キングあかべえと再会!
〜鶴ヶ城と猪苗代湖は素晴らしかった〜
やれやれ、ブログがなかなかアップできん。やっと昨年の福島県の話まで来れた。
いつものごとく郡山駅にある駅レンタカーで車を借りる。郡山の駅レンタでは、会津名物「キングあかべえ」のぬいぐるみをサービスで貸してくれる。会津の○ジグランドホテルなどは、キングあかべえが部屋で出迎えてくれるサービスがあるそうだ。客室担当(笑)だともいう。そりゃドキドキするわいな(笑)。
佐藤は、この日もロッカー上に鎮座している4匹の仲間の中から同行者を選択。選ばれたのは、他の者の後方に小さく鎮座しているやや引っ込み思案の子であった。「あの子をお願いします」と所望した。ひひひ。
係の方は笑いながら「どうぞどうぞ」と、手を伸ばし、「寒いから嫌だよ」とつぶやくあかべえをロッカーの上からおろし、「良い子でお供するのだよ」と佐藤に渡してくれた。
●キングあかべえが同行●
キングあかべえをサイドに乗せ、磐梯山の麓にある、磐椅神社をめざした。
昨年の冬は、早い時期から雪が降ったそうな。磐越道を走りながら、途中から雪に妨害されるのではないかと気が気ではなかった。その心配事は磐梯山に神づまる、磐長姫神・植山姫神が払拭してくれた。どうやら雪を追い払ってくれたようである。
●磐椅神社を参拝●
土津神社の前にある空間に車を置き、磐椅神社へ続く細道へ向かった。なんせ、神社へと津続く道は、小川に沿って走り、雪が溜まっていたら、何が起こるかわからない。バックで戻らないとイカンかも知れんからね。
舗装されていないその道には、ところどころに、水たまりがあり、白く凍っていた。佐藤は子供のようにはしゃいで、その氷を足で踏みつけパリパリと音をたてながら進んでいった。ようやく神社の前に着いたのであった。ふう、雪がないのなら車で来ても良かったぞって、誰?
手水舎にて、手と口をゆすいで、鳥居をくぐり、境内へ入った。社務所は案の定留守であった。少し雰囲気が変わっていた。怪しげ(?)な幟(のぼり)と枯れた木が取り払われていたのだ。
しずしずと拝殿前に進み、参拝。手を合わせていると静寂の中、ときおり、鳥のさえずりと風が過ぎ去った。佐藤の後方からは日が差し、背中がぽかぽかする。どうやら神様は、これから訪れる冬将軍の前にしばし、日向ぼっこをしているようであった。
佐藤は清々しくなった神社に頭を下げ、お社を守る大杉君達に「また来ます!」と手を振り、神社を後にした。その後、佐藤は近くの猪苗代地ビール館に入った。こちらは、国際ビール大賞を毎年受賞している4種の地ビールと一緒に食事ができるレストランがある。
昼には少々早いがここで食事をとることにした。2階にあるレストランは、磐梯山側の面が全面ガラスで仕切られ、晴れていれば磐梯山の勇姿を観ることが出来る。うん、出来た。
佐藤は、真正面に磐梯山を望めるカウンター式のテーブルに陣取った。まぁ、本来は“ビール”といきたいところだが……、車だけんね。ダメ、絶対!
●料理もまぁまぁです●
こうして、気分を良く再び猪苗代湖へ引き返した。猪苗代湖畔には、今までなんども来ているが、いつも見るのは磐梯山側から、それ以外は見たことがない。
だから、猪苗代湖と言えば、ここでM78星雲の宇宙人が宇宙船で科学特捜隊のハヤタ隊員にぶつかって死なせてしまい、初代・ウルトラマンとなってベムラーと闘った湖という認識(?)しかなかった。そう、円谷英二さんは福島県出身であった。
そこで対岸にある舟津公園に行ってみることにした。だんだんと寂しくなる道を進み、松の古木に囲まれた静寂の地に車を止めた。
ここは、猪苗代湖の南岸に位置し、磐梯山や、谷川岳を一望できる。そこは、どうやら、キャンプ地のようだ。夏はキャンプで賑やかだとも聞く(ウルトラマンでもキャンプ場で出てきた)。
車を降り、猪苗代湖畔の波打ち際に行ってみた。すると、遙か遠くには、雪を頂いた谷川岳の全容を観ることが出来た。山は湖面にもその姿を写していたのである!
みれば、白鳥も浮いている。佐藤は、その風景には、言葉も失い、魅入ってしまった。夏場は、子ども達がはしゃぎ、若人が集うことであろうが、今は静か。風の音しか聞こえない。
年寄りには若人の熱気も、時にはエネルギーになるのだが、このような静寂もまた楽しいモノである。自然が醸し出す不思議なエネルギーを全身に蓄え、湖に深々と頭をさげ、車に戻ったのであった。
●舟津公園から見る絶景●
●磐梯山は健在なり●
●ここから谷川岳が見えるとは!●
さてさて、キングあかべえと鶴ヶ城を目指そう。この鶴ヶ城は会津若松市のシンボルである。このお城は数多くの戦国大名が治め、幕末戊辰の舞台となったことでも有名である。現在は、本丸を「鶴ヶ城博物館」として貴重な資料を展示公開している。
鶴ヶ城では平成22年から黒瓦だった天守の屋根瓦を、明治時代に解体された時より前の赤瓦葺に復元する工事が行われていた。さて、見に来ようと思ったら、3月にああいう震災が起きてしまったのだ。
あかべえを抱き、場内を進むとお城の石垣に、会津ゆかりの新島八重を主人公としたNHK大河ドラマ『八重の桜』放送決定と掲げられた大きな看板が現れた。そこに描かれた鶴ヶ城は神々しく光り輝いていたのであった。
ちなみに、新島八重とは、会津藩の砲術師範であった、山本権八の娘で、同志社大学の創始者・新島 襄(にいじま・じょう)の奥様である。
戊辰戦争の時には、女ながらも、断髪・男装して、家芸であった砲術を以て奉仕し、自らもスペンサー銃を持って奮戦し、幕末のジャンヌダルクと呼ばれている人物である。
大河ドラマは、今年の夏にクランクインし、来年から放映される予定である。以前、群馬県安中市にある新島 襄に出没し、彼女の存在を知っていた(奮闘記・第606回)。
新島襄宅で、戊辰戦争での彼女の活躍が紹介されていた。しかも、解説の方が、また熱が入っていて身振り手振りで八重さんお活躍を語ってくれた。綾瀬はるかさんが演じる『八重の桜』の放映が楽しみである。
●NHK大河ドラマの予告●
●まるで八重さん気分●
色を塗り直した鶴ヶ城にやっと来れた。せっかくお化粧直しをして、みんなに見てもらおうと待ってたのに、ほんと可哀想だったね。東京電力はろくなことをしない。
あの時のバカ社長は、あちこちで必要な費用を切って経費節減と称して“コスト・カッター”などと言われていい気になっていた男だからな。日本が続く限り、「最悪の男」として記憶されなければいけない。まぁ、歴代東電の社長は全部同罪であるが。
さてさて、城の中では、会津藩の活躍から、白虎隊の運命など、書物や、パネル、甲冑などを展示して紹介している。佐藤はいつものごとく、木刀を振りまわしたり、鉄砲を打ちならす真似をして楽しんだ。
天守閣からは、葺き替えられた赤瓦が太陽の光を反射して、光り輝いていた。佐藤はしばし会津の景色をながめ、やがて売店まで降りてきたのであった。
なんと、そこには武士のいでたちの若者がいた。
「血迷ったか? 佐藤は薩長ではないぞ。しかも一応女性だぞ。武士ではない!」
、
いやいや、ただの観光サービスであった(笑)。なら写真を撮らねばもったいない。
「あの〜、記念写真をお願いできますか?」
「いいですよ。こちらへどうぞ」
とドアを開け、鶴ヶ城が写る場所へ移動し、佐藤を誘ってくれたのだ(素晴らしい!)。さすがは、什の掟の会津だ。できんものはできんが、できることはできるのだ(笑)。有り難う!
●鶴ヶ城の天守閣、会津はいつも渦中にあるのか?●
●会津の若武者と記念写真●
ふう。
佐藤も、福島県の復興を願うものであるが、佐藤が生存している間は無理だろう。これもやはりできんものはできんのだ。
ただ、時間は黙っていても黙々と経っていく。
英国が「永久」という意味で清国から、契約と言う形で領土を簒奪した「香港の99年租借」もその時を迎え、すでに中国の元に返ってきた。広島県も長崎県も原爆を落とされたが、その傷跡は良くも悪くも消えつつある。永遠というものは“ない”のかも知れない。それでもフクシマの悲劇は永久に風化させてはいけないものだ。
今は福島県も黙々と原発を廃炉にし、被災地を整備し続け、「その時」を待たねばならないだろう。原発はまだまだ油断できないのだ。我々はこれ以外にも多くの原発が存在し、たとえ廃炉にしても、チィエルノブイリ同様、一生保管・管理していかなければならない。
安全にかかる費用や社会保障費を“コスト・カット”するようなバカな国は滅ぶしかない。我々は電力会社のお偉方や、政治家に良い暮らしをさせるために生きているのではないぞ。外国のようなテロや暴動が慢性化してからでは遅いのだ。
見た目には、いまも美しい磐梯山や谷川岳を見ていて、つくづくそう考えた。
追伸
今、島根県で研修中。島根県民の歌『薄紫の山脈』を作曲したのは福島県出身の古関裕而(こせき・ゆうじ)先生である。昭和26年のサンフランシスコ講和条約を記念してつくられたそうな。他県の県歌だが雄大で魅力的な歌である。こういう歌が県歌であるのは羨ましい限りだ。
●古関先生、寒空で頑張っていらっしゃいます(笑)●
(2012年度の介護報酬改定が発表された。介護度が高い重度者でも自宅で療養対策に定額の24時間対応の訪問介護サービスを新設されたが、「ほんとうの重度者」なら、施設のようないつでも対応できる場所にいなければ自宅で死ぬ者が増えるだけですぜ。役人の給与も削る気がなく、増税一本槍の野田総理と官僚達にはなにも任せることはできませんな!To Be Continued!!)

