2009年10月16日

奮闘記・第524回 見聞録/岡山県

●2009年● 岡山県倉敷市



再び、倉敷市美観地区をゆく!

〜パリからの贈り物が倉敷の街を守った〜




佐藤はうにうにと倉敷市美観地区へやってきた。以前にあたりをつけておいた駐車場に車を置き(前回は倉敷駅に近く、トホホだった)、徒歩にて、美観地区に入った。


●レストラン・亀遊亭でアール●.jpg

●レストラン・亀遊亭でアール●




すると、いきなり、お肉を焼くいい匂いが立ちこめていた。ふふん、そう来ましたか(笑)。そうくれば、もう観光どころではない。まずは、腹ごしらえである。腹が減っては観光ができない。


ここへくるまで、お得意のびっくり●ンキーなどもあったのだが、倉敷に来てファミレスはなかろう、といいつつ、けっこう行くのだが。


倉敷市美観地区の入り口に近く、雰囲気がよさげで何気なく入ってしまったこのお店。実は倉敷国際ホテル直営店であった。



●街中で棟方志功先生発見!●.jpg

●街中で棟方志功先生発見!●




その名も「レストラン 亀遊亭」である。外観は、日本家屋で、中へ入るとレトロな洋風であった。こちらのお店で定評なのは、網焼きステーキとのこと。なるほど、店内では、老紳士達が、大きめのステーキをうまそうに食べていた。


昼からステーキというのもなんだし(けっこう食べるのだが)、佐藤は、本日のランチをいただくことにした。


メインデイッシュは、スズキとアサリをスープで煮込みさらにオーブンで焼いた物(わからん?)である。


ちなみに、スズキが熱々でジューシー! さらに、アサリの旨みがしみ込んだスープがうまい。あっという間に食べてしまった。おかわり!(嘘) 大満足。ごちそうさまでした。




●本日のランチを頂いた●.jpg

●本日のランチを頂いた●



さて、ここ倉敷美観地区は、以前にもこのブログで取り上げたが、江戸時代初期寛永19年(1642年)に、倉敷は、江戸幕府の天領に定められた。


そのとき、ここに倉敷代官所が設けられ、それ以降、備中国南部の物資の集散地として発展して来た。なにしろ、税金が天領(幕府の領土)だと安いらしい。


美観地区には、お日様に照らされて魚影がきらきらとひかり、川底まで観ることができる美しい倉敷川があり、鶴形山南側の街道一帯には、白壁なまこ壁の屋敷や蔵が並び、天領時代の町並み残している、という。なんせ当時を知らない(笑)。



●魚影がひかる倉敷川●.jpg

●魚影がひかる倉敷川●




佐藤は、しばし、美観地区を闊歩。そして、1930年(昭和5年)に建てられた日本最初の西洋絵画の美術館である大原美術館に立ち寄り、その後、観光施設倉敷アイビースクエア内にある「児島虎次郎記念館」にも立ち寄った。


(こちらの紹介は次回に!ははは、長いんだ。)



●こちらは倉敷アイビースクエアの入口●.jpg

●こちらは倉敷アイビースクエアの入口●




実は、この美観地区が、戦争の被害に遭わずに現在にまでこうして天領の風景を残していられるのも、この児島虎次郎氏や大原孫三郎氏の存在が大きく影響しているのだ。


その大きなポイントは、エル・グレゴなどの画家たちの絵である。エル・グレコは、イタリアのヴェネツィア、ローマで、ティツィアーノに、ヴェネツィア派絵画を学んだ人物である。


1577年、36歳でスペインのトレドに渡り、没するまでスペインで宮廷画家として活躍した人である。児島氏がパリに滞在していたとき、パリの画廊でエル・グレコの『受胎告知』という作品が売りに出されていたのを眼にした。希少価値もあり、今では考えにくいそうだ。


そこは画家である。この作品の素晴しさを見抜いた児島氏は、自身の出資者である大原孫三郎氏に送金を依頼。大原氏もそれを受諾した。



●大原美術館の入口●.jpg

●大原美術館の入口●




その結果、児島氏は『受胎告知』を購入すると日本へ持ち帰る事ができた。第2次世界大戦中、敵である連合国が、日本の国内にスパイ(英国人だったという話)に日本の爆撃する場所を調べさせた。


教会や病院(これは建前だろう)、欧米人の居住区などを調べ上げるのだ。そんな中で、この倉敷は、大原孫三郎は自分の工場の近くに軍事施設や軍人施設が来るのを拒んだため、日本軍の基地がなかった。


非国民扱いされて大変だったそうだが、工場の工員(ほとんど女性)の寮がある近くに、男ばかりの軍人。そんな連中が来たら、風紀が乱れるというのが理由だったようだ。親御さんから預かった娘さんたちを守らなければいけない。


また、世界でもまだ、個人美術館はなかった時代に、エル・ゴレコら西洋でも大家で、キリスト教関連の作品であり、希少価値のある画家たちの絵が、こんな偏狭なアジアの地に文化的な美術館が存在しているのだ。


となれば、ここを攻撃するわけにはいかない。あの絵たちが灰になってしまうからだ。のちのリットン調査団も倉敷の文化性は高く評価していた。これでは爆撃の対象にはなりにくいだろうな。


その結果、岡山や広島(どちらも軍事施設があった)が爆撃を繰り返され、あの終戦の悲劇にいたる。


岡山や広島は悲惨である。でも、それが倉敷の責任とはいえないだろう。戦争自体をやめなければいけないのだ。ただ、街を守ったのが強大な軍事力ではなく、文化施設や非武装地帯であったことが、皮肉といえば皮肉なのだ。


さて、佐藤は、美術館や記念館を堪能した後、さら美観地区を歩いてみた。倉敷川の左右には、食器や手作りの民芸品がならび、お客さんで賑わる。以前来たときよりも華やかになった気がする。


川の周囲ではキャンパスに向かう人々や、カメラを抱えているカメラマンの姿もあった。撮る方もm撮られる方も活き活きしている。皆さん、思い思いにこの美しさを堪能しているのだ。




●こちらでも船遊びを楽しめる●.jpg

●こちらでも船遊びを楽しめる●




もちろん、佐藤も夢中になって巡った。そんで、また小腹がすいた(笑)。そこで、二軒ならぶ喫茶店の右側のお店、喫茶こいまりに決め、中に入ってみた。


すると、喫茶店はなんと中に通路で繋がった店舗が二つあったのです(笑)。そう、お店は“ひとつ”だったのです(爆笑)。


大正ロマン調とアンティーク調というのか。どちらでも選べるのだ。とにかくレトロな雰囲気を漂わせている。佐藤は、アンティーク調の部屋に陣取った。


お店の方が、


「今日は暑いですからね、氷がよくでましたよ」


と話してくれた。メニューをみて、ぜんざいとコーヒーを注文。すると、「ぜんざいはあたたかいほうですか? それとも冷たい方ですか?」と聞かれた(笑)。


(「コーヒーみたいだな?」)


「ええっ、ぜんざいって冷たいのもあるんだ?」


「はい、有りますよ〜」



まぁ、佐藤は、あたたかいぜんざいを所望した。保守的なのだ。出てきたぜんざいがこれだ!
 



1、2、3!(もういい)


●喫茶こいまりにて、ぜんざいとコーヒー●.jpg

●喫茶こいまりにて、ぜんざいとコーヒー●




小さなお餅と、白玉団子が2個。つぶつぶの小豆がお餅にからまり美味い! ほどよい甘さとこのコーヒーが合うから不思議だ。たぶん疲れているのかもしれない。家に帰ったら、爆睡だった(笑)。


研究所の仲間達も大満足! 大原美術館や、児島虎次郎記念館については次回以降。


ではでは!!



(いつも岡山は食べるところを探すのが難儀である。でも見つけるとけっこういいんだな、これが。それは今来ている宮崎も同じさ!To Be Continued!!)

posted by さとうはあまい at 21:03| 島根 ☁| Comment(3) | TrackBack(1) | 見聞録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
お久し振りですほっとした顔
 実は今年一杯であそこを辞める事になりましたほっとした顔
 因子は様々ありますが療養型に戻る事にしました冷や汗 まぁ嫁にはえらい反対されましたが…冷や汗
 また何かあればご報告しますほっとした顔
Posted by 依藤豊景 at 2009年10月20日 05:11
そうですか。
新たに自分の進む道を選択された訳ですね。
お嫁さんに反対されても自分の意志を貫く。
それこそが武士道じゃ!ですね(笑)

これからもご自愛されて、肯定的なストローク、素敵な笑顔をたくさん振りまいて下さい。

また、あえるといいな〜!!
Posted by さとうはあまい at 2009年10月21日 06:00
ありがとうございますうれしい顔
療養型病棟主任心得として自身の研鑽兼ねていきますほっとした顔
 嫁曰く、「あんたは偏屈で職人気質やから下に付くスタッフは可哀想やなぁ」だそうです冷や汗
 今は未だ僕自身ヒヨッコなので介護職として人間として一回り大きくなった時にまた佐藤さんにお会いしたいですうれしい顔
Posted by 依藤豊景 at 2009年10月21日 07:55
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サフィア・ミニーと大原孫三郎
Excerpt: タイトルを見て「この2人の相関性って何?」と思った人もいるかも知れません。 前者はフェアトレードとファッションビジネスを結びつけた社会起業家。 後者はご存知、大原美術館を作ったり岡山県倉敷地区..
Weblog: にわかブロガーの成功哲学研究所★ろぐ
Tracked: 2009-11-14 15:56