2020年05月16日

奮闘記・第1098回:ステイホームという表現がきらい

●2020年● ステイホームという表現がきらい

「介護支援専門員業務実践マニュアル」(第03回)


というより、あの知事さんがなんだろうな。

「気をつけろよ、刺すような毒気がなけりゃ、男稼業もおしまいさ―」
今の時代、まさに「蘇れ松田勇作」って感じだ。鵺の鳴く夜は恐ろしい。

それにしても小さい。アベノマスクって総理の人間の器と同じくらいの大きさかなぁ、まぁどこかの知事よりは・・・・。
(むかしのカドカワさんは良かったな・ひゃ〜参謀)


さて、ひゃ〜参謀は食事に行きました(笑)。今回も続きをあげましょう。


(2)利用の申し込みにおける調整を行う:事業所側の選択。
エントリーの段階で、相談者から「居宅介護支援事業所を利用したい」という希望があった場合には、次の段階へ入ります。それは当事業所で《その方の支援を行えるかどうか》を吟味する段階なのです。この担当者を決める作業を、そうです「申し込みにおける調整」というのです。

この利用の申し込みにおける調整を、管理者と空いている(お手すきとも)介護支援専門員のみで行って、新たな利用者の情報を他の職員が知らないということは良くありませんね(それは談合に近い)。

なぜならば、利用者とは「居宅介護支援事業所を利用する方」であって、担当する介護支援専門員のみの独占する利用者ではないのですよ。

そこで、誰が担当するにせよ会議などを通して、新たに利用者になった方の情報をすべての職員で共有する仕組みを整備しておきましょう(でないといろいろ辛くなりますよ、自分が)。

☆☆佐藤からのアドバイス☆☆☆☆☆

「新規利用者の受け入れマニュアルを作りましょう。」


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 申し込みにおける調整マニュアル
エントリーの段階(相談受付)
      ・利用希望あり 
      ・毎週〇曜日の職員会議にて担当者を決める(会議録)
      ・利用者希望者に、担当の可否を伝える。1週間以内とする。

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大事なことなので繰り返します。

利用者は「居宅介護支援事業所を利用する利用者」であって、1人の介護支援専門員のみを利用する方ではないのです。

そこで、今後支援の過程において、担当する介護支援専門員が、困りごとを抱えたときに、他の介護支援専門員と相談できるそのような環境作りをするためにも、《利用の申し込みにおける調整》は、慎重かつ迅速に行い、皆で支援しているという機運を高めるように努めることが協働できる環境作りの第一歩なのです。

さてさて、皆さま夜明けは近いかも知れませんが、油断なくお過ごしください。



【YouTube:「佐藤ちよみチャンネル」へのお誘い💛
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今年もひゃ〜参謀の紫蘭ちゃんは好調!.jpg

今年もひゃ〜参謀の紫蘭ちゃんは好調!


(To Be Continued!)
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奮闘記・第1097回 :もうすぐ東京も解除かステイホーム週間

●2020年● もうすぐ東京も解除かステイホーム週間


「介護支援専門員業務実践マニュアル」(第02回)



・・・・個人的には東京はしばらくやってろよって感じ。だって学習能力ないものw(東京都民・ひゃ〜参謀)。


介護支援専門員業務実践マニュアル・第1章 第1項


【各段階に行うことと必要な帳票類の残し方】
介護支援専門員の業務実践マニュアルに沿って、各段階で行うことや、必要な帳票類について各項目ごとに案内していきます。

(1)エントリーの段階(受付):帳票(相談受付)
第1段階は、エントリーと言います。そう、エントリー(entry)とは、英語で入口や玄関などの意味を表しますが、ここでは相談者が事業所にやってきた段階を指しています。

相談者は、介護保険制度(以降:制度)を利用する本人というより、その関係者(家族や親族・行政等)が多いでしょう。そこで、この段階ではフェイスシート(利用者台帳)等の個人情報を記載する帳票ではなく、相談受付等の帳票を用いて、相談者の訴えやその対応等を記録します。

相談に来られた方は、その場で制度を利用したい(利用させたい)と思っている方と、利用するかどうかを迷われている方もいることでしょう。そこで、この段階では相談に来られた方の訴えに耳を傾け、その内容を共有した上で、「何を求めてきているのか」の話を整理していく必要があります。

また、その中から「その方が必要とする事柄」等に対応できるようにしておくことが重要になります。

制度の利用を考えている方には、制度の仕組みについての説明が必要ですね。「介護保険」という制度があるということ自体は、一般の方にもかなり浸透してきています。しかし、使うことは初めての方々がほとんど。ましてやその使い勝手を理解されているかというと、その程度はさまざまでしょう。

そこで、知っている、分かっていると言う方であっても、制度の仕組みについて、一通り説明をしておかなければならないのです。

一方、事業所では、従業員一人ひとりが、相談者に対して制度の説明が同様にできなければいけませんよね。それには市区町村で作成している「介護保険制度の利用のしおり」等の説明用冊子を用意しておくと良いでしょう。

その上で相談を受け付けた者は、これらのしおり等を使用して説明を行うこと。その上で「相談受付には、〇〇を使用して説明を行った」と記録するように指導しておきましょう。

相談者は、どのような事柄から話が進んでいくかわかりませんが、事業所内でこの段階ですることを取りきめて置けば、「〇〇を伝え忘れた!」ということを少なくできるのでなないかと思います。

☆☆佐藤からのアドバイス☆☆☆☆☆
「相談受付ですべきことを事前に定めておきましょう。」

@ 相談受付ファイルと帳票を作成します。
A 介護保険制度について説明し、利用できるまでの《道のり》を伝えます。
B 要介護認定について説明し、必要に応じて「要介護認定」の手続き(認定申請)について説明し、相談者の依頼を受けて、申請代行を行います。
C 次回の面談の必要性を吟味し、必要に応じて面談(後追い連絡)をしたい旨を伝えて連絡先を記録し、その期日を決めましょう。その際、特に虐待などが疑われる場合には、後追い連絡をして状況を把握し、ここには相談できる者がいるということをアピールしておきましょう。

Cの時点では、まだ《居宅介護支援の利用希望》には至らないという場合には、相談受付ファイルに綴じて、利用につながっていない人として識別しておきます。ここからまさにエントリー(entry)なのです。お見逃しなきように!

皆さま、日本の夜明けは近いと思って頑張りましょう。明けない夜はありません。ご自愛ください。



さぁ仕事しごと!.jpg

さぁ仕事しごと!



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※しつこくてすみません。うちの若いのが頑張ってますんで・・・(若くないひゃ〜参謀より)。

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2020年05月06日

奮闘記・第1096回 :ステイホーム週間

●2020年● ステイホーム週間

「介護支援専門員業務実践マニュアル」(第01回)

ZZZZZZZZZ リニューアルオープンしました! ZZZZZZ



はじめに;失われた生活を求めて

国は、新型コロナウイルスをなんとかするために、遅すぎる非常事態宣言を出し、人々に長々とステイホームを依頼している。病気が収まるよりも、どうやら日本の状態が太平洋戦争に負けたときより悪くなるほうが先のような気がしてならない。

まぁ確かに未曽有のウイルスによる侵略なんだから、戦争みたいなものなのだが。

自粛、自粛を謳って、外でも(自分たちも外に出ているんだがw)、私警察みたいにネットでも取り締まりをしている連中をみると、先の戦争で悪かったのはどうやら軍部だけではなさそうだ。

江戸時代からの岡っ引き根性はどうやら庶民には健在らしい。やるんなら、絶対出ない状況でないと無理だろう。8割おじさんとかの妥協型の対策で長期戦とかおっしゃるのは、よくわからない感染症の専門家と称される方々である。

でも、未曽有の疫病に対して効果的な方法なんて経験ないわけでしょう? 「医者に行かないで4日家にいて治そう」とか無責任なこと言ってなかった? 経験が活きるのは初期段階だけ。封じ込めに失敗したんだから、そう言う人は引っ込んでほしいな。

都知事も総理もあれじゃなぁ、都市封鎖とか大げさなことばかり言って結局「家にいろ」しか言えないなんてw。なんだよ、あのマスクw。今後に及んで利権とは。

それに手を30秒以上洗えというなら、非常事態宣言中くらい水道代タダにしなよ。みんな困ってんだから。トイレや公園封鎖してどこで外で手を洗うんだよ。無責任だよな。

と、のっけから「ひゃ〜参謀」が怒りまくっております。


数か月前までは、こんな楽しみもあったのだが・・・・.jpg

数か月前までは、こんな楽しみもあったのだが・・・・



皆さまお久しぶりですね。さて、ここからが佐藤です。

さぞやご苦労なさっていることとでしょう。もちろん、佐藤もです。また「見えない敵」と戦わざるを得ない、医療従事者の方々には感謝です。その方々や家族への攻撃や差別は持っての他、民度が低すぎますよねぇ。

そのような中で、介護を担う人々も、感染症予防対策の上で、利用者支援をしていることと思います。これが徹底なんぞできるものではないからこちらも大変です。

その一方、介護支援専門員に課せられている研修も、開催できるような状況ではありません。まさに3密ですもの。大相撲もプロ野球も、オリンピックもできないんですから(来年も・・・かな)。

そこで、と言ってはなんですが、この機会に「介護支援専門員業務実践マニュアル」を作成してみようじゃないかと考えております。途中で行き詰まるやも知れませんがご容赦ください(笑)。

まずは、介護支援専門員の支援の展開(PDCA)をフローチャートで示し、次に各項目で行う業務とその時々に残す帳票類を案内していきますのでお楽しみに!


介護支援専門員業務実践マニュアル・第1章

【介護支援専門員の業務マニュアルのフローチャートを作ろう】
介護支援専門員(ケアマネジャー)の業務等に関しては「指定居宅介護支援等の事業の人員及び運営に関する基準」に定められています。介護支援専門員の皆さんは、すでに実務者研修で学んでいるでしょう。

ただ、現在働いている事業所において、その学びは活かされているでしょうか? 組織として、仕組み(マニュアル)が整備されていれば良いのですが、介護支援専門員という資格自体が特殊な(もとになる一人ひとりの有する基礎資格が違う)ため、事業所の管理者が、1人ひとりの介護支援専門員の能力に任しているところもありますね。

☆☆佐藤からのアドバイス☆☆☆☆☆

「介護支援専門員の業務マニュアルをフローチャートで示してみましょう。」


【介護支援専門員の業務マニュアル(PDCAのサイクル)】
                   ※詳細は下記ページを参照(現段階では●)
(1)エントリー(相談受付)                p.●を参照
       
(2)利用の申し込みにおける調整を行う。事業所側の選択   p.●を参照
       
(3)利用者側のサービスの選択に資する援助を行う。     p.●を参照
   (居宅サービス計画書作成依頼届け出書)
       
(4)初回訪問(本人の意向を把握する)           p.●を参照
       
(5)居宅サービス計画書原案を作成する。          p.●を参照
       
(6)サービス提供事業所に利用相談を行う。         p.●を参照
       
(7)サービス担当者会議を開催する。            p.●を参照
       
(8)居宅サービス計画書の支援状況を把握する。       p.●を参照
       
(9)毎月のモニタリングを行う(給付管理)。         p.●を参照
       
(10)短期目標の期間終了時におけるモニタリング及び評価を  p.●を参照
   行う(居宅サービス計画書の変更について吟味する)。
       
(11)要介護認定の更新に関する支援を行う。         p.●を参照

 (5)に戻る。

というわけで本日はここまでとします。皆さま、1日も早く失われた生活が戻りますよう祈念しましょう。そして、くれぐれもご自愛ください。ではまた!


(To Be Continued!)
posted by さとうはあまい at 10:27| 東京 ☁| Comment(0) | 書いてみた! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月04日

再びお知らせ

【再びお知らせ】

 なかなか新型コロナウイルスが収まりません。皆さまご無事でしょうか。

 そんな折ではございますが、対人援助スキルアップ研究所は、法人格を取得し、
一般社団法人TSK(Taijinenjio Sukiruappu Kenkyujoの略)となりましたことを
報告させて頂きます。

 また、YouTubeにて動画にもチャレンジ。
「佐藤ちよみチャンネル」を開設しました。

 https://www.youtube.com/channel/UCvDRKWx-pj-cp6-Wy_2teOg

よろしかったらご覧ください。
近々こちらのブログも再始動予定です。

皆さまご自愛ください。

佐藤ちよみ
posted by さとうはあまい at 17:12| 東京 ☀| Comment(0) | お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月31日

ただ今、お休みを頂いております。

人類が、世界が、この災難を克服できますように、また、皆様の無事を祈念しております。


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posted by さとうはあまい at 01:02| 東京 ☁| Comment(0) | お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年02月16日

奮闘記・第1095回 見聞録/群馬県

●2020年● 群馬県前橋市・高崎市・安中市・富岡市・甘楽郡下仁田町


新ルートで行く、群馬の神々様巡拝記

ZZZZZZZZZ 神々様が大歓迎の巻 ZZZZZZ寝るぞ!ZZZZ



立春を迎えたというのに寒すぎる日々が続いておりましたが、皆様お元気でしょうか? 

佐藤は、群馬県での研修会を終え、再び東京都の第三者評価の仕事で相変わらず右往左往しております。施設や事業所に出向き、働いている人々と話すことによって元気を頂いている次第であります(笑)。

毎度の口上ではありますが、佐藤は、あちこちの研修に出向くときには、その地域を巡り散策しつつ、それぞれの地域の神社を参拝し、その時々の様子をブログで伝えています。さて、以下は、その群馬県の神社や名所のホヤホヤの見聞録です。


今回も、群馬県でのお仕事の前日から群馬入りし、上野国(群馬県)の神々様に新年のご挨拶を試みた。今までのルートは、貫前神社(富岡市)→ 鷺宮咲前神社(安中市)→ 榛名山榛名神社(高崎市)→ 大洞赤城神社(前橋市)という具合に「至便性」を優先してまわっていた。

これは群馬県内をけっこう広範囲なためにこういうまわり方であった。しかしここのところ終盤で赤城神社が閉まってしまうことが多かったのだ。

そこで今回は、思い切って参拝順序を変更してみた。大洞赤城神社 → 榛名山榛名神社 → 鷺宮咲前神社 → 貫前神社 → 妙義山中之嶽神社・甲子大国神社という順番でまわってみたw。

佐藤は例のごとくまだお日様が出てもいない早朝から、研究所の公用車・カナメイシ君(藍色のデミオ)に飛び乗った。途中、研究所の重鎮・ひゃ〜参謀を拾い、群馬を目指した。

朝の凛とした空気の中、街道(関越自動車道)をゆく。後方から朝日が差しこみ、まぶしいったらありゃしない。やがて前方に群馬県の山並みが見えてくる。左には、雪をまとった浅間山が白く輝いていた・・・。「おれの浅間」とは、ひゃ〜参謀(笑)。

う〜ん、しかしである。赤城山もそうだが、榛名山にしても、山は白くない(雪がない)んだなーこれが(笑)。

やがて、ナビ様が「前橋インターから降りなさい!」と合図をくださりw、佐藤はそれに従って、前橋で高速から降りた。そこはそれ、例の国道17号である。国道は朝のラッシュ時間を迎えており、ここは激混み(笑)。

そうでした、そうでした。この時間は混むんでしたねぇぇぇと、ぼやきつつ、渋滞の中をゆるゆると進んでいく。やがて左手に「群馬県庁」が見えて来る。我々は、県庁に手を振りwww、その場を時の過ぎゆくままに過ぎてゆく。

少し行くと、ナビ様から左に曲がるようにとの指示が出る。その後は一気に斜面を掛け上り赤城山へ向かって行く。

さすがに、赤城山周辺は雪があったが、群馬はそこんとこが格段と素晴らしい対応で除雪が行き届いており、スリップしてコワイなぁということはなかった。もちろん、タイヤはスタッドレスタイヤではあるのだが。


【大洞赤城神社】
ここも通いなれた場所である。群馬県は、「本場」であるからにして、他にいろいろな赤城神社はあるゆえに名称も多彩である。この大沼、読みは「おの」(小沼のほうを「この」と読む。ハハハ)には、色とりどりのワカサギ釣りのテントが氷の上にあった。

ここの赤城神社には、大沼にかかる緋色の橋がある。その手前に駐車場があり、いつもは車をその場に置くのであるが、なんと今はその橋の補強工事をするとかで橋が封鎖されていた、まさに「このハシ渡るべからず」だ。

「いや、真ん中を渡れば・・・」という、ひゃ〜参謀を制し、我々はさらに先にある、本殿後方の駐車場に車を置いた。


●このハシ渡るべからず●.jpg

●このハシ渡るべからず●



駐車場に着いたのが、9時くらい。車は1台しか停まっていなかった。陽光と暖房でぬくぬくとなった車内から外へ出たとたん、「ひゃ〜!寒いじゃないか」と大騒ぎ。

風に雪の結晶が飛ばされ、ダイヤモンドダストが朝日にきらきらと輝いていた。我々は、転ばないように、滑らないようにとお互いに声かけを行い、注意喚起をしつつ、拝殿前に向かった。

そうそう、佐藤は、今回の群馬には前橋市のマスコット“ころとん”を連れて来ている。そこで、拝殿前にて、ころとんと記念写真を撮っていると、巫女さんが社務所のシャッターを開けた。どうやら、開店時間のようであるw。

まず、拝殿で再び来ることができたお礼を伝え、今年の無事をお願い後、再度、転ばないように滑らないように注意しつつ、巫女さんがいる社務所に到着。

社務所の入口には、おみくじBOXが置かれている。もちろん、参拝後にはおみくじがつきものである(笑)。さっそく、おみくじを引いたが、! ・・・まぁいいかぁw。

その後、社務所内のお守りグッズを見て廻り、佐藤は誤嚥ならぬご縁お守り(仕事にご縁がありますように)と、交通安全のステッカーをゲットしてみた。

再度出口(別名、入口ともいう。出入口が同じだからw!)にあったおみくじBOXにスルスルと100円を入れて、おみくじを引き直した。

すると、なんと、2人ともが“大吉”であった。

「あらたまの、年の初日のさしのぼる 大き御光を 仰ぎまつらむ」

(初日にも尊さが感じられ日夜心をこめて御祈りし、神様のお陰を戴いて、今旭日昇天の大幸運に向かっていますが、危険なことを避け、信念をもってお祈りしつつ生活しなさい。)

とありました。やった〜!今年も良いことがありそうwww。


★★大洞赤城神社こぼれ話★★★
佐藤は、ころとんを胸に抱きながら社務所を闊歩し、お守りをゲットした。ところが、おみくじを引いて出ようとしたときに、「おみくじの結果に気をとられ」ていたところ、ころとんがころころと床に落ちてしまった(まさにこぼれ話w)。

すると、それまで冷静だった巫女さんが「あっ〜!ころとんが、ころとんが・・・」と心配してカウンターの向こうから出て来てくれたのだ。

やぁ〜いいねぇ。お気遣いもそうだが、ころとんをご存じで(当たり前だ)。以前ここの拝殿前でTVの撮影中の動くころとん(等身大)と記念写真を撮ったことがあるしw。

さてさて、次は榛名山榛名神社をめざす。

榛名神社も、ご当地群馬県ではたくさんある。したがって、住所を群馬県くらいしか確認していないと、うっかり沼田榛名神社に行ってしまうことがある(実際行ったw)。沼田榛名神社の前から遠くに見える榛名山塊は、また格別であったなw。

その後、我々はナビ様に導かれるままに、渋川・伊香保を通り越す温泉街ルートで、榛名山をめざした。


【榛名山榛名神社】
伊香保の温泉街を駆け抜け、山道をうねうね登り、榛名湖が見えてくるあたりに、メロディーライン(メロディーロード)がある。

それは道路に溝を作り、その上を一定の速度で走ると走行音がメロデイを奏でるようにした道路のことをいう。国内に30箇所以上ある(外国にもいくつかあるようだ)もので、ここで流れてくる曲は“静かな湖畔”であった。

そのメロディーを聴くのも楽しみのひとつであるから、その場所が近づくと速度を50キロに定め、しずしずと音楽を奏でてみたい。やがて、ぐんまちゃんがついた看板がはじまりを伝えてくれる。

我々はキターzzzzzzzって感じで、その上を走行。タイヤが溝に沿って音を奏でる。

「しずか〜な〜こ〜は〜ん〜の〜も〜り……」と(笑)。

佐藤は音楽に遭わせて歌詞を口ずさむのだが、どうやら歌詞を間違えているらしく毎回ひゃ〜参謀から訂正が入る。これもお決まりのこと。

ハハハ。何か問題でも?ハハハ。

やがて榛名湖がすぐそこに見えて来る。先ほどの大沼よりも標高が低いようで、この日は全面氷結ではなかった。道路も凍結注意とあったが、除雪がされているようで、こちらも難なくクリアできた。

こうして我々は無事にいつもの榛名神社の入口にある、榛名歴史民俗資料館下にある駐車スペース(いつもこちらを利用)に車を停める。

ここから先が榛名神社の参道の始まりで、やや急斜面なのだ。もちろん、車を進めて先にある鳥居近所まで車で行き、そこらの駐車場に停めることも可能であるが、最近はここから歩いて登っている(年をとると融通が利かないのだ💛)。

参道の周囲にはおみやげ屋さんや、ちょっとした食堂やカフェなどが並んでおり、ところ所にPのマークもある(我々は職業がら、「ポータブルトイレ」のマークと呼ぶ)。

参道を登って行くと、ひゃ〜参謀が、のどが渇いたんでアイスクリームを食べたいという。そこで、鳥居のすぐそばにある、み●もとドライブインに入る。ここのソフトクリームの絵が気持ちを掻き立てたからだ。

店に入ると、年輩の男性が「いらっしゃいませぇ」と迎えてくれた。手前は土産コーナーとなっており、地域限定の漬物やこんにゃくなどが置かれている。

我々は「おはようございます!」とあいさつして奥へ進む。すると、これまた、年輩の女性が2人、ストーブに背を向けて我々を迎い入れてくれた。

「いらっしゃいませぇぇ」

佐藤は奥に向かって歩きながら、

「あの〜、ソフトクリームは食べられますか?」と尋ねた。

すると、2人の女性が同時に

「食べられません(笑)」という返事。

「・・・・・・・」


佐藤はひゃ〜参謀を見る。するともうすでに気分はしおしおののようで

「どう・・・いや、甘酒でもいい。のどが渇いたから」とのこと。

「では、甘酒はありますか?」と尋ねると

「はい、ありますよ。あったかいのと冷たいのが。どちらにしますか?」

再び、ひゃ〜参謀に聞く。

「どうする?」

「・・・・あったかいのにしますかね」とひゃ〜参謀。

「ではあったかいのを2つお願いします」と佐藤。

こうしてオーダーが通ったところで、やっと我々は席に着くことができた(笑)。やがて、白い陶器の器の中に、甘い香りを漂わせて白濁色の甘酒が運ばれて来た。

ひと口すすると、口の中に麹の香りと共に甘さが広がって行く。ううう、ホッとする。

コクコクコクコクと頂いていると、団体客が入って来た。先ほどの男性や女性の品物を勧める声が聞こえて来て、急に店内は賑やかになった。

我々は、甘酒を飲み終え、食堂を出て、お客さんの間をぬいながら会計を済ませ、いよいよ榛名神社の境内へ入る。


●榛名神社のハシは渡れますぞ(笑)●.jpg

●榛名神社のハシは渡れますぞ(笑)●



鳥居をくぐり、随神門を通り抜けると、もうご神気が漂っている。山肌には、石楠花の花がまだまだ寒いぜといわんばかりに葉を丸めて立っており、遠くでクマも手を振っている(ウソ)。

とは言え、中央にはまだ固いツボミがついていた。現在、榛名神社は数年越しで国指定需要文化財建物の改修工事で、境内の双龍門から、国祖社・額殿は、幕に覆われて中から工事中なのだ。幸い拝殿は見ることができた。

佐藤は、拝殿で再び来れたことについて御礼を伝え、さらに今年の目標を伝えてうまく行くように祈念した。その後、しばしその場にとどまり写真を撮る。

恒例のおみくじタイム! 我々は双龍門下にある社務所まで降りた。佐藤が引き当てたおみくじは第35番「考」と書かれていた。おや?


「望みを掲げ威勢よく馬を走らせるも目的地までの準備が疎かではたどりつかない。勢いも大事だが、計画的に物事を考える冷静さも持ち合わせよ。例え時間がかかっても良い結果に繋がる。」

運勢 大吉


ですって。おいおいおいおいw。さっそく、佐藤の考えが神様に通じているみたいだな💛 ひゃ〜参謀と顔を見合わせた。すると、

「大将、ここはほら、絵馬を奉納せんといけませんぜ」ということで絵馬を奉納した。

こうして、榛名神社の参拝はめでたく終了。


●榛名神社の七福神・大黒様に絵馬を祈念●.jpg

●榛名神社の七福神・大黒様に絵馬を祈念●



●拝殿と御姿岩はまさに絶景である●.jpg

●拝殿と御姿岩はまさに絶景である●



次は、咲前神社貫前神社だ。その前に腹ごしらえをせんとな。

途中、国道沿いにある、とんかつ 扇亭 (安中店)さんを発見し、中に入った。そしてヒレカツ丼とサラダを注文した。

あいにくサラダは1人分しかなく、「キャベツの千切りでよろしければありますが」ということで佐藤はキャベツの千切りを付けて頂いた(写真参照)。

ヒレカツは外側がカリカリ、中はしっとり甘辛のたれがかかったカツを卵が覆っている。新鮮な千切りキャベツは、しゃきしゃきで噛みごたえがあり、美味しかった。佐藤も丼を完食した。とても感じの良い対応のお店であった。ごちそうさま!


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●ファストフード王国・群馬の扇亭●



【鷺宮咲前神社】
次は、安中市にある鷺宮咲前神社と、富岡市にある貫前神社である。すでに、こちらの神社も佐藤の群馬での見聞録のブログには毎回登場している、お馴染みの神社である。

鷺宮咲前神社は、訪問時に神職さんがいたのだが、参拝している途中で車でお出かけになってしまい、しばしベンチでお茶を頂きながらお待ちしたのが、帰って来られず、お守りをゲットできなかった。

ここはまさに藤原氏と物部氏、大和政権が派遣を争った痕跡が多く残る場所であるが、そんなことを微塵も感じさせない、穏やかな時間が流れる憩いの神社となっている。

厳格で古式ゆかしい後宮の貫前神社とは対照的だ。フレキシブルで、庶民的であり、しかしちょっぴり古代の謎が見え隠れする神社でもある。

まぁ残念だが仕方ない。ここは多くの兼任社をお持ちなのだ。ちなみにおみくじは末吉であった。また、あの若い、気持ちの良い神職さんたちにお会いしたいな💛


図07●咲前神社は地域密着型の神社です●.jpg



【上野国一の宮・貫前神社】
気を取り直して、貫前神社へ移動する。ここはサクサクと本殿への下がり参道を降り、脇の門から中へ入った。ここは安定の平常運転である。おみくじを引くと2人とも大吉であった。

何年か前に修復した本殿は、色の具合も馴染んで逸品であった。

ここの様式は、 『論語』で、孔子先生(B.C.552〜B.C.479)の弟子の有子先生が語ったところの、


「有子曰、礼之用和為貴」(部分)の「礼の用は和を貴しと為す」和(わ)の精神(日本では聖徳太子が「十七条憲法」に引用)である。

和(わ)とは、意見が違うものの話でも聞いてみる、配慮してみるというような感じか。「和」を「やわらぎ」と読ませたい方々がいるが、「わ」のほうがスッキリする。もともと、漢文(和製中国語)からの引用であり、聖徳太子自体が漢文を使用しているんだから、「やわらぎ」は変だろう。

この時代、まだまだ和語は整備されていない。『古事記』(712年)の序をみてもまだまだ整備ができておらず、その気分がわかろうというもの。推古12(604)年の十七条憲法の文面に和語はおかしい。

それはさておき、貫前神社は、経津主神(物部&忌部系大和政権)・姫神(渡来系の赤城神)・雷神(地主神)が、その「和」をもって融合された稀有な形式の本殿を持っている。ぜひぜひ多くの方々に見て頂きたいな💛 また本殿の横に位置する抜鉾神社と、階段途中にある月読神社へのお参りもお勧めである。


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●黒と金の対比がすばらしい貫前神社●



次は、妙義山中にある中之嶽大国神社(前宮)・中之嶽神社(奥宮)に向かった。どちらも初めての神社である。

「上毛三山パノラマ街道」のひとつで、群馬県道196号上小坂四ツ家妙義線を使い、富岡市妙義町から下仁田町方面へ向かった。

群馬県の道路ではしばしばあるのだが、危険運転防止でカーブの所々が凸凹し、カーブがかなり多いのでけっこう危ない。困ったことにふつうの運転者にも危ないのだ。

さらに、けっこう高いところを走り、妙義山を通る道路であり、頂上に中之嶽神社、麓に妙義神社、大砲岩などの名所があるので、交通量が意外と多い。

この区間はかつては有料道路(妙義有料道路)であったが1986年4月1日で無料開放されたそうな。


【新スポット・中之嶽大国神社・中之嶽神社】
神社付近着くと、ほど近いところ(徒歩1分くらい)に大駐車場があり、そこから歩いていく。車がビュンビュン通る時間帯は、地下の通路を使わないと危ない。


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●妙義山の峻険さは圧巻である(そりゃあ滑落しまくりだわね)●



鳥居をくぐると、まずは、中之嶽大国神社(なかのたけおおくにじんじゃ)がある。もう1つの中之嶽神社(なかのたけじんじゃ)との関わりはなかなかわかりにくい。

中之嶽神社のほうが年代は古いがたぶんに「伝説」の域は出ないし、そちらがメインならば、近くにある妙義神社の方が正当性が高くなり、わざわざここに作る意義は薄くなるのだ。

祭神はもちろん、大国様(大黒様と習合)である。大黒様の縁日が甲子(きのえね)の日ということで、甲子大国神社(きのえねおおくにじんじゃ)ともいい、数百年に渡り甲子祭を斎行しているという。

大国様の大きさは、20メートルで、マジンガーZやガンダムのモビルスーツ(それぞれ18メートル)よりも高いのだw。しかも打ち出の小槌ではなく、剣を持っている。

この大国様自体は、平成17年の作られたものだが、妙義山山麓の穴に、倭建尊(日本武尊)が関東御巡行の際「草薙剣」を隠しておいた伝説もあり、大黒様+お不動様の習合で剣を持っているなどの話や、大国様と剣との関わりを想像するだけでも楽しくなってくる💛

そして、ここからも荒船山もはっきり見えるほどの絶景。まさに金運の神様にもふさわしい(どこが?)。ちなみに火山で形成されたのは荒船山と妙義山は同時期である。

大国神社は、嵯峨天皇の御代(819年創建)、藤原冬嗣(北家)卿と空海大師により開かれている。

藤原冬嗣は、文武の才を兼ね備え、温和でゆったりとした性格で、藤原氏にしては民衆からも支持された稀有な藤原氏の長(おさ)といえる。このブログでも良く出てくる「延喜(格)式」のベースとなる「弘仁格式」等の編纂したり、『後撰和歌集』にも和歌作品が採録されるなどの多才な方であった。

妙義山は、白雲山・金洞山・金鶏山・相馬岳・御岳・丁須ノ頭・谷急山などを合わせた総称であり、南側が表妙義、北側が裏妙義とされる。中之嶽とは、金洞山(1,094m)の別名なのである。

中之嶽神社は、現在、倭建尊(ヤマトタケルノミコト)ゆかりの聖地ではあるが、欽明天皇(539-571年)の御代に建立されたものである。

しかし、元は、山の神で地主神の波胡曽神(はこそのかみ)を祭られていた。

伝説では、山賊wに制圧されていた妙義山を倭建尊が退治してうんぬんとあるが、ヤマト政権に逆らうものを「山賊扱い」し、彼らを制圧後も波胡曽神ではなく、倭建尊を祭っているのをみれば想像はつくだろう。

また、渡来神(大黒様・お不動様)や出雲系の大国主神を「波胡曽神の抑え」に祭り、それらを藤原冬嗣卿と空海大師が創建したというのも生々しい。藤原冬嗣はもちろん、空海さんも藤原氏の下っ端の一族(佐伯氏)の出なのだから。

まぁそういう「いわく」、いや「ゆかり」があるほうが興味深い。群馬県(毛国・上毛国・上野国)というのは、まさにヤマト政権と東国勢力、出雲勢力が近接する地帯なのだ。

そういいながら、中之嶽(甲子)大国神社で運気向上を祈願し、おみくじを引くと2人とも大吉である! 

奥宮の中之嶽神社はすんげぇ階段を登るので、ひゃ〜参謀は訳あって、体育をさぼる中学生よろしく、下から見学した(笑)。見ていると、男性はたいがい登らない。女性はなんども戻りながら登って行くのだ。ほんとうに危ないよ、ここ。

最後に、ここから碓氷峠に向かい、いつか見よう、見ようで先延ばしになっていためがね橋を見るのだ。そこらへんは森村誠一氏の『人間の証明』に出て来る「霧積」の近くである。


【めがね橋】
「めがね橋」とは、安中市松井田町坂本にある鉄道橋で、碓氷第三橋梁(うすいだいさんきょうりょう)を指している。

橋からほど近い(2〜3分)のめがね橋駐車場にカナメイシ君を置き、遊歩道をつたって、めがね橋を18号線から眺めた。切り返し切り返しで山道をアプト式で列車が登った、かつての歴史を垣間見る思いだ。

碓氷川に架かる煉瓦造りの4連アーチ橋で、国鉄時代の信越本線横川駅 - 軽井沢駅間の橋梁の一つでアプト式鉄道時代のもの。設計者は、1882年(明治15年)イギリスから日本に招聘された英国人技師のパウナル 氏と古川晴一氏である。

横川駅からこの橋までの旧線跡が遊歩道「アプトの道」として整備され、ユネスコの世界遺産への登録を目指し、2007年(平成19年)に暫定リスト入りをしたが、大ばか者による落書きがレンガの橋脚に彫り込まれる犯罪(いたずらというレベルではない)が多発しているらしい。

文化のない国の外国の嫉妬か、スマホ世代のていたらくかはわからないが、日本にはいてほしくない人罪(人材ではない)である。


●めがね橋を下からみる。あ、ここもハシを渡れますよ●.jpg

●めがね橋を下からみる。あ、ここもハシを渡れますよ●



古来より、群馬の地は、海外の文明を積極的に導入しながらも、自国の文化を失わせずに「融合」に努めて来た。文明は文化を駆逐すると昔から言われている。

しかしながら文化無きもの(国)は、長続きはしないのだ。だから「そういう国」は、長続きさせるために似たような隣国の文化を真似たり盗んだりする。まぁアメリカがイギリスと、なかなか離れないのもそうかもしれない。

アメリカの政治家やビジネスマンの必読書は、いまも昔も、ウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare)の作品群なのだ。

まぁ真似るのは文化の事初めだからしかたがない。しかし、盗んで自国の文化と主張するのはいただけないね。

わが国の明治期の文明(科学)は、確かの現在の技術よりも劣っているだろう。しかし、国民生活は「文化」が根差した豊かなものであっただろう。

ではいまはどうだ? スマホを観ながら駅のホームを歩き、落ちて轢かれて亡くなるかたが、東京だけでも何百人も亡くなっている。ほんとうにそんなことで命を落としても悔いはなかったのかなぁ?

直近の新型コロナウイルスの騒ぎでの政府や野党のよりとりをみると、政府も拙劣だが野党もほんとうに意味のない質問ばかりである。

しみじみと文化の欠如した文明は、未来がないなと感じてしまうのだ。失敗も成功も、先人の歴史から学ばないといけないだろう。


●「どうやって注意するのか」をポンタと思案する●.jpg

●「どうやって注意するのか」をポンタと思案する●



群馬に多く残っている文化の香りを堪能して、我々は本日宿泊するホテルへと向かった。

その後、高崎駅前の高崎OPA(オーパ)のミートハンターさんで夕飯を頂き、翌日からの研修会に備えて眠りについた(研修会も無事終了)。

ここ数年の高崎駅前は、文明も文化も共存し、どんどん進化もしていますよ。皆さまもぜひぜひお出かけください。

さて、皆様もまだまだ寒きゆえ自愛ください。ではまた!



●高崎OPAで賑わう駅前●.jpg

●高崎OPAで賑わう駅前●



●高崎OPAの1Fはなぜかイオンスタイルという複合施設●.jpg

●高崎OPAの1Fはなぜかイオンスタイルという複合施設●


(To Be Continued!)
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2020年01月12日

奮闘記・第1094回 研修会のツボ/千葉県千葉市

●2019年● 千葉県千葉市

千葉市社会福祉研修センター

令和元年 フォローアップ研修(2日目)
ICFを意識した介護記録の書き方講座
〜生活機能分類の項目を意識して記録を書いてみましょう〜


さて、今回は前回に引き続いて、フォローアップ研修、その2日目である。佐藤はまた宿泊先のそばにある千葉神社へ参拝後、会場へと向かった。会場には昨日からの参加者の他新たなメンバーも加わりさらに会場は賑やかであった。


●千葉神社と「けろちゃん」●.jpg

●千葉神社と「けろちゃん」●



今回の研修の題目は「ICFを意識した介護記録の書き方講座」である。昨日の研修に参加したかたは、このICFを意識することの重要性に気づかれていると思うが、本日から参加した方には急にその話をしても難しい。まぁ、ゆるゆると進めていきますわ。

■研修で行ったこと
(1)支援をするために必要な帳票(演習・講義)
(2)記録の書き方トレーニング(講義)
(3)手順について考える 生活の多様性について考え
(4)生活機能分類について(課題抽出法) ※事例参照
(5)記録の書き方トレーニング(演習)
(6)発表

記録と言っても利用者支援に必要な記録物って様々な種類がある。そのすべての帳票類に、何を、どのように、書けば良いのか知っているのだろうか? 

例えば、利用者の基本情報を記述する「フェースシート」それから計画作成に必要な「アセスメントシート」「個別援助計画書」「モニタリング記録」「会議録」「介護記録や支援経過記録」などなど。

ここでは、それらの帳票類はなぜ必要なのか? その根拠を書き出していただいた。まずは、自分で考えて、グループメンバーと語り合いからである。話し合い(談合ではない)はすべての基本であるからだ。

自分で考えているときは、「何となく必要だと思っていた帳票だけど、改めて考えてみるとそれなりの理由があることがわかった」らしい。ハハハ。

そうねぇ、例えば、基本台帳ひとつをとってみても、氏名や性別、年齢。障害の程度や、要介護度、生活歴や既往歴など、様々な情報が入っている。情報がなければ、利用者の名前を呼ぶことすらできない。それでほんとに呼ばないのがいるからねぇ・・・。まったく!


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●なんのために記録するのか●



アセスメントシートもその方の現在の情報を知るためには必要なツールである。麻痺が「あるのか」「ないのか」、コミュニケーションは図れるのかなどなど、支援するのに即必要となる情報ばかりなのだ。

1.支援をするために必要な帳票(演習・講義)
そのような重要な帳票類であるが、皆さんの事業所にはこれらの帳票の書き方マニュアルはあるだろうか? 挙手を求めたが、残念ながらしっかり「はい」という方はいなかった。

前回にも述べたように本来、これらの帳票類には、書き方見本(凡例)というモノがあって、誰が書いても書いている内容が同じにならないといけないのだ。

そうであるならば、この帳票を用意した事業所が、書き方例を示すべきである。そこで必要になるのが、記録マニュアルなのだ。

なんでもマニュアル、マニュアルというわけではないが、マニュアルがないのは、たいがい「行き当たりばったりでやっている」か、「毎回違う方法で、同じやり方はできない」ことが多い。

介護技術を「理屈じゃない! 感覚で覚えるんだ!!」なんて言っている施設は、利用者さんを何回も転ばし続けることになるだろう。

むかしC市にでですな、マニュアルもなく、訓練もそこそこしかせずに開業し、3日目で3人ぐらい骨折者を出して、1か月で施設長が・・・。そういう所はともかく、マニュアルとは、それらの行為を十分に理解していないと書けないものなのだ。


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●課題分析の情報源●


●千葉のパティシエ(pâtissier)の「作品」を堪能する●.jpg

●千葉のパティシエ(pâtissier)の「作品」を堪能する●



さて、佐藤は、様々な場所で記録の書き方研修をしてきたが、参加者からは「書く時間がない」とか、「このように書くのは難しい」などといわれまくりなのだ(笑)。また、「簡潔な書き方はありませんか?」などといわれることも。そこで介護記録とは何か、そこで、必要となる内容はどのようなことなのか、いつ書けば良いのかなどを講義しながら、皆さんが中心になって、是非事業所独自のマニュアルを作成してみてはいかがでしょうかと提案しているのである。

2.記録の書き方トレーニング(講義)
ここでは、医療が求める記録と、介護が残す必要がある記録との違いについて話をした。

昭和62年に「社会福祉士及び介護福祉士法」が制定された後、我々、介護職を育成したのは、医療職(看護職)であった。むかしは医療報酬や加算が変わるたびに、看護師さんは医療と介護の現場を行ったり来たりさせられることも多かった。

しかし、今は、いったん介護現場で慣れてしまうと、医療現場にはなかなか怖くて戻れないという。それだけ医療の進化は凄まじいともいえる。

さて、そういうしがらみの中で、記録を指導するときには、「要点をまとめて簡潔に書くこと」が求められた。まぁ、いわゆる観察記録である。

しかし、平成の時代に入ると、介護保険法が制定され、介護に注目が及ぶようになる。いや、結局、医療費削減のため、医療と分離したはずの介護に再び医療を近づけたのだ。

したがって、いよいよ介護記録が重要視されるようになってきた。「お金が動く」ところではお役所は必ず、細かい記録を(誰も読まなくても)書かせたがるのだ。

でも、介護は、利用者の生活の多様性を支援する行為なのであり、「おむつ交換をしました」「風船バレーに参加しました」「腰痛の訴え有り」などという観察記録では、「どのような状態であったのか」がみえてこない。

いや、それだけでは「(介護職は)たいしたことやってないじゃないか」とお上に決めつけられかねないのだ。


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●何を悩むのか? 千葉のハムレット・・・●



ということで、もう少し詳細な記録、すなわち「関わりの記録」が求められるようになったのである。いや〜介護の自己防衛ですよ、これ。

佐藤は資料を用いて、各帳票がなぜ必要なのか、そこには何を書くのか、これらの帳票は更新する必要があることなどを説明した。皆さんは熱心にマーカーなどを使用して聞いていた。説明が終わると、このようなことははじめて聞いた。帳票を更新していないから更新しないと。などなど気づきを伝えてくれた。


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●介護職の関わりを表現できた●



3.手順について考える (生活の多様性について)(演習・講義)
ここでは1つひとつの介護には手順(介護技術を含む)があることそこでまず、皆さんが洗濯物を家で干す手順を書いていただいた。ただし、「その手順は、佐藤が皆さんの家に行って、その手順書をみれば洗濯物を干せるというような手順にして下さい」と伝え、演習はスタートした。

ここでは、訪問介護の方と施設職員の方の書き方に差が出ることになった(笑)。なぜならば、訪問介護の方々は、行為と手順は違うということをすでにご存知であったということである。もっとも、施設の方々利用者さんの洗濯物を干すようなことはなかなかしないからねぇ。

例えば、「洗濯機より洗濯物を取り出す」というのは行為である。手順とは、@洗濯機まで移動する(洗濯機は脱衣室にあるので、浴室のドアを手前に開ける)。A洗濯かごが洗濯機の上の棚にあるので、それを洗濯機の前におろす。B洗濯機の蓋を上に引き上げる。C洗濯機から、バスタオルを取り出してばさばさと揺すり軽くたたんでかごに入れいる。D大きな物を取り出したら、つぎに小物を取り出して、軽くパンパンとたたいてかごに入れる。などなど。

洗濯物を取り出す行為ひとつをあげてみても、その方の生活がみえてくるのだ。このような手順は、施設で行われる入浴や、排泄、食事、移動などの介助にも存在するはずだ。そのときに決して「うるさい利用者だから」という言葉をつけないでほしい(笑)。その方は自分の生活に主体的に関わっているのだから。

4.生活機能分類について(課題抽出法)※事例参照
さぁ、いよいよ本日の本題に入る。「アウトプット(課題の項目)」を統一するのだ。介護支援専門員の研修では、インプットは課題分析標準項目で行うこととして、統一しているが、アウトプットの出し方は統一されていない。

そこで、介護支援専門員自身の専門職カラーがうきぼりになってくる。例えば、医療職は健康状態に関することが優先され、介護福祉士は、日常生活動作が優先され、PT/OT/STなどの機能の訓練士たちは、訓練に関する内容が優先される傾向がある。そこで佐藤は、せっかく国際生活機能分類という考え方が承認されたのだから、その用語を使用することにした。

厚労省のホームページでは、計画作成の際にはICF(International Classification of Functioning, Disability and Health:国際生活機能分類)を意識して作成するようにとなっている。

そして、計画がそのように作成されれば、介護記録に記載する内容も項目を分類して書くことができる。後に記録を振り返り情報を得るときも、その項目を探せばみつかるというもの。ここでは、資料を用いてICFの構成要素「心身機能・活動・参加・環境」について、介護の現場でしていることを例題を用いて解説してみた。

5.記録の書き方トレーニング(演習)
今回の介護記録の演習課題は施設バージョンである。
施設には、介護職員の他に、看護師・介護支援専門員・相談員など様々な専門職が1人の利用者のために活躍している。

そこで、今回は、事例に相談員・介護支援専門員・看護師・介護職員に登場させて、1人の利用者にどのように関わって問題(?)を解決して行ったのか?というダイナミックな物語を想定して演習を行った。

佐藤が事例を読み上げる。次ぎにグループでどの場面の記録を書くかを相談する。グループで書く内容を決めたら、その後はその場面を各自で書いてみる。そして最後にグループでコンセンサスを得るという演習である。

佐藤が事例を読み上げる間、皆さんは興味津々に事例にマーカーをひいていた。そして、読み終わるとどこからともなくため息が(笑)。そうそう、このような問題は何処の施設でも起きるというしろもの。それを全体的に透視してみると、様々な葛藤がみえて来るはず。

皆さんはどの場面を選択して、どのような記録を書いてくださるか。もちろん記録を書くときには生活機能分類を意識して書くというルールは忘れないように。

もちろん、佐藤は演習の間、グループ内を見回り、あれこれアドバイスを伝えていった。しかし、驚いたことに、皆さんは事例をひもときながら、見事に関わりの記録を残しているではないか! 

約2時間半の演習後各グループで話し合いが行われ、ホワイトボードは介護記録で埋まっていく。実は、結果よりも、皆さんが語りあった内容が大事なのだ。なぜならば、そこではそう、しっかりと「ケースカンファレンス」が行われていたのだから。しかも、利用者にとっての最善策を考えていたし、素晴らしいと思う。

最後に佐藤から、解答例を示した。もちろん、解答例には、登場人物のそれぞれが残すであろう記録を書いて案内した。

1つのできごとを解決するために、様々な職種が連携していること。そんなことに気づいていただきき、さらにお互いにどのような記録が残っていると良いのかを理解していただければ良かったと思う。以上が千葉市で行われた研修である。


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●エンディング・・・To Be Continued!●



さて、本当はこの研修会のツボも昨年中にあげねばならなかったのですが、この時期になってしまいごめんなさいねぇ。

研修に参加された方々は、今も熱心にお仕事をされていると思います。どうぞ、皆さん、お元気でご活躍くださいませ! またどこかでお会いしましょう!!

(To Be Continued!)

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2020年01月07日

奮闘記・第1093回 研修会のツボ/千葉県

●2019年● 千葉県千葉市

千葉市社会福祉研修センター

令和元年 フォローアップ研修(1日目)
ICF視点で考える訪問介護計画書作成
〜訪問介護のサービスとその根拠とは〜


皆様、新年あけましておめでとうございます!

昨年は自然災害の多い年でしたが、何とか無事に過ごせました。
今年もトラブル無く過ごしたいと願っております。

もちろん、皆様にとっては幸多い年になりますよう祈念しておりますよ!

さてさて、2020年・年頭のブログは、昨年(2019年)12月に行った千葉市の研修会の報告からとなります💛

前日から千葉入りし、公園前の飲み屋さんで夕食。朝は千葉神社で挨拶から始まる。

●公園前の飲み屋さんでくつろぐ●DSCN1328.jpg

●公園前の飲み屋さんでくつろぐ●


●チーバ君とチーバ神社●DSCN1334.jpg

●チーバ君とチーバ神社●



そして、今年もやってきました、当然われわれの聖地となっている、千葉市ハーモニープラザである! この研修会場ともすでに10年来の付き合いである。

佐藤は、千葉市社会福祉研修センターの皆様とは、毎年七夕のごとく、年1回再会するのみなのだが、担当の山村氏とは常に交流しているような間柄と感じてしまう。存在感が凄いのだ。

だから、会場で出迎えて下さる姿をみても、懐かしいというよりも「また会えて良かった」という感じなのだ。お互い近況を伝え合う。それぞれが加齢に伴う悩みを抱えておりましたが・・・・はい。

さて、佐藤は、このフォロアップ研修では、2コマを担当している。本日は、介護計画作成で、明日は介護記録の書き方について、である。

まず今回は、介護計画作成の報告から。研修時間は9時半から16時半・昼食休憩は12時半から13時半である。


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●研修開始の案内をする●


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●待機する佐藤●



もちろん、その間にも順次休憩は取っていく。参加者は、訪問介護の関係者のみならず、通所介護やグループホーム、施設の職員など様々である。これが多様化ということなのだ。もちろん、訪問介護のベテランサービス提供者の方もいて、大いに心強かった。

佐藤は研修会のレジメを作成する際には、タイムテーブルを付けることにしている。これは参加者に対しての研修の進め方の案内とともに、自分自身で時間を管理できるようにするためである。

なんせ、脱線したら最後、話に夢中になって収集がつかなくなりますからねぇぇぇ、はい。もちろん、今回の研修にも、例の対人援助スキルアップ研究所のH参謀も同行している。

皆様、よろしくねぇ。

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●研修サポートグッズも待機(笑)●


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●グッズを持ちグループを移動する●



■今回の研修で行ったこと

(1)介護保険制度と訪問介護のPDCA(演習・講義)
(2)介護支援専門員とサービス提供責任者の役割(講義)
   サービス提供責任者が行う業務とその根拠 
(3)訪問介護がしているサービスとは何か(演習・講義)
(4)生活機能分類について(生活機能分類を用いた事例の理解)(講義)
(5)訪問介護計画書作成(演習)
(6)総括・質疑応答



1.介護保険制度と訪問介護のPDCA(演習・講義)
はじめに参加者に自己紹介をして頂き、どのようなメンバーが参加しているのかその情報を共有した。

佐藤からは、今日は訪問介護計画書を作成していくが、その内容はどの介護職にもあてはまるので、佐藤の言葉を自分のサービスに置き換えて参加して欲しい旨を伝えた。

まずは、PDCAという言葉について解説を行う。介護保険制度の仕組みはまさにこのPDCAにあるのだが、なかなか現場で活躍している介護職には浸透していかない部分でもあるのだ。とは言え、皆さんはすでにこの仕組みに基づいて、しっかりと働いているのであるから、この仕組みを理解して欲しいというものだ。

ただやるのではなく、キチンとした理論やメソッドに基づいて行われていないと、本来他者に教えることはできない。他者は、自分の頭の中の住人ではないからだ。
Do(実行)、Check(評価)、Action(改善)の頭文字を取ったものである。1950年代に、品質管理の父といわれるW・エドワーズ・デミングが提唱したフレームワーク(枠組み)なのだ。

この枠組みを介護保険制度にあてはめて考えてみる。介護保険制度は、介護支援専門員等が作成した居宅サービス計画に沿って、利用者の「生活全般の解決すべき課題」に対応すべくサービスのそれぞれが、

(P)個別援助計画を立てて、(D)必要な援助を行い、(C)一定期間を経たときに、モニタリング(振り返り)を行って利用者の状態の変化を測定し、(A)改善に至らなかった部分について再度検証を行い、再計画を立てているとことになる。

本来は、居宅サービス計画がこのPDCAに則って作成されていなければ、いかんのです
さて、PDCAとは、もちろん、Plan(計画)、がそれはまぁ、ここでは省くことにする。

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●アセスメントについて説明する●


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●演習に取り組む●



(P)とは、アセスメント(基本情報・課題分析)と目標の設定、訪問介護計画、その計画に沿ったケア手順を作成すること。

(D)とは、健康状態の維持向上・日常生活動作の維持・向上、本人に役割の提供を行い、意欲の向上につなげる。また、介護者や地域の方々や他事業所と連携を図ること。これらの支援を具体的に記録に残すことである。

(C)とは、定期的にモニタリング(振り返り)を行い、サービス開始時期より、本人の状態がどのように推移したのかを測ること。そして、モニタリングの結果から、利用者の状態がどのように推移したのかその結果を出すことだ。

 
なお、評価を行う時期は、短期目標の期間終了時と、長期目標の期間終了時期。利用者の認定期間終了時に行う必要がある。

これらの時期には、前回のモニタリングの終期の時期において、利用者の状態がどのように推移したのかを測り、その結果を(改善・維持・悪化)という評価の言葉で表す。

(A)とは、モニタリングの結果から、再アセスメントを行い、再計画の必要性を検討すること。

実は、この(C)と(A)は、常に、(D)の中に含まれている。なぜならば、利用者は常に初回(A)の状態の時と同じとは限らないからだ。しかし、軽微な状態の変化で計画を見直していたら、もう大変なこと! そこで、短期目標や、長期目標の期間で(C)を行うことが求められるということになる。

このサイクルを担っているのが、そうサービス提供責任者なのだ。皆さんには、訪問介護計画作成の手順(PDCA)を示し、その時々になぜ、そのような行為をするのか、その根拠を考えて頂き、グループで話し合って頂いた。そして、演習終了時には、佐藤が解答例を示して、解説した。

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●質問に応じる●



2.介護支援専門員とサービス提供責任者の役割(講義)
サービス提供責任者がおこなう業務とその根拠
ここでは、指定基準を読み説きながら、先ほど演習で行ったPDCAと絡めて、サービス提供責任者の業務と責務を解説した。

もちろん、通所介護の方々にも、同様なことが求められていること。さらに通所介護等には、平成27年に厚労省から「通所介護及び短期入所生活介護における個別機能訓練加算に関する事務処理手順及び様式例例の手順について」という通達が出されている。いわゆる、老振発0327第2号(平成27年3月27日)である。

ここでは、通所介護等は、事前に利用者宅を訪問して「居宅訪問チェックシート」をシートを作成し、利用者の「生活課題」を抽出することが求められたのだ。同時に「個別機能訓練加算(T)(U)」に対応する帳票案も示されているが、この帳票についてはすでに参加された方の中でも使用している方がいた。

3.訪問介護がしているサービスとは何か(演習・講義)
ここでは、1つの事例をもとにヘルパーのしている援助とは何かを考えて頂いた。その事例には、下線が引かれていて、下線の行為は下記の「ア・イ・ウ・エ」のどれにあてはまるのかを考えて頂いた。

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●学び舎の廊下●



そのア・イ・ウ・エの選択肢は下記の通り。

ア)健康に関する支援 
イ)日常生活動作に関する支援 
ウ)やる気、意欲に関する支援 
結果は、ヘルパーの支援では、「イ)の日常生活動作に関する支援」「ウ)やる気、意欲に関する支援」が圧倒的に多かったということになりましたね。そう、利用者の生活は多様性に富んでいる。そこで、医療がしている「治療」(心身機能に関する支援)とは異なる支援が主となるわけ。

そこで、そのような支援の情報を職員同士が共有する手段となるのが、介護記録である。ただ、現状では利用者の健康に関する情報のみの記述が多いように思われる。

えっ、どうしてそうなったのかって?

それは社会福祉士及び介護福祉士法が制定された昭和62年の段階において、その人々(介護職のたまご)の教育を担っていた多くの人々が、医療関係者(看護師など)だったということである。

そこで、当然、看護記録と同様な記録(観察記録)の書き方が指導されたというわけだ。誰もが自分の仕事や能力を基盤にしてしか、教えるこ
エ)他者と情報を共有するための支援
とは難しい。まだ、プロの介護職はこの時点では、ある意味、未完成の存在で有るから。

であるから、裏を返せば、医療職が必要とする記録を介護職に求めることにもつながっていく。その結果「記録は簡潔に」「尊敬語や謙譲語は不必要」「事実を客観的に書く」が中心になり、「本人の意向(こうして欲しい)」や「本人の価値観」は二の次になる。

そして、医療関係者は、正確さと速さが重要である。入院は短期間を想定しているから、多少不快でも、患者は大抵我慢する(させられる)。介護ではそうはいかない。不住になっても、それがもはや日常生活そのものなのだ。週2回のお風呂。お風呂好きのあなた、我慢できますか?

介護は、正確さと快適さが、本来求められて居るのだ。速さが大事なのは、介護が人手不足ということに過ぎない。

しかし、平成も30年が経過し、すでに令和という新しい時代になったのだから、そろそろ、「介護の記録」イ)やウ)に関する記録が増えて言っても良いのではないだろうか。

また、介護の主体はあくまでも本人である。近年、医療もカルテが開示されるようになるまで(これも裁判の結果で、である)、読まれることを想定して書かれていなかった。わざわざ外国語で書いたりもする。

よほど、読みにくい丁寧語はさておき、尊敬語や謙譲語は使用しても良いのではと佐藤は考えている。ということで、介護記録の書き方は明日研修で行いますので次回へまわしたい(笑)。

改めて、皆さんは介護という技術は「困っている部分を救済するだけではない」と言うことには気付かれたと思う。

佐藤はこの演習でも解答例を示し、解説した。そして、実はこのア・イ・ウ・エは、ICFの構成要素と同じ意味合いを持っていることを、ICF(国際生活機能分類)の相関図を示して説明した(ICF:International Classification of Functioning, Disability and Health)

心身機能:ア)健康に関する支援       
活  動:イ)日常生活動作に関する支援 
参  加:ウ)やる気、意欲に関する支援 
環  境:エ)他者と情報を共有するための支援


そうであるならば、居宅サービス計画も各項目別に課題抽出が成される必要があるのだが、現在の研修制度ではその域に達するのは、難しいのかも知れない。佐藤はずーとアウトプットをICFの言語で統一すれば良いのでは無いかと叫んでいるわけだが、なかなか・・・、聴く耳が・・・業界上層部に・・・・。ハイ、昼食休憩である。

4.生活機能分類について(生活機能分類を用いた事例の理解)(講義)
5.訪問介護計画書作成(演習)

さてさて、午後からは、約2時間半かけて、事例をひもときながら、介護計画を作成して頂いた。

はじめに佐藤が作成した「居宅サービス計画」(ICFバージョン)を用いて、先のICFを居宅サービス計画に結び付けて考えると、どのようになるのかを解説した。

そして、平成26年の社会保障審議会で示された居宅サービス事業所が果たす役割を示した図を用いて、居宅サービス事業所には、「利用者の心身機能の維持向上・活動の維持向上・参加の維持向上=介護者の負担の軽減」が求められていることを解説した。

ここでは、佐藤が作成した訪問介護計画書のひな形を使用して、皆さんには、具体的なサービス内容を考えて頂いた。

すでにひな形は、No.1No.2に分かれており、No.1は表紙で、サービス内容や訪問時間やサービス区分などが書いてある。

No.2は、4つの空欄があり、「課題」と「訪問介護の目標」と「具体的なサービス内容」と「備考欄」ある。

もちろん、課題は4つ。心身機能の課題・活動の課題・参加の課題・環境の課題である。そうそう、居宅サービス事業所の課題は、介護支援専門員が作成した「短期目標」となる。

そして、皆さんに考えて頂く内容は、もちろん、「心身機能に関する具体的なサービス内容」「活動に関する具体的なサービス内容」「参加に関する具体的なサービス内容」「環境(家族や地域)に関する具体的なサービス内容」となるわけである。

まずは自分で考えるzzz(いやぁ寝てはいけないぞzzz)
次にグループで話し合い、その内容をまとめて発表して頂く。

皆さんは、居宅サービス計画やアセスメント表などを見ながら、具体的なサービス内容を考えていく。そして、グループ演習では、お互いに現在使用して帳票などについても情報交換が出来た様子である。

もちろん、佐藤もグループ内に入り込んで、「声かけ」ってなにしているの?(H参謀には「肥えかけ」って聞こえるとか)。「見守りって」何をしているの?とあれこれ質問を投げかけてまわりました(笑)

すると、「え〜、声かけは声かけだよね。他のいい方って…。難しい!」ですと・・・。どうやら皆さんにはすっかり介護の専門用語が染みついちゃったみたいであった。

そして、最後はグループ演習でまとめた物をホワイトボードに書いて頂いた。今回は参加者同士が協力し合い、作り上げたサービス内容である。実際の現場でも他の職員(ヘルパーさん)を巻き込んでつくれると良いのだが。

さてさて、こちらには佐藤が考えた解答例(具体的なサービス内容のみ)を載せておこう。もちろん、参加した人々の中には、もっとリアルにかき上げた方がいたことは言うまでもない。

【心身機能に関する具体的なサービス内容】
@あいさつ後、感染予防のために洗面所にて手洗いうがいを行います。
A居間にて、再度あいさつをして体調をうかがいますので、体の調子をお知らせください。必要に応じて、娘さんに相談します。
B服薬カレンダーを見て、服薬が継続出来ていることを把握します。飲み忘れている場合には、飲めるように助言します。

【活動に関する具体的なサービス内容】
@これからすることを説明し、同意を得ます。作業に入る前には、トイレにお誘いします。身支度に乱れがあるときには、お伝えし整えられるように支援します。
A移動時や、作業時には、そばに付き添い転ばないように注意を喚起し、転ばないように見守ります。

【参加に関する具体的なサービス内容】
@通所リハビリの献立表を参考に一緒に献立を考えます。
A食材を取り出し、テーブルにおいて、本人のできそうなことを相談します。
B野菜は、洗って切りやすいように渡しますので、片手まな板を使用して切ってください。怪我をしないように注意喚起し、頑張っている姿を励まし、上手く出来たことを共有します。また、協力動作には労をねぎらい感謝を伝えます。
C調理終了時には、好みの器に盛り付けられるように支援します。

【環境に関する具体的なサービス内容】
@地域の情報を収集し、必要な情報を提供します。
Aその日の支援内容を娘さんとの連絡帳に記入して連携をはかります。

●介護は奥が深いですねぇ●.jpg

●介護は奥が深いですねぇ●



皆さんは、サービス内容というよりも、自分たちの常日頃している介護を再度見つめる機会となったようであった。さてさて、これにて「本日の研修」は終了である。

次回は介護記録の書き方研修の報告としたい。ハハハ。ではまた!


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●寒い!ほんとうに寒い●


(To Be Continued!)

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2019年12月13日

奮闘記・第1092回 見聞録/茨城県

●2019年● 茨城県常陸太田市&日立市


常陸国の超絶パワースポット💛

交通安全のお札を交換に行くぜ、御岩神社!


前回、我々は下総国香取神宮で無事に今年の穢れをたっぷり祓って頂いた。そして次なる目的は、常陸国(茨城県日立市)で幸運を頂くべく、御岩神社を目指すのだった。

研究所の愛車・カナメイシ君のナビ様に「おいわじんじゃ」と入れ、ルートを検索。佐藤は一般道を選択すると、なんとその移動距離140キロであったw。

先ほど亀甲堂さんで、釜めし定食を頂いたのでエネルギーは満タンだ(車には関係ない💛)。

佐藤はルンルン気分でアクセルを踏み込んだ。


「・・・大将、くれぐれも安全運転でお願いしますよ」


とは、ひゃ〜参謀の言。

はいはい、遵法速度(佐藤基準だが)で行くからご安心をw、と軽やかに香取神宮の駐車場を後にした。

なんせ、御岩神社の交通安全守をカナメイシ君の内にぶら下げてからはまったくヒヤリハットすらないのだ。でもでも油断は禁物、「制服を着た〇ルメットの2人組」にはゆめゆめ注意しなければならないのだw。


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●さて、常陸国へと参りますか●



その後、文字通り国道を走りに走り走りに走り続けた。車内には、ひゃ〜参謀が持参したCDが懐かしの曲を奏でている。佐藤はそのリズムに合わせ、知っている曲は歌詞を口ずさみ、知らない曲は勝手に作詞して、ノリノリで移動した。

近所の山奥で〜、修行をしてぇぇぇ


なになに、歌詞が間違っているからおちおち寝るに寝れないってとは、ひゃ〜参謀
まぁまぁ、そう言わずに静かに寝ておれ(笑)。

こちら、茨城県内の国道である。周囲には田園風景が広がり、畑には大根の葉や、にんじんの葉が風に揺れている。

また、周囲の小山の木々は最後の力を振り絞り、紅葉した葉をしっかりつなぎ留め、我々の目を楽しませてくれた。

茨城の一般道はフリーウェイに近いせいか、信号機が少ないのと、周りの車が速やかに移動してくださることが重なり、思ったよりスピーディに移動できた。

一般道を移動していて頼りになるのが道の駅である。ちなみにひゃ〜参謀は道の駅のマグネットを集めており、事前にあちこち調べているのだ。

道中「道の駅・ひたちおおた」の文字を発見した。「あそこで一休みしませんか?」と聞くと、「よっても良いけどマグネットはないですぞ」とのこと。

まぁ、そうはいってもここら辺で休まないと、この先トイレ休憩ができないかも〜、ということで一休み。


【道の駅・ひたちおおた】
この道の駅は、2016年7月に茨城県内13番目に誕生したそうな。なんと水戸黄門さんの故郷だとか。

また、国土交通省より重点道の駅にも選定されており、地域の情報発信・交流拠点となっているらしい。


●道の駅・ひたちおおたで御岩神社のどら焼きを発見!●.jpg

●道の駅・ひたちおおたで御岩神社のどら焼きを発見!●



確かに、店内には、新鮮な野菜や加工品が並んでおり、この地域で取れた野菜が勢ぞろい。このまま帰宅できるのであればそれら新鮮野菜を購入したいところではあるが、我々がここで購入したのはおやつである。

ひゃ〜参謀は、魅惑的な餡が入った揚げパンを、佐藤はお豆がぎっしり詰まった豆大福をゲットした。すると、その店になんと御岩神社の神饌・どら焼きが売られていたのだ。

なんですと? 御岩神社ですと、それはぜひ手に入れねばなりますまいということで、


「御岩神社のどら焼きも2つ追加で!」


とこちらもめでたくゲットである。


●これが御岩神社の「神饌」のどら焼きだ●.jpg

●これが御岩神社の「神饌」のどら焼きだ●



こうして、お互いに食物プラスどら焼きを手に、再び車に乗り込んだ。やがて車は、市街地より山間部へ入っていく。

緩やかなカーブを曲がると、ナビ様が目的地は右に曲がり、後方に戻ります。お疲れ様でしたと案内を終了した。

そうそう、ここよ、ここよと佐藤は周囲を確認し、ハンドルを大きく右回転して、参道へ入り、めでたく車を駐車場へ入れた。気づけば、最初の到着予定より40分くらい短縮できた。


【御岩(おいわ)神社】
駐車場から、参道にもどるとそこに社務所がある。すでに陽は傾いており、参拝後にお札を購入できるか不安を覚えた。

佐藤は、「先にお札を交換しましょう」と提案し、ひゃ〜参謀を誘って社務所に向かい、社務所では目的の交通安全のお札をゲットした。


●御岩神社の本殿へ向かう●.jpg

●御岩神社の本殿へ向かう●


●こちらの神社にも立派な大杉が!●.jpg

●こちらの神社にも立派な大杉が!●


●だいぶまわりも暗くなってきた●.jpg

●だいぶまわりも暗くなってきた●



その後、鳥居をくぐり、左側にある祓戸社を参拝した。1年頑張って護ってくださったお札は、参道の途中にある納め場所に御礼を告げて納めた。

ここは何度も来ているが、知る人ぞ知る「日本一のパワースポット」(2019年12月現在)と評される神社である。まぁ寺社の好き嫌いは個人差があってもいいだろうが、戸隠神社(奥社)、榛名神社と並んで魅惑的な神社なのは確かであろう。


御岩神社のホームページに寄れば、創建の時期は不明だが、縄文晩期の祭祀遺跡の発掘や、日本最古の書の1つ『常陸國風土記』(721年)に


「浄らかな山かびれの高峰(御岩山の古称)に天つ神鎮まる」


と記されていることから、古代より信仰の聖地であったことが窺える。

御祭神は、国常立神・大国主神・伊邪那岐神・伊邪那美神。その他、大山祗神ほか20柱が御岩山総祭神188柱として祀られていた。みんななじみの神様ばかりだ。

中世には山岳信仰とともに神仏混淆の霊場となり、江戸時代に至っては水戸藩初代・徳川頼房公により出羽三山を勧請し、水戸藩の国峰と位置づけ、徳川光圀公(水戸黄門様)など藩主代々参拝を常例とする祈願所であったという。

まだ行ったことはないが、近くには水戸藩2代藩主・徳川光圀公の隠居所の西山荘もある。


●見えて来た本殿●.jpg

●見えて来た本殿●



ふむふむ。黄門様はともかく、佐藤が移動するところに国之常立神(国常立尊)の神様有りであるな。これはこの神様に呼ばれているとしか思えないw(ご都合主義💛)。

いやいや、高級神がいる神社は、呼ばれていない人はなかなか足を運べないという話もあるのだ。


さて、境内には小川が流れ、杉の木々が天に向かい枝を伸ばし、大地は緑色に苔むしておりその上に赤色のもみじが落ち日本庭園の風情を醸し出している。我々は玉砂利を踏みしめ、本殿を目指した。

御岩神社では、現在令和の大改修として、大日堂御造営と大日如来坐像の修復工事をしていた。我々は、途中工事の方々が、奏でる様々な音の中を案内板に沿って移動しながら、本殿に無事に着いた。

森に抱かれながら本殿まで行くと空気が凛と澄みわたり、周囲はおごそかな雰囲気に包まれる。我々は背筋を伸ばし、拝殿にて手を合わせた。

「おかげさまで、今年1年、大きな災いもなく無事に過ごすことができました。来年も無事に過ごせますように・・・・」


と深々と頭をたれ、祈念した。その後、途中で阿弥陀如来像を参拝。こちらでは無病息災をお願いした。なんせ、加齢に伴う体の痛みは少なからずあるのだ(泣)。


●たどり着いた本殿●.jpg

●たどり着いた本殿●




こうして、念願の御岩神社の参拝を無事に終え、佐藤は車に戻りさっそく新たな御札を駐車場で着けたのはいうまでもない。

さてさて、今回はここまで・・・・であるが、帰りにちょいと足を延ばして、竜神大吊橋も眺めて、渡ってみたw。いや〜、落ちたら死にますよこれ。


●竜神大吊橋の「龍神様」●.jpg

●竜神大吊橋の「龍神様」●


●いやいや凄い。死にますよ、落ちたらこれw●.jpg

●いやいや凄い。死にますよ、落ちたらこれw●


●バンジージャンプができるって・・・するかい!●.jpg

●バンジージャンプができるって・・・するかい!●


●竜神大吊橋は渡り切ったら戻ってくるのだ。ハハハ。橋じゃないんだ!●.jpg

●竜神大吊橋は渡り切ったら戻ってくるのだ。ハハハ。橋じゃないんだ!●



さてさて、皆様。気づけば、今年も残すところ後わずか。1日1日をお元気でお過ごしくださいませ!

(To Be Continued?)
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奮闘記・第1091回 見聞録/千葉県

●2019年● 千葉県成田市&香取市

久しぶりの聖地来訪

東関東自動車道で下総へゆくのだ!



さてさて、気づけば今年も残り少なくなりましたが皆様いかがお過ごしでしょうか?
佐藤は、相変わらず日々の出来事に負われる日々を過ごしております。

さて、そんな中で今回は千葉県に出向くこともあり、このチャンスを見過ごすわけにはいかないので、久しぶりにブログを更新することにした(笑)。

この日は、例によって研究所・ひゃ〜参謀を車に押し込んで、いざ東関自動車道にて目指すは、千葉県の神社である。

最初に向かったのは台方麻賀多(まかた)神社である。

研究所の迷車・カナメイシ君に「まがたじんじゃ」と入れると、佐倉と台方が出てきた。もちろん佐藤が選択したのは台方のほうである。


本日の天気予報は晴れであるが、高速道路から眺める景色は、雲が垂れ込め、どんよりとし、今にも雨が降りそうな気配であった。

「あれ〜! 晴れるんじゃなかったの?」

とつぶやくと、

「大丈夫晴れますよ」

とは、ひゃ〜参謀。このかた、無類の晴れ男なのだ。

そして、車が東関自動車道に入るころには、まさしく「太陽さん、聞き耳立ててたでしょう?」と突っ込みたくなるくらいに、なんと、雲間から真ん丸な太陽が「お待たせしました!」と言わんばかりに顔を出した。

そうなると、冬の陽射しは真上でではなく前から襲ってくる。もう、まぶしくてまぶしくて仕方がない。佐藤はおもむろにサングラスをかけた(893?)。

東関東自動車道は、成田を越えると3車線が2車線になる。佐藤はナビ様に導かれるままに富里で降りる。ゆるゆると市内を走り、やがて車は田園風景が続く道を走って行った。

そして、着いたのは、なんと船形麻賀多神社(のちに判明)であった。実は、台方の麻賀多神社は初めてではないのだが・・・。


=

●船形麻賀多神社(奥宮)●



ちょっと記憶にはない風景であった(ひゃ〜参謀は、ここは目的の神社と違うのでは?と言っていた)。

でも、ナビ様はここだといったから!といいつつ、駐車場を探した。近くには幼稚園があって、その駐車場有るが、神社の駐車場がわからん。

そこで、鳥居前の空き地へ置くことに。その後、幼稚園の第1駐車場が神社のものだと判明した。まぁ神社やお寺はやはり幼稚園を・・・ハハハ。

鳥居をくぐり中に入ると、右側に何やら小山のようなものがあった。それは伝 伊都許利命(イツコリノミコト)の墳墓であったのだ。

その時は、挨拶はあとでとスルーして奥へ向かった。

すると・・・・、なんと緋色の鳥居が傾いているではないか! 良く見れば、ロープが、鳥居に播かれ、それを近くの木に結びそれ以上倒れないように補強してあった。

もしかして、これは今年千葉を襲ったいくつかの台風の被害かもしれないなぁ。我々は、その鳥居をくぐり、拝殿にて参拝を無事に済ませましたが残念ながらおみくじはなかった。

その後、奥にあるはずの大杉を探した。実は台方の麻賀多神社にはパワースポットとされる大杉があり、周囲を一周できるようになっていたはずであったのだが。

すると、なんと、ここにも大杉はあるにはあったが・・・しかし、そこは枝木が放置されており整備されていない状態であった。

この時点で佐藤は、まだ場所を間違えているという気はない(笑)。

これまた、台風のせいでこうなったんだと思い、そのまま杉の木を1周した。それにしては境内がボロボロになった感があったのだ。もちろん、目的の台方麻賀多神社と比べてではあるが。

「あんなに整備されていた境内がこんなにボロボロになってしまうのか・・・(あくまでも台方と比べてである。ハイ)」

まさに台風の脅威に対し、驚愕した。しかし、だんだん目指していた麻賀多神社ではないかもという思いも強くなってきた(遅い)。

なにしろ、この近辺だけ、麻賀多神社は、印旛郡市の台方、成田市1社、佐倉市11社、酒々井町2社、富里市2社、八千代市1社と、印旛沼の東側から南にかけてにだけ存在する神社であるが18社くらいあるのだ。

もしかしたら、麻賀多神社でも、違う麻賀多神社かも知れないということになった(早く気づけよ)。

そしてさきほどの小山の側にあった案内板をみると、そこが伊都許利命の墳墓(つまり船形奥宮)であることが判明した(笑)。

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●奥宮の伊都許利命の墳墓●



案内板によれば、この墳墓は「先代旧事本記」の中の「国造本記」に見える“伝 印波国造伊都許利命の墳墓”となっている。

伝と付くのは、応神天皇(当時は大王)が実在するとしても、4世紀後半の大王であるが、この墳墓(公津原39号墳)は、7世紀になってからの築造と考えられ、伊都許利命の墳墓としては年代が合わないからだ。ゆえに「伝」と称されている。

まぁ厳密に在位年代を出すのは不可能であろう。それにそこを深く考える必要はあまり感じないし。「考古学」とはまた別のものなのだ。でなければ、他の宗教も、例えば聖書なども語ることが難しくなるだろう。恐竜の存在はイエス様より前なんだからさ・・・。

伊都許利命とは、神武天皇の皇子・神八井命(多氏の祖)の8代目の御孫で、応神天皇の命を受けて、印旛国造としてこの地方を平定され、産業の指導などに多くの功績を残したとあった。「麻」とは「房」(ふさ)であり、麻(あさ)や大麻(たいま)である。房総半島は麻の一大名産地であったのだ。

なるほど! ということで、我々は、墳墓の中に祭られている場所で手を合わせた。まぁ、もともと伊都許利命の墳墓にも挨拶する予定ではあったのだが、まさか別の神社の境内にあるとは思わなんだ。

「伊都許利命が“先に寄っていけ”って言われたんだよ。“起きたことに偶然なし”だからね」

とは、ひゃ〜参謀

●麻賀多神社船形奥宮の境内●.jpg

●麻賀多神社船形奥宮の境内●



車に戻り、再度台方の麻賀多神社を再検索。有りましたよ、有りました(当たり前である)。ここから1キロちょっとのところに目指す台方麻賀多神社があった。さてさて、不思議な気分をのまま、本来最初に目指し、麻賀多神社に着いた。こちらは神社脇にも駐車場がある。


先ほど通った道を反対から眺めると、なんと、その山自体がまさしく墳墓の形をしているではありませんか。やはり、神様がこちらにもいるか
ご祭神は船形奥宮が稚日女尊(ワカヒルメノミコト)で、天岩戸伝説の発端となる事件の被害神(?)である。

こちらの神社が本宮が稚産霊尊(ワカムスビノミコト)で、伊勢の外宮の祭神・豊受大御神(トヨウケノオオミカミ)の母神であり、鹿島神宮・香取神宮の姉神でもある。ここが両神宮を結んでいるとも言われている。

●こちらが台方麻賀多神社●.jpg

●こちらが台方麻賀多神社●



さっそく鳥居をくぐり中に入る。そして手水舎で清め。拝殿へ。こちらは落ち葉が掃き清められてすでに朝の掃除が済んでいた。

拝殿では、今年1年が無事に過ごせたことのお礼をお伝えし、来年も元気で過ごせるようにお願いした。その後、後方にある大杉へ。

●台方麻賀多神社の本殿●.jpg

●台方麻賀多神社の本殿●


●台方麻賀多神社の東日本一の大杉●.jpg

●台方麻賀多神社の東日本一の大杉●



こちらの大杉は、周囲をまわれるように足場もしっかりしていた。佐藤は無病息災を願い、大杉さんからパワーを頂いた。

もちろん、「日月神示」(ひつきしんじ)が降ろされた場所として知られる天日津久神社も参拝。ここはご神名は不明とされるが、われわれになじみの深い、マニアの中では国常立尊(クニトコタチノミコト)と呼ばれる高級神霊とされている。

その後は恒例のおみくじタイム。うっ! 結果は末吉。まだまだ時期尚早らしい、ハイ。ちなみにひゃ〜参謀大吉であった。どうやら良きことがあるようですな、ハハハ。

●境内社の天日津久神社、何か降りてくるかも●.jpg

●境内社の天日津久神社、何か降りてくるかも●



ささ、次を目指そう。次は香取神宮にて、1年の厄を払う大祓いの茅の輪をくぐらんとな! 

どーんと香取神宮に着いた。ここは本来「鏡」、鹿島神宮が「剣」、麻賀多神社が「勾玉」。そう、東国の「三種の神器」を象徴になっているものとも言われている。

主祭神の経津主大神(フツヌシオオカミ)は、真経津鏡(まふつのかがみ)に由来する。八咫鏡(やたのかがみ)の別名とも言われ、上代の長さ・大きさの尺度の1つで、親指と中指とを広げた長さの八倍の長さ、非常に大きいことを表している言葉だ。

また、韴靈(ふつのみたま)の剣とひっかけ、フツは剣を振ると出る音のことで、何かを切る音とも。「フツ」は刀剣の神の名前というが、そもそもそれがおかしい。

熱田神宮にしろ、石上神宮にしろ、誰かの持ち物を神格化するのがおかしいのだ。ふつう、その場合は持ち主の名前で祭るだろう。だから神様の名前で祭らないのはその名前を「書きたくない」のだ。

太古の経津主大神の神格を下げたい勢力の仕業であろうな。古代、房(ふさ)の国では、畿内とは関係なく、関東では香取神宮の神様が中心であったが、畿内勢力に随分とぼやかされてしまった感がある。

さて、天気は神社にいる時は晴れ、外にいる時は曇りという、変わった天気のままである。駐車場に車を置き、境内から坂道を登り、奥宮からまわった。

奥宮の入り口にも手水舎なるものができて居たが、どうも使いにくい(流水じゃないとね・・・)。

さらに鳥居の前に奥宮対策の御朱印所もできかけていた。とうとう御朱印ブームもここまできたかという感がある。

香取神宮奥宮をまわり、押手社要石にも挨拶。その他の摂末社に挨拶して、本殿にゆく、楼門をくぐると大祓の茅の輪くぐりがたけなわであった。

●香取神宮境内社もまわる●.jpg

●香取神宮境内社もまわる●



●香取神宮の要石、こちらは凸型である●.jpg

●香取神宮の要石、こちらは凸型である●



●香取神宮に設置された茅の輪くぐり●.jpg

●香取神宮に設置された茅の輪くぐり●



まず社務所で初穂料500円を納め、形代(かたしろ)茅の輪守りを分けて頂く。その形代に名前と住所を書き、息を吹きかけるのだ。それを奉納してから、左にまわって、右にまわり、また左にまわって・・・・と恒例の人気イベントである。


ひとしきりガンガン陽の照る久しぶりの香取神宮を満喫した。さぁおみくじは・・・まぁ・・・何でしたね(笑)。お昼には門前の亀甲堂で釜めしセットを頂いた。ここも錆びれがちの門前通りであるが、ここは元気に頑張って居るお店1つである。店内ではおなじみの店のマスコット・九官鳥のキューちゃんも元気であった。

店員さんたちは、なんとその「キューちゃんTシャツ」を着て、動き廻って居たのだ。いや〜メニューに増えた釜めしも絶品であった。味噌汁もいい。

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●香取神宮門前の亀甲堂さん●



このお店もだんだんとバージョンアップしている。負けずに佐藤もバージョンアップしていかないとなぁw。

さてさて、さらに常陸国の奥座敷の位置にある某神社も目的としている。次回は・・・かもしれませんw。またお会いしましょう。ではまた!



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●お店のマスコット・キューちゃん●



(To Be Continued?)
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