新・松山紀行
ない!ない!ない!ない〜!
駐車場が見つからない〜!!の巻 (中編)
〜でも、松山城からの眺めは絶景であったのさ
佐藤は、こってりと楽しんだ松山市立子規記念博物館とお別れし、伊佐爾波(いさにわ)神社に向った。
【伊佐爾波神社】
この神社のご祭神は、言わずと知れた神功皇后・仲哀天皇・応神天皇・三柱姫大神です。順番は、八幡宮のそれぞれの都合で、入れ替えがあるが気にしない。
神功皇后と仲哀天皇が、道後温に御来湯の際の行宮に建てられたといわれている。ここには、天皇家の方々は上古にはよく来られたという。
聖徳太子、皇極天皇、中大兄皇子(天智天皇)、大海人皇子(天武天皇)。さては、額田王や、種田山頭火。また、ずっと上れば大国主命や少名彦名命まで来たという。当初は道後公園山麓に御鎮座されていたとも推定されている。
●高くそびえる伊佐爾波神社の階段!!!●
●ああ、伊佐爾波の素晴らしさ!●
この伊佐爾波神社は、非常に急な石段の上にそびえていた(ここはそびえるのが好きだな)。よいしょ!よいしょ!と掛け声をかけて登っていった。
まずはお参りした。「明日こちらで研修です。どうぞ、うまくかかわることができますように」と相変わらずの神頼み。でも、おみくじは大吉! やったぜ! おみくじを握り締めて、いざ松山城へ。
ところが、また、ない!ない!ない! 松山城の無料駐車場を見つけることができないのだ!! 仕方がないから有料駐車場がなんとか見つかった。無料駐車場を探すということ事態が無理なことなのか?
でも広大な観光施設をもっているならば、観光客に対して、駐車場の提供は必要不可欠ではないのか? もし、作れないなら、それらの施設(有料駐車場)へ、恙無く誘う案内は必要であろう。
さて、腹がすいては戦にならない。とりあえずごはん、ごはん、ごはん! 少し探しまわって、近くにあったおそばのお店を見つけた。
【手打ちそば・蕎庵かゆう】
手打ちそば屋さんであった。ここで、かも南蛮を頂く。ううん、少し関西風であるような……。でもなかなか美味しいおそばでした。ご馳走様!
●蕎庵・かゆうでのひととき●
【伊予・松山城】
さて、松山城は子規先生が「松山や秋より高き天守閣」と詠んでいるように、海抜132mの勝山山頂にある山城である。
登っていくには、徒歩、ロープーウェイ、リフトと三通りの登り方を選択できるのだ。
佐藤は、まぁロープーウェイを選択した(徒歩は最初に選択肢から外れる)。佐藤は、あちこちでこのロープーウェイと称するものに挑戦している。
だが、このロープーウェイは……、なんとなく……、年代物(松山城の殿様も乗ったらしい。……うそ)で安全性に不安があるのだ。
事故がないのに、疑うこと自体が失礼だが、誰でも乗れば疑ってしまうに違いない。ギシギシと天と地が近づきそうな、小気味よい音を立てまくり、ゆらゆらと揺れるのであった(笑)。
そのロープーウェイを無事降りると、小雨が振り出した。だからか、どうだか、売店・六実庵(松山城六店会)に入って、一休み「抹茶セット」を頂いた。抹茶に坊っちゃん団子と一六タルトがついてきた。これがいい!
●松山城・六実庵で休む●
ちなみに一六タルトの「一六(いちろく)」とは明治16年に創業したからとうシンプルな理由だそうだ(騙されてないだろうな?) まぁ、シンプルは素晴らしい。あの漱石先生もこの団子は褒めていたという(当時は違う名で呼ばれていたろう)。ん?何か問題でも?
●さすが故郷、ここにも子規先生の句が!●
雨が止んだり降ったりするものだから、ロープーウェイの山頂駅で傘を借りて城内を歩いた。ちなみにこの松山城は四国最大の名城(いや全国的に見てもそうだと思う)であり、21棟の重要文化財を持っているという。ロープーウェイはともかく、城自体はなかなかである。
ううううーん、かの世界文化遺産の姫●城はねぇ。確かに外観はきれいで、規模もスケールも大きいが、天守閣からの風景はつまらない、というか、悪いがしょぼい。それに比べ、ここは絶景なのだ。ここと彦根城、熊本城などは、絶対に天守閣に登ることをお勧め!
●天気は悪いが風景は幻想的●
姫●城や、愛知県の●山城、名古●城、●阪城は昇らんでもいい気がする。ご一考下され(笑)。城として、残っているもので、きちんと機能したものはほとんどないし(笑)。
さて、大手門跡から入り、戸無し門をくぐり筒井門と続く。さらに隠れ門、隠れ門続櫓と続いていく。ちなみに、この門をくぐるだけで、東西南北の方向がわからなくなるくらい、道は曲がりくねっている。
もっとも、曲がりくねっていなかったら、簡単に敵に占領されてしまうであろう(笑)。
でもでも、こんなに戦うことを恐れて、城に侵入されにくく、城内では戦いにくく、いろいろ涙ぐましい戦わないよう細工した城を作っているのをみると、幕末に幕府の旗本たちがほとんど戦わないで降参したのもわかるなぁ(笑)。
●松山城の天守閣まであと少し!!●
●場内にもなかなか見どころがある(来てのお楽しみ)●
これじゃ、関ヶ原で負けた石田三成を絶対バカにできない。バカなのは関ヶ原で勝ったといわれる大名たちである。三成の佐和山城はまさに戦うための城であったからだ。
江戸期の大名たちは、武士としてほとんど見るべきところがない。上杉謙信や武田信玄、伊達政宗は、人気が再び流行っているの。でも、お家が残っている大名で人気があるのは皆無である、地元の人ぐらいでしょ。
新撰組はいまも人気があるし、武士よりも武士らしかった。だが、彼ら新撰組が行った行為は当時でもテロ行為でしかないのだ。
そういう武士ではない集団を雇っていた某藩は、結局、ボロボロになり、朝敵扱いとなり、悲惨な終わりを遂げた。年貢を取られていた農民たちは守ってさえもらえず巻き添えになったのだ。
なのに禄をもらっている武士が命をかけて戦わず、「負けたけど、許してよ」という態度では、明治維新後に薩長をとやかく批判しても仕方がないだろう。彼らは瀬戸際で負ければ滅びた。だから、命がけで戦い、勝ったのだからさ。
現代、庶民が不況え苦しいなか、予算をジャブジャブと使っている(ようにしか見えない)わが国の自衛隊がそういう集団でないことを願うばかりだ。
最近揉めて辞めた自衛隊のトップを見ると、いくら制度でそうなっていても、ああいう男に日本の安全を託し、何千万円の退職金を出すのは、とても民意にそうこととは思えない。
さて、門をくぐり終えると見晴らしの良い空間が広がった。こちらは本丸の跡である。左右の風景をながめつつ、天守閣へ向った。
もちろん城内は靴を脱いであがっていく。城独特の狭く急な階段を登る。松山城には小天守と大天守があるのだ。小天守からの眺めもさることながら、やはり大天守からの眺めは素晴らしい。
すぐ下方には松山の町並みが見え、遠くに瀬戸内海が見える。最も、城だからねぇ〜四方が見わたせねば困ると思うが、見えると言うことは攻撃もされやすいのであるが。
ちなみに、城内で武士の姿にチャレンジできるコーナーがあったのだが、若者に占領されていて断念した。着たかったなぁ〜、赤い甲冑! 被りたかったなぁー赤いかぶと!!
またの機会としましょう! また来れるといいな〜。ではでは!(と言いながら続くのだ)
(慶喜が親分なら戦わないのが正解だろうなぁ、自分のことしか考えてなもの! To Be Continued!!)


