2020年06月20日

奮闘記・第1101回 読んでみた!/東京都

●2020● 本の分野:人類学

【お久しぶり】


山極寿一・著

『スマホを捨てたいこどもたち 野生に学ぶ「未知の時代」の生き方』を読む



新コロナ感染症が収まるんだか、収まらないんだかよくわからないまま、季節は進み、もう、梅雨に入りました。同時に、気温のアップダウンが激しく、昨日と今日で最高気温が10℃も違ったりします。

この気温差は、ステイホームで筋力が低下している体に、重くのしかかり(座敷わらし?)意欲低下に浸っている佐藤であります。皆さまはいかがお過ごしでしょうか?

さて、佐藤は非常事態宣言が有耶無耶・・・いや徐々に解除されていく、5月29日にラジコ(スマホで聴けるラジオ)をかけながら、研修資料を作成していました。

この日は、金曜日。ラジオはTBS「有馬隼人とらじおと山瀬まみと」です。ゲストは、京都大学総長山極寿一氏です。

山極氏は、日本を代表する霊長類学者であり、ゴリラやチンパンジーの研究を重ねており、30年以上も、日本やアフリカで「フィールドワーク」(つまり、屋久島でニホンザルと過ごし、アフリカでゴリラとともに過ごす💛)を重ね、サルや、ゴリラやチンパンジーの生態の研究をもとに、教育など、様々な分野の未来を描いている方なんだとか。

番組の中で有馬さんが、コロナ禍の今、人間はどのような行動をとれば良いのか?とたずね、特に食べることに焦点を当てて伺っていました。

山極氏は、「サルやチンパンジーなどは、食べることが喧嘩の原因になってしまうから、他者と距離を取って食べるのが当たり前。しかし、人間は家族とともに食事をすることで、ある意味、他者と同調することを学び、社会性を身につけて来ました。また、社会に出てからも、食事(酒を飲み交わすなど)を通して、他者との信頼関係を深めて来ました。それが、このコロナ禍の今、「他者と社会的距離を保ちながらも、楽しく食べられるような方法を考え行かないといけない」と話されました(人間は他者と関わり同調し合うことが大事)。

そして、話題の先は、山極氏がお書きになった『スマホを捨てたい子どもたち』へと移っていく。有馬さんは、先行して拝読していたとのこと。スマホを通した対人関係について、山極氏に、様々な質問を投げかけていく。

すると、山極氏からは、

「今はインターネットで、自分の時間が妨げられている。それは相手が目に見えないから、双方で好きな時間に、言いたいことを言っている。そして、返信が無いと、怒ったりするので、自分が他のことをしたいと考えても、その関わりに返信をしないといけないという気持ちに陥っている。

スマホさえなければ、そのような感情に振り回されずに済む。また、文字は書き手と読み手の間に存在して、時に書き手の伝えたいことが、読み手に素直に伝わらず、誤解を招くなどということもある。

それが、対話となると、双方は相手の顔を見ながら、(相手の立場を考えながら)自分が伝えたいことを話す。また、受け手は、話の意味がわからなければ、聴き直したり、さもなければ、話し手が、顔の表情を読みながら、必要な情報を足したりもできる」
などなど。

ラジオに耳を傾けながら、「なるほど、そうだよなぁ。やっぱり《対話》って大事なんだよなぁ」と思いつつ、有馬さんと、山極氏の会話を聞きいってしまった。

佐藤も「コミュニケーションスキル」の講師のはしくれとして、山極氏の書籍を読んで、学びを深めたいと考えた。ちなみに山極氏が書いた『スマホを捨てたい子どもたち』は、《6月8日》発売。

まだまだ書店にはないよねぇ・・・と思いつつも。《5月31日》に「本屋!本屋!本屋!」とシュプレヒコールを繰り返す、ひゃ〜参謀を引き連れて、池袋のジュンク堂書店へ出向いたのでありました。

さてさて、山極先生の書籍はいずこに?

すると、ジュンク堂の配置を隅々まで熟知している?ひゃ〜参謀が「そのジャンルは7階でっせ」と、佐藤をさくさくと7階へ誘う。そして、エスカレーター降りてすぐの「サル」のコーナーに、ありましたよ!ありましたよ!ありましたよ!w

山極氏のコーナーが!そこにはゴリラに囲まれて幸せそうにほほ笑む山極氏の写真が飾られていた。

ただ、当たり前ですが、佐藤が望む書籍はまだない。そうか、やはりないかぁと思いながら、過ごすごと引き上げた。

そして、《6月6日》の土曜日、自分の経験から(佐藤も書籍を出していますのでw)発売日より前に店頭に並ぶこともある、という淡い期待のもと、再びジュンク堂へ行きましたが、望みの本はなし。

ただ、『京大総長、ゴリラから生き方を学ぶ』が単行本から文庫本となっていたので、そちらをゲットし、一足先にこちらを読み進めた。

山極氏は、屋久島のサルや、高崎山のサルなどと共に生活をしながらサルの習性を研究したとのこと。その上で、アフリカにわたり、ゴリラの群れの中で共に生活したことなどが書かれていた。

サルとゴリラの決定的な違いは「食事」と、「コミュニケーション」の仕方である。

サルは餌を食べる時に、他のサルに取られないように、我先にと餌を取り、安全な場所へ運び食べる。家族だからと言って決して一緒に食べることはしない。

しかし、ゴリラは、群れで一緒に食事を食べる。赤ちゃんゴリラは、《大人》が食べている葉っぱを見よう見まねで食べるようになり、《大人》は赤ちゃんに分け与えたりもする。そして、食事を通して、様々なことを学んでいくのだとも。

実は人間も同じで家族で食事を食べると言うことは、赤ちゃんが最初に出会うコミュニテイ(家族)のなかで、やれ、「お兄ちゃんの方が多い」とか、「妹の方が美味しそう」だとか。ささいなことで口論をしながら、何をして良くて、何をしてはいけないかなどの社会性(相手の立場になって考えたり、感情の出し方など)を学ぶ場でもあるというのだ。

また、サル同士が目が合うと、低位の者は目をそらすしぐさをしたり、グルーミング(毛繕い)にまわったりする。そのような態度をしないと、《有意なもの》に襲われる危険もあるのだ。だから、山極氏も、サルと目が合うと、必ず目をそらすようにしていたという。

そのことを《肝に銘じている》山極氏ではありますが、ある日ゴリラの群れの中にいた時に、一頭の若いゴリラが、自分に近づいてきて、顔を覗き込んだのだとかw。

山極氏は「これは危ない!」と思い、目をそらし下を向いたのだが、そのゴリラは、さらに近づき、下方から自分の顔を覗き込んでくるのだとか。そこでさらに自分は視線をそらすために横を向くしぐさをしたらしい。すると、そのゴリラは声を出して、その場を去っていった。

そこで山極氏は考えた。「今起きたこと」を振り返ったという。うん?もしかしたら、あのゴリラは自分に興味を持って近づいてきてくれたのかも。それを自分が無視したから面白くなかったのではないかと捉えたとのこと。

その証拠に、その後はゴリラと目があった時には、目をそらさずにいても、相手から攻撃を受けるようなことは無く、しばしゴリラは山極先生の顔を見つめていたと言うのだ。

なおも継続してそばで生活をする中で、ゴリラも自分のテリトリーを持っている。ゴリラの方で近寄ってもらいたくない距離(フィジカルディスタンシングphysical distancing:身体的距離の確保)に何者かが入ろうとすると、ドラミング(胸をたたく行為)などを行う。つまり、それ以上はダメと注意喚起をする。

ゴリラは、一頭のオス(シルバーバック)と複数のメスと子どもたちと暮らしている。このオスは実に子煩悩で、子どもたちがそばに寄ってきて、寝転んだり、大きな背中によじ登り、滑り降りたりして遊んでも成すがまま。

ただ、周囲の状況には気をつけ、何か危険を察知すると、ゆるゆると移動を開始する。その関わりの中で子どもたちは、様々なことを学んでいくのだ。

山極氏は、シルバーバックのドラミングは、歌舞伎役者が行う「見得」(演目の見せ場での役者のポーズ)のようなものだろうと述べています。

ドラミングをする時のオスは、相手に対して、一歩も引かないという態度をとる。それは、相手に対して、頑として自己主張を行い、相手と対峙しようとする姿である。この群れの中でドラミングを行う姿は、まさに見得のようで、泰然自若としている。

泰然自若とは、自分だけでできるものではなくて、他者がそう感じてくれるからこそ、泰然自若たり得るのだ。それがすなわち品格というものではないかとも説く。

なるほどねぇ、もちろん、他にもたくさん学べることは有りますから、こちらもお勧めの本ですよ。


さてさて、ここから、ようやく、佐藤が興味を持っった本に移りますねぇw。

ええ?ここからが本題というか、先に『京大総長、ゴリラから生き方を学ぶ』(朝日文庫)を読んでいた分、こちらの本も理解しやすかったのだと思います。

さて、発売日から遅れた《6月12日》。再度、ひゃ〜参謀とジュンク堂へ行きました。7階までエスカレーターにてノンストップで乗りました。

すると・・・・ありましたよ!ありましたよ!ありましたよ!山極氏とゴリラが表紙になった本が!!!(笑) 自宅に戻り、夕食の調理もそこそこに、読み始めました。

すると、なんと!この本は読者に伝えたいところは文字を大きくしたり、太文字にして目立させているではありませんか!!とはいえ、佐藤は、その文字だけではない所にも共感しながら読んでいったのですがwww。

山極氏は、この頃は、高校生や小・中学生とも関わりを持っているとのこと。それは将来大学に入ってくる若い世代のことをもっと知らないと、これからの大学像は描けないと思ったからとか。

そこで、子どもたちに「スマホを持っている人」とたずねるとほとんどが手をあげる。次に「スマホを捨てたいと思う人」と聞くと、意外にも多くの子どもたちが手をあげると言うのです。

そして、今の世代は、生まれた時から、インターネットがあり、スマホを身近に使って、ゲームや仲間との会話を楽しんでいるように見えるが、その若い世代も、実はスマホを持てあましているのではないかと感じたというのです。

まぁ書籍の内容は、先日有馬さんとの会話において大まかに説明された通り、今は対話するより、文字をやり取りしながら、意思疎通を図っているが、文字は情報を得ることはできるか、感情を得ることはできない。また、与え手と受け手の感情の違いから、思い違いなんてことも生じることが多いにある。

ただし、文字からは情報を得ることができるために、常にインターネットを見つめ、新たな情報を得ないと不安であったり、自分が社会からおいてけぼりをくらうと考えて、スマホが無いと不安になると言う。一方でそのようなインターネット社会では、他者の目がしがらみや視線の暴力となって個人にのしかかるとも。

そこで、山極氏はスマホにかじりついているなと思う人は、スマホラマダン(スマホを持たない日)をやってみるといいと思うと説く。さすれば、スマホの利点も欠点もわかるようになるのではないかとも。

人間の社会性は、食べ物を運び、仲間と一緒に安全な場所で食べる「共食」から始まった。これは、先述の書籍にもありましたが、人間は他者と物を食べながら話を深めていく。

それが1対1で話していて、話が行きづまると、飲み屋のおかみさんが間に入って助言をしたりする。すると1対1の会話が2対1の会話に変化するのだ。

そのような関わりの中で人は同調するすべを身につけ、他者の気持ちを大事にし、同時に自分を誇らしく思ったりするのである。スマホではこのような関わりはまずないだろう。

山極氏は、あと書きにて、この本の執筆を終えた頃、新型コロナウイルスが突如として襲来された。そして、3つの密(密集・密閉・密接、いわゆる3密)が重なる条件をなるべく避けるようにと言われるようになった。

そうなると自分たちが当たり前のようにしてきた、他者とのコミュニケーションのやりかたも変わりつつあるのだ。

山極氏は、対面コミュニケーションの大切さを説いてきたが、これからは違った形が求められるかもしれない。ただし、その手段がスマホに依存する形であってはいけないのだ。3密を意識しながらも、対話はできるはず・・・とも。

そうそう、すでに世の中は、新たな生活様式とやらを取り入れています。

デパートでは、受付嬢が、マスクにフェイスシールドを付けてお客様を迎えている。買い物をして、お金を支払う場所には、透明なビニールシートが垂れ下がっていますね。

また、テレビのキャスターや、ゲストは一定の距離を保ちつつ、これまた透明な仕切りを間をおいて報道をしている。

また、リモート出演と言いながらも、観てる方にはさもその場にいて会話をしているように演出までしているのだ。佐藤は、これらを観る限り、社会は、スマホ社会ではなく、アナログな対面社会を求めているのだなぁとちょっとホッとします。

まだまだコロナ禍の脅威は存在しています。感染しないために、まだまだ自粛生活が続くのでしょう。スマホを持てあましたら、この山極氏と一緒にゴリラの世界を歩いてみませんか? その先には、コロナとの共存も見えてくるかも知れませんね。


■本のデータ

『スマホを捨てたい子どもたち 野生に学ぶ「未知の時代」の生き方』山極寿一著、ポプラ新書、860円+税、2020年刊。



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『スマホを捨てたい子供たち』ほか



もうすぐ、もうすぐ会えますよ!.jpg

もうすぐ、もうすぐ会えますよ!



(To Be Continued!)

posted by さとうはあまい at 09:28| 東京 ☀| Comment(0) | 読んでみた! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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