2010年04月26日

奮闘記・第586回 読んでみた!/東京都

●本の分野● 文芸


『立松和平が読む 良寛さんの和歌・俳句』

を読む!


(池袋西武・リブロにて購入)




なんということ。この「読んでみた!」のコーナーは、昨年の7月11日の瀬戸内寂徳先生の小説『手毬』を載せて以来、書いていなかったではないか!!!(笑)


もちろん、この間、本をまったく読まなかったわけではない(どうだろう?)。ただ、佐藤が怠け者だから「読んでみた!」を書かなかっただけなのだ(言い訳)。


今回、うるさい近くのかた(誰のこっちゃ)が、立松和平氏が良寛さんのことを書いた本が出ていましたよ、と教えてくれた。わざわざ、池袋のリブロから(笑)。


良寛さんとなれば興味津々じゃ! というわけで今回も「良寛さんモノ」である。


佐藤は、帰宅を急ぐサラリーマンの群れの中を逆襲し、鉄仮面をかぶり(ないない)、槍を振り回し(絶対ない)、池袋西武リブロに侵入! そうして、ようやく手にしたのであった。


さて、作家・立松和平氏は、本年の2月8日に突然永眠された。これには驚いたものだ。まだ62才だった。


彼は、1947年、栃木県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。79年より文筆活動に専念している。国内外を問わず、各地を旺盛に旅する行動派で、近年は自然環境保護問題にも積極的に取り組んでいたという。


佐藤にとっての、立松氏の思い出は、ニュースステーションである。立松氏が自然の中をリポートする「こころと感動の旅」良かったなぁ〜。


司会の久米 宏さんとの語り合いが思い出される。佐藤は、立松氏の優しく穏やかに自然界をみつめる視点。そこで起きている真実のあたたかさや厳しさを淡々と話す語りが好きだった。


立松氏は、2002年、歌舞伎座上演道元の月』の台本を手がけ、第31回大谷竹次郎賞を受賞している。その後、2007年には『道元禅師』(上・下)を書き第35回泉鏡花文学賞を受賞。


続いて、2008年には『道元禅師』(上・下)で第5回親鸞賞を受賞している。佐藤はまだ、こちらの本は読んでいない。だから、立松氏が、どのように道元さんのことを書いているかはまだ知らない。


今回、この本を読んだのは、表紙に「良寛さんの和歌や俳句」と記載があったからだ。それにつられて読んでみた。読み進めていくうちに、良寛さんよりもむしろ“立松和平”という人に興味がわいてきた。これは同時代に生きた生々しい人物の「声」であったからかもしれない。


彼の視線の先には「道元さん」がいた。良寛さんを通して(良寛さんは曹洞宗の僧)、『正法眼蔵』や日本曹洞宗禅思想を説いていたのだ。


道元(どうげん)さんとは、鎌倉時代初期の禅僧であり、日本曹洞宗の開祖である。いたずらに見性を追い求めず、座禅している姿そのものが仏であるといい、修行の中に悟りがあるという。


只管打坐(しかんたざ)」の禅を伝えたという。仏教思想書として『正法眼蔵』を著しており、この大著では“日本曹洞禅思想”の神髄が説かれているそうな。


先述した通り、立松氏は『道元禅師』を書き、賞を受賞している。このことを知っていたら、「なるほど」と思ったに違いない。そんなことを全く知らない佐藤は、この本にまさしく「こころと感動の旅」を求めていたのだ。


さて、いくつかの歌をあげながら、立松氏が描く良寛さんを紹介していく。



“梅の花散るかとばかり見るまでにふるはたまらぬ春の淡雪”



立松氏は、この歌を初めに置き、


「梅の花が散ったとばかり思っていたら 春の淡雪が積でもなく降っている」


という、たったこれだけの内容であるが、「良寛の歌はどうも深読みしたくなる」と繋げている。


そして、道元さんの『正法眼蔵』のうち「梅花の巻」を用いて、


“老梅樹のたちまち開花のとき 開花世界起なり 開花世界起の時節 すなわち 春到なり”

(老梅がたちまち開花をするとき、花開いて世界は起こる 花開いて世界が起こるとき すなわち春の到来である)


両者の解説を用いて、道元さんの使う言葉は表面の意味だけではないところが難解でもあり、深遠でおもしろいという。


そして、立松流に、仏性や法性について説き、やがてその論は真理へと繋がっていくのである。ふう、佐藤は仏性や法性などと説かれてもわからない。


しかし、文章の中で、立松氏のあの語りが響き合って聞こえてくるのだ。そうそう、彼ってこういう語り口だったなぁ〜。


もちろん、本の中は良寛さんの歌で溢れている。彼は良寛さんの歌を用いながら、道元さんを引き合いに出し、その中に彼の感情を繋げているのだ。


次の歌はこれ。


“道のべにすみれつみつつ鉢の子を忘れてぞ来しあはれ鉢の子”


この和歌の解説で立松氏は、良寛さんが一衣一鉢の人であったと説く。僧の厳しい修行について解説し、この「一衣一鉢」は僧としての最後の最後の威儀であるという。


だから、それを忘れるとは大変なこと、良寛さんはあわてて探しに戻ったのである(笑)。可哀想なのは、鉢の子ではなく、良寛のほうだ。と結んでいる。


新潟県の長岡駅前には、良寛さんが手にすみれの花を持ち、笑みを浮かべている立像がある。その横にこの和歌が添えられているのだ。


佐藤は、長岡に行った時にこの像を見るのが好きだ。ね、セノさん! 立像の前で良寛さんを眺めていると、


「ほら、すみれが咲いてたよ〜」


と、今にも得意げに話しかけて来そうな気がしてならない(笑)。立松氏の言うように、確かに、托鉢で糧を得ていた良寛さんにとって、鉢は大切な威儀であったかもしれない。


それでも、佐藤は良寛さんが五合庵の道のべに咲くすみれに、のんきに春を感じてわくわくしていたのではなかろうかと思いたいのだ(笑)。次は、


“秋の雨の晴れ間に出でて子供らと山路辿れば裳のすそ濡れぬ”


立松氏はここでも道元さんの言葉と呼応しあっていると説くのだ。


「露の中を行けば衣湿る」(道元)


この意味は、良き人と交われば、知らぬ間に影響を受けているということだ。良き人と交われば良き香りがつき、悪い人と交われば悪臭がつくと解説している。


そして、濡れた良寛の裳裾には、良い香りがついたであろうと説く。なぜならば、良寛は大好きな子どもたち遊んでいたから。私欲のない子どもたちは、良寛にとってはさとった人、つまり仏だったのだ、と。


なるほど。良き人と交われば、知らぬ間に影響を受けているわけだ。これには同感! しかし、悪しき人もいる世の中、良き人との交流を深める事が大切であるとも。そのためには、まずは自分自身が良き人になる努力が必要ではあるのだが(笑)。


さて、良寛さんは備中国・円通寺の国仙和尚に印可を受け、修行を終えたことを証明された人である。望めば大寺の和尚になるのもそう難しいことではなかったかもしれない。良寛さんは全てを捨て、五合庵で乞食僧の暮らしを選んだのだ。


立松氏は、理由を以下のように推測する。良寛さんは日本海に面した出雲崎で宝暦8年、名主・橘屋山本以南の長男として生まれた。良寛さんは早くにして出家したので、弟の由之が家督を継いだ。


その後、由之は庄屋職と石井神社の神職を継いで苦労したのち、ついに、尼瀬の京屋との争いに破れ、由之は財産を没収され、出雲崎所払いの処分を受けた。また、父親の以南は桂川に身を投じてしまう。


立松氏は、雪深い五合庵で生活しながら弟由之のことを思いやり、良寛さんが残した和歌や俳句を通から、良寛さんは責任を果たせなかった自分の生涯を懺悔したのではないかと考えたらしい。


ううん、良寛さんの気持ちを深読みしているなぁ〜と納得。しかし、このままでは、あまりにも自虐的過ぎるではないかぁ〜と思っていたら、幸いなことに、立松氏も、後半は、あの貞心尼とのかかわりについては、こうあった。


貞心尼については、「手毬」を用いて紹介済み。貞心尼は、その師とする良寛さんとの唱和連作をおさめた『はちすの露』を残している。


この書物が残されたことにより、良寛さんと貞心尼の心の交流をありありと偲ぶことができる。


立松氏は、「はちすの露」を用いながら、良寛さんは、貞心尼と同じ時間を過ごして、どんなにか気持ちが安らかであったろうか。このことは、後世の多くの人が良寛さんをうらやましくも思うところである、と。


本来無一物の厳しい弁道生活を送ってきた良寛にとっては、天の配剤ともみえ、天恵とも感じられただろう。


「本当に良かったなあと、私は良寛のためにしみじみと嬉しく思うのである」

と、立松節をきかせているのだ。



“うらを見せおもてを見せて散るもみじ”


(紅葉は裏を見せ表を見せながら散っていく)


裏だけを見せて生きていくことのできる人生はない。人生とは、喜びと悲しみ、美と醜、よき事と悪き事、強気と弱気、様々な要素によって織りなされているのだ。


良寛さんは自分の生涯を整理して語ったことはない。な○ぐさ坊主臭プンプンの鴨長明とは違うのだ(笑)。


彼が自分の事を語ったのは、諸家に残されている数多くの墨蹟として書かれている詩歌によってのみである。


残されている墨蹟には、良寛さんという人物を取り巻いた、人々が作った和歌や短歌もある。良寛さんがいた時代(江戸末期)、その時代、越後国蒲原郡(新潟県長岡市)はまだ、日本の片田舎である。


とした上で、その農村地帯において、名主階級の人々は大変な教養を持っていたことに、改めて私は驚かされたと述べている。


さらに、彼らが、乞食僧であった良寛さんを発見し、彼ら自身がお互いの人生を大いに楽しんで、良寛さんの存在を後世に残したのだ、とも。


立松氏の文章を読んだのは、実は初めてであった。にもかかわらず、読後、佐藤は再び、新潟県燕市の五合庵や乙子神社、分水にある良寛資料館へ行きたくなった。


この本にはまさしくニュースステーション時代の語りべであった、立松和平氏の「こころと感動の旅」が記されていたのである。改めてご冥福を祈りたい。


ちなみに、当研究所(佐藤家)の赤のデミオ君は、やぼちゃんと決まりました(笑)。研究所は、通りに面しているので車庫入れは大変。他人の家の前を通るくせにブーブー、クラクションを鳴らす輩がおる。


「うるさい!」


そう、車の中でささやきながら、また町内を一周してくる佐藤であった。トホホ。



通りに面した車庫入れ.jpg

通りに面した車庫入れ





【本のデータ】

『立松和平が読む 良寛さんの和歌・俳句』

立松和平・著、二玄社刊 2010年、1400円+税



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これがその本です!



(“How Starbucks Saved My Life”某中国の航空機が勝手に成田空港に着陸したそうな。理由はともかく、前原大臣、なめられたモンですな。猛烈に抗議できないのなら、大臣やめなはれ!To Be Continued!!)
posted by さとうはあまい at 15:27| 島根 | Comment(0) | TrackBack(0) | 読んでみた! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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