2010年03月25日

奮闘記・第575回 見聞録/三重県

●2010年● 三重県桑名市



東海地方・三県三社めぐりじゃ!

(その2)

〜多度大社に参拝、根付けを交換するの巻〜




佐藤は、連日都内某所で研修にかかわっております。今日も夕方から頑張りますよ! 


さてさて、今回のブログは前回の続きから。三重県の多度大社を目指す。まずは、名古屋市内を不安定ながらも高速道路を目指して走る。高速道路に乗ってしまえば、こっちのもの(笑)。なんせ、複雑な車線変更を考えなくてすむ。


車は、あっという間に愛知県から三重県に入る。目指す多度大社は三重県なのだ。東名高速桑名東インターをおりて、国道256号線にはいると、左手の山の中腹に大きな鳥居が見えてくる。多度大社は、あの多度山の中腹にある。



多度(たど)大社。もちろん、延喜式内名神大社である。伊勢国というぐらいだから、ここで一般人が思い浮かぶ神社は伊勢神宮であろう。しかし、これは日本国全部の鎮守様なので、伊勢国一の宮ではない。一の宮は椿大神社(つばきおおかみやしろ)とされる。そして、二の宮が桑名市多度町にあるここ多度神社(多度大社)と言われるのだ。


と言いつつ、「類聚既験抄」に「信楽大菩薩二宮也。多度明神也。」とあるのが二の宮とする根拠であり、多度大社を二の宮とする史料はこれだけなのだ。神社自身も名乗っているわけではないし、さりとて一の宮と称したこともないと言う。


他の文献を見ると、伊勢国の神社の筆頭扱いであり、事実上の一の宮であったと考えられる。三の宮以下はない。このブログでも何度も登場する、常陸国一の宮・鹿島神宮や、箱根神社などにも所縁がある「万巻上人」もここから出たともいう。そう、知る人ぞ、知る、霊能関係者が集まる神社とも言われるそうだ。


まぁ、しかしそんな一部のマニアが集いそうな怪しげな雰囲気は全くない、素晴らしい神社である。多度大社のホームページによりかかりながら、紹介したい。


ここ多度大社は、5世紀の後半、雄略天皇の時代に社殿が建てらたとされている。それ以前は、標高403メ−トルの多度山全体を神体山として仰がれていた。


多度大社の主祭神は、天津彦根命(あまつひこねのみこと)とされる。この神様は、天照大御神の御子神なので、その関係からか、伊勢の神宮に対し、北伊勢大神宮とも称され、北伊勢地方の総氏神として崇められているのだ。


古くから、


「お伊勢参らばお多度もかけよ、お多度かけねば片参り」


と謡われ(よくある替え歌パターンだが)、伊勢参宮の折には、この多度大社にも必ず参拝に訪れたというここらへんの方々のが流したのかもしれない。


まぁ、いくらなんでも、そんなにたくさん伊勢参りの前後に行けやしないぜ、というぐらい詩に寺社のバリェーションがたくさんある。いくらなんでもそんなにいけるか!……、といいつつ、ここならば歩きで来るなら、寄っていくだろうなぁ(笑)。


多度大社の境内には神馬がいる。春には、上げ馬神事。秋には、流鏑馬祭りが行われているのだ。


一方、神の使いである白馬が、人々に幸せを運んで来てくるともいう「白馬伝説」があり、東西問わす、多くの人々の崇敬を受けている。



●上げ馬神事の上げ坂●.jpg

●上げ馬神事の上げ坂●




佐藤は、上げ馬神事がおこなわれる上げ坂を登り(ウソ)、接してある階段のほうを登り、鳥居をくぐる。すると、なんと目の前にある、神馬舎には、その白馬がいたのだ。


白馬の前には、奉納用の人参が備えてある。佐藤も、器から人参を手に取り、白馬に奉納した。また、佐藤は高杉……、いや馬にもてるのだ(笑)。


さすが、神に仕える白馬だけに、奉納された人参の召し上がり方が優雅である。しかも、撮影には非常に協力的。その場の空気を読みながら、ゆっくりと頭を動かすところが素晴らしい。誰かと全然違う(笑)。




●互いにカメラを確認し合った(アセスメント?)●.jpg

●互いにカメラを確認し合った(アセスメント?)●



●撮影に協力的な神馬様●.jpg

●撮影に協力的な神馬様●




多度大社の本宮は、山懐の一番奥に鎮座している。まぁ、勝手に動いたりはしない。そこまでの参道には、沢山の摂社や末社などの社がある。


実は、多度大社は、その歴史のなかで、御杜頭が荒廃し、神宝・記録書等も失われているのだ。一番の厄災は、織田信長公による元亀2年(1571年)の長島一向一揆平定による焼きうちであろう。宗教的な問題は別に、よく殺しましたな、あのお方。


確かに長いスパンでみれば、宗教的な殉死がなくなったのは、彼(信長公)の功績には違いない。でなければ、一部の国のように“聖戦”という名のもとに、もしかしたらいまだに多くの方々が命をなくし続けねばならなかったかもしれない。


それにしても……多くの方が亡くなった。当時の方々には過酷であったとしか言いようもない。多度大社もこのときにこの兵火に罹ったのだ。今のこの穏やかな町並みからは過去はなかなか見えてこない。


しかし、当時、その戦火を避けるために、御神体を美濃国赤坂山(岐阜県大垣市)に遷し、約30年後、徳川家康公が関が原の戦いで覇権を握る。そして桑名城々主となった本多忠勝公が、多度大社を復興された際に、ご神体をお迎えお祀りしたのが「新宮杜」である。


ここの祭神は、


天津彦根命幸魂(あまつひこねのみことのさきみたま)」

天目一箇命幸魂(あめのまひとつのみことのさきみたま)」


である。


佐藤は、まずは、こちらにごあいさつをして、参道に入った。昨夜の雨で少々ぬかるんでいる参道を、周りのおじさん、おばさんに注意を促しながら(ウソ)、自分が転ばないように注意深く登って行った。


いろいろ摂社、末社に参り続け、山肌の最後に神明社があった。ここは伊勢神宮に御鎮座されている、天照大御神のご分霊をお祀りしてある。基本的に伊勢神宮は分霊せんはずだが、そこんとこはどうなのだろう?


それはさておき、天照大御神は、本宮・多度神社の親神様である。お社の場所も摂末杜の中で一番御本殿に近い、於葺門をくぐった左手に位置し、あたかも我が子を見守っているようであった。


さて、いよいよ本宮・多度神社である。こちらは、多度大社の本宮として多度谷に御鎮座されている。主祭神は、天津彦根命(あまつひこねのみこと)をお祀りし、相殿に面足命(おもたるのみこと)・煌根命(かしこねのみこと)をお祀りしている。




●ご神気が漂う本宮・多度神社●.jpg

●ご神気が漂う本宮・多度神社●




この神様は、北伊勢地方の氏神様でもあり、御神威も素晴らしく、遠方からも産業開発・商工業繁栄の神として仰がれ、参拝客も多い。ということで、佐藤も、商売繁盛をお願いした。


その横に、同じ規模で、右隣に別宮・一目連(いちもくれん)神社がある。ご祭神は天目一箇命 (あめのまひとつのみこと)という。本宮の天津彦根命の御子神である。




●こちらの社殿には扉がない●.jpg

●こちらの社殿には扉がない●




マニア的にはこちらのほうが有名かもしれない。この一目連神社は、



「一目連神 出でたまふとき多度山鳴動し 御光を放ちて 頭上を飛び越え 困りし人々を助けたまう……」


と文献・故事あるように、一目連神社の素晴らしいご神力によって災難から逃れられた人々は数知れず、お礼参り・願掛けの参拝者は後を絶たない。昔も今も絶大な崇敬を集めているそうだ。


繰り返しになるが、一目連神社のご祭神・天目一箇命は、『古語拾遺』では、天照大御神が天の岩屋戸にお隠れになった際、刀や斧などを作って活躍された神として伝えられてもいる。


この故事にちなみ、鉄工・鋳物等をはじめとする日本金属工業の祖神・守護神として崇められているわけだ。毎年11月8日には「ふいご祭り」というお祭りが斎行され、桑名近辺の会社はもとより全国の関連業者の方々が参拝に訪れているという。


ここもまた、「踏鞴(たたら)」に縁が深い神社であるが、物部系ではなく、忌部系の神社とされている。


多度大社の周辺は揖斐・長良・木曽の三大河川が集中しており、昔は一度大雨が降るとたちまち増水し、川から水が溢れ、大洪水となって岸辺の集落を呑み込んでしまうような事が度々起こったという。そのためであろうか、天候を司どると信じられてきた一目連神社にはとりわけ信仰心が高かったと考えられる。それにご利益があったのだろう(笑)。



一目連神社の社殿には正面の御扉が無いという。これは、信者のために神様が御神意を発し、龍に姿を変えて天高く駆け上り、いち早く出向かれるためであるという。なんとも温かみと真剣味が伝わってくる話ではないか。


と言う訳で、佐藤はこちらにも、ごあいさつをして社務所まで戻った。社務所では恒例のおみくじタイム!! 結果は「」。今日は、だ・い・き・ち、の神意は発っせられてはいないようだ。さてさて、どうなりますやら……。



(東京外国為替市場の円相場は、一時92円台 1か月ぶり円安。それがどうしたかって? フジハラさん、そう責めないでくだされ。今日はいいネタがないんですよ!To Be Continued!!)

posted by さとうはあまい at 14:44| 島根 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 見聞録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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