大黒山信仰をもとめて
〜神庭荒神谷遺跡〜
今回は、出雲の遺跡めぐり。出雲空港を降りると左手に魅惑的な山を見ることができる。山の山頂に少しふくらみを持たせた山は、●っぱいを思い起こさせる。この山を「大黒山」というらしい(へへん)。
この大黒山を東西に挟んで、西側に荒神谷遺跡があり、東側に加茂岩倉遺跡がある。はるか昔、双方の遺跡に住んでいた人々は、この大黒山を信仰していたのではないのか?
大黒山は、すなわち大国山であり、大国主命信仰の象徴なのかもしれない。なにしろ、この山の上で、大国主命と少名彦名命が「国見」をしたという神話があるのだ。
そんなことを思いながら、今回は大黒山への登頂をたくらんではみたのだが……。
【神庭荒神谷(かんばこうじんだに)遺跡】
それはさておき、まずはその大黒山の見える、荒神谷遺跡へ行った(応援現場番外編60・2007年7月15日で紹介)。ここは奈良県の三輪山と箸中山古墳(いわゆる箸墓古墳)のように風水理論で構成されている、というか同じコーディネーターが作るのにかかわったとも言われている。
●西谷池で、ヒーリング(か?)●
それくらい構図がにているのだ。奈良県に出雲の神々が祀られているだけではなく、たとえば来待神社は、事代主神が、三輪の大物主神が来るのを待っていたところだから、「来待(きまち)」とされたという伝説などがあり、必ずしも分けては考えられないのだ。
さて、駐車場に車を置いて、西谷池から博物館に向うと、右手に蓮池が見える。すでに、蓮の花は終わり、大きな葉の上をトンボたちが優雅にまっていた。
この蓮池の上にたんぼがあるのだが、こちらにはなんと、古代米の稲が赤い穂をたわわにつけていた。
佐藤は赤い稲穂を見るのは、はじめて。思わず記念写真を撮っちゃいました(たんぼ好き)。その後、蓮池を通り越して、銅剣の発掘現場を再見学したあと荒神谷博物館へ入った。
●荒神谷の赤米(年貢はなし?)●
荒神谷遺跡は昭和58年に広域農道建設に伴う遺跡分布調査で、調査員が田んぼのあぜ道で1片の土器(古墳時代の須恵器)を拾ったことから、話が拡がる。
そして、遺跡が発見され、遺跡の南側には荒神様(ここにもなんと諏訪神が!)が祭られていたことから、「荒神谷遺跡」と命名されたそうな。
●ここが現場です! 荒神谷遺跡発掘現場●
その後、1964(昭和39)年に山あいにある斜面の発掘調査をしたところ、土の中から358本の銅剣が出土した。
この遺跡は「出雲国風土記」に記載されている「出雲郡」(いずものこほり)の神名火山に比定されている仏経山の北東3kmに位置する斐川町神庭(かんば)西谷にあるのだ。
銅剣が埋蔵されていたのは小さな谷間の標高22mの南向きの急斜面であった。その後昭和60年に、その時点からわずか7km離れた所から銅鐸(どうたく)と銅矛(どうほこ)が出土したのである。
ちなみに、この斜面から東方に、あの大黒山がある。いわゆる神名火山とは、ただ神聖な山というだけではなく、外見が引きつけられる容貌を持たねばならないと考える。
その点この大黒山や、松江の茶臼山などはやはり人々の心をとらえてしまう山であったろう。
●銅剣について
荒神谷で発見された銅剣は、同じ形の銅剣が4列に並んで358本が埋蔵されており、これほどの量の銅剣が一度に出土したことにより、わが国の弥生時代の青銅器研究の見直しを迫る大きな出来事になったとうわれる。
というより、ここに出雲と、九州勢力、畿内勢力の宝物が一緒に埋められていることが問題だし、出雲大社や大国主神信仰の変遷など、わからないことが多い。憶測だけならいくらでもできるのだが。
●銅鐸と銅矛について
銅鐸6個と銅矛16本の組み合わせは、これまでに例のないもので、銅鐸は国内最古形式のもの、銅矛には北部九州で出土する銅矛に見られる綾杉状の文様があった。
この発見は、弥生時代についての興味と関心を大いに深めるきっかけとなった。
【荒神谷博物館】
この博物館は2005(平成17)年10月に開館し、館内には国宝を展示できる機能や、様々な最新機器を駆使した展示などがあります。
この中にある、ミュージアムショップ「出雲の源郷店」では、他では手に入りにくいレア・アイテムがそろっています。そうそう、佐藤も出雲弁だんだんかるたをゲットしました(笑)。
●土産コーナーで発見!出雲弁だんだんかるた●
博物館には、発見された銅剣や銅鐸と銅矛などが展示されていて、銅剣の調査研修が進む中でいくつかの銅剣には磨いた後がみつかったとか最新の研究報告を特別展という形で展示されている。
しかし、銅剣は神秘的な輝きを放っていましたねぇ。
【神庭荒神谷・荒神様】
このあと、その荒神様を参拝。伝承によれば、この地の古くは宮居の場であったということですが、中世の戦国争乱などにより、いつしか忘れ去られていたようです。
それが、天保4年から引き続いた大飢餓の最中天保6年に、西谷の人々が相集い、地域の人々の飢餓を救う生活安全の守り神として、この宮居の地に荒神をお祀りしてご祈念したところ、神慮を得て安穏に暮らすことができるようになったそうな。
それから後、11月13日を祭日とし、集落の人々が朝早くから、頭屋の家に集まり、わらで大蛇をつくりあげ、赤飯・幣串をお供えしてお祀りしているのだそうです。
(「荒神様案内板」より)
●すでに入口で神気が満ちていた●
こちらの荒神様には、須佐男命・大地主神・健見名方命が祭られていました。おや? 健見名方命、ここにもいらっしゃいましたか!(って感じ)
鳥居の中には、石段があり、その奥に3つの大きな岩があり、中央の岩には「神須佐男命」と彫られていました。お賽銭箱はありませんでしたが、様々なお供物が備えてありました。
前回来た時は、お供え物もあまりなく、さびしい感じでしたが、もっともっと皆さんに参拝してほしい場所だなぁと思います。荒神谷の宝物を、地元の人々とともに守ってきた神様ですから。
さあさあ、佐藤は木々の中でご神気を満タンに補充しました。さて大黒山を目指したのですが……。
●ここが荒神谷の由来の「荒神様」(再拝)●
(この項は終わり!山には山の事情があるのさ、でもいまは隠岐にいます?の項、つづく……)


