2020年02月16日

奮闘記・第1095回 見聞録/群馬県

●2020年● 群馬県前橋市・高崎市・安中市・富岡市・甘楽郡下仁田町


新ルートで行く、群馬の神々様巡拝記

ZZZZZZZZZ 神々様が大歓迎の巻 ZZZZZZ寝るぞ!ZZZZ



立春を迎えたというのに寒すぎる日々が続いておりましたが、皆様お元気でしょうか? 

佐藤は、群馬県での研修会を終え、再び東京都の第三者評価の仕事で相変わらず右往左往しております。施設や事業所に出向き、働いている人々と話すことによって元気を頂いている次第であります(笑)。

毎度の口上ではありますが、佐藤は、あちこちの研修に出向くときには、その地域を巡り散策しつつ、それぞれの地域の神社を参拝し、その時々の様子をブログで伝えています。さて、以下は、その群馬県の神社や名所のホヤホヤの見聞録です。


今回も、群馬県でのお仕事の前日から群馬入りし、上野国(群馬県)の神々様に新年のご挨拶を試みた。今までのルートは、貫前神社(富岡市)→ 鷺宮咲前神社(安中市)→ 榛名山榛名神社(高崎市)→ 大洞赤城神社(前橋市)という具合に「至便性」を優先してまわっていた。

これは群馬県内をけっこう広範囲なためにこういうまわり方であった。しかしここのところ終盤で赤城神社が閉まってしまうことが多かったのだ。

そこで今回は、思い切って参拝順序を変更してみた。大洞赤城神社 → 榛名山榛名神社 → 鷺宮咲前神社 → 貫前神社 → 妙義山中之嶽神社・甲子大国神社という順番でまわってみたw。

佐藤は例のごとくまだお日様が出てもいない早朝から、研究所の公用車・カナメイシ君(藍色のデミオ)に飛び乗った。途中、研究所の重鎮・ひゃ〜参謀を拾い、群馬を目指した。

朝の凛とした空気の中、街道(関越自動車道)をゆく。後方から朝日が差しこみ、まぶしいったらありゃしない。やがて前方に群馬県の山並みが見えてくる。左には、雪をまとった浅間山が白く輝いていた・・・。「おれの浅間」とは、ひゃ〜参謀(笑)。

う〜ん、しかしである。赤城山もそうだが、榛名山にしても、山は白くない(雪がない)んだなーこれが(笑)。

やがて、ナビ様が「前橋インターから降りなさい!」と合図をくださりw、佐藤はそれに従って、前橋で高速から降りた。そこはそれ、例の国道17号である。国道は朝のラッシュ時間を迎えており、ここは激混み(笑)。

そうでした、そうでした。この時間は混むんでしたねぇぇぇと、ぼやきつつ、渋滞の中をゆるゆると進んでいく。やがて左手に「群馬県庁」が見えて来る。我々は、県庁に手を振りwww、その場を時の過ぎゆくままに過ぎてゆく。

少し行くと、ナビ様から左に曲がるようにとの指示が出る。その後は一気に斜面を掛け上り赤城山へ向かって行く。

さすがに、赤城山周辺は雪があったが、群馬はそこんとこが格段と素晴らしい対応で除雪が行き届いており、スリップしてコワイなぁということはなかった。もちろん、タイヤはスタッドレスタイヤではあるのだが。


【大洞赤城神社】
ここも通いなれた場所である。群馬県は、「本場」であるからにして、他にいろいろな赤城神社はあるゆえに名称も多彩である。この大沼、読みは「おの」(小沼のほうを「この」と読む。ハハハ)には、色とりどりのワカサギ釣りのテントが氷の上にあった。

ここの赤城神社には、大沼にかかる緋色の橋がある。その手前に駐車場があり、いつもは車をその場に置くのであるが、なんと今はその橋の補強工事をするとかで橋が封鎖されていた、まさに「このハシ渡るべからず」だ。

「いや、真ん中を渡れば・・・」という、ひゃ〜参謀を制し、我々はさらに先にある、本殿後方の駐車場に車を置いた。


●このハシ渡るべからず●.jpg

●このハシ渡るべからず●



駐車場に着いたのが、9時くらい。車は1台しか停まっていなかった。陽光と暖房でぬくぬくとなった車内から外へ出たとたん、「ひゃ〜!寒いじゃないか」と大騒ぎ。

風に雪の結晶が飛ばされ、ダイヤモンドダストが朝日にきらきらと輝いていた。我々は、転ばないように、滑らないようにとお互いに声かけを行い、注意喚起をしつつ、拝殿前に向かった。

そうそう、佐藤は、今回の群馬には前橋市のマスコット“ころとん”を連れて来ている。そこで、拝殿前にて、ころとんと記念写真を撮っていると、巫女さんが社務所のシャッターを開けた。どうやら、開店時間のようであるw。

まず、拝殿で再び来ることができたお礼を伝え、今年の無事をお願い後、再度、転ばないように滑らないように注意しつつ、巫女さんがいる社務所に到着。

社務所の入口には、おみくじBOXが置かれている。もちろん、参拝後にはおみくじがつきものである(笑)。さっそく、おみくじを引いたが、! ・・・まぁいいかぁw。

その後、社務所内のお守りグッズを見て廻り、佐藤は誤嚥ならぬご縁お守り(仕事にご縁がありますように)と、交通安全のステッカーをゲットしてみた。

再度出口(別名、入口ともいう。出入口が同じだからw!)にあったおみくじBOXにスルスルと100円を入れて、おみくじを引き直した。

すると、なんと、2人ともが“大吉”であった。

「あらたまの、年の初日のさしのぼる 大き御光を 仰ぎまつらむ」

(初日にも尊さが感じられ日夜心をこめて御祈りし、神様のお陰を戴いて、今旭日昇天の大幸運に向かっていますが、危険なことを避け、信念をもってお祈りしつつ生活しなさい。)

とありました。やった〜!今年も良いことがありそうwww。


★★大洞赤城神社こぼれ話★★★
佐藤は、ころとんを胸に抱きながら社務所を闊歩し、お守りをゲットした。ところが、おみくじを引いて出ようとしたときに、「おみくじの結果に気をとられ」ていたところ、ころとんがころころと床に落ちてしまった(まさにこぼれ話w)。

すると、それまで冷静だった巫女さんが「あっ〜!ころとんが、ころとんが・・・」と心配してカウンターの向こうから出て来てくれたのだ。

やぁ〜いいねぇ。お気遣いもそうだが、ころとんをご存じで(当たり前だ)。以前ここの拝殿前でTVの撮影中の動くころとん(等身大)と記念写真を撮ったことがあるしw。

さてさて、次は榛名山榛名神社をめざす。

榛名神社も、ご当地群馬県ではたくさんある。したがって、住所を群馬県くらいしか確認していないと、うっかり沼田榛名神社に行ってしまうことがある(実際行ったw)。沼田榛名神社の前から遠くに見える榛名山塊は、また格別であったなw。

その後、我々はナビ様に導かれるままに、渋川・伊香保を通り越す温泉街ルートで、榛名山をめざした。


【榛名山榛名神社】
伊香保の温泉街を駆け抜け、山道をうねうね登り、榛名湖が見えてくるあたりに、メロディーライン(メロディーロード)がある。

それは道路に溝を作り、その上を一定の速度で走ると走行音がメロデイを奏でるようにした道路のことをいう。国内に30箇所以上ある(外国にもいくつかあるようだ)もので、ここで流れてくる曲は“静かな湖畔”であった。

そのメロディーを聴くのも楽しみのひとつであるから、その場所が近づくと速度を50キロに定め、しずしずと音楽を奏でてみたい。やがて、ぐんまちゃんがついた看板がはじまりを伝えてくれる。

我々はキターzzzzzzzって感じで、その上を走行。タイヤが溝に沿って音を奏でる。

「しずか〜な〜こ〜は〜ん〜の〜も〜り……」と(笑)。

佐藤は音楽に遭わせて歌詞を口ずさむのだが、どうやら歌詞を間違えているらしく毎回ひゃ〜参謀から訂正が入る。これもお決まりのこと。

ハハハ。何か問題でも?ハハハ。

やがて榛名湖がすぐそこに見えて来る。先ほどの大沼よりも標高が低いようで、この日は全面氷結ではなかった。道路も凍結注意とあったが、除雪がされているようで、こちらも難なくクリアできた。

こうして我々は無事にいつもの榛名神社の入口にある、榛名歴史民俗資料館下にある駐車スペース(いつもこちらを利用)に車を停める。

ここから先が榛名神社の参道の始まりで、やや急斜面なのだ。もちろん、車を進めて先にある鳥居近所まで車で行き、そこらの駐車場に停めることも可能であるが、最近はここから歩いて登っている(年をとると融通が利かないのだ💛)。

参道の周囲にはおみやげ屋さんや、ちょっとした食堂やカフェなどが並んでおり、ところ所にPのマークもある(我々は職業がら、「ポータブルトイレ」のマークと呼ぶ)。

参道を登って行くと、ひゃ〜参謀が、のどが渇いたんでアイスクリームを食べたいという。そこで、鳥居のすぐそばにある、み●もとドライブインに入る。ここのソフトクリームの絵が気持ちを掻き立てたからだ。

店に入ると、年輩の男性が「いらっしゃいませぇ」と迎えてくれた。手前は土産コーナーとなっており、地域限定の漬物やこんにゃくなどが置かれている。

我々は「おはようございます!」とあいさつして奥へ進む。すると、これまた、年輩の女性が2人、ストーブに背を向けて我々を迎い入れてくれた。

「いらっしゃいませぇぇ」

佐藤は奥に向かって歩きながら、

「あの〜、ソフトクリームは食べられますか?」と尋ねた。

すると、2人の女性が同時に

「食べられません(笑)」という返事。

「・・・・・・・」


佐藤はひゃ〜参謀を見る。するともうすでに気分はしおしおののようで

「どう・・・いや、甘酒でもいい。のどが渇いたから」とのこと。

「では、甘酒はありますか?」と尋ねると

「はい、ありますよ。あったかいのと冷たいのが。どちらにしますか?」

再び、ひゃ〜参謀に聞く。

「どうする?」

「・・・・あったかいのにしますかね」とひゃ〜参謀。

「ではあったかいのを2つお願いします」と佐藤。

こうしてオーダーが通ったところで、やっと我々は席に着くことができた(笑)。やがて、白い陶器の器の中に、甘い香りを漂わせて白濁色の甘酒が運ばれて来た。

ひと口すすると、口の中に麹の香りと共に甘さが広がって行く。ううう、ホッとする。

コクコクコクコクと頂いていると、団体客が入って来た。先ほどの男性や女性の品物を勧める声が聞こえて来て、急に店内は賑やかになった。

我々は、甘酒を飲み終え、食堂を出て、お客さんの間をぬいながら会計を済ませ、いよいよ榛名神社の境内へ入る。


●榛名神社のハシは渡れますぞ(笑)●.jpg

●榛名神社のハシは渡れますぞ(笑)●



鳥居をくぐり、随神門を通り抜けると、もうご神気が漂っている。山肌には、石楠花の花がまだまだ寒いぜといわんばかりに葉を丸めて立っており、遠くでクマも手を振っている(ウソ)。

とは言え、中央にはまだ固いツボミがついていた。現在、榛名神社は数年越しで国指定需要文化財建物の改修工事で、境内の双龍門から、国祖社・額殿は、幕に覆われて中から工事中なのだ。幸い拝殿は見ることができた。

佐藤は、拝殿で再び来れたことについて御礼を伝え、さらに今年の目標を伝えてうまく行くように祈念した。その後、しばしその場にとどまり写真を撮る。

恒例のおみくじタイム! 我々は双龍門下にある社務所まで降りた。佐藤が引き当てたおみくじは第35番「考」と書かれていた。おや?


「望みを掲げ威勢よく馬を走らせるも目的地までの準備が疎かではたどりつかない。勢いも大事だが、計画的に物事を考える冷静さも持ち合わせよ。例え時間がかかっても良い結果に繋がる。」

運勢 大吉


ですって。おいおいおいおいw。さっそく、佐藤の考えが神様に通じているみたいだな💛 ひゃ〜参謀と顔を見合わせた。すると、

「大将、ここはほら、絵馬を奉納せんといけませんぜ」ということで絵馬を奉納した。

こうして、榛名神社の参拝はめでたく終了。


●榛名神社の七福神・大黒様に絵馬を祈念●.jpg

●榛名神社の七福神・大黒様に絵馬を祈念●



●拝殿と御姿岩はまさに絶景である●.jpg

●拝殿と御姿岩はまさに絶景である●



次は、咲前神社貫前神社だ。その前に腹ごしらえをせんとな。

途中、国道沿いにある、とんかつ 扇亭 (安中店)さんを発見し、中に入った。そしてヒレカツ丼とサラダを注文した。

あいにくサラダは1人分しかなく、「キャベツの千切りでよろしければありますが」ということで佐藤はキャベツの千切りを付けて頂いた(写真参照)。

ヒレカツは外側がカリカリ、中はしっとり甘辛のたれがかかったカツを卵が覆っている。新鮮な千切りキャベツは、しゃきしゃきで噛みごたえがあり、美味しかった。佐藤も丼を完食した。とても感じの良い対応のお店であった。ごちそうさま!


●ファストフード王国・群馬の扇亭●.jpg

●ファストフード王国・群馬の扇亭●



【鷺宮咲前神社】
次は、安中市にある鷺宮咲前神社と、富岡市にある貫前神社である。すでに、こちらの神社も佐藤の群馬での見聞録のブログには毎回登場している、お馴染みの神社である。

鷺宮咲前神社は、訪問時に神職さんがいたのだが、参拝している途中で車でお出かけになってしまい、しばしベンチでお茶を頂きながらお待ちしたのが、帰って来られず、お守りをゲットできなかった。

ここはまさに藤原氏と物部氏、大和政権が派遣を争った痕跡が多く残る場所であるが、そんなことを微塵も感じさせない、穏やかな時間が流れる憩いの神社となっている。

厳格で古式ゆかしい後宮の貫前神社とは対照的だ。フレキシブルで、庶民的であり、しかしちょっぴり古代の謎が見え隠れする神社でもある。

まぁ残念だが仕方ない。ここは多くの兼任社をお持ちなのだ。ちなみにおみくじは末吉であった。また、あの若い、気持ちの良い神職さんたちにお会いしたいな💛


図07●咲前神社は地域密着型の神社です●.jpg



【上野国一の宮・貫前神社】
気を取り直して、貫前神社へ移動する。ここはサクサクと本殿への下がり参道を降り、脇の門から中へ入った。ここは安定の平常運転である。おみくじを引くと2人とも大吉であった。

何年か前に修復した本殿は、色の具合も馴染んで逸品であった。

ここの様式は、 『論語』で、孔子先生(B.C.552〜B.C.479)の弟子の有子先生が語ったところの、


「有子曰、礼之用和為貴」(部分)の「礼の用は和を貴しと為す」和(わ)の精神(日本では聖徳太子が「十七条憲法」に引用)である。

和(わ)とは、意見が違うものの話でも聞いてみる、配慮してみるというような感じか。「和」を「やわらぎ」と読ませたい方々がいるが、「わ」のほうがスッキリする。もともと、漢文(和製中国語)からの引用であり、聖徳太子自体が漢文を使用しているんだから、「やわらぎ」は変だろう。

この時代、まだまだ和語は整備されていない。『古事記』(712年)の序をみてもまだまだ整備ができておらず、その気分がわかろうというもの。推古12(604)年の十七条憲法の文面に和語はおかしい。

それはさておき、貫前神社は、経津主神(物部&忌部系大和政権)・姫神(渡来系の赤城神)・雷神(地主神)が、その「和」をもって融合された稀有な形式の本殿を持っている。ぜひぜひ多くの方々に見て頂きたいな💛 また本殿の横に位置する抜鉾神社と、階段途中にある月読神社へのお参りもお勧めである。


●黒と金の対比がすばらしい貫前神社●.jpg

●黒と金の対比がすばらしい貫前神社●



次は、妙義山中にある中之嶽大国神社(前宮)・中之嶽神社(奥宮)に向かった。どちらも初めての神社である。

「上毛三山パノラマ街道」のひとつで、群馬県道196号上小坂四ツ家妙義線を使い、富岡市妙義町から下仁田町方面へ向かった。

群馬県の道路ではしばしばあるのだが、危険運転防止でカーブの所々が凸凹し、カーブがかなり多いのでけっこう危ない。困ったことにふつうの運転者にも危ないのだ。

さらに、けっこう高いところを走り、妙義山を通る道路であり、頂上に中之嶽神社、麓に妙義神社、大砲岩などの名所があるので、交通量が意外と多い。

この区間はかつては有料道路(妙義有料道路)であったが1986年4月1日で無料開放されたそうな。


【新スポット・中之嶽大国神社・中之嶽神社】
神社付近着くと、ほど近いところ(徒歩1分くらい)に大駐車場があり、そこから歩いていく。車がビュンビュン通る時間帯は、地下の通路を使わないと危ない。


●妙義山の峻険さは圧巻である(そりゃあ滑落しまくりだわね)●.jpg

●妙義山の峻険さは圧巻である(そりゃあ滑落しまくりだわね)●



鳥居をくぐると、まずは、中之嶽大国神社(なかのたけおおくにじんじゃ)がある。もう1つの中之嶽神社(なかのたけじんじゃ)との関わりはなかなかわかりにくい。

中之嶽神社のほうが年代は古いがたぶんに「伝説」の域は出ないし、そちらがメインならば、近くにある妙義神社の方が正当性が高くなり、わざわざここに作る意義は薄くなるのだ。

祭神はもちろん、大国様(大黒様と習合)である。大黒様の縁日が甲子(きのえね)の日ということで、甲子大国神社(きのえねおおくにじんじゃ)ともいい、数百年に渡り甲子祭を斎行しているという。

大国様の大きさは、20メートルで、マジンガーZやガンダムのモビルスーツ(それぞれ18メートル)よりも高いのだw。しかも打ち出の小槌ではなく、剣を持っている。

この大国様自体は、平成17年の作られたものだが、妙義山山麓の穴に、倭建尊(日本武尊)が関東御巡行の際「草薙剣」を隠しておいた伝説もあり、大黒様+お不動様の習合で剣を持っているなどの話や、大国様と剣との関わりを想像するだけでも楽しくなってくる💛

そして、ここからも荒船山もはっきり見えるほどの絶景。まさに金運の神様にもふさわしい(どこが?)。ちなみに火山で形成されたのは荒船山と妙義山は同時期である。

大国神社は、嵯峨天皇の御代(819年創建)、藤原冬嗣(北家)卿と空海大師により開かれている。

藤原冬嗣は、文武の才を兼ね備え、温和でゆったりとした性格で、藤原氏にしては民衆からも支持された稀有な藤原氏の長(おさ)といえる。このブログでも良く出てくる「延喜(格)式」のベースとなる「弘仁格式」等の編纂したり、『後撰和歌集』にも和歌作品が採録されるなどの多才な方であった。

妙義山は、白雲山・金洞山・金鶏山・相馬岳・御岳・丁須ノ頭・谷急山などを合わせた総称であり、南側が表妙義、北側が裏妙義とされる。中之嶽とは、金洞山(1,094m)の別名なのである。

中之嶽神社は、現在、倭建尊(ヤマトタケルノミコト)ゆかりの聖地ではあるが、欽明天皇(539-571年)の御代に建立されたものである。

しかし、元は、山の神で地主神の波胡曽神(はこそのかみ)を祭られていた。

伝説では、山賊wに制圧されていた妙義山を倭建尊が退治してうんぬんとあるが、ヤマト政権に逆らうものを「山賊扱い」し、彼らを制圧後も波胡曽神ではなく、倭建尊を祭っているのをみれば想像はつくだろう。

また、渡来神(大黒様・お不動様)や出雲系の大国主神を「波胡曽神の抑え」に祭り、それらを藤原冬嗣卿と空海大師が創建したというのも生々しい。藤原冬嗣はもちろん、空海さんも藤原氏の下っ端の一族(佐伯氏)の出なのだから。

まぁそういう「いわく」、いや「ゆかり」があるほうが興味深い。群馬県(毛国・上毛国・上野国)というのは、まさにヤマト政権と東国勢力、出雲勢力が近接する地帯なのだ。

そういいながら、中之嶽(甲子)大国神社で運気向上を祈願し、おみくじを引くと2人とも大吉である! 

奥宮の中之嶽神社はすんげぇ階段を登るので、ひゃ〜参謀は訳あって、体育をさぼる中学生よろしく、下から見学した(笑)。見ていると、男性はたいがい登らない。女性はなんども戻りながら登って行くのだ。ほんとうに危ないよ、ここ。

最後に、ここから碓氷峠に向かい、いつか見よう、見ようで先延ばしになっていためがね橋を見るのだ。そこらへんは森村誠一氏の『人間の証明』に出て来る「霧積」の近くである。


【めがね橋】
「めがね橋」とは、安中市松井田町坂本にある鉄道橋で、碓氷第三橋梁(うすいだいさんきょうりょう)を指している。

橋からほど近い(2〜3分)のめがね橋駐車場にカナメイシ君を置き、遊歩道をつたって、めがね橋を18号線から眺めた。切り返し切り返しで山道をアプト式で列車が登った、かつての歴史を垣間見る思いだ。

碓氷川に架かる煉瓦造りの4連アーチ橋で、国鉄時代の信越本線横川駅 - 軽井沢駅間の橋梁の一つでアプト式鉄道時代のもの。設計者は、1882年(明治15年)イギリスから日本に招聘された英国人技師のパウナル 氏と古川晴一氏である。

横川駅からこの橋までの旧線跡が遊歩道「アプトの道」として整備され、ユネスコの世界遺産への登録を目指し、2007年(平成19年)に暫定リスト入りをしたが、大ばか者による落書きがレンガの橋脚に彫り込まれる犯罪(いたずらというレベルではない)が多発しているらしい。

文化のない国の外国の嫉妬か、スマホ世代のていたらくかはわからないが、日本にはいてほしくない人罪(人材ではない)である。


●めがね橋を下からみる。あ、ここもハシを渡れますよ●.jpg

●めがね橋を下からみる。あ、ここもハシを渡れますよ●



古来より、群馬の地は、海外の文明を積極的に導入しながらも、自国の文化を失わせずに「融合」に努めて来た。文明は文化を駆逐すると昔から言われている。

しかしながら文化無きもの(国)は、長続きはしないのだ。だから「そういう国」は、長続きさせるために似たような隣国の文化を真似たり盗んだりする。まぁアメリカがイギリスと、なかなか離れないのもそうかもしれない。

アメリカの政治家やビジネスマンの必読書は、いまも昔も、ウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare)の作品群なのだ。

まぁ真似るのは文化の事初めだからしかたがない。しかし、盗んで自国の文化と主張するのはいただけないね。

わが国の明治期の文明(科学)は、確かの現在の技術よりも劣っているだろう。しかし、国民生活は「文化」が根差した豊かなものであっただろう。

ではいまはどうだ? スマホを観ながら駅のホームを歩き、落ちて轢かれて亡くなるかたが、東京だけでも何百人も亡くなっている。ほんとうにそんなことで命を落としても悔いはなかったのかなぁ?

直近の新型コロナウイルスの騒ぎでの政府や野党のよりとりをみると、政府も拙劣だが野党もほんとうに意味のない質問ばかりである。

しみじみと文化の欠如した文明は、未来がないなと感じてしまうのだ。失敗も成功も、先人の歴史から学ばないといけないだろう。


●「どうやって注意するのか」をポンタと思案する●.jpg

●「どうやって注意するのか」をポンタと思案する●



群馬に多く残っている文化の香りを堪能して、我々は本日宿泊するホテルへと向かった。

その後、高崎駅前の高崎OPA(オーパ)のミートハンターさんで夕飯を頂き、翌日からの研修会に備えて眠りについた(研修会も無事終了)。

ここ数年の高崎駅前は、文明も文化も共存し、どんどん進化もしていますよ。皆さまもぜひぜひお出かけください。

さて、皆様もまだまだ寒きゆえ自愛ください。ではまた!



●高崎OPAで賑わう駅前●.jpg

●高崎OPAで賑わう駅前●



●高崎OPAの1Fはなぜかイオンスタイルという複合施設●.jpg

●高崎OPAの1Fはなぜかイオンスタイルという複合施設●


(To Be Continued!)
posted by さとうはあまい at 18:16| 東京 ☁| Comment(0) | 見聞録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする