2019年01月02日

奮闘記・第1074回 見聞録/長崎県

●2019年● 長崎県五島市


日本の最西端、「みみらくのしま」・福江島をゆく!

〜 島中を電気自動車で、ゆらゆら南へ西へ(その2)〜



皆さま、新年あけましておめでとうごさいます!

昨年も新たな人々との交流もあり、充実した1年となりました。
今年も、昨年同様、対人援助スキルアップ研究所をよろしくお願いします。
昨年の漢字は“災”でした。今年は何としても“福”の年にしたいものですね。

今回のブログは、昨年(2018)の続き、長崎県五島列島、福江島での見聞録です。まぁ、2019年としながらも、昨年の話ですが笑納くださいませ。


この島は、長崎県五島列島の中では1番西南に位置し1番大きい島である。佐藤と研究所の「ひゃ〜参謀」と、“島の宿ごとう屋”での朝食後、電気自動車にて福江島を見聞して周るところから。


ちなみに、福江島や五島市の観光マップは長崎の本土でもなかなか手に入らない。時間があれば、福江港のターミナルに行くと充実していましたよ。


●ごとう屋の朝ごはん。丁度いいわ●.jpg

●ごとう屋の朝ごはん。丁度いいわ●



【鬼岳】
はじめに鬼岳をめざす。“鬼岳”は島の宿ごとう屋から6.5q・約17分にある。地元の人は「おんだけ」と呼ぶ。国土地理院での登録名は「おにだけ」である。まぁ日本語は標記が問題(最近それも怪しい)の国なので、読みなどはどうでもいいのだ(ホント)。

ここは、福江空港や福江港からもほど近い、標高315mの山である。全面が芝生に覆われ、その名とは裏腹に美しい流線形を描いている、堂々とした火山である。いまだに活動の兆候は微量だがあるらしい。島の方々定期的に野焼きをしているらしく、時期を誤ると火口を歩くと煤で真っ黒になるという噂。

我々が、鬼岳に着くと、そこには一足早く観光バスが到着していた。バスの中からは元気なバスガイドさんに続いて、元気とは必ずしも言えない、我々の「大先輩」が、「それなりに」ワイワイ、ガヤガヤと降りて来てガイドさんに続く。デイや特養の遠足かとも思える。

元気に歩く方、足腰をさすりさすり杖を突きつつ歩く方、それぞれがマイペースにバスガイドさんに続いて行く。

我々も息をひそめ(何で?)、一呼吸おいて後に続く、鬼岳には、展望台あたりまでは、なだらかな階段が備え付けられ、ルートに沿って登れる。その上には展望台があり、その隣りには鬼岳神社があった。我々はこちらの神々様にもごあいさつ。


●鬼岳神社にまず参拝●.jpg

●鬼岳神社にまず参拝●




そして、いよいよ鬼岳登山である(笑)。これが結構大変。なんせ、火山岩ですからねえ。あちこちごつごつしている溶岩がそこかしこにある。さらに芝生に映えている丈の長い草が足に絡みつくのよ。

“よいしょ、よいしょ”とかけ声をかけながら、遭難(笑)しないように互いに励まし合いながら登る。ここは火口の淵にあたる場所なのか、右手には、火口のような場所とカルデラのような盛り上がりがみえる。

とにかく、風が強く歩くのが大変。佐藤はぐるりと1周したい気持ちを諦め、下山(笑)した。


●鬼岳に登山中●.jpg

●鬼岳に登山中●


●「わが大将は山だけは空海上人のごとく黙々と登るのだ!」(ひゃ〜参謀)●.jpg

●「わが大将は山だけは空海上人のごとく黙々と登るのだ!」(ひゃ〜参謀)●


●鬼岳山頂から見る福江港。映画「二百三高地」的心境である●.jpg

●鬼岳山頂から見る福江港。映画「二百三高地」的心境である●



【五社神社】
次ぎにめざすは、五社神社である。鬼岳から北に5q 約13分である。佐藤は、ナビに導かれるまま、今回の愛車・三菱車電気自動車のiMiEV(アイ・ミーブ)君を走らせる。しかし、音は静かで快適なんだが、エネルギー(電気)が微妙な距離で切れる。というか切れそうになる。ちょっとばかり、ウルトラマンの気持ちがわかったような気がするww。

神社の案内板には、下記のように記載されていた。

市指定有形文化財「五社神社の筥崎鳥居」この鳥居は、八幡鳥居と呼ばれる形式である。慶長19年(1614)それまでの居城であった江川城を焼失した藩主五頭盛利は、石田陣屋の構築、福江城下町の造成などを企画し、五島における中央集権体制を目指した。

盛利は、五社神社に参詣して工事の無事成就を祈願した。“千早ぶる 神の御前の石鳥居 くちはさせまじ 八百万代も”という歌とともにこの鳥居を奉納した。

この時期は「大浜主水事件」と言われるお家騒動が持ち上がった時でもあり、これらの難題を一気に乗り越えようとした盛利の内面が伺い知れる史料でもあるそうな。福岡の筥崎宮の鳥居(一の鳥居)に似ていることからこの名があると言う。


五社神社は、持統天皇の御世(695年)に天照大神(あまてらすおおみかみ)・武甕槌神(たけみかづちのかみ)・経津主神(ふつぬしのかみ)の三柱を奉斎し、称徳天皇の御世(769年)に天児屋根神(あめのこやねのかみ)・姫神(ひめのかみ)を大和の春日大社から勧請して、合わせて「五柱の神」を祀ったらしい(単純明快)。他にも旧知の神様がたくさんいらっしゃった。


●五社神社の筥崎鳥居、本家も見たばっかり(笑)●.jpg

●五社神社の筥崎鳥居、本家も見たばっかり(笑)●



我々が付いた時は、神職さん達が境内を掃き清めているところであった。佐藤は、筥崎鳥居下で一礼をして中に入り、左にあった手水舎にて手を清めた。

すると、境内の側にある木々の間をメジロが黄緑色の体をくぐらせて飛んでいくのが見えた。ひゃ〜参謀にはカラス天狗が見えたとか(笑)。我々は参道をゆるゆると歩き、神門をくぐり境内に入る。

すると、そこにはご神気があふれ、凛とした空気が漂っていた。さすが、原・高天原(げん・たかあまがはら:実存のモデル)の候補地の1つとされるところでもある。

なんせ旧石器時代より、古墳に至るまでの貝塚・住居跡・甕棺埋葬群・祭祀遺跡が有ると言うのだ。なのに古墳がほとんどない。恐らく、何かの理由で集団で移動したとも考えられている。古墳は一族の移動と共に移動する。

応神天皇陵は元々福岡にあったと言われ、それが大阪まで移動して来たと言われる。だから、古墳や遺跡だけではなく、周りに同時代の遺構がどれくらいあるかが問題である。誰もいない所や、時期が合わない遺跡や古墳があったら怪しいでしょう?

宮崎でも福岡でも、中国はしばしば政権が変わり、その度に前政権とおなかよしだった国家は、安全な地へ移動する。いま穏やかな地方都市であっても、太古の昔からそうであったとは限らない。2500年前の江戸(東京)だってそう。何もない春を幾度迎えたかわからんし、いつから江戸と呼ばれたかすらわからないのだ。

右手には、焚き火ができる場所があり、そこで、女性が落ち葉焚きをしていた。「おはようございます」とあいさつを交し、拝殿前に立つ。参拝手順に沿って静かに手を合わせた。


神様、はじめてここに参拝します。佐藤と申します。

この島には昨日からあちこち見聞させて頂きました。

海岸線や、自然豊かで、景勝地にゴミひとつありません。

素敵な島ですね、来させてくださり有り難うございました。

また、参拝できますようにお導きください。

(ホホホ、長いなぁ〜。)


おみくじは、なんと“大吉”である。もちろん、絵馬を奉納したのは言うまでもない(笑)。そうそう、ちなみに佐藤の奉納する絵馬には、常にイラストが着いています。これは、「ひゃ〜参謀」からのメッセージなのだ(なんの?)。


●「大吉」なので絵馬●JPG.jpg

●「大吉」なので絵馬●



【大瀬崎灯台】
次は、大瀬崎灯台である。大瀬崎灯台は福江島の最西端に位置する灯台だ。五社神社からは西へ38q 約1時間の距離にある。

福江島を東西に横断する国道をゆるゆる行く。ナビ様に導かれ、行くと向こうに駐車場がみえてきた。そこには観光バスが駐まっていた。ナビはまだ先を案内している。ナビに示されるままに行くと、そこには空き地があった。

車から降りて周囲を見渡すと案内板が立っている。それを見ると、灯台まではここから徒歩で行くしかないようだ。しかもその距離が結構ありそうだ。そこで、灯台まで行くのを断念し、先ほどの駐車場に引き返した。

そして、遊歩道を歩いて行くと、眼下には断崖絶壁が広がった。ひゃ〜。遥か下方に真白い灯台を認めることができる。映画(「悪人」)で舞台になったらしい。


●遥か遠くに大瀬崎灯台が見える●.jpg

●遥か遠くに大瀬崎灯台が見える●



「あそこまで行けるのかな?」

「ホホホ。行けるらしいわよ。ほら、あそこに道があるでしょう?」

「あんなの道じゃない! おれは絶対行かないぞ。なんなら、大将ちょっと行ってきてくだされ。そんであそこ(灯台)から手を振ってくださいな」

「冗談じゃないわよ! あそこまで行ったら簡単に帰って来れないでしょう。往復4時間くらいかも!」



ということで断念。遙か彼方にある灯台を写真に納めて納得した。遠さは段違いだが、島根の隠岐の島町のローソク島に似ている。

ローソク島は船でしか行けないのだが、雨で行けなかった。いつかあそこは行きたいな。隠岐の村上さ〜ん、お元気ですか? 佐藤はまぁ元気です!

さて、今回我々が乗っている車は、電気自動車であるからにして、朝から福江島を右往左往して、合計80q程度走っている。そろそろ、充電が必要かな?

ということで、先ほど来る時に見つけて有った。玉之浦カントリーパーク前の充電所まで移動。この島には何か所か、島のどこからを起点にしても、短時間で行ける場所に充電所がバランスよく配置されている。この減り方だと充電所がまだまだ点在の本土ではなかなか心もとない。

とりあえず充電することにした。ただ、充電には30〜40分かかる。お腹も空いて来たから食堂でもあれば良いのだが・・・。ないのさ、これが。島にはまとまって施設があり、ここはない地域らしい。そんなこと言われてもな。

近くには、井持浦教会がある。かなり有名であるぞ。堂崎教会のようにもしかしたら、(近くに店があって)軽いお菓子でも手に入るかも!と言う甘い考えを思い浮かべつつ、教会に立ち寄った。


【井持浦教会(ルルド出現の聖母)】
もちろん、ここは教会であり、教会内にはむやみに入れる場所ではない。

「長崎の教会 五島」(http://www1.odn.ne.jp/tomas/gotou.htmによれば、明治28年(1895)全五島の司牧宣教を委ねられたフランス人宣教師・アルベルド・ペルー師の指導によって建立された聖堂で、島内における木造からレンガ造りへの移行のハシリとなった。

設立当初は両外側にアーケードを持つ、初のロマネスク風聖堂として名を馳せたが、大正13年(1924)室内拡張のためアーケードを堂内に取り組んだ。


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●井持浦教会の清楚な佇まい●



教会境内にあるルルドは、フランスのルルド(フランスで初めて聖母マリアが出現したといわれている地)を模倣して五島全域の信徒が島内の奇岩・珍岩を持ち寄り、明治32年(1899)に建設された。

聖母像は、本場ルルドの聖母像を求めて洞窟に収め、さらに本場の奇跡の泉から霊水を取り寄せ洞窟横の泉水に注ぎ入れた。日本最初のルルドで日本全国からの巡礼者は後を絶たないとある。そう、そのルルドを見学することはできる。


●「マリア様」にご挨拶●.jpg

●「マリア様」にご挨拶●



まぁ良し悪しというのでは全然ないが「聖なる場所のコピー」をいくら作っても、聖なる存在が降りて来てくれるかどうかは、また別問題のような気がしないでもない。

そう思いながら、教会の裏手に向かい、整備された場所に佇んだ。正面には泉があり、その泉を囲む洞窟には、マリア像が置かれている。「マリア様」は両手を合わせ、天を望んでいた。

こういうのをみると、キリスト教も仏教も、もちろん神道も、他の宗教も、神様に祈るという点では同じ、神聖な行為なのだなと思う。しかし、これを「人間を拝む」行為(たとえ聖人でも)に変えてしまうと急に胡散臭くなるね。

玉ノ浦は福江島の西の瑞に位置し、教会は波静かな入江の懐に抱かれるように小高い丘の上に建ち、出船・入船を見守っている。今でこそ、島内の道路網が完備し、不便を感じることもない・・・と言いつつ、いま大不便を感じているわけだが(笑)。

しかし、キリスト教迫害の嵐を逃れた時代、ここに住み着いた信徒はそれはそれは大変なことであり、相当なご苦労であったことであろう。キリシタンの迫害は、まさに「そこまでやるのか」というものだったからなぁ。我々は、「マリア様」に別れを告げ、車に戻った。まだフル充電とはなっていないが、その場を切り上げて次へ向かった。充電中も商売、商売(笑)。

なんせ、この日は夕方から仕事がある(第1073回にて報告済み)。充電後、再び福江島の中央へ戻った。


●充電しながらも商談中である!●.jpg

●充電しながらも商談中である!●



【おっどん亭】
我々は、五島名物「五島うどん」を求めて、旅の宿ごとう屋のすぐ側にある「おっどん亭」に入った。

要するに、この界隈しか、飲み食い買う場所がまとまって存在しないのだ(笑)。先ほどいた、井持浦教会からここまでの移動距離は30q 約40分である。

ここ五島手延うどん・おっどん亭は、株式会社中本製麺の製麺所のすぐ隣に併設している食堂である。入り口には、お土産屋さんもある。われわれは食券を購入して席に着いた。佐藤はトリ天定食を注文。

できあがったら、カウンターまで取りに行く。すると、カウンター横には、「天かす」が置かれており、自由にうどんの上に載せることができる。ハハハ。「東京的自力天粕多目麺上散布謝謝」である。佐藤も天かすをたっぷりと入れて席に戻った。まぁふつう全然期待してないですよね、こういうタイプのお店(笑)。

しかし、「名物にうまいものなし」とは何処の言葉なのか? きっと、○△××県かな?(笑) ここのおうどんは細麺だがその分お出汁がからみ美味しい。

「いやこれ、ふつうにうまい。あふあふ」(「ひゃ〜参謀」

トリの天ぷらも美味である。ふう、満腹! ご馳走様でした。


●五島うどん、おっどん亭。これがまた・・・●.jpg

●五島うどん、おっどん亭。これがまた・・・●



【福江(石田)城】
「石田と名がつくモノにロクなモノはない」とは、「ひゃ〜参謀」の言葉であるが、その後、腹ごなしに、幕末、というか江戸期に幕府が作らせた最後のお城である(1年で役割を終えたが)。石田城こと、福江城まで行ってきた。

我々は再び福江港にある駐車場に車を置き、徒歩で城跡へ行ってきた。現在は、五島観光歴史資料館は福江城の二の丸跡に城の様相で復元されている。城壁はホンモノである。中には城山神社もある。

ここは、島内で一番安いおみくじ(ハハハ)で有名らしいが、本日はビニールでぐるぐる巻きに封印されて、おみくじBOXは使用できなかった。次回があれば、復旧をお願いしたいな。

五島観光歴史資料館は、秀逸で有る。まぁ、五島列島や倭寇、遣唐使などに関する情報は大変豊富であり、かなりいい出来で館内のVTRを見まくった。皆さまもお時間があれば、ぜひぜひご覧頂きたい。


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●五島観光歴史資料館●


●福江城の守護社・城山神社にて●.jpg

●福江城の守護社・城山神社にて●


●福江城跡のお濠●JPG.jpg

●福江城跡のお濠●



福江城は、幕末1863年に福江藩の最後の藩主・五島盛徳が完成させたお城である。いまでこそ、五島市の中心街であるが、当時は、三方を海に囲まれた海城であったという。幕府は「本気で」ペリーがこちらに来たら、砲撃させる気でいた。江戸から離れているから他人ごとなのだろう。そういう政府(といえるのかは疑問だが)だから滅びるのだろう。

幕末期の東シナ海の海上防衛や異国船の来訪に備えるため、城内にはフジテレビ近くの台場(これも同じ用途)よろしく、台場(砲台)が設けられていた。観たかったなぁ、その大砲。いまはこちらは敷地内に学校もできている。余談だが、関門海峡の下関側の川べりに硬貨を入れると「時間差で気の抜けた音が出る」大砲が思い出されるなぁ(笑)。

これにて、福江島の見聞は終了。佐藤は、その後、無事に仕事を終えた。次の日の朝、佐藤はホテルの送迎車で送って頂き、福江港から長崎に渡った。

おわりに、その福江港でのお話。

我々は例のしまとく通貨を2,000円位使えずに持っていた。お土産屋を散策して、朝食用のお弁当を買おうとすると、そこでもしまとく通貨が使えることがわかった。船は早い時間に出るのだが、お店はちゃんと早くからやっていたのだ。

そこで、佐藤はお土産に「五島 なんや餅」500円を2個購入した。このお餅、帰って家族と食べてみた。周りはしっとりとしたお餅で、中にはあんこがたっぷり。帰りがけにたまたま買ったお餅ではあったが、福江島の海を懐かしくなり、思い出して胸がキュンとなった瞬間であった。

福江島で関係して頂いた皆さま、有り難うございました。福江島は予想をはるかに凌ぐ、良いところでした。どうか皆さま本年もご自愛ください。


さて、今年も頑張ってブログを続けていきます。今年は、どんな出会いが待っている事やら楽しみです。ブログを見て頂いている皆さま、有り難うございます!ご自愛ください!

(「世界でもっとも美しい顔ベスト100」を批判し、某院長がのたまう。「美人かどうかは、コンピュータに任せるのが一番いいの。簡単だよ、コンピュータで顔認証して・・・」院長、全く正論ですが、それはそれでつまんないですよ!To Be Continued!!)
posted by さとうはあまい at 18:20| 島根 ☁| Comment(0) | 見聞録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする