡曲とは、ひ弱なものではない。時代を飲み込みながら巨大化してゆく、妖怪のようなもの。滅多なことでは滅びたりしない、と語っています。

 「平成の人間」の手には負えなくなったのだ、と考えたほうが良いともいう。また、昭和の歌の歌詞が「世間全般について語った」のに対し、平成の歌詞では「自分のことだけを語っている」ともいっています。

 それはそうだ。曲の良し悪しは別にして、最近の歌は、何をいいたいのかがよくわからない。そこにはある体験や経験を共有した(あるいはしたい)「私」と「君」しかいない。第3者が関与したり、共感したりする幅や深みを持っていない。つまり時代そのものを表現できていないのだろう。

 自分で詩や曲を書くようになり、自分の考えを発信することがはやり始めて久しい。確かに自分の気持ちや考えをそのまま述べることはできるだろうが、そうそう発信したいことばかりはないだろう。プロの作詞家が見た、その歌手に「求められているもの」をプロの作詞家が第3者の目で見て書いてもらうことも有意義なことではなかったか。

 しかし、未熟な輩(いったら悪いが)が、猫も杓子も自分で歌詞を書きまくり、需要が減り、プロの作詞家も消えていった。

 佐藤はまさしく阿久 悠先生がいう昭和の世間を渡ってきた人間である。この本を読み進めながら、そうそう、この歌が流行っていたころは、どこで、何をしていたか。その時に私のそばには誰がいてくれたかなどを思い起こして読んでいました。これは歌詞が個人的な体験や内容ではなく、時代の一片を共有している証だろう。

 阿久 悠先生の凄いところは、歌謡曲だけを作詞したのではなく、共に昭和の時代を駆け抜けたウルトラマンシリーズや、宇宙戦艦ヤマト、ピンポンパン体操など、あらゆるジャンルの唄も手がけ、その作品を我々に残してくれています。

 皆さん、信じられますか? 作詞・阿久 悠先生、作曲・小林亜星先生で「ピンポンパン体操」を作られた年、同コンビで「北の宿から」でレコード大賞を獲ってるんですよぉ(笑)。

 さらに、ウルトラマンタロウの主題歌でのエピソードでは、阿久 悠先生も親なんだなぁ〜としみじみとしました。お父さんがんばれ!と叫びたくなっちゃう(笑)。ふふふ、太郎さんというらしいんですよ、先生のお子さん(笑)。

 皆さんの中で、作詞家、阿久 悠先生を偲んで、暮れの紅白で阿久 悠先生に書いていただいた持ち歌を、和田アキ子、森進一、石川さゆり、五木ひろしが熱唱したことを覚えている方もいるでしょう。本の中でも、もちろんこれらの歌も出てきます。

 佐藤はその中で一番印象に残ったのは、和田アキ子が歌った「あの鐘をならすのはあなた」です。

 阿久 悠先生は、「「あなた」にはまだ逢えない」とサブタイトルをつけています。

 
あなたに逢えてよかった

 
あなたは希望の匂いがする


 この時代は、連合赤軍による浅間山荘事件などが起こり、ミュンヘンオリンピックもテロの標的になった年でもありました。こんな時代背景を受けてこの歌詞は作られました。この歌は一般的にはただのラブソングにも聞こえるのですが、さて、一体あの鐘を鳴らすのは誰なのでしょうか? 

 その問いに対して、鐘をならすのは聞いている我々の心の中にある誰か、自分を支えてくれる誰か、らしい。ただ、恋人というわけではないのそうです。

 だから、歌っている和田アキ子はもちろん、歌う人、聴く人が自分自身のその誰かを思い浮かべて歌えばよいそうな(彼女も歌詞に出てくる「あなた」は誰か?と先生に尋ねたところ、そういわれたそうです)。深いよ、歌謡曲は!

 昭和の時代は去り、平成の世はテレビゲームや、液晶テレビなど、確かに、物質的には豊かさにあふれています。もういくら昭和の時代が懐かしくてもあのころの文化程度にはもう戻れない(年配者も戻れるのではなく、前に進んでいないだけ)。

 むしろ問題なのは、たとえば地下鉄で、親が凄いスピードで席をとり、そこに子どもを座らせて親が立つ。その横に高齢者がいても無視! 子供は立たせたもんだよね、学割(ガキ割?)で乗ってるんだし、高齢者のような長年の社会貢献も何もないんだからさ。親も親だよ。こころのゆとりや豊かさ、マナーも何処かへ行っていませんか?

 だから、バカでわがままになるんじゃないの。その子が高校くらいになって世間で「大事件」を起こしてから、夫婦でお遍路さんやっても、子供にも社会にも何の責任を果たしたことにはならないと思うけどねぇ。

 まぁ子供の授業参観に出たら「日当」を学校に請求するスーパーバカ親(開いた口が塞がらない)もいるらしいから、やはり親のバカ化が先なのだろうな。

 気がつけば、もう平成生まれの子どもが介護の研修現場に登場するんです! 介護現場を応援する立場として「躾(できることを見守る)」ことと、「守る(保護)」の違いをしっかりと伝えて介護界に「半鐘」程度は鳴らさんとなぁぁぁ、と改めて考える機会ともなった本であります。もちろん、ただ読んでも面白いですけど(笑)。



【本データ】
■『歌謡曲の時代〜歌もよう人もよう』
  阿久 悠・著 新潮文庫、476円(税別)
  2007年


図1 読んでみた!(浜田市総合福祉センター講師控え室にて).jpg

図1 読んでみた!

(浜田市総合福祉センター講師控え室にて)


(To Be Continued!)

posted by さとうはあまい at 16:46| 島根 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 読んでみた! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月26日

奮闘記・第109回 読んでみた!/東京都

●本の分野● 推理小説

松本清張・作品

『砂の器』を読む!


(2007年12月某日 東京都・池袋リブロにて購入)



 皆さんは、この『砂の器』という作品をご存知ですか? 知っている方は何を思い出しますか?

 この作品との出会いは書籍であったり、映画であったりといろいろでしょう。佐藤の『砂の器』に対するイメージは、映画『砂の器』の中にあるのです。

 今でも覚えているのは、2つのシーン。

 1つは、白装束を身にまとったお遍路姿の親子が砂の海岸を歩く姿。
 もう1つは、青年が舞台でピアノを奏出ているシーン。

 もしかしたら、テレビのCF等でその場面が何回も映し出していたからかもしれませんが〔笑〕。それは非常に寒々しく、痛々しいイメージを抱かせるものでした。

 だから、この大作を読むには、自分の感性が心のどこかでストップをかけ、読んでみようとは、思いませんでした。しかし、ふとしたきっかけで『砂の器』が、島根県を舞台のひとつに持つ、推理小説であることを知り、俄然読んでみようと思ったのでした(かーなーり、おそい)。

 物語は、蒲田駅の操車場で起きた殺人事件から始まります。捜査をするのは警視庁の今西刑事たち。そこから物語は、今西刑事をとおして事件は展開してゆく。

 松本清張先生は、物語の冒頭で、被害者が犯人と語るシーンを描き、そのときの会話である地方の方言を活用します。そして、この方言こそが殺人事件の重要な鍵をしめていくことになるのです〔詳しくは書けない〕。

 そして、今西刑事が捜査に難渋し、壁に当たっているころ、若人のグループが登場し、事件は別の要素を生み、展開するのです(詳しくはまたまた内緒)。

 まぁ〜推理小説ですから、大概の人は、犯人を追及していくことに興味はあるのですが、佐藤はなんと、この本を読みながら、今西刑事と一緒に『砂の器』の舞台を旅していました。一緒に旅をしたといっても、今西刑事が行く先々の風景を思い描いていたということです。

 なぜなら、今西刑事がこの物語のポイントとなる「ある地域」を求めて、東京から松江、奥出雲などを旅する(というか出張)場面があるのです。

 佐藤は、この場面を読み進めながら、前に車を運転しながら、それらの地域に行ったときに「○○の名産地」と書かれた看板を見たことを思い出しました。

 また、そこで出てくるという地名から、「稲田神社」を探して右往左往したことを思い出しました〔笑〕。さてどこでしょう? インターネットで検索すればわかります(マナーだから詳しくは書かない)。

 清張先生もこれらの地を訪れてこの作品を書かれたわけで、清張先生が取材して歩いた道のりや、そのころの移動手段なども思い描きました。さらに『砂の器』情報を集めたら、なんとそこには記念碑が湯野神社にあるとのこと。またまた、奥出雲にいく口実ができましたよ〜(笑)。

 さて、文庫本でも(上)(下)の長編。はたして読破できるか?と思いきや、書き手の素晴らしさにどんどん引き込まれて一気に読めちゃいましたよ。

 『砂の器』を読み終えてみて気がついたのですが、佐藤は、いつのまにか、映画で受けたイメージを払拭し、今西刑事の視点で物語を推理して、結果はすがすがしさを感じることができました。

 そのジャンルの性質上、文学性の低さを指摘されがちな推理小説ではありますが、清張先生は文学性を損なうことなく、エンディングまで読ませていただけました。

 さて、あなたはどのような感想を抱くでしょうか? ではでは!!


 PS.佐藤の監修作品ができましたぁぁぁ 東京法規出版の介護保険のパンフレットができました。Q&A方式で利用者の方に読みやすい構成になっております。書店で売っているものではありませんが、お近くの市区町村の窓口などで見かけたら活用してくださいませ!

【本データ】
 ■『砂の器』
  松本清張・著 新潮文庫、(上)629円(税別)・(下)667円(税別)
  1973年3月発行/2006年10月改版

図1 ほほほ、読みました.jpg

図1 ほほほ、読みました


 ■『上手に使う介護保険Q&A ケアマネジャーに聞きました!』
  佐藤ちよみ・監修 東京法規出版
  ※市町村役所等の窓口で置いてあるかもしれませんし、
   おいてないかもしれません(笑)。


図2 作りました! ひろしま君とリーフレット.jpg

図2 作りました! 
ひろしま君とリーフレット


(To Be Continued!)

posted by さとうはあまい at 16:11| 島根 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 読んでみた! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月14日

奮闘記・第099回 読んでみた!/東京都

●本の分野● 日本史

『古代出雲への旅』を読む


(2007年11月某日・都内)


 この本の内容は『古代出雲への旅』は幕末、島根(出雲)に実在した「記録者」の風土記社参詣記を、現代の「著者」が古代出雲の今に残る、あるいは残らない風土記の原風景を読みとこうとする試みです。

 著者は「日本書記」「古事記」とならぶ貴重な古代史の資料ともなる、「出雲国風土記」についての興味、疑問をもちます。その疑問を解決すべく、島根県で調査研究をするための調査を行いました。

 とある日、島根県立図書館で、資料を閲覧、古い文献を紐解くときに、たまたまであったのが、この出雲国平田町在住の小村和四郎重義が残した「風土記社参詣記」でした。

 そもそも、「出雲国風土記」とは何か。それは、奈良時代(元明帝時代・713年)に太政官(司法・行政・立法を司る最高国家機関)が、全国の国司に、各地域で産出する鉱物・動物・植物・土地の地味の良し悪し、山川・原野の地名の由来、古老の話す伝承などもまとめて報告せよとの官令を出しました。

 この各地域から出された報告書がのちに「風土記」と呼ばれるようになったのです。まぁ風土記そのものの問題はかなり大きいので語れませんが、全国でも数カ国しか現存せず、出来上がりも何十年単位で開きがあり、「なんだかなぁ」という感じです(笑)。

 出雲では、この「風土記」が現存し、出雲だけではなく、日本の古代史としても貴重な資料となっています。まぁ政治的作られたには変わりがなく、「日本書記」「古事記」と同じく、信憑性に問題がある部分はあるのですが、価値は否定できません。出雲での編纂は、官令が出されてから20年後に完成しているそうです。

 佐藤がこうして島根県を巡り、その由来や由緒の資料や説明を読めるのも、根っこのところには、電車もバスもない時代にも、島根を歩き回り調査研究し、それを保存、活用していく、研究者、記録者の存在できる文化が島根にあるのでしょう。現代のわれわれにもありがたいことです。島根県はとりわけ親切。出雲だけではなく、松江、浜田、益田なども、他県と比べてもわかりやすく書いてあるもの。

 では、なぜ小村和四郎重義は、風土記社参詣記を残すことになったのかは、和四郎自身が、通称「桃樹翁」(もものきのおきな)と呼ばれた平田の国富家の金築春久を介して、「出雲国風土記」に出会ったといいます。なになに、和四郎の旅のきっかけもまた先達の文書にあるのです。

 この和四郎は、「風土記」の塾の体をなしていた、「桃之舎」にかよい金築先生の講義を熱心に受けているうちに「風土記社参詣」の旅をしたくなり、金築先生に相談。金築先生は自分自身が書き込みをした貴重な出雲風土記を和四郎に持たせてくれました。

 現代の著者、関氏は、和四郎が残した「風土記参詣記」を読み進めるうちに、自分自身が、和四郎が通った道を調査研究したくなったそうです。そして、この「風土記参詣記」を片手に、現代の出雲国を調査、検証の旅の出ました。その記録がこの本です。

 ふ〜ん。何処の時代にも、崇拝する人物の足跡をみてみたいという人間はいるものだなーと思いながら本を読み進めました。

 佐藤自身も、司馬遼太郎先生の歴史小説を読み進める中から、幕末に活躍した人々に興味を馳せ、小説やエッセイに出てくる地を訪れたり、出雲の旅で出会う、古事記の場面に興味をもち、多くの神社仏閣を訪ね、様々神様ともで会うことができたのです。

 そして、このような旅を重ねる中で、自分の足跡を残すためにブログに記載するようになったのです。まだまだ、未熟で、和四郎のような丁寧な記録を書くことはできません。でも、今は写真という武器があるわさ、へへん(笑)。

 佐藤は、この本を読んでいるうちに、佐藤がまだまだいっていない神社の存在を知りました(そっちかい)。というわけで、来年はさらに、「えっ? こんなところまで行ったの〜(行くよ)」と思われるところまで出没したいと考えていま〜す(ええっ)。

 もちろん、これからも「読んでみた」のコーナーでは、旬な書籍や忘れられた書籍で面白いと思うものを紹介し、佐藤の偏見のもとに、書籍のなかの登場人物や場所を訪ねる、見聞の旅もしていきますよ、はい(笑)。ブログを見てくれている人の参考になるといいなぁ〜! ではでは。


『古代出雲へのたび 幕末の旅日記から原風景を読む』  関 和彦・著
  中公新書、2005年刊、780円(税別)

図1 読んだ読んだ読んだ〜.jpg

図1 読んだ読んだ読んだ〜

(withパイレーツ)


(To Be Continued!)
posted by さとうはあまい at 19:14| 島根 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 読んでみた! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月04日

奮闘記・第088回 読んでみた!/東京都

●本の分野● 小説


『明日の記憶』を読む


(2007年12月某日 東京都内・BOOK EXPRESS 赤羽店)



 佐藤は仕事がら、駅などで乗り換えの待ち時間が多いのですが、駅の本屋さんでの待ち時間はちょっとした楽しみのひとつです。

 特に、ここ赤羽駅のエキナカの書店がけっこう充実しているのです。スペースが限られているし、重厚な本が求められても置いてあるわけでもない。ちょっとした旅の「友」としての本が求められています。

 だから、時代小説から推理小説。単行本から文庫まで幅広く置いてありますが、何を切って何を入れるかは書店の方の考え次第。まぁ本はそれぞれの好みがあるから、佐藤に「よい」書店でも「誰にでも」良い書店とは限りません。

 さらに、地方を旅するときに、エキナカの書店をのぞくと、そこには、その地方に特化した作品を誇らしげに、ご当地もののコーナーを設けて置いてあるので、東京ではなかなか目に付かない本までも手に入れることができるので楽しみが倍増します。

 限られた空間の中で、読みたいなーと思う本に出会うと、書店員のエキスパートはこのようなエキナカの本屋さんにいるのでないかと思ってしまいます(笑。

 今回はBOOK EXPRESS赤羽店で光文社文庫『明日の記憶』を買いました。まぁこの本は文庫の新刊でどこでも売っている本でありますが(笑)。この本の内容は2006年に渡部謙と樋口可南子の共演で映画化されているので映画を見た方もいるかもしれません。佐藤は、残念ながら映画は見ていませんが。最近長いのを観ると目に来ちゃって。本は途切れ途切れ読めますからねぇ。

 それはさておき、内容は主人公が、若年性アルツハイマーと診断され、その病気の進行を、会社組織と同僚、妻、娘、娘婿や孫。そして、主人公が最後まで固執している趣味の世界などの場面を通して、主人公の不安や、自分が変わり、ある意味壊れてしまう恐怖と格闘せざるをえない状況を、様々な時代のシチュエーションに合わせて書かれており、主人公の感情をうまく表出させ、場面を展開しています。

 まず、仕事をしているときの主人公は、主治医の病気のことを会社の人には伝えておくようにという忠告を無視し、病気であることを隠して(当たり前だと思うが)、営業部長としての役割をはたそうとする。しかし徐々に症状が悪化。お得意様と打ち合わせをする時間を忘れてしまったり、大きなクレームが発生。さらには、得意先の会社へ行くときに道に迷い、待ち合わせの時間に遅れたり、それ自体を忘れてしまったりする。

 小説とはいえ、この時、主人公が「体験」する心の恐怖と不安は壮絶なものであろうと誰でもが想像できるもの。小説で見事に主人公の目線で、読者に「擬似体験」という恐怖を与えてくれる。だから、読むほうも、はらはらどきどき、たまらない(苦笑)。

 主人公はすでに自分の記憶の曖昧さに気づいており、対応としてその時々に自分が遭遇している場面をメモとして残すが、そのメモは記憶の量とは反対に背広のポケットの中で一杯になっていく。

 主人公に愛する妻と娘がいる。主人公は自分の異変を妻に相談。やがて精神科を受診。ある日、妻も同行し(医師から連絡)、「アルツハイマー」と告知される。

 小説の中で一貫しているのは、夫婦でお互いに「大切な人を失いたくない」という気持ちです。主人公と妻がお互いどう感じ、どうするかが、誰でもが行う日常生活として表現されています。まぁ病気にいい食べ物、進行を遅らせる食材、果ては少しあやしげなブレスレットなど。

 過酷な仕事や家庭生活を展開する一方、主人公の趣味の世界も重要な部分を占めています。呆けても呆けてなくても大事なんですよ、何かやりたいことがあるっていうのは。

 ラストのシーンは、学生の頃に主人公が、陶芸を学んだという場所を、主人公が訪問し、その場所までたどりつくことができるのかというどうか。最後のシーンは、う〜ん。呆然としました。

 佐藤も現役の介護職のころ、援助のために訪問した方が、訪問するたびにメモにあらゆることを書いていたことを思い出しました。

 私はその時に「凄いですねぇ。朝起きてから今までしていたことを記録しているなんて、なかなかできませんよ」というと、「そうなのよ。朝、顔を洗ったことも書いておかないとわからなくなるのよね。本当に困るわぁ」と話してくれましたっけ。

 そのときの彼女はにこにこと笑っていただけですが、今考えると彼女にすれば必死の行動だったのであろうなぁ、佐藤にすれば「まだ」他人事だったような気もしますねぇ。若いということは前向きなことに対しての想像力は豊かでも、現状維持や後ろ向きなものに対しては無関心ですからな。

 仕事がら、認知症という病気と向き合う利用者とのかかわりをもつ、介護職の方々には、まさしくお勧めの本です。自分の常日頃の言動や行動に変化をもたらすことができるかもしれませんよ!


図1 記憶に残る一冊、『明日の記憶』.jpg

図1 記憶に残る一冊、『明日の記憶』



【書籍データ】
 『明日の記憶』荻原 浩(おぎわら ひろし)・著
  光文社文庫、2007年11月20日発行、定価(本体619円+税)


(To Be Continued!)

posted by さとうはあまい at 15:27| 島根 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 読んでみた! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月12日

奮闘記・第047回 読んでみた!/東京都

●本の分野● 体験記


『笑う介護。』を読む!


(2007年10月1日 石川県金沢駅・うつのみや書店にて購入)



 書店を探し求めて、金沢駅構内を右往左往。そこらへんにいた警備員の人に「あのぉ〜本屋はないですか?」と聞くと、「はいはい、ありますよ! このコーナーの一番奥のつくあたりあたりに〜云々」と案内されて洋服屋さんや、アクセサリー屋さんなどをかき分けて行くと、おお、うつのみや書店があったぁ〜。

 さっそく、なにか面白い本はないかいなと物色開始! しかし、酒にまるで酔わない(というか普段から酔ってるとの噂あり)佐藤も、「ステラおばさんのクッキー」の甘いにおいにすっかり酔ってしまい、思考回路が働かない。おや? それでも眺めていると、『笑う介護』がいらっしゃいと手招きをしています。

 早速、その本を手に取り、中をぱらぱらめくると、これがまた笑える。まだ、読んでいないのに笑えるのは、松本ぷりっつさんの漫画が挿入してあるから。その漫画を見ただけで笑えるのだ。

 この本は、著者・岡崎杏里さんが体験した実話モノエッセイ。これまた、岡崎さんの体験が並大抵なことではない。父親が50歳の若さで、脳梗塞で倒れたあげく、認知症になってしまう。そして、家業と看病を両立していた母親が、今度は癌に侵される。

 その内容は決して「笑える」ような内容ではなく、著者自身も心療内科に通うはめになっている。自分のために心療内科を探しまわる場面はなんとも笑えるって、これには本人の真剣さが伝わってくる。そうそう、ペットも家族の一員で、このペットも大変なことになるのだが・・・。

 誰でもが、元気なお父さんが今日倒れるなんて思っていない。元気なお母さんが癌になるなんてなんて考えもしない。しかし、誰でもが、元気なお父さんが今日倒れる、お母さんが癌になってしまう場合もあるかもしれない。

 この本の中には、家族介護者の気持ち、患者である本人の気持ち、さらには、他の患者を思いやる気持ち、このような様々な立場での気持ちや感情がコミカルに描いてあるのだが、同時に熱いものが胸にず〜ん入っていきます。

 まだ、まだ、介護なんてほど遠いことと思っているあなた! 介護真っ最中でくたびれちゃったあなた! あらゆるご職業のかたにもにおすすめの一冊、もちろん介護職は必携!(笑) ここに登場してくる介護支援専門員が凄い! 何が凄いって読んでみればわかる(ケアプランを書ける、という程度じゃないよ、ははは)。感想のコメントを待っています!!!

 簡単に読めちゃうからといって、立ち読みはしないでね。ハンカチを片手にじっくり味わってくださいませ!!



■本のデータ
『笑う介護。』
 松本ぷりっつ、岡崎杏里・共著、成美堂出版(sasaeru文庫)、
 2007年刊、本体562円(+税)


図1 撮影は新潟α-1.jpg

図1 撮影は新潟α-1


(To Be Continued!)
posted by さとうはあまい at 21:33| 島根 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 読んでみた! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月09日

奮闘記・第043回 読んでみた!/東京都

●本の分野● 評伝


『わしの眼は十年先が見える

―大原孫三郎の生涯―』  を読む!


(2007年9月13日 岡山県倉敷市・大原美術館にて購入)



 倉敷にある大原美術館へ行ったこと書きました。そのときに美術館の売店でこの本を手に入れました。

 この本は大原美術館を作った大原孫三郎の生涯を描いた作品です。いやはや、読んでみて驚いた。大原孫三郎(以下、敬称略)という人は凄い、凄すぎる。

 最も、ただ彼がこれほど凄い人になったというのではなく、彼をとりまく様々な人間関係が存在していたことが彼を大きくする要因となったと思う。

 代々続いている倉敷紡績の家に生まれ大原孫三郎は、彼は他の友達で同じ境遇(資産家)の友人達とは違い、資産家でない友人(彼は少なくともそう考えていた)に利用され、いろいろな事件や問題に直面してしまいます。

 やがて、彼は心のそこから信頼しあえる友達を求めていくのです。それはもちろん並大抵のことではなく、艱難辛苦のうえ(というか知り合ったあとも続くのだが)、岡山孤児院の創始者である石井十次と知り合います。この人については介護福祉士の国家試験にも登場する人物だから、知っている人も多いでしょうね、え? 知らない? それはちょっと(笑)。

 大原はこの石井の生き方をみて、感じ、その人物を尊敬するようになりました。クリスチャンである石井氏の影響を受けて、自らもクリスチャンとなるのです。そして、必ずしも石井とは考え方が一致するわけではないが、結果として彼を支え、多くの活動資金や生活の援助をおこなってゆきます。

 また、大原の援助は誰それとうだけに終わらず、たとえば画家の小島虎次郎も、その才能や、真面目な人間性に引かれて、大原の援助を受けます。

 小島にヨーロッパを見聞させ、彼自身の能力も磨かせながら、一方では、小島虎次郎が気に入った絵の買い付けをさせていきます。この絵画がやがては大原美術館をつくる基盤になり、やがては倉敷を戦禍から守る要因の一助となっていくのです。このことは先だっての岡山での見聞録の稿で書きましたので繰り返しません。

 このような経緯を読んだだけでも凄いなあー!と感心するのですが、もっと、凄いことは、彼が、自分の会社で働いている女工さんたちを大切に取り扱っているという部分です。

 明治終わりの頃、日本は紡績業が盛んで、倉敷紡績も多くの女工さんが働いていました。この時代は、生産性の高い機械そのものを大切にしても、それを操る人間の処遇は、劣悪なところが多かったのです。しかし、結局は当時の共産主義運動など、社会運動や戦争とのかかわりでなかなかうまくいかないのですが。

 たとえ、自分が非国民といわれようが、正しいことは正しいと言い、自らを律しながら、このようにふるまえることの素晴らしさ。常に10年先のことを考えて今を生きている姿は凄すぎます。

 この本を通して、自分とって大切なものとは何か、また、真の「援助」や「友情」について考えさせられました。これは「自立支援」とは何かについても考えることができます。

 誰でも100%の援助は助かる。でもそれで誇りは維持できるのか。その援助は続くのかという問題は今でも介護保険等でぶつかるテーマでもある。

 この本を読み終えた今、再び、倉敷の町を歩きたい。大原親子がその一端を築き、倉敷の人々が誇りを持って残したあの町を歩いてみたい。素晴らしい人々の手でが作られた大原美術館という「思想」を、今一度感じてみたい、と思うのです。読んでから、見るか。見てから、読むか。どちらにしろ、再び行きたくなることには変わりがない(笑)。一読の価値ある本でした。さすが城山三郎先生。



【本データ】
 『わしの眼は十年先が見える −大原孫三郎の生涯−』
  城山三郎・著、新潮文庫、1997年刊、552円(税別)
 

図1 読んでみちゃいましった!.jpg

図1 読んでみちゃいましった!


(To Be Continued!)
posted by さとうはあまい at 13:10| 島根 ☁| Comment(0) | TrackBack(1) | 読んでみた! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月19日

奮闘記・第025回 読んでみた!/東京都

●本の分野● 介護技術


『古武術介護入門』を読む


(2007年9月5日 東京都豊島区・旭屋書店池袋店にて購入)



『古武術介護入門』か。そういえば、この前、テレビでなんだかやっていたっけ。介護技術に古武術ってなんかねぇ、という人もいるやも知れません。

 佐藤も介護技術講習主任指導者として、介護技術を指導している立場でいうと、介護技術には基本的にボデイメカニクスを活用して、介護職も、利用者も安心して、痛くならない介助方法があることはある。

 ただ、無理を強いられる現状ではその方法で常に行うゆとりを持てない(つまり手っ取り早くやろうとする)から、結局は身体を痛めてリタイアしてしまうんだよね。

 しかも、介護福祉士国家試験の実技試験でのポイントは、全介助ではなく、自立支援に向けた介護技術を重視しているからねぇ。

 まっ。介護職をサポートしている佐藤とすれば、「知らないよりは知っていたほうが良い」程度で眺めた本ですが・・・・。

 これが凄い。目からうろことはこのことをいいますよ。

 とにかく、この本を片手に読み始めると実践したくなっちゃた。だから、ためしに、そばにいる人に、協力をあおいでやってみた。

 すると、何じゃこりゃぁ〜〜〜!この手つきは、すでに、佐藤も実践の場で、無意識にやっていたではないかぁ〜。

 特に、第2章では、「古武術介護の6つの原理」について、写真と絵をふんだんに活用して、解説をしている。著者自身も介護職。だから介護職員が理解できる言語で解説できるんですよ。

 この部分が、今までの小難しい、しかも何通りもやり方があったり、使えない場面の多い介護技術の本とはちがうところなんだろうな(笑)。だって、すらすら読めちゃうもの。

 介護職員が、利用者に全介助を行う機会が多い、施設現場などで働いている介護職は、自分の身を守り、援助を受ける人も楽だというこの介護方法を読んでみたらいかがかしら。

 DVDがついているので、職場で購入して、仲間同士わいわいがやがや言いながら練習してみてもいいのではないかなぁ〜。まぁこの本の著者はそういうこと(介護技術を論じ合う)ができない、閉鎖的な、でも一般的な介護現場”にいたからこそ、生まれた方法なのだということは皮肉なことだが。

 実際、古武術でもなんでもいい。異業種技術や考えでも、いいもの、いい技術なら取り入れていける風通しのよい職場を創ること。それが利用者だけなく、介護現場で働く自分の未来のためにも繋がっていく。この本はそんな可能性のひとつを見せてくれた気がします。皆さんもぜひ手にとって眺めてみては。

 ではまた本屋さんで会いましょう!



【本データ】

 『古武術介護入門』[DVD付]

  岡田慎一郎(著) 医学書院、2006年8月刊、定価3150円(税込)


図1 これがその本。となりは吉備津神社の御札(笑).jpg

図1 これがその本。となりは吉備津神社の御札(笑)



(To Be Continued!)

posted by さとうはあまい at 16:14| 島根 ☀| Comment(0) | TrackBack(1) | 読んでみた! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月08日

奮闘記・第018回 読んでみた!/東京都

●本の分野● 介護支援専門員


指定居宅介護支援事業所の

コンプライアアンス


(2007年8月31日 東京都豊島区・ジュンク堂書店・池袋本店)



 コムスンの施設系事業及び在宅系事業の譲渡先が決まりましたね。佐藤は、そんな、ある日、涼しくなったので、池袋駅東口にある「エアコンがあまりきかない」ジュンク堂書店へ行きました。

 えっ、何か問題でも? 恒例の書店徘徊をしていたわけですよ、はい。そこで、こんな本をみつけましたよ。


図1 これですこれ! あれ? 佐藤の本が!(笑).jpg

図1 これですこれ! あれ? 佐藤の本が!(笑)



 帯には「コムスンショックを吹き飛ばせ!」との文字。本の題名は、

 『指導・監査に負けない ケアマネ事業運営のポイント70
  初任者から独立事業主まで知っておきたいケアマネの業務の
  すべて』

 なんだか長いわね、ははは。どれどれ、果たして介護業界はコムスンショックから抜け出すことができるのだろうか、というかコムスンショックってなんだ? そんなものだいたいあるのか? 当事者はともかく、こんな縛りのある介護保険制度や、介護報酬じゃ、遅かれ早かれ、どこかがああなることはわかっていたような気がする。

 でもまじめにやっている現場の当事者にはさぞかしショックかもしれない。だが、そんなうまい話があるのかしら? 疑心暗鬼でひらいてみました。

著者の一人、(株)ウエルビー代表取締役・青木正人氏はこの本の「はじめに」の中で、

 経営=マネジメントとは、「経営資源を有効活用し、業務遂行・目標達成を効果的に推進し、理念・目的の実現に至るプロセス」のことである。と述べて、介護支援専門員の業務であるケアマネジメントのマネジメントと事業所のマネジメントは同じようにPDCAをマネジメントサイクルに即って実現されて行く。さらに、

 コンプライアアンス(法令遵守・倫理遵守)を原点に、「ビジネスとしての居宅介護支援事業所が継続的・安定的に成果をあげること」が介護事業の社会的信認を高め「介護支援専門員がその専門性を遺憾なく発揮し支援のプロとして認知されること」が、わが国が真に豊かで心地よい社会となるための不可欠な要素である。

 としている。これは、介護支援専門員の死活問題として、もっともなことでしょう。ただ今回の改正に伴い、指定居宅介護支援事業所の管理者は介護支援専門員でなければならなくなったのだから、介護支援専門員は、指定居宅介護支援事業所がどのようにすれば、継続的・安定的に成果をあげられるのか、考えなくっちゃなりませんよねぇ。

 まず介護支援専門員は、介護保険制度改正に伴い、受け持つことのできる利用者数が35件と決められてしまい、地域包括支援センターからの委託を受けて受け持って、介護予防のケアプラン8件を足しても、計43件に留まります。

 だから、誰でもこの数字だけを考えれば、独立しても経営は難しいと考えるでしょう。これも当然のこと。経営って非常に難しいからね。

 だけど、この本では、経営をするためには、特定事業所加算をとることを奨励しています。ふむ、ふむ、なるほどねー。特定事業所加算を得るということは専門性の高い人材を確保し、地域全体のケアマネジメントの質の向上に資することにもなるわけだからね。

 ちなみに、この本の項目立ては下記のようになっています。居宅介護支援事業所の現状から、独立する手法。さらには事業所をつくるためのノウハウが満載です。


 
 第1章 介護保険制度見直しから読めるケアマネジャーの未来

 第2章 既存の居宅介護支援事業所から独立したい!

 第3章 居宅介護支援事業所をつくる!

 第4章 居宅介護支援事業所を経営する!

 第5章 他の福祉・医療機関と連携する!

 第6章「居宅介護支援事業所の経営を継続するために



 特に、第3章では居宅介護支援事業所をつくるノウハウが満載。株式会社設立のためのプローチャートや、都道府県から指定を受けるために必要な指定申請書類の書き方も記載されているではありませんか・・・。

 うん?これってもしかして、私の本と同じで、申請用紙のつくり方ではないか!

 さらに第5章では介護支援専門員に必要な他職種と連携するノウハウが満載、各サービス事業所の特性から、介護支援専門員が「知りたい」であろうという視点をふまえて紹介している。ここが、他の経営本とはちがうところだろうな。

 なぜ、経営部分ではないところまでが詳細にあるのか思いきや・・・。

 「おわりに」で、共著者、NPO法人ケアマネージメントサポートセンター理事長(「おわりに」でケアマネジーメント〜になってたわよ、いいのかしら)・長谷川佳和氏が、「自分でもこんな本があったらいいな」というものを形にしたかったとのこと。なんと、この先生自身が独立ケアマネなんだぁ〜!と納得!!


■『指導・監査に負けない ケアマネ事業運営のポイント70 
  初任者から独立事業主まで 知っておきたいケアマネ業務の
  すべて』


 青木正人・長谷川佳和(共著)
 日本医療企画、2007年、2800円(+税)


(次回へつづく)

ひゃ〜 島根2.jpg

来週は、またまた島根! 楽しみにしております。
他の地域の方々も、ぜひぜひよろしくお願いします!!!


posted by さとうはあまい at 16:40| 島根 ☀| Comment(1) | TrackBack(1) | 読んでみた! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする