2019年08月16日

奮闘記・第1089回 見聞録/長野県

●2019年● 長野県長野市

戸隠神社の奥社を再参拝!

〜到着時には、後頭部が「那智の滝」状態であった〜

【If I wasn't hard, I wouldn't be alive. If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive.(「Playback」Philip Marlowe)】



【プロローグ】
佐藤は、例のごとく、早朝に愛車・カナメイシ君(マツダのデミオ💛)をするすると駐車場から発進した。途中、ひゃ〜参謀を跳ね、車に押し込み(足を2回ほど、引いたことあり💛)、首都高速に滑り込んだ。

めざすは、長野県の戸隠神社?であるが、最終目的地は言わずもがな新潟市内である(笑)。新潟県の道中は、途中にある神社(群馬県や長野県)をできるだけ参拝しながら向かうことにしているわけ、ふふふ。

今回は、当初から戸隠神社三社(宝光社・中社・奥社ほか)の参拝を決めていた。

奥社に続く参道は、駐車場から約2キロほど続いている。緩やかな坂道の長い参道を歩き、途中から、まぁ緩やかには違いないが、完全な山道を登らないと辿り着けない所に鎮座しているのだ。

奥社にはかつて一度行ったことがある。

当時の戸隠神社の道案内の地図は、いかにも「(奥社なんて)ホイホイ行けちゃいますよ!」的なデフォルメされたイラストマップであった。

しかし、某スピリチュアルなんたらの先生もここを歩いたが、グロッキー。彼の書籍では(自分が行きにくい奥社よりも)中社(車で行けるからね💛)をより凄い聖地に認定したくらいだ(まぁそれはそれで間違いではないのだが・・・)。

当然、我々も当時、その道中は思いの外遠く感じたものだ。

その帰り道に、おそらくは地図に騙された(笑)であろう、スーツで登るヤケクソ気味のサラリーマンとすれ違った。そう、奥社は思いつきで行けるような場所にはなかったのだ。

そのため、以後、中社参拝どまりとなっていた(こちらの方が凄いって話だったし)。また、奥社への参道は、クマさんの出没(生息)地でもあり、食べ物の少ない時期に行ったら、クマさんとご対面となっても困る。ここは長野県のゆるキャラ「アルクマ」君(リアル・アルクマ)のホンモノに逢える可能性が高い場所なのだ。

といってもですな、今回は山に食べ物が豊富にある時期でもあるし、しかも生きた食・・・いや参拝客も多い時期。もし、クマさんに遭遇してもまぁ・・・他に美味そうなのはたくさんいるし、何とかなるであろうと考えた(笑)。

ということで、奥社再参拝を決めたのだ(それに体力が衰え、もう登れんかも知れんこともある)。


佐藤は、関越道を通り、高崎から上信越道へ入る。するとここらあたりから、カナメイシ君に異変が!!!!!

なんと、見慣れないマークの警告灯が点灯した。何が起きたかわからない(ただでさえ、機械音痴)。佐藤は、助手席の参謀にダッシュボードから取扱説明書を取り出してマークの正体を調べてもらった。

すると、ひゃ〜参謀「大将!それ、《エンジンマーク》でっせ!!何かエンジンに異変があるらしいですよ」とのこと。簡単に言うないw!

とは言え、心当たりがあった。

さる6月後半から、カナメイシ君には「要点検」?のマークらしきものが着くのだ。こわ〜っ。

なかなか時間が取れず放置していたが、ディ−ラーからの車検便りが届いたため、少し早めに車検予約を入れ、相談すると月に入ってからで良いのでは?ということでそのままの状況であった。

そちらのマークだけならば、オイル交換ぐらいだなとのんきに構えていたが、エンジンの警告灯となると尋常ではない。そこで、近くのパーキングを探すと某・横川サービスエリアにENEOSウイングがあった。そこで、警告灯を意識しつつ、ゆるゆると進み(ひゃ〜参謀からスピードは控えましょうとの警告)、めざすスタンドに車を入れた。

早速、係の方が近づいて来られたので、相談して見た。すると横の空きスペースに移動。状況を説明すると、早速カナメイシ君のボンネットを開けると、そのとたん、エンジンルームから白い煙がモア〜っと立ち上った。万事窮すか!

我々は思わず「わあ〜」「うひゃ〜」と叫んでしまった。

佐藤は慌てて車外へ出て状況を話を聞いた。


オイルが真っ黒で速やかに交換が必要とのこと。ただし、この車は軽油車だから、このSAで対応オイルがあるかどうかわからないらしい。そして倉庫にはいり、なにやらガイドブックを取り出して調べてくれたのだ。何という親切であろう?

「軽油車だから難しい」といって、放り出されても仕方が無い状況であったのだが(さすがにそれはやらないだろうが)。調べると、すぐ交換できること、料金はこのぐらいと提示してくださった。料金も通常と変わりはなし。もちろんお願いした。

通常、街中のお店でオイル交換をお願いすると、1時間くらいは時間を要する(まぁ混んでるし)。そこで我々が乗車したままで構わないかと尋ねると、すぐに済むからお待ち下さいとのこと。

この時は、今のような猛暑では無かったが、車の中にとどまり、オイル交換の様子を見守っていた。

係の方が大型の吸引器をカナメイシ君の腹部に差し込むと、そのチューブの中に真っ黒の液体が吸い込まれていく、同時に吸引器の中には、どろどろの黒い液体で満たされてしまった。なるほどねぇ・・・・、オイル交換はこのようになされるのか。佐藤はオイル交換を初めて見たのですごいぜ(そこまでほっとくほうがすごい)と感激していた(笑)。

十分に吸い取ると、今度はオイル色に輝く美しい液体をするするするするとカナメイシ君の腹部に注入し、エンジン部分にカバーを掛け、エンジンをかけてファンをまわして空ぶかしをし、作業は終了。丁寧にお礼を伝えたのは言うまでも無い。

カーメンテナンスのお客様控えには、作業担当者Tさん、ダブルチェック担当者Hさんとお2人のサインがあった(責任の所在がはっきりしている)。

Hさんは、「車は丁寧に見てあげれば長く乗れますからね💛」と笑顔で話してくれた。

お2人はたまたま担当日だったのかも知れないが、お2人からはベテランらしい車愛💛を感じることができた。とにかく自分の仕事に誇りを持っている方は輝いているのだ。素晴らしい! 本当に感謝である。さすがは群馬?である。


我々は、再び高速に乗り、戸隠を目指した。オイル交換をしたカナメイシ君はご機嫌でアメリカ並みの遵法速度でぐんぐんと我々を長野市内に誘ってくれた。もはや戸隠神社までの道のりは通いなれた道と行って良い。

途中七曲がりという急な坂も、対向車に注意しながらくねくねと登っていく。今回は、奥社参拝が目的である。奥社に行く前には、宝光社から参拝するしきたりがあるらしい。そこでまずは宝光社の駐車場に車を停めた。


ここで、戸隠神社のホームページを参考にご案内したい。

戸隠神社は霊山・戸隠山の麓に、奥社・中社・宝光社・九頭龍社・火之御子社の五社からなる、創建以来二千年余りに及ぶ歴史を刻む神社である。

その起こりは、遠い神世の昔の出来事である。天照大神素戔嗚尊の横暴ぶりに手を焼き、「天の岩戸」に隠れてしまった。そこで、八百万の神々が天の安河の川原に集まり、天照大神を岩戸より出てきていただくための対応を相談した。そして、思金神の案により、さまざまな儀式をおこなった。

そして、天宇受賣命が岩戸の前に桶を伏せて踏み鳴らし、神憑りして胸をさらけ出し、裳の紐を陰部までおし下げて踊った。すると、高天原が鳴り轟くように八百万の神が一斉に笑った。

これを聞いた天照大神は訝しんで天岩戸の扉を少し開け、「自分が岩戸に篭って闇になっているのに、なぜ、天宇受賣命は楽しそうに舞い、八百万の神は笑っているのか」と問うた。天宇受賣命が「貴方様より貴い神が表れたので、喜んでいるのです」というと、天児屋命布刀玉命天照大神に鏡を差し出した。

鏡に写る自分の姿をその貴い神だと思った天照大神が、その姿をもっとよくみようと岩戸をさらに開けると、隠れていた天手力男神がその手を取って岩戸の外へ引きずり出した。

そして、天手力男神はその岩戸を隠した場所が、この戸隠なのである。もちろん、戸隠神社の祭神は、この「天の岩戸開きの神事」に功績のあった神々が祭られているのだ。


とはいえ、戸隠は平安時代末は修験道の道場として都にまで知られた霊場でした。神仏混淆のころは戸隠山顕光寺と称し、当時は「戸隠十三谷三千坊」と呼ばれ、比叡山、高野山と共に「三千坊三山」と言われるほどに栄えていたのだ。

江戸時代には徳川家康の手厚い保護を受け、一千石の朱印状を賜り、東叡山寛永寺の末寺となり、農業、水の神としての性格が強まってきました。山中は門前町として整備され、奥社参道に現在もその威厳を伝える杉並木も植えられ、広く信仰を集めたのである。

戸隠は明治になって神仏分離の対象になり、寺は切り離され、宗僧は還俗して神官となり、戸隠神社と名前を変えて現在に至っている。奥宮の参道随神門から約500メートル続く樹齢400年を数えるクマスギの並木、ここの木の勢いは現在も衰えることなく参道の神性を保っている。 立冬と立春には太陽が参道に沿って真っ直ぐに昇っていくという。この参道杉並木を含む戸隠神社奥社社叢は長野県の史跡・天然記念物に指定されているのである。

いろいろとうるさい、ひゃ〜参謀も、

「まぁ言いたいことはいろいろあるけど、とりあえずそれ(由緒)はそれでいいですよ、別に」ですと(笑)。


【戸隠神社宝光社】
まずここ宝光社(ほうこうしゃ)。ご祭神は、天表春命(アメノウワハルノミコト)。武蔵国一の宮の1社、小野神社のご祭神だ。

ちなみに当時、武蔵国は国府(東京都府中市)に近い順に、一の宮、二の宮、三の宮・・・としていたと思われ、国府により近い小野神社が一の宮となり、距離がある大宮の氷川神社は三の宮であった。しかし、神社の規模も大きい氷川神社の方が力を持っていた。

さて、現在地への鎮座は康平元年(1058年)、天暦3年(949年)に奥社の相殿として創建されたもの。

祭神である天表春命は、中社の祭神である天八意思兼命(思兼命)の子どもである。ここは、参拝登山する前に山の神々様に失礼なきよう、「魔物祓い」を行い、ここまで着いて来た「モノ」を落としてから入ることになっている。


●宝光社の270段余りの階段を登る●.jpg

●宝光社の270段余りの階段を登る●



もともと修験の山には、必ずしも毎月、神様がいるわけではないらしく、いない時に登り、「変なもの」を拾って帰ってこないように、ある種のバリア(のようなもの)を張れってくれるという俗信がある。ご神徳には、学問や技芸・裁縫・安産など、婦女子の守り神とも言われている。


余談だが、その昔、戸隠も女人禁制の地であった(というか女人OKの仏教は本来あり得ない)。今も女人堂跡がある。当時の女性はこの女人堂より先には行けず、奥社は、遙拝所から拝礼するしかできなかった。

差別と言えなくもないが、良くも悪くも男のための宗教(当時仏教)だったんだから、必要なら「女性用の宗教」を確立すれば良かったのではなかったろうか。今ならそうなるだろう。まぁいいけど。

そもそも宗教の女人禁制は、古来、お寺や神社の近くには風俗店のようなものがあってですな、そこには男が・・・・(強制終了)

それはともかく、女人禁制を破り禁足地に足を踏み入れたものは石になったという。今でも掟を破り中に入った比丘尼が石になったとされる「比丘尼石」がある。ね? そう言われれば、男しかこれんでしょう(笑)。


必要があって奥社の相殿として創建されたのであるから、分離しても奥社参りの前に立ち寄るのは当然のこと(例外多数w)。駐車場から参道に入り、何と270段余り続く階段を登り、境内に入った。

ここが俗にいう、パワースポットである。いわゆる見えない力(神仏など)は、極端な人間の行動がお好き。完璧にまじめな聖職者か、(ここでも)良くも悪くも熱くなる人間の行為にこそ、神仏は宿るという。だからこその悪人正機説も存在するのだ。

宗教団体や霊能者と称する方々がいうのは、あくまで自分たちができない理想の形。神々様の好む自然は「あるがまま」の姿。場合によっては人間が見たら「汚い」光景だってある。

「山は荒れ・・・」などとよく言うが、山々に手を入れるのは「自然の法則に反する」ことだ。そういう形できれいになって嬉しいのは「人間」であることを忘れてはいけない。寺がきれいになれば坊さんたちが喜ぶが、仏様はそんなことで喜ばんし、第一、仏様は寺になど存在しないのだ。

しかしながら、人工物(ゴミ)を作るのも人間だけ。そんなものをバラまかず、片づけるのは当たり前のことである。

それはさておき、我々は、これから奥社をめざすことをお伝えし、無事に参拝ができるようにお願いしたw。おみくじは・・・www。さて、先へ進もう。

我々は駐車場へ戻り、車に乗って次の参拝所中社の駐車場へ移動したのである。


【戸隠神社中社】
ここは先ほど述べたように、すでに馴染みの場所。駐車場から、鳥居をくぐり手水舎にて体を清める。さすがに水は冷たく身が引き締まる思いだ。

外国人の参拝客も多く、異国の言葉が飛び交う。当然聞き慣れた外国の言葉ならばどこぞの国と言うことはわかるのだが、耳慣れない言葉を聞くと、そのたびのどこの国の言葉なんだろうか?とも考えるが、とりあえず日本文化が他国の方々に興味を持たれるのは良いことであろう。

さて、ここで、ひゃ〜参謀は以前頂いたお札をお返しする。中社には、拝殿横に、古いお札の回収ボックスが置かれているからだ。ひゃ〜参謀は、お返しするお札に、お守り頂いたお礼を伝え感謝を込めて丁寧に箱に収めていた。


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●おなじみの中社も参拝●



こちらは中社(ちゅうしゃ)という。いわゆる音読み(おそらく「呉音」)で、仏教用語に使われる漢字の読みである(伯耆大山の大山も「だいせん」と呉音読むのと同じ)。

ご祭神は、天八意思兼命(アメノヤゴコロオモイカネノミコト)である。いわゆる、日本三大知恵の神様である。ちなみに、1.思兼命、2.高木神、3.少彦名命の三神とされる(こちらは兄・父・弟の関係)。

我々の中では、思兼命は大策士として認識されている。なんせ、素戔嗚尊の度重なる非行に天照大神が天岩戸にお隠れになった時、岩戸神楽(太々神楽)を創案し、岩戸を開くきっかけを作られた神様だからねぇ。

ひゃ〜参謀はこの神楽に参加した神々様は「高天原クーデター」に参加した神で有り、思兼命はその首謀者。結果、クーデター失敗し、参加した神々様地上へ追い払われたとふんでいる。父親(高木神)越えはなかなか難しいのは当然であろう。


しかし、日常で二進も三進もいかない時には、かなり頼りにできる神様だ。なんせ発想が違う。神界でも「ナンバー1」とされる神様であるが、それでも全知全能とは言えないのだ。ご神徳はもちろん、学業成就・商売繁盛・開運・厄除・家内安全である。

こちらの社殿の天井には平成15年に復元された狩野派の天才絵師・河鍋暁斎(かわなべ きょうさい)によって描かれた「龍の天井絵」がある。一度上がらせて頂いたが見上げるとその大きさに圧倒された。

我々は拝殿で手を合わせ、佐藤は、事業の繁栄継続をお願いした。その後社務所に立ち寄りおみくじを依頼する。そう、戸隠神社では、神職に自分の数え年を告げ。すると神職が奥へ入り祝詞を唱え、


「こんな生年月日の奴が何かがどうなるか伺いたいそうですが、その首尾はどんなもんでしょうか?」


ってな感じで尋ね、数え年と性別を神様にお伝えし、シャカシャカとおみくじをひいて頂くのである。そして、にぎにぎしく戸隠神社と書かれた封筒におみくじを入れて渡して下さるのだ。そう、おみくじはあちこちに結ぶのではなくお持ち帰りするのだ。結果は・・・www。


境内には樹齢700年を超えるご神木、樹齢800年を超える三本杉があり、参拝客が思い思いの場所にたたずみ、おみくじ結果を眺めたり、写真を撮って過ごしているのを見守ってくれている。

さて! いよいよお目当ての奥社である。ただねぇ、早朝飛び出してきており、奥社へのぼるとなると腹ごしらえが必要である(いつもそれだ!)。

そこで我々は、昼食を摂ることにした。車を八十二森のまなびや付近の駐車スペースに置いて、徒歩にて、戸隠神社入り口へ移動。


●まずは奥社の入り口をめざす●JPG.jpg

●まずは奥社の入り口をめざす●



【そば処 奥社の茶屋】
そこで、そば処 奥社の茶屋に入った。こちらは店内は木調で整えられ、自然の中にいる雰囲気が漂っておりなんとも気持ちの良い空間であった。

我々は天ぷらそばを注文。天ぷらは、エビやなすカボチャの他にふきのとうが添えられており、山の香りを楽しむことができました。おそばはのどごしが良く、甘味のあるつゆとからまりそれはそれは美味しかった〜。値段もリーズナブルで大満足であった。


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●奥社前のそば処に入る●


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●天ぷらそばが逸品!●



準備万端。ここからいよいよ奥社をめざす。スタート地点には、杖が入ったボックスがあるが、これはかなり役立つので1本借りていったほうが良いかも知れない。おお、「クマ(熊)出没注意」と書かれたチラシもあった。

そう、ここからはクマの生息地、すでにもう、我々が来たことを察知しているに違いない。よほどなことがない限り、「利口なクマ」は人里には降りてこないという。問題はクマでも人間でもそうでない種類なのだ。

我々は、バックの中から鈴を外へ出して、ちりちりとならしながら進んだ(自己満足だが)。参道の両脇には、小さな川が流れており、周辺には高山植物が小さな蕾を付けていた。


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●入り口に置かれたクマ出没注意のチラシ●



我々は、お互いを励まし、ののしり合い(笑)ながら、登っていく。途中にある随神門をくぐったあたりから杉林が奥まで続く。

ここからが神仏の領域に入るのだから、ことさら失礼があってはいけない。だんだん、足場も石や砂利が多くなってきた頃、道は段々が付けられた道へと変化していく。





階段では無いのだが、なだらかな勾配をのぼりやすく工夫して有るようだ。このあたりにまでくると、様相を気にするゆとりはなくなり、徐々に汗も多くなってくる。でも以前のような時間の長さを感じない。一度来たことが心理的な影響が大きいのであろう。いよいよ、奥社の拝殿が見えてきた。


●まさに比丘尼?の様相になってくる●.jpg

●まさに比丘尼?の様相になってくる●


●奥社参道半ばの随神門は異空間への入り口だ●.jpg

●奥社参道半ばの随神門は異空間への入り口だ●



先ほどまでとは違い、他者とすれ違うために道の譲り合いが必要な狭さ。そうなるとお互いに、「こんにちは。お疲れ様です」などの励まし合うようになるから不思議である。

ようやく奥社にたどり着いたときには、頭から顔から汗がぼたぼたと流れ落ちる始末。ひゃ〜参謀いわく、


「大将、那智の滝のような汗ですよ!」


ですと(笑)。

神様に、無事に来られたことに感謝を伝え、再度、来るチャンスがありますようにお願いをした次第である。佐藤は、その後髪の毛を後方に束ねた。ホント、冗談無く汗の量がすごかったぁ〜。


【戸隠神社奥社】
ここ奥社(おくしゃ)のご祭神は、あの天手力雄命(アメノタヂカラオノミコト)である。

由緒は、日本神話にある、天照大神が天の岩屋にお隠れになった時、無双の神力をもって、天の岩戸を開き、天照大神をお導きになった天手力雄命を戸隠山の麓に奉斎したことに始まるとある。

ひゃ〜参謀によるとこの神様は、猿田彦大神でもあるらしいが、さて・・・。)

戸隠神社の御本社として、開運・心願成就・五穀豊熟・スポーツ必勝などのご神徳が全国に広宣され、多くの崇敬者が登拝されているという。


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●ようやく奥社にたどり着きました●



全参道は約2キロ、中程には先ほどの萱葺きの赤い随神門があり、その先は天然記念物にも指定されている樹齢約400年を超える杉並木が続いているという。その近くには、九頭龍社(くずりゅうしゃ)がある。ご祭神の九頭龍大神(クズリュウノオオカミ)である。

ご鎮座の年月は不詳であるが、天手力雄命が奉斎される以前に地主神として奉斎され、心願成就のご神徳が高く、特別なる信仰を集め、また古来より水の神、雨乞いの神、虫歯の神、縁結びの神として尊信されているという。ここはまさに聖地・戸隠の地主神であり、この地を治めている神様としてふさわしい。


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●こちらは地主神・九頭竜神社●



この奥社九頭龍社から、今登って来た方向を振り返ると、眼下には長野市までが眺望できる。佐藤は社務所横にたたずみ、汗のひくのを待った。そこには心地よい風がふき、我々の労をねぎらってくれていた。

さて、元気になったところで、おりますかね。2キロを登って来たと言うことは2キロ降りると言うことですからねぇ(笑)。でも、我々はお互い体重が以前より軽くなったせいか、以前参拝したときほど、苦痛は感じなかった。

それでも歳は歳。足腰に気遣いながら、ゆるゆると参道を降りた。我々の旅はまだまだ続く。足取り通り、ゆるゆるなので今回はここまで。次回は新潟の見聞録の予定です。

まだまだ暑きゆえ、皆さま、くれぐれもご注意ください。



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●この道は、森の学舎の裏手まで続くのだ●


(To Be Continued!)

posted by さとうはあまい at 20:22| 東京 ☀| Comment(0) | 見聞録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする