2019年03月11日

奮闘記・第1077回 見聞録/和歌山県

●2019年● 和歌山県田辺市

熊野の神々様の導きで熊野本宮大社に初詣!

〜熊野詣でのにぎわいを感じつつ、ご神気を頂くのだ〜



今回は今年1月に行った和歌山県でまわった熊野の見聞録です。

いよいよ、熊野本宮大社を参拝する日が来た。ふふふ。これまで、佐藤は、いろいろな素晴らしい神社や神々様との出会いがあった。

しかし、和歌山県に出向く機会はあったし、日前神宮・國懸神宮和歌山城の素晴らしい場所には足を運ぶことはできたが、ここ熊野本宮大社・速玉大社・那智大社の熊野三山を参拝するには至らなかった。


伊勢へ参らば熊野に参れ どちらかけても片参り

伊勢へ七度 熊野へ三度 愛宕様へは月参り


とはよくぞ言った。しかし、このペースで人生であと2回は難しいかな(笑)。今回は、研究所の「ひゃ〜参謀」とともに熊野詣でとなったのである。

例のごとく、早朝に東京を抜け出し、南紀白浜空港に着いた。空港からたいそう離れた空港店に着きレンタカーを借りた。現時点の使った空港でレンタカーの店舗が1番離れていた長崎空港を抜いてしまった(笑)。


●迫りくる熊野!(ってこちらが近づいてるんだって)●.jpg

●迫りくる熊野!(ってこちらが近づいてるんだって)●


●無事、南紀白浜空港に到着●.jpg

●無事、南紀白浜空港に到着●



今回も、車はトヨタのヴィッツ君である。ナビ様に「熊野本宮大社」と入力すると、ゆるゆると国道311号線を走るコースを示した。そこから一気に全開で熊野本宮大社を目指した・・・といいたいが道路工事やらなんやらで、なかなか進まない。

しかも、この日はあいにくの天気で雨が降ったり止んだりしていた。道路も勝手がわからず、ベストな選択ができずに、熊野古道の中辺路に近いルートを通る山あいの道で進んだ(結構カーブが多く、ブレーキ操作が大変!)。

なんせ和歌山県は、山々が総面積の約81%を占めている県なのだ。神武天皇でなくとも、迂回に迂回を重ねて行かねばならぬ。冬は規制も多いらしいし、確かに日程を立てるのも難しい行軍で有る。

やがて、道しるべにあちこちに「本宮」の文字が見え始め、我々はなんとか本宮大社の近くに付いたようだ。いったん前を通り過ぎ(失礼します!)、情報収集を考えて道の駅を目指した。


●今回も和歌山のヴィッツ君との出会いがあった●.jpg

●今回も和歌山のヴィッツ君との出会いがあった●



そして、まず道の駅・奥熊野古道ほんぐうに寄った。なかなか品ぞろえも良く、マグネットもあるので入手。さて、ただ今11:00前、本来は神社から行きたいところだが、神社内でどれくらい、たたずむかはわからない。できれば長くいたいのだ。先に昼ご飯を済ませた方がゆっくりできると判断した。ということで車をUターンさせて、昼ご飯を先に食べに行くことにした。


●道の駅・奥熊野古道ほんぐうに立ち寄る●.jpg

●道の駅・奥熊野古道ほんぐうに立ち寄る●



昼食は、杜の郷 みるりいなを選んだ。こちらは「ひゃ〜参謀」が事前に調べていたお店である。イメージでは小さいお店であったが意外と大きく、きれいなお店である。

国道と熊野川沿いにある洋食屋レストランで、木のぬくもりがあるログハウスである。店内に入るとそこにはおもちゃや絵本などがおかれた子どもの遊び場があった。

席に着いて、メニューを観ていると、店の方が来て「本日のランチは○○ですw」とさわやかに説明してくれた。佐藤は、そのランチを「ひゃ〜参謀」はハンバーグランチを注文する。

この稿を書くためにみるりいなさんのfacebookを参照してみた。すると、佐藤が食べたメニューを発見したので載せておこう。

チキンと採れたてレモンのハニーマスタード煮込み・マッシュポテトとベーコンのチース焼き、卵の天ぷら 甘酢あんかけ・豆腐ステーキ 味噌マヨソース添え・かぶらのピリ辛昆布漬け、採れたてお野菜自家製玉ねぎドレッシング・お野菜とたまごの手作りスープ・コシヒカリ白ご飯。

1日10食限定・ワンプレート(800円)である。お料理もさることながら、新鮮野菜のサラダがしゃきしゃきしていて美味しかったこと!


●みるりいなの外観●.jpg

●みるりいなの外観●


●みるりいなの店内●.jpg

●みるりいなの店内●


●「ひゃ〜参謀」はハンバーグランチ●.jpg

●「ひゃ〜参謀」はハンバーグランチ●



ちなみにこの店は、家族経営のお店で、店の名前は2人の子供さんの名前を付けているとか。もちろん、お子さん達もお手伝いをしているようで、facebookには、様々な情報が盛り込まれていた。子供は親の背中を見て育つからねぇ。

さてさて、美味しいランチを頂いたところで、ゆっくりと熊野本宮大社に詣るとしょう。


熊野本宮大社には公式参拝ルートがあるが、これがまたチトうるさいw。まずは熊野本宮大社(この中もたくさんお社が!)、次に産田社(うぶたしゃ)大斎原(おおゆのはら)である。晴れていれば、熊野古道から大斎原を見るのがたまらんのだが・・・今回は雨で無理。熊野の神様が「無理するな」とのたまったようだ。


●とうとう熊野本宮大社へ!●JPG.jpg

●とうとう熊野本宮大社へ!●


●本宮の参道●.jpg

●本宮の参道●


●これぞ八咫烏ポスト!●.jpg

●これぞ八咫烏ポスト!●



熊野速玉大社熊野那智大社には、アウトライン(こう廻ってほしい)こそあるが、ここまでの公式参拝ルートはない。詳しくは、当ホームぺージの「強運・開運神社」の熊野本宮大社で述べているが、そもそもの神社の成立過程や性格からして、なぜ祓戸大神があるのがわからない。


When in Rome, do as the Romans do.(郷に入れば郷に従え。)


である。そもそも神社のルールの大半が、明治以降、あるいは昭和になってから作った○社本庁のこしらえたルールなのだ(たぶん)。もし神様が「自然のままを愛する」というのなら、今の山々を愛するはずがないだろう。

なぜなら、きれいに山が整備されているのは、人間が手入れをしているからである。つまり「不自然」なのだ。自然のままであれば、山は荒れ放題、生命力のある強い木々だけが生き残るはずだ。きれいな花など、生き残るすべはないだろう。

和歌山県出身の某作家が以前、荒れた山が自然の山であり、きれいに整備されているのは人工的な山で、それを知らない奴はほんとうの自然を知らないだけということを書いていた。その通りだと思う。

また、別なケースではあるが、「自然」に関する疑問を大久保利通が勝海舟に尋ねている。

「先だって、(明治維新後)京都の嵐山に行ったらすっかり荒れていましたが、どうしたんでしょう?」

と大久保利通。

「それよ」

ポン!と煙管で膝を叩いて勝海舟がいう。

「(嵐山が)今までできれいになっていたのは、人の手が入って居たからよ。そう幕府が費用を出していたのさ。幕府は金を出していたが、あんたらは(明治政府は)出していないだろ? だから荒れているのさ」

それから政府は口だけではなく、そういった経費も金を出すようになったという。

神社の自然はその逆のパターンだ。

もし神様がほんとうの自然を何万年も愛し続けて来たならば、人工的にきれいにされた風景を愛する理由がないであろう。じゃあ誰が喜ぶのか? 神社に関わる人間だと思われる。

以前、修験者が、山中で誰も参ることのないようなボロボロのお社を通り過ぎたとき、お社の中で楽しそうな話し声がしたという。中をのぞいてみると、清らかそうな神々様が、皆楽しそうにお話されていたという。

「人工的な汚さ」は論外にしろ、「人工的な美しさ」も神々様は好まないはずなのだ。むかしの教育勅語や主教団体の訓話のような厳しさが、神々様のこころの中にはたしてあるのかどうか(笑)。

適度な厳しさは人間にも必要である。しかし、神様が怒るよ云々などは頂けない。

電車内で我が子が騒いでいるのを「あんまりうるさいとあそこの恐いおじさんに怒られるよ!」というのと同じ。自分が不愉快なだけなのに、他者に責任転嫁して叱るなど、だらしない親の言い訳であり、とても躾とは言えるシロモノではない。

さて、話を本宮に戻すそう。

熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)とは、熊野三山の1つで、家都美御子大神(ケツミミコノオオカミ)を主祭神とする神社である。

素戔嗚尊(スサノオノミコト)の別名とされるが特段の根拠はない。たぶん人気があるから併記したのだろう。明治政府が「記紀」を重視し過ぎたため、政府から予算を取るためにしばしばこういう事態が発生している。ご祭神かどうかは別に、五十猛神(イソタケルノカミ)のほうがこの社(本宮)に限って言えば縁が濃い気がするのだ。

延喜式式内社(名神大社)で、旧官幣大社にして別表神社であるが、紀伊国一の宮ではない。創建は崇神天皇65年とされ、平安後期にほぼ成立した信仰形態である。熊野にいらっしゃるから、熊野坐大神(クマヌニマスオオカミ)の他、いろいろなご神名がある。

また、唐(中国)の天台山から飛来したとも書かれてもいる(「熊野権現垂迹縁起」)

このころの中国は日本、いや世界の憧れの的であった。また、末法思想が流行っていたため、神様だけではなく、地獄行きの要素が多い貴族たちの中で一層「あの世」への不安が高まり、仏様の力も借りたい時代であった。詳しくは述べないがお釈迦様の広めたお法(教え)の賞味期限が来て、大変な世の中になるという思想とでもいうのだろうか(いい加減)。

ちなみに天台山とは、天台宗発祥の地であるが、道教の歴史も長い場所で、那智の滝のような大瀧があり、道教の神仙が住む景勝地の1つである。結局は道教などのおまじないが好きなんだよね、当時の貴族は。

【熊野本宮大社】(くまのほんぐうたいしゃ)
「八咫烏」の舞い降りし甦りの聖地である。といっても、他の2社との共通点である、「神武天皇」も「八咫烏」もここの境内ではご祭神とあまり関連性が見られないのが不思議であった。とにかく好き勝手もなんであるから、先に述べた通り、作法に従ってみた。

大鳥居の前で、お邪魔しますと一礼して、参道に入る。ちなみに、参道の中央「正中」は神様が通る道なのであるから中央は避け、右端を登り、左端を下るのが作法なのだ。まぁ・・・神様を封印しておいて何が「作法」だよと思わないでもないが(ご神名に「坐」(〜にます)とあれば、だいたいそれ)。

しずしずと、石段を登り、左手にある祓戸大神にごあいさつ。

「これから本宮大社に参拝に詣ります。日常の穢れをぬぐい去り清らかにしてくださいませ!」(作法だからね・・・)

その後もゆるゆると杉木立の中、158段の石段を登り、やがてご神域へと入って行くのである。やがて、開かれた空間が現れる。左手の手水舎にて清める(これも現代の風習なんだよなぁ。だいたい江戸時代まで爪楊枝で歯を・・・・強制終了)。

ちなみに、これらは文句ではない。古式ゆかしきと言うのに、明治以降のやり方を示しているのがおかしいと思うのだ。熊野・出雲・伊勢にそういうのは似合わないな。特に熊野には・・・・。

神門から先はご神域の地であるため、撮影禁止区域であった。許可をもらえば撮れるらしいが、まぁいきなりはね・・・。こちらには、神様のお社が複数あり、参拝にも順序がある。

@から番号通り参拝する。たくさんいらしゃるには、良くも悪くも妥協と相談の産物であろう。

ここのホームページがきれいにできている。おそらくWEBのプロに頼んでいるのだろうが、神社の方が作ったのではないと思う。であれば、ご祭神名が混乱して、わからなくても当然である。

もし、神社の人間が作ってこれならば洒落にならない。ゆえに外注だと思う。それくらいこれだけたくさん祭神がいても、合理的な集合体ではないから、混乱しているのだ。どうしてこういう相殿の仕方をしているのか自体不明である。

たとえば、熊野速玉大神は、熊野速玉大社では伊邪那岐神(『古事記』の表記)である。熊野本宮大社熊野速玉大神は『日本書紀』に出て来る速玉之男神は、伊弉諾尊が唾を吐かれ、このときに生まれた神であり、伊邪那岐神自身(『日本書紀』の表記)ではない。

しかし、ここのHP内では混同されている(ワザとかもしれないが)。まぁおおらかと言えば、おおらかであるが、本当は《熊野三山》の神々様はそれぞれ別物なんだよというサインではないかと考えられないでもない。熊野は初心者には難しい。


●熊野本宮大社の神々様とお会いできた●.jpg

●熊野本宮大社の神々様とお会いできた●



(上四社)
@証誠殿(本宮・第三殿) 家津美御子大神(素戔嗚尊)
A中御前(結宮・第二殿) 速玉之男神
B西御前(結宮・第一殿) 熊野牟須美大神、事解之男神
C東御前(若宮・第四殿) 天照大神
D満山社         結ひの神(八百萬の神)



実際、ご神気が感じられるのは、証誠殿(本宮・第三殿)家津美御子大神のお社である。ここだけが神門からもチラと見えて居るのが暗示的である。他はよくわからない(笑)。もちろんきれいなお社に違いはなく、神様も居るかもしれないし、そう考えて拝んでいるのだが・・・。

「ひゃ〜参謀」などは、

「証誠殿には神様いらっしゃるねぇ、他はわからんなぁ。だってここにいる理由がないんだもの。ほんと証誠殿はすごくいいね! でも素戔嗚尊かどうかはわかんないけどねぇ。ハハハ」

とのこと。参拝後はもちろん、おみくじタイム。結果は? まぁそれなりであった(笑)。
その後、佐藤はふつうの御守りをゲットした。

次は、参拝ルールに沿って、産田社を目指す。我々は今登ってきた山道をくだり、案内に従って産田社を参拝した。

【産田社】(うぶたしゃ)
こちらは新宮川の土手の側に鎮座していた。ご祭神は伊邪那美命(イザナミノミコト)の荒御魂である。こちらにも参拝し、参拝できたことに感謝を伝えた。

ここにはなぜか熊野らしい神気が漂う。これは本来の熊野のお社に近い位置にあるからだろう。本来伊邪那美命は本宮とは縁が薄い神様なのだが。


●ここが産田社●.jpg

●ここが産田社●



熊野坐大神とは、キリスト教的な神様である。いや、その教義の影響は少なからずミックスされているはずだ。キリスト教やユダヤ教がどうのこうのというと、トンデモ本的に聞こえるが、「記紀」が作られた時代にこれらの情報を「編著者」達は知っていた。なのにまるまるスルーするほうがおかしい。

この神様は、人間の原罪を背負って、代わる神様である。だからこそ、自ら水に流されることで清めているのであり、祓戸大神に待機して頂くことは不要なのだ。だから伊勢にもない。五十鈴川とそこから組む手水舎で清めているからだ。

出雲大社の場合は、少なくとも室町期にはしっかりした高く立派な社殿を作るようになっている。早い時期に流されることを拒む形に替わっている。再建の費用がかかるからだ。だから祓社で祓ってもらう略式になったのだろう。身体全部から手だけ洗うようになったのと同じ。まぁ低い土地だから江戸期になってもけっこう流されてはいるのだが・・・。

さて、熊野本宮大社の場合は、明治期になって大きく方針が変わった。木々が生い茂り、山に保水効果が高まっており、もはや「社殿を流されて人々の原罪を祓う」という性格の神社ではなくなっていたのだ。

じゃあ立派な社殿を作ろうかと、熊野の山々の木を切り、社殿の材料を集めたと思われる。それにより山の保水効果がなくなったのだろう。そのために大水で社殿が流されるという、皮肉な事態となったに違いない。明治政府ってやはり・・・。

産田社は、新たなものを生み出すというご神徳があるという。その神社と向かい合う形で大斎原の大鳥居が建っている。我々は、産田社に一礼をして、大斎原へ向かう。先ほどまでは、小雨程度だったが、ここに来て雨は大粒となった。

参道に沿って、両側には田んぼが広がっており、春が来るのを静かに待っているようであった。

【大斎原】(おおゆのはら)
こちらは、かつての熊野本宮大社があった場所である。それが先ほど書いた明治22年の未曽有の大水害により社殿のうち中・下社が倒壊し、現在地に上四杜のみが祭られ、他八社は石祠として旧社地・大斎原に祭られている。

ここはまた凄いご神気である。現社地よりも重厚でビシビシくる。ちょっと比べるもにがない。現在の本宮は優しい、穏やかな気である。こちらはガンガンくる気なのだ。社地が静かであるだけによけい心に体に響いて来る。

この大斎原には二基の石祠が建てられ、左側に中四社下四社を、右側に境内摂末社の御神霊が祭られている。鳥居の中に入ると、こちらにも写真撮影禁止の立て札があった。いや〜ここは一見さん(いちげんさん)が撮ったらいかんでしょうw。

神聖な場所だからねぇ・・・と言いつつ、神社からすれば権威づけのためであろう。なぜならば、許可を取れば撮れるからだ。神聖な場所で許可を取れば写真を撮れる場所ってなんだか・・・、社殿内部じゃなんいだから。神職だって写真を撮ってるんだよ。自分たちはいいの?

そもそも、速玉大社や那智大社でも社殿の外部は写真を撮れるし、ここより古い成立の神倉神社でも撮れるのだ。大斎原はともかく、明治期にできた熊野本宮大社の社殿の外部の写真が撮れない理由は、他の神社と同じく、ただの権威づけに過ぎないだろう。


●これが旧社地・大斎原の全景●.jpg

●これが旧社地・大斎原の全景●


●熊野本宮大社旧社地・大斎原(写真は控えました💛)●.jpg

●熊野本宮大社旧社地・大斎原(写真は控えました💛)●



我々は雨に煙る大斎原をしずしずと進み、静かに参拝を済ませた(神々様に問題ない)。これにてルールに沿った参拝は終了! しかし我々には、まだまだせねばならぬことがある。それは、宝物殿を観ることであったw。

宝物殿は、先ほど行った本宮の神門前の授与所の側にある。我々は泣きながら再度158の石段を再度登った。そう、先ほどは昼休みで閉まっていたからだ。

その前に大斎原でエネルギーを再チャージし、あらためかえしておみくじを引いた(「大斎原」の分💛)。結果はどちらも「大吉」であった。さっきまで黄泉平坂を登る気分であったが、早々に再生した佐藤は、熊野牛王神符を頂いた。帰宅後、研究所の壁に貼りお護り頂いているのですよwww。

【宝物殿】
ホームページによると、ここには、室町・戦国時代の火災、明治時代の水害など幾度もの災害を免れ、国・県の重要文化財に指定された、貴重な宝物が収蔵されている。

江戸中期〜後期頃の製作と伝えられる「熊野本宮并諸末社圖潤vは、明治22年の大水害によって流失した大斎原の社殿が威風堂々と描かれ、往古を語る貴重な資料となっているという。

ここは絶対観た方がいいですぞ。

まぁ、この絵図を見れば、大水害があれば流れてしまうのは仕方が無いと思う(いや、そもそもそれが目的なのだ)。だからこそ、本宮は熊野川の中州に位置していたのだ。

自然環境の変化は、恐竜ですら鳥に変えるし、古墳に木々など、生えていなかったことが今誰が想像できるだろう?

その他、三角縁神獣鏡や、平清盛公が奉納したと伝えられる紺紙金泥経(水で膠にかわを溶き、金粉を混ぜた顔料を金泥と呼び、紺で染めた紙に金泥で経文を書いたもの)。

日本で東大寺についで2番目に古いとされる鉄湯釜(湯立神事に使用、入れてやりたい奴がいるw)や熊野本宮八葉曼荼羅(熊野比丘尼:熊野御師)が、熊野の霊威を広く衆生に知らしめるために用いた巻物)などなど、国や県の重要文化財に指定されている品物を観ることができる。

佐藤が1番心ひかれたのは、館内入口の側に置かれた本宮大社の「千木」であった。千木は、古代建築で屋根を組む際に、屋根の勾配を形成する垂木を交叉させて縄などで締結した形を踏襲したものだ。太古の形式の遺産と言ってもいい。

本来は建物の補強が目的だったが、時代が下るにつれて、装飾的な部材になり、古い伝統を踏襲した建物であることを示す物(良い意味での権威づけ)として、神様がお鎮まるになっている神社本殿に用いられているのだ。

こちらに展示されている物は、平成24年に行われた本殿修復工事のおりに、損傷が激しかったために交換された物である。実際に明治24(1891)年から120年以上にわたって第一殿、第二殿の屋根に載せられた物であると書かれていた。ふふふ、ここでも本物が見れたw。

ちなみに神社好きならわかると思うが、この千木の先端がとがっていると男神が、先端が平だと女神が鎮座されているとされ、社殿を観れば神様の性別がわかる・・・ことになっている。

しかし、これらの風習も権威づけであって、実際とは別。伊勢神宮だっておかしいでしょう? 両方女神様なのに違うし。とは言え、そういうことは公式には言わないのが大人である(笑)。

ともかく、神社検定参級を保持している佐藤とすれば、もう、この千木を間近に観られただけでも大満足!

思わずすりすりしたくなったが、そこは、ほら宝物殿の中ですから、「美しい」とため息をついて暫したたずんで観ていたのである。そして、宝物殿を出るとき、

「どうもありがとうございました!」

と係の神職さんにあいさつをして出ようとすると神職さんからも、

「ありがとうございました」

と笑みを浮かべて送り出してくださった。なんせ、昼過ぎの宝物殿は我々しかおらず、2人してうるさくない程度に、賑やかに観ていたからねぇ(笑)。どこの宝物殿でも自らの神社の宝に誇りを持って展示しているのだ。それを嬉しそうに観ている者を見れば、いやな気にはなりますまいて。

帰りは境内にあるカフェ・アロマで珈琲を頂きました。いやいや美味でした。次は熊野速玉大社を目指すぞ!(笑)


●本宮に戻ってカフェ・アロマでひとやすみ●.jpg

●本宮に戻ってカフェ・アロマでひとやすみ●



さてさて、花粉が飛び交う季節になりました。皆さまどーかご自愛ください。

●杜の郷 みるりいな・店データ
所在地:〒647-1702 和歌山県田辺市本宮町大津荷
営業時間:9:00〜18:00
電話:0735-42-0289
※2019年のデータです。ご確認の上、お出かけくだされ。



(行きつけのファミレスの小松さんが「卒業」しました。春から就職も決まり、新・社会人となるそうですが、おめでとう。平成最後の社会人として大いに活躍してくだされ!To Be Continued!!)
posted by さとうはあまい at 17:16| 島根 ☁| Comment(0) | 見聞録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする