2008年11月04日

奮闘記・第348回 その他/福島県

●2008年10月● 福島県会津美里町


会津総鎮守、炎上す!

【追懐】伊佐須美神社を想う




 福島県で活躍中の若い介護職の方から、10月30日の朝、伊佐須美神社の本殿が焼失したとの情報を頂いた。


 「ええっ。なんですと? それは……ううん。……(絶句)」

 まことに残念としか言いようもないことだ。

 しかし、なんでまた焼失したのだろう?と気になった。早速ネットで情報を集めてみた。

 すると、朝日新聞のMY TOWN 福島の記事によれば、福島県会津美里町、伊佐須美神社で起きた火災は、10月29日、午後7時前の出火。約1時間で鎮火したという。

 本殿など、3棟が全焼。言い伝えでは6世紀半ばに開かれた会津総鎮守とされる。同月3日にも参道脇の授与所で、同様の不審火も起きているという。

 地元の住民の方々は、驚きと共に嘆きの声をあげたとあったそうな。そりゃそうだろう。いま、1つの会津の歴史が消されたのだ。それが事故ではなく、人による故意の可能性が高いのだ。

 法律云々はともかく、火付けは卑怯。愚劣な許しがたい犯罪である。人の生き死にかかわらず、二度と世間に出したくない。

 この前の大阪の放火でもそうだが、犯人の精神状態、云々は関係ないだろう、やることはやっているのだ。

 これは、もう「人間対人間」の行為ではない。ただ卑怯な「生き物」の行為でしかない。個人的には、「人」として扱ってやる必要も感じないくらいだ。

 某国なら、犯行の事実関係がわかれば、2週間位で死刑だ。いいじゃないか、それで。冤罪でなければの話。

 別段、死刑推進論者ではない。だが、これだけ凶悪犯や、卑劣犯が増えてくると、死刑制度があるのなら、有効に使ってくれよ、と言いたくもなる。

 余った税金を使っちゃえばいい、というのとは違う。死刑制度は確かに不備がある。復讐法ではないにも関わらず、復讐法の意味合いもある。

 なら、正式な手続きで無くすのが法治国家でのやり方だろう。制度はそのままで、死刑を回避。無期懲役でお茶を濁して、それで犯罪の歯止めになるとは思えない。「誰でもよかった」という連中が更正できるか?

 どこかの頭の足りないとしか思えない弁護士達が、母子殺人の殺人鬼を弁護する姿勢は、観ていて悪魔に近い嫌悪を感じる。橋下府知事には特に好意はもたないが、あれに関しては支持したいなぁ。

 あんな犯人が自分の家の隣に住んだらどうすんだよ。誰だって嫌だろう。そんな殺人鬼をあの弁護士達は無罪に市し、野放しにせよというのだ。

 こんな人間は、無責任で、頭が疑わしいとしか言いようがない。動機はともかく、殺人は認めているんだよ、あの犯人は。

 犯人への偏見云々よりも、一般市民の人権を守ってほしいよ、日本の政府は。麻生総理殿、いくらお金をばら撒いて、解散してもこれじゃ勝てませんぜ。

 この国は不要なことに時間をかけ過ぎる。弁護士は司法試験の前に、まず人の心を学ばせなよ、まったく。これは医師も同じだが弁護士はひど過ぎる。ううん、いろいろ頭に来る事件が多いが、伊佐須美神社に話を戻す。

 さて、「事件」は、警察によると神社近くに住む住民から110番通報を受け、署員が駆けつけたところ、すでに本殿付近が激しく燃えていたという。会津消防署などからは、十数台の消防者が出動して消火したがもう遅かった(悲)。

 本殿は、柱と参拝の際に使う鈴ぐらいしか、残っていなったという。神社には、国の重要文化財「朱塗金銅装神輿(しゅうるしこんどうみこし)や県の重要文化財「木造狛犬」などがある。

 朱塗金銅装神輿は無事であると聞いたのが不幸中の幸い。人命はもちおん優先だが、これらの文化財も燃えたらもう戻らないのだ。心配である。

 地域の方だけではなく、全国から多くの人々が訪れていたのである。神社が焼失したことはまことに残念というしかない。

 さらに、ここに会津五桜のひとつ、薄墨桜があるのだが、はたして元気でいてくれているのかも非常に心配。

 佐藤は、今年の春にも一度この神社を訪れているが、この時は春の桜の時期であったのだが、春祭りの準備のために拝殿の垣の中に入ることが出来なかった。

 だから、9月に福島県での仕事の機会の合間に、再度この神社を訪れた。そして、この時に拝殿内に入れて頂き、素敵な本殿前を参拝させて頂いた。

 そのわずか、1か月後に、この惨渦で本殿は幻となり、灰となり、消えた。事故でなく、人の所業であるなら、誰が犯人でも許せない。

 文化財は、もはや個人のものではなく、地元の人たちだけのものでもない。人類の財産である。これが、放火であるなら、司法は必ず捕まえて頂きたい。それが最善の防犯につながるのは言うまでもない。

 最後に、今年見た本殿や楼門の写真があるので、改めて掲載し、忍ばせて頂きたい。そして、叶うならば、いつか再建されることを願いたい。

 すでに戦国の役目を終えた会津若松城でさえも再び蘇り、人々の心を支える役割を新たに担っているのだ。伊佐須美神社の役割もまだまだこれからである。ではでは。


●これが本殿の見納だったとは……●.jpg

●これが本殿の見納だったとは……●


●この楼門は無事なのだろうか?●.jpg

●この楼門は無事なのだろうか?●


(神社は幻となっても、人々の想いは消えない。To Be Continued!!)
posted by さとうはあまい at 12:15| 島根 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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