2019年12月13日

奮闘記・第1091回 見聞録/千葉県

●2019年● 千葉県成田市&香取市

久しぶりの聖地来訪

東関東自動車道で下総へゆくのだ!



さてさて、気づけば今年も残り少なくなりましたが皆様いかがお過ごしでしょうか?
佐藤は、相変わらず日々の出来事に負われる日々を過ごしております。

さて、そんな中で今回は千葉県に出向くこともあり、このチャンスを見過ごすわけにはいかないので、久しぶりにブログを更新することにした(笑)。

この日は、例によって研究所・ひゃ〜参謀を車に押し込んで、いざ東関自動車道にて目指すは、千葉県の神社である。

最初に向かったのは台方麻賀多(まかた)神社である。

研究所の迷車・カナメイシ君に「まがたじんじゃ」と入れると、佐倉と台方が出てきた。もちろん佐藤が選択したのは台方のほうである。


本日の天気予報は晴れであるが、高速道路から眺める景色は、雲が垂れ込め、どんよりとし、今にも雨が降りそうな気配であった。

「あれ〜! 晴れるんじゃなかったの?」

とつぶやくと、

「大丈夫晴れますよ」

とは、ひゃ〜参謀。このかた、無類の晴れ男なのだ。

そして、車が東関自動車道に入るころには、まさしく「太陽さん、聞き耳立ててたでしょう?」と突っ込みたくなるくらいに、なんと、雲間から真ん丸な太陽が「お待たせしました!」と言わんばかりに顔を出した。

そうなると、冬の陽射しは真上でではなく前から襲ってくる。もう、まぶしくてまぶしくて仕方がない。佐藤はおもむろにサングラスをかけた(893?)。

東関東自動車道は、成田を越えると3車線が2車線になる。佐藤はナビ様に導かれるままに富里で降りる。ゆるゆると市内を走り、やがて車は田園風景が続く道を走って行った。

そして、着いたのは、なんと船形麻賀多神社(のちに判明)であった。実は、台方の麻賀多神社は初めてではないのだが・・・。


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●船形麻賀多神社(奥宮)●



ちょっと記憶にはない風景であった(ひゃ〜参謀は、ここは目的の神社と違うのでは?と言っていた)。

でも、ナビ様はここだといったから!といいつつ、駐車場を探した。近くには幼稚園があって、その駐車場有るが、神社の駐車場がわからん。

そこで、鳥居前の空き地へ置くことに。その後、幼稚園の第1駐車場が神社のものだと判明した。まぁ神社やお寺はやはり幼稚園を・・・ハハハ。

鳥居をくぐり中に入ると、右側に何やら小山のようなものがあった。それは伝 伊都許利命(イツコリノミコト)の墳墓であったのだ。

その時は、挨拶はあとでとスルーして奥へ向かった。

すると・・・・、なんと緋色の鳥居が傾いているではないか! 良く見れば、ロープが、鳥居に播かれ、それを近くの木に結びそれ以上倒れないように補強してあった。

もしかして、これは今年千葉を襲ったいくつかの台風の被害かもしれないなぁ。我々は、その鳥居をくぐり、拝殿にて参拝を無事に済ませましたが残念ながらおみくじはなかった。

その後、奥にあるはずの大杉を探した。実は台方の麻賀多神社にはパワースポットとされる大杉があり、周囲を一周できるようになっていたはずであったのだが。

すると、なんと、ここにも大杉はあるにはあったが・・・しかし、そこは枝木が放置されており整備されていない状態であった。

この時点で佐藤は、まだ場所を間違えているという気はない(笑)。

これまた、台風のせいでこうなったんだと思い、そのまま杉の木を1周した。それにしては境内がボロボロになった感があったのだ。もちろん、目的の台方麻賀多神社と比べてではあるが。

「あんなに整備されていた境内がこんなにボロボロになってしまうのか・・・(あくまでも台方と比べてである。ハイ)」

まさに台風の脅威に対し、驚愕した。しかし、だんだん目指していた麻賀多神社ではないかもという思いも強くなってきた(遅い)。

なにしろ、この近辺だけ、麻賀多神社は、印旛郡市の台方、成田市1社、佐倉市11社、酒々井町2社、富里市2社、八千代市1社と、印旛沼の東側から南にかけてにだけ存在する神社であるが18社くらいあるのだ。

もしかしたら、麻賀多神社でも、違う麻賀多神社かも知れないということになった(早く気づけよ)。

そしてさきほどの小山の側にあった案内板をみると、そこが伊都許利命の墳墓(つまり船形奥宮)であることが判明した(笑)。

●奥宮の伊都許利命の墳墓●.jpg

●奥宮の伊都許利命の墳墓●



案内板によれば、この墳墓は「先代旧事本記」の中の「国造本記」に見える“伝 印波国造伊都許利命の墳墓”となっている。

伝と付くのは、応神天皇(当時は大王)が実在するとしても、4世紀後半の大王であるが、この墳墓(公津原39号墳)は、7世紀になってからの築造と考えられ、伊都許利命の墳墓としては年代が合わないからだ。ゆえに「伝」と称されている。

まぁ厳密に在位年代を出すのは不可能であろう。それにそこを深く考える必要はあまり感じないし。「考古学」とはまた別のものなのだ。でなければ、他の宗教も、例えば聖書なども語ることが難しくなるだろう。恐竜の存在はイエス様より前なんだからさ・・・。

伊都許利命とは、神武天皇の皇子・神八井命(多氏の祖)の8代目の御孫で、応神天皇の命を受けて、印旛国造としてこの地方を平定され、産業の指導などに多くの功績を残したとあった。「麻」とは「房」(ふさ)であり、麻(あさ)や大麻(たいま)である。房総半島は麻の一大名産地であったのだ。

なるほど! ということで、我々は、墳墓の中に祭られている場所で手を合わせた。まぁ、もともと伊都許利命の墳墓にも挨拶する予定ではあったのだが、まさか別の神社の境内にあるとは思わなんだ。

「伊都許利命が“先に寄っていけ”って言われたんだよ。“起きたことに偶然なし”だからね」

とは、ひゃ〜参謀

●麻賀多神社船形奥宮の境内●.jpg

●麻賀多神社船形奥宮の境内●



車に戻り、再度台方の麻賀多神社を再検索。有りましたよ、有りました(当たり前である)。ここから1キロちょっとのところに目指す台方麻賀多神社があった。さてさて、不思議な気分をのまま、本来最初に目指し、麻賀多神社に着いた。こちらは神社脇にも駐車場がある。


先ほど通った道を反対から眺めると、なんと、その山自体がまさしく墳墓の形をしているではありませんか。やはり、神様がこちらにもいるか
ご祭神は船形奥宮が稚日女尊(ワカヒルメノミコト)で、天岩戸伝説の発端となる事件の被害神(?)である。

こちらの神社が本宮が稚産霊尊(ワカムスビノミコト)で、伊勢の外宮の祭神・豊受大御神(トヨウケノオオミカミ)の母神であり、鹿島神宮・香取神宮の姉神でもある。ここが両神宮を結んでいるとも言われている。

●こちらが台方麻賀多神社●.jpg

●こちらが台方麻賀多神社●



さっそく鳥居をくぐり中に入る。そして手水舎で清め。拝殿へ。こちらは落ち葉が掃き清められてすでに朝の掃除が済んでいた。

拝殿では、今年1年が無事に過ごせたことのお礼をお伝えし、来年も元気で過ごせるようにお願いした。その後、後方にある大杉へ。

●台方麻賀多神社の本殿●.jpg

●台方麻賀多神社の本殿●


●台方麻賀多神社の東日本一の大杉●.jpg

●台方麻賀多神社の東日本一の大杉●



こちらの大杉は、周囲をまわれるように足場もしっかりしていた。佐藤は無病息災を願い、大杉さんからパワーを頂いた。

もちろん、「日月神示」(ひつきしんじ)が降ろされた場所として知られる天日津久神社も参拝。ここはご神名は不明とされるが、われわれになじみの深い、マニアの中では国常立尊(クニトコタチノミコト)と呼ばれる高級神霊とされている。

その後は恒例のおみくじタイム。うっ! 結果は末吉。まだまだ時期尚早らしい、ハイ。ちなみにひゃ〜参謀大吉であった。どうやら良きことがあるようですな、ハハハ。

●境内社の天日津久神社、何か降りてくるかも●.jpg

●境内社の天日津久神社、何か降りてくるかも●



ささ、次を目指そう。次は香取神宮にて、1年の厄を払う大祓いの茅の輪をくぐらんとな! 

どーんと香取神宮に着いた。ここは本来「鏡」、鹿島神宮が「剣」、麻賀多神社が「勾玉」。そう、東国の「三種の神器」を象徴になっているものとも言われている。

主祭神の経津主大神(フツヌシオオカミ)は、真経津鏡(まふつのかがみ)に由来する。八咫鏡(やたのかがみ)の別名とも言われ、上代の長さ・大きさの尺度の1つで、親指と中指とを広げた長さの八倍の長さ、非常に大きいことを表している言葉だ。

また、韴靈(ふつのみたま)の剣とひっかけ、フツは剣を振ると出る音のことで、何かを切る音とも。「フツ」は刀剣の神の名前というが、そもそもそれがおかしい。

熱田神宮にしろ、石上神宮にしろ、誰かの持ち物を神格化するのがおかしいのだ。ふつう、その場合は持ち主の名前で祭るだろう。だから神様の名前で祭らないのはその名前を「書きたくない」のだ。

太古の経津主大神の神格を下げたい勢力の仕業であろうな。古代、房(ふさ)の国では、畿内とは関係なく、関東では香取神宮の神様が中心であったが、畿内勢力に随分とぼやかされてしまった感がある。

さて、天気は神社にいる時は晴れ、外にいる時は曇りという、変わった天気のままである。駐車場に車を置き、境内から坂道を登り、奥宮からまわった。

奥宮の入り口にも手水舎なるものができて居たが、どうも使いにくい(流水じゃないとね・・・)。

さらに鳥居の前に奥宮対策の御朱印所もできかけていた。とうとう御朱印ブームもここまできたかという感がある。

香取神宮奥宮をまわり、押手社要石にも挨拶。その他の摂末社に挨拶して、本殿にゆく、楼門をくぐると大祓の茅の輪くぐりがたけなわであった。

●香取神宮境内社もまわる●.jpg

●香取神宮境内社もまわる●



●香取神宮の要石、こちらは凸型である●.jpg

●香取神宮の要石、こちらは凸型である●



●香取神宮に設置された茅の輪くぐり●.jpg

●香取神宮に設置された茅の輪くぐり●



まず社務所で初穂料500円を納め、形代(かたしろ)茅の輪守りを分けて頂く。その形代に名前と住所を書き、息を吹きかけるのだ。それを奉納してから、左にまわって、右にまわり、また左にまわって・・・・と恒例の人気イベントである。


ひとしきりガンガン陽の照る久しぶりの香取神宮を満喫した。さぁおみくじは・・・まぁ・・・何でしたね(笑)。お昼には門前の亀甲堂で釜めしセットを頂いた。ここも錆びれがちの門前通りであるが、ここは元気に頑張って居るお店1つである。店内ではおなじみの店のマスコット・九官鳥のキューちゃんも元気であった。

店員さんたちは、なんとその「キューちゃんTシャツ」を着て、動き廻って居たのだ。いや〜メニューに増えた釜めしも絶品であった。味噌汁もいい。

●香取神宮門前の亀甲堂さん●.jpg

●香取神宮門前の亀甲堂さん●



このお店もだんだんとバージョンアップしている。負けずに佐藤もバージョンアップしていかないとなぁw。

さてさて、さらに常陸国の奥座敷の位置にある某神社も目的としている。次回は・・・かもしれませんw。またお会いしましょう。ではまた!



●お店のマスコット・キューちゃん●.jpg

●お店のマスコット・キューちゃん●



(To Be Continued?)
posted by さとうはあまい at 11:05| 東京 ☁| Comment(0) | 見聞録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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