2009年07月03日

奮闘記・第481回 首都圏/神奈川県

●2009年● 神奈川県小田原市



小田原文学の神髄に触れる

〜ちょっきん ちょっきん ちょっきんな〜





時間がないのに、佐藤は、小田原文学館をめざし車を走らせていた(笑)。




この小田原文学館は、小田原市南町の西海子通りというところにあった。気づけば、車は、閑静な住宅地に入り込んでいた。まぁ、だいたい文学館的なものは、誰かさんの「元住居」が多いですなぁ。



ナビ様は、1件の家の駐車場に佐藤を導いた。この家は、幕末の志士で、元・宮内大臣でもある田中光顕伯爵が別邸として建てたものだ。





●小田原文学館のひっそりとある入口(笑)●.jpg

●小田原文学館のひっそりとある入口(笑)●




昭和12年建築の洋館であり、古いような新しいような建物である。この文学館も、ご多分にもれず、普通の一軒家なのである。




玄関をあげると上がりかまちになっていた。靴を脱ぎ、ヌメヌメのスリッパを履き、受付にて入場券を購入した。



最近、このスリッパをどうしょうか、と考えるのだ。まぁ、こぢんまりとしたところなら、そのまま履かないで見学するのも良いが、広い屋敷ではそうはいかない。




某ホテル●-1あたりの使い捨てスリッパを頂いて使おうかとも考えている今日このごろである。まぁ壊れやすいのが難点だが。




今日のところは、有り難く、ヌメヌメのスリッパで見学した。




さて、階段を上ってみて驚いた。なるほど、普通の階段より奥行きが広い。また、手すりもヨーロッパ風なのだ。といってもヨーロッパに行ったことがないので、あくまでもイメージである(笑)。どうやらスペイン風らしい。




●さすが大臣の別荘、南欧調の洋館であった●.jpg

●さすが大臣の別荘、南欧調の洋館であった●




●庭には紫陽花が見事!●.jpg

●庭には紫陽花が見事!●




へへん。ここは2階が展示室になっている。ここには、小田原に在住して執筆活動を行ったという作家や学者の先生がた、たとえば、明治のはじめに、島崎藤村先生とともに、「文学界」を創刊した、日本近代文学の祖といわれる北村透谷先生。




文化勲章を受章した尾崎一雄先生、民衆派の代表的詩人・福田正夫先生や、川崎長太郎先生、そしてあの、谷崎潤一郎先生など、多くの先生達が、小田原にゆかりのある文学者として、この文学館で資料が展示されていた。




直筆の手紙や原稿、初版本など、文学好きやファンにはたまらない品物が展示されていた。




そして、小田原にゆかりのある作家・文学者等の活躍が、年譜として、いまに至るまで、現在進行形で記入され、新たに記入できるように壁にパネルが貼られていた。




谷崎潤一郎三好達治北村透谷尾崎一雄北原白秋、他にも多数。




確かに、文学界の巨匠や文豪、著名な詩人がたくさん、小田原に住んで活躍していたのがわかるが、いつのころからか、小田原で活動する作家たちは目に見えて減ってきているようだ。




原因はわからない。関東大震災の影響なのか、また小田原の現代化が進み、閑静ではなくなったせいなのか。交通網が発達したので、もっと遠く(例えば仙台)などでも、東京都の行き来が可能となったせいか。




確かに交通網の発達で、関西から関東圏へは日帰り出張が可能となり、千葉においてあった支社が減り、ビルが空いて影響受けているそうだからね。




もしかしたら、作家はいっぱいいても、売れてる作家が少ないのか。いずれにせよ、記録される小田原在住の作家の活躍は年表で尻すぼみの感は否めない。




むかしの文学者の墓碑銘を読むような気がしてしまうのだ。




失礼ないいかたになるかもしれないが、いまではあまり読まれなくなってしまった作家の展示物が多いせいかもしれない。文学好きなら知っていても今の子たちは知ってる作家ってどれくらいいるかな?




これは、価値を否定しているわけではない。これらの作家たちが読まれなくなった読者レベルの低下や、売れる物しか作らないといいながら、とても売れそうにない本を平気で溢れるほど出し、価値が確立している作品群の「出版文化」を簡単に廃刊にしてしまう出版社事情を残念に思っているのだ。




書店で観ず、手にも入らなければ、親しみも愛着も読書意欲も湧かなくて当然であろう。




確かに村上春樹氏は面白い。もしかしたらノーベル文学賞も夢ではない。これは冗談ではなく、村上春樹氏自身、きちんとそういう活動をしているからなのだ。だが、彼作品のピークは過ぎているのではないかな。




どんな作家でも、活きのいい作品が書けるのはせいぜい、10年である。彼の初期に売れ始めた時の襲撃は凄かった。ヒタヒタと、そして突然にしみ込んできたのだ。『ノルウェイの森』以降ではあまり感じなくなったが……。




夏目漱石先生もピークはやはり10年であろう。司馬遼太郎先生は、晩年はエッセイがほとんど。小説はそんなに書かれてはいない。ただ、後期作品の『空海の風景』(中公文庫で上下巻)は、すばらしかった。それまでの作品のファンの受けは悪いようだし。





さて、村上春樹氏である。





彼は、せっせと、自著の翻訳活動に協力し、他国での理解を深めてもらうための自己努力をしている。読まれなければ評価はされない。善し悪しではなく、日本語は世界ではマイナーな言語である。外国人で読める人の方がまれなのだ。




だから、よい物を書けば誰かが翻訳してくれるだろう、という姿勢よりも、自分で翻訳に協力したほうが世界で認められる確率は上がる。たぶん、だからこその「翻訳調」の文章なのかもしれない。




そうそう、うまくいくかはわからないが、成功例はある。そう、あのノーベル賞作家の大江健三郎先生もそうであろう。路線を決めて、次々に「重いテーマ」で書き続け、世界に発信し続けた。




科学者や医学者は、自分の論文が、英訳できるようにあらかじめ、日本語の文章構成をちゃんと考えているのだ。だから、彼らの文章は翻訳調の論文になってしまう。




その代わり、英文にするのが、たやすくなるし、訳し間違いも、誤訳も少なくなるだろう。これは、読んだり、翻訳したりする外国人の方々にとっても同じであり、親切なのだ。そ代わり日本語としての出来は必ずしもよくならない。





だから、「あの文体」を確立した村上春樹氏は凄いとしかいいようがない。評論家で悪口を言うのもいるみたいだが、あまり説得力はない。




まぁ、古き良き、文学の復権を祈りつつ、文学館を一巡りした。




●こちらには白秋童謡館があるのだ●.jpg

●こちらには白秋童謡館があるのだ●





そして、同じ敷地内(入場券は共通券)にある「北原白秋童謡館」に行ってみた。入場券は文学館と共通券であった。




北原白秋、まさに文学界の巨匠である。いまは手に入りにくいが、岩波書店の全集で、39冊。詩や歌を中心に言葉の魔術師とも言える多作であり、心に残る歌があるし、作曲家・山田耕筰先生とのコンビでも多数の名曲を作られている。




記念館も、白秋先生の生家にある、九州・柳川の記念館。神奈川の城ヶ島。そして、ここに童謡館があり、歌碑などは、それはもう、あちこちにある。




いうまでもなく、北原白秋先生は詩人である。しかも大詩人だ。佐藤もその昔は保育士であったから、童謡はそれなりにわかる(笑)。




白秋童謡館の建物は、先ほどの田中伯爵の建てた住居の別宅だった建物という。先ほどの西洋風建物と違い、こちらは、和風建築そのもの、ということ。佐藤には、畳があるこの建物のほうが居心地がいいなぁ〜、スリッパはいらないし(笑)。




さて、白秋先生が詩を書き出したのは、大正7年に、鈴木三重吉先生の児童雑誌「赤い鳥」に童謡の担当者として参加したことがはじまり。





その頃、白秋先生は小田原の天神山の伝肇寺に「木菟の家」を建てる。木菟の家はかやぶき屋根の家でその姿が木菟に似ていたため、そのような名前がついたとか。でもミニチュアを見ても似てないんだよな。





その白秋先生に、大正11年に長男隆太郎が誕生。すると、童謡に対する思いは一層ふくらんでいったという。愛する子どもに歌ってきかせるための作品作りの目的が、そのまま白秋先生の童謡創作の力の源になっていったのだ。





先生は、「赤い鳥」だけではなく、大隅重信候主催の「大観」や作曲家の山田耕筰先生とともに創刊した「詩と音楽」等、多くの作品を残している。




2階に上ると、畳の上に大きなテーブルがあり、その横に年代を感じさせるテレビが置いてある。そのテレビの画面からは、ビデオで白秋先生が作った歌が流れいた。




ひゃ〜い!!




まずは「あわて床屋」




♪春は〜はよから 川辺のあしに〜


♪かにがみせだし床屋でござる〜


♪チョッキン チョッキン チョッキンな〜




次に「赤い鳥」


♪あかいとり、ことり、なぜなぜ赤い あ〜かい実をたべた




さらに「この道」


♪このみちは〜いつか来た道〜 


ああそうだよう あかしやのはなが 咲いてる




次々に幼い日を思い出すような懐かしい歌が流れてきた。佐藤は、しばし、時の流れを忘れて一緒に口ずさんでいたのである。




1階に降りると、そこには、白秋先生の本等が収納されている展示室があった。その一角には「まざあ・ぐうす」のコーナーがあった。





北原白秋先生は、なんと英国童謡のマザーグースを訳していたのだ。佐藤はそこに展示してった一部を眺めましたが、文章には白秋先生ならではの優しさで溢れていた。





そこには、現代の名人・谷川俊太郎先生の生々しい訳詞も展示されていた。




ううん、でも白秋先生の格調ある文章が好きですねぇ……。善し悪しではなく、好き嫌いの問題でしょうが。




さて、これにて、長引いた小田原見聞録はおしまい。チョッキン、チョッキン、チョッキンなっ〜ですぜ!




●白秋童謡館で童謡を堪能した●.jpg

●白秋童謡館で童謡を堪能した●



(島根県松江市で研修中に、島根県初の新型インフルエンザが出た。しかも松江だったが、発生後の対策は、手洗いとマスクであった。うううん、さすがだ……。To Be Continued!!)
posted by さとうはあまい at 16:16| 島根 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 見聞録(首都圏版) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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