2008年09月15日

奮闘記・第314回 見聞録/島根県

●2008年8月● 島根県松江市


美保神社界隈を散策する

〜境外に奉斎される摂社〜



【陸上自衛隊米子駐屯地】
 本日は、ANAを利用して朝一番に米子空港へ降り立ちました。本日の愛車はマツダ・ベリーサ君、よろしくね!(笑)

 前回、島根を見聞した時に、国道431号線から、陸上自衛隊(だと思う)の戦車や、飛行機をみた。


●国道沿いで自衛隊のヘリ見つけ!●.jpg

●国道沿いで自衛隊のヘリ見つけ!●


 その時には、なんで、道路から見えるところにあのような品物が放置されているのかと気になっていた(まさか、北●●の軍隊ではあるまい)。

 今回、たまたま米子空港で降りたので、もう一度いって、見てみることした。431号線を鳥取方面へ走行。迷彩服を着た自衛隊員が、国道沿いにある木々の手入れや、草を刈っている姿を発見! 

「おお、自衛隊員も頑張っていますね。でもあれはあれで見ていると寂しいな」などと、勝手に感心していたら、反対車線のフェンスの向こうに、お目当て(笑)の戦車が見えた。


●展示してあるのだと思うが……●.jpg

●展示してあるのだと思うが……●


 ではでは、そろそろUターン。ふふふ、ありました、ありました! 

 近くで見ると、やはり迷彩色だぁ〜!!(笑) 記念写真を撮ってきました(撃たれるかとビクビク)。撮ったらいけないのかな? どこにも禁止とは書いてないようだし。もし、軍事機密なら、明け透けな金網はおかしい。高いフェンスにしときなさいよね。


●小型ヘリコプターも発見!●.jpg

●小型ヘリコプターも発見!●



【美保神社】
 境港を通り越し、やってきました島根県。ここも通いなれた道(あちこちあるぜ)。ナビ様がなくても行ける、はず(笑)。

 美保神社の由緒を調べたところ、美保神社には境内のなかや、境内の外にも多くの摂社がある(というか統廃合されたのだろう)ことがわかった。

 その中に、なんとわが産土神の、隠れ健御名方神の社(?)があることも判明。もちろん「表」の諏訪社もあるのでどちらも探したいところ。是非ともどちらもお参りをしたいと思い立ったのだ。


●美保神社に着いた●.jpg

●美保神社に着いた●


 まずは、美保神社そのものを参拝。大きな鳥居をくぐり、手水舎で体を清めて階段を登ると、山裾に抱かれるような、大きい社殿を見ることができる。

 この美保神社の、今の主祭神は、三穂津姫命(ミホツヒメノミコト)、別号大御前(オホゴゼン)が向って右側の神殿。そして、事代主神(コトシロヌシカミ)、別号二御前(ニノゴゼン)向って左の神殿にそれぞれ祀られている。

 拝殿にて、今回の旅の安全を祈願するも、おみくじはひきなおしで

 それから、車に戻り、境内の外にある社を散策することにした。入り江をクルリと回りこんだところで車を停めた。地図をみながら、地区の中を歩く。ここでは、路地をへだてて、家と家が向き合う形で隣接している。

 はたして、ここを通ってよいものかどうか、迷いながら前進。すると、突き当たりに、年配の方が膝を突き合わせて話をしていた。その奥に鳥居らしきものが見える。

 年配の方にちと尋ねてみた。


 「あのう、こちらのお社にはどちらの神様でしょうか?」

 「そこは地主社だよ」


 と答えてくださった。そうですか、そうですか。有り難うございます。

 ということで、ご由緒で美保神社境外摂社・地主社を見てみると、事代主命、あるいは御穂須須美命とある。そう、いろいろな説があるが、この「御穂須須美命」が本来の美保神社の主祭神であったという。

 今の主祭神の、三穂津姫命も事代主神の神名も、『出雲国風土記』には出てこないのだ。だからと言って存在しないとは言えない。名前が変わったり、帰られたり。神社の統廃合や、被災により、資料が紛失してしまうこともあるからだ。


●少し離れたところにある美保神社の地主社●.jpg

●少し離れたところにある美保神社の地主社●


 そして、神社系でよくある流言飛語のひとつかもしれないが、この「御穂須須美命」こそ、健御名方神であるという説もある。

 神庭荒神谷の「健御名方神」がいた。その周りに諏訪神社もたくさんあった。あそこらへんに健御名方神が住んでいたともいう。

 ただ、細い内容はすっかり失念して恐縮だが、明治維新後健御名方神の子孫(諏訪氏だったか)が出雲市か雲南市の市長になり、ご先祖(健御名方神)の無念を晴らすべく、名前を須賀市に変えて、政府から「やり過ぎだ」と元に戻されたという、話があったと思う。

 だから、この手の話半分ではあるのだが、これは意外にほんとの気がする(笑)。

 熊野大社も、能義神社も本来は別の神様であったはずが変えられた。健御名方の名前のまま、祀れるはずはないのだ。

 いつしか、ヤマトVSイズモの図式も弱まり、諏訪神社として祀れるようになった時、どれが「変名」で祀った社なのか記録に残ることはまれなのだ。

 鳥居の内は草に覆われていた。でも、奥には小さな祠があった。子孫のやりかたを横目に見て、ひっそりと「地主社」として祀られ続けた健御名方神。神はどんな気持ちでこの町を見守っていたのだろうか。

 祠に挨拶し、次に路地の突き当りを上ったところに見えた「幸魂神社」ののぼりが建てられていた神社に向った。こちらも足元は短い雑草に覆われていた。鳥居をくぐり参拝。

 みると、右側の木の根元に由緒が書かれていた。その由緒によりかかって書く。でも幸魂(さきたま)神社は「さきみたま」ではないのかな?

 昔から、健康を願う人達が幸せを求めて祈願してまいりました。特に男女の下の病によく効くといわれ、かつては芸者さんたちから信仰されたといわれます。

 最近まではどのような神様が奉ってあるのか定かではありませんでした。それが、平成15年2月に遷宮の際に、寛政6(1794)年9月の棟札が見つかった。そこには、「奉造立幸魂神社三穂津姫命霊廟一字成就之●」と記載されていた。霊廟とはお墓のことです。

 また、社の傍には石碑がありますが内容は次のように記載されています。「是時大己貴神問曰然則汝是誰耶●日吾是汝之幸魂奇魂也」

 この意味は『日本書紀』によると、このとき大己貴神(オオアナムチノミコト、いわゆる大国主様)は「それなら、あなたは誰か?」と問われると「私はそなたの幸魂奇魂(サキミタマクシミタマ)であると答えたそうな。

 まぁ少し話がおかしいが(笑)。ここらは『日本書紀』(あるいは『古事記』、時には各『風土記』も)苦しいところだろう。

 説明として、「幸魂」とは幸福を与える神の霊魂。「奇魂」とは不思議な徳を持って万事を左右する神の霊魂と書かれていたが。

 う〜ん、神様の世界の不条理というよりも、古代政争のキズ跡はうまく解説できない。神道的なウソ(失礼か?)はいくらでも言えるのだろうが、とても太古の昔から受け継がれた考えという匂いがしない。好き嫌いではなく、伊勢神宮も出雲大社も、神社信仰としては平安以降のもので新しいのだ。

 もちろん、ベースには、天照大神や大己貴神関連の古代信仰はあるはずだ。何もないところを「神様を作ったから拝め」と言ってもだれも拝まないだろう。

 確実にいたはずの天皇家の祖先の名前も、古墳の場所すら、はっきりとわからない民族なのだから、訳のわからない神なら、具体的に長く信仰することは考えにくい。

 神々は、いまだに古代に栄華を誇った藤原氏の無礼者でバカ者共(神々に対する無礼者だから伏せない)につけられたキズが痛むのだ。悪いが、藤原不比等などの藤原氏など認める気にはなれない。

 皇室にといってもただの寄生虫でしかなかっただろう。だから明治天皇が東京に連れていかなかったのだ(まぁ京都のほうがいい気もする)。

 もちろん、藤原氏の一族であっても、なんの恩恵もなく、「藤原氏」を離れて頑張っている人間をなんらとやかくいうものではない(藤原純友はいいかもしれない。海賊であるのは難点だが)。

 話が大きくそれた。いずれにしても、のぼりが建てられているところを見ると大切にされている神社だということはわかる。ちなみに、美保神社には境外に12の社があるらしい。

 今回は時間がないので、表の健御名方神の社を探すことは出来ませんでした。いつかまた、見つけたいなぁ〜と思いますわい。ではでは!


(美保で神々は復讐するか?の項、終わり!To Be Continued!!)
posted by さとうはあまい at 14:14| 島根 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 見聞録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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