2008年05月09日

奮闘記・第213回 首都圏/東京都

●ちよみの感動● 検索ワード


五月晴れの隅田川をゆく

(前編)

〜吾妻橋に佇む〜


(2008年5月某日 東京都台東区/墨田区)



 さてさて、5月の大型連休が終わりました。皆様はどのような過ごし方をされましたか?もっとも、かいご職の皆様には、カレンダーに勝手に決められている(?)赤丸、白抜き数字は、当面関係ないのかもしれませんねぇ〔佐藤もそうでした〕。

 佐藤は、たまたま、3日の日にふと「都内は空いているだろう」と出かけてみたのですが、車で高速道路に入ると(そりゃそうだろう)、首都高速は、行楽地へ出かけた人と入れ替わりに、地方から東京に遊びに来る人々が押し寄せ大繁盛! 大渋滞!!(泣)

 なかには、福岡や、群馬、宮崎や、広島などのナンバーをつけた車をみかけてしまいました(沈黙)。

 そんなわけで、遠出をせずに研究所にこもってブログの管理などをしていると、皆さんが佐藤のブログを探してくれる検索ワードが、連休が近づくに連れて、「ヒミコ」の文字が目立つようになりました(笑)。

 そうですか、そうですかあれがよいのですか。皆様がヒミコに興味があるのであれば再びリサーチをする必要がありそうです。

 ということで、浅草までゆくわけだが結果的にはヒミコには乗れなかった。そう、水上バスには時間と種類があったのでした(再び沈黙)。

 それはまた後ほど、さて浅草・吾妻橋に到着。この吾妻橋の近所には、アサヒビールの巨大なモニュメントがあり、俗にウン●ビルと言われている。佐藤が勝手に言っているのではなく、地方へ言ったときに地元の方に伺うと、「浅草って、あのウン●ビルが……」と言われるくらい有名ですよ(笑)。


図1 吾妻橋からスタート!!.jpg

図1 吾妻橋からスタート!!


 そんでその界隈には、墨田区役所や、隅田公園がある。そういえば、墨 田区の訪問介護事業者連絡会が主催した研修を担当させて頂いたことがあったなぁ〜、などと墨田区役所を見上げていた佐藤の目に飛び込んできたのは、なんと、あの勝 海舟先生の銅像でした。先生の銅像の台座には「勝 安芳」と書かれています。

 しゃらくさい碑文に寄れば、勝海舟(安芳)は江戸本所亀沢町(両国4丁目)生まれだそうな。海舟先生は、幕末と明治の激動期に、世界の中の日本の針路を洞察し、卓越した見識と献身的行動で、海国日本の基礎を築き、多くの人材を育成したとあります。

 また、西郷隆盛との会談によって江戸城の無血開城を取り決めた海舟先生は、江戸を戦火から救い、今日の東京の発展と、近代日本の平和軌道を敷設した英雄であると書かれていました。ものは言い様だ(笑)。

 幕末とはいえ、そんな甘ったるい正義だけで無血開城が行われたとは思えないが、海舟先生がいなければ、日本が朝鮮半島や、かつてのドイツのように、箱根を境に「東日本」「西日本」(JRじゃないよ)に分かれて、それぞれ英仏の植民地状態になって争いが続いた可能性もあるのだから、海舟先生の功績は大には違いない。

 ここにある海舟先生の像は、「勝 海舟の銅像を立てる会」から墨田区に寄贈されたものだとか。確かに卓越した見識のある海舟先生を象徴しているように、こちらの銅像は、まさしく、自分の前方を指差し、前を見据えて凛々しく鎮座されていました。佐藤も勝 海舟先生にあやかってしっかりと前を見据えて歩いていくことにしましょう。


図2 前を見据える勝海舟先生像.jpg

図2 前を見据える勝海舟先生像



【牛島神社】
 さて、このあたりに牛島神社があるはずですが、なかなか、ない。犬を散歩されている方に尋ねると、「この公園の奥にありますよ」とのこと。さっそく、公園の中を闊歩していくと、遠くに小学生の集団が見えます。ほらきた! また小学生だ。

 ここは群馬県ではないので気をつけないと。警戒しながら近寄りよると、子供達は、写生用の画板を持ちおとなしく並んでいた。群馬県の子供達と同じ躾をされた子供達を期待してはいけない、そう言い聞かせながら、鳥居の前まで行ってみると、ほら、がっかり。本当にがっかり。

 何にがっかりしたのかというと、なんと、鳥居の真下に、画板を広げて自分の居場所を確保しているのです。それも、数名で固まっている。通行人にはなんの配慮もなし。

 確かに大声は出さない。皆、熱心に絵を描いてはいる。まぁ美味い下手は別にして。とにかく、これでは参拝客が中に入りにくい。絵を各場所ではないよ、ここは。先生もそばにいてもその程度かい、東京の●カガキは。

 なるほど、新聞に出ていたように、110番に電話して「家にゴキブリが出てこわい」と警察を呼ぶようなバカ夫婦も確かにいるだろうなぁ、この街には。この子らの親なんてそんな感じの親ばかりだろうな。

 まぁ市民のためとはいえ、わざわざ出向く警官も警官だ。ストーカーの相談には全然のってやんなくて、何人も善良な市民を見殺しにしてるのにさ。価値観がおかしいよ、まったく。

 見殺しにしたのが後ろめたいのかもしれないが、それは穴埋めになってないよ、全然。まぁしゃーない、こちらがよけて通りますわい(すっかりブルーな気分)。


図3 牛島神社の狛犬(子どももいた).jpg

図3 牛島神社の狛犬(子どももいた)


 さて、この牛島神社は、明治維新の前は本所表町(現在の墨田区東駒形)の最勝寺が、その別当として管理していたそうな。明治初年の神仏分離後「牛の御前」の社名を「牛島神社」と改め、郷社に定められたそうです。ふうん。

 古くは、本所区向島須崎町七十八番地にあったそうですが、関東大震災後隅田公園の設計の都合上、昭和の始めに現在の位置に再建されたらしい。

 神社に伝わる縁起によればと、慈覚大師が御神託によって、須佐之男命(スサノオノミコト)を郷土守護神として勧請して創祀した後に、天之穂日命(アメノホヒノミコト)を祀り、ついで清和天皇の第七皇子・貞辰親王が、この地でなくなられたのを大師の弟子の良本阿闇梨が、その神霊を併せてお祀りしたそうな。


図4 境内はすがすがしい.jpg

図4 境内はすがすがしい


 実は、この慈覚大師・円仁(えんにん)が凄い! 

 日本初の大師号を受けた天台宗の高僧。最後の遣唐使として唐に留学し、唐から天台教学と密教を系統的に学び持ち帰った延暦寺の中興の祖。没後に朝廷から諡号、慈覚大師を賜った。

 その後に頼まれて(ほんとうに)、その師・最澄(伝教大師)、空海(弘法大師)が授けられている。

 東京・瀧泉寺(目黒不動)や山形・立石寺、宮城・瑞巌寺(松島)などの開祖といわれる。たぶんに伝説的だが、慈覚大師が開山や再興したと伝わる寺社は、関東だけで200寺を越えて、東北にも多数ある。長くなるので慈覚大師の話はここまで。

 関東大震災のときにもこのあたりは被害が凄かったらしい。第二次世界大戦下の東京大空襲では、このあたりは一面は火の海だったという話も聞いたことがありました。

 牛島神社は、このような災害(ある意味人災)をくぐり抜けて、現在は地域の人々に愛されている街の神社として鎮座。



図5 鳥居の真下での写生は参拝客が入りにくい!!.jpg

図5 鳥居の真下での写生は参拝客が入りにくい!!


 だから、子供達も絵を描くのは良いが、もう少し、他者に対して気遣い、まともな人間になってくださいな。君たちには、まだ時間はたくさんあるんだからさ。(でもぼうっとしてるとすぐだよ!)

 隅田公園から、水上バスに乗るため、吾妻橋まで戻ります。「ヒミコ」の他にも、「竜馬」「道灌」「海舟」など、いろいろあるようです。さて、どれに乗れるのでしょうか? ではでは!!


(To Be Continued!)
posted by さとうはあまい at 16:31| 島根 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 見聞録(首都圏版) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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