2019年07月13日

奮闘記・第1086回 研修会のツボ/東京都

●2019年● 東京都千代田区

公益財団法人 社会福祉振興・試験センター

2019年度 社会福祉法人等が経営する社会福祉施設・事業所職員向け合宿研修会
4日目「対人援助技術・介護記録の書き方トレーニング」
【第1部】



今回の研修の主催者は、なんと、あの介護福祉士や社会福祉士や介護支援専門員の試験を掌っている法人(社会福祉振興・試験センターさん)であった。はじめメールを見たときには、「おや?自分の資格に何か問題でも?」と考えてしまったwww

メールを開いてみれば、なんということはない、研修講師の相談で有った(当たり前だ)。依頼文には、佐藤を紹介してくださった方の名前まで添えられていた。

それが、元介護保険指導室長にして、現NPO地域ケア政策ネットワークで活躍されている大物・氏であった。氏とは数度お仕事をさせて頂いたが、とても気さくで、話の随所にクレバーさを感じられるお人柄であった。

こうして佐藤のことを案内して頂いたとなれば、断る理由はない。実施日は1年も先のことであったため、日程は空いている(皆様もお待ちしております💛)。

さて、月日が流れ(笑)、研修当日。

あの九州豪雨の最終日、その前線が東京にも大雨を降らせる予想が出ている日であった。佐藤は、いつものように研究所のひゃ〜参謀を従え、朝の地下鉄南北線でうにうに激混みの永田町を目指した。

ところがこの朝のラッシュ時の地下鉄は、それはそれはすさまじく、ハンパなかった。なんせ、傘を持っている手と荷物を持っている手を持ち変えることはもちろん、体を動かすことすらままならない。

その上に、何でも前後の列車の時間間隔の調整を行うとやらで、各駅で少々駐車するのだからたまらない。しかも、駒込でも後楽園でも降りる人は少なく、その上に更に入って来る人がいるのだからたまらない。

目的地の永田町駅で車内から飛び出したときには、すでに息も絶え絶えであった、ハイ。

疲れた。近くで帰ろうかな・・・というつぶやきを聞きながら、佐藤は気分を切り替え、地上に出て、事務局の若き好漢・S氏が送ってくださった地図を頼りに会場を目指した。会場はホテルルポール麹町である。


「あっ、あった、ホントにあった。ここだね!」


と会場を確認しつつ、素通りした(笑)。

実は、ひゃ〜参謀のいい加減な調査によると、ご近所に平河天満宮があると言う。ご存知のように、我々は「神社検定参級」保持者、会場近くに神社があると知ったら、寄らないわけにはいかない。そこで、平河八幡宮へ立ち寄ったのだ。

雨に煙る神社の境内は非常に厳かで、趣がある。ここはかの早すぎた鬼才・高野長英先生の日本初の蘭学塾が近くにあったり、ヘレン・ケラーが慕ったという、いやそれがなくても天才国学者である塙保己一(はなわ・ほきいち)先生が大願をかけた神社である。


●雨の平河天満宮を参拝●.jpg

●雨の平河天満宮を参拝●



雨の中を我々の他にも参拝客がいた。我々は、はじめてここに参拝させて頂いたお礼を伝えつつ、本日の仕事の無事を願うのであった。参拝後はおみくじタイム。佐藤は末吉だが、ひゃ〜参謀大吉であった。ふふふ、お後がよろしいようで。


さて会場へ行くのだ!

会場はホテルの2階。豪華なシャンデリアが光り輝いている。早速、出迎えてくださった若き好漢・氏とあいさつ。事務手続きや、資料の確認をした後、会場に入った。


●いざ研修会場へ!●.jpg

●いざ研修会場へ!●



会場には参加者が席につき始めているところである。

参加されている方について、簡単にご案内しょう。実はセンターでは、受講するにあたっての条件を定めており、その条件をクリアした人々が、この会場に集っているのである。

その条件はいくつかあるが、かいつまんで案内すると、

『公益的な活動を実施し地域貢献に取り組んでいる、または公益的な活動を計画し地域貢献に取り組むことを予定している社会福祉法人等が経営する介護報酬指定施設・事業所で働く生活相談員・介護職員・介助員・介護支援専門員等』
『介護業務の経験が通算して3年以上でかつ本研修受講後も引き続き当該施設や事業書に勤務する意志を有する者』
『本研修会に参加経験のない者で、研修開催機関において研修会場の宿泊施設に宿泊できる者』


としているのだ。

事務局のS氏曰く、「今回の参加者は3年目から上は20年を越える方が参加しています」とのこと。すなわち、経験豊富な方が揃っているということでもある(佐藤は、この経験豊富な参加者の協力を得られたことで、研修を無事に終了することができた)。

■研修会で行ったこと
研修は、2部構成であり、第1部は対人援助技術についてで、第2部は介護記録の書き方である。

(1)自己理解・他者理解
(2)自分のパーソナリティを知り、他者と関わる傾向に気づく
(3)介護記録には何を書くのか
(4)事例を把握し、介護記録に挑戦する

まずは佐藤本人の自己紹介。そして、対人援助の研修にはつきものの、「これなんだ?」さんが登場。佐藤は、その品物が「何に見えるか?」を皆さんに問いかける。すると、私が掲げたもののイラストを描いている方を発見。佐藤は、その方にお願いしてホワイトボードにその絵を描いて頂いた。これがなかなかの名人芸。

佐藤は会場をまわり、皆さんが書いた「何に見えるか?」を確認していく。亀・つちのこ・恐竜・色は薄茶色・ベージュ・肌色などなど、相変わらず多彩である。

そう、同じものを見ていても、1人ひとり、とらえ方、見え方、表現の仕方は違うのである。人は自分と同じ考え(価値観)の集団にいると落ち着く。

しかし違う考えといると落ち着かなくなる。そこで、異なる価値観の相手とは、はじめてコミュニケーションを試み、共通点(あるいは非共通点)を探し始めるのだ。

「なんで、亀に見えたの?」「なぜ、薄茶色なの?」「どこをみて恐竜と思ったの?」などなど。そう、対人援助の始まりは、他者の存在や言動に興味を示すことから始まる。その後、佐藤が「これなんだ?」さんの正体を明かし、次へ進む(「これなんだ?」さんは実は最後にも登場するのですよ・・・)。


●参加者と語り合う●.jpg

●参加者と語り合う●



次は、グループ内で自己紹介を行って頂く。

自己紹介は1分間スピーチで行う。1グループ6名・最後のグループのみ7名で有った。今回のお題は「この研修に参加してみてどうであったか」

佐藤は、豚さんのタイマーを片手に、グループ内を移動してはとどまり、話している内容に耳を傾ける。

すると、初めて東京に来たので不安だったけど、皆さんと知り合えて良かった。仕事を離れての座りっぱなしの研修はきつい(笑)。先生達からいろいろ教えてもらって良かった。帰ってからの報告が大変、などなど。ここでも多彩で、いろいろな思いを聞くことができた。

さてさて、グループ内が和んだところで、本題へ入る。


●環境を気遣う事務局のS氏●.jpg

●環境を気遣う事務局のS氏●



■第1部
1.自己理解・他者理解
@自己理解
皆さんに5分差し上げ、「自分はどのような人間なのか」を思い描き、その自分のイメージを箇条書きで書き出して頂く。次に自分書いた自分に○×△を用いて評価をして、×がどちらが多いのか挙手して頂く。

今回のメンバーは、圧倒的にの方が多いと答えていた。×の方が多かった方は数人派で有った。佐藤は×を書いた方に、その中で10個以上の自分をかけた方がいたかどうかをたずねると、手をあげた方はいなかった(ホッ!)。

なぜならば、自分のマイナスな部分にばかり意識が行くと、それを表現する言葉が思いつかなくなってくる。これはまぁ当然であろう。

逆にの多かった方は、サクサクサクサク書き進め、3分くらいで10個以上かけてしまうのだ。

そこで、対人援助をする方は、自分の良いところ探しをするようにやる。さらに自分に厳しい方は、他者にも厳しくなる傾向があるので、他者と関わるときには、プラス思考でふるまうように伝えた。

A他者理解
ここでは、皆さんに2人1組になって頂き、語り合って頂いた。佐藤は、「会場内」であれば、誰でもどこでも構わない。相手を探しペアを作って欲しいと伝えたのだが、皆さん省エネタイプの方が多かったようで動きがない。中にはせっかくだから他の方と話したいと席を立った方もいるにはいたが、結局、他のグループメンバーの相手を探すことはできなかったようだ。残念!

ここでは、参加者数か奇数だったので、事務局のS氏の協力を得た。ここでの語り合うテーマは「幼かった頃の楽しい思い出」である(定番ですな)。

佐藤は豚さんタイマーのスイッチを入れ、皆さんの語り合いを傍観してみた。

すると、皆さんはすぐに自己開示状態となり、賑やかに語りはじめたではないか。そして、ときに非言語的コミュニケーションであるボディランゲージを駆使し、語りを深めている。さすがにベテラン集団だけはある。ちなみに、初対面の場合や新任職員の場合は、なかなかこうはいかない。最低でも15分は必要なのだが・・・、まぁね。

佐藤は8分間で語り合いを終了。皆さんに話し合った相手についてのイメージを「あなたはこのように見えました」シートに書いて頂いた。

そして、今書いた言葉を相手に言葉として伝え、言われた方は「ありがとう」と素直に受け取るように伝え、実践した。

すると、どうだろう? 会場は熱い空気に包まれて、すべての参加者が笑顔になっていた。他者と交流したのであれば、このように笑顔になるのが1番なのだ。実は、この幼かった頃の思いでは次の交流分析にも通じていくのだ。

【自己理解と他者理解の解説】
人は、他者と関わるとき(仕事でも)自分が捉えているマイナスの部分は、なるべく他者からはそのように見られないように(気づかれないように)振る舞っているのだ。

つまり、他者は自分の表面に現れている部分を中心に見て(話したり、関わり合って)、あなたという人物はこのような人物であると捉えている。

でも、人はこういう自分のやり方に対して、自分でやっているのにも関わらず、根っこの部分では少なからず「否定的な部分」を持つものでもあり、他者の評価をやすやすと「ありがとう」と自身では素直に受け取ることができないのだ。

でももう、すでにその負の部分を表面に出さずに振る舞えているので有れば、その負の部分は過去の扉に仕舞って置き、今他者から見られている自分もまた、現在の自分であると認めること。それが人間的成長であろう、などなどと説いた。

2.自分のパーソナリティを知り、他者と関わる傾向に気づく
ここでは、(株)ヒューマンスキル開発センターが開発した「エゴグラム」「ストロークプロフィールチェックリスト」を使用して、自分のパーソナリティと他者と関わる傾向性に気づいて頂いた。ここでも、参加者のスキルがさえ、グラフ作成がスムーズに行え、だいぶ時間が短縮でき、十分な解説を行うことができたのだ。

交流分析とは、誰との交流を指すのだろうか。それは自分を育んでくれた親及び地域の人々、さらには文化や伝統などである。

我々は幼かった頃に身につけた文化や伝統、あるいは親からの言葉や関わり合いによって、その人らしさを作り上げて来た。だから、「あんな親にはなりたくない」と思っていた自分がいざ親になると、いつの間にか自身が「あんな親」になっているなんてことがしばしばある(笑)。

その自分らしさは、ときに他者と関わるときの弊害になることもある。その弊害は相手に向けられたり、自分自身に向けられたりする。

だから、対人援助をする人は、よくよく自分を知った上で、対人援助を行うときには、自分の素敵な価値観はいったん箱の中に仕舞い、援助を必要とするその人の価値観や考えに沿った援助を行う必要がある。これは在宅介護を生業(なりわい)とする訪問系支援者には理解できる言葉だと思う。

ただし、施設ではこうはいかない。施設内ですでに「こうあるべきだ」「こうしなければいけない」などの制約があるし、なかなか個別の利用者本位の支援が提供できないいいわけが常態化している所もあるだろう。

そこで、介護職の中には「こんなはずではない」「こうしてあげたい」などの気持ちがわき上がって来ることもしばしば。しかし、それは一朝一夕に「なんとかする」ことは無理である。であるならば、自分の理想とする施設となるように、中長期的な計画を立てて変革していくことこそが重要であろう。

まぁ研修では、ここまでは伝えることはできませんけどね・・・。


●発表を聞く佐藤●.jpg

●発表を聞く佐藤●



佐藤はテキストを用いて、それぞれのパーソナリティの説明や、ストロークディスカウントについての説明した。ふう。ここまでで第1部の研修報告はおしまいである。

長くなったし、原稿を書いてるのが新潟県の研修中でもあったこともあり(笑)、第2部は、次の機会に回させて頂く。さてさて、東京は今日もまた雨。皆様くれぐれも体調にご注意ください



●他者と語り合う●.jpg

●他者と語り合う●


(To Be Continued!)
posted by さとうはあまい at 20:14| 東京 ☀| Comment(0) | 研修会のツボ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年06月29日

奮闘記・第1085回 研修会のツボ/東京都

●2019年● 東京都世田谷区

世田谷区福祉人材育成・研修センター

2019年度 サービス提供責任者研修
「自立支援につながる訪問介護計画書」



いやいや寒いんだか、暑いんだか。皆さまお久しぶりです💛

さて、今年度も、世田谷区社会福祉事業団 世田谷区福祉人材育成・研修センターさんより、佐藤に世田谷区で働く訪問介護事業所のサービス提供責任者向け研修依頼を頂いた。

この日の天気予報はあいにく1日雨。梅雨のさなかにご丁寧に北から低気圧が南下してくるために気温が21℃くらいしか上がらないというのだ。21℃!ハハハ。

この前まで30℃を超えて厳しい暑さになるという日も少なからずあったのに、今度は一気に気温が下降するというのだから、全くもって着るものの調整に困ってしまうなぁ、ブツブツブツ。

とにかく、佐藤は、研究所員のひゃ〜参謀と新宿駅で待ち合わせ、小田急線で成城学園前を目指した。この日はラッシュアワーを避けるため、時間にゆとりを持って出て来たのだ。

そこで、我々は、各駅停車でのんびり座って行くことにした。ところが、なんと電車の座席が硬くて、腰痛持ちの我々には座っていても腰に痛みが走るという厳しい道中となってしまった(笑)。小田急おそるべし。その後、常連のカフェにて態勢を立て直してから、会場に入った。


●成城学園前駅のFORESTY CAFEにて朝食を頂く●JPG.jpg

●成城学園前駅のFORESTY CAFEにて朝食を頂く●



入口では、旧知の中村さんが笑顔で迎えてくれる。早速控え室にて事務手続きなどを行いながら、世田谷での現状把握を試みた。

すると、中村さんが開口一番、

「サービス提供責任者の方はなかなか参加していただけないんですよね。それに引き換え介護支援専門員研修は、すぐにいっぱいになるんですよ」

とのこと。

なぜ、介護支援専門員向け研修がすぐにいっぱいになるかというと、先の町田市の介護支援専門員の方々同様、介護支援専門員が、東京都の主任介護支援専門員研修を受講するためには、世田谷区より推薦を受ける必要があるためだ。

そこで介護支援専門員は、世田谷区が示す推薦要件にあてはまるように、積極的にせっせとスキルアップ(実績)を蓄えているわけだ。なお、世田谷区では、推薦要件が整ってれば、町田市のような、独自のテストや論文を書くことはないらしい。

最も、定員オーバーの場合は先着順となるらしいがwww・・・。業界でいうところの「スタンプラリー」方式であるな。

ひゃ〜参謀:「そういう方式(スタンプラリー)の方が(いらない人数を)減らしやすいからいいんじゃないの?論文なんか出させてたら、いきなり退場なんてさせにくいし。それにもうすぐケアマネさんが自分で集金しろってことになるから、けっこうやめてくんじゃないんですか?」

佐藤「」
(・・・・忘れてください。)


それはともかく、このような研修は各市区町村で行われており、何処の介護支援専門員も一様に

「介護支援専門員になっても、利用者の支援のスケジュールと、自分の法定研修のスケジュールを管理しないといけないので、なかなか大変ですよ」

とこぼされていた。佐藤も、そうだろうなぁと思う。これから生き残る介護支援専門員の皆さんは、より良き、主任となるように励んで頂きたいものである。

話を戻す。

まずは、この研修の目的から。

目的「一人ひとりに合った、自立支援に繋がるサービス提供を行うため、訪問介護計画書がとても重要になります。この研修では、訪問介護計画書の作成について基本から学びます。日々業務を振り返りながら、本人らしい自立した暮らしを支える訪問介護計画書について考えましょう。」である。


●開会を伝える中村さん●JPG.jpg

●開会を伝える中村さん●



■研修で行ったこと
(1)訪問介護計画書の重要性(老計第10号をふまえて)
(2)訪問介護計画書の作成手順
(3)各手順について/ICFを活かした情報把握(アセスメント)・生活課題の特定など


まずは、恒例の自己紹介から。
佐藤が、介護職として働いた時代の話しを皆さんに伝えましたが、年号が変わっただけで、説明している自分自身が、自分が働いていた時代がずいぶん遠くにいってしまったなぁという実感がわいてくる。

佐藤の自己紹介の後は、恒例のグループ内で自己紹介である。自己紹介では、1分間の間に、自分の職場の良い所をアピールして頂いた。


●自己紹介は1分間スピ−チである●.jpg

●自己紹介は1分間スピ−チである●



●グループで語り合う●.jpg

●グループで語り合う●



1.訪問介護計画書の重要性(老計第10号をふまえて)
そもそも、訪問介護の介護報酬は「指定居宅サービスに要する費用の額の算定に関する基準(以下略)」(平成12年3月1日付厚生省老人保健福祉局企画課長通知)において、その具体的な取扱いを示した。その上で、さらに、平成12年3月17日老計第10号に、訪問介護におけるサービス行為ごとの区分及び個々のサービス行為の一連の流れを例示したものである。

それが、平成30年度介護報酬改定において、身体介護における「自立生活支援のための見守り的援助」の明確化を行うため、「訪問介護におけるサービス行為ごとの区分等について」(平成12年3月17日老計第10 号)の見直しを行ったのである。

その結果、「自立生活支援のための見守り的援助」は、『自立生活支援・重度化防止のための見守り的援助(自立支援、ADL・IADL・QOL向上の観点から安全を確保しつつ常時介助できる状態で行う見守り等)』とされ、明確化された項目は、17項目にも及んでいる。

ここで、佐藤は早くも参加者に演習をして頂いた。それは、自分の家でした洗濯物を自分の家でいつもしているように干して頂くというもの。

もちろん、実際に干すのではなく、ノートに手順を書くのである。時間は5分。佐藤は、演習ノートにあらかじめ、「@洗濯機までいく」と記載しておいたのだ。なぜなら、佐藤が「洗濯物を干すを書いて」というと、いきなり、バスタオルはこうして、ああして、靴下はこうなどと、書き始める方々が必ず出て来るからである。

まぁ、それはそれで確かに洗濯物を干す手順ではある。しかし、私が表現して欲しいことは、あくまでも干す工程と各行為にかかる手間やその手順なのである。

佐藤が、その手順を書くと下記のようになる。もちろん、「あくまでも例示」である(笑)。

さて、@洗濯機までいく。A洗濯機の上の棚にある赤いバケツをそばにおろす。B洗濯機の蓋を開ける。C絡まっている洗濯物をほぐし、大きな物から取り出す。Dバスタオルは軽くたたんでパンパンと叩いて一番下に入れる。ETシャツを軽く四つ折りにする。Fパジャマ・靴下なども軽くたたんでパンパンと叩いておく。
G洗濯機の中が空になったことを目視で確認する。H赤いバケツを抱えて、階段を登り屋上へ行く。I赤いバケツを所定の位置へ置く。J屋上のドアを開けて、サンダルを履く。K屋上の踊り場にある棚から、使い捨てペーパータオルを取り出して、屋上にある竿まで移動して竿を拭く。
L再度踊り場まで戻り、拭いたペーパーを、棚のそばにあるゴミ箱へ入れる。Mピンチと角ハンガーと竿かけハンガーを持ち、物干し竿まで行き、角ハンガーを竿にかけたのち、そばにあるエアコンの室外機まで移動して、他の物品を室外機の上に置く。N再度踊り場まで戻り、赤いバケツを持って、同じく室外機まで移動してその上に赤いバケツを置く。

ふう、ここまで記載しても、まだまだ、洗濯物を干すことができないのだ(笑)。

一概に洗濯物を干すといっても、そこには様々な日常生活動作が隠れているのである。いや、そういう真っタダ中に入って行くのが仕事とも言える。

加えて、我々は自然(無意識)に行っていること(ドアを開けたり、移動したりする行為)は、当然行っている行為なので、あえて文字化していないのだ。

佐藤は、5分経過した後、グループ内でお互いの洗濯物の干し方について語りあって頂いた。すると、どうであろう? 発表者は一様に体を使って、自分がしていることをジェスチャーを交えて説明しているではないか。

しかも紙には書いていない、やれベランダの窓をあけて竿を拭くとか、やれバスタオルは縦に少しずらして左右をピンチで留めるとか。それはそれは賑やかに語っている。

佐藤はグループ内での発表が終了した時点で、ホワイトボードへ介護モジュールを描き、ヘルパーのしている支援を時系列に可視化して説明を行った。



●洗濯物の干し方について伝え合う●.jpg

●洗濯物の干し方について伝え合う●


●介護モジュールの書き方を説明する●.jpg

●介護モジュールの描き方を説明する●



もちろん、皆さんが書いたのは間違いではない。

ただ、我々は見落としがちであるが、支援の間ヘルパーは、利用者の安全確保の見守りや、注意喚起を行っている(いなければいけない)のだ。

だから、当然移動できる軽度者に行っている「掃除・洗濯・調理」は、「自立生活支援のための見守り的援助」として今回その名称が変更された、『自立生活支援・重度化防止のための見守り的援助(自立支援、ADL・IADL・QOL向上の観点から安全を確保しつつ、常時介助できる状態で行う見守り等)』となり、明らかに身体介護となるのである。

このような説明を加えたあと、資料に沿って老計第10号を案内した。この中で重要なことは、「声かけ・説明」をヘルパーのしている支援に変換することであろう。

例えば支援に入る前の「声かけ・説明」であれば、これからすることを説明(ないしは手順を相談)し、同意を得るとか。「利用者と一緒に手助けや声かけ及び見守りしながら行う掃除」であるならば、@利用者にできそうなことを依頼。本人が依頼に応えてくれた場合には、A協力動作に感謝を伝える。また、頑張っている姿があれば、B自分でできるようにそばに寄り添い、励ます。あるいは、C上手くしていることを称賛する。最後は、D上手くできたことをともに喜び、労をねぎらう。などなど。

そして、このようにヘルパーがしている「声かけ」「見守り」「説明・同意」を具体的に文字化することが重要であることを伝えた。

2.訪問介護計画書の作成手順
ここでは、介護保険制度とサービス提供責任者の業務の理解として、資料内にて、訪問介護計画書作成の手順を図表にしたものを利用して解説した。

はじめにサービス提供責任者は、介護支援専門員がどのようにして居宅サービス計画書を作成しているのか。その工程を理解している必要があるので、その部分をホワイトボードを使って説明した。

介護支援専門員が、サービス事業所へ空き情報を問い合せるタイミングは、まずはその利用者の「課題を抽出する」、「長期目標」と「短期目標」を設定する。その短期目標を達成するために必要な「サービス内容」導き出す。そして、そのサービスを提供するにふさわしい「サービス種別」を決めるのだ。

この種別の欄に「訪問介護」があがったときに、本来介護支援専門員は、皆さんの所に空き情報を問い合わせて来るわけだ(あくまでも本来・・・なのが悲しいが)。

これすなわち、居宅サービス計画書は、訪問介護のサービスが必要となった時点で作成されていなければ、ならないはずなのである。

こうして問い合わせがきたときに、サービス提供責任者がすることは、

@申込みにおける調整である。これはヘルパーの空き情報を確認して、サービス受託の可否を決める行為。
A受託可の場合には、利用申込み書とともに居宅サービス計画書を拝受する。
B事前訪問を行う。ここでは利用者のサービスの選択に資する援助を行う。すなわちパンフレットなどを用いて、自社サービスの説明及び契約に関する帳票を用いて説明を行う。さらに訪問介護計画書の作成方法を説明し同意を得る必要もある。その上でアセスメントを行い、帰社後情報をまとめて訪問介護計画書の原案を作成する。
Cサービス担当者会議へ参加し、他の事業所と統一した介護技術を提供できるように、支援方法を共有する。
D初回訪問では、まずはサービス提供責任者がやってみて、ケア手順などを明確にしておく。
Eヘルパーと同行訪問。ヘルパーに利用者の情報を提供し、介護計画などについて説明する。利用者に紹介後OJTを行う。OJT(On-the-Job Training)であるから、研修報告書が必要となる。そうサービス提供責任者はヘルパーを育成する役割もあるからねぇ・・・なんでもいかんでもあるからw。
F毎月月末には、実績をまとめ担当の介護支援専門員へ渡す。
G事業所によって異なるが、給付管理を行う場合もある。
H定期的に利用者宅を訪問しモニタリングを行い、計画の変更の必要性を検討する(必要な場合には担当者に助言する)。
I利用者の認定期間終了時には、居宅サービス計画書が更新される。
Bにもどり、再アセスメントを行う。この工程は終了になるまでくり返されることになる。

J利用者からの申出により事業所変更の希望があった場合や、長期入院や永眠された場合、そこでサービス終了となる。

佐藤は説明後、平成30年に改正された「居宅サービス等の事業の人員設備及び運営に関する基準」を資料として示し、特にサービス提供責任者に知っていて欲しい箇所を選択しながら説明した。ふう、これは、佐藤と参加者のため息なのだ(笑)。

本来で有れば、皆さん一人ひとりが、サービス提供責任者の職に任命された(した)ときに、管理者から、その仕事内容と仕事の進め方についての案内があることが望ましい、いやしない方がどうかしている。まぁされたとしてもピンと来ないかも知れないが。

それでも皆さんは熱心に佐藤の説明に付いてきてくれて、しきりにマーカーを入れたり、大きくうなずいていたから、多くは自分のやるべきことがわかっているようだ。

さて、午前中の講義演習は終了。

午後からはいよいよ事例をひもといて、ヘルパーのしている支援とは何か。訪問介護計画書を作成する。さぁて、あのハンバーガーにまた挑戦だな(笑)。


●キリーズ・フレッシュのアボカドバーガー・・・でかい●.jpg

●キリーズ・フレッシュのアボカドバーガー・・・でかい●



3.各手順について/ICFを活かした情報把握(アセスメント)・生活課題の特定など
平成26年の社会保障審議会介護給付費分科会では、居宅サービス事業所が果たす役割として、利用者の「心身機能の維持向上・活動の維持向上・参加の促進=家族介護者の負担の軽減」などが打ち出された。その結果、平成30年度には、自立生活支援・重度化防止に資するサービスを提供したら、インセンティブ(ご褒美💛)をつけるという議論がなされている。

この、「心身機能・活動・参加」とはICF(国際生活機能分類)で使われる言語である。佐藤は、このように、国がサービス提供事業所が果たす役割を明確化したのであれば、あらゆる計画の中で、生活機能が維持向上しているという評価ができる内容としている必要があると思う。

例えば、居宅サービス計画書である。

国は、すでに医療・福祉・保健の専門資格を持っている介護支援専門員が、それぞれの専門分野に偏ることなく、支援に必要な情報を収集できるようにと、「課題分析標準項目」を示している。でもインプットは統一してはいるが、課題抽出方法については、「このようにする(してくれ)」というアウトプットのやり方は示さなかった。

そこで、すでにサービス提供事業所側は、ご存知のように介護支援専門員のプランが統一性に欠けてしまうのである。

そこで、佐藤は、アウトプット(課題)をこの国際生活機能分類の言葉を利用することをずうっと提案し続けている。

すなわち、利用者の「心身機能に関する課題」「活動に関する課題」「参加に関する課題」「環境(家族や地域など)に関する課題」という具合に常に課題は4つとするということである。そうなれば、おのずと評価もしやすくなるというものだ。ハハハ。



●シャジー君も応援に加わる●.jpg

●シャジー君も応援に加わる●



そこで、ここでは、皆さんに演習用に用意した紙を利用して、「成城さん事例」
をひもときながら、ヘルパーのしている支援を「心身機能」「活動」「参加」「環境」に振り分けていただいたのであった。

(介護業界のブラック・ホールから、「君はしたい派かね?する派かね?」とか、「その人らしく云々」という、無責任な声が聞こえて来ても耳を傾けてはいけないのだ。)

さて、手法はというと、佐藤が用意した「成城さん物語」を読み、参加者はその物語を目で追いながら、下線などを引いて、心身・活動・参加・環境と書き入れ、解答用紙に転記していくのである。まずは自分で考えて、次にグループで考え、最後にホワイトボードに書き出して頂いた。

もちろん、生活機能はお互いに相互関係があるために、「これは活動」「これは参加」と明確に分類できないモノも多々あるだろう。それはそれで自分のとらえ方として、○○という理由から活動あるいは参加を選択した、など。その理由を伝えられれば良いのである。


●事例検討で訪問介護計画を作成●.jpg

●事例検討で訪問介護計画を作成●



佐藤はホワイトボードに書き終わった頃、解答例を配布した。いやはや、さすが現役の皆さん。佐藤が見落とした内容もあるため、佐藤はその部分を解答例に追加をして頂いたしだいである。

さてさて、最後は、訪問介護計画書である。

これもあらかじめ、佐藤が作成した帳票を用いて、皆さんに空白の部分を埋めて頂くというモノ。その帳票には、課題(居宅サービス計画書の短期目標)と、訪問介護の目標を記載している。皆さんには具体的なサービス内容を書いて頂くのだ。

再度伝えるが、項目は4つだ。

心身機能に対する具体的なサービス内容・活動に対する具体的なサービス内容・参加に対する具体的なサービス内容・環境に対する具体的なサービス内容である。まぁ必要な援助をNo.を用いて箇条書きに書いて頂いた。

その後、グループ討議をするときには、皆さんに持参して頂いた、各事業所の帳票類や計画書を参照しながら、情報交換を兼ねて語り合いをして頂いたのだ。

そして、最後に佐藤が作成した解答例を配布して解説を行った。すると、会場からは、すごい、なるほど、こう作れるといいなぁ、などの感想が聴こえて着た。

そこで佐藤は、皆さんの所には介護ソフトが導入され、そのソフトを利用して計画を作成していると思うこと。ソフトを変えることはお金もかかるので大変であること。そこで、せめてケア手順を書くときに、今回の活動や参加及び環境に対する支援を意識して書いて欲しいと言うことを伝えた。

佐藤は演習の間に、皆さんの各テーブルに入って、持参された帳票を見せて頂いた。そこにはサービス提供責任者の経過記録の様式があり、サービス提供責任者がプロセスを管理している用紙が記述されていた。また、ケア手順では、それはそれは細かな手順が示されており、これならば利用者もヘルパーさんも安心するのではないかと思われた。

また、これ以前に世田谷区の研修で伝えて来たことが、実際に利用され、記録が蓄積されているのことを実感できてと良かった。佐藤は伝えるのが商売である。皆さんは実践するのが商売と言えよう。まさに実践とは毎日のことであり、大変ある。どうか自分の身体を大事に取り扱うこともお忘れ無きよう、引き続き活躍を祈念したい。

皆さま、くれぐれもご自愛ください。


(To Be Continued!)
posted by さとうはあまい at 16:11| 東京 ☁| Comment(0) | 研修会のツボ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年06月22日

奮闘記・第1084回 研修会のツボ/東京都

●2019年● 東京都町田市

町田市・町田市介護人材開発センター・共催

対人援助職に必要な能力
2019年度 相談援助研修・初級編(第3回)



3度目の報告で恐縮でありますが、町田市介護人材開発センターさんでは、町田市との共催で、町田市で働いている「相談援助業務」を行っている方々を対象に、スキルアップ研修を開催しているのだ。

この研修は全3回シリーズで行っており、今回はその第3回目、つまり最終回である(第1回目は、第1080回で、第2回は1083回にて報告済み)


さて、佐藤は、今回は時間が押していたこともあり、大國魂神社での茅の輪くぐりのあと、近場のコメダ珈琲店さんで昼食を済ませ、会場に入る前に、もはや恒例となった、町田健康福祉会館そばにひっそりと鎮座する、母智丘〈もちお)神社を参拝した。ふふふ、ひっそりの割には存在感が在り過ぎるのだが。


●いつもの立ち寄り地、大國魂神社の茅の輪●.jpg

●いつもの立ち寄り地、大國魂神社の茅の輪●


●お昼はコメダ珈琲店のハンバーガー●.jpg

●お昼はコメダ珈琲店のハンバーガー●


●本日も美しい母智丘神社の神明造りの本殿●.jpg

●本日も美しい母智丘神社の神明造りの本殿●



母智丘神社の境内にもある略記、及びホームページなどでは、この神社は、豊受姫大神を主祭神とし、大歳大神を併せてお祭りしている神社で五穀の神として崇められているという。

まぁ勧請してきた宮崎県都城市の母智丘神社は、豐受毘賣神大年神の表記であるが同じ神様である。本家はまさに火山の噴出によるのか、巨石群の中にうずもれていたりする。宮崎県らしいと言えばらしい神社である。

もともとは石峰稲荷明神という稲荷系のお社。豐受毘賣神 ・大年神の両祭神は明治になってから、地頭・三島通庸(みちつね)氏が荒れていた神社を再興し、合祀というかご祭神として届け出たものらしい。そりゃただのキツネさんというわけにもいかないのだろう。星の王子さまではないからな。

ちなみに「地頭」(じとう)とは、鎌倉&室町期に幕府が荘園・国衙領(公領)を管理支配するために設置した地頭職を指すと思われるが、もちろん明治期には存在しないが、江戸期でも地方の領主のことを地頭と呼んでいたというからその流れかと思われる。JRを国鉄というのにチトにているかも知れない(さして古くないか)。ハハハ。

さらに言うと、都城市の母智丘神社は、徳川時代中期頃までは、稲荷石とほら穴があっただけで、その後、お社ができたという。石器〜古墳時代を通じて人類が住居した遺跡がある場所にもかかわらず、「人格神」(人間体をもつ神)を必要としなかったのがいいな。

町田市の母智丘神社は、宮崎県都城市の母智丘神社のご分霊を勧請し(大正8年)、以後、いろいろ変遷を経て、近在の人々の崇敬を受けつつ、昭和21(1946)年・宗教法人の母智丘神社と改称し、今に至っている。

社殿は総檜、銅葺屋根で伊勢外宮に準えた唯一神明造の建物。神社の周囲は瑞垣とされ、透かし塀を以って囲ってあり、拝殿から、ぐるりと右奥へ回り込むと、その神明る造りを望むことができる。町中にこのような本殿を拝めるのはそうはないだろう。

佐藤は、拝殿前で手を合わせ、本日の研修の無事を祈願し、おみくじをひいた。

神の言葉が書かれ、つまるところ、
“こころを素直にし身持ちをただしくすればますます運よろしく何事も思うままになるでしょう。欲を離れて人のために尽くしなさい 大吉”
とありました。

そう、これで3連続の大吉ですよ。豊受姫大神は、わが研究所の守護神の1柱(もちろん、伊勢外宮のお札なのだ💛)でもある。


「長い」(笑)



むかし某県の神社の拝殿でご祈念をしていると、それを見ていた○潟天満宮の宮司の息子さんそう言われたことがある。もちろん大きなお世話である(笑)。

こうして、会場に入ると、すでに会場はできあがり、参加者も集まり賑やかであった。そして町田市の介護保健課の重鎮・高田氏も来ていらしていたので、あいさつする。

その後、町田市介護人材開発センターのボス・石原氏ともあいさつを交わした。石原氏は、私のブログを読んでくださり、「神社仏閣をまわるのが好きなんですか?」聞かれた。

佐藤は、あちこち出向いたときにその土地の文化や伝統を知ることで参加者と語りやすくなること(ホント)。研究所のひゃ〜参謀が熱心に調査して来ては、勝手に(笑)ブログにあげていることを伝えた。

ちなみに佐藤は、「神社検定参級」保持者なのである(実は忍者検定という噂もある)。


さてさて、話を研修に戻そう。

今回、研修開始時に町田市から報告があった。東京都では、介護支援専門員が主任介護支援専門員の研修を受講するためには、各市区町村より、推薦を受ける必要がある。

そこで、町田市では、推薦するにあたり、受講希望者を募り、希望者には試験と論文提出を課していた(ちなみに佐藤が担当しているこの研修も主任介護支援専門員になるための過程でもある)。

高田氏からは、今年度は、30名強の応募があり、17名の方を都に推薦できたという報告があった。推薦を受けられた方々。おめでとうございます。

今後は新たな研修もありますが、1つひとつが、自分を磨き上げるツールと思い、前向きにチャレンジしてくださいませ。なんせ、宝石は磨き続けることで輝きを増すものでもありますから。


●町田市介護保険課より主任介護支援専門員に関する報告があった●.jpg

●町田市介護保険課より主任介護支援専門員に関する報告があった●


●研修開始●.jpg

●研修開始●



■研修で行ったこと
(1)相談員の役割を体験から相談援助の展開(他者と語ろう)
(2)相談面接の実践。語り・記録し評価する
(3)総評



この研修は、佐藤の持ち時間は2時間だが、連絡事項があると時間が少なくなるのよねぇ、講師側もやりたいことがいっぱいある。でもしかたがないんだけどね(笑)。


1.相談員の役割を体験 〜相談援助の展開(他者と語ろう)〜
介護支援専門員をはじめ、相談業務につく人々は、相談面接の目的としっかりと理解している必要がある。

相談面接には、ただのコミュニケーションや意思疎通をはかるための代物ではなく、それを行う目的がある。その目的をきちんと認識していないと、その役割を十分に発揮できずに、かえってのちのちに自分が困ることになりかねない。

ただし、この目的は、それぞれが独立しているというわけではなく、相互に重複しているモノ。だから、相談面接を行いながら、自分はどの目的を果たしている段階なのかを認識している必要があるのだ。

まぁ、いうなれば、自分の相談面接場面の天井あたりに、自分の姿を客観的に捉えるビデオでも設置するようなモノかもしれない。また、相談面接の場面において、相手の趣旨に振り回されないためにも、自分で「今回の面談」の目的を設定していくと良いと思う。

◆相談面接の目的
@援助関係を構築する。
相談面接を行うためには、利用者や家族との専門職業的援助関係が不可欠であり、この関係を確立することが初期の面接での最大の目的となる。もちろん、この専門職業的援助関係は相談面接のためだけではなく、ケアマネジメント過程のすべてにおいて必須のものである。

A情報を収集する。
利用者が抱えている問題解決を援助するためには、それに関する情報を収集し理解する必要がある。この目的は、アセスメントの段階が中心になるが、すべてのケアマネジメントの過程で必要なことなのだ。情報を収集するための質問と、利用者や家族からの応答を通して、利用者や家族が問題に関する理解を深め、その解決に向かって進んで行くことを可能にしていく。

B問題解決に向けた援助を行う。
問題解決に向けた援助は、主にアセスメントケアプランの作成および実施、モニタリングにおける面接で行われる。利用者が自分の抱える問題を認識し、その解決に向けてどのような方法で対応するのかの決定を支援する。そして、その問題解決への対応がスムーズに進むように、利用者の環境を整備していく。同時に、専門的職業援助関係を基礎として、利用者が、自分の持つ問題解決能力や適応能力等を回復し、また向上できるように援助する。


2.相談面接の実践。語り・記録し評価する
ここでは、参加者の協力を得て、佐藤がこれから行う演習のデモンストレーションを行った。協力者はZ原さん(仮名:名前を公表して良いか聞かなかったw)。

なんと、彼女はこの研修のリピーターで、昨年に引き続き参加してくれている。この研修は、佐藤が以前、島根県の介護支援専門員の更新・専門研修などで行ってきた、一連のワークショップものである。当時も参加者から、「見本がみた〜い」(そんな甘ったれた言い方はせんがw)との声もあったことから今回も実施してみたのだ(笑)。

実は、これって、結構緊張するのだ。なんぜ、参加者は現役のプロの方々(都合上、ニンジンやカボチャと思ってくれとは言うがww)である。失敗はできんからね、ひゃ〜いだ。

さて、話す話題は「幼かったころの楽しい思い出」である。


●参加者の協力を得てデモる●.jpg

●参加者の協力を得てデモる●



佐藤:「さて、今回は、急にこのようなデモのお手伝いを依頼しました。きっと、協力してくださると思いますので、よろしくお願いしますね」

Z原:「はい。よろしくお願いします」

佐藤:「では、Z原さんの幼い頃の楽しかった思い出をお聞かせください」

すると、彼女は開口一番、
Z原:「私には楽しい思い出が無いんです」

と答えた(キタ〜、いきなりかい!)
とは、いや〜そこから無いとはな! 佐藤の心の声であった。

佐藤:「えー、楽しかった思い出が無いんですかぁ。それはなぜですか?」

Z原:「それはピアノをやらされていたからです」

佐藤:「ピアノ? なぜ、ピアノ?」

Z原:「それは当時ピアノが流行っていて、母が私にさせたくて無理矢理やらせたんです」

佐藤:「ということは、家にピアノがあったんですか?」

Z原:「そう、ピアノがありました。私が練習しているそばで母が仁王立ちして見て(聴いて?)いるんです」

佐藤:「なるほど、練習しているそばで仁王立ちして観ているとか。それは大変だぁ」

Z原:「そう、だからピアノは苦だけで、ちいとも楽しくなかったんです」

佐藤は、この段階から、ピアノについて、彼女が負の感情しか表現しないことを何とかプラスの表現に変えて行きたいと考えた。それで、家族状況などを伺いながら、さらに話を展開していく。

佐藤:「ところで、ピアノをやっていて、楽しかったこともあったんじゃ無いかしら? 例えば、発表会なんて。どう?」

Z原:「ああ、そうですね。発表会は良かったですねぇ〜」

佐藤:「(良かった!)なるほどね。舞台の上にピアノがあって。そこにおしゃれをしたZ原さんが座り、一生懸命練習した曲を弾く。そして終わると、まあ、これはお決まりなんだけど、奥から花束を持った方が来て花束をプレゼントしてくれる。その時の気持ちは・・・」

Z原:「そうですね。気持ちは良かったですよ」

ほっ! 少しは良かったことを思い出してくれたようである。
さらに佐藤は質問を続ける。

佐藤:「3歳から始めたピアノ。好きでもなく、楽しくもなかったことを、大学まで続けていたのはなぜなのかな?」

Z原:「私、中途半端は嫌いなんですよ、ええ。やるならとことんやるというか・・・」

佐藤:「なるほど、それって、幼い頃の仁王立ちのお母さんに負けたくないという気持ちが芽生えたのかしらねぇ」

Z原:「あ〜、確かに私負けじ魂強いですね(笑)」

佐藤:「ははは。それでその、(ピアノで)1番好きな曲はなあに?」

Z原:「それは、羽生選手がスケートで踊った曲です。私、最後の発表回で弾いたのですが、もう、あがっちゃって、ゆったりしたバラードのはずが、手指が先へ先へと走ってしまい、上手く行かなかったんですよねぇ・・・」

佐藤:「まあ、それは残念! そんでお母さんは喜んでくれましたか?」

Z原:「ええ(笑)、大学を卒業したときは、喜んでくれました」

佐藤:「それで、お母さんは何していますか?」

Z原:「母は、数年前に無くなったんです」

佐藤:「まあ、それば残念でしたね。それでその時はお母さんには《ありがとう》は言えたのかな?」

Z原:「ありがとうですか? 言えませんでしたねぇ・・・」

佐藤:「どう、いまなら言えそう」

Z原:「そうですね。言わないといけませんね!」

佐藤はさらに話を進め、今後の豊富などについても聞いてみた。すると、地域に根ざしたことをしていきたいとしっかりと口調で話してくれまた。

相談面接はこれにて終了。


面談の時間は8分でした。会話終了後、佐藤は彼女に感想をたずねた。Z原さんは、昨年同じ演習をしたときに、同じように「楽しかった思い出はない」と答えたら、聴き手の方はフリーズしてしまったそうな。

それで、うまく会話にならなかったという。今日は、「質問の仕方で、(相手の)答えも変わってくるんだ」と言うことを体験でき、楽しかった。それに昔を思い出せて良かったと笑顔で話してくれた。

さてさて、傍聴された皆さんはどのように感じたであろうか?
ということで、ここからは皆さんが主役である。


●グループワークがスタート●.jpg

●グループワークがスタート●



▼演習の目的
受け手が「十分に話を聞いてもらえた」と実感を得られること。

▼登場人物
聴き手 1名
受け手 1名
書 記 2名 ※@聴き手の語りを書記する。A受け手の語りを書記する。
観察者 2名

▼紙の取り扱い(参加者には前もって、A4判用紙が4枚配布されている。)
その白い紙4枚にそれぞれ自分の名前を書く。その紙は、自分が聴き手になったときに、書記及び観察者の方に1枚ずつ渡す。

▼演習問題
今回の演習課題は、「将来の夢」です。それは仕事でもプライベートでも構わないので、聴き手は相談援助技術を駆使して、受け手と「将来の夢」について語り合う。

▼時間配分
語り合い8分、グループ内振り返り2分。合計10分。


●援助関係を構築する佐藤●.jpg

●援助関係を構築する佐藤●



▼注意事項
受け手の方:聴き手(相談員役)の問い合わせに答える。その時々で話し安い場合は、話を続けて構わない。また、話したくない部分は伏せてもよい。ただし、なるべく聴き手に協力的な態度で応じること。

聴き手の方:8分間の内で、@援助関係を構築しながら、A情報収集を行い、B解決に向けた援助を行うこと(受け手が十分に話せた、あるいは聞いてもらえたという気持ちになれるように展開すること)。
書記の方 1:聴き手の話す内容を書き留めること。
書記の方 2:受け手の話す内容を書き留めること。ため息や笑い、感情表現なども書き留めておこう。
観察者の方:それぞれの視点で、効果的な質問や、態度行動で、良い所を書き留めておく。また、この部分はこうした方が良いのではというところがあれば助言を書く。

佐藤がその都度、「はじめてください」と言い、「終わり」の合図で終了し、振り返りを行う。最後に、書記と観察者の方の記録用紙を聴き手に戻す。

こうして、グループごとの演習が始まった。

はじめは、佐藤の説明が理解できなくて戸惑っていたグループもあったが、佐藤がグループに伺い演習方法を伝えると、理解して、演習をはじめることができた。


佐藤は、例のごとく《ぶたさんのタイマー》を抱えて、各グループをまわった。そして、聴き手に気付かれないように、聴き手の後方にいすを置いて、「ふたりの話」に耳を傾ける。もちろん、受け手やグループメンバーには佐藤の存在がばれているのだが(笑)。

でも、聴き手は、それどろこではない。
皆さん真剣に、受け手に質問をしている。中には、話しをどうやって展開しようと迷ってしまい、上手く質問ができない方や、聴き手が問いかけてもいないのに、自分のステージを繰り広げ話し続ける受け手などもいた(笑)。

佐藤は、その都度、そのメンバーや聴き手に助言をしてまわった。すると、佐藤の助言に涙ぐむメンバーもいて・・・・、おいおい私がいじめているように見えるじゃないかぁ。

その方は、ひとこと「私、いつも、うまく聞き出せないんです」とつぶやいた。こちらは演習を進めなければならんし、取り合えず、その場は先へ進んだ。

●会場は皆さんの熱気に包まれた●.jpg

●会場は皆さんの熱気に包まれた●


●聴き手の後ろに忍びこみ?話に耳を傾ける佐藤●.jpg

●聴き手の後ろに忍びこみ?話に耳を傾ける佐藤●



そして、研修終了後、佐藤は片付けているその方のそばへ伺い、「先ほどはごめんなさい」と謝った。

すると、その方は「いいえ、先生に気付いていただけただけでありがたかった」とまた涙。そして、「泣くなんていけませんよね」というので、「自分の感情をはき出すことは必要なこと。今は泣いて構わないから。我慢しないでね」と背中をなさすると、さらに涙があふれていました。

実は、これも相談面接には必要な技術でもある。相手の感情を表出させること、そうすると、その後は結構すっきりとして現実をみられるようになるからだ(むろん、そうでない者もいるから注意)。

私が、参加者全員の面接技術をみてあげることは不可能だけど、各グループメンバーはお互いの能力を頼りに演習に取り組み、最後は笑顔で終了することができたようだ。

これにて、佐藤が関わる研修は終了した。



●すべての研修を終えて講評する佐藤●.jpg

●すべての研修を終えて講評する佐藤●


●講評を見守る石原さん(三連続)●.jpg

●講評を見守る石原さん(三連続)●



皆さんにはこのあとさらに中級の研修があり、また、メンバーとの再会を楽しみにし、ご活躍くださいませ。

今月末は、いろいろな神社で大祓の儀が行われている。まぁ特にどの神様や仏様というのがないかたならば、お近くの神社で茅の輪くぐりなどが行われていたら、参加してみてはいかがでしょうか。ごっそり厄が落とせるかも、知れませんよ(取り扱い注意)。

ではまた! 皆さまご自愛ください。


(To Be Continued!)

posted by さとうはあまい at 12:24| 東京 ☁| Comment(0) | 研修会のツボ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年06月04日

奮闘記・第1083回 研修会のツボ/東京都

●2019年● 東京都町田市

町田市・町田市介護人材開発センター・共催

対人援助職に必要な能力
2019年度 相談援助研修・初級編(第2回)


町田市介護人材開発センターさんでは町田市と共催して、町田市で働いている「相談援助業務」を行っている方々を対象に、スキルアップ研修を開催している。

この研修は全3回シリーズで行っており、今回はその第2回目なのだ(第1回目の内容は当ブログ・第1080回で報告済み)。

さて、研修会の前に町田市内で昼を頂き、神社にもまわってみた。そこで江戸時代までの町田の歴史をさらっと書いてみたい。あまり真面目に読まないように(笑)。


●昼は市内のSALVATORE CUOMO & BAR 町田で頂きました●.jpg

●昼は市内のSALVATORE CUOMO & BAR 町田で頂きました●


●今日も町田市福祉会館が会場です●.jpg

●今日も町田市福祉会館が会場です●




これらの歴史が今の町田市の文化・風土の育成されて行く上で、多少なりとも繋がっていると考えるのだ。

町田市は、旧・武蔵国多摩郡の南端に位置している。645年に起きたと噂される乙巳の変(いわゆる大化改新。でも実態は不明)で、政権は全国を支配する体制を整えると言いはり、地方をそれぞれ国に分けた。現・町田市はほとんどが武蔵国に含まれてしまう。

1335年、北条時行ら北条氏が中先代の乱を起し、町田村の井出の沢の戦いで足利直義を撃破し、院政期に市域には小山田荘になる。古代から、鎌倉・院政期まで戦乱が続くと、村(当時は町田村)としても戦いに嫌気がさしてくるに違いない。

それらの史跡が誇らしげに語られ、武神が神社に祭られている八王子市近辺とは違い、戦禍で焼失したにしても、武将たちの名前や事件さえ語られないのは対照的だ。だから八王子の史跡郡と町田市の歴史が容易に結びついて来ないのだ。

16世紀末・天正年間には、町田村が農地拡大のために近隣を開拓し、「原町田村」として分村する。後に「本村」の町田村を「本町田村」と村名を変更することになる。やはりプライドがあったのだろう。

江戸時代初期では、ここらの村の多くは幕府直轄領(天領)である。しかし数度の地方直し政策で、江戸中期までに旗本知行地となってしまい、多くが旗本数家あるいは幕府等との相給となり、幕末期、幕府直轄領の村は韮山代官の支配下になる。まぁ幕府も大所帯になり、旗本にあげる土地がここらへんくらいしかなくなったのだ。

幕末の旗本は、もはや家康のころの旗本三千騎と言われた「武装集団」ではなく、読み・書き・そろばんが求められる「能吏」(行政手腕のある役人)の片腕となる官僚的な人物が揃えられていたのだ。だから、あっさりそれはそれは、あっさりとペリーの脅しに屈してしまうことになる。その代わり、近代的な官僚制度にはすぐに移行できたともいえる。

さて、時代を越え、佐藤は研修に先立って、町田天満宮を参拝した。

研究所のはぐれ旗本・ひゃ〜参謀のリサーチによると町田は、あの菅原道真公の信仰を中心に団結し、お仕えしていた人々の地である。菅原道真公をお祭りしている神社が三社ある。いや他の神様が見当らない。

もともとは多摩は中臣氏が治めていた地であり、北野天満宮から道真公を勧請してくるのは不思議ではない。

町田天満宮のホームページによると、創建は、谷保天神などを中心とした武蔵国の天神信仰の流布により、京都の北野天満宮より戴いた菅原道真公の尊像を家の守り神としてお祀りしていた云々とある。

先に書いたように、天正10年(1582年)に原町田村本町田村と分かれて独立する。分村で原町田地区の神社がなくなり、加えて農民一揆が各地で起こるなど、農民の領主に対する怒りが鬱積していた時期でもあり、それに拍車をかけることになる。

当時、この地域の領主・北条氏輝氏照の間違い?わざと?)の社寺政策によって村民を統治しており、元々古い祠のあったこの地にも菅原道真公をお祭りした。だから町田天満宮の起こりは天正年中の1580年前後と推測できる。

でも、もし北条氏輝が、氏照ならば、その後、豊臣秀吉の小田原征伐に遭い、天正18年(1590年)に切腹となっているのだ。これらの争乱でもやはり多摩全土が戦乱に巻き込まれている。

ここでまた、町田村の方々は戦さより学問を好む傾向が強くなり、文人の代表で有る道真公を主祭神とする神社が好まれ、戦さの神様で有る山王社飯縄社(戸隠)が摂社に収まっているのだと思われる。

資料が戦乱で焼失しても、古い年号が記されているのは、記録が「どこかには残ってはいる」はずである。武将名や事件を記さなくても、「年号」を書いておけば、わかる人にはわかるからだ。

相模から町田、八王子まで、古代から戦国時代まで、つねに戦乱の巻き添えになっている。

これらは、ほぼ戦乱の史跡を「残さない」町田市は、戦乱の史跡郡や武神を祭る神社が多彩な八王子市と比べて対照的な「反戦姿勢」であろう。同じように戦禍に見舞われた寒川神社のある神奈川県高座郡や相模原市もあえて戦乱期についての歴史は書き残そうとはしてはいない。もちろん隠しているわけではない。

町田について長く書いたが、この地域としての性格形成、今の「町田市」の文治的な、学問を好み、戦いを好まない性格が作られて来た重要な要素として、戦乱が頻発した地域であることは頭に置かねばならないからである。

だからこそ、好戦的な「東京都の一員」としての位置付けなど、ハナから興味がないことが伺えるのだ。まぁ歴史好きのただの憶測かもしれないが優秀な能吏を多く輩出するのもうなずける。


さて、初めての町田天満宮である。

初めて参拝する神社では、自己紹介をして、こちらに来た理由をお伝えする。その上で、これから関わる人々と、長くつきあうことが出来るようにお願いをするのだ。

そして、社務所におかれているおみくじ箱からおみくじをひく。結果は大吉であった。争いを好まない神様に受け入れられて良かった。良いことがおきそうな予感がする。

その後、研修会場へ移動。もちろん、今回も会場のすぐそばにある母智丘神社を参拝。なんと、こちらでも大吉!その前に寄った大國魂神社から三連続である。好戦的なひゃ〜参謀は今回は全滅であった。どこかに豊国神社を探してみたが、かけらもなかった(あるわけない)。


●良さげな神社を見つけた喜び(町田天満宮)●.jpg

●良さげな神社を見つけた喜び(町田天満宮)●


●会場の近所の母智丘神社にも参拝(大吉三連続!)●.jpg

●会場の近所の母智丘神社にも参拝(大吉三連続!)●



では、今回の研修会の具体的なテーマはこれだ。

「私のアセスメント・自己覚知」
〜他者と交流し、自己理解を深める〜


■研修で行ったこと
(1)自己理解
(2)他者理解
(3)エゴグラム・ストローク表の作成・解説



さてさて、今回の研修では「これなんださん」に登場して頂いた。正体は不明である(笑)。
佐藤と一度関わった方にとっては、すでに馴染みの「これなんださん」ではあるが、やはり初めての方には、衝撃的な出会いとなったようだ。

「これなんださん」のところでは、いつものように、ものの見方は人それぞれであるということ。だから、お互いに意見交換をすることが重要であると言うことを案内した。ハハン!



●前回の振り返りからスタート●.jpg

●前回の振り返りからスタート●


●資料を確認する参加者●.jpg

●資料を確認する参加者●


●「これなんださん」が登場●.jpg

●「これなんださん」が登場●




(1)自己理解
ここでは、自分はどのような人間であるかを箇条書きにして頂いた。今回はなるべく自分の良い所を書き出して頂くように説明した。

それでもまだまだ、自分をネガティブに捉えてしまう方もいるのだが、対人援助をする人は、可能な限り、物事をポジティブに捉えるようにした方が良い。

なぜならば、相手と関わるときにも、そういう方は、ネガティブな考え方が先行してしまうから。そこで、相手はそれほど悪く思っていないことでも、かなり重く捉えてしまい、


「こんなにしているのに、わかってもらえない」



なんてことをつぶやくことになるかも知れない。長所と短所は紙一重と言われるが、ネガティブさが思い浮かんだら、その反対側の言葉を思い描くことと良いかも知れない。


「こんなになってしまった・・・」→「このくらいで済んで良かった!」ってな感じ。


ポジティブさとは能天気の中にこそ、あるものなのである。


●参加者の答えを見守る●.jpg

●参加者の答えを見守る●


●一人ひとりが考える●.jpg

●一人ひとりが考える●


●「大事なものは目に見えないんだよ!」(笑)●.jpg

●「大事なものは目に見えないんだよ!」(笑)●



(2)他者理解
ここでは、二人一組になって頂き、とある関わり合いを通して、相手に対してのイメージ「あなたはこのようなひとに見えた」を描いて頂くのだ。

ここでの関わり合いは、「お互いの幼かった頃の楽しい思い出を語り合う」というシンプルなもの。

佐藤が、演習方法を説明すると、皆さん二人一組になって、思い思いに語りはじめて行った。この速やかに演習に入れるあたりが素晴らしいと思う。

さすが、対人援助を生業にしている人々と言える。佐藤は12分を計った。本来は15分かけるのだが、そんなにかけなくても良さそうである。

案の定、12分経過し佐藤が「終了で〜す」と言っても皆さんは.話しが盛り上がり、まだまだ話したい様子であった。


そうそう、この演習は語り合った後が大事なのだ。


お互いに自分の名前を書いた紙を交換して、今語りあった他者について、「あなたはこのように見えた」というイメージを箇条書きで書く。可能であればその理由も沿えて、である。

その後は、今書いた内容を相手に伝える。はじめに二人でじゃんけんをして勝ち負けを決めて頂く。そして、勝った人が、負けた人に、今書いた言葉をなるべく紙を見ないで直接伝える。負けた人は、相手が何を言っても、「ありがとうございました」と感謝を伝えるのだ。

佐藤が説明し終わると、会場がざわついた。

どうやら皆さんは、自分が思い描いた他者のイメージを、文字ではなく、直接言葉で伝えるのが恥ずかしいらしい。さすが文人の子孫である(笑)。

そう、我々は自分が感じたことを素直に表現することが苦手なのだ。さらに、言われる方は、どんなことを言われても、素直に受け取るのって、まぁ結構難しいのだ。

たった、これだけのことなのだが、「伝え合いの場面」に、会場は多いに盛り上がり、笑いの渦に埋まっていった。中には、他者に言われた言葉に涙ぐむ方もいたり・・・。

そう、その涙は、嫌なことを言われた悔し涙ではなく、自分のことを理解してくれたという感激の涙なのである。まぁ言うなれば、「よくまあ、そこまでわかってくれましたねぇ・・・ううう」ってことかな。


●ん?何か問題でも(笑)●.jpg

●ん?何か問題でも(笑)●



(3)エゴグラム・ストローク表の作成・解説
最後は、交流分析のツールを利用して更に自己理解を深めて頂いた。
ここで使用するのは、ご存じ(株)ヒューマンスキル開発センターさんの心理テスト「エゴグラムとストローク表」である。

我々が描く、自分とはこういう人間だとか、あなたはこのような人だというそもそもの判断基準は何処にあるのであろうか。逆に、我々一人ひとりの価値観や、ものごとの見方やとらえ方考え方は、いつ身についたのであろうか。

それは、紛れもなく、我々が育って来た環境の中にある。

すなわち、お父さんや、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、そしてその地域の文化や伝統などの影響を受けて身についたのである。

佐藤は、皆さんにエゴグラム・ストロークの図表を作成していただいた後、資料を用いてそれぞれの傾向性を解説していった。もちろん、エゴグラムも、ストロークも現在の皆さんの図表である。

この図は、おかれた環境によって大きく変化するので、今回の結果がすべてではない。ただ、そういう傾向があるという気づきだけで良いのである。

エゴグラムについては、解説の中にある「負の部分」に自分でも気付いていて、そこを何とかしたいと思うのであるならば(それを行動変容という)、今回のテストで「0」や「1」しか入れられなかったところを意識して行動してみるといい。

あるいは、グラフの中で突出している部分が、PやCの部分であるならば、それら突出した問題に「3」と書いた部分を意識して、それらの行動をやや抑え気味にしても良いであろう。いずれにしても、エゴグラムは、Aを真ん中になだらかな曲線が良いと言われているのだから。

さて次は、ストロークに付いてである。

ただ、ここの解説は、佐藤の時間配分ミスで、時間がたりなくなってしまった。ごめんねぇ。

ストローク図表は、自分自身の存在価値、あるいは他者の存在価値をどのくらい大事に捉えているかを測るツールなのだ。

佐藤はグラフを用いて、他者とかかわる傾向性について、自分が今いる環境の中で他者とどのようにかかわっているのか。また、自分が、他者からどのように捉えられていると感じているかなどをグラフの傾向を見ながら説明した。

三番目の柱は、自分自身へのストロークについて。これは自分自身が、どのくらい自分のことを大事にしているかを客観的に把握している。佐藤は、ここでは、ワイングラスの絵を描いて、自分自身が自分自身の存在を大事にし、その存在価値を満たすことで、はじめて援助が成り立つとことを話した。

例えば表面張力しているグラスに、ワインを一滴加えると、グラスからワインが滴り落ちる(実際は口から迎えに行くがw)。実は、この滴り落ちる部分が「対人援助」なのである。

だから、対人援助を生業にしている人は、せめて、自分自身の存在を、自らがないがしろに扱ってはならないのである。

では、どうすれば、自分自身の存在価値を自分が認められるようになるのか? それは、毎日3行日記を書く、しかもできたことを思い描いて記録する。できないことを書くと真言密教の呪文のようになり、苦しくなる(こともないか)。

また、ある時は、他者から評価を得ることも良い。そのためには、自分から、他者に「いかに頑張っているか」を伝えたり、「自分の事をどのように捉えているか」などを聞いていく勇気も必要なのだ。

この自分から他者に評価を求められるかどうかは、グラフの1番下の「ストロークの求め方」にあらわれている。ここが、少ないのは、他者に聞くことが、恥ずかしかったり、どうせ良いことは言われないから聞きたくないと思ったりする気持ちのあわれでもあるからだ。

これらの考えや気持ちは、どこから来るかというと、それは、幼い頃に親や、まわりの大人達に、気持ちよく相手をしてもらえなかったという経験から来るものかも知れない。

例えば、自分が、テストで良い点を取った時に、「ほら、すごいでしょう?」「ねぇ、見てみて」と関わりを求めた時に、

「すごいじゃない」「頑張ったものね」とか、「ガッテン承知」(?)などと言われた経験が無く、

「なんだ、あと20点取れば100点じゃないか。もっと頑張らないと」「だめ」「あとで」「今更、何言っているの」などと、かかわりを拒否をされた経験があるからかも知れない(最初のやり方は超一流のアスリートなどには有効な手法とされる)。


●エゴグラムの解説をする佐藤●.jpg

●エゴグラムの解説をする佐藤●



いずれにしても、自分はもう相手をしてもらえなかった子どもではなく、大人なのだ。だから、もはや親や周囲の人々に振り回される存在では無いはずだ。だったら、他者が、受け取りやすい時を見計らい、他者と関わって評価を得ても良いのでは無いだろうか、と思うのだ。

ストローク図表は、概ね10ポイント以上あって、なだらかに縦線が出来るのが望ましい。余り凸凹していないことが望ましいのだが・・・。

このストロークについてはもう少し説明したかった。その分、資料には丁寧に解説してあるから、どうか残りは後自分で分析して見て下され。

最後に、再度、「これなんださん」に登場して頂いた。この最後の大どんでん返しは、結構インパクトがあるようで、皆さんがハッとする瞬間でもある。我々も日々変化しているのですから、毎日を新鮮な気持ちで過ごさないと、もったいないと思う(笑)。


●「ボア」(「これなんださん」)再び●.jpg

●「ボア」(「これなんださん」)再び●



さて、次回は、6月20日でね。いよいよ、梅雨の季節を迎えます。ある意味、ちゃんと梅雨がくればいいのですが、今の日本は何が起こるかわかりません。体調を崩しやすい季節に変わりはないので、皆様、ご自愛くださいませ。

ではまた!


(To Be Continued!)
posted by さとうはあまい at 11:40| 東京 ☀| Comment(0) | 研修会のツボ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月29日

奮闘記・第1082回 研修会のツボ/東京都

●2019年● 東京都足立区

足立区社会福祉協議会

【2】サービス提供責任者の仕事術
〜サ責として大切なポイントをつかみ業務へ活かす〜


足立区社会福祉協議会主催の研修は連続して2回行われており、1回目はすでに 第1081回として報告済みである(上げたてのホヤホヤ)。

今回は訪問介護の要である、サービス提供責任者向け研修のご報告である。この研修は足立区で働くサービス提供責任者及び訪問介護員を対象に、13:30〜16:30の3時間で行われた。


●参加者同士で語り合う●JPG.jpg

●参加者同士で語り合う●



サービス提供責任者の仕事術 〜サ責として大切なポイントをつかみ業務へ活かす〜



■研修で行ったこと
(1)介護支援専門員のPDCAを理解する。
(2)サービス提供事業所のPDCAを理解する。
(3)利用者支援に必要な帳票類の取り扱いについて。
(4)訪問介護計画書の作成。



今回は、日中開催であったが、サービス提供責任者は、介護支援専門員と違って、自らがヘルパーとして働かなければならないこともあり、人材不足のおり、相変わらず研修に参加したくても参加できない環境にあることもあり、参加者は12名であった。

もちろん、佐藤は、参加人数が少ないからといって手を抜いたりしない。少なければ少ないだけ、親身一体となった研修を行っている。うん?もちろん多くても手抜きはなしだ!w ということで、まずは自己紹介である。

皆さんにはいつものように1分間スピーチをして頂きつつ、佐藤は参加者の話に耳を傾けていた。

皆さんの言葉から聞こえて来たのは、なんと、サービス提供責任者になって数日しかたっていない!やら、5月になったばかり!などなど、多くのサービス提供責任者が新人のサービス提供責任者であるということがわかった。もちろん、手抜きはしない(くどい?)。

そこに、陰の声が“おいおいおいおい、そんな新人さんばかりで大丈夫なのか”。いやいや、どうしてサービス提供責任者は成り立てでも介護の経験は豊富な方ばかりだから大丈夫であろう。


はじめに簡単に介護保険制度の流れを説明した。ここで、サービス提供責任者にとって重要なことは、介護支援専門員との関係性なのだ。

多くの法人が、複数の事業所を持っており、居宅介護支援事業所と、訪問介護事業所が同居しているなんてことが少なくない。

そこで、各居宅介護支援事業所の介護支援専門員が、計画作成のルールに則り、サービス提供をしてくれていれば良いのだが・・・。

居宅サービス計画原案の作成もそこそこに、サービス担当者会議を開催してサービスがスタートしているというようなケースもまだまだ多いのである。まぁ上司も先輩もやれてないところでは、そりゃぁやりようもない。

そこで、ここからは、介護支援専門員の支援の流れと、サービス提供事業所の支援の流れについて資料をもとに説明を行った。


(1)介護支援専門員のPDCAを理解する

@受付(エントリーの段階)。
ここでは、利用者に介護保険制度と居宅介護支援について説明する。

A初回面接(利用者の選択に資する援助)。
利用者及び支援する側の双方がスクリーニング(選別する段階)を行うために、双方がお互いに必要な情報を提供し合い、吟味する。

BAにおいて、問題無し。
契約を目的とした面接に移行する。介護支援専門員は、利用者に居宅介護支援の方法(居宅サービス計画の作成法を含む)を説明し、利用料金などを伝え同意を得る段階である。

Cアセスメントを行う。
利用者情報を得て、生活全般の解決すべき課題を抽出する段階である。

D居宅サービス計画をまとめる段階。
課題・長期目標・短期目標・サービス内容・サービス提供種別を選別する。

Eサービス提供事業所に連絡を入れて空き情報を把握し、提供可能な事業所をピックアップする。
その情報を、利用者に案内して利用者が事業所を選択し、居宅サービス計画原案に事業所名が記されることになる。

Fサービス提供可能な事業所に、居宅サービス計画書原案(1)(2)(3)を提示する。

Gサービス担当者会議を開催し、居宅サービス計画書原案(1)(2)(3)について説明する。
サービス提供事業所より専門家による見地からの意見などを伺いながら居宅サービス計画の承認を受ける。

H居宅サービス計画に沿ってサービスが提供される。

I毎月モニタリングを行い計画の妥当性や、利用者の状態の変化などを把握する。

J要介護認定の期間終了前には再アセスメントを行い計画を更新する。
→Fにもどる。このプロセスは、終結まで循環して継続する。


(2)サービス提供事業所のPDCAを理解する

@受付「サービスの申込みにおける調整」を行う段階。
ヘルパーの空き情報を確認して、サービス受託の可否を判断する。

A介護支援専門員へ、サービスの可否を伝え、可能な場合には、居宅サービス計画の提示を依頼する。

B事前訪問の準備。
介護支援専門員から基本情報の提供を受け、利用者宅へアポイントをとり、事前訪問の日程を決める。

C初回面接を行う。
訪問介護の特徴について説明し、サービスの導入の意向を確認する。意向が把握できたら、契約を目的とする面談へ移行する。

契約書及び重要事項説明書・個人情報の取り扱いなどについて書面を用いて説明し同意を得る。

Dアセスメントを行う。
提供されたサービスについて、利用者のしていることや、できること、できないことなどを把握して、訪問介護員が行う援助方法などを相談したり助言したりする。

E事業所へ戻り、訪問介護計画書原案を作成する。

Fサービス担当者会議へ参加して、他の事業所と支援方法について共有する。会議録を作成する。

G可能であれば訪問介護計画書を説明し、同意を得て交付する。

Hサービスを開始する。

I定期的にモニタリングを行い、利用者状況を把握する。
介護支援専門員へ定期的に状況を報告して情報を共有する。毎月、介護支援専門員へ実績を報告する。国保連へ実績報告を行う。

J短期目標の期間終了時には、モニタリング及び評価を行い、居宅サービス計画の変更の有無を検討しその内容を介護支援専門員へ伝える。

K利用者の要介護認定の期間終了時には、モニタリング及び評価を行い、目標の達成の度合いなどについて報告をする。

L介護支援専門員の居宅サービス計画の更新に伴い、再アセスメントを行い、訪問介護計画書を更新する。
→Fへ戻る。サービスの終結までFからLを継続する。


本来は、この(1)(2)の各事業所の展開法が正しいが、現在多くの介護支援専門員がしている居宅介護支援のプロセスの多くは、サービス担当者会議の席上で「初めて」居宅サービス計画が提示されたりしている。一方のサービス提供事業所も、「事前に原案を頂き、利用者宅を事前訪問すること」を知らない方もいる・・・ふう。

まぁ、この仕組みが正しく展開しない限り、サービス提供責任者側もその責務を全うできないという現実もあるのだけれど。現状無い物ねだりに近いかな。

そうそう、一方では、国が通所介護や通所リハビリに対して、個別援助計画の加算条件として、事前に利用者宅を訪問し、調査(アセスメント)を行うことを推奨し、具体的な帳票を示してからは、通所系サービスは事前訪問をしているようではある。

でも「推奨」って便利なことばだよな・・・。

また、サービス提供責任者自身が、訪問介護の指定基準を理解していないという現実もあり、なかなか難しい所でもある。

そもそも、サービス提供責任者の業務内容については、管理者がその方をサービス提供責任者に任命する時に、しっかりと説明をする責務があるのだが、この管理者も雇われ管理者であり、その管理者自身が指定基準を十分に理解していないという可能性も否めない。

そこで、佐藤は、参加者1人ひとりが、自分がいる事業所の指定基準を把握する必要があることを伝えた。まぁこの繰り返しであるのだが、時代が令和になっても一向に変わらないだろうな。

(3)利用者支援に必要な帳票類の取り扱いについて

ここからは、利用者支援に必要な帳票類とその取り扱いについて事例を用いて説明を行った。

《利用者支援に必要な記録の種類》
(利用者ごと管理する)
 @基本台帳(フェースシート)
 A居宅サービス計画(介護支援専門員や相談支援専門員等が作成する計画)
 B訪問介護のアセスメントシート
 C訪問介護計画書
 Dモニタリングシート
 D評価表など。
 E経過記録(上に示した業務と責務を遂行したという経過がわかる記録)
 Fサービス提供票(伝票)サービス実施記録兼介護記録



これらの帳票は、利用者の要介護認定の期間毎に更新していく。
そこで、要介護認定が更新された場合には、それまでの@ABCDEFをひとまとめにして後方へ移動する(あるいは別封筒に保管)。

その上で、利用者のフェースシートを更新しファイルの前面におき、再度新たなA〜Fを作成するように伝えた(Eの経過記録は必要な情報もあるだろうから、取り扱いについて事業所で決めれば良い)。

今回の参加者は、その多くが、サービス付き高齢者住宅に訪問する、訪問介護事業所のサービス提供責任者であった。

と書くと聞こえが良い(?)が、実は、サービス高齢者住宅の職員を兼務しているサービス提供責任者なのだ。

当然、働くヘルパーも、ある時間はサービス高齢者住宅の職員として働き、個別の利用者の、居宅サービス計画に則り、排泄介助や入浴介助、家事活動の支援に入っているのである。

まあまあ、一般の訪問介護事業所の皆さんには、なかなか、難しい環境なのだが、今回は、自分の働く環境や、自分のしている事について他の方と情報を交換したり、大変さを共有することができて、新たな気づきを得ることができたようだ。

(4)訪問介護計画書の作成

ここでは、佐藤が作成した「須藤さん」事例を用いて、訪問介護計画書の作成方法について説明を行った。

平成27年の介護報酬の改訂に際して、国がサービス提供事業所に求めたのは、利用者の「生活機能の維持向上」である。

そこで、佐藤は、生活機能(心身機能・活動・参加・環境)を意識して作成した「居宅サービス計画書」を用いて「生活機能」について説明したのであった。

実は、この事例の説明は、なかなか、高度な内容で有ったのだが、研修終了後のアンケートには「ICFについて理解できた」「ICFの説明が聞けて良かった」などの感想が寄せられており、佐藤はこの説明を行って良かったと思ったしだいである(意外なところのレベルが高合ったりする)。こうなると、時代が変わることを期待したいな。


●生活機能分類を支援に置き換え説明する●.jpg

●生活機能分類を支援に置き換え説明する●



いよいよ訪問介護計画の作成である。

ここでは、心身機能・活動・参加・環境のそれぞれに「課題(短期目標)訪問介護の目標・具体的なサービス内容・備考」の項目を設けた、訪問介護計画書の帳票を使用した。あらかじめ、佐藤が「課題と訪問介護の目標」を記載しておき、皆さんには、具体的なサービス内容を考えて頂いた。


●演習用紙を配布する●.jpg

●演習用紙を配布する●


●素敵な文章が書かれていた●.jpg

●素敵な文章が書かれていた●


●事例を解説する佐藤●.jpg

●事例を解説する佐藤●



ところがだ、ここまで皆さんが熱心に研修に参加してくださったので、介護計画の演習時間が少なくなってしまったw。それでも皆さん考えつつ、頑張って書いてくださった。

最後に佐藤が作成した、訪問介護計画書を読み上げ、今回の研修はこれにて終了である。


佐藤は、久しぶりにサービス提供責任者の業務と責務について説明を行ったが、現場のサービス提供責任者の皆さんは仕組みも自分の役割もわからないまま、仕事に就いている方が多いということを再認識した。


●参加者を見守る田嶋さん●.jpg

●参加者を見守る田嶋さん●



さて、訪問介護のサービス提供責任者は、介護福祉士か、ある一定の資格を持った方しか担当することができなくなりました。

そこで、法人では、施設や、通所介護で働く働いていた資格保持者を、サービス提供責任者に任命することが増えて来ました。

でも、その方々、介護技術の専門家であっても、いきなり在宅を訪問するヘルパーやサービス提供責任者の責務を果たせるとは限りません。そこは、法人内で、その方々働きやすい環境を整備する必要があるのでは無いでしょうか。

さてさて、これにて研修は終了です。

足りないところは、佐藤のブログ「寺子屋の休み時間」や、佐藤の書籍をひもといて頂けると(佐藤が)喜びますw。

季節外れの夏日もいったん落ちつくようです(でないと困る!)。それにしても気温の差が激しい季節。体調を崩さないようにご自愛くださいませ。ではまた!


(To Be Continued!)

posted by さとうはあまい at 15:17| 東京 ☁| Comment(0) | 研修会のツボ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

奮闘記・第1081回 研修会のツボ/東京都

●2019年● 東京都足立区

足立区社会福祉協議会

【1】介護記録のポイントについて
〜記録の重要性を学び、支援記録に活かす〜



足立区社会福祉協議会では、足立区で働く介護職員へ向けて年間を通して研修を行っている。その中で佐藤は、「介護記録の書き方」「サービス提供責任者の仕事術」を担当している。

今年度は、2つの研修を連続で行ったので、2回分を一挙に連続してアップしたいと思います。

 
介護記録のポイントについて 〜記録の重要性を学び、支援記録に活かす〜
 

「記録は身を助ける…」こんな言葉を聞いたことがないだろうか? 今回の研修では、普段の業務に追われ、つい二の次になりがちな「記録」に焦点を当てて、「なぜ記録するのか?」「何を記録するのか?」「どう記録するのか?」を整理したいと思う。

この研修は、毎年訪問介護員を対象に行ってきたのであるが、今年度は、施設で働く人々にも参加を呼びかけた。17時半からの開催ということもあってか、会場には40名弱の方に集結して頂いた💛


■今回の研修で行ったこと
(1)なぜ記録するのか?
(2)何を記録するのか?
(3)どう記録するのか?



佐藤の研修の多くは、グループワーク方式をとっている。今回も1グループ6名で開始した。まずは、1分間スピーチである。

この自己紹介は、グループ内の緊張をほぐすのに欠かせないものである。また、本来介護職は話好きであるし、そうでなければ難しい職業だろう。その後、早速演習に入るのだ。

今回の研修の目的は、(1)なぜ記録するのか?、(2)何を記録するのか?、(3)どう記録するのか? である。

そこで、演習はこの3つに焦点を当てて、話を進めていく。

(1)なぜ記録するのか?では、「記録がないと困ること」をあげて頂いた。
(2)何を記録するのか?では、その「困ることを解決するために書く内容」について説明を加え考えて頂いた。
(3)どう記録するのか?では、各事業所で、「具体的な記入ほ方法を定めること」が重要とし、マニュアル化を推奨した



そして、後半では、事例をもとに介護記録を作成してみた。


●介護記録に挑戦●JPG.jpg

●介護記録に挑戦●



(1)なぜ記録をするのか ?= 記録がないと困ることがある。

@その時々の利用者の状況がわからず適切な援助ができない。
結果、利用者の情報を共有し適切に援助するため(アセスメントの記録)。
具体的には、利用者の健康状態や、日常生活動作能力(していること、できること)、家事活動への参加(協力動作の有無や意欲)意思疎通の状況(コミュニケーション能力)、認知機能の状況(理解力や記憶力)、家族の状態(家族の介護力やその状況)、関係者(関係者の有無や変化)からの連絡や相談、注意事項などなど。

A記録が無いと、前回の支援の日から、今回の支援までの利用者の状態も変化を知らないと、その時の適切な援助方法がわからない。
結果、利用者の状況の変化を把握し適切に援助するため(モニタリングの記録)。
具体的には、利用者の支援は、計画に沿って行われている。その結果、利用者のしていることやできること、したいことなどに変化が現れてくる。その状況の変化を記録し、状況の変化を把握して、計画変更の必要性を検討する。

B記録がないと介護報酬を請求できない。
結果、サービスを提供した証を残し、適切な報酬を得るため(サービス内容の記録)。
具体的には、訪問介護であれば、身体介護・生活援助・介護予防などなど。訪問介護は提供する、サービ内容によって報酬が違う。そこで、報酬に見合った働きをしたという記録を残す必要がある。

C記録が無いと、自分が提供した援助が正しいか否かの証明ができない。
結果、自分が提供した援助の正当性を証明するため(介護技術の記録)。
具体的には、その時々に提供した介護技術を具体的に残すことで、援助の正当性を証明することができる。特に、訪問介護は1人で援助を提供しているので、物損や事故には十分注意して、何か気になること(ヒヤリ・ハットを含む)がある場合には、記録に残す。

(2)何を記録するのか? その資料に基づいて説明を加え、皆さんに「何を書くのか」を考えて頂く。

「介護職員が残す記録の意義 = 利用者の有する生活機能の推移を把握するため」
介護職員の残す記録は、ずばり介護技術の記録である。介護職員は、介護技術を用いて利用者の自立を支援している。

そこで記録には、その時々アセスメント(利用者の状態)の記録、自分が提供した技術などを記録するのだ。

そもそも、利用者の有する生活機能の推移を把握するというが、この「生活機能とは何か」
それは、平成13(2001)年5月、世界保健機関(WHO)総会において採択された、「ICF(International Classification of Functioning, Disability and Health)」を指す。

ここでは、生活機能を(心身機能・活動・参加)としを、現在「していることやできること」などプラス面からみるように視点を転換し、さらに環境因子等の観点を加えている。その上で、介護職員には、利用者の生活機能の維持向上に向けた支援が求められていることを図を用いながら説明した。

さらに、佐藤は、ICFの言語である「心身機能」「活動」「参加」「環境」を介護の現場に落とし込んで説明を行った。

@『心身機能』に関すること
心身機能に関する内容:体調・服薬・痛み・歯の問題・栄養の問題・排便・排尿・飲料・嚥下・精神的なこと(悲観的・うつ傾向など)。

介護職員が利用者に対して行う心身機能の支援は、「体調把握・確認」である。あいさつをして体調を把握する。

訪問介護員の場合、その時々によって支援する内容が違うが、服薬確認が必要な利用者に対しては、訪問時に「薬を飲めているか」を伺って、薬カレンダーや薬箱等を観て、薬の飲み忘れが無いかを把握している。

また、飲めていないことを把握した場合には、「薬を飲む必要性について説明をしたり、なぜ、飲まないのか(飲めないのか)など、本人の訴えを傾聴する。その上で、必要に応じて、サービス提供責任者に収集した情報を報告しているのである。

A『活動』に関すること
活動に関する内容ADL(日常生活動作能力)である。そこにはIADL(手段的日常生活動作能力)も含まれる。

日常生活動作には、移動(起き上がり・移乗・立位・歩行に関すること)、食事(食べる行為・飲む行為)、排泄(物品準備・トイレのドアを開けて、排泄行為を行いトイレのドアを閉めるまでの一連の行為)、入浴(物品準備・脱衣所のドアを開けて、衣類を脱ぎ、脱衣室から浴室へ行き、体等を洗い、浴槽へ入り、浴槽から出て、浴室から脱衣室へ戻り、体を拭き、衣類を着て、脱衣室から出るまでの一連の行為)、口腔ケア(物品準備・義歯の取扱・清潔動作・後始末に関する一連の行為)、更衣(季節に見合った服装を選択・着脱する更衣・汚れ具合によっては他の服に着替える・日常着から寝巻へ(逆も))などがある。

手段的日常生活動作の主なものは、家事活動である。掃除(掃除に関する一連の行為)、洗濯(洗濯に関する一連の行為)、買い物(買い物に関する一連の行為)、調理(献立を考え、材料を揃え、手順に沿って調理を行い、食器に盛り付け、片づけるまでの一連の行為)、その他、電話を受けたりかけたり、必要な要件を受けたり、伝えたりする行為。必要な手続きに関する一連の行為のなど様々なのだ。

まぁ、いうなれば活動は、それぞれの行為に関する、はじめから終わりまでの一連の流れについて何ができて何ができないのかを把握する必要があり、介護の肝といえる部分なのだ。

この家事活動は、特別養護老人ホームや、老人保健施設等では、施設職員等が行っている場合が多いと思う。

また、訪問介護の場合、ヘルパーが全面的に行う家事代行は生活援助に区分されており、ここでいう活動には含まれないのだ。

B『参加』に関すること
参加は、他者との交流や、趣味や楽しみを行うことを指す。意思疎通の可否や、コミュニケーション能力も含まれる。

一方では役割を果たすことも参加である。役割には、主婦の役割・男としての役割・妻としての役割などがある。

「利用者の参加に関する介護職のサービスとは何か」
訪問介護の場合、利用者が、ヘルパーとかかわることも参加のひとつになるであろう。例えば、利用開始直後は、パジャマを着ていた利用者も、訪問介護を継続して利用するうちに、日常着に着替えたり、訪問を待っていてくれたりするようになる。これは訪問介護を通して、利用者が社会性を取り戻した行動といえる。

その他に、介護職員ならば、利用者支援の最中に必ず下記のようなことをしている。それが「役割の提供」であり、参加に関するサービス(支援)である。

「これからすることを説明し、本人の意向を把握すること」
「利用者に協力動作を求め、協力が得られたら、感謝を伝えること」
「利用者が頑張っている姿を励まし、うまくできたら、称賛したり、うまくできたことを共感すること」
「時に、頑張ったけど、うまくできずに落ち込んでしまったりすることもある。そんな時には頑張ったことに対して労をねぎらうこと」
「何かを依頼して、手伝ってくれた時には、労をねぎらい感謝を伝えること」


などなど。

えっ、そんなこと、意識してサービス支援していなかったって? おいおいおいおいおいおい(笑)。介護職が利用者のそばに寄り添い、している援助のすべては、この参加への支援「意欲の向上」への支援として肝に銘じておいて欲しい。

特に、訪問介護の場合は、『訪問介護におけるサービス行為ごとの区分等について』老計第10号の「身体介護1−6 」、『自立生活支援・重度化防止のための見守り的援助(自立支援、ADL・IADL・QOL向上の観点から安全を確保しつつ常時介助できる状態で行う見守り等)』において、支援している内容はまさしくこの参加に関する支援となのだよ。ヘルパーさん頑張れ!

C『環境』に関すること
環境への支援は、利用者家族に対する支援だ。施設では、家族が面会に来た時に利用者の様子を伝えたり、季節の変わり目には、衣類交換を依頼したりしていると思う。

また、施設サービス計画更新時には、家族に、サービス担当者会議への参加を依頼して情報を共有しているはず。だからこそ、介護職員は、面会時に家族と話す機会を設けて、環境に向けた支援の記録を残すようにする必要があるのだ。

地域の園児訪問や、ボランティアさんとの関わりも、行事記録に残すだけではなく、個人の介護記録にも記入するように心がけよう。一方、福祉用具に関する記録も必要である。もっともこれは活動を広げるための道具として捉えるのであれば、活動の補助具として記録しても良いだろう。

(3)どう記録するのか?
ここでは、佐藤が作成した足立さん事例を読み上げて、皆さんには、介護職員の新田さんになって頂き、新田さんがした介護の記録を作成して頂いた。

あらかじめ、佐藤が介護記録の様式を配布しており、皆さんにはその様式に、ICFの視点(@心身機能・A活動・B参加・C環境)を意識して記録を作成して頂いた。こちらには、その枠組みを使用したものでは無く、白い空欄へ書く記録を掲載しておく。この記録を読んでどのような支援が行われたのか伝われば良いと思う。

2019年5月15日
本日の献立。そうめん。卵焼き、トマトの乱切り、キュウリのスライス。

@体調確認。体調良く痛いところもない。暑くなってきたので水分補給するように助言。
A排泄は済まされており、伝い歩きにて台所へ移動。転ぶことが無いようにそばに付き添い、注意を喚起する。所定の椅子に座って頂き、片手まな板を置く。本人が包丁を用いて、トマトは乱切りに、いんげんは、へたを切って、半分に切る。キュウリは受け皿付きのスライサーの使用を提案。卵はお椀に右手で割り入れる。うまく割れたことを認めると「シェフのようだ」と笑顔で話す。胡麻和えの材料をお椀に入れる。和える作業は、「疲れた」との訴えにより自分が行う。工夫したことは、いんげんは、輪ゴムを使用してばらけないようにした。スライサー使用時には切り安いように、受け皿を抑えた。C娘さんより水出し麦茶の提供があり水分補給をするように言われたとのこと。受け皿付きスライサーをひとりでも使用できるように100円均一にあるゴムの敷物の購入を提案。連絡帳にて娘に依頼する。 援助中は本人のできることを依頼し、協力動作に感謝を伝え、うまくできたことをともに喜ぶ支援を行い意欲の向上に努めた。(新田)


佐藤が事例(ダイアローグ方式)を読み上げて、足立さんの支援を可視化して行くと、会場からは、これを45分でするのは無理!との声が聞こえた(生活援助2は45分だからね)。

そうなんですよ。これは、身体介護2、つまり1時間の支援なのである。また、ダイアローグの中には、介護職員の丁寧な関わりが見え隠れしており、参加者からは、こういう介護しているかな(笑)との声もあった。

もちろん、佐藤は、皆さんはもっともっと丁寧な介護をしていると思っている。ただし、それはもう自然の所作として行われていることでもあり、意識されていないのかも知れないけれど。

介護記録の研修はこれにて終了。今後は、それらの技術を意識して伝わる記録を残してくださいませ!



●情報を共有する●.jpg

●情報を共有する●



(To Be Continued!)

posted by さとうはあまい at 14:54| 東京 ☁| Comment(0) | 研修会のツボ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月18日

奮闘記・第1080回 研修会のツボ/東京都

●2019年● 👊令和元年💨 東京都町田市


町田市・町田市介護人材開発センター・共催

対人援助職に必要な能力
2019年度 相談援助研修・初級編(第1回)



いやいや、皆さまお久しぶりです。町田市は令和に入っても熱い!(気温もだが) 

町田市介護人材開発センターさんでは町田市と共催して、町田市で働いている「相談援助業務」を行っている方々を対象に、スキルアップ研修を開催しているのだ。

この研修は「初級編」「上級編」があり、佐藤は、昨年に引き続き、導入部分である初級編を担当することになった。まずは街道筋(?)の大國魂神社へ寄り、令和元年の初大吉を頂き、町田市内では母智丘神社で挨拶を済ませて、会場の町田市健康福祉会館入りした。


●令和元年の初大吉ゲット!(大國魂神社也)●.jpg

●令和元年の初大吉ゲット!(我が大國魂神社也)●


●母智丘神社にも参拝●.jpg

●母智丘神社にも参拝●


●じゃ〜ん!おなじみ町田市健康福祉会館が会場である●.jpg

●じゃ〜ん!おなじみ町田市健康福祉会館が会場である●



研修に先立ち、町田市介護人材開発センターさんの事務局の方と、日程調整やら研修内容やらを打ち合わせ、いよいよ参加申込みを開始すると、何と言うことか、定員が50名が60名となり、定員を超えることになった。

もちろん、佐藤は、会場が広い場所を確保して頂いているので、MAX 80名位までは可能ではないかと伝えていた結果、80名弱の申込みとなったのだ。

こんなに参加者が多いのは、町田市では、主任介護支援専門員を希望する方々には、この研修と上級編の参加することを条件としているからだろう。

であるから、当然介護支援専門員の方が多いのであるが、その中にあっても、通所介護や訪問介護、施設の職員など、幅広い職種の方の参加があった。

人材がいないので、参加したくても出せないという話もある中で、こんなに多くの方が参加する地域であるのは、すごいことである。介護福祉業界は、全国ですっかり温度差が開いてしまった感がある。


この研修の目的は、

『「相談業務」と一言で言っても様々な役割の中で仕事を進めていきます。相談援助者として何をすればよいのか。どのように進めていけばよいのか等、分からないことがいっぱいあります。面接等に際し「御用聞き」にならず、専門性のある相談援助をするにはどのようにすればよいのか、利用者にとって正しいアセスメントとはなど、一緒に考えてみませんか。自分の仕事を説明する力、判断する力を身に付けたい方、相談援助者としてご自身を振り返りたい方など、初心に戻れる機会にできればと考えます。』

というもの。実際「御用聞き」にすらなっていないところもあって問題は深いのだが。

研修は全3回シリーズで行われ、今回はその第1回目であり、テーマは「相談援助の展開(PDCA)と記録 〜バイステックの原則について〜」である。

研修に入る前に、町田市と介護人材開発センター、双方から参加者へエールが送られたw。


●定員を超える人々が集合した●.jpg

●定員を超える人々が集合した●


●開会を告げる山城氏●.jpg

●開会を告げる山城氏●



■研修で行ったこと
(1)相談援助の展開と記録
(2)演習 1⃣ 自己紹介
(3)演習 2⃣ ロールプレイ



今回は、開始直後に事務連絡などもあり、スタート時点でタイムスケジュールが大きく崩れてしまった(笑)。まぁ、そういうときは臨機応変に対応するしかない。

まずは、資料を用いて、バイステックの原則を案内。相談業務に就く人であれば、一度は聞いたことがある原則である。

ただし、実際の相談援助をしているときに、この原則を意識することは難しい。まして、原則通りに振り舞えるようになるのは相当な訓練が必要であろう。

とりあえず、原則を読み上げて、さらに介護支援専門員には、「専門職業的援助関係を構築する」ことが含まれると言うことを付け加えた。

なんせ、本来の相談援助というのは、本人が、相談者に相手をしてもらいながら、自分と向き合い、自分が抱えている困りごとを、明らかにし、それをどうしていくのかを本人が導き出せるように支援することなので、援助者の役割は、本人が決定できるように寄り添い、本人の気持ちを受容し、感情を表出させて、本人が自己決定できるようすることである。

とは言え、介護支援専門員には、「本人の困りごと」を明確にし、その困りごとを「本人がどうしたいの」を考えられるように寄り添い、その上で介護支援専門員や、他の専門職の意見、本人のこうしたいを実現するためには「○○が必要である」という助言をする役割があるのだ。しかしどうも介護支援専門員は本人の困りごとのほうが深いようで・・・。

さて、そのためには「専門職業的援助関係を構築する」ことが重要で、いわゆる利用者および家族から信頼を得られなければ、そもそも支援は成り立たない。

その、利用者および家族から信頼を得るための過程が、ケアマネジメントのプロセスである。
今回は、介護支援専門員の他にサービス提供事業所の参加もあったので、ケアマネジメントの正しいプロセスを案内した(参考資料:ケアマネジメントのプロセスをマニュアル化しよう)

【参照】ケアマネジメントの正しいプロセス. p.204〜『八訂 介護支援専門員基本テキスト:第1巻 介護保険制度と介護支援』(介護支援専門員テキスト編集委員会・編)、一般財団法人長寿社会開発センター・発行、2018.


(1)受付「利用の申込みの段階」
(2)初回面接相談「説明と同意」
(3)アセスメント「課題分析」「解決すべき課題(ニーズ)の把握」「居宅サービス計画原案の組み立て」
(4)居宅サービス計画原案の作成「原案を、利用者及びサービス提供事業所へ送付する」
(5)サービス担当者会議の開催「居宅サービス計画原案の説明・承認」「居宅サービス計画の交付・同意」「サービス事業書に各介護計画の提出を依頼する」
(6)サービス利用票及び利用票別表の作成交付「各介護計画書を確認する」「サービス開始」
(7)モニタリング
(8)終結


このプロセスで重要な所は、(3)(4)である。
現在はと言うか、いまだにと言うか、居宅サービス計画原案がサービス担当者会議の席上で配布されることが多いと聞く。

その原因は、なぜか? それは、その方法が正しいと捉えられているということと(それ自体、お話にならないわけだが)、介護支援専門員が、利用者に利用したいサービスを聞いて、そのサービス事業所の空き情報を得て、利用出来そうとなると、そのままサービスに繋げてしまうからではないかと考えられる(しかしこれならAI次第で簡単に居場所が奪われることは請け合いである)。

本来は、(3)のところで十分に相談援助スキル駆使して、「生活全体の解決すべき課題」を導き出し、その後「長期目標」「短期目標」相談したうえで、短期目標を達成するために必要な「具体的なサービス内容」を導き出し、そのサービスの提供にふさわしい「サービス種別」を提案するのであるはずだが・・・(まぁできぬものはできぬのでしょう)

その段階を経て、ようやくサービス種別が確定したことで、該当するサービス提供事業所に空き情報を問いあわせることが出来るのだ。

この段階を十分にクリアしていれば、おのずと「居宅サービス計画原案」は出来ているはずで、サービス提供事業所にも「居宅サービス計画原案」を提示出来るはずなのである。

しかしねぇ、というかやっぱりというか。実際にこの段階が大変なのである。利用者は人それぞれだし、ましてや家族もそれぞれ違う。一方では利用者と家族の思いや考えが統一しているなんてことはまずない(笑)。

だからこそ、相談援助技術が必要になるのである。自分を守る手段としても。

そうそう、サービス提供事業所は、介護支援専門員から、サービス提供の問い合わせがきたら「サービスの申込みにおける調整」を行い、サービス提供の可否を介護支援専門員へ報告します。そして、サービス提供が可能な場合には、事前訪問を行い、ケアマネジメントの言うところの(2)がスタートする。

介護支援専門員が、(3)において、利用者及び家族の困りごとや意向を十分に引き出して、必要なサービスに付いての説明がなさられていれば、相談員等が行う説明は少なくても良いのだが、逆に、本人達の同意が得られていない場合には、それこそ、サービス利用を拒まれるなんてこともあるかも知れないのだ。

それでも、相談員が丁寧に事業所の特徴や売りの部分を説明することで、利用者が利用したい気持ちになれば良いのだから、相談員は、常に「自社の売り」を蓄えて事前訪問に出向くようにしましょうよ。


●皆さんの話に耳を傾ける佐藤●.jpg

●皆さんの話に耳を傾ける佐藤●


●佐藤の解説に耳を傾ける参加者●.jpg

●佐藤の解説に耳を傾ける参加者●



演習 1⃣ 自己紹介
初級の研修は全3回シリーズで行い、グループメンバーは交代しない。そこで、各グループの中で、メンバー同士の交流を深めて頂く意味も込めて、自己紹介を行った。

話す内容は、「自己PR (自己紹介及び役割)と、事業所の売りである。聞いている皆さんが、利用したい気持ちになるように説明する」こととした。まぁこれが他の地域なら、書いた時点で暗澹たる気持ちになることが多いのだが、まずは町田市で良かったw。


自己紹介の時間は、1人・2分30秒で行った。話す順番は決めない。話した人が次の人を決めるというご指名制である。

佐藤は、話す人が持ち時間を目一杯使って、話しが出来るか否かは、実は聞く人の態度によっても左右されると考えており、聞く方も、相手に興味を持って聞くようにと伝えた。

そして、まずは、初回に話す人を決めて頂き、演習をスタート。さすが、皆さん相談業務を生業にしている方であるため、話しもうまいし、聞く態度も素晴らしい(いやな〜に)。

中には、時間まで持たずに終了してしまう方もいたが、皆さん何とか自己PRが出来たようである。


●ひゃ〜参謀と参加したウナギいぬ君●.jpg

●ひゃ〜参謀と参加したウナギいぬ君●



演習 2⃣ ロールプレイ
ここでは、相談員役が、利用者と娘に初回面接を行うという設定のもと、相談員が、情報を提供し、必要な情報を得るというロールプレイを行った。

私が、過去に行った「介護支援専門員の実務研修」では馴染みの演習である。

演習の設定
介護支援専門員の方
町田さん(女性78歳)の長女(現・伊藤さん)から、けやき居宅介護支援事業所に電話があり、介護認定を受けた結果が、要介護3であったので、早速ケアプランを作成して欲しいとのことでした。事業所では、担当者を誰にするかを相談した結果、福士さん(男性32歳)が担当することになりました。福士さんは長女に連絡を取り、日程調整を行い、初回訪問を行うことにしました。

その他の方
(自分は◇◇◇事業所の相談員です。※相談員を読み替えてください。)けやき居宅介護支援事業所の福士さんより、サービス提供依頼があり、本日は事前訪問として、町田さん宅を訪問しました。

いきなりの演習は難しいこともあり(人生誰でも初舞台💛)、佐藤が初回面接の悪い例を資料を参照しながら案内した。そして、皆さんに初回面接ですることを説明したのち、演習をスタートした。


●参加者の演習を笑顔で見守る石原氏●.jpg

●参加者の演習を笑顔で見守る石原氏●



ここでは1人5分間かけて行う。最初は、ロールプレイのやり方がわからずにいたグループもあったが、徐々にするべき演習を理解し、最後には各グループが盛り上がって行った(笑)。

ロールプレイは、ドイツの文豪・ゲーテの戯曲『ファウスト』みたいなもの。やはり二部(後編)から盛り上がるのだw。

まぁ、他の方が観ている前で、利用者役や娘さん役の方に、自分の役割を説明したり、本人の困りごとを聞き出したり、娘さんの気持ちを聞き出したりするのですから、最初は緊張しますよね。それでも、2人、3人と進んで行くうちに、皆さんがそれぞれの役を演じるのがうまくなって行った。特に、本人や、娘さんの役が板に付いていた(笑)。

しばしば慣れとはそういうものであるが、現実の仕事や関係性に慣れてしまうのは感心しない。

さてさて、中には、「自分はなんでも出来る」「何が問題なんだ」と言い張る利用者もいて(笑)、相談員役は、本人の訴えを受け取りつつ、日常生活動作をひもときながら、本人の出来ることや出来ないことを具体的に聞いていく姿には、「さすがだなぁ〜」と感激した。これなら、まぁ、素晴らしいと言えるのだ。

こうして、会場は皆さんの熱気に包まれて行ったのだ。そして、最後の方が終わったと同時に気付けば、もう16:00、終了時間である。

今回は質疑応答の時間を取れずにごめんなさいねぇ〜、理由はあれこれにありますので(笑)。

次回は、他者と語りながら、自分と向き合う時間を多く取ろうと考えています。佐藤は再会を楽しみにしていますよ。


●ロールプレイは緊張しますねぇ●.jpg

●ロールプレイは緊張しますねぇ●



さてさて、一見過ごしやすい季節を迎えましたが、急に暑くなったり、朝夕は涼しかったりと、体調を崩しやすい季節でもあります。どうぞご自愛くださいませ!



(この地上で過ごせる時間には限りがある。本当に大事なことを本当に一生懸命できる機会は、2つか3つくらいしかないのだ。スティーブ・ジョブズ。The end is the beginning!)
posted by さとうはあまい at 12:31| 東京 ☀| Comment(0) | 研修会のツボ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月04日

奮闘記・第1079回 見聞録/東京都

●2019年● 東京都北区&府中市


「天壌無窮」(てんじょうむきゅう)を楽しむ

〜「平成」から「令和」へ!終わりがはじまり〜


皆さまお久しぶりです。

元号が変わり、あれよあれよと日が進み気づけば連休も終わりに近い。
皆さんはどのようにして連休を過ごされたのでしょうか。

佐藤は、出かける予定などは全く無し(笑)。研究所にこもり(家だからね)、もっぱら資料づくりと家事をしておりました。

そんな中、唯一、1日は外出して過ごしました。そう、もちろん『令和元年5月1日』ですもの。

佐藤は、新たな年号を迎えたお祝いと、新たな月を迎えられたことから、 「ひゃ〜参謀」を誘い出し、近所の王子神社を参拝した。

「平成」から「令和」に変わったその日は、あいにくの雨で朝を迎えた。しかし、その雨も8時くらいには止み、雲間から太陽が顔を見せてくれた。そして9時過ぎには眩しいくらいに輝きを発していたのだ。

まぁいろいろ、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)や三種の神器にまつわるものを結びつける古代史ファンや神道フリークもいるが、それはそれ、儀式と神話をまぜてもいけない。そもそも、天叢雲剣(のちの草薙剣)の初代(?)は、壇ノ浦に沈んでいるわけだし・・・。


さて、佐藤は、その陽光の下で「令和」の時代は、この太陽のように暖かく、災いの少ない時代を願うばかりである。

(「無理だな」と「ひゃ〜参謀」)


【近所の王子神社】
実は、我々は可能な限り、毎月初めには王子神社を参拝しているのだ。
とは言え、この日は元号が変わった特別な日。境内には、いつもより多くの参拝客がおり、入り口の鳥居から外れて列ができていた。
まるでお正月のようである。


●御朱印で並ぶ列が王子神社でも●.jpg

●御朱印で並ぶ列が王子神社でも●



もしかして、この列に並ぶのかしら?と覚悟を決めて良く見たら、なんと、その列は御朱印を頂くために並んでいる列であった。

佐藤は、御朱印を否定するわけでも、非難するわけでもないが、それを頂きに来ている方が、肝心の神社を参拝せずに、御朱印だけを求めているとししたなら、なんだか残念に思う。せっかくなんだから、拝殿に手を併せても良いだろうに。

もちろん、多くの方は参拝後に並んでいるとは思うのであるが・・・。我々は、御朱印を求めて並ぶ列から離れ、参拝を待つ列に並んだ。

この日は、やはり参拝客も多くて中には赤ちゃんを連れお宮参りに来ている家族や新たな年号に改めて、ご祈祷をする人々や、我々のように月参りに来ている方などでおおいに賑わいを見せていた。

やがて順番が来て、我々は、拝殿にて手を合せる。佐藤は、


「新たな天皇の時代、平和で災害の少ないことを願い、また、新たな月に入ったことで、今月も無事にすごせますように」


とお願いをした(さて?)。

本来で有れば、ここでおみくじと行きたい所ではあるが、そこはほら、御朱印を頂く方々が社務所に列をなしていたので、断念した。

そうそう、神社本庁では、毎月「生命の言葉」という、デイサービスしおりのような紙を出している。王子神社では拝殿横に、箱を置きその中に紙をいれて、参拝客が自由に持って帰れるようになっている。

我々も、毎月この言葉を楽しみにしているのだ。ここ数か月はどことなく、がっかりさせられていたが、今回は大物中の大物!

今月の言葉は、


「天井無窮(てんじょうむきゅう)」


という言葉で、天照大御神(アマテラスオオミカミ)様の言葉であったw。その紙の裏に書いてある「口語訳」を転記する。


『天照大御神が、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)に勅して申しされるには、「豊かで瑞々しいあの国は、我が子孫が君主として治める国土です。我が孫よ、行って治めなさい。さあ出発しなさい。皇室の繁栄は、天地とともに永遠に続き、窮まることがありません』


とあった。

まさに元号が変わった初日にふさわしい言葉であった。


●「天壌無窮」のしおりがあった●.jpg

●「天壌無窮」のしおりがあった●



「体よく、高天原から追い出されただけですよ。だって、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)は自ら光れないから跡は継げないから」

ですと。さて、我々は、こうしてて無事に王子神社を参拝し、次を目指した。

「ん? 何か問題でも」(笑)


そう、本日は元号が平成から令和になった記念すべき日ですからねぇ。どこぞの神社へ行きたいものだなぁ・・・ということで、

急遽我らの聖地・大國魂神社を目指すことになった。

ちなみにここから大國魂神社へ行くには首都高速を使うのがベスト。しかし、連休真っ最中ですからね。「渋滞は勘弁」と思いつつも首都高に入ったのでありました。

この日、その首都高速は思いのほか空いており、我々はスムーズに調布インターまで移動したのであった。いや〜空いてる空いてる。


ひゃ〜参謀:「調布飛行場から飛行機が来ても大丈夫だぜ!)

佐藤   :「」



さて、参拝前に腹ごしらえ。食事はマンマパスタ(Mamma Pasta)府中店でと決めていた。

こちらはイタリアレストランで、平日のランチはセット料金でコスパであり、すでに馴染みの店である。

しかしこの日は祭日(笑)で、昼時ということもあり、店内は結構混んでいた。また、予約された方もいて、後から後から人が入ってくる。もちろん食事を終えて出ていかれる方もいる。

我々はしばしエントランス横の椅子に座り順番を待つ。やがて名前を呼ばれ、お店の方の後ろについて案内された席に着いた。

すると、店員さんが定番メニューをテーブルに置き、さらに、その後黒板メニューを持参して


「こちらは、この季節限定のメニューです💛


とその黒板を椅子において去って行った。へへんだ。


我々は、あれこれ迷ったすえに、季節限定のピザと、定番メニューからパスタを選択して注文した。もちろん、飲み物はジンジャエール(ウィルキンソン)の辛口である。大人は辛口だよねwww。

まずは、飲み物が運ばれ、続けてパスタ。次にピザが到着した。テーブルの上は一瞬にして美味しそうな香りに包まれていった。


●マンマパスタ府中店のパスタはうまい●.jpg

●マンマパスタ府中店のパスタはうまい●



我々はそれらの料理をシェアして頂いた。

こちらのピザは石焼きで、耳がふっくらしていてもちもち感がある。具材は春の野菜。たけのこ、アスパラガス、トマト、極め付けはモッツァレアチーズの燻製である。ほほう。

佐藤はそれに辛味のある油をかけてほうばる。パスタは、シャケとほうれん草のクリームパスタだ。


●これも美味しいピザ(笑)●.jpg

●これも美味しいピザ(笑)●



2人にとってはこのくらいの量で十分である。特にピザは1人では食べきれないのだ・・・。

食後に軽く仕事の打ち合わせをして店を出た。


店を出るときにもまだ多くの方がエントランスでの内外に並んでいて驚いた。うまいし安いし当たり前といえば当たり前だけど素晴らしい混雑ぶりであった。

さて、先を急ごう。


旧甲州街道を走り、いつものように神社の駐車場に入れよう左折したら、なんと、お祭準備で駐車場は閉鎖されていた。

そこで、閉鎖している所に係りの方がいたので他の駐車場の場所を尋ねて見たが、「自分にはわからない」という。まぁ、素直で良いが、これでは参拝客は困るであろうに。仕方がないのでナビ様にパーキングマークを表記させ、周辺の駐車場を探すことにした。


もちろんあちこちパーキングマークはあるがいずれも「満」という文字が、赤く光っている。
やがて、遠方に「空」という青い文字を見つけ、そこへ移動し、ようやく車を置くことができた。

なんと、大國魂神社近辺はすっかり、かの有名な「くらやみ祭」(4/30からすでに前夜祭)モードに突入していたのだ!


我々は、徒歩にて数百メートル移動し、入口の鳥居をくぐり神社境内に入った。すると、境内のここかしこでお祭の準備が行われていた。

見ればお化け屋敷まである(笑)。ここは神社の境内ですぞ! また、境内には参拝客も多く、子供を連れた家族も多く来ていた。


●武蔵国総社・大國魂神社の参道●.jpg

●武蔵国総社・大國魂神社の参道●


●昼間のお化け屋敷ほどコワイものは・・・●.jpg

●昼間のお化け屋敷ほどコワイものは・・・●



さらに、こちらにも御朱印を目当てに多くの方がきており、すでに神門より手前の手水舎あたりまで並んでいた。我々は、その列を横目に、手水舎にて体を清め、境内に入った。そして参拝客の列に並びその時を待った。

やがて列が進み、やがて我々の順番となった。そこで、改めて元号が変わったこと。月が変わったことに関連し、良い年になるように。今月も無事に過ごせるようにお願いをしたのであった。


さてようやくおみくじタイムである。

佐藤は、拝殿横にあるおみくじコーナーにてシャカシャカと棒の入った箱を振る。そして、そばにあるみくじの箱から棒に書かれた番号の引き出しを開く。

まずはわたし。うーん、残念!小吉
次に「ひゃ〜参謀」。彼はなんと大吉であった。令和はじめの大吉ですよってさ。ハハハ。そりゃぁようございましたね!

佐藤は、踵を返して摂社・住吉神社大鷲神社を参拝商売繁昌を願う。


●おみくじは・・・・府中ならぬ不調なり●.jpg

●おみくじは・・・・府中ならぬ不調なり●


●「ならぬものはならぬのです」●JPG.jpg

●「ならぬものはならぬのです」●



さて、こちらのおみくじはいかに。じゃーん、中吉だってさ!まぁ良い。

その後である。なんと我々は御朱印の列に並んだのである(笑)。

それこそ我々は、あちこちの神社に出没しているが、今まで御朱印を頂いたことがない。なぜならば、参拝をすることに意味があって、御朱印を集めることに興味がなかったからだ。なんせ時間がかかるし、神職がいなかったり、食事中だったりでそんなことまで気をつかうことはあまりしたくない。

だが今回は年号が変わった記念すべき日である。しかも先程から、境内には「御朱印を前もって作成したものを他の列で配布しています」という、巫女さんの涼やかな声が響いているのだ。

さすれば、それを大吉の代わりに頂こうということで、生まれて初めて御朱印を入手したのであった。これで令和は安泰間違いなしw。


●東京都の守り神・令和の時代も健在である●JPG.jpg

●東京都の守り神・令和の時代も健在である●


●ひとりわが道をゆく(笑)●.jpg

●ひとりわが道をゆく(笑)●



こうして参拝を済ませた我々は、先ほどの駐車場まで戻り、車に乗って渋滞に巻き込まれることなく無事に帰ってきたのであった。


さて、大國魂神社の「くらやみ祭」は、東京都指定無形民俗文化財に指定されているお祭りである。祭りの期間は5月3日〜5月6日に渡って行われるお祭りで、日々それぞれの神事が行われている。

まぁ、くらやみというだけあって、夜半にお神輿や山車が出るようだ。詳しくは大國魂神社のホームページでご確認くださいませ。

https://www.ookunitamajinja.or.jp/wp/info/279.html


佐藤は、そのお祭を舞台にした映画「くらやみ祭の小川さん」を楽しみにしている。
先ほど、公開はいつかと調べたら、なんと劇場公開は、当初4月の予定であったが、10月公開に変更になったというのだ。

その理由は、「くらやみ祭の小川さん制作実行委員会のホームページ」によれば、本作品はとても良質な作品に仕上げることができたので、急いで公開するよりもじっくり宣伝して、きちんと育ててから公開することが作品のため、ひいては府中のためになると判断したのだという。

なんでも海外の映画祭にもエントリーするらしいですよ。

そして、日本人の心と祭という日本文化を世界に伝えて行くとしています。

素晴らしい取り組みじゃあないですか!ということで、佐藤も10月公開の映画を楽しみにしたいと思います。


余談だが、令和初日、明治神宮のご朱印待ちは10時間を超えたらしい。ディズニーランドに匹敵する混み具合だな、こちらもすごいぜ。でもなんであそこがそんな人気があるのかわ・・・(強制終了!)。

皆さま、令和の御世もご自愛ください!



●はじめての御朱印●.jpg

●はじめての御朱印●


●「ひゃ〜参謀」紫蘭ちゃん(笑)●JPG.jpg

●「ひゃ〜参謀」紫蘭ちゃん(笑)●



(K朝鮮、飛翔体発射、日本海上に到達。まったくあのデ○はすぐひがむんだから!The end is the beginning!!)
posted by さとうはあまい at 17:27| 東京 ☀| Comment(0) | 見聞録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月05日

奮闘記・第1078回 見聞録/千葉県

●2019年● 千葉県館山市&安房郡鋸南町

サクラの花に誘われて、房総半島へ!

〜安房神社を始め、南房総は見どころがたくさん〜



さてさて皆さま、4月になりました。《平成》の世もあと1か月弱で《令和》の世を迎えますねぇ、元気ならば(笑)。

そして、新年度を迎えて、新入社員が入ったり、入社された方はもちろん、先輩達も緊張する時間を過ごしているのでは無いでしょうかね。

東京はサクラの開花は平年より早かったようですが、その後に寒の戻りがあり、4月に入っても、関東周辺でも雪が降った場所があったとか。いやしんどい!

そのためサクラの木にブレーキがかかり、平年よりも長持ちをしているとのこと。良いのだか悪いのだか。

新入社員の方々をサクラもお祝いしているかのようですねぇ。

一方、佐藤は・・・・、本来は昨年度中に終わっていなければならない仕事があったのですが、終了するまでの間に、いろいろなアクシデントがあり、ようやく先日終了した次第です(やれやれ)。

ということで、まぁ、そのう、ようやく時間にゆとりができたというか(笑)。

さようであるならば、どこか「良い神社」(ここがポイント)へ行きたいというもの。佐藤は、参道にサクラの木が植えられている安房神社へ行くことにした。ハハハ。全くの思いつき!!

そこで佐藤は例のごとく研究所の「ひゃ〜参謀」

「明日、千葉の例の場所へサクラを見に行きたい。同行を依頼したいが、いかが?」

とメールを打った! すると「はいはい。良いですよ」との2つ返事でメールを返してくれた。

と言っておきながら、その日は午前に私用があったので、いつものように早朝から飛び出すことはできないず、10時過ぎににチーバ君たちをバックに押し込み、研究所をあとにした。今回は、その見聞録である。

佐藤は、ナビ様のおっしゃる通りに車を走らせていく。羽田空港を通り過ぎ、東京と千葉を結ぶ、東京アクアラインをめざしている。

ただ、車中で「ひゃ〜参謀」との話に夢中になっていたら、なんと木更津方面へ左折しそびれてしまった。困ったなぁ〜。このまま何処まで行くのであろうか?

すると、ナビ様が10キロ先の大黒パーキング(PA)に入ることを指示している。大黒PAから外へ出て再度高速に乗るのだなと思いそのまま海上を走る高速道路を駆け抜けて大黒PAへ入った。そう、ここのパーキングはUターンが、できたのであーる。やはり困ったときのダイコクさまだなw。

よっしゃ! 今度こそアクアラインへ乗るぜいということで、《覆面なんとか》に捕まった車をしり目に、無事にアクアラインに乗ることができた。

ここ、東京アクアラインは、神奈川県川崎市から東京湾を横断して千葉県木更津市へ至る高速道路である。東京湾アクアラインの、道路全体の総延長は15.1kmである。

川崎側の約9.5 km区間に東京湾を横断する東京湾アクアトンネルがあり、途中《海ほたるPA》から、先の木更津側の約4.4 km区間にアクアブリッジと呼ばれる橋があるのだ。ふう、もう少しネーミングがね・・・。

そうそう、この海ほたるPAは「木更津市」だそうで、つまりここはもう千葉県だったのだ。

佐藤は、前の車に続いてトンネル内を爆走していく。トンネルと行っても日本一標高が低い海面下60mと言う場所を通っているんだから、このトンネル上は海なんだよなぁ。


【海ほたるPA】
我々は、途中で海ほたるPAへ立ち寄った。なんと、この日は通常のパーキングエリアがすでに満車で、臨時駐車場へ案内された。もう、何回も来ているが臨時パーキングエリアは初めてである。

この海ほたるPAは先ほど書いたように千葉県木更津市の人工島なのだ。臨時パーキングから徒歩にて、はじめて1階の正面玄関から《海ほたる》に入った。「ひゃ〜参謀」は、以前、ここでマスコットの海ほたる君を手に入れている。今回は、その海ほたる君の里帰りでもある。


「ここで津波が来たら死ぬな・・・」


海の見える道を歩きながら、「ひゃ〜参謀」。我々は5階の展望デッキに出て、いつものごとく写真を撮った。久しぶりの里帰りに海ほたる君チーバ君と語り合い、ご機嫌である。ハハハ。


●正面玄関から入る●.jpg

●正面玄関から入る●


●海ほたる君の里帰りです●.jpg

●海ほたる君の里帰りです●



ちと、ゲームセンターに立ち寄り。「こうていぺんぎんくん」をクレーンゲームでつり上げようとしたが残念!だめであった。まぁ、良い。また来ましょうぜ。

我々は車に戻り、先を急ぐ。東京アクアラインから館山道に入った。高速道は渋滞までは行かないが、それなりに混んでいた。途中、ここでも覆面パ○カーにゲットされた車があった。我々は法定速度でぐんぐん加速していく。もちろん、法定速度を厳守!(笑)先を急ぐのだ。

そして、昼食はここでとろうと決めていた、ハイウェイオアシス富楽里に立ち寄った。ここは「道の駅・富楽里とみやま」でもあるが、マグネットはなし。


●青空がまぶしい館山道●.jpg

●青空がまぶしい館山道●



【ハイウェイオアシス富楽里(ふらり)】
ここには、海の幸をふんだんに使った食事処があるのよ。その名も食事処 網納屋(あみなや)さんである。

「ひゃ〜参謀」は、マグロ丼。佐藤はあみなや丼(小)とコーラを注文。暫し待っていると、小丼にマグロやタイやいくらなど数種類の魚が乗っていた。みそ汁と小鉢が付く。

確かに小丼で、見た目は「えええ?」と思う大きさであるが、いやいやお刺身の一切れが大きく、さらにその下のご飯がボリュームがあるから、私には十分な量であった。我々は、お腹も満たして幸せな気分のまま、安房神社に着いたのであった。


●網納屋さんで頂くあみなや丼(小)●.jpg

●網納屋さんで頂くあみなや丼(小)●



【安房国一の宮・安房神社】
ナビ様に導かれるまま、国道410号線を左折すると、そこはもう安房神社へ向かう道となる。その道を進むと、ほどなく参道に咲き誇るサクラの花が見えてくるのだ。

おお、良かった。今が満開じゃあーりませんか。内心散りサクラだったらどうしようと思っていたのだが・・・。

そこはほら、天太玉命(アメノフトダマノミコト)が、我々が来るという話を聞きつけ、意地でも散らせなかったのだろうな(笑)。


●これこれ!安房神社の参道である●.jpg

●これこれ!安房神社の参道である●


●満開のサクラの下チーバ君たちも大はしゃぎ●.jpg

●満開のサクラの下チーバ君たちも大はしゃぎ●


●まだまだ持ちそうである●.jpg

●まだまだ持ちそうである●



我々は鳥居前の駐車スペースに車を置いた。

安房神社には、参道に沿っても駐車スペースがある。そちらにはデイサービスや特養の名前が入った車が駐車しており、皆さんお花見にいらしているようだ。いいねぇ。

我々は、鳥居の前にて一礼し、参道に入った。そこは、ピンクのカーテンが揺れるがごとくピンク色に染まっていた。これよこれ!ここのサクラは背が低く、見上げることなく花を楽しむことができる。たまに枝でラリアットを頂くこともあり、今回も頂いた(泣)。

近づくと花蜂が「じっくり行きなさいね」と羽音を鳴らしていた。近くの木で鶯が鳴く。おお、これぞ、正しき日本の春! ピンクのトンネルを抜けると、第2の鳥居がある。そこを抜けると境内となるのだ。

こちらは先ほどまでの賑やかな花の香りとは違い、凛としたすがすがしさが漂っている。

我々は手水舎で手を清め、拝殿へ向かう。前方の階段上には、神明造りのふっくらとした社殿が現れる。我々は、まず上の宮の拝殿にて参拝する。


●こちらが神明造のお社・上の宮●.jpg

●こちらが神明造のお社・上の宮●



主祭神は、天太玉命(アメノフトダマノミコト)である。ご神名は『古事記』では布刀玉命、『日本書紀』では太玉命である。式内社(名神大社)安房国一の宮旧社格・官幣大社別表神社である。

忌部氏(斎部氏)祖神であり、細かいことは語り尽くした感があるから省くが、まぁ高木神の子にして、香取神宮経津主大神のモデル(天日鷲命:忌部五部神)の父神様と考えられる。

また、相殿には、

后神天比理刀当ス(アメノヒリトメノミコト)
忌部五部神
 出雲忌部の祖・櫛明玉命(クシアカルタマノミコト)
 阿波忌部の祖・天日鷲命(アメノヒワシノミコト)
 紀伊忌部の祖・彦狭知命(ヒコサシリノミコト)
 讃岐忌部の祖・手置帆負命(タオキホオイノミコト)
 筑紫忌部&伊勢忌部の祖・天目一箇命(アメノマヒトツノミコト)

とまぁなじみの顔ぶれである。阿波忌部が東遷して来たとされ、地名も「阿波」(あわ)と「安房」(あわ)であり、深く考えなくとも良いかな、と(笑)。

千葉を含む、「房総半島」はもともと総国(ふさのくに)で、麻の栽培がさかんであったそうな。だからこそ、産業振興商売繁盛の神様で有り、《日本三大金運神社》の1社とされる。

ん? あと2社は、新屋山神社(山梨県富士吉田市)と金剱宮(石川県白山市)らしいが、この2社は現在それほどでもないという噂もある。後者は、伺ったこといはあるが、そうだろうなぁ・・・そんなもんだろうなぁという気がしたw。でも、それはそれ。ご利益だけじゃ、いくらなんでもここまでなかなかこれませんて。やはり神社自体が良くないとね。


「天太玉命様、サクラに誘われてやってきました。今年も1年良き年でありますように!・・・ムニャムニャムニャ」


さて、ここでおみくじタイムだ。佐藤は小吉であった(例のかたは)。残念。ふふふ、まだあるもんね。

次に琴平社を参拝こちらには大物主神(オオモノヌシノカミ)が祭られている。こちらでは、もちろん、商売繁盛をお願いした。

続いて、下の宮を参拝する。こちらには、天富命(アメノトミノミコト)が祭られている。こちらでは、再度参拝に来られますようにとお願いした。


●こちらは下の宮の拝殿●.jpg

●こちらは下の宮の拝殿●



その後、再度おみくじにチャレンジ ほらね、大吉でしたよ(笑)。「ひゃ〜参謀」ですか? さぁ(笑)。

帰りに社務所に立ち寄り、久しぶりに、桃色の錦織りの「交通安全守」をゲットした。このお守りは、すぐに研究所の愛車・カナメイシ君の窓に張り付き、効力を発揮しております。そもそも、御岩神社だけでも「鉄板」に近いのにさらにこれだ!


●新緑に萌える境内の紅葉●.jpg

●新緑に萌える境内の紅葉●


●お社(上の宮)上の千木が美しい●.jpg

●お社(上の宮)上の千木が美しい●



参道は、さらにお年寄りが増えまして、広場では宴会も始まっているようで、天岩戸前のごときである。このような非日常的なふれあいが、利用者さんや、職員さんの心を癒してくれているようで、ほっこりした空気が漂っていた。

さて、実は寄り道したい場所が2箇所ほどある。それはズバリ「道の駅」だ。めざすはマグネット(笑)。


【道の駅・南房パラダイス】
まずは、道の駅・南房パラダイスである。道の駅の後方には、アロハ・ガーデンたてやまがあり、熱帯・亜熱帯植物を展示しており千葉県下一の植物園らしい。そこから流れてくる。ハワイアンが南国情緒を醸し出しているのだ。まぁどこかの神社の近くの野鳥園が、その、なんだから(笑)、過剰な期待は・・・ね。

こちらマグネットは3種類あったが、佐藤はハワイの神様の象徴、ティキ像が描かれていたものを選択し、「ひゃ〜参謀」にプレゼントした。実は前回来たときには売り切れで無かったのだ。まぁ、こんな可愛い神様が付いていたら売り切れますわなぁw。

ちなみに、ティキ像は、地球上の最初の人間を表しているという。彫られるときは、特定の神とされ、その力(マナという)によって具体化されるそうだ。

《ティキ》はハワイ語だと「T」が読まれるが、本来ポリネシアの神様なので《キイ》と発音するらしい。ハワイ4大神(出雲みたい💛)とは、

「クゥ」様(戦いの神・山海の神)
「ロノ」様(農耕の神・平和の神)
「カネ」様(万物の神・生命の神)
「カナロア」様(海の神・死者世界の神)


らしい。うーん、ハワイには行ったがそれほど詳しくはないが、南房パラダイスのティキ像はどの神様なのかなぁ? ハワイ4大神の中に商売繁盛の神様は、万物の神の《カネ》様かなぁ(それじゃ実もふたもない「そのもの」って感じではあるが・・・)。

きっと日本では商売繁盛の神様も始めた・・・いや、「ハワイ」は繁盛しているから、もともと本業なのかも知れん。品ぞろえもいいから、近くに来られたらのぞいてみてくだされ。

もう1箇所はこちらのあとに寄るとして、来るときに気になっていた「ピーナッツソフトクリーム」屋さんに立ち寄った。


【木村ピーナッツ / ピネキ】
こちらは、木村ピーナッツ / ピネキさんである。栽培から製造までの工程、販売をすべてを自分たちでなさっているお店だとか。

お店の前には、駐車スペースがあり、お店の前にはテーブル席が設けられていた。中に入ると、ご婦人達が「いらっしゃいませ!」と出迎えてくれる。

この落花生の直売所「ピネキ」さんの濃厚ピーナッツソフトクリームは、あの「とんねるず」のお2人も食べて大絶賛したらしい。壁に「直で」ノリさんのサインがあったwww。

お店は観光地のお土産屋さんふうで、ピーナッツ製品が所狭しと並んでいた。ここもまたいいのよ、すごく(笑)。千葉県ってお土産屋さんが充実してるんだよなぁ。

レジそばの案内にはパフェなども見えたのだが、我々は迷うことなく、「ピーナッツソフトクリーム」のコーンを選択し、店内の椅子に座って頂いた。

すると、あとからあとからお客様が入って来る。中には子どもさんを連れたカップルも。気軽に挨拶をされているから、おなじみさんかも知れん。

ちなみ、このソフト、尋常じゃありませんぜ。一口ほおばると、口の中が落花生の香りが広がります。二口食べると、ピーナッツの濃厚な甘味が広がるのだ。

ピーナッツだからねぇ。もう少しべたべたしていると思いきや、食べ終わると、さっぱりとした後味なんだよなぁ。とにかくうまいよ! これはまた来ちゃいますよねぇ、参謀!

さて、いよいよ最後、道の駅・保田小学校だ。


●ピーナッツソフトクリームは逸品ですぞ●.jpg

●ピーナッツソフトクリームは逸品ですぞ●



【道の駅・保田小学校】
えええ、小学校?と思うでしょ(笑)。こちらは館山道の鋸南保田インターから200mの距離にある道の駅である。保田小学校は2014年に126年間の学校としての役割を終え、2015年12月道の駅として生まれ変わったという。改築にあたり、学校の雰囲気を残して、地元で取れた野菜などの直売所、食堂、レストラン、宿泊、温浴施設などがある複合施設らしい。

高速を降りて、案内に従って中に入ると、そこはまさしく学校であった(笑)。いや〜そのもの。でも、いや、ほんと小学校を流用しているのだ。

今回の目的は、道の駅マグネットであるから、我々は一目散に売店へ行って中を散策。無事にマグネットを手に入れたのであるが、ここも道の駅。佐原や常陸大宮、潮来なみの品ぞろえ。房総半島の道の駅は恐ろしいレベルだ。

どうも、あちこち後ろ髪が引かれる所ばかりであった。次回は、やはり、早朝に飛び出して来んとな。夕方までのんびりしたい。そんな欲求が残る、思いつきの旅であった。

いやいや、千葉県、恐るべしですよ。ここで紹介したところは、絶対ススメですよ!


●保田小学校の顔出しパネル(背後霊ではない)●.jpg

●保田小学校の顔出しパネル(背後霊ではない)●



《余談》
佐藤が住む、東京都北区も何かとテレビで取り上げられることが多くなった。ええ、犯罪ではありませんよ(笑)。何でも東京の中でも物価が安く、住みやすい場所だとか・・・。住んでいる身には全くわかりませんが、確かに住みにくくもない。ひゃ〜参謀も小さいころはここらへんに住んでたらしい。

東京オリンピックがあるから、北区の広報も力を入れはじめたのでしょうねぇ。変わった人も多いが、やはり電車の便が良いからね。

ぜひぜひ、サクラのころには、JR王子駅前の飛鳥山公園王子神社や、厚焼き玉子の扇屋さん、その他いろいろお店もあるから、お越しください。そうそう、都営南北線・王子神谷駅近くにはニュージュン・タラもありますから、よろしかったらお越しください。今日は営業ばかりだったな(笑)。

皆さま、ご自愛ください。

★特選のお店データ★
「木村ピーナッツ ピネキ」
 〒294-0048 千葉県館山市下真倉 236-3
 (有)木村ピーナッツ
 http://kimura-honpo.com/shop.html


(「子育て」とは大変。両親や配偶者などの協力度もあるだろう。でもそういうのもひっくるめて、昔は《家族計画》があった。子供は1人ではできないし、勝手にできるものではない。平成人がよく「昭和的」とバカにするが、それなら自分らでやるべきことはちゃんとやってから言わないと、そうそう昭和人もお人好しではないからな!To Be Continued!!!)
posted by さとうはあまい at 22:58| 島根 | Comment(0) | 見聞録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月11日

奮闘記・第1077回 見聞録/和歌山県

●2019年● 和歌山県田辺市

熊野の神々様の導きで熊野本宮大社に初詣!

〜熊野詣でのにぎわいを感じつつ、ご神気を頂くのだ〜



今回は今年1月に行った和歌山県でまわった熊野の見聞録です。

いよいよ、熊野本宮大社を参拝する日が来た。ふふふ。これまで、佐藤は、いろいろな素晴らしい神社や神々様との出会いがあった。

しかし、和歌山県に出向く機会はあったし、日前神宮・國懸神宮和歌山城の素晴らしい場所には足を運ぶことはできたが、ここ熊野本宮大社・速玉大社・那智大社の熊野三山を参拝するには至らなかった。


伊勢へ参らば熊野に参れ どちらかけても片参り

伊勢へ七度 熊野へ三度 愛宕様へは月参り


とはよくぞ言った。しかし、このペースで人生であと2回は難しいかな(笑)。今回は、研究所の「ひゃ〜参謀」とともに熊野詣でとなったのである。

例のごとく、早朝に東京を抜け出し、南紀白浜空港に着いた。空港からたいそう離れた空港店に着きレンタカーを借りた。現時点の使った空港でレンタカーの店舗が1番離れていた長崎空港を抜いてしまった(笑)。


●迫りくる熊野!(ってこちらが近づいてるんだって)●.jpg

●迫りくる熊野!(ってこちらが近づいてるんだって)●


●無事、南紀白浜空港に到着●.jpg

●無事、南紀白浜空港に到着●



今回も、車はトヨタのヴィッツ君である。ナビ様に「熊野本宮大社」と入力すると、ゆるゆると国道311号線を走るコースを示した。そこから一気に全開で熊野本宮大社を目指した・・・といいたいが道路工事やらなんやらで、なかなか進まない。

しかも、この日はあいにくの天気で雨が降ったり止んだりしていた。道路も勝手がわからず、ベストな選択ができずに、熊野古道の中辺路に近いルートを通る山あいの道で進んだ(結構カーブが多く、ブレーキ操作が大変!)。

なんせ和歌山県は、山々が総面積の約81%を占めている県なのだ。神武天皇でなくとも、迂回に迂回を重ねて行かねばならぬ。冬は規制も多いらしいし、確かに日程を立てるのも難しい行軍で有る。

やがて、道しるべにあちこちに「本宮」の文字が見え始め、我々はなんとか本宮大社の近くに付いたようだ。いったん前を通り過ぎ(失礼します!)、情報収集を考えて道の駅を目指した。


●今回も和歌山のヴィッツ君との出会いがあった●.jpg

●今回も和歌山のヴィッツ君との出会いがあった●



そして、まず道の駅・奥熊野古道ほんぐうに寄った。なかなか品ぞろえも良く、マグネットもあるので入手。さて、ただ今11:00前、本来は神社から行きたいところだが、神社内でどれくらい、たたずむかはわからない。できれば長くいたいのだ。先に昼ご飯を済ませた方がゆっくりできると判断した。ということで車をUターンさせて、昼ご飯を先に食べに行くことにした。


●道の駅・奥熊野古道ほんぐうに立ち寄る●.jpg

●道の駅・奥熊野古道ほんぐうに立ち寄る●



昼食は、杜の郷 みるりいなを選んだ。こちらは「ひゃ〜参謀」が事前に調べていたお店である。イメージでは小さいお店であったが意外と大きく、きれいなお店である。

国道と熊野川沿いにある洋食屋レストランで、木のぬくもりがあるログハウスである。店内に入るとそこにはおもちゃや絵本などがおかれた子どもの遊び場があった。

席に着いて、メニューを観ていると、店の方が来て「本日のランチは○○ですw」とさわやかに説明してくれた。佐藤は、そのランチを「ひゃ〜参謀」はハンバーグランチを注文する。

この稿を書くためにみるりいなさんのfacebookを参照してみた。すると、佐藤が食べたメニューを発見したので載せておこう。

チキンと採れたてレモンのハニーマスタード煮込み・マッシュポテトとベーコンのチース焼き、卵の天ぷら 甘酢あんかけ・豆腐ステーキ 味噌マヨソース添え・かぶらのピリ辛昆布漬け、採れたてお野菜自家製玉ねぎドレッシング・お野菜とたまごの手作りスープ・コシヒカリ白ご飯。

1日10食限定・ワンプレート(800円)である。お料理もさることながら、新鮮野菜のサラダがしゃきしゃきしていて美味しかったこと!


●みるりいなの外観●.jpg

●みるりいなの外観●


●みるりいなの店内●.jpg

●みるりいなの店内●


●「ひゃ〜参謀」はハンバーグランチ●.jpg

●「ひゃ〜参謀」はハンバーグランチ●



ちなみにこの店は、家族経営のお店で、店の名前は2人の子供さんの名前を付けているとか。もちろん、お子さん達もお手伝いをしているようで、facebookには、様々な情報が盛り込まれていた。子供は親の背中を見て育つからねぇ。

さてさて、美味しいランチを頂いたところで、ゆっくりと熊野本宮大社に詣るとしょう。


熊野本宮大社には公式参拝ルートがあるが、これがまたチトうるさいw。まずは熊野本宮大社(この中もたくさんお社が!)、次に産田社(うぶたしゃ)大斎原(おおゆのはら)である。晴れていれば、熊野古道から大斎原を見るのがたまらんのだが・・・今回は雨で無理。熊野の神様が「無理するな」とのたまったようだ。


●とうとう熊野本宮大社へ!●JPG.jpg

●とうとう熊野本宮大社へ!●


●本宮の参道●.jpg

●本宮の参道●


●これぞ八咫烏ポスト!●.jpg

●これぞ八咫烏ポスト!●



熊野速玉大社熊野那智大社には、アウトライン(こう廻ってほしい)こそあるが、ここまでの公式参拝ルートはない。詳しくは、当ホームぺージの「強運・開運神社」の熊野本宮大社で述べているが、そもそもの神社の成立過程や性格からして、なぜ祓戸大神があるのがわからない。


When in Rome, do as the Romans do.(郷に入れば郷に従え。)


である。そもそも神社のルールの大半が、明治以降、あるいは昭和になってから作った○社本庁のこしらえたルールなのだ(たぶん)。もし神様が「自然のままを愛する」というのなら、今の山々を愛するはずがないだろう。

なぜなら、きれいに山が整備されているのは、人間が手入れをしているからである。つまり「不自然」なのだ。自然のままであれば、山は荒れ放題、生命力のある強い木々だけが生き残るはずだ。きれいな花など、生き残るすべはないだろう。

和歌山県出身の某作家が以前、荒れた山が自然の山であり、きれいに整備されているのは人工的な山で、それを知らない奴はほんとうの自然を知らないだけということを書いていた。その通りだと思う。

また、別なケースではあるが、「自然」に関する疑問を大久保利通が勝海舟に尋ねている。

「先だって、(明治維新後)京都の嵐山に行ったらすっかり荒れていましたが、どうしたんでしょう?」

と大久保利通。

「それよ」

ポン!と煙管で膝を叩いて勝海舟がいう。

「(嵐山が)今までできれいになっていたのは、人の手が入って居たからよ。そう幕府が費用を出していたのさ。幕府は金を出していたが、あんたらは(明治政府は)出していないだろ? だから荒れているのさ」

それから政府は口だけではなく、そういった経費も金を出すようになったという。

神社の自然はその逆のパターンだ。

もし神様がほんとうの自然を何万年も愛し続けて来たならば、人工的にきれいにされた風景を愛する理由がないであろう。じゃあ誰が喜ぶのか? 神社に関わる人間だと思われる。

以前、修験者が、山中で誰も参ることのないようなボロボロのお社を通り過ぎたとき、お社の中で楽しそうな話し声がしたという。中をのぞいてみると、清らかそうな神々様が、皆楽しそうにお話されていたという。

「人工的な汚さ」は論外にしろ、「人工的な美しさ」も神々様は好まないはずなのだ。むかしの教育勅語や主教団体の訓話のような厳しさが、神々様のこころの中にはたしてあるのかどうか(笑)。

適度な厳しさは人間にも必要である。しかし、神様が怒るよ云々などは頂けない。

電車内で我が子が騒いでいるのを「あんまりうるさいとあそこの恐いおじさんに怒られるよ!」というのと同じ。自分が不愉快なだけなのに、他者に責任転嫁して叱るなど、だらしない親の言い訳であり、とても躾とは言えるシロモノではない。

さて、話を本宮に戻すそう。

熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)とは、熊野三山の1つで、家都美御子大神(ケツミミコノオオカミ)を主祭神とする神社である。

素戔嗚尊(スサノオノミコト)の別名とされるが特段の根拠はない。たぶん人気があるから併記したのだろう。明治政府が「記紀」を重視し過ぎたため、政府から予算を取るためにしばしばこういう事態が発生している。ご祭神かどうかは別に、五十猛神(イソタケルノカミ)のほうがこの社(本宮)に限って言えば縁が濃い気がするのだ。

延喜式式内社(名神大社)で、旧官幣大社にして別表神社であるが、紀伊国一の宮ではない。創建は崇神天皇65年とされ、平安後期にほぼ成立した信仰形態である。熊野にいらっしゃるから、熊野坐大神(クマヌニマスオオカミ)の他、いろいろなご神名がある。

また、唐(中国)の天台山から飛来したとも書かれてもいる(「熊野権現垂迹縁起」)

このころの中国は日本、いや世界の憧れの的であった。また、末法思想が流行っていたため、神様だけではなく、地獄行きの要素が多い貴族たちの中で一層「あの世」への不安が高まり、仏様の力も借りたい時代であった。詳しくは述べないがお釈迦様の広めたお法(教え)の賞味期限が来て、大変な世の中になるという思想とでもいうのだろうか(いい加減)。

ちなみに天台山とは、天台宗発祥の地であるが、道教の歴史も長い場所で、那智の滝のような大瀧があり、道教の神仙が住む景勝地の1つである。結局は道教などのおまじないが好きなんだよね、当時の貴族は。

【熊野本宮大社】(くまのほんぐうたいしゃ)
「八咫烏」の舞い降りし甦りの聖地である。といっても、他の2社との共通点である、「神武天皇」も「八咫烏」もここの境内ではご祭神とあまり関連性が見られないのが不思議であった。とにかく好き勝手もなんであるから、先に述べた通り、作法に従ってみた。

大鳥居の前で、お邪魔しますと一礼して、参道に入る。ちなみに、参道の中央「正中」は神様が通る道なのであるから中央は避け、右端を登り、左端を下るのが作法なのだ。まぁ・・・神様を封印しておいて何が「作法」だよと思わないでもないが(ご神名に「坐」(〜にます)とあれば、だいたいそれ)。

しずしずと、石段を登り、左手にある祓戸大神にごあいさつ。

「これから本宮大社に参拝に詣ります。日常の穢れをぬぐい去り清らかにしてくださいませ!」(作法だからね・・・)

その後もゆるゆると杉木立の中、158段の石段を登り、やがてご神域へと入って行くのである。やがて、開かれた空間が現れる。左手の手水舎にて清める(これも現代の風習なんだよなぁ。だいたい江戸時代まで爪楊枝で歯を・・・・強制終了)。

ちなみに、これらは文句ではない。古式ゆかしきと言うのに、明治以降のやり方を示しているのがおかしいと思うのだ。熊野・出雲・伊勢にそういうのは似合わないな。特に熊野には・・・・。

神門から先はご神域の地であるため、撮影禁止区域であった。許可をもらえば撮れるらしいが、まぁいきなりはね・・・。こちらには、神様のお社が複数あり、参拝にも順序がある。

@から番号通り参拝する。たくさんいらしゃるには、良くも悪くも妥協と相談の産物であろう。

ここのホームページがきれいにできている。おそらくWEBのプロに頼んでいるのだろうが、神社の方が作ったのではないと思う。であれば、ご祭神名が混乱して、わからなくても当然である。

もし、神社の人間が作ってこれならば洒落にならない。ゆえに外注だと思う。それくらいこれだけたくさん祭神がいても、合理的な集合体ではないから、混乱しているのだ。どうしてこういう相殿の仕方をしているのか自体不明である。

たとえば、熊野速玉大神は、熊野速玉大社では伊邪那岐神(『古事記』の表記)である。熊野本宮大社熊野速玉大神は『日本書紀』に出て来る速玉之男神は、伊弉諾尊が唾を吐かれ、このときに生まれた神であり、伊邪那岐神自身(『日本書紀』の表記)ではない。

しかし、ここのHP内では混同されている(ワザとかもしれないが)。まぁおおらかと言えば、おおらかであるが、本当は《熊野三山》の神々様はそれぞれ別物なんだよというサインではないかと考えられないでもない。熊野は初心者には難しい。


●熊野本宮大社の神々様とお会いできた●.jpg

●熊野本宮大社の神々様とお会いできた●



(上四社)
@証誠殿(本宮・第三殿) 家津美御子大神(素戔嗚尊)
A中御前(結宮・第二殿) 速玉之男神
B西御前(結宮・第一殿) 熊野牟須美大神、事解之男神
C東御前(若宮・第四殿) 天照大神
D満山社         結ひの神(八百萬の神)



実際、ご神気が感じられるのは、証誠殿(本宮・第三殿)家津美御子大神のお社である。ここだけが神門からもチラと見えて居るのが暗示的である。他はよくわからない(笑)。もちろんきれいなお社に違いはなく、神様も居るかもしれないし、そう考えて拝んでいるのだが・・・。

「ひゃ〜参謀」などは、

「証誠殿には神様いらっしゃるねぇ、他はわからんなぁ。だってここにいる理由がないんだもの。ほんと証誠殿はすごくいいね! でも素戔嗚尊かどうかはわかんないけどねぇ。ハハハ」

とのこと。参拝後はもちろん、おみくじタイム。結果は? まぁそれなりであった(笑)。
その後、佐藤はふつうの御守りをゲットした。

次は、参拝ルールに沿って、産田社を目指す。我々は今登ってきた山道をくだり、案内に従って産田社を参拝した。

【産田社】(うぶたしゃ)
こちらは新宮川の土手の側に鎮座していた。ご祭神は伊邪那美命(イザナミノミコト)の荒御魂である。こちらにも参拝し、参拝できたことに感謝を伝えた。

ここにはなぜか熊野らしい神気が漂う。これは本来の熊野のお社に近い位置にあるからだろう。本来伊邪那美命は本宮とは縁が薄い神様なのだが。


●ここが産田社●.jpg

●ここが産田社●



熊野坐大神とは、キリスト教的な神様である。いや、その教義の影響は少なからずミックスされているはずだ。キリスト教やユダヤ教がどうのこうのというと、トンデモ本的に聞こえるが、「記紀」が作られた時代にこれらの情報を「編著者」達は知っていた。なのにまるまるスルーするほうがおかしい。

この神様は、人間の原罪を背負って、代わる神様である。だからこそ、自ら水に流されることで清めているのであり、祓戸大神に待機して頂くことは不要なのだ。だから伊勢にもない。五十鈴川とそこから組む手水舎で清めているからだ。

出雲大社の場合は、少なくとも室町期にはしっかりした高く立派な社殿を作るようになっている。早い時期に流されることを拒む形に替わっている。再建の費用がかかるからだ。だから祓社で祓ってもらう略式になったのだろう。身体全部から手だけ洗うようになったのと同じ。まぁ低い土地だから江戸期になってもけっこう流されてはいるのだが・・・。

さて、熊野本宮大社の場合は、明治期になって大きく方針が変わった。木々が生い茂り、山に保水効果が高まっており、もはや「社殿を流されて人々の原罪を祓う」という性格の神社ではなくなっていたのだ。

じゃあ立派な社殿を作ろうかと、熊野の山々の木を切り、社殿の材料を集めたと思われる。それにより山の保水効果がなくなったのだろう。そのために大水で社殿が流されるという、皮肉な事態となったに違いない。明治政府ってやはり・・・。

産田社は、新たなものを生み出すというご神徳があるという。その神社と向かい合う形で大斎原の大鳥居が建っている。我々は、産田社に一礼をして、大斎原へ向かう。先ほどまでは、小雨程度だったが、ここに来て雨は大粒となった。

参道に沿って、両側には田んぼが広がっており、春が来るのを静かに待っているようであった。

【大斎原】(おおゆのはら)
こちらは、かつての熊野本宮大社があった場所である。それが先ほど書いた明治22年の未曽有の大水害により社殿のうち中・下社が倒壊し、現在地に上四杜のみが祭られ、他八社は石祠として旧社地・大斎原に祭られている。

ここはまた凄いご神気である。現社地よりも重厚でビシビシくる。ちょっと比べるもにがない。現在の本宮は優しい、穏やかな気である。こちらはガンガンくる気なのだ。社地が静かであるだけによけい心に体に響いて来る。

この大斎原には二基の石祠が建てられ、左側に中四社下四社を、右側に境内摂末社の御神霊が祭られている。鳥居の中に入ると、こちらにも写真撮影禁止の立て札があった。いや〜ここは一見さん(いちげんさん)が撮ったらいかんでしょうw。

神聖な場所だからねぇ・・・と言いつつ、神社からすれば権威づけのためであろう。なぜならば、許可を取れば撮れるからだ。神聖な場所で許可を取れば写真を撮れる場所ってなんだか・・・、社殿内部じゃなんいだから。神職だって写真を撮ってるんだよ。自分たちはいいの?

そもそも、速玉大社や那智大社でも社殿の外部は写真を撮れるし、ここより古い成立の神倉神社でも撮れるのだ。大斎原はともかく、明治期にできた熊野本宮大社の社殿の外部の写真が撮れない理由は、他の神社と同じく、ただの権威づけに過ぎないだろう。


●これが旧社地・大斎原の全景●.jpg

●これが旧社地・大斎原の全景●


●熊野本宮大社旧社地・大斎原(写真は控えました💛)●.jpg

●熊野本宮大社旧社地・大斎原(写真は控えました💛)●



我々は雨に煙る大斎原をしずしずと進み、静かに参拝を済ませた(神々様に問題ない)。これにてルールに沿った参拝は終了! しかし我々には、まだまだせねばならぬことがある。それは、宝物殿を観ることであったw。

宝物殿は、先ほど行った本宮の神門前の授与所の側にある。我々は泣きながら再度158の石段を再度登った。そう、先ほどは昼休みで閉まっていたからだ。

その前に大斎原でエネルギーを再チャージし、あらためかえしておみくじを引いた(「大斎原」の分💛)。結果はどちらも「大吉」であった。さっきまで黄泉平坂を登る気分であったが、早々に再生した佐藤は、熊野牛王神符を頂いた。帰宅後、研究所の壁に貼りお護り頂いているのですよwww。

【宝物殿】
ホームページによると、ここには、室町・戦国時代の火災、明治時代の水害など幾度もの災害を免れ、国・県の重要文化財に指定された、貴重な宝物が収蔵されている。

江戸中期〜後期頃の製作と伝えられる「熊野本宮并諸末社圖潤vは、明治22年の大水害によって流失した大斎原の社殿が威風堂々と描かれ、往古を語る貴重な資料となっているという。

ここは絶対観た方がいいですぞ。

まぁ、この絵図を見れば、大水害があれば流れてしまうのは仕方が無いと思う(いや、そもそもそれが目的なのだ)。だからこそ、本宮は熊野川の中州に位置していたのだ。

自然環境の変化は、恐竜ですら鳥に変えるし、古墳に木々など、生えていなかったことが今誰が想像できるだろう?

その他、三角縁神獣鏡や、平清盛公が奉納したと伝えられる紺紙金泥経(水で膠にかわを溶き、金粉を混ぜた顔料を金泥と呼び、紺で染めた紙に金泥で経文を書いたもの)。

日本で東大寺についで2番目に古いとされる鉄湯釜(湯立神事に使用、入れてやりたい奴がいるw)や熊野本宮八葉曼荼羅(熊野比丘尼:熊野御師)が、熊野の霊威を広く衆生に知らしめるために用いた巻物)などなど、国や県の重要文化財に指定されている品物を観ることができる。

佐藤が1番心ひかれたのは、館内入口の側に置かれた本宮大社の「千木」であった。千木は、古代建築で屋根を組む際に、屋根の勾配を形成する垂木を交叉させて縄などで締結した形を踏襲したものだ。太古の形式の遺産と言ってもいい。

本来は建物の補強が目的だったが、時代が下るにつれて、装飾的な部材になり、古い伝統を踏襲した建物であることを示す物(良い意味での権威づけ)として、神様がお鎮まるになっている神社本殿に用いられているのだ。

こちらに展示されている物は、平成24年に行われた本殿修復工事のおりに、損傷が激しかったために交換された物である。実際に明治24(1891)年から120年以上にわたって第一殿、第二殿の屋根に載せられた物であると書かれていた。ふふふ、ここでも本物が見れたw。

ちなみに神社好きならわかると思うが、この千木の先端がとがっていると男神が、先端が平だと女神が鎮座されているとされ、社殿を観れば神様の性別がわかる・・・ことになっている。

しかし、これらの風習も権威づけであって、実際とは別。伊勢神宮だっておかしいでしょう? 両方女神様なのに違うし。とは言え、そういうことは公式には言わないのが大人である(笑)。

ともかく、神社検定参級を保持している佐藤とすれば、もう、この千木を間近に観られただけでも大満足!

思わずすりすりしたくなったが、そこは、ほら宝物殿の中ですから、「美しい」とため息をついて暫したたずんで観ていたのである。そして、宝物殿を出るとき、

「どうもありがとうございました!」

と係の神職さんにあいさつをして出ようとすると神職さんからも、

「ありがとうございました」

と笑みを浮かべて送り出してくださった。なんせ、昼過ぎの宝物殿は我々しかおらず、2人してうるさくない程度に、賑やかに観ていたからねぇ(笑)。どこの宝物殿でも自らの神社の宝に誇りを持って展示しているのだ。それを嬉しそうに観ている者を見れば、いやな気にはなりますまいて。

帰りは境内にあるカフェ・アロマで珈琲を頂きました。いやいや美味でした。次は熊野速玉大社を目指すぞ!(笑)


●本宮に戻ってカフェ・アロマでひとやすみ●.jpg

●本宮に戻ってカフェ・アロマでひとやすみ●



さてさて、花粉が飛び交う季節になりました。皆さまどーかご自愛ください。

●杜の郷 みるりいな・店データ
所在地:〒647-1702 和歌山県田辺市本宮町大津荷
営業時間:9:00〜18:00
電話:0735-42-0289
※2019年のデータです。ご確認の上、お出かけくだされ。



(行きつけのファミレスの小松さんが「卒業」しました。春から就職も決まり、新・社会人となるそうですが、おめでとう。平成最後の社会人として大いに活躍してくだされ!To Be Continued!!)
posted by さとうはあまい at 17:16| 島根 ☁| Comment(0) | 見聞録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする