2009年09月14日

奮闘記・第511回 見聞録/長野県

●2009年● 長野県諏訪市


わが産土神にごあいさつ!

交通安全御守を交換するのだ!!

〜諏訪様のお諭し・交通安全はあんたの腕次第じゃ(笑)〜





なかなか、ブログ・介護職サポーターの更新がままならない。


さてさて、先頃の見聞録において、千葉県の香取神宮(ご祭神・経津主神)や茨城県の鹿島神宮(ご祭神・武甕槌神)の神々を載せた。


今回は、故郷の長野県に向かうので、この二柱の神様と戦いをした、建御名方命(タケミナカタノミコト)が鎮座されている長野県の諏訪大社へ行くのだ。


この日、おりしも台風が接近中。東京地方は雨。佐藤は、山梨・長野は晴れという天気予報を信じて、わが愛車。ニッサン・マーチ(愛称ポンちゃん)に飛び乗り、中央自動車道遵法速度で爆走する。


人をはね飛ばし、はね飛ばし()、山梨に入る。勝沼のトンネルを過ぎた頃から雨は上がり、お日様が姿を現したのだ。


街道では、すすきが穂を出し、棚田には、稲穂が頭をたれ、日の光をうつし黄金に輝いていた、な〜んてね!


高速道路をおり、見慣れた風景の中で駐車場へと車を置いた。そう諏訪大社(上社本宮)は、佐藤の産土神の神様でもあるのだ。


この諏訪大社(すわたいしゃ)は、長野県の諏訪湖の周辺に4箇所の境内地をもつ神社である。色々な“いわく”もあり、一筋縄ではいかない。


諏訪湖をはさんで、南に建御名方神(たけみなかたのかみ)を祭神する上社があり、北に后神八坂刀売神(やさかとめのかみ)を祭る下社が対座するということになっている。といいながら、それぞれ建御名方神と八坂刀売神が祀られているが(笑)。


さらに、上社には本宮前宮(長野県諏訪市中州宮山)があり、下社には春宮秋宮(長野県下諏訪町)がある。




●諏訪大社上社本宮の拝殿●.jpg

●諏訪大社上社本宮の拝殿●




諏訪大社は、信濃国一の宮名神大社。神位は正一位。全国各地にある諏訪神社の総本社なんだよねぇ。


佐藤も行くところ、行くところで諏訪神社にはよくお目にかかる。その起源は定かではなく、諏訪大社は国内にある最も古い神社の一つとされているのだ。


「記紀神話」では、天照大御神の孫、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の降臨に先立ち、出雲を統治していた大国主命に、建御雷之男神(たけみかづちのおがみ、『日本書記』では武甕槌神)が、出雲王国の支配権を譲渡するように迫った。


これに対して、大国主神の嫡子である事代主神(ことしろのぬしのかみ)は、自害(たぶん、抗議の自決であろう)し、残る息子は出雲の猛将・建御名方神。この国譲りに反対し、建御雷之男神と決闘(これが相撲のルーツとも言われる)をしたが負けてしまう。


そこで建御名方神は諏訪まで逃れ、ここから出ないことを誓ったという。しかし、その他方、上社の縁起には、諏訪には洩矢神(もれやのかみ)という土地神がいて、建御名方神と戦って負け、諏訪に王国を築いた諏訪明神(建御名方神)の協力者となって開拓の仕事に尽くしたともあるそうだ。


いずれにせよ、どちらもある意味“勝った側の言い分”であるから神話の源泉となる話の是非はわからない。わが建御名方神ですら、“侵略者”でなかったとは言えないのだ。


『神道集』(地方の諸神社の由来と神々の本地を説いた仏教系の縁起物語集)の「諏訪縁起の事」によると、諏訪明神は、甲賀三郎(第3代・安寧天皇から五世の孫)である。


近江国の甲賀郡の地頭をしていた甲賀権守諏胤(こうがごんのかみよりたね)の三男であり、甲賀三郎諏方(こうがさぶろうよりかた)というそうだ。


だから、諏訪明神と言ってしまうと正体がわからなくなる。また、日本神話中のタケミナカタが「変化した」ものが甲賀三郎だともいわれる。どういう変化の仕方かは理解しかねる(笑)。


つまり、諏訪神社(大社)の起源は、建御名方神の諏訪入りより古いということだ。元々はミシャグジさまという大蛇の姿をしている神を崇高していたともいう。


この神様は、土着の神様で、昔はミシャグジさまのお告げを伝えるために神主が選ばれてお告げが終わると神主(1年神主)を殺してしまうということが行われていたというのだから恐ろしい。


国譲りで建御名方命が、諏訪地方に流れてきてからはこの様なことは行われなくなったというが……。


言いにくいが御柱も、もともと“人柱”、つまり人間を埋めていたはず。ヤマト政権の「建御名方神」封じは念がいっている。


諏訪大社下社は、ヤマト政権が建御名方神の監視用に祀っているとも言われる。祠官の金指氏は「多氏」の血筋(鹿島神宮の社家であり、神武天皇の皇子・神八耳命の家系であり、出雲国造家ともかかわる)であり、ヤマト政権側の人間なのだ。


さてさて、そんな諏訪大社には“日本の奇祭”として有名な、御柱祭がある。この御柱の祭事の御柱祭(おんばしらまつり、または「御柱大祭(みはしらたいさい)」ともいう)は、7年に1度行われる勇壮豪大な祭りである。



●これが噂の御柱だぁ!●.jpg

●これが噂の御柱だぁ!●




樅の大木を、上社は八ヶ岳山麓から、下社は霧ケ峰山中から、人力だけで諏訪大社の四つの宮に曳き付け、宮の周囲に建てられるのじゃ。


佐藤も幼い頃は、この祭に参加して、山出し、里曳きでは、揃いの半天を着て、御柱の先頭にまたがって……(。男でも滅多にやれん)、ではなくて御柱につけられた紐を引いたものだ(笑)。


その頃は、お祭に参加することがうれしかったのだが……。しかし、この祭。実は、なかなか前に進まない。最近のケアマネの作るケアプランみたいにうまくいかない(笑)。


まぁ、なんせ、引き手の大人達は、街道沿いの家々で、出されるお酒、出されるお酒を飲みながら、お祭りを楽しんでいるんだものなぁ。


その点介護職は頂き物は受け取らないから大したものだ。


うん? そうだよね、みなさん!


ちなみに、来年は寅年だから、この諏訪の御柱祭が行われるのだぁ〜。


さて、参拝である。


上社の境内は、先月の水害の爪痕がのこり、境内には、大きな岩と、土砂がまとめられていた。見れば、宝物殿の裏山にも土嚢が積まれていた。それをみて、よくぞ、これだけにとどまってくれたと思った。


拝殿では、今回の旅の無事をご祈念。おみくじは末吉。産土神の「諏訪様のお諭し」(諏訪大社のおみくじをいう)を無視してひきなおしても(笑)。


愛車・ポンちゃんにつけてあった交通安全の御守を新しい御守に交換。これで、ポンちゃんの無事を確保した。もうひとつ、群馬の山名八幡宮の御守もあるしぃぃぃ(笑)。



●愛車マーチ君(ポンちゃん)と新しい諏訪大社御守●.jpg

●愛車マーチ君(ポンちゃん)と新しい諏訪大社御守●



●お宝満載(笑)、宝物館●.jpg

●お宝満載(笑)、宝物館●




その後、宝物殿を見るために、社務所にて、入館料を支払う。すると、巫女さんが「下社には行かれますか?」と聞かれた。下社の宝物殿とのセット券もあるらしい。この時点では下社への参拝を考えていなかったので(あとで寄ったが宝物館には行けなかった)、単館の拝観券を買った。


諏訪大社の宝物殿の栞によれば、諏訪大社の御宝物は、ご祭神・建御名方神は、后神・八坂刀売神とともに、信濃の国の国土発展に当たり、殖産、興業の道を開き、やがてこの地に鎮座したという。


やがて、征夷大将軍である坂上田村麿が、関東第一の軍神と崇め、また、源頼朝武田信玄、徳川歴代の将軍、諏訪高島藩主等が進んで社領を寄進。あるいは御神宝を捧げて武運の長久、国土の安泰を祈願したとある。ここの宝物が収められているというわけだ。


余談だが、この武田信玄が諏訪明神を崇敬しすぎて、けっこう諏訪大社に介入してしまい、以前の形態が壊れているとも思われるは、古代信仰の継続という点では残念だ。


あとは建設業というか、関東のヤク○の方々の信仰もかなりのものと聞く。まぁ、ハイハイという感じがしないでもない情報ではあるが(笑)。



●こちらが御柱、近くで見るとでかいぜ!●.jpg

●こちらが御柱、近くで見るとでかいぜ!●




さて、上社の宝物には、八栄鈴やサナギの鈴。さらには諏訪大社の象徴である薙鎌(なぎかま)が展示されている。


ちなみに見ることはできなかったが、パンフでは下社の宝物殿に、双鳳菊花八稜鏡や頼朝下文及び下社の神印として活用されて来た、売神祝印(めがみほうりのいん:重要文化財)が展示されているらしい。


ちなみに、この宝物殿には、宝物のディスプレイの間に、時代屋などで販売している、カバヤ食品でよくあるっちゅうか、そのものの「武将フィギア」が飾れていた。これには。びっくり!


帰りには門前でソフトクリームを頂いてとぼとぼ車へ。ハハハ。お後がよろしいようで!



●門前でアイスクリーム、伝説の相撲取・雷電像もある●.jpg

●門前でアイスクリーム、伝説の相撲取・雷電像もある●



(ゆるキャラ祭は、ひこにゃん、ぐんまちゃん、エイットくんの争いだ〜!To Be Continued!!)
posted by さとうはあまい at 13:47| 島根 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 見聞録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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