2009年10月25日

奮闘記・第525回 見聞録/岡山県

●2009年● 岡山県倉敷市



倉敷・大原美術館、再び!

〜児島虎次郎記念館で男の夢跡を見た〜




いや〜、見た見た。今日は島根県大田市で最後の三瓶山の噴火時に火山流で埋まった古代の“三瓶小豆原埋没林公園”を見てしまった。


前回は、「国内最古」とみられる約12万年前の旧石器が出土した島根県出雲市多伎町砂原遺跡といい、話題が尽きない。その話はいずれまた!



……やんなかったりして(笑)。



さて、今はまだ倉敷のお話。


佐藤が、大原美術館へ行った最大の目的は、大原美術館にある、棟方志功先生の作品を見ることにあったのだ。



●お目当てはまず、工芸館(笑)●.jpg

●お目当てはまず、工芸館(笑)●




大原美術館では、チケットを手にした。これがまた色々なホールがあるらしい。まず棟方先生の作品が展示されている工芸館に向った。


こちらでは、棟方先生の他にも、大家が目白押し。バーナード・リーチ先生、浜田庄司先生、河井寛次郎先生、富本憲吉先生、芹沢_介先生などの作品が、個別の部屋に分かれて展示がされていたのだ。


ここは昔、大原家の米倉であったという。そのお屋敷のような建物で、棟方先生の部屋は他の先生よりスペース的にひろかった。ふふん、ちょっと嬉しい(ecoひいき?)。


そもそも、棟方先生と大原氏との接点はというと、棟方先生は、1936 年春に開催された国画会に「大和し美し版画柵」を出品。この時から、柳 宗悦先生、河井寛次郎先生、濱田庄司先生らと知り合う。


その後、濱田先生の紹介により、棟方先生は、大原孫三郎氏と出会うのだ。むしろ、この時に息子の大原総一郎氏が大変棟方先生に入れ込んでいるということを聞く。


そこから総一郎氏の依頼で大原邸の襖絵などを数多く制作したらしい。以後、棟方先生には珍しく率先的に個人的な付き合いへと進んでいく。棟方先生って、来る物は拒まずタイプだから、パトロンとしてだけではなく、総一郎氏に魅力があったのだろうな。


展示品の中で、佐藤が一番喜んだのは、青森県の棟方志功記念館で見かけた「いろはにほへと」であった。富山県の旧宅の「万年カレンダー」も捨てがたいが(笑)。


おお、そういえば新潟県燕市にある良寛資料館には、良寛さんが残した墨絵の「いろはにほへと」があったっけ。


同じ「いろはにほへと」でも棟方先生の文字は、部屋中央の展示窓の中に整列して並んでいて、その文字は、飛び跳ねたり躍ったりしている。


まぁ、まさに「書」というよりは「画」である。佐藤はその文字たちにしばらく見とれてしまった。いずれにせよ、美術品は写真になかなか撮れないから写真付きで紹介出来ないのが残念だ。


他にも、棟方先生お得意の観音菩薩の柵があちこちから、微笑みかけてくれているのだからたまらない。これらの作品を眺めているだけでもわくわくしてくる。


いい作品は見ている人に影響を与えるらしいが、楽しい作品をみて、楽しくなるなら非常にありがたいことである(笑)。


次は、いよいよ、本館だ。


大原美術館については、前号でふれた。今回は、この大原美術館の絵を収集した「児島虎次郎(こじま・とらじろう)」という男のお話である。



●大原美術館本館前●.jpg

●大原美術館本館前●




皆さんも、ご存知のように、大原美術館は、倉敷を中心に幅広く活躍した事業家・大原孫三郎氏が昭和4年に逝去した画家・児島虎次郎氏を記念して、翌年の昭和5年に設立したものである。


最初は、児島虎次郎記念美術館としたかったらしいが、周囲が止めて思いとどまった。そりゃそうだろう。資金提供者は大原氏であって児島氏ではない。


では、それほどまで大原孫三郎氏が入れ込んだ、この児島虎次郎氏という男はどのような人物であったのか。


ここに1冊の本がある。山陽新聞社発行の『児島虎次郎』(松岡智子、時任英人・編著、1999年刊)である。これは、今回の旅の最後に児島虎次郎記念館で手に入れたものなのだが(笑)。こういう現場でしか見つけにくい本が手に入るのが現場を歩く楽しみのひとつである。


確かに本屋さんを隈無く歩けば見つかるぜ、というかたもいるだろうが、ふつう本屋さんの棚で「見かける」ことはあってもなかなか買わないだろう。


さて、その児島氏は、現在の岡山県高梁氏成羽町に生まれ。1901年(明治34年)に絵を学ぶために東京に出る。明治35年、東京美術学校の西洋画科に入学。大原家の奨学生となった。


大原家の奨学生となった児島氏は、朝早くから写生にでかけ、夜は遅くまで暁星学校で、フランス語を学んでいたという。成績は優秀であったために飛び級し、明治37年、異例の早さでの卒業となる。


この間、児島氏は、大原氏から「児童福祉の父」と言われた石井十次先生(最初から施設を作るにおいて「教育院にして養育院にあらず」と言う名言がある。そう、“自立支援”のための施設なのだ)を紹介されている。


児島氏は、岡山へ帰るたびに石井先生の孤児院に行き、その人に接したり、その事業を見たりして教えられるところが多かったという。


やがて、児島氏は、明治40年に、初めて東京府主催の勧業博覧会美術展に作品を出す。この時に出品した2点の作品のうちの1点が、石井十次先生の岡山孤児院で制作した物であった。


その絵は、綿入れを見た幼子を、着物に羽織をまとった女性(若人)が、優しく抱いてあやし、その女性の周りには、同じく綿入れを着た子ども達が集まって戯れているというものである。


岡山孤児院で、病気の子どもを見舞い、なぐさめている保母の細やかな情景を描いた120号の作品であった。画題は『なさけの庭』。


審査の結果この『なさけの庭』は1等賞をとり、皇后陛下のお目にとまり宮内省に買い上げられ、宮内庁三の丸尚蔵館蔵に保管されている。


佐藤が、手にした、先ほど紹介した本の中に挿絵として入っているのですが、こちらに描かれている子どもたちは、ほほをまん丸くふくらませて、目をきらきらと輝かせ、みんなが微笑んでいるのです。まるで天使のようです!!


さて、話しを元に戻しましょう。


児島氏は大原家の奨学生であったので、大原孫三郎(児島氏の1歳上)氏は、勧業博覧会美術出品での出来事をとても喜び、児島氏に5年間のヨーロッパ留学をプレゼントした。


この間、様々見聞を果たした彼は、日本を代表する洋画家として活躍していくことになる。また、児島氏の発案ではじめられた、西洋絵画の収集は、大原氏が行っていた、社会貢献事業のひとつとなった。


この時の児島コレクションが母体となり、作られたのが、現在の大原美術館の礎となっていくのだ。


ただし、今のような収蔵品を誇る美術館になるには、息子の総一郎氏の手腕と見識によるところが大きい。孫三郎氏は「西洋絵画」には全く興味がなかったのだから。


大原氏の児島氏に対する情愛と理解は、肉親の弟に対するよりも深く、同時に児島氏の大原氏に対する敬慕の念も師父よりも深かったという。


この2人の関係性について語れば、


「見事な援助の仕方でもあるが、あっぱれな世話のなりっぷりだ」


という方がいた。まさにその通り(笑)。



●大原美術館から見た風景、ここは写真OK●.jpg

●大原美術館から見た風景、ここは写真OK●



●緑の中に倉敷アイビースクエアの入口●.jpg

●緑の中に倉敷アイビースクエアの入口●




佐藤は、大急ぎで大原美術館を周り、もうひとつの展示館のある、倉敷アイビースクエアの門をくぐり、大原美術館別館である「児島虎次郎記念館」に入った。


●児島虎次郎記念館の案内板●.jpg

●児島虎次郎記念館の案内板●




児島氏はヨーロッパで、印象派風の明るい色彩を修得し、帰国後もその画風を生かしつつ、児島氏の世界を確立する。


また油絵で独自の画風の確立を目指し、努力を重ねていたが、疲労もあり、画家としての重圧もあったのだろう。47歳の若さで亡くなってしまうのだった。


中東の古代文明にも興味と愛着を持ち、画家としてだけではなく、多方面に才能と可能性を持っていただけに残念である。


館内に入ると、真正面に幼児がソファによりかかりうたた寝をしている絵が飛び込んでくる。画題は「睡れる幼きモデル」(1912年)。まぁこれがまた何ともかわいいのだ(笑)。


その後、目に飛びこんでくる絵は、色彩が鮮やかで、描かれている人物に児島氏らしい繊細な表情を見ることができる。これらの絵がかもし出す躍動感、その美しさにしばし呆然とさせられた。


また、先述した、東京府主催の勧業博覧会美術展に、『なさけの庭』(1等賞)とあわせて出展し、入賞した『里の水車』も展示されている。


『里の水車』は、児島氏の故郷である成羽川総門橋の上流にあったと思われる水車小屋の中で、米搗きに来て一休みし、幼児に乳をふくませている母子と、娘を描いたものだ。


それは、赤ちゃんにおっぱいをふくませていたお母さんが、いつのまにかうたた寝をし、おっぱいをはなした赤ちゃんもお母さんの腕の中で寝入っている。


その横では姉さんかぶりをした、妹らしい女性が微笑んでその光景を見ている絵だ。


佐藤は、その絵を観ていて、なんとも穏やかな時の流れを感じることができた。これが素晴らしい作品が与えてくれるものなのだろう。まぁ、絵に好き嫌いはあるけれど。


これからもいい作品に数多く出会えればなぁ、と思いながら美術館を後にした。



●アオサギ君が「またおいで」と見送ってくれた(ちなみに生きている本物)●.jpg

●アオサギ君が「またおいで」と見送ってくれた(ちなみに生きている本物)●




晴れ《旅のこぼれ話》

この日、もちろん帰りはJR岡山駅。つまり新幹線に乗ると長い。だから岡山駅内で夕食をとるため、駅ビルの1階「lunch & beer sun」に入った。佐藤は、サイコロステーキとバリバリ・シーザーサラダというやつと、ビール+ワインを注文って何か問題でも。うん?一品日本酒が足りない?(笑)した。


このバリバリ・シーザーサラダというやつが、半端じゃない(笑)。


シーザーサラダに、ぶつ切りのベーコンがこれでもか状態で乗っかっているのだ。しかも、たったの500円(!)である。駅ナカの店として押さえておきたい店であった。皆さんも岡山駅に行ったらご賞味くだされ。ではまた!



●岡山駅でのお夕食●.jpg

●岡山駅でのお夕食●



(益田市の雪舟の郷記念館はちょっとねぇ……。終焉の地ならもう少しやりようがあるだろうに。To Be Continued!!)
posted by さとうはあまい at 22:46| 島根 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 見聞録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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