2009年10月08日

奮闘記・第523回 見聞録/岡山県

●2009年● 岡山県岡山市



ああ、鳴釜神事 Again!

〜そして音は低く長く、なが〜く響いた〜




とある日、佐藤は、吉備路を爽快に走っていた。なかなかいいんだよねぇ〜岡山って。


ここ岡山県は、島根県とならんで古代史のメッカであり、いい神社もたくさんある。だから、神社めぐりがメインになるのだ。


しかも、今回は備中国一の宮・吉備津神社で、再びご祈祷と鳴釜神事をおこない、御札を交換しようと考えた。今回の愛車は、日産マーチ君(駅レンタよん)だ。





【備前国一の宮・吉備津彦神社】

吉備津彦社そに行く前に、いつもの決まり通り備前国一の宮・吉備津彦神社から参拝。水たまりでぬかるんでいる駐車場に車を入れた。


(ひゃ〜い!)


参道のまわりにある池では、小さい魚が泳ぎ、亀が甲羅干しをしている。なんとも微笑ましい光景だ。佐藤は、拝殿で、旅の無事を願った。さて、恒例のおみくじタイム!!あらら残念、小吉である。


すぐさま引き直しにチャレンジをしたが、岡山県の神様は、島根県の神様みたいに都合良く“大吉”は出しては頂けないねぇ(ならたくさん来いや)。




●吉備津彦神社(桃太郎君とチボリ侍と一緒)●.jpg

●吉備津彦神社(桃太郎君とチボリ侍と一緒)●





【備中国一の宮・吉備津神社】

次は、いよいよ備中国一の宮吉備津神社へ移動! まぁ、すぐ近く。お土産屋が並ぶ駐車場に車を入れる。


この日はお日柄も良かったせいか、境内にはそろいの制服を着た会社の人々が、参拝していたり、背広姿の人々が整列していたりと賑わいがあった。


一般の参拝客も次々と階段を登ってくる。佐藤は、その賑わいを見ながら、本日のご祈祷には時間がかかるかも〜、と気をもんでいた。


しかし、佐藤の心配をよそに、ご祈祷の時間はすぐにやってきた。


(皆さん、意外にご祈祷はしない?)。


神職さんが、佐藤をご祈祷の会場へと誘う。儀式が始まる前に、神職さんからおもむろに聞かれた。


「ええ〜、ああ〜“対人援助スキルアップ研究所”とはそのう。どのようなご商売でしょうかねぇ?」


と質問を投げかけてきた。だから、とりあえず「そのうう……いちおう、コンサル……ですが」(何か問題でも?)と少々強気に答えてしまった(笑)。すると、神職さんはちょっと考えて答えた。



「……了解いたしました。しっかりとご祈念いたします!」



と上座についてくださったのだ。ちなみにこの神職さん、館内に響きわたる穏やかな声で、



「かけまくぅぅぅぅぅもぉぉかしこきぃぃ〜」



と祝詞を奏上してくれた。澄んだ声である。きっと心も澄んでいるのだろう。そして、しばらく神様に取り次いでいただいた。



「▽▽■●●▽〜ぅぅぅ。かしこみ、かしこみもまおすぅぅぅぅぅ〜」



と締めていただいた。有り難うございました! こうしてご祈祷は終了! 最後に、佐藤が神様にお榊を捧げて終わり。


今回の神職さんは、佐藤の住所と、研究所名を正しく記載(前回は「対人スキルアップ研究所」であった……)してくださった御札を賑々しく手渡してくれたのでありました(感激!しかも文字がとても美しかったのだ)。


さてさて、いよいよ、鳴釜神事を執り行っていただくために、御釜殿へ移動する。すでに吉備津神社の御釜殿については、佐藤のブログ内で、以前にも書いたが、当時よりすでに時がたっているので、再びご案内をしましょうか。


吉備津神社の、拝殿の右下方に、御釜殿という場所がある。その御釜殿で執り行われている神事を「鳴釜神事」という。吉備津神社で行われている鳴釜神事の起源の伝承は次の通り。


その昔、吉備国に、温羅(うら)という名の百済の王子が来訪し土地の豪族となった。しかし、大和朝廷から派遣されてきた四道将軍の一人である吉備津彦命に首を刎ねられたという。その首は、はねられた後でも尚うなり声をあげ続けたという。


仕方がないので、犬に食わせて骸骨にしたのだが、それでもうなり続けたという。どうにも困り果てた吉備津彦命は、御釜殿の下に埋葬したのだが(ふつうしないよな……)、それでもその首はうなり続けたというのだ。


さすがの吉備津彦命もこれには困った。そんなある日に、温羅が夢に現れ、温羅の妻である阿曽郷の祝の娘である阿曽媛に神饌を炊かしめれば、温羅自身が吉備津彦命の使いとなって、吉凶を告げようということで、この神事が始まったというのだ。


この話は、色々な問題を含んでいるが、たぶん、たぶんですよ。この吉備津神社は本来「温羅さん」を鎮魂する神社であったはずだ。


先の吉備津彦神社とご祭神は同じであるが、向こうは大吉備津彦命(五十狭芹彦命)の屋敷跡か何かであろう。


吉備津神社から向こうへ分かれたのだから、備中国一の宮が“本家”というがよくわからない。確かにこちらが先にあったかもしれない。


だが、そうであればなぜ、兄の大吉備津彦命(五十狭芹彦命)の家系がこの神社を祀らないのか? いわゆる吉備臣は弟の家系と考えられている(この家系はわかりにくいが)。


いま吉備津神社を祀っている家系は、この弟の小吉備津彦命(若建日子命)の家系であるというのだ。


弟の小吉備津彦命の家系の子孫が、兄の大吉備津彦命を祀り、代々神職を務めているは変ではないか? だから、本来、ご祭神は弟の小吉備津彦命であってもおかしくないのだ。


しかも、弟のほうが以後ヤマト政権との関わりが強いのになぜ大吉備津彦命のほうにこだわるのかはわからない。


それどころか、以前御陵を掃除していた地元の方に話を聞いた。


「ここは不思議なところなんです。殺したほう(吉備津彦兄弟)と殺されたほう(温羅)が、仲よく埋葬され、祀られているのだから」とも言っていた。吉備津彦兄弟と温羅さんが一緒に埋葬されている。これは御釜殿の下に首があることをさしているわけではないようだった。


また、吉備で会う人に、よく聞かれる質問がある。


「あなた、誰がここに(吉備津彦命御陵)眠っていると思いますか?」


である。その答えが五十狭芹彦命なら、変な質問である。聞く方がおかしい。「ここは誰の御陵だかご存じですか?」ならわかるが。


しかし、そう言いながら、答えは「まぁ、……兄の吉備津彦命ですけどね」とお決まりに笑って答えてくれるのだが。なんか含みがあるようなないような(笑)。


ふつうに考えれば、御陵の主は温羅さん(敬称の付け方がわからない)であろう(御釜の下ではない)。地元の人も、多くはそう思っているのかもしれない。


でも言えないだろうな〜特に地元のかたは。言い方は悪いが、たぶん仲間に裏切られて死んでいるはず。だから恨んでいるであろう。その裏切った人間の一族も地元に残っているはずだ。


そのせいか岡山県の人は、堂々と怨霊神である大国主命を祀っている(ここはここで複雑な問題が存在するのだが)出雲大社にどことなく、嫉妬や敵意があるような気がする。これは考え過ぎかもしれないが。


ここが温羅さんの鎮魂の社でなければ、備前・備中・備後国の広範囲にわたる吉備津彦系の神社が、陰陽道や仏教の影響下に神社が造られている意味がわからない。この頃朝廷はまだ神道なのだ。


神道は怨霊神の鎮魂には無力と考えられていた。だから鎮魂はたいがい陰陽道や仏教系の外来の神々に頼らざるをえない。例外のひとつが「出雲大社」なのだが。




●回廊をくだり御釜殿を目指す佐藤●.jpg

●回廊をくだり御釜殿を目指す佐藤●




長くそれたので話を戻す。


ああ、鳴釜神事。この不思議な習わしは現在にも伝わり、現在も神職と共に女性が奉祀してくださっている。その女性を阿曽女と呼ぶという。


この神事では、御釜で水を沸かし、神職が祝詞を奏上する。同時に、阿曽女が米を釜の蒸籠(せいろ)の上に入れ、力強くかき混ぜると、うなる様な音がする。


この音は「おどうじ」と呼ばれ、神官が祝詞を読み終える頃には音はしなくなる。この絶妙なバランスが不思議さをかもし出すという。


佐藤は、御釜殿にて、儀式が始まるのを待つ。以前見覚えがある年配の阿曽女がいらした。先ほど、回廊をおりてきたときには、お釜殿からは白煙を確認することができなかったが、御釜殿の中は、薪が勢いよく燃えさかり、部屋中が白煙で満ちていたのであった。


しかし、不思議なことに白煙でむせるということがないのが不思議。何代目かの阿曽女(あそめ)と呼ばれる年配の女性は、しばし、火加減を確認した後、「神職を呼んで参ります」と席を離れた。うううん、プロって感じ。


待つこと数分。彼女は帰ってきた「しばしお待ちください」といい。その後も火加減を注意深く見守るのであった。


やがて神職登場(先ほどの方とは別の人)。神職さんは、佐藤から、御札を再びあずかり台に乗せた。阿曽女さんは、古式に則り、お釜周りをきよめ、準備を整えていく。やがて神職が祝詞をスタートした。


すると、


ゴンゴンゴンンゴオオオオン〜ン



とすさましい轟音がお釜殿に鳴り響いたのであった。鳴りはじめたら、これでもかと、その音は高く低く響き合っていくのだ。


しばし、佐藤は、その音に絡みつかれていた。やや、眠くなった(笑)。同時に佐藤の身体は、心地よい暖かさに包まれていったのだ。


この間、数分なのか、あるいは数秒なのか……。


(寝るなよ。)


やがて神職さんの祝詞が終わった。しかし、御釜の音はまだ鳴り響いていた(ような気がするぅぅぅ)。そして、阿曽女さんが御釜を元通りにして、すべての神事が終了した。


やや、意識がぼうっとしていた佐藤に、神職さんは、佐藤の御札を優しく手渡してくれたのだ。その後、阿曽女さんが、佐藤に近づき神饌を掌に載せてくださった。



そして、


「ようお参りでした」


と言葉をかけてくれた。


お互いに数言、言葉を交わして、立ち去ろうとすると、



「以前、(神事を)やられましたか?」



と聞かれた。


そりゃそうだろう。御釜の音を聞いただけでは普通の人は「吉凶」はわからない。だから、「吉でしょうか?凶でしょうか?」と初めてなら聞くはずだ。


なのに佐藤は聞かなかった(笑)。


この吉凶の答えは突き詰めて言えば、「自分と温羅さんとの交信」である。大きく響いたか、小さく響いたか。自分の受け取り方次第なのだ。そう、このことは前回「この阿曽女さん」から伺ったのだ(笑)。


だから、同じ事を聞くまでもない。


「一昨年にご祈祷をお願いしました。今回御札を替えに参りました」


と答えました。


「そうでしたか。私も、見たことがある方だと思いました」


と微笑んでくださいました。


いやはや、素晴らしい! おもてなしを受けました。その後、佐藤はおみくじとしばし戯れたのでした。結果ですか。それは内緒だぁ〜(笑)。




【中山茶臼山古墳(吉備津彦命御陵)】

神事の後、車で、吉備津彦命御陵(御廟)の麓まで行き、一直線に伸びる階段を登った。


この大吉備津彦命墓といわれる古墳は、正式には「中山茶臼山古墳」と呼ばれ、いまも陵墓参考地として宮内庁が管理しているという。まぁ年に1回くらいしか来ないそうだが。


御陵のある頂上には、さわやかな風と太陽の光に照らされたサンクチュアリがあるのだ。


たとえ、この御陵の主が、五十狭芹彦命であれ、若建日子命であれ、また温羅さんであれ。吉備国の王者“吉備津彦命”としてこの街を
、参拝者を暖かく見守っている神様が鎮まっている気がする。


ではでは!




●御陵に行ってごあいさつ!●.jpg

●御陵に行ってごあいさつ!●



(やれやれ、台風18号は凄かった!To Be Continued!!)

posted by さとうはあまい at 15:30| 島根 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 見聞録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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