2008年08月15日

奮闘記・第279回 見聞録/島根県

●2008年7月● 島根県江津市都野津


江津・柿本神社にたたずむ

〜なぞの多き歌人とロマンス〜



 久しぶりのブログです。お盆休みやら、パソコンの具合が悪いやらで(今日もまた落ちた)、なかなか進まない。まぁ気長にお付き合いください。終わってませんから(笑)。

 というわけで、佐藤は、再び浜田市のトヨタレンタカーでヴぃッツを借りた。これから出雲市を目指して、国道9号線をひたすら走ればつく。

 でも佐藤が移動するのですから、ひたすら走るなんてもったいないことはもちろん、しません(笑)。

 江津市都野津(つのづ)に、柿本神社があります。益田にもあるので行ってはみたいのですが、まずは奥様の眠るこの神社を目指しました。

 しかし、ナビ様は認識してくれないし、勘だけが頼り。こちらだろうな〜と思うほうに車を向け、ようやく車一台が通れる道を発見! 

 ややややや、対向車が来ませんようにと願いながら、いくと、おおっ! 鳥居がありましたぜ、まったく! なんてこったい(笑)。

 これぞ、まさしく、その柿本神社です。もちろん都合よく駐車場なんてない。そばにあった公園に車を置かせていただき境内に入りました。


●都野津にある柿本神社●.jpg

●都野津にある柿本神社●


 柿本人麻呂(カキノモトノヒトマロ)とは、ご存じ飛鳥時代の有名歌人であり、三十六歌仙(さんじゅうろっかせん)のお1人。

 この三十六歌仙とは、後世に選んだ和歌の名人36人の総称。『古今和歌集』仮名序(紀貫之執筆、初めての本格的な歌論)にて、山部赤人(ヤマベノアカヒト)とともに、人麻呂は歌聖(かせい)と呼ばれ、称えられています。

 でも、これがまた凄い。在原業平(ありわらのなりひら)や小野小町(おののこまち)などを名人として取り上げながらも婉曲に悪口(笑)。そんな貫之がこの方と(山部赤人)にはたいへんな敬意を表している。

 作家・井沢元彦氏のように勅撰和歌集は、恨みを残して死んだ歌人達の「鎮魂」用だという説もある。つまり、まぁそういうことなんでしょう(笑)。

 だから、必ずしも、上手い人や上手い歌ばかりではないのも、うなずけるというもの。でも人麻呂はたしかに素人でも上手い、というか心に残るのですけど。

 人麻呂の生涯については不明な点ばかりで史書に記載がない。謎とされている部分が多く、不幸な人だったのかどうかも推測することしかできない。

 柿本人麻呂が活躍したのは持統・文武朝で、人麻呂は宮廷歌人として、皇室讃歌や皇子・皇女の挽歌を歌うことを仕事にしていました。

 一般論としては、天武天皇の御子で、皇太子の草壁皇子に仕え(舎人か?)、石見国で終焉を迎えたと言われる。だが死に場所も原因もわからないし、その位も高いのか低いのかも実はよくわからない。

 ただ、石見国の国司(初代)という話もあるが、江戸時代に、人麻呂について史料の調査がなされ、その結果、人麻呂は六位以下の下級官吏で生涯を終えたとされ現在の定説となっているようです。でもみんな勝者の歴史だからなぁ。

 ただ、いずれにせよ、人麻呂はこの石見国で依羅娘子(よさみのおとめ)という女性に出会い、短くても長くても幸せな日々を送ったには違いないのでしょう。


●樹齢800年の松の切り株●.jpg

●樹齢800年の松の切り株●


 この都野津にある柿本神社は、その依羅娘子の末裔と伝う井上氏によって、祀られた神社で、人麻呂・依羅娘子の寓居跡(姫御所とも云う)の祠を解体し、明治43年9月に新たに現社殿を造営したとの事。

 また、この場所には、昭和44年には島根県の天然記念物に指定された、樹齢800年の松の木があったそうですが、今は、すでになく、現在は、その松の切り株が、祠の横に納められていました。柿本人麻呂が、詠んだ歌として、


 
  石見乃世高角山之木際従 

    我振袖手妹見都良武香


  
  いわみのやかたつのやまのこのまより 

    わがふるそでをいもみつらむか



 この歌は、石見から都へ行くときに詠んだ歌で、「石見の高角山の木の間から、私が振る袖を、妻はみてくれたであろうか」という内容。この歌は読む人に、人麻呂がどのくらい妻を愛おしくおもっていたのかを、思いやることができる歌だと思いますね。

●人麻呂の松●.jpg

●人麻呂の松●


 この奥様は、不世出の歌人・柿本人麻呂と歌のやりとりをできた婦人とも言われたそうな。どこで、どのように、亡くなったにせよ、人麻呂は最後に彼女のことを思ったのでしょう。

 言ったら悪いが、あのような法も整備されていない、もちろん人権なんかかけらしかない時代と比べても、いまの時代がどこか殺伐としているのが残念。

 通り魔など、自分の感情を他人になすりつける甘えた犯罪者が増えてきた。しかもマネをしたという。他人を傷つけておきながら、自分が大事にされなかったと不満をいう。

 気分としては、そんな身勝手な犯罪者に吸わせる空気も飲ませる水もこの世にないのだが。佐藤は、死刑推進論者でも、廃止論者でもない。

 でも、死刑制度がなくなり、これらの「大量殺傷の通り魔」と言われる人間が、野放しになるのは不安だ。もちろん、妥当な量刑を償った人の人権は大いに尊重されねばならない。

 ただ、大量殺傷犯人の「死刑以外」の刑罰で妥当な量刑とは? おそらく終身刑でも国民感情は収まらないだろう。

 しかるに数年で出所され、隣り近所に住み、「かつて大量殺傷の通り魔だったけど、いまは普通の人です」と言われて、「はい、そうですか」と受け入れられるかと言われれば、そんなことを強要されたって困るだろう。

 通り魔が野放しになった!としか国民は思えない。交通事故でたまたま人を死なせたのとは違うのだ。民意をあまり無視されたら困りますよ。

 もちろん、犯罪者の人権も大事かもしれない。でも、普通に生きている人の人権や生活をちゃんと守ってほしい。税金払ってんだからさ。とりあえず福田総理にはいいたいな。まじめに考えてくれ!と。

 話は戻るが、人麻呂夫婦が生きた、今から見れば無法な時代と比べても、いまの時代ははたして暮らしやすい時代なのでしょうかね。

 地球温暖化のせいか、いまだに鳴きまくるうぐいすと、蝉しぐれの不思議なコラボを聞きながら、これで竜巻が起きたらかなわんな……などと考えながら再び道を進みました。


●由緒には二人の歌が載っていた●.jpg

●由緒には二人の歌が載っていた●


(江津ロードの項、終わり。でもつぎのロードへつづく……)  
posted by さとうはあまい at 16:40| 島根 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 見聞録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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