2009年06月18日

奮闘記・第472回 首都圏/神奈川県

●2009年● 神奈川県横浜市


佐藤流・YOKOHAMA GUID

祝・開港150周年記念ウォーキングじぁ〜

(いや〜困ったPart3)




佐藤は、横浜に来るたびに、登ってみたい。それがなかなか叶わなかった。なにしろ閉館していたのだから。それがこの横浜マリンタワーなのだ。



【新装・横浜マリンタワー】

横浜マリンタワーは、横浜港開港100周年記念行事の時に、横浜を象徴するモニュメントを建設するという計画から1961年に建設された。


その高さは106mである。灯台を意識したデザインが特徴で、実際に当時のタワーには頭頂部に、灯台としての機能を併せ持っていたそうだ。ギネスブックにも、「世界で最も高い灯台」として記録されたというのだから素晴らしい。ははは。


しかし、近隣を航行する船舶に対しては、実際には灯台としての重要度はあまり高くなかったらしい。まぁ、この近くまで来ちゃうと結構わかりやすそうですからな。灯台なんかいらなそうだ(笑)。


2008年には、改装工事が必要となり(結構ガタガタしてました)、まずは灯台としての機能は7月28日未明をもって休止し、9月1日には廃止された。


創業時には、多くの観光客を集め、ピーク時には年間入場者数105万人を記録した。しかし、その後、集客力が減少していき、2005年には年間27万人にまで減少した。とうとう、運営会社は入場者減に伴いマリンタワーの営業を、2006年12月25日に終了した。


その後、横浜市はマリンタワーを改修、2007年リスト株式会社が運営会社となり、2009年5月23日(土曜日)に復活し、グランドオープンしたのである。


改装前はかなり汚かった。値段はともかく、元町百段公園と同じで、何も手を入れないであれるがまま、という感じであった。これでは“いい時の横浜”はなかなか帰って来なくても仕方がない。


横浜は好きな街であるのだが、少し前までは、悪いがB級観光地(横浜を観光地とすれば)の域を出ないものであった。東京に遊びにくるついでに横浜も、ということもあまりなかった。


それが開国150周年という目標があったためか、かなりイメージが回復しつつある。きれいな街になれば、みんなやっぱり横浜が好きなのだ(笑)。



●復活!横浜マリンタワー●.jpg

●復活!横浜マリンタワー●



さて、中に入って盛況ぶりに驚いた(笑)。いつもなら、その人の多さにそそくさと退散するかもしれないが、それでも、今回はなんとしても登りたいのだ。だから辛抱強く待ちましたよ。


ようやく順番が来てエレベーターに乗った。この間にも周りの景色を堪能できる。景色は良い分が足下はすくむ思いですぜ(笑)。


展望フロアは地上29階と30階。展望フロアでは360度すべての景色を見渡すことができた。まぁそれだけなら、もっと高い横浜ランドマークタワーがある。ここにあるタワーだから意義がある。厳密に言えば、いまの桜木町駅や横浜駅は、開国当時は「水の下」なのだ。




●先ほど歩いた横浜山手方面が見えるぞ●.jpg

●先ほど歩いた横浜山手方面が見えるぞ●




うううん、横浜〜。当時に想いをはせ、佐藤が西の方向を見つめていたその時、なんと、自衛隊の飛行機、かの有名なブルーインパルスが隊列を組みこちらへととんでくるではないか!(あれが裸眼で見えるその目が怖いわい)



ズキュゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥン〜


ひゃ〜い! ジェット機がくるぞう! きゃ〜! 逃げろ〜!(何で?)


なんて叫んでいたら、後方から白いスモークをはきながら横浜港上空へ飛んでいった。


機影を追いかけ眺めていると、ブルーインパルスは、横浜港の上空で一気に上昇し弧を描く形で下降し、さらに隊を整えて、先ほど、飛んできた方向へ飛び去っていったのだ。




●突如現れたブルーインパルス!!!(タワーから)●.jpg

●突如現れたブルーインパルス!!!(タワーから)●




この間わずか数分間の出来事であったが、間近にみた、ジェット機の機影と、パフォーマンスの素晴らしさにしばし呆然とたたずむ佐藤であった。ううん。ステキ!!!


ただ、イラクやアフガンで、あれに似たような戦闘機で攻撃されている人々を考えるとその恐ろしさは想像できない。ああいう物を平和利用だけで使える世の中にしないといけない。人類のテーマは続く。




●タワーを出たら、また来たブルーインパルスが描いた輪●.jpg

●タワーを出たら、また来たブルーインパルスが描いた輪●




【横浜開港資料館】

とはいいながら、ブルーインパルスの興奮を抱えながら、横浜開港資料館へ向かった。


この横浜開港資料館は江戸時代から、大正・昭和初期までの国内外の歴史資料を集め、広く公開・普及し、世代間の交流と市民相互のふれあいを高めるためることを目的として、昭和56年の6月2日(開港記念日)に日米和親条約が結ばれた由緒ある地に開設された。




●横浜開港資料館にも行った●.jpg

●横浜開港資料館にも行った●




館内は、常設の2つの展示室と、企画展示室がある。その他に、江戸時代から、大正・昭和初期までの横浜に関する資料を閲覧できる閲覧室があるのだ。


展示室1には、200年あまりの鎖国を破ったペリーの来航時のようすが紹介している。


1854年(嘉永7)ペリーは、500人の武装した兵士を連れて横浜村に上陸した。このペリー上陸図には、横浜港に浮かぶ黒船の船隊。神社の前に整列して立ち並ぶ水兵さん。それを向かえ入れる、日本の武士(幕府)が描かれている。


また、これらの情景を見渡すかのように、神社の中には1本の木描かれている。実はこの木は玉楠で、なんと、横浜開港資料館の中庭で、生き続けているのである。この資料館の場所には旧英国領事館があった。


展示室2では、明治14年に発行された横浜実測図を基とする床面地図上に、その場所で始まった「横浜もののはじめ」などが紹介されている。


また、先述したヘボン先生ご夫婦の業績が紹介されていたり、また、開港により、絹の輸出や、石鹸の製造など、日本の産業の発展などを見ることができる。これは改まってみると結構おもしろかった。さらに、横浜開港資料館の旧館には記念ホールがある。この旧英国領事館は昭和6年に建ったものなので、記念ホールはその待合室だったという。


先を急ぐ佐藤は記念ホールまでは行かなかったが、その代わり、しばし、玉楠の前にたたずみ、清々しい気持ちに浸ったのであった。



●開港を見守った玉楠の子孫ですだ●.jpg

●開港を見守った玉楠の子孫ですだ●





【シルク博物館】

大桟橋のすぐそばにシルクセンター国際貿易観光会館がある。ここは、横浜開港百年記念事業として、神奈川・横浜市・関係業界の協力で、昭和34年3月に、開港当初英国商社ジャーディン・マセソン商会(英一番館)があった場所である。いろいろ文化の兆しが見えてくるところである。


シルク博物館はこの中で、重要な一事業部門として開設された。ここでは、絹の科学・技術の理解や、絹装飾の工芸美を観賞する事が出来る。一方では、絹の需要促進も目的にしているそうだ。


展示室では、蚕の成長にともない、活用された農具や、繭玉から糸が造られる過程。糸の種類と、その糸を原料として、織られ染められていくいろいろな工程が展示されている。




●シルク博物館にも侵入(やや、お疲れ気味)●.jpg

●シルク博物館にも侵入(やや、お疲れ気味)●




実は佐藤は、その昔幼少時(ご幼少とは言わせない)、蚕の世話をしたことがあるのだ。祖母の家には蚕棚があり、桑畑で、桑をとり、蚕に与えたことがある。


だから、農具や、蚕棚を見ていたら、それらの風景がおもいだされ、いつしか、その桑の葉を蚕がさわさわと食べていく音を思い出していた(誰かに似てる)。


ちなみに、蚕はかわいいが、成長した蛾は大嫌いである!!(皆様たくさん送ってください、ははは。要るか!)


そうそう、館内では、日本の製糸産業の歴史をパネル等で紹介しており、長野県諏訪地方の製糸工場や、群馬県にある、富岡製糸場(世界文化遺産暫定リストに記載)の煉瓦造りの建物や、製糸場の中で絹糸を括る女工さんたちを描いた錦図なども展示されていた。


また、絹糸からつくられた和装や洋装が賑やかに展示されていて、佐藤は、人間が造り出す「美」にしばし見とれてしまったのだ。


さて、シルク博物館も堪能したし、そろそろ、お腹が空いてきました。やや、気が重いが、いよいよ、横浜開国博が開かれている赤レンガ倉庫方面へ向かうことにしますかねぇ。


ということで、横浜ぶらぶら節はまだまだ続く! 何か問題でも?(笑)



●おお!大麻、じゃなくて桑の木が繁っていた●.jpg

●おお!大麻、じゃなくて桑の木が繁っていた●



(ちょっと疲れ気味、まぁそういうことで!To Be Continued!!)
posted by さとうはあまい at 14:09| 島根 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 見聞録(首都圏版) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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