2009年09月17日

奮闘記・第512回 見聞録/富山県

●2009年● 富山県南砺市福光町



疎開先でも消えない芸術への想い

愛染苑の落書きに画業の極みを見る

〜民藝界の偉人が大集合!〜





佐藤の見聞録では、縁が深いといいうか、同じ匂いがするというか、もはやおなじみとなった棟方志功(むなかた・しこう)先生である。



今回は再び棟方志向先生のゆかりの地へ出向くことになった。けっこうあるんだなぁ、この先生が(笑)。やはり“世界のムナカタ”である。



最近もどこかのビジネス誌で“世界に通用した日本人”に、上位にランクインしてたものな。


先生は語学は怪しかったようだが、身振り手振りで話し、通訳が途中で観衆に「邪魔」にされたぐらいだ(笑)。観て、わかりやすいもの。


ご存じ棟方先生は、明治36年に青森県に生まれ。少年時代にゴッホの絵を好み、「ゴッホになる」と豪語し、芸術家を目指してほんとうになったという強者(つわもの)である。


ゴッホは生きている間はまったく売れなかったのだから、ある意味ゴッホを超えた。


大正13年に上京。昭和20年には第二次世界大戦中、富山へと疎開された。その建物を移築し、記念館も立てられていた。それが棟方志功記念館・愛染苑(あいぜんえん)となっているのだ。


佐藤は、今回、この富山県へ行く機会を得た。愛染苑に着く頃には、雨が降り始めていた。


駐車場から案内板を頼りに愛染苑にうにうにと向かう。どこの棟方先生のゆかりの地は駐車場からすぐに行けない(笑)。


愛染苑は、路地を抜けでた、民家の間にあった。愛染苑の前には、棟方先生が過ごした「鯉雨画斎」(りうがさい)が移築され、その前には旧・福光駅のホームとSL機関車が置かれ、現在は福光公園となっている。



●福光公園にあったSL●.jpg

●福光公園にあったSL●



●愛染苑(普通の民家である)●.jpg

●愛染苑(普通の民家である)●




板画家・棟方志功先生は、第二次世界大戦末期、昭和20年4月から26年11月までの6年間、この旧・福光町に疎開していたのだそうだ。


愛染苑は、昭和57年に、その当時に棟方先生を助けてくれた、故・石崎俊彦氏が、棟方先生の、作品を寄贈され、記念館として設立したのだそうだ。記念館には、棟方先生が疎開時代に制作した作品を中心に展示してあるという。


棟方志功記念館・愛染苑は看板がなければ、見過ごしてしまう普通の民家のたたずまいであった。、ドアを開けて中に入る。これまた、一般の玄関と変わりないのだ。


入館料は、棟方先生が過ごした家の鯉雨画斎も中へ入り見学できるセット券で300円。その半券には棟方先生の「カッパの柵」が描かれている。


棟方志功記念館・愛染苑には、もちろん、棟方志功先生の作品で満ちているが、その中には、これまたおなじみの、柳 宗悦先生や、河井寛次郎先生の書や作品も展示されていた。


そうですか、そうですか。こちらにも民藝家の先生方がいらっしゃいますね。これらの人々の名前を見ただけでわくわくしてくるから不思議だ(パブロフの犬状態?)。


記念館の中で先生の作品を堪能した後、佐藤は、鯉雨画斎に移動した。


引き戸を開けて玄関内に入る。


ゾウを出す(嘘)。


うん? 誰もいない。もし、棟方先生が座っていたら、けっこう怖い。いろんな意味で怖い。セット券を持っているので、「お邪魔します!」と中に入った。


すると、ちゃぶ台の上に、箱がおいてあり、見ればそこに券が入っていた。なるほど、ここで、自分で切って入れればよいのだろうと勝手に解釈してお邪魔をした。大らかというか、なんというか(笑)。




●鯉雨画斉にはサプライズが一杯!●.jpg

●鯉雨画斉にはサプライズが一杯!●




棟方先生が、疎開をしてきたときに、棟方先生の才能を知る高坂貫昭氏(光徳寺前住職)らは、棟方先生が存分に制作できる拠点を求め、独立した建物の工面に奔走した。


そこで、当時、富山の戦災跡地の住居建築を担当していた波多製作所が、昭和21年、棟方先生のためにと一棟を融通したのが、現在の「鯉雨画斎」である。


棟方先生は、自分の家に、ことのほか満足したという。そして、アトリエとして使用していた8畳間の板戸に墨絵などを描きなぐった。まぁ、ここら辺が常人と違う。


その板戸には、「滝登りの鯉」が力強く描かれていました。


うううん、今は“世界のムナカタ”であるから、「俺の家にも描いてくれ〜」とみんながいうだろうが、まだ売れないころの先生に新居に絵を描かれたら、正直言って「ぶん殴ってやる」と思う方が多いだろう。


現に東京では、芸大での大家さんと大げんかになり、「とっとと、この落書きを消せぇぇぇ〜」と激高したという。まぁ、売れ出してからは黙ったようだが(笑)。


また凄いのが、「神棚の裏側」にも棟方先生の落……いや、書が残されていた。神々様も、自分たちが造った芸術の申し子に苦笑いをしているに違いない。


「うわぁ〜こりゃ凄いや」と感心していると、玄関が開いて一人の男性が入った、というか、戻られた。


このYさんは、先ほど佐藤が愛染苑を出るときに玄関で他者に色々説明をされていた方記念館の方のようです。この方、まったく隙がない(汗)。


「どうしますか? こちらの館の説明を聞きますか、聞きませんか?急いでいなければ解説を聞いていきますか?」


というのでそりゃ聞きたい。願ってもないことである。だから、「ぜひ!」とお願いしました。


いやぁ〜! この方の話っぷりがお見事。面白いのだ。


学術的な説明はもちろん、余談や、エピソード、油断していると“小ネタ”を随所に用意してあり、話しがまったく飽きさせない。箱根元宮O宮司さんといい勝負だ。


棟方先生にまつわる話を、情熱的に、ご自分で体験したかのように解説をしてくれるので、ついつい話に引きずり込まれてしまった(笑)。これは才能であろう。


まずは、入り口横にある棟方先生のご家族の説明、これはいい話しだ。棟方志功先生の娘さんが、大胆な格好をして板を掘っている姿の写真が展示されていた。


居間には、棟方先生作の「北陸銀行カレンダー」が飾られていた。先ほども見たことは見たのだが、説明を聞いて吹っ飛んだ。このカレンダー、カレンダーであってカレンダーではないのだ。


何とも素晴らしい!! 日にちが出たらめ、順序立てて並んでいないのだ。これには大爆笑。なんとも、棟方先生らしいではないか! これは“ある年のカレンダー”ではなく、“棟方志功の作品”なのだ。


思いっきり、棟方ワールドを堪能し、いよいよ先生の“落書き”がある場所として有名なトイレへ移動。Yさんは、ここの「墨絵」ついても丁寧に解説をしてくれた。


佐藤も、トイレ内を眺めた。落ち着かない、トイレとしてはまったく落ち着かないのだ(笑)。


Yさんのいうように、確かに、男性用の便器の上には、微笑を蓄え合唱しているお地蔵様が描かれ、隣の和式の便器がある部屋は、四方の壁に素晴らしい女人観音が所狭しと描かれていた。


和式の便器の上に置かれた鏡には、天井に描かれた裸婦が威風堂々と描かれていたのであった。さすが棟方先生。うっとりする描きっぷりである。でも、何考えてんだか……。


最後は奥の部屋。ここはすでに先ほど眺めたが、解説では左に登り鯉が描かれ、右にはその鯉に驚いて川をくだる、亀や、鯰やウナギが描かれていると話してくれた。


棟方先生が暮らしていた当時は、この付近には、小川があり、鯉が泳いでいたのだ。


先生はご自分で暮らしたこの家を「雨に打たれた鯉」にちなみ、「鯉雨画斎」と名づけたとのこと。ここら辺の感覚は研ぎ澄まされた芸術家としかいいようがない。


この住居では、棟方家の家族6人が過ごしたほか、芸術関係者が多く訪れ、夜通し語り合ったと言う。屏風には、岡山の大原総一郎氏や、民藝家の柳 宗悦先生、河井寛次郎先生のお名前が残っていました。


まさしく住居跡全体から棟方志功先生の人柄や人間関係を感じることができました。熱く語ってくださったYさんに、お礼を告げて外に出たのでありました。


さてさて、ご案内をして頂き、本当にありがとうございました! おかげさまで、棟方先生を十倍楽しむことができました。棟方先生のおかげで、また素晴らしいご縁に恵まれました。先生、有り難う!!


帰りに愛染苑の前にある公園でSLや、そのとなりにあった宇佐八幡宮を参拝した。でもなぜここに? 富山の謎解きは始まったばかりである。ではでは!




●宇佐八幡宮を発見!!●.jpg

●宇佐八幡宮を発見!!●



(林 幹事長、元気出して自●党を立て直してください。国民に優しければ、国民はどこの政党でもいいんです。まずは次回参議院議員選挙から!To Be Continued!!)
posted by さとうはあまい at 13:16| 島根 🌁| Comment(0) | TrackBack(1) | 見聞録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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シルバー・ウイーク/21日(青森・四)棟方志功
Excerpt: ここから階段を上がると、展示場の入り口に辿り着きます。 で、記念撮影 ! 飛行機が墜落か何かして村中大慌てだったんだけど、棟方志功さんは、走って転んで、目の前にあった花に見とれてしまった・・・..
Weblog: goo goo g’joobな散文日記/水野 哲
Tracked: 2009-09-27 11:27