2017年11月08日

奮闘記・第1045回 見聞録/長野県

●2017年● 長野県大町市


同窓会に参加し、故郷にある素晴らしい神社をまわる

〜映画・「犬神家の一族」は長野県が舞台なのだ〜



知ってますよね? そんなの(笑)。

さて、気づけばもう11月。皆様はいかがお過ごしでしょうか。

佐藤は、現在は新潟県で研修中ですが、こちらの報告は後日の予定ですが、今回は長野県某所で開かれたわが同窓会と、長野県の日本最古の神明造、国宝・仁科神明宮の報告と見聞です。

佐藤は、中学の同窓会のために、先だって、信州・松本に向かった。参加者は、先生を含め20名ほどである。

いや〜、先生に再会したのは何年ぶりであろうか? 先生は、すでに齢(よわい)80歳を超えている。そりゃそうだ佐藤自体が・・・。さて、お元気そうで何よりである。

同級生とは、すでに昨年の同窓会で何人かと再会していた。前回来られなかったメンバーとも、今回再会できてので、嬉しかったwww。

お互いに齢を重ね、年輪を感じる様相となってはいたが、そこはそれ、口を開けば、名前よりも、古式ゆかしい(?)アダ名(ニックネーム)が出てくる(笑)。しばし談笑後、いよいよ会がスタート。

初めに「乾杯」・・・といきたいところであるが、おや? なんと、飲み物が来てない。そこで、飲み物が来るまでの間、ビンゴゲームをすることになったwww!

先生が、名簿を持ち、参加者の名前を呼び順番に籠をまわして、ナンバー(No.)の書かれたボールを取り出す。

先生が「〜さん」というと、呼ばれた生徒が「はい!」と言って手をあげて立ち上がり、前に出て籠をまわす。いや〜、このときの先生の声がなんとも張りがあって、素敵なこと。当時と全く変わっていない気がする。

場が盛り上がってきたところで、ようやくビールが届けられ「乾杯」となった。初めに、同級生の中で「亡くなってしまった方」に黙祷を捧げた。参加者がおのおのその方に思いを寄せるのだ。

乾杯終了後、再びビンゴゲームであるwww。やがて、リーチ(?)だ、ビンゴ(?)だとかで会場は大賑わい。酒宴は賑やかに続き、佐藤もあちこちで情報交換を行ってまわった。もちろん、先生にも、今していることや、本を出版したことなどを報告した。

話を聞くと、先生は目を丸くして、

「本を出したの? すごいね!」

と褒めてくださったが、中学生時代の私を知る恩師にとっては、よもや考えられないことであったのだろう。


「へえ、あの、ちよみがねぇ・・・」


と先生に感心されちゃいましたよ(笑)。

こうして、穏やかに時間は流れ、やがてお開きの時間となった。そして、お約束通り、みんなで《ふるさと》と県歌の《信濃の国》の合唱とあいなった。

《信濃の国》とは、長野県の県歌である。当たり前なのだが、佐藤は最近歌う機会がない(笑)。

もともと、この歌で「県民」の心をまとめようと試みたのは、江戸期に至るまで、信州は交通の要所でもあったことが大きい。

明治政府の考えは、旧来の「藩」などの地域を割って、県を組み替え、仲悪い集団(政府に反乱しにくくなる)にさせることが政策であった。交通の要所は「独占」ではなく「分権」されるため、明治期に成立した長野県は、他県よりも「特に」複数地域が寄り集まる、多地域の連邦県(違う藩)的になったのだろう。

県としてはそれでは困る。「長野」という名称を普及させ、県民の一体感を高めるために歌わせたのだろう(この歌、元々は信州大学教育学部附属長野小学校の校歌である)。今では考えにくいが、長野県民と言われることにそうとう抵抗があったのだ。

それでもこの歌ならみんな歌詞カードがなくてもすらすら口ずさめるから不思議である(笑)。まずは、楽しいひとときであった。みんな、ありがとうね。また逢えるといいなぁ〜!

さて、翌朝、佐藤はJR松本駅にいた。

そう、ここで、佐藤は研究所の「某007所員」が来るのを首を長くして待っていた。新潟県での仕事前に、チラと見聞し、新潟県へ入ろうという算段だ。

某所員は、朝っぱらの暗いうちから家を出、新宿駅始発のスーパーあずさ1号に乗らされ、2時間半しのぎ、無事JR松本駅に着いた。そこから降りてくると、


「7:00ちょぉぉどの〜あずさ1号でぇぇぇ〜」

というノリで降りて来たwww。しかし、松本市では残念なことに小雨が降っている。しかも、昨日より寒い。いかんぞ。佐藤は、出発直前の寒さを問うメールに対して、

「松本は暖かいから薄いので大丈夫!(冬装備不要)」

というメールを送った。ところが一晩開けるとなんとも寒い。すでにあずさに乗り、松本駅に着く直前の奴にメールしてあげた。


「やはり、松本は朝から寒い。厚手でもいいかも!」

とメールを送ったが、後の祭りであったwww。某007所員が、杖をつきながら改札を出てきた。佐藤は長旅の労をねぎらい、感謝した。

そう、某007所員は、約1か月前に左足腓骨を骨折したのだ。足はシーネ固定をしており、先日ようやくそのシーネが外れたというかwww、まぁ、外したばかり。無理はできない。

佐藤に対し、寒いだの朝が早すぎるなどと、ぼやく某所員を励ましつつ、研究所の車・カナメイシ君に、押し込んだ。向かうは、犬神・・・いや、仁科神明宮なのだ。

佐藤は長野出身だが初めてである。まぁ、研修も松本市自体では、たまにしかないし、通過もしない。JR松本駅から北へ約45分ぐらい。国道147号線を進むのだが、この日はあいにくの小雨。天気が良ければ車窓には、青木湖の背景として、北アルプスの山々が見えるはずなのだが・・・。

この神社は、角川映画「犬神家の一族」(1976年/原作・横溝正史)でロケ地になっている。

もちろん、架空の市が舞台であり(映画ではたしか那須神社だったかな?)、足が湖から着き出していたシーンは、少し離れた青木湖である(部分的には近辺の他の湖もある)。

本来の原作は諏訪湖がモデルだ。犬神家も生糸関連の名家がモデルらしいが、リアルはいかんので、ぼやかすためにいろいろ本や映画で変えてあるのだ。

さて、佐藤は、ナビ様に促されるままに、仁科神明宮に着いた。なんと、駐車場には湘南ナンバーの車や、多摩ナンバーの車が置かれていたので、びっくり! こちらの神社の知名度の意外(?)な高さと、人気度を改めて知った。犬神家の一族うんうぬんではなく、有名らしい。

仁科神明宮は、杉木立の中にある。参道には、厳かな空気が漂っており、我々は、手水舎で手を清め、境内に入った。


●仁科神明宮のご神木●.jpg

●仁科神明宮のご神木●


●仁科神明宮の参道●.jpg

●仁科神明宮の参道●



神社のホームページによれば、この神社は、古木が鬱蒼と繁る仁科の森に、平安の昔から鎮座する日本最古の神明造を持つ大町の神社だとある。祭神は、天照皇大神(あまてらす・すめおおかみ)で、本殿などいくつかの社殿が国宝に指定されている

ここは、むかし皇大神宮御領(信濃国内の御厨は全て伊勢神宮領)のひとつ、仁科御厨(神様の台所)を守る(正当性を主張する)ために、この地に勧請されたお社であり、信濃で一番古く、第31代の用明天皇(ようめいてんのう:587年ころ)とされる。

古族・仁科(にしな)氏が守っていた御厨、仁科御厨(神様の領地)は、信濃国以外の仁科氏はおおむね鎌倉時代、幕府に滅ぼされてしまったらしいが、400年の間、当地に生き残った仁科氏は終始その神役に従い、神明宮に奉仕していたが、1582年(天正10年)の織田(信長)氏の甲州征伐に遭い、武田氏ともども仁科氏も滅亡するのだが、なんだかねぇ・・・。

仁科氏が滅びてからは、松本藩主の小笠原貞慶以後、代々の松本藩主が当所を祈願所とし、式年造替も引き受けて奉仕し続けたが、1636年(寛永13年)の造替を最後に、その後はすべて新築ではなく修造(修理)に留め、現在に至っている。

そう、式年造替の資金が続かなかったのだ。皮肉なことに金がないゆえに、伊勢神宮よりも古い神明造の姿を残すこととなった。なにしろ、500年以上の長きにわたり、一度も欠かすことなく式年造替が奉仕されてきたのだから凄い。伊勢神宮はおおむね新築し続けたから新しい建物であるから古くても20年以上は遡れない(当たり前だ)。

現在の社殿は、寛永造替時のものと推定され、約300年前のもの。寛永14年からは黒印23石に改められ、かつ又徐地として村内ならびに一之瀬(八坂村) 堀之内(白馬)、借馬、野口(いずれも大町市)等に田畑山林、又青木湖一面等を有し、松本藩中最も多くの神領を保ったまま、明治維新を迎えたという。



●拝殿の前●.jpg

●拝殿の前●


●いや〜、紅葉がきれい●.jpg

●いや〜、紅葉がきれい●


●帰りで参道を振り返る●.jpg

●帰りで参道を振り返る●



我々は、しばし境内にとどまり、ご神気を頂いた。本殿の屋根は、苔生しその苔が小雨の中でも神々しく輝いている。とにかくこの神社を取り囲む古木の神霊たちのパワーがものすごいのだ。

佐藤も拝殿前にて手を合わせた。

その後、恒例のおみくじタイム。なんと、某007所員は「大吉」であった。ここで今日が出たらまさに骨折り損のくたびれ儲けにあるところだった。危ない、危ない。私? まあまあ(笑)。

参拝を終え、参道の鳥居をくぐり、ごあいさつのために後ろを振り向く。そこには、鳥居の外の世界と、神域の違いが確かにあるように感じられた。

佐藤は、こちらを参拝できたことに感謝を伝えるべく、深々と頭を垂れ、その場を後にした。すると、どうであろうか。駐車場を出たあたりから、上空の雲が開き、太陽が顔を見せてくれたのだ。

この日、お日様に会えたのは、この時間、この場所だけ。やはり天照皇大神様が、お見送りに出てきてくれたのではないかと思えたのだ。

さてさて、この仁科神明宮がある安曇野の地域は、冬は雪深い場所となる。さすれば、春花盛りの頃、再びいけたらいいなぁ〜! 皆さま、くれぐれもご自愛ください。



●境内の紅葉●.jpg

  ●境内の紅葉●


(ドイツ鉄道が新・特急列車に「アンネ・フランク」と名付けようとしたが批判で、再考を迫られている。まぁ、かつて強制収容所への移送を担ったドイツ帝国鉄道は同社の前身ですからねぇ。ドイツ政府もたいがいだが、真面目過ぎるとね!To Be Continued!!)
posted by さとうはあまい at 12:00| 島根 ☁| Comment(0) | 研修会のツボ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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