2011年04月12日

奮闘記・第697回 日記/宮城県

●2011年● 宮城県仙台市


東日本大震災・被災地をゆく

〜必要なのは「自立支援」である〜



東日本大震災から、1か月。


昨日も夕方、福島県と茨城県を震源に震度6弱、M7.0。今日も朝から、ケータイで地震警報がやかましい。千葉県東方沖を震源とする地震が発生し、香取市で震度5弱、M6.4。これも東日本大震災の余震だという。


すっかり、関東甲信越も東北も落ち着かない状況になった。


また、本日、原子力安全・保安院は福島第1原子力発電所の事故の評価を最悪の「レベル7」に引き上げることを決めたそうな。そりゃそうだろう。チェルノブイリ原発事故も確かにひどいが、あちらは一発吹っ飛んで、放射能を大量にばらまいたが、それで終わり。


こちらは解決の見込みすらなく、ジャブジャブ放射能を垂れ流すのだから、チェルノブイリを抜き去るのは時間の問題である。管直人が総理大臣である限り、隙あらば、増税と国債乱発で、国民の懐に手を突っ込み「人災」で国民は苦しめられるのだろう。「第二の明治維新」が起きないのが不思議なくらいだ。


東京電力も反省の色合いもないし、長引くだろうな。少しは大人になりなよって感じだ。



さて、数日前、佐藤は見舞いの品々と、手榴弾(これは嘘)をかかえ、仙台へ向かった。目指すは仙台市太白区にて通所介護事業を展開している昔からの知人宅である。


佐藤は東北道を駆け抜け、仙台を目指す。途中埼玉・群馬・茨城・栃木を越え、いよいよみちのく(東北)、福島に入った。


しばし行くと、「郡山」の標識が目に入った。その下には「ビッグパレット」という看板を見た。このビッグパレットふくしま。福島県社会福祉協議会さんからの研修で数回お邪魔しているなじみの場所なのだ。現在は避難所になっていると聞く。福島県社協の皆さん、参加して頂いた皆様はご無事だろうか。


さらに進むと、「福島飯坂」の標識が見えた。ここは今年1月にJA福島中央会さんからのオーダーで、「サービス提供責任者研修」でご招待頂き、泊まった旅館がある場所だ。


「そうそう、このあたりに、……確かあのビルが」


と思っていたら、高速の右側に「JA福島中央会」のビルが現れた。青空の下、その雄大にそびえるビルの姿に頼もしさを感じた。こちらも担当の伊藤さんはじめ、皆様も無事は確認できましたが、原発問題が解決しないと復興もできず、大変であろう。胸が痛みます。ご自愛い頂きたい。


さらに先を目指す。やがて、標識は「仙台南」となったここで、東北道をおり、仙台南部有料道路を進む。この仙台南部有料道路は、「あの」大津波が襲った地域へと、まっすぐに伸びているのだ。このあたりからパトカーや自衛隊の車が対向車線を多く走る。やましいことをしとらんので、あっさりパス(へへんだ)。


佐藤は、次のインターで降り国道4号線に入った。そして、名取川大橋を渡る。名取川といえば、津波があがってきた川である。上がってくるんじゃないよ、ほんとに。


3月11日のテレビ映像では、この川をさかのぼり、家や人を飲み込んだ津波の映像が頻回に流していた。あれを見るとマスコミの人間でさえ、トラウマになったという。


しかし、佐藤の今、見える範囲には、倒壊している家は見えない。車はやがて知人のデイサービスに辿り着いた。彼女は佐藤の出現に驚きながらも、


「よくきてくれたねぇ〜」と迎えてくれた。


震災の整理で忙しいだろうから、見舞いの品を届けたら、長居をせずにすぐに帰ろうと考えていた。しかし、彼女がいう。


「(どんなことが起きたのか)見て、聴いて行ってほしい。そして、伝えてほしい」と。



3月11日(金) 《東日本大震災当日》


彼女は、デイサービスの経営者であった。


その日も、デイサービスでは普段どおりの業務が行われていた。しかし、午前の入浴が終了する間際に問題が発生した。


利用者の一人が、入浴後に体調不良になったため、大事をとって病院を受診するため、他の職員と一緒に付き添っていった。


病院では、先生から、本人にアドバイスを頂き、帰路に着いた。

「あの地震」は、帰路に就いた彼女が、名取大橋を渡っている最中に東北を、そして東日本を同時に襲って来たのだ。


はじめ、車がグラグラと揺れた。宮城県沖地震を経験しているる彼女は「地震」とすぐに分かった。周囲をみれば、走っていた車の一段が一斉にゆっくりと停車した。


シートベルトを外して、揺れている中、彼女は外に出て車の後部に移動した。後部には、地震で揺れる車の中で、不安そうな顔をしている利用者さんがいるのだ。


彼女は、車の中で利用者さんの車いすを懸命におさえた。すると、やや、揺れがおさまったので、前に戻り、車を少し前に移動した。


次の瞬間、再び、今度は下から突き上げるような揺れが車を襲った。「この人をここで死なせるわけにはいかない。橋が落ちないように!」と祈ったという。


揺れはなんとか、おさまり、先を急いだ。途中、車のラジオを付けると、とにかく大きな地震がきたことだけが分かった。放送する側も大混乱なのだ。震源地も被害状況もわからない。


デイサービスに戻ると、多くの利用者さんは、職員と一緒に机の下にもぐっていた。泣きじゃくる利用者さんもいた。


ただ、一人。90歳を超え、常に「死にたい」が口癖の利用者だけは、ソファにデンと座り「地震だ、地震だ〜。早くお迎え、来〜い!」と叫んでいたという。かなわんな、人生経験を積んだかたには。


普段「死にたい、死にたい」というかたでも、危ない目に遭うと「危ない。死ぬところだったじゃないか!」と怒るのが多いが、このかたは違った(笑)。


彼女は、そんな、こんなで、利用者とデイサービスの無事をひとまず確認できた。しかし、電気も止まり、テレビもつかない。職員と相談して、


「今日は1時間早い終了として、3時半から徐々に送っていこう」


そう決めて、利用者にもそう伝えたのであった。


その後、非常用の手まわしラジオをまわしながら情報を得ることにした。すると、今度はラジオでは凄い大津波が来たという。


職員が、急いで、携帯を取り出して、ワンセグのテレビ観た。


画面には、名取川をさかのぼる津波や、石巻の津波、気仙沼の津波が次々と映し出されていたのだ。


これは大変なことになった。


職員には、とにかくまずはここの利用者さん達を無事に送り届けることが重要と話し合ったが、先ほどの体調を崩した利用者さんともう一人の利用者を返すことができなかい。そこで、二人の利用者を泊めることにした。


彼女には、他にもうひとつ、心配ごとがあった。それは人工呼吸器を付けているご兄弟がいる。その家族は「充電器と、ガソリン(車から電気をとる)はあるから」とは、いうのだが、いつまで頑張れば、電気が復旧するかわからないのだ。しかし、彼の家族が奮闘し、3日目には入院することができたという。


地震当日、周囲の様子がどのようになっているのかわからないままで夜を迎えた。近所の家に明かりがともった。どうやら、その家では発電機を持っていたようだ。


しばらくすると、その方がご近所を周り、彼女も家に呼ばれた。その家に行くと、電源に、たこあしプラグが差し込まれ、みんなの携帯用に電気を分けてくれた。


次の日、ライフラインの状況が明らかになる。幸いにも彼女の家は水が出た。他の家ではガスが使えるが、水は出ない。先述の家には電気はある。


彼女のデイサービスは、自分で食事を作り、提供していたので、冷凍庫には食材がぎっしりある。


ご近所同士がめいめいあるものを持ちより、炊き出しが始まった。だから、彼女の近所では、避難所にいき配給を受けた人は少なかったそうな。


彼女は、この炊き出しの話をして、


「コミュニティの人々との付き合いの大切さがつくづくわかった」


と語り終えた。


そして、私をうながした。彼女のご主人が運転する車で被災地へ向かった。走る車の左側には、名取川の土手がそびえ、やがて仙台東部有料道路の下をくぐった。


そこからは、景色が一変した。


住いは見えず、そこ、ここに瓦礫の山、山、山。津波で打ち上げられた車や船などの姿があった。

それは、それは、不思議な、見たことのない光景が目の前に広がっていた。




●デイサービスの庭だった●.jpg

●デイサービスの庭だった●


●がれきの中の車●.jpg

●がれきの中の車●


●つぶされた家の上に、流れてきた家が乗っかった●.jpg

●つぶされた家の上に、流れてきた家が乗っかった●




佐藤を乗せた車は、いつの間にか被災地に入っていた。この時点で、この範囲は、被災地でも車が走れるスペースが確保されていて、車どうしがすれ違うことができた。


ゆっくり、ゆっくりと車は進む。左右には、家も見えるが、その中には木々が泥や車が入り込んでいる。泥の臭いが、かすかに漂っている。


さらに進む。船が仰向きで横たわっている。海はまだまだはるか先だ。車はいつの間にか碁盤の面のように規則正しく整備された道を通っていた。


その両側には、津波避難所を示す標識をつけたポールがあったが、無残にも折れ曲がっていた。ここでは、この標識を目印にして、常に訓練が行われたようだ。学者さんの見識は、何かあれば「想定外」。頼りにならないね。原発を見てもわかる。そんなに安全なら、自分の家の庭にでも、核廃棄物を埋めてみればいい。


広い空間の中、所々に、自衛隊や消防団、警察の方々が、活動されているのが見える。また、家が残っている人々は、その中で片付けをしている。




●家は流れてきたもので埋め尽くされていた●.jpg

●家は流れてきたもので埋め尽くされていた●


●はるか向こうに魚市場の塔が!●.jpg

●はるか向こうに魚市場の塔が!●


●道路はあちこちに地割れが!●.jpg

●道路はあちこちに地割れが!●




気がつくと、いつの間にか被災地から出て、今度は平常時のままの街中を通っていた。そう、「どこからが被災地で、どこからが通常な地域なのか」、その線引きはよく見ていないと分からない。


だから、車で走っていると、気ついたら、「日常の生活している場所」にいる、という感じなのだ。私たちは人々でにぎわうスーパーの隣にある、ファミリーレストランに入り食事をした。もちろん、野暮な自粛なんてしない。昼時間であったためか、店内は賑やか。日被災地でも、少しいけば、多くの人が普通にファミレスで食事をしているのだ。


彼女は、宮城野区の小学校前の喫茶店、Gentry(ジェントリー)に連れて行ってくれた。ここはチーズケーキが美味しい店なのだという。


店ではマスターができたてのケーキをカット中。マスターは、震災で材料が入らないので、山形まで高速バスで買い出しに行って来たそうな。



「東京では、モノがないので、みんなで目の色変えて買占めしてますよ」



と言いたくなったがやめた(笑)。



山形から帰ってきたら、仙台駅からのバスが長蛇の列だったので、10キロ以上の荷物をしょって歩いてきたことを話してくれた。まさに戦時中と変わらない、タイトさである。


「震災だ、震災だと嘆いていてもはじまらない。チーズケーキのためならばなんでもできますよ」


と、笑顔で話してくれた。そして最後に彼女たちはいう。


「東京では、“自粛”“自粛”って、居酒屋にも行かないらしいけどさ、こちらは東京が自粛したら食えなくなるんですよねぇ」と話していた。


そりゃそうだ。普通の生活ができるなら、普通の生活をすれば良いのだ。江戸時代にもいろいろ、震災はあったが、自粛なんてしなかった。まぁ、管さんや清水社長は辞職されたほうがよかろうが……。


東京にいると、避難場所で生活する人々の映像を目にすることが多い。しかし、被災地というカテゴリーに入っている場所でも、すぐ近くには、普通に暮らしがあり、普通に働いている人もいる。報道陣する人々も、こうした元気な町並みも報道して頂きたいな。佐藤も撮り忘れた(笑)。いかんね、いかんよ。


地球に住む、皆皆さま。ご自愛ください。天災は忘れた頃にやってきます。



【Gentry (ジェントリー)】

営業時間  10:00am〜9:00pm

場 所   仙台市宮城野区田子3-4-12



●Gentryのチーズケーキとコーヒー●.jpg

●Gentryのチーズケーキとコーヒー●


(ただいま、地震発生福島で震度5、東京も揺れた!To Be Continued!!)
posted by さとうはあまい at 14:14| 島根 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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