2009年06月09日

奮闘記・第468回 首都圏/神奈川県

●2009年● 神奈川県横浜市


佐藤流・YOKOHAMA GUID

祝・開港150周年記念ウォーキングだぁ!




というわけで(笑)、横浜は今年、開港150周年を迎えた(おめでとうございます!)



ペリーさんやら、ハリスさんやらが、ぎょーさん来て、ワイワイやった結果、安政五カ国条約によって、安政6年(1859年)6月2日、幕府はアメリカイギリスオランダロシアフランスに対して開港された。



不平等条約であり、必ずしも喜ばしい開港ではないのだ。そして、この幕府の腰抜けさが倒幕へと繋がっていくのだ。



薩摩も長州も確かに頑張ったには違いないが、やはり、「討幕」というより、「倒幕」であろう。最後の最後まで、幕府に勝つチャンスはあったのに、最後の最後まで、幕府に勝つ気がなかった。これでは勝てるわけない。



ちなみに同じ開港でも、開港記念日は、横浜長崎6月2日函館(当時・箱館)は7月1日である。



しかし、正確にいうなら函館が正しいかもしれんが、旧暦の6月2日が、円→ユーロ換算のように「換算」して、新暦で「7月1日」だといわれて、「はい、そうですか」と7月1日を祝う気になるかどうか(笑)。



さて、この日、佐藤は研究所を抜け出し、横浜に向かった。前日まで降り続いた雨もあがり、お散歩(徘徊?)日和であった。



JR根岸線・石川町駅下車、うにうにと目標物の「ありそうな」ほうへ出る(まるでアバウト)。地蔵坂をややあがると、左側に空に向かうがごとき、階段が出現する。



佐藤は、この階段をほうほうの体で、のぼり、山手(やまて)地域に入っていった。



山手には、西洋館がいくつかある(財団法人横浜市緑の協会が管理)。はじめに入ったのは「外交官の家」(こういう名称である)。庭の入口から、玄関までがバラの花が植えられていた。



入口では管理をなされている方が、それはそれは、見てわかるぐらい、一生懸命に入館者が履くスリッパを消毒液で磨いていた。



いや〜いきなり、素晴らしいおもてなしである。



●石川町にある「外交官の家」●.jpg

●石川町にある「外交官の家」●





■外交官の家

ここ、「外交官の家」は、文字どおり明治政府の外交官の居宅であった。といっても内田定槌氏が邸宅として、東京渋谷の南平台に明治43年(1910年)に建てられたものである。



●丁寧に磨きをかけた室内●.jpg

●丁寧に磨きをかけた室内●




横浜市は、平成9年(1997年)に、この内田定槌氏の孫にあたる宮入氏から、この館の寄贈を受け、山手イタリア山庭園内に移築・復元し、一般に公開している。また、この年に国の重要文化財に指定されている。



佐藤は、玄関にて、係の方が磨いてくださったスリッパに履き替えて入館した。なんと入館料は無料である。




●窓下に見ゆる幾何学模様の庭園●.jpg

●窓下に見ゆる幾何学模様の庭園●




この館の設計者はアメリカ人で、後に建築家として活躍したJ.M.ガーディナー氏。1階には、食堂や大小の客間など、重厚な部屋がある。



これらの部屋に、外国の方々を招いていたらしい。佐藤は、華やかな装飾に施されたテーブルや、イスなどを感激しながら眺めていった。



また、こちらでは、各部屋ごとに大振りの花瓶にお花が生けられていた。何気なく飾られたお花たちが、この部屋の華やかさを引き立てていた。



2階には寝室や書斎など生活感あふれる部屋が並ぶ。佐藤は、2階のサンルームから眼下の横浜港を眺めながら、当時の人々が、恐れた「黒船」や、文明開化の訪れを疑似体験した。



もっとも、当時この館はこちらにあったわけではないのだが……(あくまでもイメージですから、ははは)。



館内を堪能し、1階に降りると喫茶室がオープンしていた。先ほど、階段を必死になって登ってきたので、いささか、体が悲鳴をあげている(さて、いささかか?)。




●喫茶室にて元気を頂くぞー●.jpg

●喫茶室にて元気を頂くぞー●




そこで、喫茶室に入り、アイス・レモンティと、無花果のバウンドケーキを頂いた。バウンドケーキには、無花果がたっぷりと入り、ほうばると、口いっぱい、なさけ無用に、無花果独特の香りが広がった。


(嫌なのか?)。


さらに、噛み進めると無花果の種が、恐ろしいほどプチプチと音を立てる。



(嫌なのか?)。



それらを冷たいレモンティでゴックンと頂くのだからこんな贅沢はない。



(なんだ、好きなんだ。)



陽光が差し込む、手入れのいき届いた庭園内を、園児達が花や蝶を追いかけて歩いている。後方では、白髪の老人が、カメラの焦点を草花にあわせて、シャッターを切っていた。



ここでは、時間がゆっくりと流れているようだ。



白髪の老人は振り向くと足からすう〜っと消えていった。ヒヒヒ。


(それは嘘〜。)




●庭園から観た外交官の家だぞー●.jpg

●庭園から観た外交官の家だぞー●






■ブラフ18番館 with 山手イタリア庭園

佐藤は、エネルギーを十分に蓄えて(でも3分しか持たない)、外交官の家を後にした。



次に隣のブラフ18番館に入る。




●良さげなブラフ18番館前●.jpg

●良さげなブラフ18番館前●




こちらは大正末期に建てられた外国人住宅だそうな。カトリック山手教会の司祭の館として、平成3年まで使用されていたという。



それを横浜市が、平成5年にこのイタリア山庭園内に移築・復元(ご苦労様です)。現在は大正末期から昭和初期、いわゆる震災復興期における外国人住宅の暮らしを再現している。



館内には、当時の暮らしを思い描くことができるように、当時の横浜家具を復元・展示しているそうだ。




●シャンデリアが輝いていたー●.jpg

●シャンデリアが輝いていたー●




天井にはきらびやかにシャンデリアが輝き、重厚なテーブルの上には春の花々が見事に盛られていた。



山手イタリア庭園は、1880年(明治13年)から、1886年(明治19年)まで、イタリア領事館が置かれていたので、イタリア山と呼ばれているようだ。安易でわかりやすい。



そこに、1993年に「ブラフ18番館」が、そして1997年に「外交官の家」が移築され、現在の景観を生み出しているのである。



隣の外交官の家は、幾何学的に配したデザインの公園であったが、この庭園も、水路や花壇を用いたイタリア式の庭園様式であるという。



●床に座ってみた(そんで?)●.jpg

●床に座ってみた(そんで?)●




これらの庭を眺めていたら、その昔、今はなき倉敷チボリ公園(出た)でみたアンデルセンの銅像があった庭を思い出した。そうそう、新宿の大久保にある小泉八雲記念公園の庭もあったな。



いずれも、花々が美しく咲き誇り、密を求めて小さな虫たちが乱舞していたっけな。以前も書いたが、ハーン先生も横浜から、日本へ上陸したのでしたねぇ。



佐藤は、庭園に映える洋館を十分に堪能したあと、山手本通りをテクテクと歩き、高田坂を下り、ハーン先生(小泉八雲先生)ゆかりの場所である、元町百段公園に「再び」たたずんでみた。





■元町百段公園

ハーン先生が来日されたころはもちろん、ここに長い階段があったころ。この「なかば残骸」と化した百段公園の浅間神社(関東大震災で階段と共に崩壊し、なぜか再建されず)にも来られたようだ。



●元町百段あと、元町百段公園に到着●.jpg

●元町百段あと、元町百段公園に到着●




しかし、ううんなんだが、いろいろ事情があるとは思うがもう少しなんとかならないかな、……この公園。当時をしのばせるような雰囲気も、横浜らしい匂いもまったくしない。



これでは残してある意味があまりない。ただの空き地でしかない。公園というのもどうかというのも、はばかられる。



こういうところが、同じ大都会でも神戸のように洗練されないんだよなぁ。頑張れ、横浜!! 



横浜散歩はまだまだ続くのだ!!!




●元町百段公園から横浜港を望む●.jpg

●元町百段公園から横浜港を望む●



(横浜・神戸・長崎などの歴史は日本の歴史でもある。大事にして欲しい!To Be Continued!!)
posted by さとうはあまい at 16:47| 島根 | Comment(0) | TrackBack(0) | 見聞録(首都圏版) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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