2009年07月11日

奮闘記・第487回 読んでみた!/東京都

●本の分野● 小説



『 手 毬 』(瀬戸内寂徳・作) を読む

〜貞心尼の純愛小説を発見。女心を熱くさせるぜ!〜


(池袋西武・リブロにて購入)




さる2008年11月、新潟県長岡市島崎にあるわしま村良寛の里美術館に寄った(見聞録371)。



この美術館には、良寛さん と愛弟子・貞心尼の書や詩歌を中心に、ゆかりの文人墨客の作品も含めて展示されている。



この中に、晩年の良寛さんと貞心尼の問答歌があった。佐藤はそれらを読み進めるうちに、貞心尼と、良寛さんの間に恋愛感情のようなものを感じていた。



失礼ながら、その時点では、「ほうほう老いらくの恋であろう。それもいいかもしれない」ぐらいにしか思わなかった。



その直後、この美術館のロビーに、良寛さんと貞心尼が問答をしている銅像があったのだ。結構写真などにも載っている有名な物だ。その像は、囲炉裏を挟み2人が座っていた。まさに「いい雰囲気」で見つめ合う、良寛さんと貞心尼の姿があった。



佐藤は、良寛さんから感じる優しさもさることながら、貞心尼の美しさについて、心惹かれるものを感じたのだ。



なにしろ、良寛さんの前にいる貞心尼は、尼さんであるが、まだ若い後家さんであり、美人であったと言われる(笑)。



ここで、貞心尼の生涯について少し紹介したい。



貞心尼は長岡藩士・奥村五兵衛の娘として生まれ、幼名はマスという。幼くして母親と別れ、義母に仕えて暮らしていた。



マスは毎日、義母に言いつけられた分の賃糸をとり、それを母親にわたし、余ったお金で筆墨紙を買ったという。また、囲炉裏の灰に文字を書きながら色々学んでゆく。



マスは17歳で小出島の医師と結婚する。だが、5年後に色々あって離別。長岡の生家に戻り、人生の無常を感じ出家の道を選ぶのだ。そして、浄土宗西光寺の末寺閻王寺に行き、沙彌尼となり、剃髪してのち、貞心尼となる。



ここで、貞心尼は、かなり厳しい修行を積む。やがて、托鉢に出られるようになって(これは最上の修行である)から、良寛さんの歌や漢詩に関する情報に接する機会があったのだろう。



当時、日本は識字率が高く、文字が読める人はそれなりにいた。でも、精通している人となると限られてくる。だからこそ、よけい、活字中毒者は文字や、発信できる人(たとえば良寛さん)を求めるのだろう。良寛さんとは違う宗派なのに、である。



そして、独り立ちした貞心尼は、一人で閻魔堂に起居するようになるのだ。



すでに、前のブログでも頻繁に触れている、瀬戸内寂聴(せとうち・じゃくちょう)先生は、『手毬』の中で、貞心尼を主人公に一人称の問わず語り語るスタイルで、話を展開してゆく。



先生については、数々の文学賞をとられ、各方面でも活躍されている方で、いまも現役の作家なので佐藤がとやかく説明する必要はないだろう。これだけの大家ではページを食い過ぎるのだ(笑)。とにかく貞心尼同様、年を重ねられても、良い意味での“つや”を失わない方である。




さて、この閻魔堂で起居している貞心尼が、良寛さんの書をよみ、ひとり、良寛さんを思い描き、どうしても良寛さんに逢いたくなった、と言うところから物語は始まっている。



閻魔堂から遙か彼方に住まう良寛さんを思い描いて外を眺めているところへ、一人の旅商人、「佐吉」が登場する。



この人物は、先生が狂言まわし(物語展開上のキーマン)として想像された人物で実際には存在しない。モデルになるような人物はいたかもしれないが。



この佐吉は、良寛さんが出家するきっかけになった理由や、その後の修行のこと。また、現在の良寛さんの暮らしぶりを、旅すがら得た情報として貞心尼にそれとなく、伝えていくのだ。これはもちろん、我々読者に向けて発信されている情報なのだが。



貞心尼は、佐吉から、良寛さんの話を聞くごとに、良寛さんに逢いたいという想いが大きくふくらんでいくのだ。



そして、貞心尼は、良寛さんの情報を得たいがために、いつしか佐吉が現れるのを待つようになる。もちろん、やがて佐吉そのものへも飛び火する。



貞心尼は、良寛さんと子ども達が手毬をつく様を思い描きながら、佐吉が置いて行った絹糸で手毬をかがっていくのであった。そう、この手毬らしきものを、実際見たから、読んでいく佐藤にも気持ちが入ってくる。



そして、できあがった手毬をもち、いよいよ良寛さんに会いに行く決心をし、1人で出掛けていく。



貞心尼が良寛さんをたずねたのは、五合庵でも乙子神社の草庵でもない。長岡市の島崎にある木村家(能登屋)である。佐藤は、良寛さんの事蹟をまわりはじめたころ、ここやお墓も実は「通り過ぎて」しまったのだ。



まだこれほど、入れ込むことになるとは思わなかったし、第一車を止めるところがみつからない。多いんだよなぁまだまだそういう史跡類が。いつかリベンジしたいね。



さてさて、その木村家の当主・木村元右衛門は、良寛さんの御高徳に傾倒し国上山時代から良寛さんを訪ねていたのだ


そこで、良寛さんの弟子、遍澄(へんちょう)さんは、70歳を迎えていた良寛さんを、心配して、木村家に引っ越しをさせることにしたという。ここらへんが宗教家、坊さんというよりも、生臭い、人間・良寛の魅力や思想があったのだと思う。



だから、お墓は自分の流派(曹洞宗)ではないお墓に眠っているのだろう。



もし、生前から、良寛さんが「そんなの(宗派)どうでもかまわんよ」という人でなければ、坊さんを違う宗派で供養なんかできないだろう。なにしろ、「曹洞宗」の高僧なのだ。



木村家に引っ越しした良寛さんは、母屋に住むことは辞退し、木村家の裏にある木小屋に起居するようになる。良寛さんは留守に訪問した貞心尼は小屋に、「手毬」と、肌着などを置いて帰る。



その後、良寛さんとの手紙のやりとりや、訪問が始まっていくのである。さて、本文から手紙文を引用する。





「手毬と肌着有難く納受仕候。

折角御出之処、

留守に致しお目もじ適はず残念に候。
 
つきて見よひふミよいむなやこゝのとを

とをとをさめてまたはじまるを」





この手紙を受け取り、貞心尼は、良寛さんから「まぁ、また遊びにおいでや」と誘われたように思うのだ(笑)。



いいな〜、出家していてもこの前向き(というのかどうか)な考えかた。このあたりが、寂聴先生のお人柄がわき出ているように感じた。また、良寛さんの、若い頃遊び慣れた旦那衆のころの心意気が垣間見られるのもいい(笑)。



その後、貞心尼は、いよいよ良寛さんと逢い、囲炉裏を囲んで酒を気味交わし、やがて、問答を始める。この問答で2人の距離も縮まり、その後に手紙のやりとりが始まるのだ。



この物語では、良寛さんの詩や歌、漢文などが、所々にちりばめられているが、寂聴先生は、貞心尼が、それらをどのように読み、その時々にどのような感情を抱いたのかを女性の立場で、同じく出家した物の立場から、明晰に書き表していく。



だから、佐藤も、いつのまにか、貞心尼の心に入り込み(実は寂聴先生の中なのだが)、はらはら、ドキドキさせられたのである。



貞心尼の感情には、まだまだぶれている部分があったのだと思う。そう、まだ若いのだから。本の終末に、貞心尼が良寛さんの終焉の時間をそばで過ごし、献身的な介護をしている場面が描かれている。



もちろん、貞心尼は色々な感情を胸に秘めていたはずだ。ここでは、介護をされる良寛さんの恥じらいなどが見事に描かれていた。貞心尼は、これだけの高僧が、自分に対して「女性」を感じてくれたことが嬉しかったのかもしれない。それは精神的な、ほのかな愛であったとしても。



これを読んでみて、今度は貞心尼の足跡も辿りたくなりました。いいですねぇ、楽しみが増えるのは。皆さんも、読書の夏をお楽しみくだされ。ではでは!




【本のデータ】

『手毬(てまり)』

瀬戸内寂聴・作、新潮文庫1994年438円+税




●読みました!(島根県・松江の研修会場にて)●.jpg

●読みました!(島根県・松江の研修会場にて)●



(でも揺れる電車やバスの中で本を読み続けると、針に糸が通せなくなるのでご注意くだされ。結構つらいですじゃ!To Be Continued!!)
posted by さとうはあまい at 16:41| 島根 | Comment(0) | TrackBack(0) | 読んでみた! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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