文人に愛された緑の地・雑司が谷
〜どこだ?ハーン先生のお墓を探せ!〜
我らが、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)先生は、1850年にギリシャのレフカダ島(リューカディア)で、アイルランドのお父さんとギリシャ人のお母さんとの間に生まれました。
先生が、2歳の時に両親が離婚し、大叔母さんに引き取られ、イングランドの神学校へ進む。16歳で左目を失明、お父さんの病死や、大叔母さんの破産などの不幸がかさなり、学校を退学したといいます。
その後、19歳でアメリカに渡り、24歳で新聞記者となりました。そして、外国文学の翻訳や創作を発表し、早くもその文才を認められました。
いよいよ、明治23(1890)年39歳のときに、記者として来日する。まもなく、帝国大学(現・東京大学)のチェンバレン教授や文部省(当時)の紹介で、島根県尋常中学校及び師範学校の英語教師になりました。
ハーン先生は、当時の籠手田知事や、西田千太郎氏などの知己を得たこともあり、松江の風物や人情が大変気に入ったようです。鳥取はお気に召さなかったようだが(笑)。
そして、武家の娘・小泉セツさんと結婚。塩見縄手にある武家屋敷に移り住んだのです。
しかし、松江の冬の寒さと大雪には閉口したそうです。わずか1年3ヶ月で松江を去り、熊本第五高等中学校へ移りました。
でも、この寒さで肺炎を起こしたからこそ、セツ夫人との出会いもあったのだが。
さらに神戸クロニクル社、帝国大学(現・東京大学)、早稲田大学にも勤務をしたのでした。そして、明治37(1904)年9月26日、狭心症のために、54歳で逝去されました。
(小泉八雲記念館ホームページ参照)
佐藤は、2006年6月に島根県社会福祉協議会さんからの依頼を受け、初めて松江の地を訪れました。この時、初めてハーン先生の旧居を訪問することができました。
その後、熊本での仕事が入ると、研修会場のある駅の反対側に、小泉八雲熊本旧居(移築)がありびっくりしました。
でも、もっと驚いたのは、神戸三ノ宮で、小泉八雲居宅跡が、研修会場の住所と近いので、どこかと探してみた。
すると、なんと近いどころか、研修会場(3階)のある場所の1階に居宅跡のレリーフがあるではありませんか! (今週の応援現場34・57)。
ここまでいくとちょっと怖い(笑)。まるでハーン先生に導かれているみたいです。こうなると、ハーン先生のゆかりの場所へ行ってみたくなるというもの。
だから、横浜で仕事があれば、ハーン先生が来日時に立ち寄ったという、横浜の「元町・百段階段」に出向き、新宿で仕事があれば西大久保の「小泉八雲終焉の地」に出向いたのです(笑)。
おっと、たまたまではあるが、明治村では、静岡県焼津で先生が泊まった海の家も見たし、島根県隠岐の島町でも、宿泊宿跡や玉若酢命神社で所縁の品々も見ました。
鳥取で立ち寄って、盆踊りを見たという場所も見たし、松江の小泉八雲旧居では、ご子孫の民俗学者・小泉凡さんも見た(笑)。
今年は、ハーン先生のご命日に、たまたまではあるが、その松江の小泉八雲旧居に行くことができました。なら、今回はハーン先生のお墓参りに行こう!と考えたわけです。
【東京都立雑司ヶ谷霊園】
ハーン先生は、東京都豊島区の雑司が谷霊園に眠っていらっしゃいます。佐藤は、JR山手線・大塚駅下車。都電(早稲田駅ゆき)に乗り換えて、雑司が谷駅に降り立ちました。
●都電に乗って出発!●
ゆるゆる、案内板を頼りに、雑司ヶ谷霊園管理事務所へ向かいました。この雑司ヶ谷霊園管理事務所には、「雑司ヶ谷霊園MAP」が置いてあるのです。
このマップを手にして驚いた。なんと、このマップは豊島区の観光案内が作成していたのです。つまり、この雑司ヶ谷霊園が観光スポットになるだけの名高い人々が眠っている霊園なのですね。
●雑司ヶ谷につきましたが……●
雑司ヶ谷霊園は、御料地として、3代将軍家光公の寛永15(1638)年に薬草栽培の御薬園となり、第8代将軍・吉宗公の享保4(1719)年には、御鷹部屋に変わり、将軍の鷹狩りに使う鷹の飼育場所として使われていたところだそうです。
ちなみに、第5代将軍・綱吉公の出した、生類憐みの令により、鷹狩りは廃止。そのときに、鷹狩りの鷹を飼育する鷹匠(たかじょう)が住んでいた鷹匠町が、小川町(現・東京都神田小川町)に改称されたそうです。まぁ清らかな水が流れる土地だったからだそうです。
この御鷹部屋時代の松の大樹が今も霊園内に残っているとか。明治7(1874)年9月に東京都によって、共同埋葬墓地となったとのこと。広さは約10万uです。
佐藤は、地図を頼りに、ハーン先生の墓標を探す。いやはや、広いからなかなか探せない。関係のないお墓をジロジロみるのもなんとなくバツも悪い。区画が示されているのだが、そこはほら、方向ナントカだからねぇ〜。すぐには見つけられないわけですよ。
そして、誰かが、「こっちだよ〜」と手招きしている平将門公の姿が見えたような気がして(いないよ、ここには)いってみると、ようやくハーン先生の墓標をみつけることができました。
よしよし、場所が分かれば、お参りができる(当たり前だ)。そこで、霊園内にあるお花屋さんに飛び込み、お花1対をゲット!(ゲッツだぜ!)
●お墓参りです!●
そのお花を水桶に入れて頂き、いよいよ、得意のお墓まいり(?)。敷地内にお邪魔させて頂いた。
小泉家の墓地には、中央にハーン先生の墓標があり、左にはセツさんの墓標がありました。そうですか、そうですか。こうして仲良くお休みになっておられるわけですね。
勝●舟先生は、奥様が先にお亡くなりになる間際に、「死んでも、あの人と一緒の所に埋めないでください!」と言われたらしい。
まぁ、そこまで言われたのがほんとうなら、実際はどういう生き方、やり方をしたのかが知れてしまう気がする。
いまは何回忌の時に「もう(一緒にしても)いいのでは?」ということで合葬されたという。ほんとうにいいのかね?奥様の遺言を無視してもさ。周りの思い込みだけで勝手なことをしても。
まぁ、ハーン先生はそんな問題はない(笑)。佐藤は1対しかないお花をお二人にお分けしておごそかに手を合わさせて頂きました。
●お二人は寄り添っておられました●
「ハーン先生。松江は今でも人情が深く、風物が楽しいところですよ〜。佐藤も先生を見習わせて頂き、頑張ります。どうぞ、お守りくださいませ!」
こうして、念願だったハーン先生のお墓参りができたのでした。さて、先ほど佐藤を手招きしたのは、誰だったのでしょう?(司●遼太郎先生かも?)。
ちなみに、佐藤はご挨拶する時間はなかったが、この雑司ヶ谷霊園には、永井荷風先生、夏目漱石先生、中濱(ジョン)万次郎先生、泉鏡花先生、島村抱月先生、竹久夢二先生、金田一京助先生など、著名な文豪や有名人が、数多く眠っている場所でもあるのです。おお、小栗忠順上野介も大久保利通公もいるそうだ!
佐藤は、先ほどのお花屋さんへ水桶を返し、その後、雑司が谷界隈を散策。近くの大鳥神社を参拝(おみくじは末吉)。
●大鳥神社にも参拝!●
その後、平成20年6月14日に開通したばかりの営団地下鉄副都心線・雑司が谷駅に到着。駅地下にあったレストラン、トシマサロンで昼食をとり、渋谷を目指しましたとさ。ではでは!
●お昼はオムライスはボリューム満点!●
(雑司ヶ谷霊園は夢の跡!To Be Continued!!)

