2012年01月25日

奮闘記・第786回 見聞録/福島県

●2011年● 福島県会津若松市


キングあかべえと再会!

〜鶴ヶ城と猪苗代湖は素晴らしかった〜



やれやれ、ブログがなかなかアップできん。やっと昨年の福島県の話まで来れた。


いつものごとく郡山駅にある駅レンタカーで車を借りる。郡山の駅レンタでは、会津名物「キングあかべえ」のぬいぐるみをサービスで貸してくれる。会津の○ジグランドホテルなどは、キングあかべえが部屋で出迎えてくれるサービスがあるそうだ。客室担当(笑)だともいう。そりゃドキドキするわいな(笑)。


佐藤は、この日もロッカー上に鎮座している4匹の仲間の中から同行者を選択。選ばれたのは、他の者の後方に小さく鎮座しているやや引っ込み思案の子であった。「あの子をお願いします」と所望した。ひひひ。


係の方は笑いながら「どうぞどうぞ」と、手を伸ばし、「寒いから嫌だよ」とつぶやくあかべえをロッカーの上からおろし、「良い子でお供するのだよ」と佐藤に渡してくれた。



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●キングあかべえが同行●



キングあかべえをサイドに乗せ、磐梯山の麓にある、磐椅神社をめざした。


昨年の冬は、早い時期から雪が降ったそうな。磐越道を走りながら、途中から雪に妨害されるのではないかと気が気ではなかった。その心配事は磐梯山に神づまる、磐長姫神植山姫神が払拭してくれた。どうやら雪を追い払ってくれたようである。



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●磐椅神社を参拝●



土津神社の前にある空間に車を置き、磐椅神社へ続く細道へ向かった。なんせ、神社へと津続く道は、小川に沿って走り、雪が溜まっていたら、何が起こるかわからない。バックで戻らないとイカンかも知れんからね。


舗装されていないその道には、ところどころに、水たまりがあり、白く凍っていた。佐藤は子供のようにはしゃいで、その氷を足で踏みつけパリパリと音をたてながら進んでいった。ようやく神社の前に着いたのであった。ふう、雪がないのなら車で来ても良かったぞって、誰?


手水舎にて、手と口をゆすいで、鳥居をくぐり、境内へ入った。社務所は案の定留守であった。少し雰囲気が変わっていた。怪しげ(?)な幟(のぼり)と枯れた木が取り払われていたのだ。



しずしずと拝殿前に進み、参拝。手を合わせていると静寂の中、ときおり、鳥のさえずりと風が過ぎ去った。佐藤の後方からは日が差し、背中がぽかぽかする。どうやら神様は、これから訪れる冬将軍の前にしばし、日向ぼっこをしているようであった。


佐藤は清々しくなった神社に頭を下げ、お社を守る大杉君達に「また来ます!」と手を振り、神社を後にした。その後、佐藤は近くの猪苗代地ビール館に入った。こちらは、国際ビール大賞を毎年受賞している4種の地ビールと一緒に食事ができるレストランがある。


昼には少々早いがここで食事をとることにした。2階にあるレストランは、磐梯山側の面が全面ガラスで仕切られ、晴れていれば磐梯山の勇姿を観ることが出来る。うん、出来た。


佐藤は、真正面に磐梯山を望めるカウンター式のテーブルに陣取った。まぁ、本来は“ビール”といきたいところだが……、車だけんね。ダメ、絶対!



●料理もまぁまぁです●.jpg

●料理もまぁまぁです●



こうして、気分を良く再び猪苗代湖へ引き返した。猪苗代湖畔には、今までなんども来ているが、いつも見るのは磐梯山側から、それ以外は見たことがない。


だから、猪苗代湖と言えば、ここでM78星雲の宇宙人が宇宙船で科学特捜隊のハヤタ隊員にぶつかって死なせてしまい、初代・ウルトラマンとなってベムラーと闘った湖という認識(?)しかなかった。そう、円谷英二さんは福島県出身であった。


そこで対岸にある舟津公園に行ってみることにした。だんだんと寂しくなる道を進み、松の古木に囲まれた静寂の地に車を止めた。


ここは、猪苗代湖の南岸に位置し、磐梯山や、谷川岳を一望できる。そこは、どうやら、キャンプ地のようだ。夏はキャンプで賑やかだとも聞く(ウルトラマンでもキャンプ場で出てきた)。


車を降り、猪苗代湖畔の波打ち際に行ってみた。すると、遙か遠くには、雪を頂いた谷川岳の全容を観ることが出来た。山は湖面にもその姿を写していたのである!


みれば、白鳥も浮いている。佐藤は、その風景には、言葉も失い、魅入ってしまった。夏場は、子ども達がはしゃぎ、若人が集うことであろうが、今は静か。風の音しか聞こえない。


年寄りには若人の熱気も、時にはエネルギーになるのだが、このような静寂もまた楽しいモノである。自然が醸し出す不思議なエネルギーを全身に蓄え、湖に深々と頭をさげ、車に戻ったのであった。



●舟津公園から見る絶景●.jpg

●舟津公園から見る絶景●


●磐梯山は健在なり●.jpg

●磐梯山は健在なり●


●ここから谷川岳が見えるとは!●.jpg

●ここから谷川岳が見えるとは!●



さてさて、キングあかべえと鶴ヶ城を目指そう。この鶴ヶ城は会津若松市のシンボルである。このお城は数多くの戦国大名が治め、幕末戊辰の舞台となったことでも有名である。現在は、本丸を「鶴ヶ城博物館」として貴重な資料を展示公開している。


鶴ヶ城では平成22年から黒瓦だった天守の屋根瓦を、明治時代に解体された時より前の赤瓦葺に復元する工事が行われていた。さて、見に来ようと思ったら、3月にああいう震災が起きてしまったのだ。


あかべえを抱き、場内を進むとお城の石垣に、会津ゆかりの新島八重を主人公としたNHK大河ドラマ八重の桜』放送決定と掲げられた大きな看板が現れた。そこに描かれた鶴ヶ城は神々しく光り輝いていたのであった。


ちなみに、新島八重とは、会津藩の砲術師範であった、山本権八の娘で、同志社大学の創始者・新島 襄(にいじま・じょう)の奥様である。


戊辰戦争の時には、女ながらも、断髪・男装して、家芸であった砲術を以て奉仕し、自らもスペンサー銃を持って奮戦し、幕末のジャンヌダルクと呼ばれている人物である。


大河ドラマは、今年の夏にクランクインし、来年から放映される予定である。以前、群馬県安中市にある新島 襄に出没し、彼女の存在を知っていた(奮闘記・第606回)。


新島襄宅で、戊辰戦争での彼女の活躍が紹介されていた。しかも、解説の方が、また熱が入っていて身振り手振りで八重さんお活躍を語ってくれた。綾瀬はるかさんが演じる『八重の桜』の放映が楽しみである。



●NHK大河ドラマの予告●.jpg

●NHK大河ドラマの予告●


●まるで八重さん気分●.jpg

●まるで八重さん気分●



色を塗り直した鶴ヶ城にやっと来れた。せっかくお化粧直しをして、みんなに見てもらおうと待ってたのに、ほんと可哀想だったね。東京電力はろくなことをしない。


あの時のバカ社長は、あちこちで必要な費用を切って経費節減と称して“コスト・カッター”などと言われていい気になっていた男だからな。日本が続く限り、「最悪の男」として記憶されなければいけない。まぁ、歴代東電の社長は全部同罪であるが。


さてさて、城の中では、会津藩の活躍から、白虎隊の運命など、書物や、パネル、甲冑などを展示して紹介している。佐藤はいつものごとく、木刀を振りまわしたり、鉄砲を打ちならす真似をして楽しんだ。


天守閣からは、葺き替えられた赤瓦が太陽の光を反射して、光り輝いていた。佐藤はしばし会津の景色をながめ、やがて売店まで降りてきたのであった。


なんと、そこには武士のいでたちの若者がいた。


「血迷ったか? 佐藤は薩長ではないぞ。しかも一応女性だぞ。武士ではない!」


いやいや、ただの観光サービスであった(笑)。なら写真を撮らねばもったいない。


「あの〜、記念写真をお願いできますか?」

「いいですよ。こちらへどうぞ」


とドアを開け、鶴ヶ城が写る場所へ移動し、佐藤を誘ってくれたのだ(素晴らしい!)。さすがは、什の掟の会津だ。できんものはできんが、できることはできるのだ(笑)。有り難う!



●鶴ヶ城の天守閣、会津はいつも渦中にあるのか?●.jpg

●鶴ヶ城の天守閣、会津はいつも渦中にあるのか?●


●会津の若武者と記念写真●.jpg

●会津の若武者と記念写真●




ふう。


佐藤も、福島県の復興を願うものであるが、佐藤が生存している間は無理だろう。これもやはりできんものはできんのだ。


ただ、時間は黙っていても黙々と経っていく。


英国が「永久」という意味で清国から、契約と言う形で領土を簒奪した「香港の99年租借」もその時を迎え、すでに中国の元に返ってきた。広島県も長崎県も原爆を落とされたが、その傷跡は良くも悪くも消えつつある。永遠というものは“ない”のかも知れない。それでもフクシマの悲劇は永久に風化させてはいけないものだ。


今は福島県も黙々と原発を廃炉にし、被災地を整備し続け、「その時」を待たねばならないだろう。原発はまだまだ油断できないのだ。我々はこれ以外にも多くの原発が存在し、たとえ廃炉にしても、チィエルノブイリ同様、一生保管・管理していかなければならない。


安全にかかる費用や社会保障費を“コスト・カット”するようなバカな国は滅ぶしかない。我々は電力会社のお偉方や、政治家に良い暮らしをさせるために生きているのではないぞ。外国のようなテロや暴動が慢性化してからでは遅いのだ。


見た目には、いまも美しい磐梯山や谷川岳を見ていて、つくづくそう考えた。


追伸

今、島根県で研修中。島根県民の歌『薄紫の山脈』を作曲したのは福島県出身の古関裕而(こせき・ゆうじ)先生である。昭和26年のサンフランシスコ講和条約を記念してつくられたそうな。他県の県歌だが雄大で魅力的な歌である。こういう歌が県歌であるのは羨ましい限りだ。



●古関先生、寒空で頑張っていらっしゃいます(笑)●.jpg

●古関先生、寒空で頑張っていらっしゃいます(笑)●


(2012年度の介護報酬改定が発表された。介護度が高い重度者でも自宅で療養対策に定額の24時間対応の訪問介護サービスを新設されたが、「ほんとうの重度者」なら、施設のようないつでも対応できる場所にいなければ自宅で死ぬ者が増えるだけですぜ。役人の給与も削る気がなく、増税一本槍の野田総理と官僚達にはなにも任せることはできませんな!To Be Continued!!)
posted by さとうはあまい at 18:35| 島根 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | 見聞録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月20日

奮闘記・第785回 研修会のツボ/富山県

●2012年● 富山県富山市


平成23年度 富山県地域支え合い体制づくり事業互助事業

生活支援サポーター養成講座

雪の富山県に出没だぁ!


いや〜、なかなかブログが上げられない。ネタが溜まる一方。あんまり古くなると載せにくいので思案中。さて、今回は短いので富山県のお話から。


富山県生活協同組合連合会福祉員会さんでは、富山県地域支え合い体制づくり事業補助事業として、カリキュラムを立てて「生活支援サポーター」を養成しているという。


佐藤が担当したのは「認知症への理解を深め、コミュニケーションのとり方や、具体的な援助の仕方について学ぶ!」であった。


受講対象者の方は、認知症サポーターの方、生協組合員で支え合い運動に携わっている人、および地域の支え合いに興味のある組合員、役職員、その他県民の方である。


当初は受講予定者を先着50名としていたが、受講希望者数は、予定を超えて、80名という連絡を得たのであった。いやはや、嬉しいものである。ということで、佐藤も期待に添うように張り切った。



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●富山地鉄ホテルの朝飯●


当日は、朝から綿菓子みたいなふんわりとした雪があとからあとから降っていた。ホテルから会場までは車で向かう。そうそう担当の方とのやり取りで、


「東京からお車でいらっしゃいますか?」

「いや……富山空港からです」


というメールを交わした。まぁ、東京に住んでいると、車で富山まで来る根性はなくなるなぁ。でも来れんこともない距離ではあることも確かだが……。



●地方鉄道になっても駅名は昔の「電鉄富山駅」●.jpg

●地方鉄道になっても駅名は昔の「電鉄富山駅」●


さぁて、富山に出向いたのだから、地元の神社の参拝は外せない。まず、富山市日枝神社に参拝した。ここは昨年、映画「RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへ」で3月12日に富山ロケ始まるため、クランクインに先立って「3月11日」に安全祈願が行われた。


そう、その日に、あの「東日本大震災」が発生したため、クランクインを1か月ほど延期した。別段、富山にも映画にも影響があったとは思わないから、ただそういうエピソードとしか言いようがないのだが。


おみくじはいかに? す、すえ……思わずマスコットの雷鳥君(通称・まったけ君)を奉納しそうになった(忘れそうになった)。まぁ、良いです(笑)。



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●富山市日枝神社へ参拝●


佐藤は車に戻り、ナビ様に導かれて会場へ向かった。道路はすでに雪により轍ができるほど。さすがの佐藤もゆるゆると走った。そのような道路事情でも会場には、すでに受講者の方が着席をされていたのであった。


余談だが、散水消雪施設(いわゆる消雪パイプ)がここにもある。ノズルが数本プロペラのようにあり、水をまき散らしながら回るあれだ。


発祥は新潟県長岡市らしい。これは多くが地下水を使い(富山県は多目的ダムも使っているとか)、まぁいろいろ問題があるようだ。それでも雪の多い地方の名物であり、地面の凍結はけっこう防いでくれるようだ。ただ、ノズルの高さが、低いのと高いのがあって、低いのは地面を水浸しにしてくれるし、高いのは通行人の膝下をビチョビチョにしてくれる。


きっと慣れていないからだな、と思って地元の方々の通り方を拝見した。長靴で対応する方、気にせず行く方、凄いのはぴょんぴょんと、欽ちゃん跳びで走っていく方など。まぁ、いろいろである(笑)。


話を戻す。


はじめに、富山県生活協同組合連合会大野理事長から開会の挨拶があった。ちなみに佐藤を招いてくれた大野理事長は、つりが趣味とか。日本海に船を繰り出し奥様と一緒につりをなさるという。なかなか富山県は愛妻家が多いねぇ。


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●会場風景(その1)●



■研修で行ったこと

(1)自分が認知症になった場合、どのように接して欲しいと思うか。
(2)自分が他者と関わるときの傾向性を知ろう。
(3)幼い頃の思い出を語り合おう。



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●会場風景(その2)●



(1)自分が認知症になった場合、どのように接して欲しいと思うか

まずは、ウォーミングアップ。皆さんに自分の問題として考えて頂いた。次に、グループ内で、お互いの考えを共有するために語り合って頂いた。


・優しく接して欲しい。
・わかるように説明して欲しい。
・あせらず、ゆっくりと関わって欲しい。
・わからなくて戸惑っていることを理解して欲しい。


などなど。中には、実際に身内の方を介護されている方がいて、実際には「しっかりして欲しい思いがあるから、怒ってしまうことがある」など関わり方についての本音も語られていた。


次に、佐藤は、他者と関わるきっかけはその人の存在を捉えて、何かしらの言葉をかけることから始まることを説明し、皆さんを「星の王子さま」の世界へ誘った。実際には、他者に言葉をかけることはけっこう難しい事を実感されたと思う。


まぁそれは無理もないこと。人は、自分の事で精一杯の時には、
他者のことまで気にかけることは難しい。


(2)自分が他者と関わるときの傾向性を知ろう

そこで、自分が他者と関わる傾向性をはかるツール(ストロークチェック)を活用して自分の傾向性をはかって頂いた。


さすが、自らサポーターの研修を受講されている方々である。他者と積極的に関わる傾向性は高い方が多いのだ。素晴らしい!


とは言え、自分自身の存在については、厳しい見方をしている方が多い傾向が見えた。人間、誰もが成長過程において、育んでくれた方(その多くは親)から言葉や態度による「デイスカウント」(たたく・攻める・怒鳴られる)を受けている。


だから、自分に自信がなかったり、自分はダメだと思ったりすることを説明した。だけど、皆さんは、そのような扱いをされたときに恐怖におののいた幼い自分ではなく、自分のしていることを自ら評価できる年代まで成長されていることを伝え、まずは、自分自身が自分の存在を大事に取り扱うことが重要であることを伝えた。


自分の事を大事にできない人が、他者のことを大事に取り扱うのはむずかしいからね!


(3)幼い頃の思い出を語り合おう
最後は、実際に他者と語り合う時間を設け「幼い頃の楽しかった思い出」を語り合って頂いた。


はじめは照れながら、語り始めた人々も、時間経過とともに、身振り手振りを交えての会話となり、最後は、佐藤が「そろそろお終いで〜す」と伝えてもしゃべり終わらないくらい話に夢中になっていましたねぇ。


そうそう、他者をサポートすると言うことはそういうこと。


自分の心を開いて(自己開示)

相手の話すことに耳を傾け(傾聴)

相手の言うことに対してそうそうとうなずきながら(共感)

身振り手振りを交えてこういう事と確認し(表現)

そう言うことならもっともなことと相手の話を受け入れる(受容)


こうすることを繰り返すウチにお互いを知っていくのである。どうやら、皆さんは、すでに素晴らしいサポート力を携えているようであった。


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●会場風景(その3)●


最後は、いま語り合った他者に対してのイメージ「あなたは、このような人に見えた」ということを伝え、言われた方は素直に受け取る「ありがとう」を伝える。最大のストローク交換をして頂いた。


会場は、外の雪を溶かすくらいの暖かい空気に包まれていったのである。


最後は、佐藤からのメッセージ


人は、外見が同じでも、中味は同じとは限らない。だから、援助者は、常に「新しい時間」と捉えて、「いかがですか」「お元気ですか」「どうなされましたか」などの言葉がけをする必要がある事を伝え、研修は終了した。


気づけば、朝降っていた雪も止み、青空が広がり太陽がまぶしいくらい。佐藤は、皆様の笑顔に見送られて会場を後に、呉羽山に向かったのでありました。


なぜ、呉羽山なのか。それは、もちろん、天気が良くなったので、これならば「雄大な立山が見える」そんな気がしたからだ。


すっきりとは観ることは出来なかったが、大きな山の存在を感じることはできました。


「次回来ることがあったら、ぜひぜひ雄大な姿を見せてくださいな」


うっすらと見える山々にひっそりと祈った。



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●会場風景(その4)●


(首都圏は20日の朝から広い範囲で雪、東京都もこの冬の初雪を観測した。でもそういうときにいないんだよなぁ、東京にさ!To Be Continued!!)
posted by さとうはあまい at 14:26| 島根 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | 研修会のツボ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月18日

奮闘記・第784回 見聞録/三重県

●2012年● 三重県伊勢市


伊勢神宮参拝記(後編)

内宮で大神楽を観て、伊雑宮でご神気を浴びた!

―― 今年かかわった人々に感謝! 来年の繁栄を願うぞぉ!!(後編)改題 ――



ただ今、浜田で島根県でケアマネさんと研修中。今年の初島根だ。いやいや、東京ドームでも島根コーナーにいり浸りだったが、ここはホンモノだけんね!


さて、それはまた後日。時は昨年年末である。



【皇大神宮(内宮)】

佐藤は、伊勢神宮の外宮を参拝後、内宮へ移動した。ご祈祷を受ける場合は「先に拝殿をお参りして来てください」と言われる。ご祈祷でお願いするのではなく、最初に拝殿にお参りしてから、ご祈祷や御神楽を奉納する。


こちらは外宮よりも混む。駐車場のスペースの取りあいになる。近くに大型バスから多くの観光客が降りきた。その人々が、まとまって歩き、ペースがスローとなる。


ノロウイルス、いや変換間違い、のろい。


その集団の隙間を縫うようにして、鳥居をくぐり、五十鈴川にかけられた宇治橋を渡った。外宮の拝殿は入り口に近いのだが、内宮は拝殿がある場所まで、とにかく歩くのだ。玉砂利をふみしめ、砂利をすっとばしながら、ひたすら歩いた(走ってはいけませんぞ)。


やがて、拝殿へ続く階段が見えてきた。その階段も参拝客で賑わっていた。階段を上り、鳥居をくぐる。ここからは、写真撮影はできない。できないのに写真があるのはいただけないぞ。神職なら良いというわけではなかろう。


拝殿前には、白い布が覆われ、中を観ることはできない(遠くからは見える)。佐藤は、しずしずと拝殿前に進んだのであった。ちなみに外宮(豊受大神宮)にいらっしゃる「豊受大御神」様は衣食住をはじめすべての産業の守り神であるから、商売繁盛を祈願しまくった。


でも、こちらの内宮(皇大神宮)は「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」をお祀りしている。こちらは、皇室の御祖先の神で、まぁ日本人の総氏神とも言われているようだ。であれば、日本の無事を祈らずにはいられない。


佐藤も、深々と頭をさげて、来年(2012年ですでに今年)の無事を祈ったのであった。その後、左右にある、木の柵の間から、内宮のお社をちらちらとながめ、その間から流れてくる風を受け、ご神気を十分にあびて、その場を後にした。



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●内宮拝殿を参拝!●



次は、皇大神宮別宮荒祭宮(あらまつりのみや)を参拝する。天照坐皇大御神荒御魂(あまてらしますすめおおみかみのあらみたま)とされている。今回もミステリーハンターはやらない(ブログがたてこんでいて終わらないから、追いつくまでしばし、やや、封印)。


先ほどの場所から、ここまでは、木々に囲まれ道を登ったり、下りたりしながら進んでくる。そして、最後はまた、階段である。いささか、息をきらしながら、登った(さて、次回はここまで歩けるか?)。



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●内宮別宮・荒祭宮を参拝●



こちらでも、日本の安泰を願った。そして、最後は、神楽殿のご祈祷に同行した。するとさすがに内宮。外宮はご祈祷は一人であったが(その日は少なかったのか?)、数組の方がご祈祷を待っていた。


ご祈祷は、はじめにお祓いが行われ、雅楽が奏でられる中、御神札と神饌が供えられる。次に祝詞(願い事)が御神前に奏上され、続いて神楽・舞楽が捧げられるというもの。


やがて、案内に誘われて神楽殿の中に入る。ほどなく神職が、あいさつに来た。これから御神楽の奏上を告げ、さらに「このたびは○○様より大々神楽の申し込みがあり合わせて奏上されます」という。


つまり、神楽殿にいる人々の中に、大々神楽を申し込んだ人がいて(確か5万円以上)、今回は少々時間がかかりますよ、という意味のようだ。


やややややややや(伊勢式)、なんと、佐藤は、その○○さんのおかげで、大々神楽を観られるのだ! 伊勢神宮の御神楽には、@〜Cのランクの御神楽がある(もちろん、その下に祝詞を上げて終わりの通常の「御祈祷」もある)。


@御神楽(おかぐら:倭舞)
A大々神楽(だいだいかぐら:倭舞と人長舞)
B別大々神楽(べつだいだいかぐら:倭舞、人長舞、舞楽が1曲)
C特別大々神楽(とくべつだいだいかぐら:倭舞、人長舞、舞楽が2曲)


江戸時代以降、民間人が伊勢神宮を参拝できるようになってから、A以上の大々神楽をやってもらうことが「(特に商売で)成功した証(あかし)」であり、当時のステイタスを現したという話を聞いたばかりであった。早速その大々神楽が見られるという。これはその回の御神楽に参加した人に対しては運のお裾分けにもなるのだ。


いやいやいやいやいやいやいやいや、いや(これも伊勢式)素晴らしいではないか!


まずは、倭舞で、舞女が緋色の長袴に、白羽二重の千早をつけ、紅梅を飾った天冠を頂き、右手に五色の絹をつけた榊の枝を持って、楽師等の歌にあわせて、優雅に舞うのである。


通常の御神楽はここで終了なのだが……、次には人長舞が行われた。


人長とは神楽人の長のことで、人長が榊の枝に御鏡を模した輪を取り付けたものを、右手に持って一人で舞う古式ゆかしい舞である。さきほど、案内されたときに、時間がかかるから足を崩されてもかまわないというアナウンスであったが、いやはやどうして、崩されましょうか。雅楽と、舞手が醸し出す、優雅な雰囲気は、観る者の背を正しくさせる。呼吸するのも、はばかられるくらい清々しいものであった。


ううん、いいものを観させていただいた。感謝である。足のしびれも手伝い、しばし、神楽殿で余韻を楽しんだのであった。


さて、神楽殿を後にした佐藤は、境内にいたニワトリさんたちに「また来るんだぞ!」と励まされ、内宮を後にしたのであった。はいはい、どうも。



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●境内の鶏に励まされた●



さて、目指すはおかげ横丁の中にある「すし久(きゅう)」である。


ここ、すし久の建物は、明治2年の遷宮時に出た宇治橋の古材で建てられたもの。これは民間において神宮の古材を下賜(かし)された唯一の例で、伊勢の貴重な文化資産だという。


すし久の創業は天保年間。料理旅館として明治から昭和初期に最も繁栄をきわめたが、大東亜戦争後は一時休業。平成元年に現在の田舎料理店として蘇ったとう。敗戦後に、あのGHQをもてなした事もあるそうだ。


入口で靴を脱ぎ、下駄箱に入れると、案内の人が2階へと導く。2階に上がると、お姉さんがお茶を運び、注文を取る。佐藤は迷わず「てこね寿司」を注文した。ここのてこね寿司は、寿司めしのうえに乗っているマグロが分厚くなんとも美味なのだ。


しかもご飯が結構な量である。お櫃の周りに味噌汁、茶碗蒸し、小鉢が数個(松・竹・梅の種類があり、数が違う)並んでいる。それらを口に放り込みながら、窓の外を眺めれば、そこには、清流五十鈴川が広がっている。春には、桜の花も満開になるという……。その頃も来れるといいなぁ〜!



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●おかげ横町名物「すし久」へ●


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●定番の手こねずしをいただくのだ●



さて、伊勢路の旅、最後は志摩国一の宮伊雑宮(いざわのみや)をめざした。ここは初めてである。ナビ様の導きのまま、山道をうにうにと行く。導かれた先は、田園地域の一角にある路地に駐車場があった。



【志摩国一の宮・伊雑宮】

伊雑宮は正式には「伊雜宮」であるが、「雜」を簡略化して表記している。読み方は“いざわのみや”、または“いぞうぐう”とも呼ばれる。


こちらは、天照坐皇大御神御魂(あまてらしますすめおおみかみのみたま)が祀られているとされる。内宮から、やや遠く離れた場所で天照大神の魂を祀ることから「天照大神の遙宮」(とおのみや)とも呼ばれるという。


この伊雑宮の創立は、第11代垂仁天皇の御代。皇大神宮ご鎮座の後、倭姫命(やまとひめのみこと)が御贄地(みにえどころ=皇大神宮へ奉る御供物を採る所)を定るため、志摩国をご巡行の際に、伊佐波登美命(いざわとみのみこと)が奉迎して、この地に宮を創建して、皇大御神の御魂をおまつりしたと伝えられているという。



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●志摩国一の宮を訪れた●



平安時代末期に、源平の争いに巻き込まれ、紀伊の熊野三山が源氏側に、伊勢神宮は平氏側に着いた。以前書いたように平氏は“伊勢平氏”が元である。


源平合戦で、伊雑宮は源氏側に着いた、紀伊の熊野勢の攻撃を受け、本殿を破壊されたうえに神宝を奪われたという。こういうことを聞くと、織田信長の宗教勢力の非武装化に腐心していた気持ちがわかろうというもの。でも、信長を特に評価しているわけではない。


この伊雑宮はその後いろいろな歴史に翻弄された。転々する伊勢神宮の元伊勢のひとつと見られることも多い。ここが伊勢の本宮であったかどうかは別として、天武天皇・持統天皇が持ち込んだ今の伊勢神宮の形態より前から、ここに伊勢の宮(必ずしも皇室とは関係がないかもしれない)を持っていた一族のお宮ではあったのだろう。


それぐらい由緒はあるお宮なのだ。ちなみに、立てにお札を並べるときは、上から「伊雑宮→皇大神宮(内宮)→豊受大神宮(外宮)」らしい。もちろん、いろいろな説がある。



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●伊雑宮の静かな空間にでご神気をいただく●



小雨降る中、鳥居をくぐり中に入ると、警備をされる方が、落ち葉掃きをされていた。「こんにちは」とあいさつをして奥を目指した。


そこには、外宮や内宮の賑やかさとは違った静けさが漂っていた。「ああ、もしかしたら神様はふだんはこちらにいらしゃるのかもしれないなぁ〜」と思えるような暖かなご神気が伝わってきた。まさに神様の別荘のようだ。


他者がいないので、しばらく手を合わせていると、例の如く、風が佐藤の体をくるくると包みながら上空へ登っていきました。ううん、いいね!


参拝を終え、駐車場に戻ると、その奥に、広い空間があった。そちらの方に引き寄せられていくと、そこには神田が広がっていた。



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●磯部の御神田●



ここ伊雑宮で毎年6月24日御田植式は志摩地方第一の大祭で、一般に「御神田(おみた)」といわれ、国の重要無形民俗文化財なのだという。


今は、静かな空間のこの地も、たぶん。御田植祭は、相当な賑わいがあるのであろう。佐藤はのどかな風景を見て、記憶の中の、はるか昔、田舎で祖母とお田植えをした風景を思い描いた。


またひとつ訪れたい場所が増えた。



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●田園風景が広がっていた●


(某都知事さんが、芥川賞の選考委員を今回限りで退くそうだ。「いつか若いやつが出てきて、足をすくわれる戦慄を期待していたが、刺激にならない。云々」と語ったそうだ。まぁ誰の話も聞かない(読まない)彼にどんな刺激も意味はない。今の若いヤツは彼が作家だったことも知らんから、いい勝負だろう!To Be Continued!!)
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2012年01月09日

奮闘記・第783回 見聞録/東京都

●2012年● 東京都文京区


祝・通算1000回達成有り難う!

その夜、東京ドームは盛り上がっていた!!



佐藤のブログがついに1000回を達成した。これには自分でも驚いた。佐藤が、ブログを始めたのは、なんと2006年(平成18年)の9月。千葉の安房神社に行ったことがきっかけであった。自分の足跡を残すことと、わが研究所の宣伝ツールとしたかった。


あれからすでに6年近く経過した。この間、北は北海道から南は九州まで出没した。佐藤が想像していたよりもはるかにブログの反響は大きかった。ほんとうに有り難いことです。


はじめは今週の応援現場というタイトルでスタート。佐藤が担当した研修報告が主であった。やがて、研修に出向いた土地では、その文化や伝統を知りたくて、その地域の景勝地も見聞して歩いた。


そうそう、はじめのころは司馬遼太郎先生の小説に影響を受けて、幕末・維新のころに活躍していた人物を追いかけた。やがて、佐藤は、各地域の文化や伝統を見歩くうちに日本民藝運動の指導者である柳 宗悦先生を知ることになる。棟方志功先生、河井寛次郎先生たちの民藝にかける情熱に感動して、民藝に関するものを見聞した時期もあった。今でもどこかで見つけると寄ってしまうぜ(笑)。


それから、新潟では、良寛さんの生き方に興味を抱き、良寛さんの本を読んだり、良寛さんが暮らした五合庵あたりにも何度も足を運んだものだ。


一方では、神社仏閣を巡り、神々の活躍ぶりにも興味を持つようになった。それは島根県の出雲大社、宮崎県の宮崎神宮、新潟県の弥彦神社などがある。もちろん、千葉県の安房神社、群馬県の咲前神社などなど。定期的に出没している県では出没するたびに参拝している。


そうそう、群馬県の咲前神社では、ブログを見て頂いた神職さんに「佐藤さんですよね?」と声をかけて頂いたこともある。さすがにこれには驚いたし、嬉しかった。


このようなことから、仕事で出向いた地域では、そこにある県の各一の宮や近くの神社行き、ごあいさつすることが習慣になった。


そして、ブログの内容が、応援現場ばかりではないことから、佐藤自身が奮闘している記録としてブログ名を「奮闘記」とタイトルを変えて今日に至っている。


さて、今回は、その1000回を記念して(というかたまたま?)、現在東京ドームで行われている「ふるさと祭り東京 にほんのまつり・故郷の味」に出没した記録である。その朝、ニュース番組を見ていた主人が、台所に立つ私の背中に声をかけたのだ。


「おーい、谷村新司が島根を歌うんだってよ!」

「えっ、なんですと……」


あわてて居間に行き、テレビを眺めた。みればニュースで、谷村新司(たにむら・しんじ)さんが島根県の大型観光キャンペーン「神々の国しまね」の公式メッセージソング『はじまりの物語』を完成させ、都内でのお披露目を伝えていた。


確かに、島根に行くと彼のコンサートのポスターをよく見る気がする(なぜか凝ったポーズなんだよな)。


「島根には40年来毎年のように来ています。自分の湖があるもんで。えっ? 宍道(新司)湖のことですよ、ははは」


くだらん(笑)。


でも歌は良さげである。島根県が舞台になった作品は、なかなかの名曲揃いである。NHK 朝ドラ『だんだん』の主題歌・『縁(えにし)の糸』(竹内まりや)、映画『RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語』の主題歌・『ダンスのように抱き寄せたい』(松任谷由実)がある。また、長山洋子の『松江舟歌』などは主題歌ではないが今でも口に出るぞ。どぉぶとぉぉぉみどりぃぃぃのじょうかぁぁぁぁまちぃぃ〜(あれ?)。なにしろ、県民の歌『薄紫の山脈』は作曲が、あの古関裕而先生だからね! 個人的には隠岐の『キンニャモニャ』が……、まぁいい。


今度は谷村宍道、いや新司さんと来た。そうと知ったら、もうその歌が聞きたくて、気が気ではない。だが当面は島根県内の限定販売らしい。どこかで手に入らぬものかと忙しい中、検索してみた。するとなんと東京ドームの祭りの会場内で販売しているという。その後、にほんばし島根館で売られるそうだ。


しゃらくさい。


なら、東京ドームに行きゃあいいんだろ。仕事終了後に研究所の車に飛び乗り、東京ドームへ出没した。入場券は16:00過ぎだったのでイブニングチケットがあり、1000円ですんだ。



●ドーム入口にはねぶたが展示されていた●.jpg

●ドーム入口にはねぶたが展示されていた●


●東京ドームの会場内の様子●.jpg

●東京ドームの会場内の様子●



回転扉をくぐって、東京ドーム内に入り、階段でフィールド内の会場に降りて行く。会場では各都道府県のお祭りが盛大に行われていた。


お祭りひろば、各県の物産品売り場、北海食道のコーナー、ご当地テレビ局オススメ逸品ストリート、スイーツストリートなどがあり、通路は、多くの人々で満ちていた。


まずは、島根県を探す。会場には、「しまねっこ」のバイザーを頭に載せた人々がいる。許せん! 佐藤はまだもっていない(まぁまぁ)。


「おいおい、その“しまねっこ”はどこぞに……」と聞こうと思いつつ、押さえた。探す楽しみがなくなってしまう(複雑)。歩き回って、ようやく、会場図を読み解いて、島根県の展示スペースを発見。なんと、会場入り口から降りてきた階段横にでかいスペースのブースがあった。


「神々の国しまね」と題して、これは島根県商工労働部観光振興課の「神々の国しまね実行委員会」が出展したものであった。そうですか、お疲れ様です。


ブースには、写真家並河萬里氏の「神々の座 出雲」の写真展があり、写真展では、島根の神社が様々な表情で映し出され幻想的な雰囲気を醸し出していた。きれいな写真だが実物を見まくっている佐藤は実物がもっときれいなこと(まれに……汚いこと)を知っているのだ。やはり、物足りない気がする。行ってみないと良さはわからんな。


とは言え、もう気分は「しまね、しまね、しまね」であった(笑)。島根や宮崎は冷静に語れない。展示室から出ると、そこには、お目当ての『はじめて物語』のCDが販売されていた。早速「これください」と叫んで買いましたとさ。やった!ついにゲット!!


こうして、欲求を満たされた佐藤は、ブース前で配布していた「しまねっこ」バイザーを頭に載せて、改めて島根のブースを眺めた。



●隠岐国分寺蓮華会舞だ〜●.jpg

●隠岐国分寺蓮華会舞だ〜●


●スサノオノミコトとイナダヒメじゃ!●.jpg

●スサノオノミコトとイナダヒメじゃ!●



やややや(出雲だから4つ)、そこには、あの出雲大社の古代高層神殿模型「雲太」をはじめ、出雲大社のパネルや、現在進行中の「遷宮」の様子のパネルや、出雲大社の屋根の葺き替えの模型などが展示されていたのであった。


もう気分は最高! 隠岐の島(島後)の隠岐国分寺蓮華会舞(おきこくぶんじれんげえまい)の衣装(村上さんお元気かしら)や、石見神楽のスサノオノミコトの衣装とヤマタノオロチも展示。もう、そこはもう島根……であったが、やはりやや物足りない。しかし、スタッフの皆さんは頑張ってましたよ。


にほんばし島根館も電話で問い合わせたら明るい声で説明してくれた(以前は、目の前にいても知らんぷりだった)し、「ぜひ、島根に来て下さい!」と明るい声をかけてくれました。


「ぜひ、一度出雲大社へ!(あの40回くらい行ってますが……)」

「食べ物も美味しいですよ(うまいお店を20軒以上知ってますが……)」


と思ったが黙って聞いていました。島根の方々(かどうかは知らんが)の自己PRを聞いてみたいしね。なかなかやらないからね、島根の方々は。



●出雲大社の古代高層神殿模型「雲太」も展示●.jpg

●出雲大社の古代高層神殿模型「雲太」も展示●


●石見神楽のヤマタノオロチ●.jpg

石見神楽のヤマタノオロチ●



こうして、佐藤は、島根県のブースを堪能したあと、他の場所へ移動してみた。もちろん、佐藤にゆかりのある地域の物産を見に行くためである。


しかし、そうはいっても、どこに何があるのかわからない。とりあえず、右往左往し、宮崎のブースでは日向夏のジュースをゲットし、長崎ではカステラの切り落としをゲット。その後、ご当地テレビ局オススメ逸品コーナーで、山陰中央テレビのブースが販売していたお弁当を格安でゲットしたのであった。


はははは、それがなんと一文字屋(いきいきプラザしまねのカフェびぶるIIと同じ系列)さんの駅弁だったのだ。山陰中央テレビブースでは、そこにいた人々が、遠巻きにではあるが、ていねいに話をしてくれたのだが、さっきから気になっていたことを聞いてみた。


「あの〜……ここにエイット君はいないんですか?」

(エイット君は、山陰中央テレビのマスコットで、当ブログでも数多く登場している。)


すると、関係者が「エイット君をご存知ですか!」


信じられんという顔つきであった。とたんにスタッフの皆さんが佐藤の周りに集まってきた。



●山陰中央テレビの方々と語らうが……●.jpg

●山陰中央テレビの方々と語らうが……●



「ええ、うち(研究所)にもいますよ、島根県立美術館で(人形を)買いましたよ(笑)」と答えた。


すると、スタッフも負けじと島根魂(?)で「今度連れてきます!!!」と張り切って答えてくれた。いや〜、このような関わりは嬉しいよねぇ。


実は、入った時から気になっていたのだが、ふるさとまつりというのに、ゆるキャラがいない(少しだけある)。もっとも、今の時間は19:00過ぎと遅いから、仕方がないと言えば仕方がないのであろうが…。


店頭にゆるキャラ君たちがいれば、お目当ての県を発見しやすかったかも知れない。群馬県のぐんまちゃん。福島県のあかべぇ、千葉県のチーバ君などなど、残念!



●どこに何があるのか?ふう、ゆるキャラがいればな〜!●.jpg

●どこに何があるのか?ふう、ゆるキャラがいればな〜!●



ちなみに、島根県のしまねっこ吉田君は、早い時間帯に島根県のブースあたりに出没していたらしい。ううう、それはないだろう。


さて、これにてお祭りの報告は終了。今後も、時間のある限り、ブログで旬の情報をアップしていきます。


ちなみにこのお祭りは、1月15日まで開催してます。

土日祝日 1500円・平日 1200円・イブニングチケット1000円
東京ドームに入れますぞ!


季節は冬まっ盛り、皆様ご自愛ください!



●島根のゆるキャラひとり祭り(笑)●.jpg

●島根のゆるキャラひとり祭り(笑)●


(隠岐諸島沖に漂流していた北朝鮮の小型木造船の乗員3人には、島後のコンビニ・ディリー○マザキに勤めるそうです(嘘)、帰国するらしい。ちなみに島後のコンビニは開店1年で閉店しましたとさ!To Be Continued!!)
posted by さとうはあまい at 14:45| 島根 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 見聞録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月06日

奮闘記・第782回 研修会のツボ/愛知県

●2012年● 愛知県名古屋市

通算1000回まであと1つ!

新年明けましておめでとうございます!

〜本年は介護職サポーターか? はたまた、介護界のオニとなるか?〜




昨年も当ブログをご愛顧頂き有り難うございました。本年もよろしくお願い致します。


いや〜、やはり「来年の繁栄を願うぞぉ!!(後篇)」は間に合いませなんだ。ということで、今年は、そのうち(?)に「今年の繁栄を願うぞぉ!!(後篇)」として載せる予定です。おおお、年末にまわせば「来年の繁栄を願うぞぉ!!(後篇)」で良いのかもしれん。気長にお待ち下され(待ってない?)。今回で通算999回目だし。


さて、昨年はサービス提供責任者・介護支援専門員研修以外には、介護技術や記録の書き方研修など、実技に関する講習も多かったな。


たまに「介護技術もやるんですか?」という声がある。いかんね、いかんよ。ぬぬぬぬ、佐藤の介護技術は、ウルトラセブンのアイスラッガー(頭から投げつけるヤツ)並の必殺技ですぞ!


もちろん、佐藤は○○式などいう限定的な技術や確立されていない方法は使わない。誰でも憶えればキチンと使えるベーシックな方法を伝えているだけですが、これがまたなかなか評判が良い。


と、いうことで、どんどん介護技術研修も引き受けまっせ! 今年も一年よろしくお願いします!!



【名古屋プチ見聞録】

そういいながら、ブログは、まだまだ12月、新年が明けず恐縮だが、しばしお付き合い願いたい。佐藤は、愛知県社会福祉協議会さんからの依頼で愛知県に出向いた。その前に時間がある。そう、愛知県といえば「熱田神宮」である(決めつけ)。名古屋駅から名鉄(名古屋鉄道)に乗れば、7分ほどで神宮前駅下車に着く。


●久しぶりに熱田神宮に参拝じゃ!●.jpg

●久しぶりに熱田神宮に参拝じゃ!●




「近い。こんなに近かったんだ!」


JRだともっとかかるぞい。名古屋駅の観光案内で聞いて正解であった。しかし、名古屋名物に関しては疎いようである(変なの)。案内所に飾ってあった“殿様”らしき人形について問うと、


「これは“はち丸くん”というキャラクターですが、熱田神宮では売ってませんよ。買うなら名古屋城まで行かないといけませんねぇ」ですと。



ダウト!


名古屋城には限定品しかなかったぞ。いろいろ探すなら名古屋地下街エスカがお勧め(駐車場は駅から遠いが)。そう、名古屋駅で良かったのだ。まったく観光案内係が自分の職場近くの名産品コーナーも知らんとはな。


相変わらずホスピタリティが高いね! ここはトヨタレンタも駅レンタがまともなら使わんところだ。トヨタレンタにしては日本で有数の雑な対応を受けましたわい(車はいいけどさ)。ずっと名古屋だけ景気が良かったからサービスに関してはまだまだこれからなのかもしれないね。お客がいつまで我慢するかは知らんが。


おかげでエスカのお店を知るのは帰路につくころ。なんのための観光案内なんだか。


さてさて、研修前に熱田神宮へ参拝。くどくど説明がいらないほどの神社であるが熱田神宮の創祀は、三種の神器の1つ、草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)の御鎮座に始まる。


第12代・景行天皇の御代に日本武尊(やまとたけるのみこと)は神剣を今の名古屋市緑区大高町火上山あたりに留め置かれたまま、三重県でお隠れになった。


そこで、尊のお妃である宮簀媛命(みやすひめのみこと)は、神剣をここ熱田の地にまつられたという。それ以来、伊勢の神宮につぐ格別に尊いお宮として篤い崇敬を集め、「熱田さま」「宮」と呼ばれ親しまれている。境内には樹齢千年を越える大楠がある。今回は新年でもあり、時間もないのでミステリーハンターもどきはしない。


神職によって掃き清められた玉砂利を踏みしめ、拝殿前に出向く。拝殿は太陽の光をあびて、輝いていた。佐藤は1年の無事を感謝し、来年の繁栄を祈願した。おみくじはさてなんでしたか? そうそう「」でしたわい! 社務所にて御守を交換し、名古屋に戻った。


昼食は名古屋駅チカにあるお店、キッチン名古屋味噌カツ丼である。これは名古屋の定番となっている。ごはんと味噌カツとその間をうめるキャベツが口の中を跳ねまわる。ううん、美味いぜ!!食××グは、やはり当てにならんな。おなかが満ちたところで会場へ向かう。



●名古屋駅チカ・キッチンなごや●.jpg

●名古屋駅チカ・キッチンなごや●



そして時間がまだあり、なんと名古屋城は研修会場のすぐそば。急いで行けば間に合うぜ! 佐藤はタクシーに飛び乗り、久しぶりの名古屋城に向かった。帰りも乗れば良かったのだが……、まぁいい、間に合ったのだからね。

名古屋城は、徳川家康が天下統一の最後の布石として築いた城である(なのか末っ子のたまかは微妙)。特に金の鯱鉾は有名である。


タクシーを降りうにうにと城門へ向かう。佐藤の視界には黄金に輝く鯱鉾が見えていた。あそこへ行けばあそこへ行けば殿さまに会えるあそこにいけば……って会えない! 入場券が必要じゃった!!


仕方ないから入場券を買い、佐藤は、まずは歩く殿さまをゲットした。ふうう。ささ、お仕事、お仕事! 


(殿さまお家騒動は、研修後に殿様のはち丸くんをゲットし、解決しました。)



●これまた久しぶりの名古屋(手には、動く“はち丸くん”)●.jpg

●これまた久しぶりの名古屋(手には、動く“はち丸くん”)●


●つり上げた大魚!(嘘) 金の鯱でアール●.jpg

●つり上げた大魚!(嘘) 金の鯱でアール●




【平成23年度愛知県社会福祉協議会高齢者部会施設長・管理者研修会】

佐藤は、愛知県社会福祉協議会さんから、訪問介護の管理者に対して、「サービス提供責任者の業務と役割について」講演依頼を受けた。ご存知のように、佐藤は女王蜂気質(ほんとか?)ではないので、一か所に定まってやる講演はあまり得意でもない、でもやらないでもない。


常日頃、サービス提供責任者の方と関わり、時に管理者に対して厳しいことを伝えている佐藤であるから、管理者に向けて講演をしてほしいと言われたら、得意でなくても、引き受けないわけにはいかん、喜んでお引き受けいたしました、はい。



●会場の愛知県社会福祉会館まで来ました●.jpg

●会場の愛知県社会福祉会館まで来ました●




この研修は、

@老人福祉施設においては、利用者が尊厳を保持しご家族の安心を支えることができ
るよう、サービスの質の向上に日々経営努力がされていること。

A施設経営課題の分析や経営資源の活性化、地域福祉・在宅福祉の拠点としての
役割及び職員の資質向上と意識改革など、施設運営に携わる施設長の役割は、
ますます重要となってきていること。


この2点をふまえ、今回の研修を日ごろの施設運営に役立てて頂くことを目的として開催されたのであった。


研修カリキュラムは、

講演@テーマ 「大規模地震から命を守る〜室内の安全確保〜」
講師:愛知県耐震化アドバイザー(一級建築士) 鈴木啓之 氏


講演Aテーマ 「サービス提供責任者の責務と役割」
講師:対人援助スキルアップ研究所所長 佐藤ちよみ 氏 ……って、あたしだよ!(笑)

参加対象者

愛知県内の老人ホーム施設長(特養、養護、軽費、ケアハウス)
  〃 デイサービスセンター管理者
〃 地域包括支援センター管理者



●講演開始前、緊張しちょります●.jpg

●講演開始前、緊張しちょります●



■研修で行ったこと

(1)介護支援専門員の役割

(2)サービス提供責任者の責務と役



慣れない手つきでパワーポイントを活用して語り始めたのであった。管理者が介護過程の展開を知らないのでサービス提供責任者が責務や業務を遂行できない現実があるのだ。



●始まるとパワポもバリバリ使うが、煎餅はバリバリ食べられず(泣)●.jpg

●始まるとパワポもバリバリ使うが、煎餅はバリバリ食べられず(泣)●




ポイント@ 居宅サービス計画書(原案)の提示がないうちにサービスがスタートしている

介護支援専門員は、居宅サービス計画作成費として介護報酬を得ているにもかかわらず、訪問介護事業所にサービスを依頼する段階で居宅サービス計画書が作成されていない場合が多い。管理者は、そのようなことが起こらないように、介護支援専門員の仕事内容を管理する必要がある。


ポイントA サービス提供責任者が業務や責務を理解していない

訪問介護事業所の管理者は、他の業務も兼務できる。したがって訪問介護の申し込みや、調整はサービス提供責任者に任せている可能性がある。管理者は、訪問介護の事業を任せているサービス提供責任者には、しっかりと「指定基準」を読んで解説する必要がある。


特に、第24条の訪問介護計画作成第28条のサービス提供責任者の責務は、サービス提供責任者の業務と責務が記載されているところだ。


管理者は事業所で使用している帳票類を用いてサービス提供責任者がその業務と責務を遂行できるように十分に説明する必要がある。


ポイントB サービス提供責任者の行動記録が残されていない

サービス提供責任者は、自らが訪問介護のサービス提供をする必要性から、事業所にいない時間が多い。そのため、他者(利用者・介護支援専門員・他サービス事業所)〜の連絡・相談・報告などは事業所にある連絡帳(申し送りノート)などに記載される。


本来は、これら連絡帳に記載される内容は、介護支援専門員の「支援経過記録」に匹敵する。だから、この記録を残せる環境を作ってほしいということを力説したのであった。


本来、サービス提供責任者は、介護支援専門員と同じ働きをしている。いや、指定基準では、訪問介護の質の向上を図ることも求められているからそれ以上なのかもしれないのだが……。


参加された方々は、佐藤の力説に、大きくうなずき、時に苦笑いし、最後まで熱心に聞いて下さった。


そして、終了後は、わざわざ佐藤の近くへ来て頂き、


「とてもわかりやすいお話でした」

「サービス提供責任者の仕事内容が良くわかりました」

「介護支援専門員が、居宅サービス計画を作成しないうちに申し込みがあることを知らなかった。確認してみます」

「ケアマネと、サービス提供責任者の仕事の違いが良くわかりました」

「サービス提供責任者が働いやすい環境をつくりますよ」


などなど、感想を残して下さいました。


一方的な感想で恐縮であるが、このような管理者方のもとで働いているサービス提供責任者の方々は、きっと働きやすいだろうな。


たとえ社交辞令でも本音でも、良い感想を頂けば嬉しいもの。実際、介護界では、まだまだ本音を使うTPOがわからない人が多いと思うね。


余談だが、愛知県は昨年の介護支援専門員実務研修受講者試験(ケアマネの試験)で、都道府県別の合格率ではbPだったらしい。各都道府県が低迷する中、低迷する理由はともかくbPは素晴らしい! 近年は愛知は確かにこの試験は強いと思う。


もしかしたら、今回の合格者にも、今までサービス提供責任者の仕事をされていた方も多いかもしれない。そうだとしたら、ぜひ、介護支援専門員になったら、居宅サービス計画書(原案)を作成してからサービス事業所にサービス依頼をして頂きたいねぇ。


かくして、講演を終え、名古屋エスカでは、大きいサイズの「はち丸くん」もゲットし、帰路につきました。


講演に来て頂いた皆さん、お招き頂いた愛知県社会福祉協議会の皆さん、有り難うございました。また機会がありましたら声をかけてください。


寒いです。皆様ご自愛下さい!


(発表された芥川賞候補作に対して、選考委員の某都知事は「バカみたいな作品ばっかり」とぼやいたそうな。うん、まさしくそうだ。また彼は、昨年の会見でも「みんなマーケティングで、同じ小説家がくるくる違うことを書く。観念というか、自分の感性でとらえた主題を一生追いかけていくのが芸術家だと思う」など。いちいちごもっとも。しかし、そういう人が政治家になると、あなたみたいな精神論の政治家なるんですよねぇ。それも迷惑だなぁ!To Be Continued!!)
posted by さとうはあまい at 19:17| 島根 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 研修会のツボ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月24日

奮闘記・第781回 見聞録/三重県

●2011年● 三重県伊勢市

今年かかわった人々に感謝!

来年の繁栄を願うぞぉ!!

(前篇)


いやいや、なかなかブログの更新がままなりませぬ。今回を入れてあと3回通算1000回目じゃ。さて、今回は某日の伊勢神宮参拝記(その1)である。


さて、今回は研修会場からレンタカーで爆走し、途中、伊勢市のイタリアンレストランロッソ・アンティーコ(伊勢店)で満足し、そのまま伊勢市にある某ホテルに入った。



●このイタリアンレストラン、デザートまで侮れませんぜ!●.jpg

●このイタリアンレストラン、デザートまで侮れませんぜ!●



アットホームな良いホテルなのだが、しかし……このホテル、近所にコンビニが見あたらない(翌朝、通ったらもう少し足を伸ばせばけっこうあった……)。というか店自体が何も見あたらん。


従業員のかたに聞くと、1胸を張って「15分くらい行けばサークルKがあります!」とのこと。ほほう、15分か?じゃあ散歩がてらに行ってみよう……。


ところが甘かった。これが“車で”15分だったのだ(笑)。


食後の腹ごなしを兼ねて、歩いてみた。空には星がまばたき、その間を飛行機が低空を飛ぶ。どうやら飛行場が近いようだ。さて、どこの飛行場なのか……(対岸の中部国際空港らしい)。



●周辺は真っ暗!でも星空が美しい●.jpg

●周辺は真っ暗!でも星空が美しい●



佐藤は、歩きながら、奇妙ものを見た。それは、この界隈の民家の玄関にしめ縄飾りが施されていたことである。しめ縄って、お正月にかけるんじゃないのかい?


ちょっと調べてみた。すると、伊勢界隈の民家の玄関先には注連縄が一年中かけられているというのだ。この注連縄につけられる「蘇民将来子孫家門」の木札は、故事に由来するもので、毎年、正月前に掛け替えられるという。


この蘇民将来(そみんしょうらい、蘇民將來)とは日本各地に伝わる説話、およびそれを起源とする民間信仰で、今でも「蘇民将来」と記した護符は、日本各地の国津神系の神(主にスサノオノミコト)を祀る神社で販売されている。まぁ、スサノオノミコト自体は天津神なのだが。


粗々でいうが、牛頭天王薬師如来の化身とも)とスサノオミコトが神仏習合し、祇園社(現・八坂神社)は、斉明天皇2年(656年)に新羅の牛頭山に座すスサノオミコトの御神霊を移したらしい。天智天皇6年(667年)祇園となり、社殿が造営されたようだ。しかし、 崇神天皇65年には、和歌山の熊野本宮大社では、阿弥陀如来がスサノオのミコトとされている。なんでもかんでもスサノオのミコトにし過ぎの感がある。


それはさておき、この護符は災厄を払い、疫病を除いて、福を招く神として信仰されるのだ(いろいろいわくもあるのだが……)。


実は、佐藤宅の玄関にも、八坂神社で頂いた「蘇民将来子孫也」飾りものがある。このしめ縄はそれと同じ意味だったのか! 納得。しかし、伊勢の地にスサノオミコト素盞嗚尊)の神社があるのかしらね?あんまし記憶にないが。


ぶつぶつ言いながら歩いていた。このときはしめ縄飾りの不思議を考えつつ、長い長いコンビニへの旅を終え、無事にコンビニで買い物を済ませてホテル戻った。



●ホテルの朝食(朝から素晴らしい)●.jpg

●ホテルの朝食(朝から素晴らしい)●



うううん。あくる日は小雨。


まずは道開きの神様猿田彦大神がご祭神の猿田彦神社を参拝した。まずは、今年1年において新たな場所へ導いて頂いたこと感謝と、来年も、より多くの導きについて祈念した。



●猿田彦神社から参拝●.jpg

●猿田彦神社から参拝●



次に、佐瑠女神社にもごあいさつ。ご祭神は天宇受売命(アマノウヅメノミコト)である。この神様は、あの天照大御神が天の岩戸に籠られて、世の中が暗闇のようになった時に岩戸の前で舞踊をされて、もとの明るさに戻る機会を作られた神様である。


そんなことから「芸能・鎮魂・縁結び」の祖神としてまつられている。元気で明るくおおらかな女性の神様として、自立し、誇りを持って生きようとする人々にとっても大切な存在とされているのだ(自立支援の神?)。


当然、佐藤にも大切な神様である。そこで、こちらにも、もっともっと、自分の考えていることをうまく表現できるようになりますように!と心をこめて祈念したのでありました。



●佐瑠女神社で技術向上を祈念●.jpg

●佐瑠女神社で技術向上を祈念●



その後、伊勢神宮の外宮(げくう)を目指した。正式には“豊受大神宮(とようけだいじんぐう)”ないしは、“神宮(じんぐう)”である。その外宮は、産業の神・豊受大御神(トヨウケノオオミカミ)がまつられているのだ。ここは商売繁盛の総元締めと言っても過言ではない。


●外宮正殿を参拝●.jpg

●外宮正殿を参拝●


●外宮奥宮・多賀宮も参拝●.jpg

●外宮奥宮・多賀宮も参拝●



佐藤は、今年1年の感謝と来年の更なる繁栄の願いを込めて、神楽祈祷をお願いした。神楽殿に昇殿するときは、他者と一緒になるのが常なのだが、案内された神楽殿には、他にはおらず、わが研究所のみの神楽となった。


神職による、祝詞奉納のあと、雅楽が奏でられる中、巫女さんたちの舞が披露された。巫女さんたちは、お榊を手に、舞い続ける。神楽殿には、雅楽の音が響き、それはもうおごそかであった。


なんせ、今回は、ここにいらっしゃる方々は、わが研究所のためにだけ、願いを込めて神楽を奉納をしてくれているのだ。ありがたいったらありゃしないぜ!



●単独で神楽を奉納してすがすがしい気分●.jpg

●単独で神楽を奉納してすがすがしい気分●



ちなみに伊勢神宮は柏手を8回打つ(神職だけ、一般人は2回のようだ)とされる。出雲大社等のように4回以上打つのを長拍手(ながて)と呼び、2回は短拍手(みじかて)」と呼ぶそうだ。8回打った後に再度短拍手を1回打つという八開手(やひらて)もあるが、今回の外宮はそれであった。


佐藤は、神楽の余韻を楽しみながら、内宮皇大神宮)へいそいそと向かったのでありました。


やはり伊勢は“磯(いそ)”から代わったんだろうなぁなどと考えつつ。さて、後篇を載せられるか? 前篇で終わりか?


とにかく年の瀬も皆様、ご自愛下さい。ではでは!



●マナーは守りましょう●.jpg

●マナーは守りましょう●


(田子さん、斉藤さん、皆様お疲れ様でした。そして有り難うございました。まだまだ大変でしょうけれども、ご自愛下さい。今頃、磐梯山は雪できれいなことでしょう!To Be Continued!!)
posted by さとうはあまい at 13:16| 島根 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 見聞録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月16日

奮闘記・第780回 研修会のツボ/東京都

●2011年● 東京都台東区

株式会社三栄ケアセンター

「常勤職員介護技術講習会」の巻


さてさて、今年、佐藤は訪問介護ステーション さんえいさんの、サービス提供責任者の方々と定期的にかかわっている。研修の目的は、主任サービス提供責任者のリーダーとしての役割の強化、サービス提供責任者の能力の向上にある。


この事業所がある場所は、浅草に近い合羽橋商店街のそば。事業所は常に環境美化がモットーとされ、所内の整理整頓が徹底され、働きやすい環境が保たれているのだ。


サービス提供責任者の1人ひとりにパソコンが与えられ、業務管理をパソコンで行っているという。これはなかなかできそうでできない。なにしろ、介護業界で“先生様”と崇められる介護支援専門員(ふん!)にですら、1人1台のパソコンが与えられていない事業所も多々あるのが現状なのだ。


上層部の「サービス提供責任者」賭ける意気込みが伝わってくるというもの。組織がこのようにサービス提供責任者の存在を大切にしているところは、おのずと事業も大きく展開していくのは道理である。育ったサ責が定着してくれれば大きいことこの上ない。


その結果とでも言えばよいのか、11月には新事業所をオープンさせている。これに伴い、事業所は常勤職員を採用し、そこで今回は、サービス提供責任者を含め、常勤職員の介護技術を向上させようということで、佐藤が、介護技術講習をすることになった。


“えっ? 佐藤に介護技術ができるのか”って? もしもし、こう見えても佐藤は「介護技術講習主任指導者」なのだよ。


誰とは言わんが、介護技術の講師なんだか、ヒャリハットの実践例だかわからん講師(暴言?)といっしょにしてはいかんぜ。佐藤は基本に忠実だ。○○方式などという怪しいやり方は使わない。


佐藤も新人時代があり、多くの指導者から技術を習い、現場での協力で助けられた。1人で上手くなることはまずない。技術はそれら1つひとつの教えと訓練の集積なのだ。


毎度のごとく、技術研修の当日、ポロシャツとスラックスを抱えて事業所へ伺った次第である。ここ、さんえいさんでは、今年、センター長が職員の技術向上と地域の方々へのPRを兼ねて、なんと、事業所内にベッドを配置してあった。


職員がいつでも介護技術の研修ができるようにと、環境を整えたのだという。働いている人々が「したい」ことは「するんです」。いやはや素晴らしい!



●自己紹介からスタート……おや?書き直し(苦笑)●.jpg

●自己紹介からスタート……おや?書き直し(苦笑)●



今回は介護技術の「基本のキ」である移動・移乗だ。まずは、どのように自分が椅子から立ち上がっているのかを分析、立つ行為の手順を言葉に表してもらった。


@背もたれから背中を離す。
A両手で椅子の手すりをつかみ、腰をあげて上体を前に出す。
B両足をかかとから自分側に引き、立ち上がりやすいように足場を確保する。
C自然に体が立ち上がりたくなる位置まで、上体を前屈みにする。
Dつま先にかかる重心をかかとに移し、体をまっすぐに立つ。
E体重を両足で支える。


いやはや、立ち上がりを言葉で表すのは至難の技じゃ。このように、立ち上がりの仕方を体得した後はいよいよベッドと車いすを使い、車いすへの移乗を練習しました。


まずは、佐藤がロールプレイを披露。続いてサービス提供責任者から順番にやってもらった。常日頃しているからか、利用者に対しての言葉かけはスムーズにできていた。さて、技術は……、ううん、おしい!まぁまぁ上手いんだけど、型は完全に自己流である。そこで佐藤は、ポイントを押さえてアドバイス。すると、ほら、できた。


続いて、常勤職員だ。中には、採用されたばかりの方もいて、おろおろしていた。大丈夫、大丈夫。ここにいる人は、あなたの仲間だから失敗しても文句は言わないよ。できないところはこれから練習をすればうまくなるからさ。


みんなの励ましの中、手をふるわせながらも頑張った。その後、ポータブルトイレへの移乗などの行為も練習し、3時間の研修時間はあっという間に過ぎていった。



●自分の座位姿勢の確認から●.jpg

●自分の座位姿勢の確認から●


●立ち上がりたくなるまで前かがみになってみる●.jpg

●立ち上がりたくなるまで前かがみになってみる●



ここにベッドから車いすへの移乗の手順(参考例)を書いておこう。


@介護者は、健側に立ち、腰をおろして低い位置からあいさつをして体調をうかがう。
A介護者は、これからすることを本人説明し、同意を得る。
B介護者は、本人にこれから車いすをとりに行くことを伝え、そばを離れるため、その間に倒れることがないように、本人に健側の手をベッドに置き、体の支えにして頂く。
C介護者は、車いすの点検について説明し、点検を行う。
D介護者は、本人の健側に車いすを置く。
(近づけ過ぎないよう気をつけ、手の届く範囲に置きブレーキをかける。)
E介護者は、本人にこれから車いすに移るために、立ちやすいように体を前に出して頂くことを説明する。
F介護者は、本人に健側の右手をベッドにおいて、ベッドを押すようにして力を入れて頂き、健側の腰を前に出して頂く。
G介護者は、本人前の中央に立ち、患側の膝下にすくい安い手をいれ、大腿部に少し隙間を作りながら、反対の手で、患側の腸骨に手をかけ腰を手前に引く。
H介護者は、車いすを本人のそばに引き寄せる。
(フットサポートを下腿とベッドの間に入れるようにしながら、膝と車いすの座面は握りこぶし1つ分くらいのスペースを空ける。)
I介護者は、本人の健側の手をアームサポートに伸ばして頂き、しっかりとつかんでもらう。
J介護者は、本人の患側に立ち、本人の腰側にある手を腰に当てる。
K介護者は、本人の患側の足のかかとの後ろに自分の足を置く。同時に介護者の膝で利用者の膝折れを防げるようにサポートし、患側の膝に手を置きながら、健側に体重を移動するような気持で立ち上がるように伝える。
L介護者は、本人が立ち上がれるように介助する準備をして待つ。
M介護者は、本人の腰が浮き、体重が移動しつつあるのを見極めながら、膝の手を健側の腸骨にまわし、同時に腰の補助をしていた手を患側の腸骨にまわし、腰を回転させて着座介助を行う。
N介護者は、本人の着座を確認し、気分をうかがう。その後、本人の座り心地を確認する。
O介護者は、本人がしっかり座れていない場合には、本人自身で健側のほうの足に力を入れて後方に体をずらしてもらうように伝える。
P介護者は、本人の患側が後ろに下がらない場合には、介護者が前から、膝の下に手をあて、大腿部の下に隙間を作るようにしながら、反対の手で腸骨をおし、再び座位の確認を行う。
Q介護者は、患側の踵部に手を添えて足を持ち上げ、フットサポートに足を乗せる。
R介護者は、本人の気分の確認をする。

※右マヒや、左マヒを想定して、介護者の左右どちらの手をどちらに置くのかを明確にするとさらに分かりやすくなるはず。


さて、介護を文字化するとこんな長文になる。これは大変な協働作業であることがわかるであろう。だからといって、この複雑な作業を「移乗介助」の表記ですませて良いのだろうかね?


ヘルパーが統一した介護ができることを目指すのであれば、している援助を文字化して、理解できるようにせねばならないよ。


サービス提供責任者はもちろん。ヘルパー1人ひとりも、自分のしている援助を文字化できるように「訓練」をしましょうよ。自分のしていることが表現できること。これも立派な介護技術だと思います。寒くなりました。ではまたねぇ〜、ご自愛下さい!



●車いすの名称を確認する●.jpg

●車いすの名称を確認する●


●そうそう、体を持ち上げない。指示してあげるだけ●.jpg

●そうそう、体を持ち上げない。指示してあげるだけ●


●介護者自身の体を守ることも大切●.jpg

●介護者自身の体を守ることも大切●


●フレデ○ックも応援(?)●.jpg

●フレデ○ックも応援(?)●


(ソフトバンクの和田毅投手は、米大リーグのオリオールズか。ダルビッシュも行くそうだ。でも日本の一流選手が大リーグの中継ぎや控え選手になりにわざわざ行くのかね!To Be Continued!!)
posted by さとうはあまい at 14:14| 島根 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | 研修会のツボ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月15日

奮闘記・第779回 見聞録/群馬県

●2011年● 群馬県高崎市


上野三碑を制覇!

〜謎の山名八幡宮と上野三碑を堪能する〜


ああ、皆様お久しぶり! 佐藤は愛知、三重と走り回り、ただ今、震災以後久しぶりの福島で研修中です。


奇しくも明日16日、政府は福島第一原発の原子炉の冷却が進み、安定化した冷温停止状態になったため、事故収束のための工程表を達成と、来年の年明けから同原発の30年以上かかる廃炉への工程表を発表する野田総理の記者会見があるというニュースが入った。


30年か……。非常に長い時間のようであるが、30年なんてあっという間なのだ。菅さんや野田さんはおそらく30年後にはいないだろうが(いてもらったら嫌だねぇ)、福島にも、日本にも30年後にも誰かが住んでいるのだ。1つひとつしっかりやってもらわなきゃいけない。


民主党も、菅さんはお金を出す約束ばかりだし、野田さんは金を巻き上げることばかり。小澤さんも自分のことばっかりだしな。自民党は……だれが総裁だっけ? あれ? 顔も名前も浮かばないぞ。日本もこんなリーダーばかりじゃ先が心配だ。


さて、今回は再び群馬の見聞録である。11月に群馬の多胡碑(たごのひ)について報告した。佐藤は次の週、再び群馬に出向いたので、上野三碑(こうずけさんぴ)の残りの山ノ上碑(やまのうえのひ)金井沢碑(かないざわのひ)をまわった。もちろん、上野(こうづけ)とは群馬県の旧称である。


上野三碑が、また……とても大変な道のりであった。



【山名八幡宮】

まずは、山名八幡宮だ。こちらの神社の創建は定かではない。まぁ、よくあることだ。


しかし、ここは大変だよ。ここを新田源氏で、新田義重の子で山名の祖となった山名義範が、文治年間(1185〜1190年)あるいは、安元年間(1175〜1177年)に豊前国(現・大分県)の宇佐神宮より御分霊を勧請して、社殿を造営した。


まぁ、基本知識はこの位でいいのだろう。長くなるのでサクサクと概略を述べたい。無茶苦茶長くなるから今回はやめておくが、ここの神社の創始者は清和源氏の新田氏の出で、嫡流ではないのに“勝ち残った”のだ。一族の中で勝手な動きをしつつ、それが成功した。これが面白いのだ。


たとえば、平家と源氏では、圧倒的に不利な時期の源頼朝に賭けた(他の一族は中立を保ち、没落)。源平合戦では、あの義経のもとで功績をあげ、伊豆守に任じられ鎌倉幕府内での地位を築いた。南北朝動乱期は、新田義貞と足利尊氏の対立では、同族の雄・新田義貞ではなく、足利尊氏につき、山陰を中心に最盛期11か国の守護職を兼ねた。


当時の日本は国内66か国だ。山名氏は6分の1を支配していたので6分の1殿と呼ばれた。やがて、足利将軍家が名前だけの存在になり、室町幕府の権力を握った。もちろん、この山名氏もやがてあの応仁の乱で衰退していく。それはともかく、島根や鳥取を訪れると、この“山名”という名前は結構、歴史物で遭遇する。まぁ、今回はここまで。


主祭神は、宇佐神宮に近くて、応神天皇神功皇后玉依比売命である。単に比売大神ではなく、玉依比売命であるのを見ると、この八幡宮の創設者は八幡大神の祀りの“秘密”を当時知っていたのだろう。これもすんごく長くなるから違う機会にする。


今回は、その神社そのものの面白さを語りたい。この神社はなんと、上信電鉄上毛線の線路が、参道の上を横切っており、参拝客は、車を置いたら、参道を歩き、線路の下をくぐって神門前に行くことになる。運が良ければ(?)、自分の頭の上を電車が通り過ぎていくというわけだ(笑)。こんな形は初めて見た。



●不思議な山名八幡宮を参拝●.jpg

●不思議な山名八幡宮を参拝●


佐藤は、この神社は3回目の参拝となる。いつぞや、群馬県ホームヘルパー協議会さんの仕事で、群馬に来た時に偶然、この神社に立ち寄り、交通安全のお札をもらった覚えがある。


今回は、どうやら、山ノ上碑がこの近くにあるというので、そんならば寄るかな、と立ち寄った次第である。例によって、参道をくぐり参拝をすまし、おみくじを引く。ひゃ〜い!「大吉」だ。


社務所前にたたずんでいると、神職が出てこられて、空を仰ぎ、しばし会話を交わした。ご神職も笑顔で語ってくれた。


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●御本殿の装飾が美しい●


空を仰ぐと、神社にある銀杏や、楓の葉が、青空のもと、ひらひらと舞い降りて、それはそれは美しい。その後、神社の裏へ回ると、なんと、そちらには門の中に獅子頭が置かれていた。


なんでも、こちらは裏神様だそうで、陰陽合わせの考えにより、さらにご利益があると伝えられている。裏神様ねぇ……。必殺仕事人の神様みたいだな。たいがい彼らの打ち合わせは神社だし。


さて、この獅子頭は、山名八幡宮の象徴で、古来より(疳の虫)や(厄)を喰い切る神獣として伝承されているらしい。じゃなんで表に置かんのかな?


それにしても、この獅子頭は大きくて、それはそれは立派であった。これからの日本の平和と研究所の安泰を願って、手を合わせた。


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●なんと裏には裏神様が!●


すると、獅子頭の近くに裏神様が偶然通りかかった(?)。


「よっしゃよっしゃ、まかせとき(田中先生風)。来年も安泰じゃよ!」と言ってくれたような、いやいや……信じましょう。


【上野三碑】

ふう、山ノ上碑を目指そう。


駐車場に戻り、取り合えず、山名八幡宮の上にある公園を目指すのだが、どうやら、ここらは新興住宅街のようで、傾斜地に家が並んで建てられている。その間の道をくねくねと巡回するが、どうにもこうにも山の上碑を見つけられない。


仕方がないので、ネット検索。どうやら、めじるしが間違っていたようだ。さっそく、案内どおりに行ってみた。途中どう見ても「……歩道だろうなぁ」という傾斜地に作られた細い道をビクビク進む。「対向車よくるな!くるな!くるな!」と念じるというより、怒鳴りながら進んでいった。


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●山ノ碑文のある場所を示す地図●


小さい川を渡ると右側に「山ノ上碑はこちら」という案内版と、「駐車場はあちら」と書かれた立て札があり、その立て札に従って駐車に車を置いた。地図によると、山ノ上碑と金井沢の碑の道中は、ハイキングコースの途中にあるようであった。


事前にわかっておれば、ハイキングの計画も立てたのになぁ。本日は準備不足である。いくら低い山でも山をなめてはいけない。したがって山ノ上碑を見て戻ってくることにした。


山ノ上碑は、その名の通り、山の斜面に垂直に作られた階段の上に、覆屋(おおいや)に囲まれて静寂の中にあった。佐藤がその静寂を破る。


「ふう、やっとついたぞ〜!んのやろうぅ」と大きな声ではてた。


階段を上り詰めると、そこには横穴が空いた古墳がある。その左側に、この古墳の主を示す碑文が書かれた石碑が覆屋に身を包まれて風雨から守られていた。案内版には現代語訳もある。


辛巳歳(天武天皇10年=西暦681年)10月3日に記す。佐野三家をお定めになった建守命の子孫の黒売刀自……


と続いていく。この山ノ上碑文を読む限り、建設は「辛已歳」とされ、天武天皇10年(681年)建碑と考えられている。つまりこの碑が上野三碑の中で一番古いということになる。


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●階段の上には古墳があった●



書かれた人物も古いが、その軌跡を刻んだ方も1300年も前の人物だ。その人物がここに文字を刻み、それが現代にまで残されているというわけだ。


多胡碑と同じようにこの石を守り続けた方々がいるようだ。必ずしも守りやすい年月や場所ではなかったことは容易に想像がつく。ふう、いやはや、その時の長さと試練をしみじみと思いやった。


●そんでこれが山ノ上碑●.jpg

●そんでこれが山ノ上碑●


佐藤は石碑に深々と頭をさげ、その場をあとにした。二つ目をクリア。次は金井沢碑だ。こちらの碑文は、ナビ様もそのありかをキャッチしてスムーズに案内をしてくれた。


こちらは、駐車スペースから、標識に沿って小川をわたり、畑沿いに作られた小道に導かれているが、とにかくたどり着くことができた。どうやら小道は、この石碑のためにつくられているようだった。


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●金井沢碑に続く道じゃ●


金井沢碑には、山懐に抱かれるように、同じように覆屋に守られていた。石碑は神亀3年(726年)2月29日建碑され、台石にはめこまれ、文章はその表面に陰刻されている。


内容は、上野国群馬郡下賛(下佐野)郷高田里の三家(ミヤケ、屯倉)の子孫が、七世父母、現在の父母等のために天地に誓願して作る旨が記され、祖先の菩提と父母の安穏を仏に祈願しているという。


こちらの碑、先の多胡碑や山ノ上碑と異なるのは、いくつか文字が欠落しているところである。多胡碑は、そこの領地が誰のものかを示したものだが、山の上碑や、この金井沢碑は、先祖の供養を子孫がおこない、先代を敬っている姿を見受けられる。また、東日本の仏教の受容状態も知ることができる。


そのはるか悠久の時を超えて、いまを生きる、関係ない自分が、いまこうして碑文をみているのだ。佐藤は、その覆屋の周りを一回りしてみた。中をのぞいた。


覆屋は、四方に窓があり、一回りすることで、全容を眺めることができるのだ。後ろから眺めると、太陽の光が後方からさし、石が黄金に輝くように見えた。


●覆屋は道の行き止まりにあった●.jpg

●覆屋は道の行き止まりにあった●


●すべての碑文には解説が添えられている●.jpg

●すべての碑文には解説が添えられている●


●やれやれ、金井沢碑ですじゃ●.jpg

●やれやれ、金井沢碑ですじゃ●


これらの石が、古代史を考え直す資料となり、関東を中心に古代史が徐々に書き換えられているのだ。天皇中心の視点だけでは、歴史はまったく全貌がつかめてこない。なにしろ、あの方々、ご自分のご先祖の古墳のことすらご存じないのだから。


いろいろな説があるようだが、まぎれもなく、1300年前には、この石を前に誰かが熱心に文字を刻んでいたことに間違いはない。そのころ、ヤマト政権は何をしていたのだろう? 現在の野田政権や天皇家のあり方をみると、畿内で大したことは起きていないのかも知れない。歴史は繰り返すからね。佐藤は、その姿を描きながら、石碑を後にしたのであった。


さてさて、寒いような、そうでないような。皆様、ご自愛下さい!


●念のためこれが多胡碑●.jpg

●念のためこれが多胡碑●


(郡山のキングあかべぇと再会した。久しぶりの磐梯山も猪苗代湖も素晴らしい、言葉もありませんて!To Be Continued!!)
posted by さとうはあまい at 15:29| 島根 曇り| Comment(2) | TrackBack(0) | 見聞録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月02日

奮闘記・第778回 見聞録/群馬県

●2011年● 群馬県前橋市


晩秋の赤城山麓を愉しむ

〜ドイツ村で羊と戯れ、赤城神社で神々様にお守り頂く〜



今年一番の寒冷前線の南下によって、東京は一気に寒くなった。そのうち南極から東京にペギラでも飛んできて、氷河に包まれそうだな(ないない)。うううん、懐はすでに氷河期。


そうそう、『ウルトラQ』のペギラが出てくる「第5話 ペギラが来た!」「第14話 東京氷河期」は面白いですぞ。それぞれ当時視聴率も30%を超えた。


お話内での政府の対応の悪さは、歴代の震災や、原発事故の対応の悪さとダブってしまう。


北海道や、東北地方では雪も降り本格的な冬に突入したようで、研究所でもエアコンが大活躍なのだが、足元はなぜか冷えたまま、応えるぜ、バァさんだしな。



さて、神無月も明け、いよいよ師走に突入したが、今回はまだ先月の群馬でのお話。


佐藤は、研究所のやぼちゃん(マツダ車)にて、まずは群馬県にある赤城高原牧場 クローネンベルクに立ち寄った。


ここは、赤城高原の大自然に広がる小さなドイツ村だ(ドイツ人は見かけなかったが)。小さいと行ってもけっこう広い。クローネンベルクは、赤城山麓の南側に位置し、大自然の中に広がる牧場と、ドイツの農村風景を配している。


入園し、ドイツ村のシンボル・時計台をくぐると、そこは街並広場になっていて、石畳の広場に、レストランやギフトショップが並び、バウムクーヘンやソーセージ、ドイツ・ビールなど、うきうき、わくわくする品物であふれている(食い物だけ買いに来る客もいた)。


ここでは、大道芸やコンサートが行われるという。



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●ドイツ村・クロ−ネンベルクへ●



佐藤が行った日は平日だったためか、中は閑散としていた。土日はどうなのだろう?


まずは、腹ごしらえ。園内にある某ドイツ料理レストランに入った。そこには、大きなソーセージや、ハム、黒ビールなど、メニューも、ドイツスペシャルとか、ジャーマンカレーとかメルヘンやミュンヘンなど、ドイツらしいネーミングが成されている。見本を見る限りは良さげであった……。


佐藤は、ウインナーとハムの盛り合わせのセットを選んだ。


なんと、ここは、セルフサービス。しかも中途半端なやつだった。客が入る時期はともかく、閑散期には不向きであろう。よけい寒々としてくる。


カウンターでチケットを購入し、受け渡し場所で品物を待つ。平日で客が少ないこともあるのか、店員さんも少ない。チケット係も、料理出しも、ドリンクコーナーも同じ方が緩やか(のろのろ?)に対応してくれた。


料理は……。本来はうまいのだろう。そう、スープやウインナーが冷たい手前、ぬるぬるなのだ。(これよりは温かかった)ぬるいスープが出てきたファミレスでは換えてもらったことがある佐藤だが、今回はそういう気力も湧かなかった。


「収容所で食べるとこんな感じかなぁ?」


入ったことがない佐藤は想像しながら、しぶしぶ食べた。


ここで美味しいドイツ料理を食べることを目標にしてきていたので、だいぶがっかりしてしまった。店員さんの対応もイマイチ。普段やたらアンケートを取りたがるところを見かけるが、こういう施設ではアンケートが目に付かない(あるのかも知れんが)。


たぶん、たぶんですぜ。お客が入る日(あればね)や祭日には、熱々のスープやウインナーをほおばることができるのではないか?(……と思いたい) いやいや、ここでは久しぶりに群馬県に来て、ホスピタリティを全く感じなかった場所だ(もちろん、レストランのこと)。



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●ドイツ料理を食べてみた……たぶん温かければうまい●



食後は、折角来たのだからと園内を散歩。南側の斜面にあるとはいえ。赤城山から吹き下ろされる風は冷たい。


歩いていると、左側に、なにやらもこもこと動くものがいた。そこは、牧場で羊たちが草を食んでいた。ちなみに時間によっては、羊の追い込みを観ることができるという。こういうのはいいね!



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●羊太夫はいないが、羊君たちが草を食んでいた●



羊たちと戯れていると、遠方から視線を感じた。みればそこには、館内を周遊する「チューチュートレイン」という汽車が止まっていた。


運転手さんが、「館内が周遊できますから、いかがですか?」と誘ってくれたのである。そうですか、そうですか、お年寄りには館内を闊歩するには広過ぎるかんね!


ということで、チューチュートレインに乗って見た(アトラクションは別料金)。チューチュー(choo--choo)とは、英語で機関車の動く音を幼児語風にいったものらしい(日本語なら、しゅっしゅっぽかな?)


汽車は初めに、右手にあるドイツ村の遊びのエリアに入る。ここには、動物エリアと、遊具エリアがある。動物エリアでは、羊やロバ、ラマなどに触れ合うことができる。


遊具エリアには、ゴーカートや、アーチェリー、バズーカ砲、おもしろ自転車やパターゴルフなどができるコーナーもある。この日は平日、子供たちがいるわけない(笑)。


ただし、佐藤が興味を持ったのが、ゲームコーナーのカウンターに鎮座しているかえる君だ。君!!いい仕事しているねぇ〜!


思わずかけより、ゲットしたい心を抑えて静かに先へ進んだ。景品ならいいんだけどな……。やがて、チューチュートレインは、Uターンをして、来た道を引き返す。


先ほどの蛙君を密かに写真に収め、なおも進む。車は、ドイツ村の最上部に位置する園「Liebe(ドイツ語で「愛」)」前を通過する。


ここでは、菜の花摘みや、ジャガイモ堀りなどの農業体験ができるそうだ。その後、車は林幹事長、いや、ただの林を抜け、坂道をくだり、バラ園の前の停車場に戻ったのであった。


運転手兼係員さんは、「16:00を過ぎれば、ライトアップがされて、この電車も美しくなりますが……」と電球が飾られた機関車を指して話してくれた。


そうか、遅くまでやっていればそういう楽しみもある。太陽の下では、電球も機関車に取り付けられたひもにしか見えないが。



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●チューチュートレインに乗ってみたが、中西圭三氏はいない●


●園内は結構広いぞ●.jpg

●園内は結構広いぞ●


●かえる君がいい仕事をしていた(笑)●.jpg

●かえる君がいい仕事をしていた(笑)●



佐藤は、やがて夜の空気に包まれれば美しくなるであろう、機関車君と記念写真を撮り、運転手さんにお礼を言って坂を下りた。


しかし、ここも、今はなき、倉敷のチボリ公園のようにならなければよいが。


あそこは、経費節減(震災は関係なし)のため、目玉であったライトアップも数を減らし、事もあろうに閉園時間も夕方早くに繰り上げ、ライトアップも見られなくなり、とうとう終日閉園(潰れた)と相成った。


残念である。


結構気に入っていたのだ。新幹線で倉敷を通り、あのライトアップを見るときれいでドキドキした。神戸を過ぎると、山陽新幹線は姫路と倉敷ぐらいしか見所はほとんどなくて退屈なのだ。


さて、再びクローネンベルクを歩く。


広場に戻った佐藤は、お土産に黒ビールを購入。後日、冷やして飲んだ。うまい。さすがホンモノである。冷えたドイツ・ビールはさすがにうまかった!


テーマパークは、日曜日や祭日の劇混みも困るが、平日の閑散としているのは、どうも、さみしいし、購買意欲にけけるなぁ〜。チボリより湧かない。佐藤は、ビールを抱えてドイツ村をそそくさと後にした。花咲く春に来たら感想も違ったものになるかも知れない。枯れ木ばかりの冬場はキツイかな。



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●ばらの花がけなげに咲いていた●


●ぐんまちゃんと顔出しに挑戦!●.jpg

●ぐんまちゃんと顔出しに挑戦!●



次は、赤城神社を目指した。もちろん、赤城山のほうの神社である。ここからは山道走行となる。


県道16号線をくねくねくねくねくねくねと、超ハードなヘアピンカーブを右へ左へハンドルを切り登っていく。首が痛いし、暴走車対策でスピードが出にくくしてあるから、ガタガタする。


右に左に、忙しくハンドルを切りながら絶対に対向車が来たら、すれ違えないとつぶやく。でも来ると、後ろに下がったり、横道で待ったりと大忙し。


そんなとき、対岸の秩父連峰の上に、見慣れた山の頭が見えた。うん?なんと、それは富士山であった。


赤城山付近には「富士見町」という地域がある。地元の方も「天気がよければ見えますよぉ」と言われるが、そうは甘くない。簡単に言ってもらっては困るな(笑)。群馬県から見える山々は、晴れた日でもモヤがかかって、そうは問屋町、いや問屋が卸さないのだ!


だが、今回はなんと見えたのだ。さすがにはっきりとではないが、これなら見えると言えるであろう。なるほど、こちらから富士山が見えるんだぁ〜!と感心しつつ、思わず車から降りてシャッターを切った。



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●遠くに富士山(左下)が見えた!●



その先、いよいよ、赤城山の大沼が近づいてきたころ、今度は、道路わきに白いものが見えた。


「おお、雪じゃ!」


雪を見てはしゃいでいたら、その先道路にも積っている個所が増えた。やややややや、まだ、車のタイヤを交換していないのじゃ(汗)。



●道路わきには雪が!●.jpg

●道路わきには雪が!●



すべるな、すべるな、すべるな、すべるな、すべるな、すべるな〜!と呪文を唱えた。

どうやら、この呪文が効くわけないから、赤城の神様は佐藤を見捨てはしなかったのだろう。なんとか無事に赤城山赤城神社の駐車場へ車を入れることができた。


もう、日が西に傾き、社務所が開いているかが気になるところ。大沼にかかる緋色の橋を渡る。参道を歩くと、拝殿には多くの人影を見ることができた。どうやら、ご祈祷された集団のようだった。



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●夕日に映える大沼●



佐藤は、その翁の集団の間を抜け、拝殿にて今年一年の感謝意を述べた。さらに、来年の無事をお願いした。


おみくじ結果は中吉、oops! ひきなおし大吉だった!


まあ良い。社務所の中は、先ほどの集団が、お土産用のお守りを吟味している。こうなると、俄然購買意欲がわく佐藤である。ライバル意識が湧くのである!(笑) 佐藤も、商売繁盛御守りをゲットしたのであった。



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●赤城山赤城神社を参拝●



これからの季節。赤城山の赤城神社は雪の中。白い山、氷に覆われる大沼。その上に光る緋色の橋。それは、それは美しい光景であろう。


以前、無謀にも大雪の残る中、通行止めでない場所を探し探し、進み、辿り着けたことがある。御山(赤城山)は神々しく、大沼は清んでいた。こういう場所にこそ、神々様はおでましになり、苦笑いをして人間達を見守ってくれているに違いない。


佐藤は日が陰り、寒さ増す中、やぼちゃんとともに、帰路についたのであった。寒い、寒い。皆さん、ご自愛くだされ!



●大沼にかかる緋色の橋を渡り、帰路につく●.jpg

●大沼にかかる緋色の橋を渡り、帰路につく●


(神棚に乾燥大麻を飾っていた伊豆大島の宗教サークルが大麻取締法違反の疑いで現行犯逮捕されたそうな。まぁ以前は本当に御札は大麻を使っていたというが、現在やれば“古式ゆかしく”では通らんだろうな!To Be Continued!!)
posted by さとうはあまい at 14:27| 島根 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | 見聞録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月30日

奮闘記・第777回 研修会のツボ/群馬県

●2011年● 群馬県前橋市


群馬県健康福祉部障害政策課

サービス提供責任者現任研修

〜リーダーの役割について・管理及び指導業務の方法〜



いやいや、月並みな表現ですが、今年もあと1か月ですな。今回で通算994回目のブログ。リニューアル後だけでも777回目じゃ。頑張らんとな。


さてさて、群馬県でかかわったサ責の皆様、お待たせしました! 今回は、いよいよ県庁で行われた研修報告の第1弾をお届けしますよ。よろしければ、研修現場を振り返ってあの時に気付いたことを思い出してみてくださいまし。


群馬県健康福祉部障害政策課さんでは、毎年サービス提供責任者に向けて、参加者のレベルに合わせて研修を企画している。


今年2回目の研修は、サービス提供責任者の方で、しかも、しかもですよ、リーダー的存在の人々を対象とした研修なのである。


サービス提供責任者は……言いにくいが良く代わる(辞める)。だから、初級・中級コースを設定したくても、なかなか、入門から初級入り口くらいで終わってしまうのだ。


それに経験者と言っても、まぁ、ケアマネさんよりは良いぐらい(失礼だがほんとう)で、たいがいは期待を裏切られることが多いのだ。でも、群馬や富山なら大丈夫!


昨年は、スーパービジョンの仕方について、そのノウハウを伝えた。今年は、苦情の取り扱いと、苦情報告書の作成方法についてを考えた。



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●会場にあった案内図(ぐんまちゃん大活躍)●


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●開会のあいさつで始まる●



■研修で行ったこと

(1)自己理解・他者理解について考える。
(2)苦情の対応方法を考える。


まずは、「自己理解・他者理解」である。初めに例のごとく、エゴグラム・ストローク表の作成を行った。その後、解説の段になると、通常は各自のパーソナリティに特化して解説するのだが、今回はちと、違う。


リーダーとしての役割を担う人々にとって、エゴグラムに登場する「どのような役割」が必要なのかを踏まえて解説を行った。


交流分析の解説を行うときには、その人々のパーソナリティを表現するためのパーツが登場する。


例えば、

○他者に対して躾役をする批判的ペアレント(CP)
○他者に対して守る役割をする保護的ペアレント(NP)
○物事に対して自由闊達にとらえるフリーチャイルド(FC)
○物事に対して素直に応じる順応なチャイルド(AC)
○物事に対してなにすそとくいさがる負けず嫌いな反抗のチャイルド(RC)

そして、

○唯一自らが育てることができる、役割人間なアダルト(A)


など。人は誰もがそれぞれのパーツを持っている。他者とかかわるときには、それらのパーツの性質の良い面や悪い面を無意識に活用して、表出されているわけだ。


他者とかかわるときには、その「良い面」でかかわっていれば良いものだが、その時々の自分の感情によっては、「悪い面」で対応してしまうことが起きうるのだ。


自分自身の感情が落ち着いていて、客観的に物事をみられるときには、まだ良い。しかし、仕事に追われていたり、具合が悪かったり、心が落ち込んでいたりするときになると、ついつい、自分の弱い部分が表面に出てしまうことになる。


その結果、他者に対して、ついつい自己防衛(守り)に入ってしまい、素直に失敗を認められなかったり、それを隠したりすることを、図等を用いて説明していった。


これは、リーダーの役割を担っている人も同じことだ。だから、自分自身が、どのような「物事の見方・捉え方・考え方・表現の仕方を行うのか」を十分に理解している必要性があるのだ。


佐藤は、通常よりも時間をかけて、それぞれの役割が、他者との間で起こる問題となる傾向性を具体的に解説していった。


皆さんは、自分が作成したエゴグラムの図表や、ストロークの図表をみながら、


「ううん。そうなんだよね。わかってはいるんだけど、難しい」

「すごい、当たっている。困ったな、どうしょう?」


などなど。まぁ、皆さんこれは占いではないし、あくまでも一般的な傾向でしかないのだ。そこで、佐藤は一言。


「今回の図表は、皆さんがご自分について回答したものであり、信ぴょう性にはかけるんです」


と伝えると、一様にほっとされていました。その後、しばらく、グループ内でお互いの表を見ながら意見交換。すると、あなたは、「そのように見えないわよ」との声が聞こえてきた。


もちろんです。そう、そう。そうなんですよ。自分で思っている分は、自分がそのように捉えているだけ。実は他者の前では、人はそのようなふるまいをしていないものなのだ。


言い換えれば、誰だって他者から自分の弱いところを指摘してほしくない、ということなのだ。だからこそ、人は、他者の前では「そうではない自分」を演じているのだ。


たとえば「自分は優柔不断で、決断力に欠ける」と思いこんでいる人は、案外、表面的には、テキパキと物事を決めていたりする(そう見えるよう、ふるまう)。


また、「自分は、自分の思いや考え方を他者に伝えることができない」と思っている人が、グループワークを始めると積極的に発言をしたりする。そこで、佐藤はリーダーをしているときには、「リーダーの役割を演じる」ための心構えが重要であるということを伝えた。


後半、苦情の解決方法について学んでもらった。まずは、皆さんに、「利用者さんからどのような苦情をもらったことがあるか」を書き出して頂いた。次にグループでまとめて、ホワイトボードへ書き出して頂く。



●群馬県庁294会議室は暑い熱気に包まれた●.jpg

●群馬県庁294会議室は暑い熱気に包まれた●


●個別に解説する佐藤●.jpg

●個別に解説する佐藤●


●講師控室でお弁当を頂く●.jpg

●講師控室でお弁当を頂く●



■苦情の例

・ヘルパーが来ない。
・お椀を電子レンジに入れて温めてしまい、お椀が変形した。
・言葉遣いが悪い。
・調理の味付けが薄い。
・掃除の仕方が雑。
・雑巾が濡れていない。
・雑巾を洗面所で洗った。
・頼んだ品物でないものを買って来た。
・時間内に帰ってしまう。
・座り込んでおしゃべりをして仕事をしない。
・車の中で寝ていた。


などなど。なんと、2面あったホワイトボードがたちどころに苦情で埋まっていったのだ(へぇ!)。中には、お椀が変形したなどのすでに「事故」も含まれていた(笑えない)。事故内容については、本来なら、担当したヘルパー自身も気づいていたはずだ。であれば、このことがサ責に報告され、サ責も謝罪のしようがあった(というか行かねばおかしい)。さすれば、苦情には至らなかったかもしれない。


このように、事故から苦情に移行しないようにするためには、嫌な表現かもしれないが、ヘルパーが隠蔽せず、気軽に話せる環境の構築が必要であるし、何よりもヘルパーの態度や行動の微々たる変化を瞬時に見抜く「目」を持つことも大事なのだ。これがなければ、生の人間を管理するのは困難である。


だが、そうは言ってもサ責も忙しいからねえ……。ちなみに、佐藤がバリバリ(?)のサ責の頃は、ヘルパーが失敗こいて、壁を昇って向こう側へ逃げるのを先回りして、身柄を確保したもんだ。ははは(できるか!)。


そこまではできんが、ヘルパーが事業所に戻り様子がおかしいと、管理者が、机の下から、事務仕事に追われている佐藤の足を蹴飛ばして、それでも気づかない佐藤の髪を引っ張り、目配せして、

「おい、見てこいよ」と、教えてくれたものでした。

(どこまでほんとうやら……萩原さん、お元気ですか?)


実は、こういう役割分担ができる管理者がいてくれると非常にありがたいのだが……。管理者の方々、サ責に稼働率を強いるならば、もう少し目配りをしてあげてくださいまし。言いにくいが、管理者は自分が採点される機会が少ないから、なかなか能力が向上せんからな!(キッパリ)



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●皆さんから出された苦情について解説●



さてさて、話を戻そう。


次は、苦情対応の仕方について考えてみた。苦情を伝えてきた人の話を十分に傾聴する。あるいは現場に出向き話を聞く。次に当事者に話を聞いてみる。


あれあれ? ケースバイケースで、当事者に事実を確認しないこともあるかも……ですって。どこか近くの大国の裁判みたいだな、新幹線を埋めたりさ(これも笑えない)。


それでは、いかんね、いかんよ。なぜならば、ヘルパーは事故や苦情を起こそうと思って仕事をしていない(はず)。だから、常に「これで良いのだろうか?」と不安も抱いている(はず)。


そんな中で、もし、自分の働きから事故や苦情が起きたとすれば、きちんと伝えてほしいと思っている。きちんと事実を把握して、同じことを繰り返すことがないように是正をすればよいのだ(事の程度はあるにせよ)。


そのためにも、サ責は当事者と面接し、事実を確認しておく必要がある。すると、会場がざわついた。なになに、先輩だから言いにくいって?


そりゃそうだ。皆さんの先輩も一生懸命働いてくれているのだ。そのおかげで現在のヘルパーの地位が確立しているんだもの。でも、そのように活躍してきた先輩だからこそ、苦情は不本意かもしれないが、事が大きくなれば、謝って済むことも済まなくなる。


こういう場面で、サ責の役割としては、事実をしっかりと伝える必要がある。その時の言として効果的な言葉は「あなたらしくない」である。


例えば、

「あなたらしくないと思うのですが、何があったのでしょうか詳しく聴かせていただけますか?」


もちろん、このような話は、相手のプライドを傷つけることがないように、話せる空間を配慮し、確保する必要があることを忘れてはならないが。


もちろん、このようなふるまいに慣れていないと、ドキドキ、がくがくするかもしれない。でも仕事とはそういう面が必ずあるのだ。楽な作業ばかりではない。


その後、一定時間内で、グループ内で苦情の再発防止策を考え、みんなの前で発表をして頂いたのであった。



●解説を熱い視線が見つめている●.jpg

●解説を熱い視線が見つめている●


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●解決策を発表●



■解決策

・調理実習をする。
・ゆとりのある走行表を作成する。
・訪問介護計画書を説明し、理解してもらう。
・手順書を確認する。
・同行して一緒にしてみて、指導する。


などなど。前向きな解決策を考えることができました。素晴らしい!


さて、今日の研修はこれにて終了! リーダー研修は「こうしなさい、ああしなさいと言って身につくものではない。


実は、今回の研修構成そのものがリーダーを育成しているのです。グループ演習では、必ず司会・書記を選抜し、他者の考えをまとめる役割を経験して頂きました。もちろん、慣れている方もいるでしょう。


前に出て、ホワイトボードに書き出すなど、人前に出る体験もして頂き、最後は発表(プレゼンテーション)も行いました。何よりも、グループ内での協調性を図って頂きました。


佐藤は、グループ内をまわり、皆さん一人ひとりそれぞれが素敵な関わりをしていたと思いましたが、
いかがでしたでしょうね? また、近日中には、第2回目の研修報告もします。群馬も寒いでしょうね。


受講して頂いた皆さん、群馬県庁の皆さん、ご自愛下さい。担当の佐藤さん、いろいろ有り難うございました。講師控え室のビラ、研究所に貼ってますよ(笑)。これからもご活躍下さい。ではでは!



●俵屋ハンバーグ前橋店で頂き、はるかなる帰路に着く●.jpg

●俵屋ハンバーグ前橋店で頂き、はるかなる帰路に着く●


(東日本大震災の復興財源を賄う臨時増税などを盛り込んだ復興財源確保法案が成立した。当分、東北地方以外の日本国民は不況にあえぐな。とりあえず民主党に念仏でも唱えるか!To Be Continued!!)
posted by さとうはあまい at 16:51| 島根 雨| Comment(0) | TrackBack(0) | 研修会のツボ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする