関東鎮守・古社の神々様参拝記
大陸からの寒気の影響で一気に秋らしくなってきましたね。こうなると、朝がたの布団のぬくもりが離れがたい(笑)。
今日は、島根県浜田市での研修を終えて、松江市に入りました。島根県社会福祉協議会の皆様、参加者の皆様、研修にご協力いただきました方々、長時間有り難うございました。
それはそれ、この話はまだ9月のある日のこと。
しっかし、熱海という土地は斜面に面して道路を整備している(しているという感じはせんのだが)ので、起伏が激しい。かなり危ない。
近くの箱根がけっこう道路が整備されている印象があるが、ここはかなりバンピー(危険)。さらに、道幅が狭い。だから、運転するのが結構大変。佐藤は対向車に気遣いながら、伊豆山を登っていった。
【関八州総鎮護・伊豆山神社】
伊豆山神社のご祭神は、伊豆山神(火牟須比命=ホノムスヒノミコト)、伊邪那伎命(イザナギノミコト)、伊邪那美命(イザナミノミコト)の三柱です。
昔は神仏習合、修験道のメッカでもある。そのせいか今でもこの地に宗教団体が多いような気がする。
伊豆山大権現、走湯大権現と呼ばれ、鎌倉幕府将軍・源頼朝が平家打倒、源氏再興の祈願。その神恩に感謝し、箱根神社(箱根権現)と併せて、「二所権現」と称し、関八州総鎮護とした。関東武士たちの信仰の篤い神社である。
もちろん、それはそうなのだが、当時は神社も仏閣もただ政府から肩書きをもらえば良かったわけではない。権威と経済力、そして武力がなければならない。
つまり、伊豆山神社は「武力をもっている」寺社であった。実際ここに、手をつけた女性の親が頼朝を追い廻したときに彼は逃げ込んで助けてもらっているそうだ(笑)。権威だけではなく、強かったのだ。
それはともかく、この社はご神力もあり、主に縁結びに強く、源頼朝と北条政子のような恋愛はもちろん、頼朝と義経も、ここ伊豆山神社で再開できたと聞く。つまり、ある人間に必要なご縁を結びつける力のある神社なのだ。
こちらのご由緒としては、詳しい資料は残っていないが、第五代孝昭帝の御代に創建と伝えられる。例の延喜式に記載されている「火牟須比社」がこちらにあたると考えられているようだ。
全国各地に点在する伊豆山神社や伊豆神社(いずじんじゃ)、走湯神社(そうとうじんじゃ、はしりゆじんじゃ)などの起源と言える事実上の総本社格。
さらに、社伝では、当初は最初日金山(久地良山、万葉集にいう伊豆高嶺。)に鎮まり、次で本宮山に移り、さらに三遷して現在地に御鎮座。
また、仁徳天皇が勅願所としたとされることから歴代皇族の崇敬も篤い。その後も清寧・敏達・推古・孝徳・後奈良の六天皇の勅願所となっていたようです。特に後奈良天皇は自筆の般若心経一巻(重要文化財)を奉納しているという。
一方、先ほど書いたように、源頼朝が平治の乱の後、助命されて、伊豆国に配流された。そのおり、当社に源氏再興を祈願した。この間有力豪族の伊東祐親(先ほどの親じゃ)に追われて神社に身を寄せ、当時はまだ小豪族の娘であった北条政子とのデートの場になったりなど、源頼朝とは深い関わりがある。
だから、源頼朝が鎌倉幕府を開いた後、ここを「関八州鎮護」と称えて多くの社領を寄進したという。
佐藤は、車で、かなりの勾配を登ってきたのだが、この神社はさらに、山に向って垂直にそびえる、なが〜い階段がある。息を切らし登り切ると、そこには手水舎があった。
この手水舎では、紅白の龍が中睦まじくお水を出していた。まぁ、かわいいこと。ほほほ、これだけでも縁起がよさそう。境内にはご神気が満ちていた。
●紅白の龍がいた!●
●雨濡れ輝きを増す拝殿●
しとしとと、降り続く雨は、緑の木々と、拝殿の黒瓦の屋根と、赤い柱のコントラストを色濃く浮かび上がる。
佐藤も人間関係は仕事がら(というか誰でもそうだろうが)かなり大切。しっかりと祈らせて頂きました。参拝後しばし、境内を散策。
すると、源頼朝と北条政子がデートし、仲良く腰を下ろしたというベンチ(というかただの岩じゃ)を発見! どんな、気持ちがするのかとこわごわと座って見た。冷たかった……。
●頼朝・政子腰かけ石に座ってみた……濡れて…●
さて、しばし、おみくじなどでたわむれた後は、階段を降りる。結果は大吉だったような、なんどかひいたけど(笑)。
この神社の階段脇には「役小角社」(えんのおづぬしゃ)があり、役小角の像が祭られていた。この方は、知る人ぞ知る、634年大和の国蔦木上郡に生まれ、神仏両道に渉り、修行を積み深く、学を究めたかた。
また、日本国中の名山高山を開き登り(ここらへんは多分に伝説)、修験道の祖とも、開山の祖とも仰がれている。ここ伊豆には奈良から流されているときに開いたのだろう。
ちなみに「伊豆(いず)」は「厳(いづ)」から来ているとされ、これらは修行の厳しいところ(厳島、久伊豆など)についているという話だ。
役小角は、運命開拓の神であるとともに足腰の病を治す神ともされ、古くから足の病に悩める者や、足腰弱き者は祈願すれば、神護を享けて強足になるという信仰があるという。役小角にしろ、頼朝にしろ、流人といってもけっこう自由なのだな(笑)。
佐藤も日々、行脚して動いている身です。だから足腰が、痛むことがないようにとも忘れずにお願いしてきました。
【来宮(きのみや)神社】
佐藤は、三嶋大社を目指して移動を開始したのですが、来宮神社の案内を見つけたので、こちらにもご挨拶をすることにしました。
ご祭神は、日本武尊(やまとたけるのみこと)・五十猛命(いたけるのみこと、いそたけるのみこと)・大己貴命(おおなむちのみこと、ご存じ大国様)です。
●来宮神社の拝殿(車をとめにくいよ、ここ!)●
様々な御利益が有る中で、この神社は禁酒の神として古くから信仰されているとの事です。佐藤は、禁酒のお願いはしたくないので、そのかわりに営業繁盛を心をこめてお願いしたのでした(さては佐藤に縁のない神様であったか?)。
さて、おみくじは引きなおしで大吉! 社務所で、お守りなどを眺めていたら、なんと、ここには坂上田村麻呂の絵馬を発見!!! すかさず、「これをください!!!」とこの絵馬を記念にゲットしたのでした。
佐藤は、以前、講談社文庫で『火怨(かえん)』(高橋克彦・作)で、坂上田村麻呂の活躍を興味深く読んだのです(詳細は昔の「今週の応援現場番外編18」に記載)。
この神社は、その坂上田村麻呂公が、まさに東北の地を治め(蝦夷征伐、いやな言い方だが歴史的用語なので使う)に出向く時に、勝利を祈願した神社だったんですよ。
このときに、坂上田村麻呂公は、アテルイやモレの存在を知っていたのだろうか? 知らないだろうな。坂上田村麻呂公については一筋縄ではいかない人物なのだ。とにかく、再び出会った『火怨』の世界をに想いをはせました。
【伊豆国一の宮・三嶋大社】
かなり疲れてきた(笑)。これはもう、修験道に近いのかもしれない。
さて、ここ静岡県三島市に鎮座する三嶋大社は、延喜式の式内社(名神大社)であり、伊豆国一の宮とされ、旧社格は官幣大社。
ご祭神は大山祇命(おおやまつみのみこと、愛媛県・大山祇神社の神様)と積羽八重事代主神(つみはやえことしろのぬしのみこと、ご存じ島根県・美保神社の神様)です。この二柱の神を総じて三嶋大明神と称している。
●三嶋大社をご案内●
大山祇命は、山林農業の守護神であり、事代主神は恵比寿様とも称されて、商業・工業・漁業者のあつい崇敬を受けている。
いつの時代に創建されたのかは不明。古来は沼津のほうに合ったとも。やがて、噴火などでこの三島の地に移転し、鎮座。奈良・平安時代の古書にも記録が残る古社である。そして、社名・神名「三嶋」が地名にもなったとの事です。
余談だが(全部?)、ここ住んだ作家の三島由紀夫(本名は平岡公威=ひらおかきみたけ)がここに住んだときに良い場所であったので、三島とし、電話帳で載っていない名前をあれこれ考え、「三島由紀夫」としたという説がある。
さらに、先に登場した、源頼朝はこちらの神社も深く崇敬し(というか15〜33歳くらいまで流人生活だから暇でもあるのだ)、源氏再興を祈願。そして、神助を得てこれが成功すると、社領神宝を寄せて、ますます崇敬したという。
この頼朝旗揚げ成功以来、武門・武将の崇敬が篤くなっていく。また、地理的にも東海道に面し、伊豆地方の玄関口として下田街道の起点であったために、三嶋大明神は広く天下に広まっていったのだそうです。
まぁこれも余談だが、後々、明治期に東海道本線開通のときの立ち廻りに失敗(と言ってよいでしょう)し、宿場町として栄え、歌川広重の浮世絵でも愛された三島の宿は衰退してしまうのだ。
さて、境内に足を踏み入れて、佐藤が驚いたことは、境内の中が金木犀の香りに満ちていたことだ。香りの源を探っていくと、そこには、立派な金木犀があった。近くに建てられた案内板には、「天然記念物 三嶋大社の金木犀」とある。
この木は、昭和9年に文部省より、国の天然記念物の指定を受けており、学名は薄黄木犀という。ちなみに、9月上旬より中旬にかけ、黄金色の花をつけ、再び、9月下旬より10月上旬にかけて満開になるというから、まさに、今頃は見事に咲いていることでしょう。
しばらく、その香りを楽しんだ後、拝殿にて厳かに御祈願。先ほどまでの雨もやみ気分はさわやか。早速、おみくじタイム!
ひゃっひゃっひゃっ、魅惑のおみくじ箱が一杯。結果は引きなおし大吉(これがまたたいへんだった)。いくつ引きなおしたのかは、ひ・み・つ(幸福を手に入れるためには、お金と時間を惜しんではいけませんとさ。何か問題も?)。
佐藤の熱心さを横目に見ながら、研究所員のケロちゃんたちもご機嫌。記念写真をとりました(笑)。
三島大社の宝物館(熱海の●宝館じゃありませんぜ)も見聞し、佐藤は熱海・伊豆を満喫し、小田原に入りました。
その晩は、雨が激しかった(駅に土嚢がつんであった、まさにゲリラ雷雨)ので、駅中のFUSION DININGというプチ・フランス料理を食べました。これが美味い! そうだ、ここは以前食べて美味しいお店でした(笑)。めでたしめでたし。ではでは!
●小田原駅内、FUSION DININGで夕飯●
(太宰治は三島までが関東だと言ったらしいが、いや〜箱根までだと思うけどなの項終わり!To Be Continued!!)


