2013年09月26日

奮闘記・第899回 見聞録/東京都

●2013年● 東京都千代田区&文京区


スカンツ、お前は凄い奴だな!
(東京23区内放浪記)



皆様、中秋の名月はいかがでしたか? 今年は、天気に恵まれて、月の光がまぶしいくらいでしたねぇ。ちなみにスカンツとは、モケケだるまの「金運」担当のだるま君の名前である。


しかし、ウンベルト・エーコの『薔薇の名前』はミステリーの傑作なのだが、まぁ前回ノーベル文学賞も逃したから、文庫化は当分ないだろうなぁ……。


さてさて、巷ではiPhoneに人気が殺到。なんでも画面操作が簡単なんだとか。ただ、大きさがまたどんどん大きくなって来て、あれじゃノートPCと変わらん気もする。


その佐藤は、スマホどころか、パソコンの操作をよく知らなかったことが「よくよくわかりました」とさ。やみくもに、自己流でパソコンを操っていた結果、PCが「うわぁぁ、もうだめ!!!」(とは言いませんがね)てな感じで悲鳴を上げてダウンしました。かわいそうに(他人事?)。


佐藤は周りにいる人々を手あたり次第つかまえて、困りごとを伝えて、パソコンを見てもらいました。すると、どうでしょう。とても書けないような使い方をしていて、あきれられてしまいました。


仕方がないから、購入したお店(野郎ラーメンの近くに移転)にパソコンを持参して、緊急治療してもらった。HDを換装。データも無事。元気になって戻ってきた。さすが、コンピュータのプロですね。プロならば、こういうプロでありたい。


さて、今回はそのパソコンを受け取りに行ったおりに東京都の中の文京区界隈を散策したのでちょっとばかしご案内したい。


佐藤は、車で秋葉原に向かい、神田明神の近くの駐車場に車を置いて店に向かった。ここは某県の堀の中のソーシャルワーカーさんがいうようにそこらへんに停めていくと、あっという間にレッカーで連れて行かれてしまうからだ(窓口対応は遅いけど、こういうのは早いよね!)。都内にしては安いTimesの駐車場に入れていった。


お店の方に修理伝票を渡し、「再び」(微調整で2度目の来店)元気になったパソコンを受け取った。その足で、神田明神へお礼に行った。そう、修理に持参した折りに帰りにこちらに参拝して、無事に戻ることをお願いしていたのだ。


【神田明神】
ここは千代田区である。正式には「神田神社」という。神田・日本橋・秋葉原・大手町・丸の内・旧神田市場・築地魚市場など、いわゆる「江戸っ子」の総氏神である。


以前も書いたが、厳密には江戸開闢時に、徳川家と共に江戸入りして、徳川家に協力、日本橋から京橋(のちに神田などが追加)地域に住むことを許された商家の男性とのこと。まぁあと三代江戸に住んで云々という話もある。


武蔵国の国分寺がある府中や、浅草寺などの旧寺社勢力のいる浅草、武蔵国一の宮・氷川大社のある大宮はきれいに避けている。これは大和国(奈良県)の寺社を山城国に入れなかった朝廷と同じ考えでしょうね。ちなみに武家は江戸っ子とは言わない(もちろん、文京区も山の手だから江戸っ子ではない)。


この神田明神は、この江戸および東京に鎮座して1300年の歴史を持っている。江戸期には「江戸総鎮守」として、将軍から江戸庶民にいたるまで江戸のすべてを守護されてきた。そして、江戸城の表鬼門を神田明神が、裏鬼門を赤坂の日枝神社が守護している。


江戸城界隈は、一の宮も埼玉の氷川大社と、神奈川の寒川神社でテリトリーがダブる用に仕向けてある。江戸幕府がよくやる「二者で互いに監視させる制度)はここでも生きているのだ。


神田明神の主祭神は、現在は大己貴命(おおなむちのみこと)・少彦名命(すくなひこなのみこと)・平将門命(たいらのまさかどのみこと)である。いろいろあったが、平将門命は明治期にご祭神から外され、昭和59年(1984年)に祭神に復帰したのだ。


佐藤は、神々様にパソコンの復活を報告。そして、ここにしかない(?)という「IT情報安全守護2003(バージョンがあるらしい)」をゲット!


そのお守りは、3種類がワンセットで入っており(これが2003版のことで、2002版にはないらしい)、お守りがシールになっているのでパソコンに貼ることができるのだ。もちろん、放熱を妨げるところに貼ってはいけない。



●これぞ、IT情報安全守護2003である●.jpg

●これぞ、IT情報安全守護2003である●



その後、おみくじをひく。ほほう見事に大吉であった! よっしゃ、これで仕事がはかどるというものだ(笑)。そして森鴎外記念館へ向かった。


【文京区立森鴎外記念館】
ここはドンピシャ文京区である。森鴎外記念館では、記念館特別展の「鴎外と画家 原田直次郎 〜文学と美術の交響(シンフォニック)〜」が開催されていた(〜11月24日まで)。そうタイムズの駐車場前の掲示板でたまたま見た。二日後、パソコン屋さんでソフトの不具合の相談の際にはもうなかった。あの日、ここに車を停めなかったら見に行けなかったかも知れないねぇ。


佐藤は、ポスターに記載されているデータをナビ様にインプットして出発した。すると、団子坂に入った途端、やけに人が多い、車も渋滞をしている。みれば、近くのK高校で学園祭が行われており、そのため道路の両側を、学生や若人が列をなして歩いていたのだ。渋滞は困るが、いいですねぇ、お祭りというだけでワクワクしてきますよ。


佐藤は、若人の動きに注意しながら先へ進んだ。もちろん、森鴎外記念館には、駐車場はない。佐藤は、ナビ様にP(パーキング)のマークを出して、ポータブルト……いや、駐車場を探そう。


ところが、近くにはいくつもあるがすでに満車。仕方がないので、坂をくだり、さらに探してみた。すると、ありましたよ、ありました。小さい駐車場が。平日は銀行の来客用だが、土日祭日は格安で使える所が。


佐藤は、車を頭から突っ込み、その狭いスペースの中でぶつけ……もとい、数回切り返しを行い、ようやく、車をバックにてスペースに収納した(汗)。


ここ文京区は、その名にふさわしく、多くの文豪が住んでいた街である(ほとんど敬称略)。森 鴎外(本名・森林太郎)は、現在の島根県津和野町に藩医の長男として生まれ、幼い頃から論語や孟子、オランダ語などを学び、藩校の養老館、9歳で15歳相当の学力があったと推測される。


明治維新後10歳の時、父とともに上京。東京では、官立医学校(ドイツ人教官がドイツ語で講義)への入学に備え、ドイツ語を習得したのであった(ひゃ〜!)。その後30歳(明治25年)で、文京区に家を構え、60歳で亡くなるまで、家族とともにここで暮らしていた。


家は、団子坂上に位置し、増築した2階からは品川沖に浮かぶ舟の白帆が遠くに眺められたという。鴎外は海が見えるその家に「観潮楼」と名付けたのだ(ここが文豪を感じますねぇ)。



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●文京区立森鴎外記念館●



観潮楼は、鴎外が開いた歌会の会場としても使われた。会には、石川啄木斎藤茂吉木下杢太郎など、その他すんごい面々が来会。鴎外により西洋の最新の文学事情が伝えられた会であった。


その「観潮楼」は、鴎外が明治23年から一年余り生活し、約10年のちの明治36〜39年には夏目漱石が借りました。鴎外がここで小説の『文づかひ』などを発表し、漱石は『吾輩は猫である』を書いた。この地域も昭和20年に戦災にあったのだが、文豪たちが住んだ建物自体は1887年(明治20年)にすでに明治村に頃築されていたので無事であった。


以後、現在その地に残っている当時のものとしては、銀杏の木門の敷石、鴎外と幸田露伴、斎藤緑雨による辛口文芸批評(鷗外主宰・雑誌「めさまし草」にて行われた、鷗外、幸田露伴、斎藤緑雨の3人による作品合評をさす)のコーナーの名をつけた石、三人冗語の石(写真)である。



●文豪たちが座り語り合った庭と石●.jpg

●文豪たちが座り語り合った庭と石●



昭和24年に国立博物館館長だった高橋誠一が委員長となり、永井荷風佐佐木信綱齋藤茂吉らを中心とした鴎外記念館準備会が発足。昭和25年に「観潮楼跡」は記念公園(児童遊園地)となり、東京都の史跡として指定を受けた。


鴎外生誕100年である、昭和37年には、文京区立鴎外記念本郷図書館が建設され、鴎外記念室が併設された。


その後、平成18年の図書館の移転に伴い、記念室は独立して本郷図書館鴎外記念室となる。平成20年には、鴎外の遺品資料の保存環境改善のため、改築が決まり、鴎外記念室は休室。鴎外生誕150年の節目である平成24年には文京区立森鴎外記念館としてオープンした。


エントランスに入ると、横顔が浮かび上がった鴎外の彫刻が入館者を迎えてくれる。その横にある受付にて、特別展の観覧料500円を支払い、階段を下りて地下へ行く。そこにも鴎外の胸像が置かれていた。


鴎外は、明治17年から明治21年にかけて、陸軍衛生制度調査と軍陣衛生学研究のため、ドイツに留学している。


ドイツでは、ライプチヒ、ドレスデン、ミュンヘン、ベルリンの各地に滞在し学び、美術や音楽、演劇などの西洋芸術に出会い、それが、帰国後の幅広い活躍の礎となった。そのミュンヘンでの画家「原田直次郎」との出会いが、鴎外が美術に興味をもつきっかけとなったという。


特別展示室は「原田直次郎との出会い〜ミュンヘンでの日々〜と鴎外と原田直次郎〜文学と美術の交響〜」で構成されていた。


鴎外先生黒ハートの遺品である雑記帳書簡などが展示されている。また、原田直次郎氏揺れるハートが描いた、鴎外の小説の表紙や挿絵、原田氏が描いた小品(写真・スケッチ等)などが展示されていた。


特に彼の描いた神父像や、「騎龍観音」などは、観る者の足を止める逸品である。しかも、この「騎龍観音」は、なんと、東京国立近代美術館で、島根県出身の加納完蕾先生の戦争画山西省潼関付近の追撃戦」の絵のすぐ近くに展示されていたからよく覚えている。


この特別展には、若き日の森林太郎(鴎外先生)の写真も多く展示されており、鴎外先生が、ドイツでその青春時代を楽しんでいた様子がうかがえる。常設展では、写真や画像(動く鴎外先生)を交えて、鴎外先生の年表が紹介されていたり、こちらも興味深かいものがたくさんある。


佐藤は、観覧後に館内のショップにて、『ヰタ・セクスアリス』(ラテン語で「性欲的生活」だそうな。当時の発禁本ですが、まぁ当時は……)をゲット。もちろん、現代仮名遣いにはなっているが、果たして読破できるであろうか? まぁゆるゆるといきますわい。


その後、外へ出て庭を眺めてみた。そこに鴎外先生関係の写真でみる、幸田露伴先生・斎藤緑雨氏とポーズをつけている写真で、鴎外先生が腰かけている庭石が萩の花に見え隠れしていた。


【根津神社】
その後、徒歩にて根津神社まで散策(ここもまだ文京区)。先ほどの記念館裏の路地をまっすぐ進むと、やがて日本医科大学の裏に出る。根津神社は、道をはさんだ左前にある。ものの10分程度で着いた。


たぶん、森家の人々も、この路地を歩き、根津神社を参拝していたことであろう。たまに文豪の小説に出てくる神社でもある。たとえば、鴎外『青年』『細木香以』、漱石『道草』、寺田寅彦『柿の種』、宮本百合子『田端の汽車そのほか』、林不忘『丹下左膳(乾雲坤竜の巻)』、高村光雲『幕末維新懐古談』などなど。


●根津神社は秋の大祭中だった●.jpg

●根津神社は秋の大祭中だった●



主祭神は、須佐之男命(すさのおのみこと)・大山咋命(おおやまくいのみこと)・誉田別命(ほんだわけのみこと)である。権現造(本殿、幣殿、拝殿を構造的に一体に造る)の傑作と言われ、社殿7棟が国の重要文化財に指定されている。ここの例大祭は江戸時代の天下祭の1つに数えられているほどだ(たい焼きはうってませんでしたけど)。


この日は、丁度、その根津神社の例大祭で、境内には多くの屋台が店を出しにぎやかであった。帰りには山車や神輿にも遭遇。久しぶりに江戸の祭りを見た。これも鴎外先生が引き合わせてくれたのかもしれないなぁ!そうそう、前回はコロッと忘れていた鴎外先生の名前(森林太郎)が裏側に刻まれている石(奉納した砲弾の台座)が水飲み場になっているのだ。


さて、秋は始まったばかり、様々な秋に挑戦したいものだ。皆様もPCやスマホを大切に!ではでは。



●御輿に遭遇●.jpg

●御輿に遭遇●


●江戸情緒があふれていた●.jpg

●江戸情緒があふれていた●


(JR北海道はすごい。新たにレールの幅に170の異常箇所が見つかったという。旧国鉄時代のレール幅を基準にしたため、実際には補修が必要な箇所が放置されてきたらしい。ほほう、どこかの某議員がいうように、本当にクマしか通らないのかもしれないねぇ。だって電車が通ればもっと事故がなきゃおかしいもの。まぁそんな程度の仕事ぶりなら役員や社員の給料も、電車の運賃も、旧国鉄時代の値段でお願いしたいね!To Be Continued!!)
posted by さとうはあまい at 14:40| 島根 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 見聞録(首都圏版) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
先生、ご無沙汰しております。
と言っても僕の事を覚えていらっしゃらないと思いますが…(苦笑)

数年前に、東京町田の「アルファ医療福祉専門学校」で介護福祉士の実習免除の講習でお世話になった者です。先生が教えて下さったあの講義が、今は後輩の指導や実習生の指導にすごく役に立っていて、私の礎となっています。お礼を申し上げるのが大変遅くなってしまいましたが、本当にありがとうございました。

先生のご指導のおかげで介護福祉士に無事合格し、自分に自信がつきました。

ブログを拝見していると、全国色々な所で講義をされていて本当に忙しそうですが、くれぐれも体調だけには気をつけて、頑張ってください。
また、先生とどこかでお会いできたらなって思っています。
Posted by Kazuya at 2013年10月09日 05:06
Kさん。コメントをくださりありがとう。
介護技術講習に参加されて、介護福祉士となり、現在は後輩の指導や、実習生の指導にあたっているとのこと。素晴らしご報告のコメントを入れてくださりありがとう。

これからも、お互いに介護現場で働く人々の地位の向上をめざし、張り切りましょう。

何をするにも体が資本ですので、どうぞお体をお大事にして活躍願います。
ではまた。ありがとう。
Posted by さとうはあまい at 2013年10月10日 07:52
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