2018年07月16日

奮闘記・第1062回 研修会のツボ/東京都

●2018年● 東京都町田市


町田市・町田市介護人材開発センター:共催

2018年度 相談援助研修・初級編
『利用者の自立支援とは』



暑い日が続いておりますが、皆様いかがお過ごしでしょうか? いや書くだけでも暑い!

佐藤は、昨今、寄る年波で文庫本の文字を追うのが一苦労となっておりますが、なんと先日行きつけの本屋で、前野ウルド浩太郎氏の『バッタを倒しにアフリカへ』(光文社新書)を手に入れて読みふけっております。

車を運転中に某TBSラジオから、前野氏の話が流れてきました。話を来ている内に興味津々となり、早速手に入れたと言うわけです。

お目当ては「サバクトビバッタ」(砂漠飛蝗、学名:Schistocerca gregaria)の集団。しかし、いざそいつらを探そうとすると安易に見つけることができない。そして、ようやく見つけたは良いが、それは自分がめざしていた大集団ではなかった。

つまり、サバクトビバッタの大群はそうやすやすとは見つからないのです。読み進める内にグイグイと物語の中に引き込まれていく。いやぁ前野氏の奮闘ぶりがリアルに伝わって来てワクワクしながら読んでおりますよ、はい。皆さんは夢中になっている書籍はありますか。熱中症にならないように涼しいところで、好きな本でも読み、体力を温存しつつ、頑張りましょう。

さて、今回のブログは、35℃の関東、先だって東京都の町田市で行った、相談業務を生業にしている人々を対象に行った研修報告です。当日は、昼を府中のマンマパスタで頂き、ちょい大國魂神社に参拝し、会場は向かいました。


●昼を頂いてから会場へ(マンマパスタ府中店)●.jpg

●昼を頂いてから会場へ(マンマパスタ府中店)●



●大國魂神社で大吉(摂社住吉・大鳥神社)●.jpg

●大國魂神社で大吉(摂社住吉・大鳥神社)●



この研修は、町田市町田市介護人材開発センターさんの共催で行われた。会場には、60名を超す参加者が集合。参加者の職種は、相談員やサービス提供責任者など若干名を除き、ほとんどが介護支援専門員である。

この研修は、相談援助研修の初級編として、下記の目的で開催される。

「研修目的:「相談業務」と一言で言っても皆様は、様々な役割の中で仕事を進めていきます。相談援助者として何をすればよいのか。どのように進めていけばよいのか等、分からないことがいっぱいあります。面接等に際し「御用聞き」にならず、専門性のある相談援助をするにはどのようにすればよいのか、利用者にとって正しいアセスメントとはなど、一緒に考えてみませんか。

この研修は、自分の仕事を説明する力、判断する力を身に付けたい方、相談援助者としてご自身を振り返りたい方など、初心に戻れる機会を提供します」
というもの。

研修は全3回のシリーズで行う予定で、開催時間は平日の14:00〜16:00までの2時間である。



その《第1回目》相談援助とは何か 〜相談援助の展開(PDCA)と記録〜 


研修で行ったこと
(1)自己紹介
(2)ケアマネジメントのPDCAについて(利用者の選択に資する援助)
(3)情報共有

佐藤の研修は、グループワーク中心である。たまに、研修に参加する方から、「自分はグループワークは苦手」と言われることがある。

まぁ、そのような人がいるのも当たり前なのであるが、講義形式の座学で学べるものは、多くが独学でも習得可能な技術や知識が多いし、集団で受ける意味を特にないであろう。もちろん、ものにもよるのだが。

しかし、対人援助を生業にしている人であるならば、他者との交流術も重要な技術のひとつである。というか、人と話すのが苦手では対人援助のエキスパートになるのはなかなか至難の道ではなかろうか?


以前は、講義形式が好きで、知っている人以外とは話すのはイヤという、能力はあっても、対人(相談)援助職はちと難しいかなというような、適正に疑問のある方でも、なまじ能力があるため、しぶしぶ組織から(対人援助職を)やらされている方も多かった。しかし、最近そういう方々は減って来てはいると思う。

そこはそれ、仕事と割り切って積極的に参加して欲しい。グループワークとは「他流試合」でもある。そこで、他者と手合わせをすることによって、自分の弱点を知り、また良き点を認識することが大事なのではないだろうか? こればかりは座学だけでは体験できない。

ということで、まずは自己紹介から!


(1)自己紹介
自己紹介は「1分間スピーチ」というカタチを取る。まずはグループメンバーの中から、はじめに話す方を決めて頂く。話す人が決まったら本日のお題(伝えること)を伝える。

今回のお題は「自分の仕事について」であった。まぁ、これが難しい場合は、自事業所の宣伝でも構いませんよ、ということで、1番目の方が語りはじめる。ココの時点では、皆さんすでにご存じの方もいると思うが、会場には凛とした空気が流れるのだ。

佐藤は、例によってピンクの子ぶた君のタイマーを利用して、タイムを切っていく。1人目が終わったら、その方に次の方を指名して頂く。

さすが、今回は、(生業として)相談援助業務をしている方々である。自己PRが上手であり、しっかり持ち時間の1分を使い切っていた。実は、ここで自己開示ができない人だと、この1分間が結構辛くなる。

佐藤は、タイマーのメモリを徐々に伸ばして、6番目の方には1分15秒間ほど、長めに話をして頂くのだ。

そして、自己紹介終了後には、佐藤が話す時間を徐々に伸ばしていたこと。最後は1分15秒あったことを伝えると、会場がざわつく。

「えっ? だんだん時間が短くなっていると思っていたのに!」

そうなのだ。参加者同士の自己開示が進むと時間的感覚は短く感じるものらしい。相談業務は、まず相談に来られた方から「充分に話を聞いてもらえた」と思って頂くことが重要である。案件自体はなかなか困難を極めるとしても、だ。

そのためには、限られた時間の中で、相談に来た方がいかに速やかに自己開示ができるのかがカギとなる。そこで相談援助職は自らが正当な自己開示を行える技術を蓄えておく必要があるというわけである。

(2)ケアマネジメントのPDCAについて(利用者の選択に資する援助)
さて、次は、平成30年の介護報酬改定から。ここからは居宅介護支援事業所の改定に特化して話を進めた。

平成30年の介護報酬改定において、「居宅介護支援」分野では下記の内容が示された。

[改定事項]
 @医療と介護の連携の強化
 A末期の悪性腫瘍の利用者に対するケアマネジメント
 B質の高いケアマネジメントの推進
 C公正中立なケアマネジメントの確保
 D訪問回数の多い利用者への対応
 E障害者福祉制度の相談支援専門員との密接な連携


今回はこの中の、「C公正中立なケアマネジメントの確保」につい皆さんに考えて頂いた。この改定の概要では、「利用者との契約時における説明等」として、利用者の意思に基づいた契約であることを確保するため、利用者やその家族に対して、

1)「利用者はケアプランに位置付ける居宅サービス事業所について、複数の事業所の紹介を求めること」が可能であること。
2)「当該事業所をケアプランに位置付けた理由を求めること」が可能であることの説明を行うことが義務付けられた。その上で、これらに違反した場合は報酬を減額するとしている。


であるならば、参加された皆様は、いつの段階で上記の内容を説明しているのか? とりあえず、皆さんが現在行っているPDCAの順番を、言葉や図を用いて描いて頂いた。この時には、自分が行っている「利用者の選択に資する援助」を、いつ行っているのか意識して書いて頂いた。

考える時間は10分。

そこで、PDCAをすべて書かなくても、サービス担当者会議までにしていることを書いて頂けば結構と案内した。すると、どうだろうか?

あるグループから「先生、PDCAって何ですか?」という質問が出たのだ。これには佐藤もびっくり! もちろん、以前実務研修の講師を務めていた時にも、同様な質問が出てきて、「PDCAのサイクルを知らずにケアマネになったのぉぉぉぉぉ」と驚いた(怒ったりは決してしません)が、まぁ、実務研修の受講者ですから仕方ないかなと思った。

しかしですよ、しかし、現役のケアマネさんからこの言葉を聞くとは思わなかった。ハハハ。東京都の実務研修はこのままで大丈夫なのだろうか?と心配になる。

もっとも、佐藤も東京都の研修を受講しているが、参加者が多過ぎて、細部にまで講義が届かないと言うこと。つまり、現場に登場する介護支援専門員は、研修は受けているが、実践はしていないということなのだ。

そうであるならば、即戦力となるケアマネを育成するのはやはり雇っている事業所が行うことが当然なのだろうなぁ。だから主任介護支援専門員が管理者になるんだっけな。

ただ、その主任さんも大丈夫か? その能力を疑いたくなる方もいないわけではない。いや、そもそも、日本の資格は、医師・看護師でも、古株の技能の再検査などはほとんどなく、新制度が出来てもスルーされることが多いだろう。主任介護支援専門員も、初期は甘々で取れたわけだから、その方々が指導するとなれば、そうそう期待はできないのだが。

だからこそ、主任介護支援専門員の皆さんも新たなテキストを片手に指導できるように自己研鑽に励んでほしい。

元々、政府は得意のアリバイ作り(ちゃんと研修やってますよ!)なのだから、そのうち司法取引ならぬ、研修取引(お金を出せば、受けたことにしますよ)みたいにならなければ良いが・・・。しかも研修は、ただ増やせば良いわけではない。要は質とタイミング(いつ、何をやるか)で有ろう。

ということで、佐藤は、問い合わせのあったグループに潜り込み、「ケアマネジメントには、エントリーやインテークの段階、ケアプラン原案を作成する段階、モニタリングや再計画など、各段階がありますよね。それらをPDCAのサイクルというのです。皆さんが各段階において、いつ、利用者さん等に選択に資する援助をしているかを書いて欲しい」と説明した。

その後も佐藤は他のグループを周り皆さんが書いている文字をみて廻った。中にはPDCAのサイクルをフローチャートで見事に描ける猛者もいた。職種を伺うと、地域包括支援センターの職員さんであった。

やはり、(真剣に)地域包括支援センターで働く方々は、常日頃からエントリーの段階の方々とかかわる分、その苦労がにじみ出ていると思った。いや、ほんと、とても真剣とは思えないところ(地域包括支援センター)がありましてね・・・。どことは言えないが。

それはともかく、こちらでは佐藤が求めていた解答をすらすらと描けるのだ。まぁ実際問題、他の通常の居宅介護支援事業所の介護支援専門員さんもこれらをスラスラ書けないと困るのであるが。介護支援専門員とは、ある種「事務のエキスパート」でもあるからだ。

さて、タイマーが鳴り、自分で考える時間の終了を告げた。今度はグループ内でどのようにしているかその情報を共有する時間である。

皆さん、ここぞとばかり、水を得た魚のごとく、ワイワイ、ガヤガヤと話に没頭した。そうそう、介護支援専門員のふだんの苦労を分かち合えるのは、働く場所は違えども同じ職種、仲間であるからこそである。

佐藤もお邪魔にならない程度にグループに入り情報を共有した。そして、最後は佐藤から別紙(解答例)を用いて、PDCAのサイクルについて説明を行った。

佐藤は、今研修の資料を作成する前に、『八訂 介護支援専門員基本テキスト』(一般財団法人長寿開発センター)を購入した。ちなみにこのテキストを「受験テキスト」ととらえ、合格後は購入しない介護支援専門員が多くいるようだ。

まぁ、仕方がない面もある。以前のはほんとうに、●どかった(笑)。間違いとか何とかいうよりも、そこから試験のい出ることが唯一の勝ちであったが、独禁なんたらに引っかかるから、どんどん出題数も落ち、とうとう使わなくても受かる者が増えてきた。でも、これじゃ売れないだろうに・・・。

しかし、前回の改定ぐらいからか、執筆者の顔ぶれが変わってきた。また、介護支援専門員だけではなく、介護保険周りの知識の取得に有効なものになって来たのだ。

介護保険制度の改正ごとに更新され、保険者側の旬の情報がぎっしりと詰まっており、まさに現役の介護支援専門員に必要なバイブル・・・に近くなって来た(まだまだ不満はあるが他にまとまった代替書はない)。皆さんも、手にとってじっくりご賞味くだされ。

とはいえ、本体価格が6300円もするのだから、とりあえず事業所で1セット購入して頂いてもよいのではないだろうか。


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●介護支援専門員基本テキストを紹介する●



ということで、演習の解答は、「第1巻介護保険と介護支援」より、「介護保険制度におけるケアマネジメント」(p.204〜208)から一部引用、佐藤が加筆したものを作成した。

ここはそのPDCAの一部分を案内したい。
(※なお、詳細は当ホームページの連載「介護支援専門員の仕事塾」に掲載。)


利用者の選択に資する援助として重要なポイント
(順番はフローチャートにするとわかりやすいと思う。)

@エントリーの段階 利用者の選択に資する援助(その1):介護保険制度を利用するかどうか。

利用者になり得る方が、皆さんの前に登場した段階である。ここでは、介護保険制度の仕組みについて行政が作成しているパンフレットなどを用いて説明する。

要介護認定を受ける必要があること。要介護認定で行われる手順について説明する。そして、結果によって、介護予防および居宅サービス計画(いわゆるケアプラン)を作成する必要があることを説明する。

ちなみに、近頃は、この段階の説明は、地域包括支援センターがしていることが多くなっているようである。とはいえ、介護支援専門員も、行政が出しているパンフレットなどを用いて、一通りの説明ぐらいしたいところである。

ただし、この段階に利用者等に説明したという記録がされていないことが多いようだ。その理由は、「この段階はまだ利用者になってないから!」といいうわけが多いが、利用者になり得る方が、問い合わせてきたのだ。

ここは、すでに支援ははじまっている段階と考えた方がいい。まぁ、相談したら「やはり他(の事業所)の介護支援専門員がいい」と頻繁に断られるような事業所では、かなり無駄になるかも知れないのだが。

さて、そこで「相談受付」などの帳票を用いて、支援の記録を開始する。受付簿があれば、その後に問い合わせがあった場合も、継続した支援につなげることができるし、どのように関わったのか記録も蓄積し情報を共有できる。

そうすれば、この相談受付の帳票は、その後の契約が成立するまでの経過記録となるわけだ。介護保険制度を十分理解して頂き、利用者が介護保険制度を利用する意向を表明したら、居宅介護支援事業所を案内する。

これは先の算定要件にある、1)「利用者はケアプランに位置付ける居宅サービス事業所について、複数の事業所の紹介を求めることが可能」であることを実践する場面である。

ここでは、行政が出している居宅サービス事業所一覧などを用いて、事業所を選択できることを説明する。

その上で、利用者が、当該事業所を選択した場合には、その旨を記録するが、この段階はまだ契約には至っていない。契約は次の段階である。


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●書いている内容を見守る●



Aインテークの段階 利用者の選択に資する援助(その2):自社を利用するかどうか。
この段階は、契約を目的とした面談を行うことを指している。

介護支援専門員(相談員等)が利用者宅を訪問して、自社サービスに付いて説明し、同意を得て契約を行う段階である。

この頃は、地域包括支援センター経由で自社サービスを選択された上で、地域包括支援センターや、利用者等から連絡が来るらしい。

その場合は、利用者には、下記内容を説明する段階で、再度、居宅サービス事業所は選択することができるということを案内しょう。

さて、インテーク面接(契約を目的にした面接)にて、重要なポイントは「居宅介護支援(ケアマネジメント)の仕組みや、介護支援専門員の役割について丁寧に説明をするということである。

言い換えれば、「居宅サービス計画を作成すること」やその手法についての説明をするということ。

担当者は、この段階で、ケアマネジメントのPDCAのサイクルを再度説明し、介護支援専門員の役割について理解を得る必要がある。なんせ、介護支援専門員は、ことあるごとに利用者宅を訪問し、結果、毎月一度は訪問者となるのだから。

そこで、支援に必要となる、アセスメント様式[リ・アセスメント支援シート(東京都の場合)・課題整理総括票]などや、居宅サービス計画書(1)(2)(3)、利用票及び利用票別表、サービス担当者会議の説明、モニタリングや評価票などについて様式を用いて、利用者等が理解できるように説明する、

また、この居宅サービス計画書(ケアプラン)は、自分で作成することも可能であり、その際には居宅介護支援事業所との契約は必要ないことを案内する。


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●素直な参加者と向き合う●



これらを説明した後に、結果、利用者等から当該事業所にお願いしたいという意向の確認ができたら、契約書や重要事項説明書など契約に必要な帳票を用いて説明し、同意を得る。契約書を説明する際には、費用について「かからない」という案内はしないように!

確かに、現在は全額給付であり、利用者負担はない。しかし、居宅介護支援事業所には、その方を支援すれば、該当する報酬の金額が振り込まれてくるだから、いわゆる「ただ働き」をしているわけではない。「あなたを担当することで事業所には毎月これだけの金額が入ります」という説明を行う必要があるだろう。

契約終了後は、速やかに「居宅サービス計画作成依頼書」の申請手続きを支援する。


●大丈夫かと見守る石原さん●.jpg

●大丈夫かと見守る石原さん●



Bケアプラン原案を作成する段階 利用者の選択に資する援助(その3):サービス提供事業所を選別する

ここは、先の算定要件にある、2)「当該事業所をケアプランに位置付けた理由を求めること」が可能であることの説明を行う場面である。

うん? ケアプランに位置づけた理由は、利用者さんが「○○サービスを利用したい」と言ったからですって! サラダ記念日じゃあるまいし。

それは、御用聞きプランといって、「位置づけた理由」にはならない。なぜなら、サービス提供事業所(種別)はケアプランの作成段階に浮上してくるものだからである。

ここでは、アセスメント(課題分析)を行い、居宅サービス計画書(ケアプラン)原案を作成する。

「生活全体の解決すべき課題」を導き出し、「長期目標・短期目標」を設定する。次ぎに短期目標を達成するために必要な「サービス内容」を確定する。そしてそのサービス内容を提供するのに「適したサービス種別」を検討するのだ。

このサービス種別を検討する際に、利用者が必要としていたサービス種別であれば、問題は無いであろう。

ただし、アセスメントの結果、利用者等が希望していたサービス種別より、他のサービス種別が必要だという場合も出てくることもある。

例えば、利用者は、「訪問介護」に来てもらいたいと訴えていたが、アセスメントの結果「訪問看護が必要」となったり、または「通所介護」へ行きたいと訴えていたが、現時点では「訪問リハビリが必要である」ととらえた場合などである。

いずれも、利用者と一緒にケアプランを作成していれば、会話の中でその職種が必要な理由を伝えていると思うが・・・。

この段階でなぜ、そのサービス種別が必要ととらえたのかを充分に説明し理解を得るようにしたい。また、理解を得られない場合には、とりあえずケアプランに記載しておいて保留としても良いであろう。

さて、利用者等と協議の結果「サービス種別」が確定したら、その地域の「サービス事業所一覧」などの表を提示しながら、サービス事業所が選別できるように案内しょう。

その上で、担当者は、利用者が選別した事業所に連絡し、空き情報を確認し、利用者に可否の結果を伝え、否の場合には再度選択して頂こう。

こうして、提供可能な事業所が見つかったら、ケアプランにサービス事業所名を記載して、居宅サービス計画原案とします。ここが介護支援専門員の腕(能力)の見せどころ、多いに相談援助を駆使したいところである。


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●この間にしていることは?●



C利用者とサービス提供事業所が契約をできるように支援する。

利用者が利用するサービス事業所を選択できるように支援する

居宅サービス計画書(ケアプラン)原案を作成し、その事業所にケアプラン原案を提示します。

その上で、サービス提供事業所に「事前訪問を依頼」して、利用者とインテーク面接(契約を目的とした面接)をして頂く。

つまり、利用者と契約ができるように支援を行うのだ。せっかく案内しても、実際に会ったら、「この事業所はイヤだ」ということもある。そのようなことが後々起きないように、この時点でサービス提供事業所が、自社サービスを説明する機会を設けるのである。

「えっ、それはサービス担当者会議で行うことではないの?」

キタ〜。まぁ、今まではそれがまかり通っていたようであるが、本来は、サービス提供事業所にも「サービス内容に付いて説明すること」が求められている(指定基準第四節 運営に関する基準・内容及び手続の説明及び同意を参照ください)。

ちなみにこの事前訪問では、同時に、サービス提供に必要なアセスメントをして頂き、原案に対する専門的な見地からの意見をまとめて頂こう。

その結果、サービス提供事業所は事前訪問を行い、サービス内容等の説明し、利用者と契約行為を行うことが可能となる。そして、個別援助計画書の原案を作成するための情報収集を行うのだ。

同時に、サービス担当者会議において専門家としての意見を伝えられるように内容を吟味する。また、サービス種別によっては見学なども必要になるであろう。

さてさて、こうして、利用者さんは、自分を支援してくれるすべてのサービス提供事業書の方々から、それぞれのサービス内容を伺うことができ、今後の自分たちの生活について再考できたことであろう。


●問い合わせに応じる佐藤●.jpg

●問い合わせに応じる佐藤●



Dサービス担当者会議の段階である。

サービス担当者会議を開催する前には、根回しが必要である。事前訪問をした事業所では、個別援助計画の原案を作成して送ってくださる場所もあるかも知れません。もちろん、ケアプランが確定するまではその義務はありませんがね・・・。

また、介護支援専門員として、専門的見地からの意見を収集しておく必要もある。同時に開催日程を調整する。もっとも、これまでの段階で、もう日程が決まっているとは思うのだが・・・。その上で、サービス担当者会議の検討する項目をまとめる。

サービス担当者開催連絡(参加依頼)を出す。

この時に検討する項目を伝えて、意見などを出して頂けるように根回しをする。

サービス担当者会議では、サービス提供事業所間において、各サービス内容の提供方法についての調整を行う。利用者はすでにすべてのサービス事業所と会っているわけだから、話もスムーズに進めることができるであろう。

結果、利用者及びサービス提供事業所に時間的負担をかけることが少なくて済むと思われる。

さてさて、ここまでが長いが、PDCAの「P」と「D」の説明である。

この後に「C」定期的なモニタリングと、「A」評価と再アセスメントとつながっていくのだが、今回の研修はここまでである。

今回の研修は、

1)「利用者はケアプランに位置付ける居宅サービス事業所について、複数の事業所の紹介を求めること」が可能であること。
2)「当該事業所をケアプランに位置付けた理由を求めること」が可能であることの説明をどの時点で行うのかを焦点に説明を行ってきた。

参加者は一様に情報を共有することができて良かったようである。

さて、次回は、「私のアセスメント・自己覚知 〜他者と交流し、自己理解を深める〜」と題して、相談援助の要といえる、自分の価値観について向き合って頂きますぞ。

まだまだ、いやこれから、ガンガン暑い日が続きます。どうぞご自愛くださいませ!



(連日、東京の気温も35℃の猛暑日である。しかし、都道府県や市区町村の温度計は比較的涼しいところに設置されているから3〜6℃くらいはサバが読まているから信用できん。なんせ車の車外温度計はいつだって37℃を割らないのだ。ああもうだめ!To Be Continued!!)
posted by さとうはあまい at 14:00| 島根 | Comment(0) | 研修会のツボ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月06日

奮闘記・第1061回 研修会のツボ/東京都

●2018年● 東京都世田谷区

世田谷区福祉人材育成・研修センター

職務別研修 サービス提供責任者研修【現任2】
「介護が伝わる言葉を学ぶ 〜サービス内容を適切に伝えるために〜」



皆様、お久しぶりですね。お元気でしょうか? 7月に入ったばかりだというのに、関東地方は、もう梅雨が明けてしまいました。しばらくは、東京の空は夏休みのような青空が広がっておりましたが、梅雨明け後のここ数日はかえって雨空です。

やはり、《四季》というものはキチンと存在して欲しいものなのですねぇ。そのために梅雨という、ある種の「儀式」も必要なんでしょうが、いきなり全開の夏はキツイですよね。まぁ長すぎる梅雨もなんですけど・・・。

とはいえ、東西(南北?)に長い形の日本列島では、竜巻が発生したり、豪雨に見舞われたりする地域もあります。九州は台風の勢いがあるまま、とりあえず来るので被害が凄くなります。

特に長崎・福岡・佐賀は直近で行ったから大変心配ですね。その他にも大変な地域が有りすぎ。せめて被害が拡大しないこと、皆様の無事を祈っております。


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●夕食を食べてから会場入り●



さて、今回は、世田谷区福祉人材育成・研修センターさんで行った、訪問介護事業所サービス提供責任者研修【現任2】の研修会のツボです。この研修は、実技を通して学び合う研修として、18:30〜20:30の時間帯で行われました。会場には5台のベッドを設置し、1グループ5名で開催されました。以下、その報告です。


■研修の目的
「伝える」技術は、サービス提供責任者の業務を行う上でとても重要である。この研修では、介護内容を適切に言葉にするスキルを学び、ヘルパーへの指導や訪問介護計画書及ぶ手順書の作成に活用することをめざしている。


●中村さんからエールをいただく●.jpg

●中村さんからエールをいただく●



■研修で行ったこと
(1)介護内容を言葉にする意味 利用者及びヘルパーに通じる言葉。
(2)介護内容を言葉にする前に/介護内容の手順方法などの再確認。
(3)介護内容を言葉にしてみよう。


すでに、ご存知のように、平成30年度介護報酬改定において、訪問介護に関しては、身体介護に重点を置き、報酬を引き上げるとともに、「生活機能向上連携加算の見直し」「自立生活支援のための見守り的援助の明確化」「訪問回数の多い利用者への対応」を行うことにより、自立支援・重度化防止に資する訪問介護を推進・評価することにしている。

そのため、訪問介護事業所では、この自立支援・重度化防止に資する訪問介護の提供をしているということを計画及び記録で示すことが求められ、同時に、各ヘルパーさんは「自立支援・重度化防止に資する訪問介護とは何か」を理解している必要があるのだ。

そうなれば、サービス提供責任者は、各ヘルパーに対して、「あなたが担当しているこの方の、どの部分が、自立支援・重度化防止に資する介護技術であるか」ということを伝えなければならない。

佐藤は、介護報酬改定によって示された「自立生活支援のための見守り的援助」を題材に、演習問題を作成、研修会をスタートした。

ちなみに佐藤は、利用者に対して、必要な援助を提供する際には、ユマニチュード(Humanitude)のかかわり」を意識すると良いと思う。



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●手順を語り合う●



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●笑顔で見守る●



■『ユマニチュードを意識したかかわり(技術)を言葉(文章)にすること
あなたは、ユマニチュードというかかわり方をご存知だろうか? 一時期、かなり話題になってテレビなどでも取り上げられたのでご存知かも知れない。いや、老計10号も知らない介護職がいるのだ。常識は疑ってかからなければいけない。

介護職員は、常にこのかかわり方を意識して、利用者とかかわれれば、自立支援も重度化防止も叶えることができるのではないか。ユマニチュードでは、利用者とかかわる時には「見る」こと、「話す」こと、「触れる」こと、「立つ」ことが重要だとする。

《「見る」こと》
これは、利用者に支援者を認めていただくことからはじまる。認めていただくこと、つまり支援者は利用者の視野に入る必要があるのだ。利用者の視野に入るためには、職員はおのずとかがむ姿勢を取る必要であろう。そこで、ここで職員が語りかけの場面では常に利用者の視野をとらえて話しているとご理解いただきたい。

《「話す」こと》
これはケアをしている時には、常に職員が何をするのか、しているのかを語りかける(説明)ことを意味している。ここでは、1ケアごとにNo.をつけて案内しているが、この場面は括弧ごとに途切れるのではなく、支援は言葉とともに穏やかに流れるように進んでいるとご理解していただきたい。

《「触れる」こと》
これは、支援が利用者の体に触れながら進んでいることを意味している。決して握るとか、持ち上げるとかではない。サポートする意味での触れることとご理解いただきたい。

《「立つ」こと》
日常生活動作には、立つことや移動することが不可欠である。そこで、上記の3つのポイントを駆使して、利用者に立つ気持ちになっていただけるように支援する。


●うまいじゃないの!●.jpg

●うまいじゃないの!●



●今度は私の番ね!●.jpg

●今度は私の番ね!●



■演習問題
(1)ベッド上からポータブルトイレ等(イス)へ利用者が移乗する際に、転倒等の防止のために付き添い、必要に応じて介助を行う。
(2)認知症等の高齢者がリハビリパンツやパット交換を見守り・声かけを行うことにより、1人でできるだけ交換し、後始末ができるように支援する。


参加者の多くは介護福祉士の資格取得者であり、資格取得の時に介護技術講習を受講された方も多かったという。さすれば、皆さんこれらの支援はお得意なはずであろう(?)。

佐藤が「各グループで順番を決めて実践してみてください」と伝えると、さすが現役である。躊躇することなく問題を実践していかれた。素晴らしい!

でも、専門家ゆえに、技術(手の置き場所や、立ち位置など)に論を唱えることに始終してしまいがちで、ヘルパーがしている本来の自立支援・重度化予防の言葉感謝を伝える言葉や、励まし、称賛の言葉、さらには協力動作に感謝を伝える言葉)が抜けてしまうのが残念であった。


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●言葉によってつながっている●



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●佐藤がやってみる●



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●シャジ―君とまた会えました!●



そこで、佐藤は各グループにシュバっと入り込み、ええ、ええ、介護技術は皆さんのおっしゃる手順で間違えはありませんが・・・、本来のヘルパーがしている大事な援助が抜けてしまっているようにも思うのですが。いかがでしょう?

例えば、1人で起き上がった時にはどのような言葉をかけているのか?

すると「すごい、1人でできたじゃない」とか、「今日は元気そうで良かった」とか。そうそう、その言葉が重要なのに、今の演技の中ではそのような言葉が無かったのはなぜか?

また、他のグループでは、1人でイスに座る時に、そばに付き添ってはいるが、寡黙に立っているだけで、「どう? できそう? 大丈夫?」などと気遣う言葉が無かったのはなぜか?

さらには、「1人でズボンをはけますか?」と本人ができるかどうかを伺いながら、本人がするのをひたすら待っていたが、「自分でやろうという気持ちがあるのは素晴らしい。はけるようになってすごいじゃない!」など励ましの言葉が無かったのはなぜか?

などなど。あちこちで助言をしていった。すると、参加者は、一同に「そういえば、そう言っているわ! うまくできたら拍手もしているし」また、うまくできたら「良かったとか、こうしてくださいとお願いして、答えてくれればありがとう」も言っている、などなど。

こうして、皆さんは、お互いの身体を使いながら、介護技術のおさらいと、かかわっている時の「言葉」を意識することができたようであった。

最後は佐藤が解答例を示して解説した。


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●ええと、例えば…●



【1】ベッド上からポータブルトイレ等(いす)へ利用者が移乗する際に、転倒等の防止のため付き添い、必要に応じて介助を行う。

(1)その時々のあいさつと、自己紹介を行い、体調を把握する。
  「○○さん、おはようございます。ヘルパーの○○です。お体の具合はいかがですか?」
  「そうですか。あまりよく休めなかったと。蒸し暑い日が続いていますからねぇ」
  などなど。

(2)これからする事を説明し同意を得る。
  「そろそろ、お食事になりますがお手洗いはどうされますか?」
  「では、起き上がりましょう。ご自分で起き上がれますか?」

(3)掛け布団を外すことを依頼する。
  「掛け布団を外せますか?」

(4)問いかけに、応じて動き出したら、続けてできるように応援する。
  「そうです! だいぶ力が戻ってきたみたいですね。自分でできて良かったです」
  「ありがとうございます。1人で外せるようになって良かったです」

(5)起き上がりを支援する。
  「自分で起き上がれそうですか」
  「無理をしない程度に起きてみましょう」

(6)問いかけに、応じて動き出したら、うまく起き上がれるように励ます。うまくできたら称賛する。
  「そうです、そうです! うまいですね。」
  「自分で起き上がれるようになりましたね。素晴らしい」

(7)起き上がり後は気分の確認を行い、倒れないように依頼する。
  「ふらふらしませんか?」
  「倒れないように左手で手すりをつかんでいてください。しっかりつかまってくださりありがとうございます」

(8)ポータブルトイレを手前に近づける(ベッドサイドに置くこと)ことを説明し、倒れないように注意を喚起する。
  「ポータブルトイレを近づけます(お持ちする)」
  「自分はそばを離れますので倒れないようにご注意ください」

(9)ポータブルトイレの位置を伝え、了承を得る。協力動作に感謝を伝える。
  「トイレは、ここでよろしいでしょうか?」
  「お待ちいただきありがとうございます」

(10)転倒しないように注意を喚起し、立ち上がりを見守る。
  「では、転ばないように気をつけながら、立ち上がりましょう」

(11)下着衣をおろすように伝え、必要に応じて介助することを伝える。
  「ご自分でズボンなどおろせますか? 難しい場合はお手伝いさせてください」

(12)便座へ着座するように伝える。
  「では腰を後方へ押し出すようにして、ゆっくりと腰をおろしてください」

(13)座り心地を把握し、プライバシーに配慮して腰部にバスタオル等をかける。
  「座り心地はいかがですか? よろしければバスタオルをかけます」

(14)終わったら、呼んで頂くように依頼してそばを離れる。
  「私は外にいますので、終わりましたら呼んでください」

などなど。介護技術の先生には、まだまだ足りないと言われそうだが・・・。ぜひ皆さんは、ご自分の対象の利用者さんを例にあげて、佐藤のたりないところを補いつつ詳細な手順を示してほしい。結果。自立支援・重度化防止に資する援助だということが証明できると思う。


《佐藤の着目点》
「常時介助できる状態で行う見守り等」とは、利用者のそばに寄り添っている状態を指す。また、ここで言われている「見守り」とは、単に目視で確認していることではない。利用者のそばに寄り添い、見守るということは、そこには何かしらのコミュニケーション(会話)が行われるはずである。

ここでは、職員が常時介助できる状態でしている行動を文字化した上で、職員が利用者にどのようなことを語りかけているのかを括弧を用いて言葉を例示した。

ポイントは、重度化予防・自立支援・意欲の向上である。「倒れないように注意を喚起する」こと、本人に「選択肢を示す」(〜できますか?)また、本人ができるように「応援する」こと、「協力動作に感謝を伝える」ことなどが、そのポイントを抑えている文章となるだろう。


●まとめに加筆する佐藤● .jpg

●まとめに加筆する佐藤●



【2】認知症高齢者等がリハビリパンツやパッドの交換を見守り・声かけを行うことにより1人でできるだけ交換し後始末ができるように支援する。

※利用者がリハビリパンツを交換する時は、おおむね排泄介助時や衣類交換のと時などが想定される。今回は排泄後にトイレにてリハビリパンツの交換を行うとして案内している。


(1)本人のそばに寄り添い本人の視線を捉えて挨拶をして、自己紹介を行う。
  「こんにちは、〇〇さん。○×です」

(2)本人の視線をとらえて、お手洗いへお誘いする。
  ここでの注意点は、自分でトイレに行けると思っている方に、いきなり他者からトイレへ誘われるということは、気分を害することである  と言うこと。そこで、なぜ、トイレに行く必要があるのか。その理由を伝えることが重要である。

  例えば、
  「食事の前ですのでトイレによりましょう」
  「お部屋に戻る前にトイレに行きましょう」
  「お風呂場に行く前に行く前にトイレよりましょう」など。

  どうしても拒否がある場合には、しばし時間を空け、気分が落ち着いたら再度お誘いする。

(3)物品準備を行う。
  リハビリパンツやパッドなど、交換する物品を用意する。所定の位置より、リハビリパンツを出す。

(4)視点を捉えて立つことを依頼して協力動作に感謝を伝える。
  立ち上がる方法を伝え本人ができるように見守る。
  「私が側に付きますから立ちましょう」と立つことを依頼する。

  本人が応じてくれたら、
  「ありがとうございます」と感謝を伝える。

(5)気分を把握する。
  本人が立ち上がったら、気分を把握する。
  「ふらふらしませんか? 大丈夫ですね?」など。

(6)これからトイレまで一緒に付きそうことの断りを入れ、転倒しないように見守る。
  「ご一緒させてください。転ばないようにご注意ください」
  先に用意した新しいリハビリパンツを持参する。

(7)トイレのドアを開けることができるように支援する。
  「トイレにつきましたよ」
  「ご自分で、ドアを開けて中に入りましょう」

  本人が開けられない場合には、自分が開けることの断りを入れてから開ける。
  「私が開けますね。はい、どうぞ」

(8)トイレに入ったら、座位での排泄ができるように向きを変えていただくように伝える。
  「○○さん、便器に腰掛けますのでこちらを向いてください」
  「ありがとうございます」

  リハビリパンツをトイレ内の棚などに置く。

(9)下着衣を降ろすように支援する。
  1人でできる場合には、外にいることを伝えそばを離れる。1人でできない場合は、断りを入れてから、降ろす介助を行う。
  「1人でできそうですね」
  「ちょっと難しそうですから、私がズボンを下げましょう」

(10)便座に座れるように支援する。
  「後方に便座がありますのでお座りください」

  不安がる場合には、目視で確認していただく。
  「後方に便座がありますので、ちょっと見て下さい」
  「ほら、イスみたいに座れますよ」
  「腰掛けてみましょう」
  「あるいはそちらに座りましょう」などなど。

  本人が座ることを躊躇する場合には、体に触ることを伝えて、座れるように支援する。
  「○○さん、ちょっと、お手伝いします。腰を触りますが驚かないでくださいね」

※座位介助を行う時には、向かい合わせになり、自分の腰をかがめ、腸骨に両手を当てて前方へ押し出すようにして着座を支持する(利用者は腰を後方へ行く形になる)。



(11)座り心地を把握する。
  「うまく座れましたね。大丈夫そうですね」
  「良かった。これでゆっくりできますね」

(12)排泄時は羞恥心に配慮して外で待機することを説明しそばを離れる。
  「自分は外にいますから、用が済みましたらおしらせください」

  本人が呼べない場合もあるので、情況を把握する。
  本人の声がしたら中に入る。あるいは様子をうかがいながら中に入る。
  「終わりましたね。入りますよ」

(13)後始末ができたか把握する。
  「うまく拭けましたね」
  「温かいおしぼりをお持ちしました。汚れた所を拭かせて下さい」など、必要に応じた支援行う。

  「あったかくて気持ちが良いですね」
  「さっぱりしましたね」などなど。本人の気分を代弁する。

(14)本人に新しいリハビリパンツに履き替える必要性を伝えて。履き替えられるように支援する。
  「下履きを新しいのに履き替えましょう」あるいは「こちらのパンツに履き替えましょう」など。

(15)パンツが脱げるように支援する。
  パンツ等は膝下にまとまっているので、本人が前屈みになって足を使用するなどして脱げるようであれば脱ぐのを見守る。
  この時も、なるべく腰を下ろして見守る。
  「自分で脱げそうですね。もう少しです」など、本人のしていることを認め励ます。

  1人で脱げない場合には手伝う。
  「難しそうなので手伝させて下さい」と依頼して、手伝わせてくれたことに
  「ありがとう」と感謝を伝える。

(16)新しいパンツが履けるように見守る。
  リハビリパンツを渡して、履けそうであれば転ばないように見守る。
  「どうそ、はいてください」
 
  膝までくくりあげられたら、立って引き上げるように説明する。
  腰部にかけてあったバスタオルを外して立ち上がりを支持する。
  「立った方がパンツを持ち上げやすいと思いますので立ちましょう」

  手すりがある場合には、手すりをつかんで立ち上がりを支援する。無い場合には、職員が利用者の手に触れて、
  本人がつかんで立ち上がれるように支援する。
  「立てましたね。パンツを上げますよ」
  「新しいパンツは気持ちが良いですね」などなど、新しいパンツに履き替えた爽快感を言葉に出して伝える。

(17)ズボン等を整える。
  パンツの履き心地を伺いながらズボンも引き上げて履き心地を伺う。
  「ズボンも上げられますか?」
  「うまく履けましたね。良かったです」

(18)一連の行為が無事に済んだことを伝え、労をねぎらい、感謝を伝える。
  「リハビリパンツを履き替えることができましたね。さすがです」
  「○○さんが協力してくださったので無事に交換できました。良かったです、ありがとう」

(19)トイレから出るように説明しで出られるように支援する。転ばないように注意を喚起する。
  「では、手洗いをしますので外へ出ましょう」
  「転ばないようにゆっくりと洗面所へ行きましょう」

(20)洗面所へお誘いして手を洗うように伝える。一緒に手洗いを行う。
  「〇〇さん一緒に手を洗いましょう」「自分でできそうですね」
  「私が水を出しますから、石けんを付けて洗いましょう」
  「冷たくて気持ちが良いですね」
  「さっぱりしますね」
  「タオルで手を拭きましょう」などなど。

(21)居間まで、転ぶことが無いように注意を喚起して居間に着くまで転ぶことが無いように見守る。
  「さあ、お部屋に戻りましょう。くれぐれも転ばないようにご注意ください」
  「足がふらつかなくなりましたね。安心しました」

(22)イスに座っていただく。
  「こちらのイスに座りましょう」


●やはり現職は熱いぜ●.jpg

●やはり現職は熱いぜ●



《佐藤の着目点》
認知症高齢者への支援は、その方の病気の度合いや、理解度によってコミュニケーションの取り方を見極めることが重要となる。「見る」「話す」「触れる」「立つ」などを意識しながらケアを進めていく。常に介護は利用者の同意を得ながら行うことが大前提である。

そこで、職員は、利用者に開かれた質問(意向を確認)を行う。ただし、利用者の中には、開かれた質問(意向を確認)をすると、「あんたに任せる」「わからない」等と答える方もいるので注意する。

特に、認知症高齢者は、開かれた質問(意向を把握)をすることで、一連の流れが止まってしまい、急に不穏になる場合もある。そこで、支援の途中に本人の意向を把握するような「開かれた質問」(意向を把握する)をされると、継続された行為が止まってしまい不穏になる場合もあるかも知れない。

そこで、介護者は先々の行動ができるように導こう(案内する)。また、うまくできた時には、できたことを共感し、「うまくできましたね」さらに感情を言葉にして伝え、「新しいのにしたらさっぱりしましたね。気持ちいいですね」などなどである。

このように成功体験を通して得た、ポジティブな感情を体験することで、拒否反応が少なくなることもある。さてさて、これにて、本日の研修は終了である。

今年の夏は長くなりそうです。皆様ご自愛くださいませ!



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●成城学園駅に着く。お疲れ様でした●



(「あおり運転」で死人が出れば、それはもう殺人である。そもそも、車の免許のペーパー試験が簡単すぎるだろうし、自転車も免許制にしたい。どちらもバ○では取れないようにして欲しい。まずは大阪のあおり殺人容疑の×ズは容疑者こそ「しまい」にしてやってくれ!To Be Continued!!)
posted by さとうはあまい at 22:13| 島根 ☔| Comment(0) | 研修会のツボ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月22日

奮闘記・第1060回 見聞録/長崎県&熊本県

●2018年● 長崎県大村市・長崎県島原市&熊本県天草市ほか


『道の駅』マグネット探訪の記

〜潜伏キリシタン関連遺産を巡る旅(その2)〜


皆さま、おげんきでしょうか。なんとか続きができました。今回は1058回の第2弾です!

と言いつつ、良く考えると、あまり、潜伏キリシタン関連遺産は廻れてませんでしたねぇ・・・。外海や大浦天主堂くらいかな? もうこの時期は、長崎や天草も、世界遺産に登録されることは、規定路線だったんで、各施設がノリノリで補修していました。

走行ルートは、潜伏キリシタン関連のエリアを界隈を走っているのですが、全然遺構や施設が「潜伏」していなかったのです(笑)。むしろ、誇らしげでありました。

潜伏キリシタン関連の資料自体は、かなりあちこちで拝見しましたから、いろはを学ぶ旅が近いのかな(汗)。さてさて、以下、今回はいよいよ潜伏キリシタン・・・、いや道の駅・マグネット探しも終盤です。


本日、我々は、島原半島から熊本県天草へ渡り、長崎空港から東京へ戻るのであった。今回の九州での移動距離、おおむね約367キロときた。

我々の実績(?)からすれば、「並の距離」なのだが、ニコニコレンタカーへの返却時に「いやいや、お客さん、たくさん走りましたねぇ〜」と感心された。まぁ初日も結構乗ったしねぇ・・・。そこは、ハハハ。

ということで、我々は、道の駅・マグネット探しと、ついでに潜伏キリシタン関連遺産を巡るという、大きな使命のもと、早朝、もはや「常宿」となったホテルベルビュー長崎出島を後にした。

この日は、天気予報どおりのあいにくの雨。もともと、直前は「全部雨」予報であったが、今日以外晴れたんだから文句も言えまいて。長崎空港に着く頃は晴れたしね。

我々は、昨夜もどうやったら、快適かつ安く(←ここ重要)天草へ渡れるかと、様々なルートを模索していた。なんせ有明海を越えれば、どちらか周りで長崎空港へ行かなければならない。そうそう、遠回りはできないのだ。

出発前にパソコンでルート検索をして、「ひゃ〜参謀」にそのルートを告げた。


「・・・・大将(佐藤)、いったいフェリーはどちらから?」

「フェリー? 乗らないわよ。だって、ルート検索でふつうに渡っていったわよ。きっと橋がかかって・・・」

「昨年(2017年)の11月に出た地図で掛かってないのに?(笑) しかも、1年もしないうちに橋なんか掛けられますかいな。そんで長崎と熊本、どちらの自治体がその費用を?」

「・・・・」



私は、どうやら知らない間に、空想の中でフェリーに乗って天草への旅をしていたらしい。再検索の結果、佐藤が出した答えは、口之津港(くちのつこう)から対岸の鬼池港(おにいけこう)にわたるルートであった。

これは、司馬遼太郎先生がかって『街道をゆく 17 島原・天草の諸道』で渡ったルートである。まぁ、主目的があちら様は街道、こちらは道の駅のマグネットという違いはあるのだが。


【島鉄フェリー 口之津港】
ナビ様(たまに海上を車が走る)に導かれるままに、島原半島を周遊し、口之津港へ無事に着いた。佐藤が、読んでいる遠藤周作先生の『切支丹の里』にも、この口之津港が登場する。

ここは、1562年に肥前有馬氏・当主の有馬義直により貿易港として開港された。その翌年、イエズス会の宣教師ルイス・デ・アルメイダが来航して布教活動を開始。

1567年には南蛮船(ポルトガル船)が入港、1579年には、全国から日本で布教活動を行う宣教師が集合して第1回口之津会議が開催されている。

その後、布教の中心が長崎に移るまで、キリスト教布教と南蛮貿易の中心地として栄えた港なのだ。

いや、もう一度、栄えたことがある。明治の初め、現在の福岡県大牟田市と熊本県荒尾市にあった、三池炭鉱の石炭の輸出港として活用されていた頃である。

炭鉱は江戸時代から操業されていた。やがて明治に三井会社(後の三井財閥)に払い下げられ、三井・三池炭鉱となるが、主な需要は、製塩業者(瀬戸内海が主)が製塩用の釜を沸騰させて、稼働する燃料にしたらしい。

大牟田市にも、研修会で呼んで頂いたことがあるし、その港や三池関連のレストランでも会食もした。その港から、ここまで石炭を底が浅い船を数珠つなぎにして、有明海を渡ったという。ここはその三池の有明海の対岸にある港なのだ。

むかし有明海は浅かったため、大型船が通れなかったのだ。やがて三井財閥の力で、明治42年に、三池に港を作って大型の船が着港できるようになると、口之津港は静かにその役割を終えた。

先の「ひゃ〜参謀」の話は、橋など云々の話は、何度も船による産業が衰退し、また立ち直るということを繰り返して来た、口之津(長崎県)が、フェリーの観光産業などが大幅衰退するような、明石大橋級の橋をわざわざ莫大な予算をかけて作るとは思えないということなのだ。

遠藤周作先生は、天草に春夏秋と訪れ、何の変哲もないこの港が好きだと書かれていた。その上で、町の人はおそらくほとんど、自分たちが今住んでいる場所に約400年前、教会が建てられ、唐人や南蛮人が往来し、切支丹の賛美歌(カトリックなら聖歌)が流れていたことにそれほど関心がないだろう、と。

しかし、車で走行していると、あちこちに墓地があり、明らかに日本の墓石と違う墓石が点在しているにが見えるのだ。全然「潜伏」などしてはいない。

たぶん、遠藤先生は、弾圧され、信仰に命をかけた「純粋な教徒」に想いを寄せ、隠れながら変質し、細々とした「キリスト教もどき」となってしまった教徒には厳しいのだろう。先生ご自身は、結構カトリックとプロテスタントを混同して使っていることが度々あるようだが・・・。

それくらい、現代の穏やかなキリスト教とは違う、命がけの信仰であったのだろう。まぁ現代でも、某・石油がウハウハ出る地域にて、キリシタンであることを宣言すれば、同じ状況を味わう可能性は高いかも知れない。現代でも、信仰の不自由さは、さして変わりがないのかもしれない。

うだうだと、港に向かって車を飛ばしていたが、その港は突然目の前に現れた。いや、正確には突然ではない、ナビ様も道路標識もちゃんと「口之津港」を案内していたのだから。

ところが、そのう、なんというか、うっかり東武東上線(知らんか)の踏切のように、なんとなくそこに存在していたのだ。ハハハ。

佐藤は、長崎の大波止港(おおはとこう)のような、もっと大きな港を想像していたので、口之津港と書かれた、隠れ居酒屋のような、看板を見つけても、それが本体とは認識できず、どうにも入りそびれてしまったのだ。


「ちょっと・・・。もしかして今のじゃない? 入りそびれちゃった。どうしょう?」


と話していると、なんと、カーブを曲がったところに我らが最強のデイリーヤマザキ(パンや惣菜なら、某セブンなんとかよりも確実に上)を発見した。

ここらで、チト確かめて見ようと言うことになり、早速中に入り買い物をしがてら、店員さんに尋ねてみた。


「あの〜、フェリーはどこから乗れますか?」

「この先の左手に入り口がありますから、そこから中に入るとあります」



とのこと。我々は、駐車場で反転し、先の方向へ引き換えした。すると、さっき通り過ぎたときには、人気(「ひとけ」である)が無かった場所に、数台の車が並んでいた。

係の方が聞く前に、さっさと我々を所定の場所へ導いてくれた。窓を開けてあいさつをすると、


「車検証を持って、あちらの案内所へ行ってチケットを購入してくだされ」


と教えてくれた。こうして無事に乗船し、天草に向かったのである。楽しみにした船旅は、たったの30分。何ということはない、あっという間に天草に着いてしまった。


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●ここが口之津港であった●



●船内でいきなりおやつ●.jpg

●船内でいきなりおやつ●



これが隠岐の島後(どうご)などに渡ったときは、もう・・・・、まぁ海もきれいで楽しかったが、時間はかかった。長崎でも五島列島に渡れば、こちらもけっこう時間かかるだろうなぁ。でも、行ってみたいな他所(よそ)の国(日本だよ!)。

鬼池にも、ザ・ピーナッツも唄った島原地方の子守唄で「鬼の池ん久助どんの 連れんこらるばい」(恐いおじさんに連れて行かれるよ)という歌詞があるほど、対岸の島原などに遊女が連れて行かれた港であり、興味深いのだが、今回はテーマが違うので、そこから、一路天草キリシタン館をめざした。いよいよ、雨は本降り。ワイパーがご機嫌に躍動していた。


【天草キリシタン館】
佐藤は、天草宝島観光協会の天草ロードマップ兼天草ミュージアムマップを手に入れている。ミュージアムマップによれば天草には20の施設があるという。しかし、長崎や熊本の地図や案内、ガイドなどがこんなに充実しているのだろう。しかも、ほとんど無料である。薄目ではあるが、持ち運びに良く、市販にものより使い勝手が良い。

でも、やはり、天草地方の潜伏キリシタン関連遺産を知るためには、通りすがりの見学では追いつきませんなぁ。入門知識くらいが得れれば喜びますわい。

車を駐車場に入れ、外へ出た。駐車場の前にはマリア像が雨に濡れ静かにたたずんでいた(動き回っていたら恐い)。館の入口には、天草四郎像があり、出迎えてくれている。

早速中に入り、パンフレットなど入手。こちらでは、天草・島原の乱を中心に、天草キリシタン史を4つのゾーンに分けて展示している。


●天草四郎は雨でも頑張る●.jpg

●天草四郎は雨でも頑張る●



[天草キリシタン史]
エントランスから入ると、いきなり、《天草四郎陣中旗》が目に飛び込んで来た。これによって「観光」という視点から、「歴史の検証」というような視点になり、大げさだが、思わず居住まいを正してしまった。この「展示スペース」が「歴史そのままの空間」に変わったとでも言えようか。

この旗は「歴史の証人」として扱われている。そりゃあ、日本キリシタン史の代表的な資料なのだから。もちろん、展示されている物はレプリカであるが、本物そっくりに作成されているらしい。

ちなみに、日本で展示されている国宝や重要文化財などは、建物以外はまずはレプリカである。文化財に指定を受けると、所轄の官庁から、精巧なレプリカの作成と、それを展示することが求められるという。

したがって、よほどのコネがない限り、建物以外、実物を観ることはないと言える。それが嫌な所有者は、初めから「レプリカ」と説明して、置いているのかも知れない。

さて、この《天草四郎陣中旗》には、中央にキリストの十字架が描かれ、その下にワイングラス。その両サイドには羽をつけた信者が跪き、手を合わせている(一般的に、十字架+キリストは、カトリックの象徴とされ、プロテスタントなら十字架だけである。だからこれはカトリックの絵であると判断できる)。

本物の旗には、戦いの最中に、槍で突かれ血糊がついた跡が残されていたらしく、こちらにも。その跡などが鮮明に写されていた。

佐藤は、その旗に釘付けになった。しばし、見入ってしまったのだ。おいおい、初っぱなからこれでは時間が足りなくなるぞ。しかし、これが天草・島原の乱で使用され、参加した人々の心のよりどころになっていたとすれば感無量である。

なんせ、天草のキリシタンと、島原のキリシタンwithキリシタンじゃない町の人の想いも考えも、実は、全然乖離していた。

正直、天草四郎を始め、天草のキリシタンたちは、こちらに合流するべきではなかったのだと思う。この乱の性質は、純粋な宗教戦争などではなかったからだ。

この時代の日本で言う、キリシタンとはおおむねカトリックを指している。本来は、プロテスタントも含んでいる表現なのだが、幕府はそうは考えなかった。だから、オランダは、プロテスタント国だから比較的フレキシブルであり、厳格とも言えなかったようで、「キリスト教徒」には見えず、拒否されなかったようだ。

[南蛮文化の伝来と天草]
ここでは、キリスト教の伝来から天草・島原の乱勃発までをキリスト教の隆盛と、禁教令によるキリシタン弾圧という激動の時代が紹介されている。

宣教師の人々は、その地域に住み、その地域の人々と共に暮らすことで信頼を得ることで、ようやく布教活動ができた。しかも、神の教えだけではなく、学問や農業・医療の知識などを持ち、その土地にあった耕作物の指導も行い、そしてその土地で骨を埋める覚悟で赴任する方々も多くいた。

苦労の末、ようやく布教ができ、信者が増えたころに、今度は禁止令によって身を隠す生活を余儀なくされるのだ。

それだけではなく、キリスト教弾圧ということで、幕府は絵踏みなどによって、キリスト教徒を発見し、追放あるいは拷問し、棄教を求めるなど、挙げ句の果てには見せしめのために処刑までしているのだ。このあたりは遠藤先生の本を読んでいると身震いするほどですよ、はい。

これらの仕打ちの恐ろしいことは、元々、農民や下級武士たちが、搾取され低待遇で使われていることへの不満を、より弱い立場の者に転嫁させる役割もあった。そう、ガス抜きのようなものである。

ここでは、たまたまキリシタン、そう、たまたまなのだ。幕府からするば、口実があり、弱ければ、なんでも良かったのだろう。

実際、江戸時代の新潟・佐渡送りにされた罪人は、重罪犯や凶悪犯というわけではなく、気の弱い犯罪者ばかりであった。そうでなければ、随時、佐渡に鎮圧部隊を置いておかなければならなくなる。ううん、幕府のえげつない一面とでも言えようか。

[天草・島原の乱]
ここでは、年表と資料や、武器などを展示して、戦いがどのように行われていったのかを案内している。

天草・島原の乱の発端は、松倉勝家が領する島原藩のある、肥前島原半島と、寺沢堅高が領する唐津藩の飛地・肥後天草諸島の領民が、百姓の酷使や過重な年貢負担に窮したことである。幕府軍125,800人、キリシタン軍37,000人であった。ちなみに関ヶ原の戦いは、東軍88,880人、西軍83,200人である。

佐藤は、例の遠藤先生本を読んでいる最中であったため、この資料に引き込まれてしまい、時の経つのも忘れ、しばし、その場に立ち止まって、その説明文を読みふけってしまった。

領民たちが起こした一揆も、原城にて終焉を迎えるのだが、それはそれは、たくさんの命が失われた。

まぁだから、原城址などは、いくら世界文化遺産に含められたとはいえ、場所が場所なだけに簡素化したままである。名古屋城や島原城のように再建なんかできない。なんせ、いまだに何万もの遺骨がそのままらしいのだ(ヒソヒソ)。

しかも、地元の方々からは、「あそこは〈あれ〉が出るから、夜は絶対行かないほうがいいよ」とマジで止めて頂けるという。これは司馬先生の行ったころから変わらない。

そもそも、正式なキリシタン(本来、仏教徒もだが)は、霊の存在を認めないのだ。だからこそ、遠藤先生が地元の彼らを「キリシタンの末裔」と認めないのかも知れない。まぁそれは別に双方、自由だとは思いますが・・・。長崎はホントに幽○話が多いらしい。

[乱後の天草復興とキリスト教信仰]
当時の幕府は、天草・島原の乱で多くの犠牲者が出たため、各地から島原への移住策を進めた。ここらへんは、幕府の有能なところだろう。天領から、たとえば、各場所、100人ごとに1人を選ぶなどで移住させ、年貢を数年減免するなどで対処したようだ。

そのせいで、長崎や佐賀などの近隣の農民がひそかに移住してしまうなどの問題も起きたらしい(笑)。まぁ期間限定ではあるが、タックス・ヘイヴン(tax haven/租税回避地)ではそりゃあねぇ。

いまでも、人口ランキングが当時の島原状態に近い、47都道府県での47位のT県や、46位のS県でもやって・・・、いや、なんでもないです。

一方、キリシタンの中にも生き延びた者もあり、その人々は隠れキリシタンとなり、自分たちの信仰としての十字架やマリア像やキリスト像を形を変えて隠し持ち生きながらえて行った。

マリアとは、カトリックでも、本来神様扱いではないのだが、天の神様(父=唯一神)の分身とも言える、イエス・キリスト(子=唯一神の分身)に「取り次いで頂く」役割があり、キリシタン初心者の日本人を、フランシスコ・ザビエルがマリアに捧げたとも言われている。

ちなみに「聖霊」(せいれい)とは、いささか表現が難しいが、神様の「不思議な力」(神秘的な力)などを指していると思われる。奇跡とも言える。

やがて、開国からまもなく長崎に来た宣教師たちは、大浦天主堂を建設。居留地の西洋人のために宣教活動を行い、その宣教師と浦上村の潜伏キリシタンが出会った「信徒発見」をきっかけに信徒達が信仰を表明したのだが、再び弾圧が強化され、摘発事件が相次いで起こった。

これに、西洋諸国から当然ながら、強い抗議が相次ぎ、1873年に明治政府は禁教の高札を取り除き、ようやくキリスト教が解禁された。まぁ、西郷(せご)どんをみるまでもなく、明治政府も名ばかり政府であった。

西洋諸国の弾圧の善し悪しは別に(人道的には完全な悪)、本来、信教の自由、不自由は、その国の主管の問題であり、これらは内政干渉にあたると思うのだが、日本に跳ね返す力はなかった。今でも、某・西洋花札大統領に振り回されているのと同じ構造だ。しかし、これは世界中が標的ではあるのがねぇ。

いやいや、ものすごい、時代の時間空間をさまよって、現代に帰って来たような気がした。「歴史を学ぶ」というのは、難しい感じや歴史用語、人名を覚えることも必要だが、「肝」(キモ)を押さえることが、悪しき歴史を繰り返さないためには必要である。サッカーのロシアW杯でも、日本対コロンビア戦でも、そのことが実証されていたと思う。

我々が、館を出たときに、雨の中にもお日様の光を感じたのは気のせいだったのかな? さてさて、先を急がないと!


【道の駅・有明リップルランド】
ここからは、再び「道の駅」のマグネット獲得の旅となる。我々は国道324号、通称・ありあけタコ街道を走っています。ありこちにたこの文字が観られるようになった頃、車は道の駅・有明リップルランドへ着いた。

ここは、物産館はもちろん、温泉施設も併設していて賑やかな所でした。雨が降っているにもかかわらずお客さんが多く訪れていた。ひゃ〜参謀は、早速、同道の駅、トレードマークのたこの写真入りのマグネットをゲット!

混んでいたので、再び車に戻って出発。雨は容赦なく降り続けている。ここは、海岸線を巡る道。本来であれば有明海が輝いてみえるはずだが、あ〜あ、残念。でも、長崎→熊本→福岡→佐賀→長崎と有明海の周囲を一周廻ってしまったが(笑)。


●天草キリシタン館前●.jpg

●天草キリシタン館前●



●悪天候のせいか、荒荒しい有明海●.jpg

●悪天候のせいか、荒荒しい有明海●



【道の駅・上天草さんぱーる】
佐藤は、ナビ様に次に行く場所をインプット。ナビ様に導かれるままに行くと、いつしか国道266号線に乗って、島から島を結ぶ天草五橋を渡っていた。

無事、道の駅・上天草さんぱーるに着いた。車から降りた我々は、よさげな食堂があったら昼食にしましょうといいつつ、中に入った。

すると、なんてこったい。よさげな食堂というより、旬の魚を楽しめる、併設のレストランがあった。さらに、店の前には入店待ちのお客さんが列を作っている。しかも地元民らしき方々である。

店の前にある看板には魅惑的なメニューが書かれ、値段がリーズナブル。これなら地元の人で賑わうのも当たり前だろう。

佐藤が入り口で順番待ちをしている間に「ひゃ〜参謀」は、お目当てのマグネットを探しにふわふわと漂いながら(?)、物産館へ入っていった。

すると、ここには2種類のマグネットがあったそうな。1つはこちらでとれる鯛やかに等の写真をモチーフにした物と、もう1つは、国道266「美と癒しと食」を満喫する天草路と書かれた物があったそうな。結果、彼はシンプルな方を選択し、それを抱えて満足気な顔で戻って来た。


「さっきのタコは生きているヤツ(たぶん)だったけど、ここのは、死んださか・・・(強制終了)」


まもなく我々は店に入り、海鮮丼を注文した。ちなみにこちらの海鮮丼は、その、○○○○○なの鯛が入っており、美味かったなぁ。そうそう、お魚いり餃子(「このしろぎょうざ」)というのもチョイスした。確かに変わった味の餃子である。

こうして、我々は、地の物を頂き大満足。再び元気になって次をめざした。


●上天草のレストランでで海の幸を頂く●.jpg

●上天草のレストランでで海の幸を頂く●



●どこの海でも、道路でも荒荒しい?●.jpg

●どこの海でも、道路でも荒荒しい?●



●天草五橋を疾走●.jpg

●天草五橋を疾走●



●道の駅・宇土マリーナは休み、だが近くに古代の船が!●.jpg

●道の駅・宇土マリーナは休み、だが近くに古代の船が!●



【三角西港と浦島屋】
浦島屋は明治期に旅館(外見は洋風ホテルなんだが)として建てられ、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)先生が、明治26年7月22日、長崎からの帰途に立ち寄り、『夏の日の夢』と題した紀行文の舞台となった旅館である。


●浦島屋(復元)のステキな外観●.jpg

●浦島屋(復元)のステキな外観●



長崎滞在では、ハーン先生は、どうやら西洋の快適さを求めたようだ。しかし、エアコンがない時代だから、それは無理だったろう。

夏の日の夢』は、文庫などでは絶版で手に入らないが、ネットでは全文読むことが可能である。この話は、「浦島太郎」の再話(作り直し)とされる。

日本の童話や昔話を扱う上で注意が必要なのは、この時期の童話の多くは、巌谷小波という童話作家の大家が、元々「再話」されてしまっているものも多いことであろう。

この方は、明治期の子どもたいに合う、道徳規範にするため、大幅に改変されている童話もある。桃太郎などは、鬼ヶ島から流れてきた、大きい桃も、ジイサマ、バサマ(といっても30代なのだが)が拾って食べると若返り、普通に子作りをして、桃太郎が生まれる話だったりするんで、そりゃあ、まぁ・・・。そんでそういう部分を改変すると、我々が知っている、よくわからない童話になる(笑)。だから、明治期の昔話はそのまま昔の伝承とは限らないのだ。

もう1つは、ハーン先生は、すべて、読者対象を欧米人として、書いていることを忘れてはいけないだろう(英語かフランス語で書いたものしかない)。しかも、まだ、先生のキリスト教などに対する考え方もかたまっていない。

早過ぎた晩年、長男に「聖書」を大切に読むことを伝えている。これから考えると、プロテスタントの考えに接近していったのかも知れない。

また、セツ夫人との関係も微妙な時期に差し掛かっていたとも言える。再話の浦島太郎ハーン先生)が、竜宮城から帰る先は、セツ夫人の待つ世を指していると思われ、どうもあまり帰りたそうでもないのだ。37℃を超える気温と言われた長崎や天草の旅館でもだ。試しに一度真夏にここに来てみたいが、暑いだろうなぁ。

この旅館の建物は、日露戦争後に営業は止め、傷病兵の収容施設になったそうで、明治38年には解体され、中国の大連に運ばれたが、平成5年、設計図を元に熊本県が復元している。

「ひゃ〜参謀」は、ハーン先生の動向を調査しているが、以前から浦島屋があることをリサーチしていたが、天草に来る用事がなかった(笑)。

情報では、中に喫茶店があるはずだった。現在は無い。また、宇城市が公募中らしい。喫茶店で、飲食を通して、世界文化遺産の三角西港を訪れる観光客の皆さんの満足度を高めたいという。うん、間違いなく景観は良いが、それだけで客は呼べないと思う。

そもそも、客が呼べないから世界文化遺産にしたいのだろう。ホンネでは文化財として保護したいわけではない。日本の経済力で、世界文化遺産には、ボコボコできるが玉石混合である。

なんせ、日本は国連教育科学文化機関(ユネスコ)への分担金がトップの国なのだ(アメリカは1位とされるが払っていないし、あの大統領さんがユネスコに脱退を通知した)。

もし、町起こしや経済の活性化を狙うなら、近隣の大都市圏から無理なく日帰りでもいける、群馬県富岡製糸場のような立地条件や、静岡県伊豆韮山の反射炉のような、温泉や観光のついでに見れるようなコンパクトだが、内容が濃い施設を作らないと、産業の振興にはつながらない。

それは島根県出雲大社の一連の遷宮などを見ればわかるだろう。そもそも、集客が可能であれば、制約の多い世界文化遺産などにしなくても、客が入り、文化財としての価値も変わらないのだから。


「境内にまわしを着けたうさぎさん像を作られるくらいなら、世界文化遺産にでもして制約したいぜ。神社はアミューズメント施設ではないからな」
(「ひゃ〜参謀」)


という意見もあるにはあるが、佐藤としては、大国主命の神様が良いなら良いですよ(笑)。

さて、館内は、我々が立ち寄ったときには、もはや喫茶店は片づけられ、蘭の花鉢が置かれて、甘い香りをただよらせ、どこぞの紳士・淑女が集っていた。「妖しか?」

はたして、中に入ってよいものやらと躊躇したが、中を除いても注意もされなかったし、影もなかった(ウソ)。堂々と入らせて頂いた。

ハーン先生がらみの物はあるのだろうか。うん? ありましたよ。ありました。それは1階の隅にまとめて展示されていた。なんか寂しい気がするな。我々は、10年間、島根県松江にある小泉八雲旧居を訪れていたからねぇ。それでも感無量であった。

そこにかかっていた、ハーン先生の横顔を拝顔し、


「お懐かしや、ハーン先生!」


と、記念写真を撮らせて頂いたのは言うまでもない。出雲大社売布神社などの島根県の神々様と同様、今でも先生は我々の神様なのだ。


●浦島屋でハーン先生と記念写真●.jpg

●浦島屋でハーン先生と記念写真●



後日、この稿を書くために、浦島屋の情報を集めたところ、現在は、休憩スペースやイベント等の開催に使われているとのこと。なぜか? この浦島屋については県と市が協同で公募したが、応募が無かったという。なんとも残念である。

市では、引き続き地域振興のための活用策を検討しているらしい。もっと、小泉八雲天草記念館とか、ラフカディオ・ハーンあまくさミュージアムとかでも作らんと、集客は難しいと思う。松江のように小泉八雲旧居(余計なものは足さない)と、小泉八雲記念館(集められる情報は全部集める)が並んで存在し、小泉 凡先生という、ご子孫が指揮を取れば一番いいが、そうは簡単にはいかない。

観光客は何を見に来るのか。また、観光客が対象じゃないければ、誰に見せるのか。多くの世界文化遺産は、それに対する展望が見えないのだ。自分たちが日常的に見飽きて、じゃ他人にも見せてやるか、くらいの感覚なんじゃないのかと疑いたくなる。

天気が良ければ、それはそれは、美しい風景が見えるのだ。ハーン先生の生まれ故郷に似ているのかも知れない。うまく自然と人工施設をマッチングして欲しい。あんまりないんだよな、リピートしたい施設が世界文化遺産にね。


●三角西港公園からみる天草五橋●.jpg

●三角西港公園からみる天草五橋●



どうもハーン先生のことを述べると心穏やかにはなかなかいきませんて(笑)。

その後は、九州自動車道に乗って一気に長崎空港をめざした。途中、北熊本SAでソフトを食べて休息し、佐賀県の金立SA等で秀樹グッズ(?)を手に入れ、休み休み、再び長崎県へ入った。


●北熊本サービスエリア(上り線)でソフト!●.jpg

●北熊本サービスエリア(上り線)でソフト!●



【道の駅・彼杵の荘(そのぎのしょう)】
爆走していると、標識に道の駅・彼杵の荘の文字が見えた。そこで、我々は東そのぎICで降りて、立ち寄ることにした。

ここは歴史公園の中にある道の駅である。我々は駐車場に車を置いてそそくさと中に入る。すでに閉店間近な時間でもあり、係の方々は片付けに追われていたが、お店の方にマグネットはありますか?と尋ねて探したが、残念ながら売り切れであった。

しかたなく、とぼとぼと、駐車場方面へ歩いていると、奥の方に古墳らしき物が見えるではないか。古墳の大好きな2人にとって、これは見逃せない。そこで、ちと、のぞき見に出かけた。

凄いぜ。これは「ひさご塚古墳」というらしい。感覚的には、円墳かと思いきや、前方後円墳であった。なお、いい(笑)。

歴史公園東彼杵町・歴史民俗資料館のホームページによれば、この古墳は「ひさご塚」といい、長崎県の代表的な「前方後円墳」である。長い年月の間に周辺が削られひょうたんの形をしているところから「ひさご塚」(瓢塚)と呼ばれてきたという。

今から約1,500年前にこの地域を治めていた有力な豪族の墓とされ、地元では、神功皇后応神天皇の母親)の三韓征伐のおり、武内宿禰(大臣)の配下として従軍した武将の墓であると言い伝えられている。

1950年、県指定の文化財(史跡)となっていた。なんと、同公園内の歴史民俗資料館に副葬品などが展示されているらしい。

九州は、宮崎県と鹿児島県の神武天皇圏と、それ以外の応神天皇圏が交差する場所である。長崎県・佐賀県・福岡県・大分県は、応神天皇と神功皇后(本来は親子ではない関係かも知れない)関連の古墳や遺構、神社、スターウォーズの「ハンソロ」みたいな、スピンオフ(spin off)神話などが盛りだくさんのエリアで楽しい。

もちろん、2人とも興味津々(笑)なのだが、もうやっていなかった。機会があったら再度訪問したい。


●OH!ひさご塚古墳●.jpg

●OH!ひさご塚古墳●



さてさて、これにて、2泊3日の見聞は終了。最後無事に車を返したときに、ニコニコレンタカーの係の方が明るい笑顔で迎えてくれたのが印象的であった。


返却後、長崎空港で残り時間を楽しんだ。空港内で軽い夕食を摂り、今回はグラバー園近くの岩崎本舗で、角煮まんじゅうを頂けなかったので、空港内の店舗で手に入れた。その際、同社のゆるキャラ・角煮まんじゅうちゃんを持って買いに行った。すると店長らしきさっそうとした若者がそれを見て、


「ああ、それ初代のですね!(今は二代目らしい) 僕、そちらの作りの方がかわいくて好きなんですよ」


ですと。ハハハ。うまいぜ! 長崎の食べ物と接遇にはやられっぱなしであった。こうして、名残り惜しいが長崎の地を後にした。また長崎にも来れることを楽しみにしておりますぞ。皆さま、ご自愛ください。



●長崎空港内で軽く夕食●.jpg

●長崎空港内で軽く夕食●



●長崎空港ロビーで角煮まんじゅうで軽く(?)おやつ●.jpg

●長崎空港ロビーで角煮まんじゅうで軽く(?)おやつ●



(意見陳述した患者さんに「いいかげんにしろ!」というやじを飛ばしていた議員がいたらしい。それはそのまま、あんたに言いたいぜ!To Be Continued!!)
posted by さとうはあまい at 14:15| 島根 ☁| Comment(0) | 見聞録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月13日

奮闘記・第1059回 見聞録/長崎県

●2018年● 長崎市

長崎見聞《異聞》録

〜現在から過去、再び現在を満喫ロード〜



皆さま、お元気でしょうか? 佐藤はなんとなく元気ですよ(笑)。

さて、長崎シリーズは、2回目だが、今回は「潜伏キリシタン関連遺産を巡る旅(その2)」ではなくて(相変わらずあるかないかわかりませんが・・・)、長崎での研修会(こちらは研修会のツボにて報告済み)前後に行った、長崎市内の見聞録である。

我々は、朝、宿泊地のホテルベルビュー長崎出島出島キッチン クローバーにて朝食をとった。だいたいホテルの朝食はバイキングスタイルであり、こちらもそうであった。

佐藤はお皿に野菜をメインに載せて食卓についた。朝から、日本の食事を満喫!味噌汁がうまいぜ。地元の名物カレー等もあり、 「ひゃ〜参謀」もご機嫌であった。写真は次の日の朝食のものだが、なんと皿うどんまで出てきたのだ。

ホテルを出発して向かった先は、鎮西大社諏訪神社(長崎諏訪神社)である。


●キッチン出島 クローバーの朝食!●.jpg

●キッチン出島 クローバーの朝食!●



【鎮西大社 諏訪神社】
鎮西大社と称えられる長崎の総氏神様であり、現在は、厄除け・縁結び・海上守護の神社として崇敬されているそうな。

以前、長崎近郊は、キリシタン大名が多く、戦国時代はイエズス会の教会領となっていたため、かって、現・長崎市内にまつられていた、諏訪・森崎・住吉の三神社は、焼かれ、壊され、ひどい目にあっていた。

それとは別に、キリシタンへの弾圧もたいがいなもんで、あまりにひどすぎるが、キリシタンはキリシタンで、やり過ぎの面もあろう。暴力は暴力を産みやすい。こういうことをやっていては、なかなか同情はされにくくなるだろう。神社は、寛永2年(1625年)に再興され、長崎の産土神となった。ここは《対キリシタン》の幕府側の要塞のような役割もあったかも知れない。鳥居も威圧するため、大きく、銅製の鳥居が作られた。


●長崎諏訪神社参道●.jpg

●長崎諏訪神社参道●



いきなり、余談だが、明治24年(1891年)、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)先生は、松江から熊本の第五高等学校に赴任した。そんで、明治26年7月21日から長崎に2泊の予定で来た。

7月21日の早朝3時に長崎港に到着したが、まだやってなかった。数時間後、南山手の当時のベルビュー・ホテル(現・全日空ホテルグラバーヒルの場所)にチェックイン。もちろん、朝になるまで待たされたが長崎港の朝日の素晴らしさを賞賛していた。

ここでのハーン先生は、外国人気分であっただろう。当時のベルビュー・ホテルは外国人専用のホテルであり、わざわざ選んで、お忍びで出かけているからだ。やはり誰だって自由な時間は欲しいもの。

「でも、ハーン先生。その時期にエアコンもない時代の長崎に来たら、もう暑くて、暑くて、暑くて、暑くて・・・・」と思ったが、案の定、滞在そうそうに数日で熊本に帰られたようだ(笑)。

目的は公式には不明。でもハーン先生が日本来るきっかけになったピエル・ロチ氏(フランス)の長崎を舞台とした小説『お菊さん』関連の資料収集か、舞台となった長崎を見ておきたかったのかも知れない。

先生は、心の中の思いを、ある時は本音を、決して無暗に語ったり、記録したりはしない。それが他者に漏れれば、自分の評価がどうなるか。また、自分が生きにくくなり、周りががっかりするのを、きちんとわかっていた人なのだ。たとえ自分が死んだのちであっても。

本音で暮らしていけるのは、すぐ帰国できる外国人だけだろう。ハーン先生そういう心遣いも、ある意味保身もできた人なのである。

長崎の景色はふんだんにほめている。そのハーン先生が、この長崎諏訪神社の参道入り口に立っていた金属製の一ノ鳥居だけは許さなかった。

「私が今まで日本で見たうちで、最も醜いものだ」

とまで言わしめた。しかし、この鳥居は、かって幕府がキリシタンを威圧する目的で作られたもの。ごっつくても、大きくても、仕方がないのである。

ハーン先生は、初めキリスト教に反感を持ちつつも、最終的には、キリスト教の理念に心を寄せていたと思われる。であれば、そのような目的の鳥居など、許せないのかも知れない。素晴らしくも難しい、マインドの持ち主である。でも決して記録には残したりしないし、あくまでもキリシタンというわけではない。

しかし、その鳥居は、結局、戦争中、金属がいるってんで、扁額以外、軍部に持っていかれた(扁額は天皇の筆)。われわれが今見れる鳥居は、戦後立て直された石製である。

さて、話を今の長崎諏訪神社に戻そう。


●長崎諏訪神社拝殿で大吉●.jpg

●長崎諏訪神社拝殿で大吉●



佐藤は、研修会の前には、その地域にある神社に参拝している。はじめて来たときは、暑い夏のさなかで駐車場もわからず、ちと遠い所に留めたので汗をかいての参拝であった。2回目以降は、神社の中にも広い駐車場があることがわかったため、そちらに停めている。

長崎諏訪神社内には、幼稚園がある。そのため、子どもを送り届けるためにお母さん達が入れかわり車でやって来て、車から降りて、長い階段を登っていると、下の方で子どもの声が聞こえてきた。

やや早口で滑舌も悪い(笑)。

「神様今日1日ムニャムニャムニャ・・・ください」と。

すると、そばにいたお母さんが「そんなんじゃ神様に伝わらないでしょ!ちゃんと言いなさい」と諭している。

でも、そこは長崎の開明的(?)な子どもである。

「大丈夫、神様はちゃんとわかってるって!」

それ以降も、子供らはお母さんと一緒に階段下に来ては手を合わせ、幼稚園の方へ向かった行く。こうして毎日お参りするんだから素晴らしいではないか。きっと、神様はみんなを守る事に必死であろう。

我々は、このようなやりとりを聞きながらこころ和やかになりつつ、階段を登っていった。そして、拝殿前にて参拝し、拝殿にて、神様に長崎の来れたお礼と研修会の成功を祈念した。


ちなみに、祓戸神社は、駐車スペースより下の階段の途中にある。そこには福澤諭吉先生の銅像も近くに立っている。

なぜ像があるのか? この近くには、長崎遊学中の福澤先生が使用したと伝わる井戸(共同)があって、『福翁自伝』にも「上方辺の大地震」で足を滑らせ、あやうく井戸に落ちそうになった井戸として出てくるという。

この福澤先生。のちの政治家・若き日の尾崎行雄氏が、執筆する際、「わかる人がわかればいい」といったところ、

「ばかもの! 猿に見せるつもりで書け。俺などはいつも猿に見せるつもりで書いているが、世の中はそれでちょうどいいのだ」と言い放ったという。これはステキだな!

でも、福澤先生。介護業界の場合、書いてるほうも猿という疑いが・・・(笑)。それはともかく、「天才バカボン」のパパは福澤先生がモデルなんじゃないかと思うくらい、若き日の福澤先生は、いつでも、キレッキレで、強烈なかたでありました(やはりダテに1万円札にはならないな!)。

参拝後、社務所横のおみくじ箱から女みくじをひくとなんと、大吉。ハハハ。そう、神様はみていますからねぇ。

ちなみに長崎諏訪神社は高台にある。鳥居の内から外を眺めると、坂の町・長崎を眺望できるのだ。佐藤は、その景色を眺めて、本日も張り切ろうと決意を新たにし、我々は研修終了後には、なんと長崎県歴史文化博物館にいた(笑)。


【長崎県歴史文化博物館】
こちらでは、《明治150年記念特別展「写真発祥地の原風景 長崎」〜写真で振り返る幕末・明治の長崎〜》が開催されていたからだ。うちの「ひゃ〜参謀」が写真展やカメラが大好きなのだ(笑)。

この写真展は、目黒区の東京都写真美術館で、今年の3月から5月までやっていた展覧会の巡回展であろう。しかし、本場の写真発祥地の長崎で観れれば、こりゃ格別である。


●長崎歴史文化博物館にて●.jpg

●長崎歴史文化博物館にて●



手に入れたチラシには、明治150年を記念し、近世から近代への転換期を古写真からご紹介しているとあった。以下、ホームページによる。

長崎は幕末には、写真やその技術がもたらされ、外国人写真師や上野彦馬をはじめとする長崎ゆかりの日本人写真師が活躍している。本展では、写真発祥地ともいえる長崎を「長崎を写した、長崎で写した」初期写真を通して捉え、幕末から明治の長崎の再構築を試みている。

江戸時代は約150年前に終焉し、日本は西洋的近代国家へと向かった。長崎は、それより前の開港期に写真が渡来している。その写真は江戸時代から明治時代への転換期を捉え、現代に伝えている。

長崎は、江戸時代には、すでに海外に開かれた窓口であった。そこで世界のモノや情報がもたらされているのだ。なんと、幕末には写真やその技術がもたらされ、長崎を訪れたピエール・ロシエフェリーチェ・ベアトなどの外国人写真師が、長崎を捉えた写真を残しているのだ。

さらに、写真開祖と呼ばれる上野彦馬(うえの・ひこま)をはじめ、内田九一(うちだ・くいち)、薛 信二郎(せつ・しんじろう)、竹下佳治(たけした・よしはる)、清河安武(きよかわ・やすたけ)、為政虎三(ためまさ・とらぞう)などの長崎ゆかりの日本人写真師が写真文化を普及していくために長崎は写真発祥地ともいえるのだ。

本展では、写真発祥地「長崎を写した、長崎で写した」初期写真を中心に、写真を支える台紙や写真アルバム、古地図や絵画・工芸品なども取り上げ、幕末〜明治の「長崎」を振り返っているのだ。

展示は4章仕立てである。

〔第1章〕
江戸期の長崎として、日本写真史の起点となった江戸時代の長崎とその文化を国内外の視点から長崎版画や古地図、旅行記などから写真以前の長崎の姿に迫っている。長崎港図では、長崎港か突き出た出島があり、長崎港には帆船が浮かび、異国ムードがたっだよっている。

出島が現在は埋め立てられており、なかなか想像するのも難しいが、実際、現在の出島の前に立ち、現在の長崎港の出島ワーフにも何度か来ると、「おお!」という感じがわかって来る。やはり、どこでも何度か来ないとわからないことがあるのだ。

〔第2章〕
長崎と写真技術として、写真技術が渡来して間もない頃に焦点をあてて長崎を訪れたロシェやザハトラー、ボードインなど外国人による写真の実践や上野彦馬ら日本人写真師による写真技術への取り組みが案内されている。こちらでは、着物に袴をはき、頭はちょんまげを結い刀を差している侍を写した写真が並んでいる。また、カメラなども展示されていて、「ひゃ〜参謀」はとりわけカメラを熱心に見ていたな(笑)。

〔第3章〕
長崎鳥瞰として、長崎市街や長崎港など、「長崎を写した」風景写真に注目を展示。数々のパノラマ写真などを通して、江戸時代から明治時代へと変わりゆく長崎を紹介している。この長崎鳥瞰は、景色を数枚の写真におさめ、それを貼り合わせてあるもので、日本家屋が密集している町並みを見ることが出来る。

これをみると、開港が許された土地は、横浜や函館も、海防に適しているところを選別しているのがわかりやすい。

〔第4章〕
長崎クローズアップとして、江戸時代の貿易都市長崎の象徴の1つ出島、開港期、居留地の象徴の南山手、長崎を訪れ「長崎で写された」人々などが紹介されている。なかでも長崎を来訪した人々をめぐっては、英語教師フルベッキや、長崎で学んだ佐賀藩士など長崎・佐賀双方にとってゆかりの深い人々を紹介している。

いや〜、ここではなんと幕末に一役かった多くの人物のありのままの人物をみることができたのは感無量である。ここに、たくさん名前が出てきたが、その中で重要なのが、写真開祖と呼ばれる上野彦馬である。

彼は、幕末期から明治時代にかけて活動した写真家であり、日本最初の戦場カメラマン(従軍カメラマン)としても知られているのだが、司馬遼太郎先生の小説『胡蝶の夢』に出てくるポンぺ先生を教官とする医学伝習所に新設の舎密試験所で舎密学(化学)を学んだ英才である。その化学から写真へつながり(写真は化学薬品を多く使い、知識も必要)、写真術は洋書で学んだり、来日した外国人写真家からも教えを乞うたという。

また、江戸で、数々の写真を撮影し、共同で化学解説書『舎密局必携』などを執筆。長崎に戻り、日本における最初期の職業写真師(複数いるが)となり、上野撮影局を開業。ここで、われらがよく見る、坂本龍馬高杉晋作桂小五郎などの若き志士や明治期の名士の肖像写真を多く撮影する。

さらに、西南戦争の戦跡(従軍写真)の撮影、後進の指導としての貢献度もあり、その他多くの功績を残し、明治37年(1904年)、長崎で死去(享年67)。医学や化学の知識もあり、写真術もあり、語学もできる。いや、凄い人材が明治期には存在したのだなぁ。まぁ、佐藤などは写真技術などはまったくわからないが、過去に活躍した本物の写真を見られたことに大満足である。

その後、ホテルに戻り、一休みしたあと、我々はよるの長崎に繰り出した。


●明治期の写真機材●.jpg

●明治期の写真機材●



【酒場食堂 みなとや】
ここは、ホテルのすぐそばにある店で、昨夜散策していたときに、ちょっと気になったお店なのだ。道路の曲がり角にある角店で入り口が半間と狭い。外にメニューが掲げられてあり、和洋折衷なんでもあるようだ。さすが東西異文化交流の街。

そこで、新たな店も開拓しようと言うことで入ってみることにした。お店の中はカウンターとテーブル席があり、外見よりも広い。ドアを開けると明るい声で迎えてくれた。佐藤は、加齢のせいか、最近どうもビールがうまくない。そこで、黒霧島のロックを所望した(通常運転中)

そして、サラダや、空豆などつまみを食べて、「ひゃ〜参謀」はここまで来てもハンバーグと焼きおにぎりなどを頂いた。季節の食材が豊富にあるようで、様々なメニューが並んでいて楽しいお店であった。もちろん美味しかった。


●酒場食堂 みなとやさんで夕食●.jpg

●酒場食堂 みなとやさんで夕食●



●長崎市街を走る長崎電気軌道●.jpg

●長崎市街を走る長崎電気軌道●



【出島表門橋あたり散策】
さて、お腹もいっぱいになったところで、我々は出島周辺を散策した。昨年11月に出島に130年ぶりに「出島表門橋」が復元され開通したというのだ。夜はライトアップされるという。だから、歩いてその場所へ向かってみた。でも、夏場なら絶対余所者にはできないだろう、暑くて(笑)。

ここは、長崎市の国指定史跡・出島和蘭商館跡とを対岸をつなぐ橋である。当時は唯一「日本」と「外国」とが結ばれていた橋である。


●国指定史跡・出島和蘭商館跡●.jpg

●国指定史跡・出島和蘭商館跡●



●出島表門橋の横に立つ●.jpg

●出島表門橋の横に立つ●



現在は、対岸も整備され当時のそれとは趣も違うが、新たにかけられた橋はシンプルではあるが、どこか異国を感じさせる優雅さを醸し出していた。この時間でも、橋を渡れば、出島に入ることもできる(要入場料)のだが、出島の中の店はすでに閉店しているとのことだったので、周囲を歩いてみるだけにした。

さてさて、あたりが暗くなった来たので、そろそろ、本日のメインイベント稲佐山へ移動するとしょう。


【稲佐山展望台】
長崎の夜景を一望できる稲佐山へは、バスとロープウェイで行くことができる。我々はバス停でロープウェイ下で下車し、長崎ロープウェイで登った。標高は333メートル、東京タワーと同じである。


●ここが稲佐山の頂点●.jpg

●ここが稲佐山の頂点●



展望台に登ると、そこは修学旅行の生徒たちが、わんさかいて、まぁ賑やかなこと。高いところがあまり得意でない「ひゃ〜参謀」(排他的高所恐怖症?)も、なぜか平然としていた(笑)。

まぁ、昨年来たときは、真夏で、強風が吹き荒れていた。だから、「ひゃ〜参謀」はもちろん、他の観光客も皆、手すりをつかんでヒャ〜ヒャ〜言っていた。

ここ、稲佐山は平成24年に、夜景観光コンベンション・ビューロー主催の「夜景サミット2012 in 長崎」において、長崎の夜景が香港・モナコと並び、「世界新三大夜景」に認定されている場所なのだ。


●長崎の世界新三大夜景●.jpg

●長崎の世界新三大夜景●



●稲佐山展望台からの風景は飽きない●.jpg

●稲佐山展望台からの風景は飽きない●



前回も登ってみたのだが、やはり長崎の街はほんとうに美しい。街のライトが海を照らし、海がキラキラと輝いている。昼は昼で良さげである。佐藤は、展望台を1周して、軍艦島や五島列島、大村港などの方面を見定めながら、改めて長崎県のでかさを体感した。

まだまだ、5月だと言うのすでに夏の香りがみていて、夜風が心地よかった。いや、夏場ならここでも汗だくだ。でも、長崎でもまだ5月なら、昼はやや暑くても、夜は涼しいのだ。

さてさて、いよいよ明日は天草へ渡る予定だ。雨が心配されるが晴れるといいなぁ・・・(結果はわかっていますが)。

皆さま、くれぐれもご自愛ください!


(猿カニ合戦は、結局、トランプなんかじゃ勝負は着かないのだろう。bye AMERICAN!To Be Continued!!)

posted by さとうはあまい at 20:31| 島根 ☀| Comment(0) | 見聞録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月04日

奮闘記・第1058回 見聞録/長崎県&佐賀県

●2018年● 長崎県大村市・長崎県島原市ほか&佐賀県鹿島市


『道の駅』マグネット探訪の記

〜潜伏キリシタン関連遺産を巡る旅(その1)〜



皆さま、お久しぶりです。(その2)があるかどうかは定かではないが、長崎県の研修会の前後で見た、長崎県佐賀県の見聞録です。まぁ久しぶりに長いですよ(笑)。

今回も、早朝に「ひゃ〜参謀」(以下、今回はH参謀とする)を車に押し込み、羽田から長崎へ飛んだ。

長崎では、前回に引き続き、ニコニコレンタカーをチョイス。まぁここは某県(北陸)で予約し忘れて、困って居たときに助けてくれて以来、気にいっているのだ(安いしね)。

この日、我々を乗せた飛行機は大きく揺れることもなく、墜ちることもなく、無事に長崎空港に着いた。空港を出て、ニコニコレンタカーへ連絡を入れると、待ち合わせ場所を指示してくれたので、速やかにその場所へ移動した。

ややや、するとそこにはすでに係の方が待っていた。出迎えに来てくれた車には、なんとニコニコレンタカーのトレードマークのお日様のぬいぐるみがは置かれていた。佐藤はお店につくまでそのぬいぐるみが気になって仕方がない。

H参謀は、なんの反応も示さないのだ(今は○ジェドさまに興味が全振り)。お店に到着後、係の方に断りを入れてそのお日様くんと記念写真を撮らせて頂いた。ハハハ。


●ニコニコレンタカーのマスコット●.jpg

●ニコニコレンタカーのマスコット●



佐藤はすでにニコニコレンタカーのメンバーカードをもっているため、手続きもスムーズに済み、手に入れたのは三菱・ミラージュ君であった。なんと三菱車には、はじめて乗る(結果、快適であった)。

車に乗り込むとH参謀が行き先を告げる。めざすは祐徳稲荷神社でそうだ。

ちなみに、この神社は長崎県ではなく佐賀県にある。長崎県ではないが、長崎空港からは意外と近い。それに長崎県はあんまし神社がないしな。

佐藤は、ナビ様に導かれるままに車を走らせた。この佐賀県の風景がまたいいのよ。長崎県も佐賀県も景色が良すぎるよ。

【祐徳(ゆうとく)稲荷神社】
駐車場に車を入れると高台に煌びやかなお社が見える。伏見稲荷大社、笠間稲荷神社とともに日本三大稲荷(神社)とされる。佐藤は、というかH参謀があまり稲荷神社に行かないから、他の神社内にある、摂末社の稲荷社ぐらいしか行かない。なぜ行かないのか?「行きつけの稲荷社があるから」とのこと。行きつけがあれば、特に稲荷社はそこに集中する方が良いらしい。

じゃなぜ今回は行くのか? 見聞録をまわる際に御守護をお願いする神様が少ないから、隣りの県までお願いに行くのだという。特に今回はキリシタン関係もあるから念入りにだそうで、仏教系の稲荷社でなければとのこと。まぁそれに関しては佐藤も別に異存はない。

いや、キリシタン自体は気持ちがしっかりしているからいいのだが、信仰心がないものまでも多くが巻き添えにされている「歴史的事件」であるから、「何がいるか」わからない。これ、そもそも、地元の人も言ってるんだよなぁ。


「この時期になると、ここらにあれが出るのよ」

「あれって?」

「出るもんていったらあれしかないだろう!」

「だから何が出るんですか?」

「おれが生きてるうちは死んでも言えない」

「・・・・」



ともかく、我々は、気分として、Y田S陰先生のように、キリシタンへの激しい拷問があったとされる某温泉にわざわざ行って、その「現場」の下流で温泉に浸かり、「いや〜、極楽、極楽」とはいきにくい。まぁ・・・あの先生、一応武士だからな・・・。さて、話を神社に戻そう。


●祐徳稲荷神社はでかい●.jpg

●祐徳稲荷神社はでかい●



この神社のホームページの情報では、

貞享4年(1687年)肥前鹿島藩主・鍋島直朝(なべしま・なおとも)公の夫人、花山院萬子媛(かざんいん・まんこひめ)が、朝廷の勅願所であった稲荷大神の御分霊を勧請された稲荷神社で、衣食住の守護神として国民の間に篤く信仰されており、日本三大稲荷の1つに数えられている。

商売繁昌家運繁栄大漁満足交通安全等種々の祈願が絶えず、参拝者は年間300万人に達しています。御本殿、御神楽殿、樓門等、総漆塗極彩色、宏壮華麗な偉容は、鎮西日光と称され、観光ルートの上にも一異彩を放っている。


ご祭神様は、倉稲魂大神大宮売大神天宇受売命猿田彦大神。まぁ、商売繁昌、家運繁栄、大漁満足、交通安全の守護を標榜するには、欠かせない神々様達である。いや、どんなご利益でも標榜できる。もちろん、萬子媛が連れて行った稲荷大神は京都の伏見稲荷大社からである。

そして、境内にある石壁神社には、先の萬媛命(よろづひめのみこと:祐徳院殿・萬子媛)が祀られているとされる。

萬子媛は、後陽成天皇の曾孫女で、左大臣花山院定好公の娘であるが、寛文2年直朝公にお輿入れになる。その折、父君の花山院定好公より朝廷の勅願所であった稲荷大神の神霊を、神鏡に奉遷して萬子媛に授けられ「身を以ってこの神霊に仕へ宝祚(皇位)の無窮と邦家(国家)の安泰をお祈りするように」と諭されたという。


萬子媛は、直朝公に入嫁されてより、内助の功良く直朝公を助けられ、2人のお子様をもうけたが、不幸にしてお2人共早世されたのを機に、貞享4年62歳の時此の地に祐徳院を創立し、自ら神仏に仕え、以後熱心なご奉仕を続けられ、齢80歳になられたときに石壁山山腹に巌を穿ち寿蔵を築かせ、工事が完成するやここに安座して、断食の行を積みつつ、邦家の安泰を祈願して入定(命を全うすること)された。

萬子媛ご入定の後(祐徳院)も、その徳を慕って参拝する人が絶えなかったと云われ、明治4年神仏分離令に添ってご神号を萬媛命と称された。

「明治になったら、もう無理かな。関西ではともかく、関東では断然呼びにくいからねぇ。でも解説では、ずいぶん連呼されていたけど。まぁ現代じゃ名前を変えるしかないかなw」

とはH参謀。まぁ、江戸時代のかたですからね・・・。

地元ではゆうとくさんの愛称で親しまれている(そっちなんだw)。九州地方では、正月3が日の参拝客が、例年、大宰府天満宮に次いで多いという。

駐車場から参道に入ると、あちらこちらで記念写真を撮られている。しかも、外国人観光客が多い。けっこうアジアでも有名なパワースポットらしく、ドラマなどの撮影もあるらしい。

商売繁盛の神様で、参拝客が少なければ、説得力がないが、ここは満点であろう。その方々お邪魔にならないように、手水舎にて手を潤し、楼門をくぐり、境内に入った。すると、右手の高台にご本殿の屋根が見える。そう、まるで京都の清水寺のようだ。

ちなみに、この鹿島市から、茨城県の大生(おおう)神社鹿島神宮の本宮:もとみや)を奉斎する氏が来たとも言われている。茨城県の鹿島町が市になるとき、同じ名前が名乗れずに、「鹿嶋市」になった。同じ市名があるのは、全国で1例(1組?)だけ。

佐賀や熊本の軍団が関東に移住してくる際、彼らは故郷を偲び、有明海や雲仙などの山々の風景に似ている、茨城の霞ヶ浦や筑波山の見える湖畔に多くが住み着いたとされる。福岡から移住して来た物部氏も九州の軍団である。

香取神宮は、阿波・忌部氏の氏神であり、香取大神=鹿島大神は成り立たない。都合の良い時だけ、「記紀」を材料にしてもなぁ。

さて、我々は、順路に沿って階段を登った。眼下には、日本家屋が並び、その向こうには有明海が広がっている(結局、有明海をぐるっと周回することになる)。

佐藤は、昨年作った『ケアプラン 困ったときに開く本』(技術評論社)が、さらに多くの方に読まれることを祈願した。もちろん、商売繁盛もだ!

参拝後、さすが稲荷神社。金運みくじというのがある。これをひくと、何と1番で「大金運」(いわば大吉であろう)と出た。わぁ、こんなことってあるのかとびっくり。もちろん、絵馬を奉納したのは言うまでもない。これ、いわゆる「凶」はなんなんだろうな・・・・(誰かは「小金運」)。

その後、後方に有った萬媛命が祀られている石壁社を参拝。また、参拝にこられるように導きくださいと願った。この上には奥の院もあるが、健脚な方は更に上をめざして登って行かれらが、我々は正反対の方向へ先をめざす身(笑)。今回はここにて失礼して下山した。次ぎにめざすは道の駅・鹿島である。


●金運みくじは、大金運なり●.jpg

●金運みくじは、大金運なり●



【道の駅・鹿島(かしま)】
道の駅・鹿島は、平成6年に佐賀県で第1号の道の駅として登録されている。ここは、ガタリンピックが開かれる会場でもあり、道の駅の後方は、有明海の干潟が広がっている。我々が行ったときは満潮で、有名な干潟をみることはできなかったが、岸壁には、干潟を走行する舟(板)が山積みされていた。ここでまず最初のマグネットを手に入れた。現在、有明海を左手に国道207号線を長崎方面に走行している。次ぎに立ち寄ったのが、道の駅・太良である。


●道の駅・鹿島のソフト●.jpg

●道の駅・鹿島のソフト●



●これが・・・まぁ干潟になるわけで●.jpg

●これが・・・まぁ干潟になるわけで●



【道の駅・太良(たら)】
ここは、海の幸が豊富に取りそろえて販売されていた。ほとんど、プチ魚市場。中でも竹崎カニが有名らしく、生きているかにも販売されていた。ちなみに「ひゃ〜参謀」はかにを食すのが苦手(でも食べることは食べる)。カニよりも、マグネットを入手でき、喜んでいた。

いよいよ、長崎県に戻って来た。島原でそうめん流しを食べる予定であったが、とんでもない! 佐藤のお腹が持たないぞ。しかし、国道沿いには、カニ焼きや蠣焼きの看板が並んではいるが、普通のレストランが見あたらないのだ。そうこうしているうちに、ようやくイタリアン・スパゲッティの幟をを立てた、お店を発見。佐藤は躊躇することなく店の駐車場に車を入れた。


【釜あげ生パスタ ぱすたろう】
外から中を眺めると数組のお客さんがいる。でも雰囲気が変わっているのだ。ドアを開けて驚いたのは、ここは家具屋さんか(?)と思うような様々なソファやイステーブルが置かれていることだ。


●開店したばかりのぱすたろう●.jpg

●開店したばかりのぱすたろう●



●生パスタは絶品であった●.jpg

●生パスタは絶品であった●



店員さんが、お好きなところへどうぞ、というので窓際の席を陣取る。よいしょっと。座るなりおしりがソファの中に沈み込んだ(笑)。「お勧めは何でしょうか?」と伺うと、「今の時期はアサリです」とのこと。

佐藤はアサリと地元野菜が入ったパスタを注文。H参謀には、有無も言わさず、おいしそうだからと厚切りベーコンの入ったカルボラ−ナを頼ませたw。もちろん飲物はコーラ。アルコールは厳禁だぜ! 冷たいコーラがのどの渇きを癒してくれる。

しかし、はぁ〜、釜あげパスタだけあって、できあがりまで少々時間がかかった。でも出てきたパスタは絶品。先ほどまで海鮮の文字しかなかった街道にこのようなイタリアンに巡り会えるとは、大満足。もちろんお値段もリーズナブルである。

この稿を書くにあたり、ネット検索したところ、こちらは2017年の12月にオープンしたお店で、宣伝する暇もなくリピーターで賑わって行ったらしい。以前はコンビニがあった場所だそうで、駐車スペースも十分ある。まぁコンビニが流行らない場所ってのが、少々心配だが。

私たちが入店後も、女性客が数組入って来た、どうやら地元の方々に愛されているお店らしい。ならば、良かった。皆さま、無くなったコンビニさん以上にお願いしますよ。

こういうお店ってさ、通い続けるところに意味があるんだけど・・・、諫早だもんなぁ。でも、佐藤も「また来たいお店」として、登録しちゃいますよw。

そんで、佐藤は、島原城をめざしている。車窓には、有明海の向こうに雲仙普賢岳がそびえていた。佐藤がナビ様に導かれるままに行くと、何と諫早湾の中を走行しているではないか。先ほどの山は真ん前にある。ちなみにその道路は、諫早湾横断堤防道路といい、長崎県諫早市と雲仙市吾妻町とを結ぶ広域農道だそうで、平成19年に開通した全長7kmの道路なのだ。

いやあ〜、気分爽快。車内の音楽も心地よさを倍増している。さてさて、この日の目的地、島原城に着いた。なんせ、今回は例の「潜伏キリシタン関連遺産」を巡る旅(?)を想定しておりましたからねぇ。ここに来ないと先へは進めない。


●釜あげ生パスタ・ぱすたろうのお店データ
[TEL] 0957-51-4134
[住所] 長崎県諫早市小長井町井崎954-9
[営業時間] 11:00〜21:00(L.O.20:00)
[定休日] 不定休。



【島原城】
現在の建物は、本丸の跡に天守・櫓・長塀が復興されたもので、城跡公園である。まさに雲仙岳の麓に位置していて、あれが噴火したかと思うと、結構こわい。山が割れ、火砕流がどぼどぼ、有明海に流れ出し、対岸の熊本とブーメランのように津波が繰り返し、双方襲うという事態になるのだ。・・・こわい、こわ過ぎる。ほんと裏山ぐらいの距離なんだもの。

城郭の形式は、ほぼ長方形の連郭式平城で、高く頑丈な石垣が特徴であり、本丸は周りを水堀で囲まれている。近くに来ると、ただのお城(入場料はとる)であるが、濠の外から見るとなんとも見栄えがいいのだ。思わず、大人数で取り囲みたくなるのもわかる(おいおい)。

車から降りて、お城を見上げると、青い空に五層の天守閣が優雅にそびえていた。販売機のそばでは、島原城七万石武将隊に扮したキャストが出迎えている(地元では有名らしい)。


●島原城を攻める(?)●.jpg

●島原城を攻める(?)●



チケットを購入し、城中に入ると、そこには島原の乱(島原・天草一揆、天草島原の乱など、表現多数)が、年表と共に案内されていた。かなりの昔、社会科の授業で学んだことはあるはずだが・・・さて。

正直、こどもの頃は切羽詰まった感覚はもたなかった。しかし、この歳になって、改めて天草島原の乱の解説をじっくりと見るとそれはそれはすごいことが行われていたんだなと伝わって来る。こちらには子どもさん向けに「なぜ?なに?天草島原の乱」という解説書が置かれていたので、佐藤もゲットした。

島原城の公式ホームページの情報によれば、島原城は築城以来250年にわたる島原藩の歴史遺産やキリシタン史料及び郷土が誇る芸術家・北村西望氏の作品だそうな。

また、約198年振りに噴火活動を開始し、尊い生命や甚大な被害をもたらした「平成3年雲仙普賢岳噴火災害」の資料などが展示されており、過去から現在までの島原を知ることができる。

ちなみにこの噴火のとき、若きH参謀は、別の仕事で、島原とは対岸の熊本のホテルに宿泊していた。そのホテルの窓からは、夜でも、煌々と光り、流れる溶岩の流れが見えたそうな。

1階は、キリシタン資料として、華やかだったキリシタン文化や南蛮渡りの文物が展示されていた。戦国時代の終わりには、ポルトガル人が相次いで来航して、新しいヨーロッパ文化を伝え、島原地方にもキリスト教をはじめ、南蛮文化が栄えた。庶民の感覚とは別に、高山右近などの例外もあるが、キリシタン大名の多くは、貿易が主目的でキリスト教を誘致していただろう。

当時のここの領主・有馬晴信は南蛮貿易を積極的に進め、自らキリシタン大名となってキリスト教を保護した。領内各地に教会が建てられ、有馬にはセミナリヨ(初等神学校)が、後では加津佐にコレジオ(高等神学校)が開かれた。

当地の千々石ミゲルたち4少年は、キリシタン大名の大友宗麟大村純忠有馬晴信の名代として、ローマへ派遣された4名の少年を中心とした使節団である。はるばるローマまで旅立って、教皇に拝謁するという快挙を成し遂げた。

この東西交渉史上の輝かしい1ページは、ここ島原から始まったのだ。このあとの「キナ臭い」伊達政宗の慶長遣欧使節(仙台藩とスペインとの貿易が目的)とはかなり趣が違う。ちなみにH参謀は、伊達政宗公の大ファンである。

しかし、その後、豊臣秀吉の宣教師追放令からはじまり、江戸幕府の禁教令と鎖国令による、激しいキリシタン弾圧が始まり、領民は棄教するか命を奪われるかの厳しい選択を求められた。いや、信仰していない領民がある意味、1番の被害者とも言える。

やがて、有馬氏に代わり、松倉重政が新城主として入国した。新城主は島原城を築城して、島原地方の治世を強力に推進した。その子どもの勝家の代になると、いや、もともと、見栄っ張りで、実際の収穫高以上を幕府に申告し、その分領民から根こそぎ巻きあげ、領民への苛政が続き、絶望した農民が一揆を起こして島原の乱となっていくのだ。

このような厳しい時代にあっても、信仰の自由を守り通した人々を隠れ(潜伏)キリシタンと呼んだ(でも全然隠れていないが)。他人の目に触れないように、イエス様やマリア様の姿を、他の像になぞらえて(誰がみても変ですが)、信仰を続けていた。その隠れ(潜伏)キリシタン関係の収集資料としては全国的にも有名で、貴重な資料が多く展示されている。

皮肉なことに、この展示されている城は、隠れキリシタンの大弾圧を行い、騒乱を巻き起こす原因の「いけない殿さま(松倉氏)」のお城なのだ。この乱のあと、「いけない殿さま」は幕府から厳重な取り調べを受け、改易(お取りつぶし)され、護送中、甲斐(山梨県)で斬首されたのだから、お察しである(斬首とは罪人扱い)。

天草人の明るい気質とは違い、まじめだが深刻味を帯びる島原人の気質の差が出たとも言える。まぁあれだけひどい領主では、しかたがないだろう。うん、でも・・・・。

やがて、天草四郎は3万もの一揆として農民をまとめ、3か月にわたる激しい戦い行れたのだ。

H参謀は展示を観ながら、「どうも、映画の「魔界転生」の、沢田研二扮する天草四郎のいう、エロイムエッサイム 我は求め訴えたり (Eloim, Essaim, frugativi et appelavi )の呪文で死人をよみがえらせる場面が頭から離れないぜ」とブツブツ言っていた。

まぁ当時の沢田研二さんなら、ほんとうにできそうな気がする(笑)。この呪文水木しげる先生の悪魔くんの呪文と同じである。

とにかく、島原の農民は「手強かった」のだ。これは領地転封の際、キリシタンであるゆえに、領主からお暇を頂き(領主もめんどうだから有り難かった)、地元に残り「地侍」となった農民なのだ。通常の農民や漁民ではない。だからこそ、幕府軍も九州の大名たちも、まじに手を焼いたという。オランダの船に依頼して、大砲を打ってもらったりした。それもなぁ・・・。

ここには、当時使われたとされる手作りの槍や打ち込まれた砲弾などが展示されている。その後、原城跡に篭城した農民たちは全滅させられてしまうのだ。さらに悲惨なのは、信仰していない農民たちも、その場でキリシタンの農民たちから、一緒に篭城するか、いまここで死ぬかの選択を強要されたとされていることだろう。

乱鎮圧の後も、厳しいキリスト教の取締りが行われており、踏絵や禁制立札、宗門人別帳などがそれを物語っている。ちなみに、「仏壇」が定着したのは、キリシタン対策のためであろう。

キリシタンは唯一神を信仰しているため、他の宗教のグッズ(?)を家に置くことに対して、多くが激しく抵抗したため、見つけやすかったからだろう。役人は、家に仏壇を置けるヤツなら、キリシタンではないという判断をしていた。でも日本人は融通が利くからね。

もともと、仏壇を家に置くのは、金持ちの貴族ぐらい。実際は、宇治平等院のように、大規模な仏壇を置く、寺院そのものを作っていたわけだが。

これを真剣に眺めていたら気が滅入る。ホント。当時の役人がしていたことはナチスのそれと変わらない。いや、本当は大層変わるのだが、ヤラれるほうからみれば同じだ。そんな過去に触れながら階段を登り、天守閣に上がると、そこには現在の平和な町並みが並んでいるが、噴火すると危険な雲仙普賢岳(手前は眉山:まゆやま)もすぐそこに見える。


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●天守閣から眉山を見て、「島原大変肥後迷惑」を実感●



テレビなどの映像では、噴火した場所はかなり遠いように見えた。しかも、佐藤も以前も来たことがあるのだが、そのときは恐怖は感じなかったが、天守閣から見ると、町のすぐそこに、噴火した場所も確認できちゃうのだ。

今までもいくつものお城を制覇してきた。特に、会津の鶴ヶ城の展示も逸品であったが、こちらは信仰が絡んでいるだけにひどく重かった。城跡公園内の茶店で、島原の名物甘味「かんざらし」を味わった(うまい)ので、そろそろ長崎市へ戻るとしょう。


●城跡公園内で、名物甘味「かんざらし」を賞味●.jpg

●城跡公園内で、名物甘味「かんざらし」を賞味●



【道の駅・みずなし本陣ふかえ】
その後我々は、雲仙普賢岳噴火による土石流災害の爪跡を保存した『土石流被災家屋保存公園』に隣接した、道の駅・みずなし本陣ふかえに立ち寄り「↑雲仙温泉17q」というマグネットをゲットした。

【道の駅・夕陽が丘そとめ】
その後は、国道57号線にて雲仙岳の麓を回り込み、子イノシシ?に遭遇しつつも、ナビに従って、道の駅・夕陽が丘そとめにたどり着いた。外海地区は、厳しい弾圧を逃れて隠れ住んでいた長崎市の西北の街である。


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●雲仙で子イノシシに遭遇●



時間が遅かったので、遠藤周作文学館やド・ロ神父記念館、文化村や黒崎教会などは入れなかったが、その洋風の街並みはまるで外国みたいであった。

ここらは、比較的寛容な佐賀藩の飛び地も混じっていたため、多くの潜伏キリシタンが存在したという。映画「沈黙」の原作の舞台である(映画自体は日本では撮られていない)。丘からは、角力灘にうっすらと五島列島や、さらに違う方向には軍艦島も見える絶景の地であった。ここには、マグネットはない。でもおいしい食べ物がてんこ盛りであった(笑)。買物の後、無事にホテルにチェックイン。いやはや、かなりハードなコースだった(笑)。


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●道の駅・夕陽が丘そとめの絶景(角力灘)●




【海鮮市場長崎港から大浦天主堂下などの散策】
一休み後、大波止の懐かしい景色を眺めに散策に出かけた。夕食は。出島ワープの海鮮市場・長崎港にて、新鮮な海鮮丼に舌鼓。ここには長崎市に来る度に寄らせて頂いている。


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●海鮮市場・長崎港●



●長崎港を散歩●.jpg

●長崎港を散歩●



その後、市電に乗りまわり、ライトアップされた大浦天主堂などを眺めて来た。そうそう、われらがハーン先生(小泉八雲)関連の場所にも久しぶりに行った。ハーン先生は、いろいろあって、松江から熊本に移り、夏の休暇中に長崎へ旅に出たが、その暑さの前にさっさと、熊本へ帰って行った。

そりゃ、無理ですよ。エアコンもない時代の長崎の夏になかなか外部の人間が絶えられるわけがない(笑)。そのハーン先生が、長崎で泊まったホテル自体はもうない(我々が泊まっているホテルは同名である)が、南山手のベルビュー・ホテル(現・現全日空ホテルグラバーヒル)跡にも立ち寄った。

まだ暑さがゆるい長崎だからこそできた散策で有る。真夏なら・・・・(汗)。



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●夜の大浦天主堂●



●南山手のベルビュー・ホテル跡(現・現全日空ホテルグラバーヒル)●.jpg

●南山手のベルビュー・ホテル跡(現・現全日空ホテルグラバーヒル)●



佐藤は、夕食前に、大波止のゆめタウン夢彩都に寄った。そこにある紀伊国屋書店には、佐藤の各種書籍も置いてあった。ほんとに有り難いです。そして、郷土コーナーで、遠藤周作『切支丹の里』(中公文庫)をゲットした。

いやぁ、潜伏キリシタン関連遺産を巡るには必要アイテムでは無いかと思う。この頃、都合の良いときに発生する、寄る年波で、文庫は敬遠していたが、久しぶりに読みふけった。次号につづく・・・予定です。

さてさて、皆さま、梅雨が近づいて来ました。体調に気をつけてお過ごしください。ではまた!



(いろいろあるとは思うが、国名がついてる大学なのに、わが国では、ただ平謝りするのが1番ってことがわかっておらず、中途半端にいろんな人が出て来ては、おさまりつつあるのに「燃料投下」して炎上を繰り返している。ああいう空気がわからん指導者では学生が気の毒だな!To Be Continued!!)
posted by さとうはあまい at 14:09| 島根 | Comment(0) | 見聞録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月29日

奮闘記・第1057回 研修会のツボ/長崎県

●2018年● 長崎県長崎市


長崎県社会福祉協議会 福祉人材研修センター

「介護記録の書き方研修会〈指導編〉」



皆さま、お元気でしょうか。東京は、昼間は暑く、朝夕は寒かったりもしますが、風邪をひかないように気をつけないといけませんね。さて、今回は、先だって長崎県での研修会のツボです。

佐藤は、例のごとく、前日に長崎入りして、例のごとく、レンタカーを借りて県内を移動しあちこち見聞しました。その見聞内容は、後日順次報告するとして、以下は、「介護記録の書き方研修か(指導編)」についての報告です。


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●前日から長崎入り(長崎空港)●



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●今年も来れました長崎諏訪神社(大吉)●



長年、佐藤は介護記録の書き方研修会を請け負っているが、今回の依頼はぜひ指導者に対して、記録の書き方について指導できるように、その指導方法を伝えて欲しいというものであった。

そこで、研修内容に指導者としての心構えを入れて頂き、記録の書き方については、介護職がしている援助の場面を切りとり、言葉を紡いで作成する、ダイアローグ方式を用いた演習問題を作成した。しかし、これはあくまでも佐藤の事例である。

後には、参加者自身が各事業所の利用者や職員を題材とした演習問題を作るようにと案内しておいた。もちろん、佐藤の事例の演習問題については、解答例も作成し、提供したことはいうまでもない。


●会場の長崎県総合福祉センター●.jpg

●会場の長崎県総合福祉センター●



■研修で行ったこと
(1)指導者としての構え。自己理解、他者理解。
(2)介護記録の必要性と、その根拠。
(3)まずは「している援助」を文章化してみよう。
(4)記録の書き方指導編。


佐藤の研修会は、ほとんどがグループ形式である。なぜならば、グループ内で参加者同士がお互いに情報交換を行い、意見を交わしていく中で、新たな気づきを得ることができるからだ。しかも、他事業所の人材と関わる機会は大きな意味を持つ。

そこで、まずは各グループ内で、「1分間スピーチ」を取り入れて自己紹介をして頂いた。職業柄、自己紹介能力は重要である。

いつまで経っても、相手の名前を覚えられない、相手に覚えてもらえないのは、どこか職業人として、「欠けているもの」があると考えたほうがいい。まぁ相手のほうが欠けている場合も少なくはないのも事実だが、相手にあまり期待し過ぎてはいけないのだ。

スピーチでは、自分の氏名や所属等を伝えた後で、自分が働いている事業所の「売り」を語って頂いた。

佐藤はタイムを測りながら、皆さんが次のかたにバトンを渡せるように導いていった。こうして各グループ内での、自己紹介が終わる頃には、それまで漂っていた緊張の空気が緩やかに解け、会場は、ほんわかとした空気に包まれた。


●主催者からの挨拶でスタート●.jpg

●主催者からの挨拶でスタート●



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●書籍の案内●



1.指導者としての心構え
参加者は介護の専門家ではあっても、リーダーや指導者としての専門家ではない。そこで、「指導者として、自分自身が他者と関わるときに、どのように関わっているのか」それを客観的に捉えて頂けるよう、(株)ヒューマンスキル開発センターが開発したエゴグラムとストロークの帳票を使用し、皆さんに自己分析して頂いた。


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●グラフの作り方を説明する●

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●個別に解説を行う●



「エゴグラムから指導者に必要なスキルとは」
指導者は、客観的な視点を持つことが大事なので、「アダルト=Aを高めること」。そのためには自分が作成したグラフでAの点数が低かった方は、意識して低い部分を高めるように気にかけること。

「ストロークから指導者に必要なスキルとは」
ストロークとは、自分あるいは他者の存在を認めること。ディスカウントとは値引きであり、自分の存在や他者の存在を値引くということ。

そこで、自分が作成したグラフにおいて、「自分自身を肯定的に捉える」という部分が少ない方には、まずは自分自身が自分の存在価値を認めることが大事であると説いた。

自己肯定感を増やすためには、夜寝る前などに1日を振り返る機会を設け、今日の評価を行うこと。可能であれば紙に書き出してみる。その際には「できなかったこと」だけではなく「できたこと」をたくさんあげるように意識することが大事であると伝えた。

その上で、育成段階では、山本五十六(1884−1943)さんが残した名言を用いて、指導者としての心構えを伝えた。


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●お昼にお弁当を頂く●



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●窓から、浦上川と稲佐山が見える●



2.介護記録の必要性とその根拠
佐藤はあらかじめ資料のなかに下記のような枠組みを設けておいた。

・介護記録がないと困ること。
・実際していること。
・今後自分(組織)が取り組みこと。

はじめに「介護記録がないと困ること」及び「実際にしていること」を書いて頂いた。佐藤は皆さんが書いている間にグループを巡り、記入している内容を把握しに行った。その上で皆さんの書いた内容をまとめるため、ホワイトボードに四角い空欄を4カ所書いた。

そう、この4つの空欄は、ICF(国際生活機能分類)である(心身機能・活動・参加・環境)。

心身機能:利用者の健康状態に関する情報。血圧、体温、病気など痛みの訴え、食事量。排泄の有無・入浴の有無等々。たしかに利用者支援をするのに健康状態に関する情報共有は必要なことは確かである。ただし、これは看護師や栄養士が管理している情報なのであるが(これがダントツ!)。

活動:次に多かったのが、活動(日常生活動作)に関する情報であった。利用者の自立を支援する介護職には、各利用者のしていることや、できること、できないことを共有することは必要不可欠なことである。

参加:他者との交流や意欲の向上のためにしている支援内容について。特に意欲の向上のために介護職がしている支援内容いついての記録が必要なのだが、このことを記載したかたがいなかったのが残念であった。

環境:これは生活機能ではないが、生活機能に影響を与える背景因子である。それは、家族や地域の方々との関わりやボランティアさんなどとの関わりの記録である。こちらも意識して残す必要があるとしている方が少なかったなぁ・・・。また福祉用具点検の必要性を記録すると書かれたかたもいた。

そこで、ここでは看護と介護の違いを説明。介護は、日常生活動作の維持・向上をめざしている。そのためには、介護職は利用者と関わり(ストローク)、様々な言葉を発しているはずなのだ。それをうっかり、「声かけ」や「確認」「見守り」という文章に「まとめ」てしまう傾向がある。そう、うっかりである。

そこで意欲を向上させるための言葉として「すごい」「素晴らしい」「さすが」などがあり、介護職はこれらの言葉を巧みに使用できていること。また、協力動作(○○してください)を依頼し、協力してくれたことに対して、感謝の意(ありがとう)を伝えている。

これらの関わりが利用者のやる気につながっているのだ。そうであれば、これらの具体的な言葉を記録しておかないと、職員同士で共有などできないではないか。

また、家族との関係性を維持するために、面会があったときには、本人の最近の様子を伝えたり、家族の困りごとを伺ったりしているはずだ(でなきゃ何をしているのか?)。

また、面会終了後の利用者の感想なども伺っていると思う。それらを記録する必要もあるだろう。

もちろん、地域での生活を維持するためには、外出時の様子やボランティアとの関わりも職員同士で共有する必要があるのでないか。

結果、指導者として、このICF(国際生活機能分類)を意識して、介護記録の書き方を指導する必要があることを伝えた。

蛇足だが、介護職だけではなく、「プロフェッショナル」と言われる職業人は、皆、記録が細かく要求されている。時間があるとか、ないとかは問題ではなく、「必要なこと」をやれるのがプロなのだ。時間がなければ、できなくてもよいなら、その人はプロとは呼ばれないだろう。

3.まずはしている援助を文章化してみよう
いよいよ、後半は皆さんが主役。佐藤が書いた問題をもとに介護記録に挑戦して頂いた。ここでは、参加者の協力を得て、ダイアローグを再現したのだ。

参加者には、登場人物(介護職員)佐藤は利用者のセリフを読み上げた。こうすることにより、皆さんにはその場面をより身近に感じられたのでは無いだろうか。少なくとも、他人ごとでは無くなる(笑)。


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●参加者の協力を得る●



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●山口さんが記録写真を撮る●



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●さすが現役、職員役がうまい●



その後、介護記録に挑戦。書く時間は5分だ。すると、どうだろう? 皆さんは、さらさらさらさら〜と文章を作成していくではないか! これなら、大丈夫。

佐藤は、側に寄り添い、「いつもこのように書いていますか?」と伺うと、「もっと短いです」とのこと。また、このように物語が書かれていると書きやすいとも・・・。でも、物語は皆さんが常に作っていることなんですよねぇ。

ふたつの事例を用いて演習をして頂き、グループ内で書いた内容を共有して頂いた。同じ場面だけど、いろいろな書き方があることを共有できたようであった。演習終了時には佐藤の解答例を示し、解説した。


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●休み時間にも質疑応答●



4.記録の書き方指導編
いよいよ最終段階である。皆さんには、自分たちが実際書いている介護記録の帳票を持参して頂いていた。今までの演習を通して、自分の事業所の記録物を眺めて維持する必要があるところや、改善が必要な所などを考えて頂き、持参した帳票類をもとに情報交換をして頂いた。

もう、ここまで来れば、佐藤の出番はない(笑)。お互いに持ち寄った帳票を用いてそれぞれ工夫しているところや困っている所を語り合っていた。


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●自分で考え他者と共有する●



佐藤も会場を巡り、実際の記録を見せて頂く。その内容は手書きで書いているところ、パソコン入力しているところ。すでに記録の書き方が示されており、その通りに記入している所など様々であった。

特に医療系のサービスが中心となっている事業所では、やはり医療職が必要な情報が多いという傾向が見られた。

また、中には、フォーカスチャーチング(看護記録の手法のひとつ)を用いた介護記録を書いている事業所もあった。ここからも、現場では、介護記録よりも看護に必要な記録が求められていることが伝わって来る。

看護は、医療(医師)に寄り添おうと考えた結果、本来望んでいた患者さんとの関わりを捨て、医師の行為の代行を多く担うようになってしまった。では看護の仕事は? そう、看護助手や介護職が担うのだ。

介護職がお手本とした存在していた、看護師はもはやいない。おむつ交換すらできない者もいるくらいだ。でも、介護職は、まだまだ介護技術自体が未熟な者も多い(修練時間が全然違う)のだから、看護師もどきの仕事はさせないでもらいたい。

しかし、政府が、安く、早く、育てられると勘違いしている限り、この暴挙は終わらないだろうな。しかも、そんな馬鹿げた、医療知識の特集を、介護系の出版社が、雑誌で組んでいるくらいだから、あきれてものもいえない。

さてさて、研修はこれにて終了。


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●本日のまとめをする佐藤●



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●山口さん、皆さま、いろいろ有り難うございました●



介護記録の書き方については、こうすればよいという正解はない。なぜならば、各事業所で考え、当該自治体とすり合わせて、決める。それが、その事業所の正解(ともかぎらないが)となるのだ。もちろん、不備を感じれば、修正が必要。

まずは事業所に戻ってすることとして、提案をさせて頂いた。

@介護記録実行委員会などを立ち上げること。
A各事業所に即した介護記録マニュアルを作成すること。
B業務マニュアルに、各業務内に「記録」を書く時間を設けること。

今回、皆さんに示した資料が役に立つといいなぁと思っています。

今回の研修会で、担当交代から終始ご協力頂いた、山口さん、長崎県社会福祉協議会の松本さん、甲能さん。ご協力頂きました皆さま。有り難うございました。おかげさまで無事に研修会が行えました。

そして、ご多忙のおりご参加頂きました、介護職の皆さま、ほんとうに有り難うございました。引き続き、身体が資本です。どうかご自分の身体を大切にし、ご活躍ください。応援していますよ。

皆さま、くれぐれもご自愛ください!



(どっかの国の首脳同士が、「会えない」が「会いたい」劇を演じている。でも、○スラエルと仲の良いどっかの国と、その天敵イ○ンに核技術を横流ししているどっかの国が仲良くなれるとはそうそう思いませんて!To Be Continued!!)


posted by さとうはあまい at 12:23| 島根 ☁| Comment(0) | 研修会のツボ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月22日

奮闘記・第1056回 研修会のツボ/東京都


●2018年● 東京都世田谷区


世田谷区社会福祉事業団
世田谷区福祉人材育成・研修センター

職務別研修 サービス提供責任者研修【現任1】
「自立支援につながる訪問介護計画書」



さてさて、5月の大型連休も終わりました。各職場では、いよいよ、新しい職員がひとりだちをする頃かも知れませんねぇ(願望)。

一方、今年度は介護報酬の改定に伴い、利用料金に変化が出たことから、重要事項説明書の料金の書き換え及び利用者への説明や差し替えなどでまだまだ忙しくされている方々もいることと思います。

そのような中、世田谷区では、いち早く訪問介護のサービス提供責任者現任研修を開催しました。今回のブログは、世田谷区での研修会のお話。

この研修は、シリーズで行われており、今回は第1回目である。30名定員の会場には、何と27名の方が参加して頂いた。

佐藤が担当するサービス提供責任者向けの研修の特徴は、ひとつの事例を用いて、ケアプラン作成から各サービス計画(ここでは訪問介護計画)を作成するまでの、一連の流れを事例を用いて説明する所にある。

東京都の場合では、介護支援専門員の実務研修で利用している「リ・アセスメント支援シート」を用いて、居宅サービス計画(ケアプラン)を作成し、その後、サービス事業書が行うアセスメントツールを用いて訪問介護計画を示している。

ちなみに、かくいう、佐藤は、ただいま、長崎県で記録の書き方研修で熱く語っております。詳しくは、また別の機会に!


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●長崎市の鎮西大社諏訪神社に参拝(大吉)●




■研修で行ったこと
(1)訪問介護計画書の重要性(老計第10号を踏まえて)
(2)訪問介護計画書の作成手順
(3)各手順について/ICFをいかした情報把握(アセスメント生活課題の特定など)


研修は、グループ形式で行った。まずは自己紹介から。グループ内で、各自1分間の持ち時間内で、自分の所属と今年の抱負を語って頂いた。そして、場が和んだ頃に本題に入るのだ。


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●研修風景(その1)●



1.訪問介護計画書の重要性(老計第10号をふまえて)
ここでは、資料として、厚労省が出している「介護保険最新情報」「訪問介護におけるサービス行為ごと等の一部改正について(Vol.637)」(平成30年3月30日)を用いて説明した(一部引用抜粋)。

平成30年度介護報酬改定においては、訪問介護について、身体介護に重点を置いて、報酬を引き上げるとともに、生活機能向上連携加算の見直し、「自立生活支援のための見守り的援助」の明確化、訪問回数の多い利用者への対応を行うことにより、自立支援・重度化防止に資する訪問介護を推進・評価することとなった。

そのため、ここでは身体介護における「自立生活支援のための見守り的援助」の明確化を行うために、「訪問介護におけるサービス行為ごとの区分等について(平成12 年3月17日老計第10号)」について、別紙のとおり見直しを行い、平成30年4月1日から適用するとしている。

そこで、改正後の「訪問介護におけるサービス行為ごとの区分等について」の趣旨及び内容が、訪問介護事業所のサービス提供責任者、居宅介護支援事業所の介護支援専門員等の関係者に周知されることが重要であるとしている。

この「訪問介護におけるサービス行為ごとの区分等について」、いわゆる『老計第10号』については、佐藤のブログや研修において、さんざん登場しているので、詳細は先の「介護保険最新情報」に譲るとして(皆さんも要確認を願いしまする)

改正前の「1−6 自立生活支援のための見守り的援助」(自立支援、ADL向上の観点から安全を確保しつつ、常時介助できる状態で行う見守り等)

改正後の「1−6 自立生活支援・重度化防止のための見守り的援助」(自立支援、ADL・IADL・QOL向上の観点から安全を確保しつつ、常時介助できる状態で行う見守り等)となっている。

先のADL(Activity of daily life)(日常生活動作)のみならず、IADL(Instrumental activities of daily living)(手段的日常生活動作)、QOL(quality of life)生活の質の向上までが含まれていた。

これこそ、画期的なことなのだ。ただし、ここで言われている「自立生活支援」「重度化防止のための見守り的援助」を具体的にできないことには話にならないのは言うまでもない。

そんな、こんなで、ここでは「老計第10号」という区分があること、生活援助との違いについて説明した。

2.訪問介護計画書の作成手順
ここでは、財政制度等審議会財政制度分科会(2018年4月11日)に提出された資料を用いて説明した。

具体的には資料社会保障(p.66)「ケアマネジメントの質の向上と利用者負担について」の中で用いられている、「ケアマネジャーの業務の主な流れ」を引用して、介護支援専門員の業務とサービス提供責任者の業務を案内した。


【介護支援専門員(ケアマネジメント)のプロセス】
 @面接・面談(インテーク)
 Aアセスメント(課題抽出)
 Bケアプラン作成
 Cサービス調整
 Dサービス担当者会議
 Eモニタリング
 F給付管理業務
 G長期・短期目標の達成の評価
 H評価をふまえたケアプランの変更

ここで着目すべき点は、Cサービスの調整であろう。介護支援専門員のテキストでは、Cはサービス担当者会議になっているため、多くの介護支援専門員が、サービス担当者会議の席上で居宅サービス計画書(原案)を出しているからだ。

もちろん、佐藤は前々から、サービス担当者会議の前にはサービスの調整があり、サービス提供事業所が事前訪問を行い、利用者の「サービスの選択に資する援助」を行う必要があることを提唱しておりました。

ここに来てようやく、Cサービスの調整が明確化されたことは、画期的なことだと言えよう。さて、サービス提供責任者(介護過程の展開)のプロセス、ケアマネジメントのプロセスCからスタートである。


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●研修風景(その2)●



【Cサービスの調整】
 @サービスの問い合わせ(相談受付)
 Aサービスの申込みにおける調整(責務)
 B受託の可否を伝え、可能な場合には「居宅サービス計画書」を受け取る。
 C事前訪問(サービスの選択に資する援助・契約書・重要事項説明書・個人情報)を行う。
 D訪問介護計画書案作成(基本情報・アセスメント・間取り図)
 Eサービス担当者会議への準備・検討項目を把握する(生活機能分類を意識)
 Fサービス担当者会議へ参加する(居宅サービス計画書の承認・情報共有)
 G訪問介護員への説明
 H利用者への紹介(同行訪問)
 Iモニタリング(介護支援専門員へ実績報告)
 J給付管理(管理者) L居宅サービス計画更新を踏まえた、訪問介護計画書の更新
(→Dに戻る。)


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●研修風景(その3)●



3.ICFをいかした情報把握(アセスメント生活課題の特定など)
午後からは、具体的に事例をひもときながら解説を行った。ここで重要なことは、やはり生活機能分類(ICF)です。
なぜならば、国が居宅サービス事業所の果たす機能として、「心身機能維持・向上」「活動の維持・向上」「参加の促進」=「介護者の負担の軽減」であるとしているからだ。
躁であるならば、ケアプランはもちろん訪問介護計画書も、一定期間が経過した後で、上記の内容について評価「改善・維持・悪化」をしなけ
 K短期目標の達成の評価・居宅サービス計画書変更に対する支援
ればならない。

そこで、訪問介護計画書の具体的なサービス内容はケアプランにおいて提供されたサービスについて、「心身機能に対する具体的なサービス内容」「活動に対する具体的なサービス内容」「参加に対する具体的なサービス内容」「環境(家族や地域)に対する具体的なサービス内容」等が分類されて記載されている必要があるのだ。

まぁ、そうはいっても、各事業所では、すでに介護ソフトを利用して訪問介護計画書を作成しているので、なかなか変更することは難しいであろう。

ここに、須藤さん事例の訪問介護計画書の訪問介護の目標と具体的なサービス内容を紹介しておこう。

○心身機能に対する目標と具体的なサービス内容
目標:体重を意識しながらバランスの良い食事をとり、確実に服薬が出来るように支援します。

@あいさつ後、ヘルパー名を告げて、感染予防のための手洗いうがいを洗面所で行います(ユニットバス内)。
Aベッドサイドへ伺い、あいさつをして体調を覗います。連絡帳を確認して、他の支援者と情報を共有します。
B本日の食事内容を把握し、一緒に献立を考えます。

○活動に対する具体的なサービス内容
目標:トイレに間に合うようにお誘いし、移動時にはそばに付き添い、転ばないように支援します。

@これからする事を説明し、同意を得ます。作業に入る前には、トイレにお誘いします。
A作業をする時には、そばに付き添い転ばないように注意を喚起し、転ばないように見守ります。頑張る姿を励まし、できたことを共に喜び称賛します。

○参加に対する具体的なサービス内容
目標:一緒に掃除ができるように支援します。また、通所介護の献立などを参考に一緒に献立を考え調理します。

@床面にある品物を一緒に仕分けられるように支援します。
A冷蔵庫の食材をみながら、一緒に献立を考えます。
B献立が決まったら、折りたたみテーブルを出して、できる作業を提案します。
この時にもやり方については見本を示し、その都度説明を加えて行い協力動作に
感謝を伝え、労をねぎらいます。
C常に疲労の確認をしながら無理のない範囲でできるように支援します。

○環境に対する具体的なサービス内容
目標:他の支援者たちと情報を共有し、統一した支援を行います。

@本人にポストを開けることを説明して、ポスト中を確認します。ポストの中に入っていたものを持参し一緒に分別します。手続きが必要な書類については内容を説明し、手続きができるように支援します。
A生活の中で新たな困りごとがある場合には、関係機関に報告し、解決ができるように支援します。連絡帳にて情報を共有します。

最後の演習時間には、皆さんに具体的なサービス内容を書いていない用紙を渡して、自分だったらどのように書くのかチャレンジして頂いた。

演習時間は15分かけた。最初は何を書いて良いかわからないと嘆いた人々も、やがて時間経過と共にペンを走らせて、やがては白いスペースが文字で埋め尽くされていたのだ。中には佐藤の解答例を転記している方もいたが(笑)。まぁ、それでも良いのである。

そうやって書いているうちに自分なりの文章が浮かんで来ることもある。もちろん、佐藤は皆さんが演習をしている間には、各グループに入り、実際の悩みや困りごとを伺って、助言などもしていたのだが・・・。このかかわりの時間に「実は」が聞けて佐藤のためにもなるのだ。

さてさて、演習時間が終わった。佐藤は先ほど得た情報を皆さんと共有した。


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●研修風景(その4)●



【参加者から出された表現の一部抜粋】
@薬が正しく飲めているか、落薬がないかを確認します。
(飲み忘れだけではなく、薬を落としていないかを気遣うとは素敵。)
A移動する前には、移動する行程の安全確認を行います。
(これぞ、重度化予防には必要な援助ですよね。さすがである。)
B定期的に使用している歩行器のゴムの部分を点検して、劣化が認められるときには交換できるようにケアマネに伝えます。
(道具の点検を考えるなんてさすが現役素晴らしい。)


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●研修風景(その5)●



どうでしたか? 皆さん素晴らしいでしょう。佐藤が気づかない視点があるなぁと感心した。さてさて、これにて研修は終了である。

参加者どうし、たくさん情報交換もできたようでホッとしております。次回、現任研修IIでも会えるといいなぁ!(願望)

これからは雨の季節。在宅を訪問する皆さんにとっては大変な季節でもあります。どうぞ、ご自愛ください。暑くなってきて、けっこう危険です。皆さま、ご自愛ください。



(何度も行った、長崎市の国指定史跡・出島和蘭商館跡を久しぶりに見たら、なんと出島表門橋ができていた。この出島は、作ってほったらかしじゃない。萩市同様、古きを再現する事によって、街自体が進化しているのだな!To Be Continued!!)
posted by さとうはあまい at 14:52| 島根 ☀| Comment(0) | 研修会のツボ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月30日

奮闘記・第1055回 見聞録/群馬県

●2018年● 群馬県下仁田町&富岡市&高崎市



春真っ盛り、街道は春の花々で埋め尽くされていた!


《なぜか上野国を疾走するの巻》



いよいよ季節は春本番。日本も温暖化というか、暦がそろそろズレ時期というか。かなり気候があやしくなって参りましたね。簡単に衣替えだなんてできやしません。皆さまは、いかがお過ごしでしょうか。

さて、佐藤はアレルギーに悩むことなく元気で過ごしております。はい! 今回は久しぶりに群馬県での見聞録です。

ちまたは、ゴールデンウイークとやらであちこちお出かけの方で賑わっていることでしょうね。佐藤の過去の見聞録が、どこへ行くか迷っている方々の参考になれば良いですが(笑)。最近は混む時期はちょっとねぇ・・・。


その前に、某・品川水族館で、クジラの尾をモチーフにしたらしい、金属のオブジェを見たときのお話。


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●某・品川水族館の庭で発見!●



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●「■■くなるので■■■■で下■■」?●




「■■くなるので■■■■で下■■」


というプレートがあった。でも、前後が汚れで読めない。それで、そのものを触って考えた。・・・・うううん。わかった!


「熱くなるので触らない(乗らない)で下さい」だ! 


触っちまったぜ(笑)。春だからよかったが、こういうものは読めるようにしておかんとな。


さて、佐藤は、例のごとく、早朝に熟睡していた「ひゃ〜参謀」を起こして車に押し込み、群馬をめざした。

この日の車はレンタカーである。車は近所にあるニコニコレンタカーで借りた。なんせ、こちらの事情で、あまりにも、頻繁で返したり借りたりするので、たまらん。ここは値段が安いのがステキ(笑)。車はデミオ、色はブルーであった。

なぜレンタカーを? 車を修理に出しているのからだが、まぁ佐藤本人以外にも、いろいろ環境には落とし穴がある。まぁ深くは触れない。


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●着脱可能なナビ様はごきげんななめ?(佐藤が)●



【道の駅 しもにた】
そのブルーのデミオ君は関越道をひとっとび。まずは、「道の駅 しもにた」である。ここは、「ひゃ〜参謀」の希望の場所である。「ひゃ〜参謀」は、道の駅のマグネットを集めているのだwww。

このマグネット。実は道の駅ならばどこにでもあるわけではない。どちらかというと、ひなびた場所にある。だから、「ひゃ〜参謀」はちゃあんとある場所をリサーチし、そこに行きたいと申告してくるのだ(笑)。密かに「道の駅 山北」とか「道の駅 遣唐使ふるさと館」のマグネットをねらっているとか。さて、どこにあるのやら・・・。

この日は、あいにく朝から雨降り、天気予報では午後からは晴れるとのこと。いつもならば遠くに群馬の山並みが見えるはずなのに。

この日はフロントガラスに大粒の雨粒がたたきつけられて、車の中に流れる中島みゆきの曲も途切れ途切れに聞こえてくる始末。

ふう、こんなんで本当に晴れるのであろうか。と心配もつかの間。ハハハ。そこはほれ、恐るべき、晴れ男がいるから、まぁ大丈夫だろうとは、陰の声。案の定、次第に雨は小降りになり、道の駅に着く頃には止んでいた。でき過ぎ!

「道の駅 しもにた」には、物産店と食堂があった。そう、ここ下仁田は、下仁田ネギで有名なところ。あちこちネギや蒟蒻、しいたけ等の特産物が並んでいた。佐藤は、しいたけとピリ辛こんにゃくをゲット!

さてさて昼飯でっせ。隣接した、御食事処・おれんぢに入る。我々が選んだのは、生姜焼き定食。なんとこれには麺が付いていてお好きなものは選べるとか。おいおい、ご飯がつく上に麺を選べとな(笑)。

そこで味噌ラーメンを選択。にわかに食べられるのいか?と心配になった。ここは注文すれば厨房にそのままの情報が通る。やがて出てきたものは・・・・、写真で見てくだされ(笑)。


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●「道の駅 しもにた」でお昼をとる●



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●もちろん、昼だけではない(笑)●



【上野国一の宮・貫前神社】
お腹が満ちたところで、上野国一の宮・貫前(ぬきさき)神社をめざすのだ。貫前神社に着いたときには、雲の隙間から青空が見え、ギンギンに照って来た。

神門前の空きスペースに車を置いて出ようとすると、何ということか、晴れているのに、にわかに雨がさわさわと降るではないか!

傘は?と「ひゃ〜参謀」にたずねると「いらないんじゃないの」とのこと。すると、神門まで歩くうちに雨は止んでしまった。どうやら、どこぞの狐の娘さんがお嫁入りをされたようである。自然現象の合図は、神様の歓迎の合図(程度はあるが)である。

さて、ご存知のように貫前神社は階段下に本殿があるため、参拝者は拝殿を見下ろす形で階段を降りていかねばならない。

佐藤は前回返しそびれた「無事帰る」守りの金色カエル君を抱えながら雨上がりの階段をすべらないように注意しながら降りて行った。手水舎で手を清め、拝殿前の棚に静かにカエル君を置いて感謝の意を伝えた。


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●上野国一の宮・貫前神社●



佐藤が拝殿にて、参拝の準備をしていると、拝殿の中から祝詞が聴こえてきた。どうやらご祈祷されている方がいる様子。これもまた良いことである。

他の方のご祈祷の「おすそ分け」(お福分け)であるとされる。おそらく、ご祈祷された方々が、気持ちの良い方々であったのだろう。それを神様が喜ばれて、参拝に来た周りの人々にも福が振る舞われるたのだ。佐藤は、神々様に改めて感謝し、今後の発展と無事をお願いした。

その後は、恒例のおみくじタイム。じゃがじゃん大吉! しかも「ひゃ〜参謀」大吉! これはこれは、神さまがノリノリである。大吉を喜び合っていると、境内が賑やかになってきた。

見れば、先ほどご祈祷をされていたご一家が出てこられたようだ。中央には祖母らしき方が赤ちゃんを抱いて、赤ちゃんに着物を羽織らせている。どうやらお宮参りらしい。いいなぁ、新しい命の誕生を神様に伝えて、その子の無事な成長を願うのは日本の正しい文化であろう。

我々は、禁足地内の、本殿横にある抜鉾若御子神社にもご挨拶して、しばしご神気に浸った。本殿の千木は内削ぎであり、ご祭神はいちおう女神である。

本来のご祭神は、咲前(さきさき)神社社地から移動して来た、抜鉾(ぬきほこ)神社(経津主大神)であり、別にあった、貫前神社(渡来系の女神様)、稲含(いなふくみ)神社(稲含山の雷神様)の三柱が新・貫前神社として、合祀されているのが現在の形で有る。

まぁ貫前という名称を使っているから、女神様の千木なのだろうな。香取神宮(から勧請)の経津主大神は、武神だが紳士なのだ。本殿の2階には、雷神様用の「雷神小窓」がある。

その後は、月読神社月読命以外にも、たくさん合祀されている)にもご挨拶。振り向くと大きなアゲハ蝶がひらひらと赤紫の花弁をつけたツツジの間を飛び交っていました。なぜか、神社ではクロアゲハを見かける機会が多いのだ。偶然とは思えないんだけど(笑)。

「ハハハ。黒い蝶を悪く取る文化もあるけれど、クロアゲハ等の黒い蝶は、神仏の使いとされ、とくに神社やパワスポで見た場合は、そこの神様の歓迎を受けている吉兆ですから、そこにお神様に感謝しなければいけません。何か良いことがある前に、です。神様はあまり喜ばないと、手のひらクルリですから!(笑)」

とは「ひゃ〜参謀」

神社以外でも、死んで仲良かった人がお別れに来た場合があり、もちろんぞんざいに扱ってはいけないし、仕事で有効な出会いがある暗示ともされているそうな。しかし、夢に出てくるのはね・・・・。いろいろありますから!

さて、いよいよお日様の力が降り注ぎ暑いくらい。次の予定は考えていなかったのであるが、クロアゲハの導きか、天気が良いのでこのまま帰るのはもったいない。ということで、ハハハ。榛名神社へ行くことにした。


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●奥には、摂社・抜鉾若御子神社がある●



【榛名山榛名神社】
まつろわぬナビ様に導かれるまま、ウニウニと、山を登って行った。榛名山榛名神社では、いつものように車を郷土資料館の前の空きスペースに置いていざ出発。

ただ、この参道に続くこの坂が結構辛いのだ(笑)。むかし、車の宣伝で、島根県ベタ踏み坂が話題になったが、あれは望遠レンズを使ってのこと。

ここは、本当にベタ踏み坂(笑)。坂下のカーブを曲がるとじゃーんと現れる。けっこうアクセルを踏む込んでいかんと、これ・・・恐いですよ。参拝客も歩いているから気をつけんといかんしねぇ。この坂では車がスローモーションのように登っていく。


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●神社前の坂の参道が最大の難所●



鳥居をくぐり、神門を通り抜けるとそこには凛とした空気が漂っている。

我々がこの神社に来出したころは、パワースポットとしてはそれほど人気がなかった。そもそも、残念なことに群馬自体がイマイチの人気で有った。富岡製糸場も世界遺産になる以前に当ブログに登場している。

その頃から、大洞赤城神社咲前神社貫前神社山名八幡宮上野国総社神社、そして榛名山榛名神社など、たくさんのパワースポットという、ちょっと楽しいが、妙にくすぐったいカテゴライズがなされる前から、楽しませて頂いた。

だから、人気が出て来て非常に嬉しい。群馬には、ふつうに、いっぱい良いところがあるのだ。『お前はまだグンマを知らない』という、人気漫画があるが、我々はそうは言われないだろうなぁ(笑)。けっこうコアだし。

まぁ「ひゃ〜参謀」は祖母(父系)が群馬県出身で、今も親戚が住んでいるというし。関係ないけどwww。

そんで、参道を歩く。前回来たときには、凍っていた川も今日はサラサラと流れている。川辺にはふきの青葉やイタドリの芽などが顔を出していた。

山肌に目を向けると、何とそこには石楠花が淡いピンクの花弁を寄せ集め、まあるい風船をふくらましたかのように、そこ、ここに咲いていた。前回は固いツボミと丸まった葉が付いていた茎も今は葉を広げて背を伸ばして優雅な花弁を支えている。

それが数株まとまって咲いて、参道を賑やかにしているのだ。佐藤は思わず「素晴らしい!」と叫んでしまった。

「ひゃ〜参謀」曰く、「大将、どの花みてもはしゃぐんだからなwww」ですと(笑)。


●境内で花を楽しむ●.jpg

●境内で花を楽しむ●



そりゃそうですよねぇ。東京の花屋さんに並んでいる花々と違い、こちらはしっかりと根付いて花開く時期を把握して咲き誇っているのだ。生命の力強さを感じるというもの。

今の時期つつじの花も様々。そこここにピンクやオレンジ紫の花を楽しむことができる。そんなこんなで、花たちに励まされながら参道を登っていった。

手水舎前から見える瓶子の滝も、硬い氷から解放され、今は崖の間を絹の帯を垂らしたようにさらさらと流れおちていた。ううん、なんとも清々しい。


●手水舎あたりから階段が始まる●.jpg

●手水舎あたりから階段が始まる●



●あと少しの階段●.jpg

●あと少しの階段●



ここから、神社本殿を見上げると上方に御姿岩が見えて、ドドーンと迫ってくる迫力(落ちてきたらこわいというか死ぬ)を感じる。ここもパワースポットとして有名なところ。

さらに階段を登り、双龍門をくぐり、いよいよ本殿に到着である。こちらでも参拝客が多くいて、ご祈祷がなされていた。

我々は、静かに手を合わせ、こころの内でお願いした。さてさて、こちらでのおみくじ結果は、。まあ良いですわwww。この春先にも参拝ができ、しかも石楠花の花を満喫することができたのですからねぇ。

さてさて、そろりそろりと帰ることにしましょう。


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●本殿うしろの御姿岩●



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●遠くに見えるのが荒船山●



【寄居 星の王子さまPA(上り線)】
下りの関越道の楽しみは、何と言っても、寄居の「星の王子さまパーキングエリア」(埼玉県深谷市)である。ここは、パーキングエリア全体(上り線エリアだけ)が、星の王子さまの作者、サン=テグジュペリ、ゆかりの地である南フランス・プロバンス風のデザインが施されているのだ。

総量としては、箱根の「あちら」には全く及ばないが、いち風景として溶け込んでいるのは、こちらのほうであろう。プロバンス風とでもいうのか。あちらは、何を、どう作っても、やはり、「箱根」なんだよなぁwww。箱根恐るべし。

エリア全体に“星の王子さま”の登場人物が描かれている。もちろん、星の王子さまのモニュメントもバラに囲まれている。

また、お土産コーナーが星の王子さまグッズであふれている。佐藤のおすすめはもちろん、「ゾウを飲み込んだ蛇」である(笑)。

実際、介護の研修会で紹介したところ、これらの星の王子さまグッズを買いに、ここまで来られた猛者がいた。そういう行動力がある方がいる組織は有望である。口だけの人ではないからだ。

その他にも、外国からの輸入菓子も販売されていて、うきうきわくわくするに違いない。

ちなみに今回立ち寄って、グッズがリニューアルされてさらに充実していたのにびっくりした。いや、あるだけじゃなくて、美味いのがすごい。それだけ人気があると言うことなのであろう。

ただ、普通のパーキング(その土地のみやげが)目当てでは、そのようなものは無いので、がっかりするかも知れないが・・・。まぁ、そういう御仁は、上里SAあたりで、早めに休み、買い物するほうが良いかも知れない。

ここに来ると「星の王子さま」を知らない人も、きっと星の王子さまの物語に興味をもつこと間違いなし。なんせ、店員さんが付けているネームプレートは、すべて「星の王子さま」に関係するものばかりなのだ。うるさいばかりのこだわりがいい。

白豹(しろてん)さんや、点灯夫(てんとうふ)さんが、レストラン横で焼いている「うわばみ焼き」(ワッフル)が一押しだ。お店の人と星の王子さまの話をするのも良いかもしれませんぞ。さてさて、これにて本日の見聞録は終了。

皆さま、あちこちで渋滞に巻き込まれているかもしれませんが、どうぞ、良い休日をお過ごしください。

佐藤は、研修資料をつくらないとねぇ・・・。ではでは!



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●寄居の星の王子さまPA●



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●某・参謀の紫蘭のツボミ●



(愛媛県の刑務所の造船作業場から受刑者が脱走した事件は、広島県警が身柄を広島市南区の路上で確保した。「刑務所の人間関係に疲れた」らしい。どこでも人間関係は大変なんだな!To Be Continued!!)
posted by さとうはあまい at 23:34| 島根 ☀| Comment(0) | 見聞録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月07日

奮闘記・第1054回 研修会のツボ/東京都

●2018年● 葛飾区&江戸川区

訪問介護事業所連絡会研修

「自立支援のための見守り的援助」



またまた、皆さまお久しぶりです!

いやいや、今年は、の咲くのも散るのも、早いこと早いこと(笑)。

おととい、上野公園を通り抜けたところ、桜の樹の下(ポツンと八重桜は咲いておりましたが)で、罰ゲームのように座っていらっしゃる方々がおりました。そう、もはやすっかり青々とした桜の樹の下ですからねぇ・・・。それでもやりますか!という感じですが(大きなお世話です!はい)。

まぁ、例年この時期に満開の桜の樹の下で会社で宴会をして楽しんできたのでしょうね。でも、なかなか、自然は人間の思うようにはいかないもの。

中には「人生ゲーム」をやっている団体もありました。まさにこういうのも人生そのものです。楽しいときもたくさんありますからね! 仕方がないです。

さてさて、いよいよ訪問介護事業所の方々から研修のお誘いを頂きましたよ。佐藤の専門の原点は、こちら訪問介護なのです。今回は葛飾区江戸川区で行った同内容の研修会のツボです。

今回の介護報酬の改定での《訪問介護のポイント》は、なんといっても、「生活援助」とされている援助の中に、本来は「身体介護」である自立支援のための見守り的援助が含まれているという指摘があること、そこで見守り的援助を明確化するというのだ。

おお、それは素晴らしい! 佐藤が、平成17年に介護福祉士学会にて、動画を用いて発表した、ずばり、《勝浦さん事例:洗濯物を一緒に干すこと生活援助と身体介護》の内容が着目されたということになるのだ。

それならば、ここが訪問介護事業所の踏ん張りどころではないか! 

そのこともあり、今回は、葛飾訪問介護事業連絡会さんから、そういう法改正について、話してほしいということであった。すると、江戸川区訪問事業所連絡会さんからも、同様の話を!との連絡があったとのこと。

そこで年度末に開催の運びとなった。こういうことは、その組織の強みが伝わってくるよね。なんと、葛飾区は会場定員を上回り、江戸川区でも70名を超えての参加者であった。いや有り難いですねぇ。

佐藤は葛飾区でも、江戸川区でも、以前にサービス提供責任者向けの研修を担当させて頂いた。葛飾区の参加者は多くが顔見知りで、江戸川区は久しぶりであった。

今回の研修は、佐藤にしては珍しいスクール形式での講義となった。


●亀有香取神社から始まる(笑)●.jpg

●亀有香取神社から始まる(笑)●


●さすがは亀有のゲーセンです●.jpg

●さすがは亀有のゲーセンです●



【研修で行ったこと】
(1)訪問介護の介護報酬改定のポイント
(2)自立支援のための見守り的援助を明確化する。

1.訪問介護の介護報酬改定のポイント
今回の訪問介護の介護報酬改定では、身体介護生活援助の2区分であった。今回はこの生活援助の報酬は、軒並みダウンである。

20分以上45分 未満が183単位➡181単位。
45分以上225単位➡223単位。

これに引き換え、身体介護では、

20分未満が165単位➡165単位変わらず。
20分以上30分未満は245単位➡248単位。
30分以上1時間未満388単位➡394単位。
1時間以上1時間30分未満564単位➡575単位。
以降30分ますごとに算定 80単位➡83単位。
生活援助加算67単位➡66単位。

これだけを見ても、もう「生活援助」に関しては、介護福祉士等の有資格者の仕事としては、考えていないことが明白だ。

その証拠に訪問介護事業所における、さらなる人材確保の必要性を踏まえ、介護福祉士は「身体介護」を中心に担うこととした。


●葛飾区にて介護報酬改定について説明●.jpg

●葛飾区にて介護報酬改定について説明●


●ヘルパーのしている援助とは何か●.jpg

●ヘルパーのしている援助とは何か●


●葛飾区で解答例を配布する●.jpg

●葛飾区で解答例を配布する●



そして、「生活援助」中心型の援助は、人材の裾野を広げて、担い手の確保を行うとして新たな研修制度を設けるとしているのだ。そう簡単に拡がればいいが。裾野のほうがより狭くなると不安定な花瓶みたいになりかねないのだが・・・。

また、訪問介護事業所の指定基準の人員配置基準も、この研修を受けた人々が2.5人いれば良いというのだからなんともかんとも驚きである。まぁ、その0.5人!が2人になるか3人になるかだけでも、えらく違うことになるのだが・・・。

さらに、この「生活援助」を担当するのが、たとえ介護福祉士であっても報酬は変わらないとしている。それならば、ヘルパー2級制度をなぜ辞めてしまったのだろうか? 全く場当たり的なやり方。まさにお役所のすることはこんなことの繰り返しだ。

愚痴を言っていたら先へ進まないからこの辺で次へ移る。実はここからが本題なのだ。


●会場の江戸川区総合文化センターに入る●.jpg

●会場の江戸川区総合文化センターに入る●


●近くの新小岩香取神社にも顔を出す(笑)●.jpg

●近くの新小岩香取神社にも顔を出す(笑)●



2.自立支援のための見守り的援助を明確化する
これは、まさに、『老計第10号』の身体介護における「1一6 自立支援のための見守り的援助」の明確化である。

(『老計第10号』って何?という方は、ここでまた説明すると先に進まないので、ネットでまず検索してみてくだされ。)

訪問介護計画の中で、いかに訪問介護員が自立支援をしているかを明確にするためには、訪問介護員自身が、自分している「どの部分」が利用者の自立支援にあたるかを理解している必要があるだろう。


●江戸川区での研修は久しぶり●.jpg

●江戸川区での研修は久しぶり●


●江戸川区は会長さんのあいさつでスタート●.jpg

●江戸川区は会長さんのあいさつでスタート●



そこで佐藤は参加者に問いかけた。

「皆さんのしている自立支援とは何か?」と。

すると呪文のような、あの言葉が聞こえてくるのだ・・・。

「利用者のできるところは、利用者にして頂き、できないところを支援する」と。

そうそう、まぁ確かにそうなんだけど、これではヘルパーのしている援助がわからないでしょう? もし、わかるんなら、ここまで訪問介護がジリ貧にならないわけだから。

●皆さんのまなざしが痛いぜ●.jpg

●皆さんのまなざしが痛いぜ●



実は、この言葉通りに捉えると、利用者は1人でできるところをやり、ヘルパーは、本人のできない部分のみを黙々としているかのように思われるだろう。

えっ! そうじゃないのかって?

ハハハ。ヘルパーは、実は、利用者さんのそばに付き添っているときに、ただ、ボーっと付いているだけではなく(いや、そういうのもいるけど)、実は、東で、利用者さんが行っている動作を見れば、していることを「すごいね!」と褒め称える。

また、西で、できそうなことにチャレンジしている利用者さんの姿を見れば、「もう少しですよ! 頑張りましょう」などと励ましている。

そう、東へ西へと、頑張ている姿にエールを送ったり、また、協力動作があれば、感謝して、労をねぎらっているのだ。

それでも、やはりできないことはある。

それを十分踏まえた上で、本人ができないところを本人に「どのようにしたら良いか?」を伺い、そばにいて頂きながら、「これで良いですか?」と本人の意向を伺いながら、本人が「自分でしたような気持ちになれる」支援をしているのだ。

これは、真っ当なヘルパーとしたら、ごく当たり前の行為であろう。これらの関わりが利用者さんの意欲を向上させて、やる気につなげているのだ。そう、人は誰かに認めてもらったときにさらなる生きがいを感じるものなのだ。


●生活援助、それとも身体介護か●.jpg

●生活援助、それとも身体介護か●



一方、「身体介護」の報酬は、わずかだが上がっていた。であるならば、現在「生活援助」で提供している援助に「身体介護」が含まれているかいないかを検証することが必要なはずだ。一緒くたにして「生活援助」ではおかしい。

すると、みなさんは大きくうなずかれている。さてここで演習である。

自立支援のための見守り的援助を「掃除」で文字化してみましょうと、皆さんに考えて頂いたが、江戸川区では時間の関係でそこまでは進められなかったが・・・。

最後に、佐藤が解答例を示して解説した。

例えば、利用者さんに「どこからするか?」と聞くという行為は、利用者さんに、これからすることを説明して、本人の意向を把握して手順を把握する。もくもくと作業を進めるのではなく、掃除機をかけることを伝え断りを入れて窓を開ける、とか。

利用者さんにそばにいて頂き、自分の希望を伝えて、指示を出して頂く、とか。もちろん利用者さんに、協力動作を求めたら感謝を伝えることも明記しておきましょうね。


●解答例を読み上げ解説する●.jpg

●解答例を読み上げ解説する●



参加者からは、「ふう。これで身体介護になるというわけね!」とやり方を理解され、安堵の声が聞こえてきた。そう。ヘルパーのしていることは、本来、奥が深いのだ。だからこそ、そこまで見える化をしないといけない。

以上で、熱い研修会の報告を終えたい。

さてさて、皆さんから新たな年度が始まりましたねぇ。過去ばかりどうこう言っても、仕方がありません。それはそれ、これから前を向いてはりきりましょう。皆さま、ご自愛ください!



●夜間くら寿司風景(笑)●.jpg

●夜間くら寿司風景(笑)●


(どっかの大統領が不倫の口止め料に約1400万円を支払ったのも、某ポルノ女優が受け取ったのを、某大統領がその支払いを知らなかったというのもわかる。真偽はともかく、彼の人格に最高権力者としての品格はゼロである。まさに「永久のゼロ」って感じだな!To Be Continued!!)
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2018年03月29日

奮闘記・第1053回 見聞録/東京都

●2018年● 東京都あちらこちら

プチ花見! 

研修や買い物の合間にまた花見!!


皆さまお元気でしょうか? 最近は種類仕事に追われて、なかなか外に出れませんが、この日、佐藤もプチ花見に出かけました。今回は、それプラス都内各所でのお花見プチ・見聞録です。

まずは出かけたのが、近所の音無川沿いの加賀公園。この日は、日曜日ということもあって多くの方が花見見物。もちろん、この加賀は石川県の加賀・前田家にゆかりのあるもの。

音無川は、加賀公園は前田家の下屋敷跡の築山であったが、戦時中は日本軍の接収というか、前田家の協力もあり、弾薬庫など軍関係の場所にされた。

だから、よけい滅茶苦茶爆撃を受けたようだが、あまり民間人の被害があったわけではないそうな(もちろん、だから爆撃されても良いわけではない)。

今は板橋区が管轄している公園であるが、春は近くを流れる石神井川の支流・音無川沿いに咲く桜の名所ともなっている。


●音無川沿いの桜、見事ですぞ●.jpg

●音無川沿いの桜、見事ですぞ●


●ここが北区と板橋区の境目、ハハハ●.jpg

●ここが北区と板橋区の境目、ハハハ●



余談になるかも知れないが、日本はなぜか、悲惨なことが起きた場所を華やかな公園にしたがる国策?(某大国への忖度か陰謀か知らんが)があるので、気をつけなければいけないが・・・。

例えば、巣鴨「なんとか」が現在、サンシャインシティでどうなっているかを見ればわかると思う。だからこそ、広島の原爆ドームなどはきちんと語り継がれなければならないのだ。

さて、桜の花は八部咲きといったところであろうか? 川に向かってたれさがり川面の水鳥にごあいさつ(笑)。とはいえ花の命は短くやがては水鳥の周りをピンクの絨毯で覆うことになるのだ。こういう歴史は繰り返されることに意義がある。

佐藤はお日様にせかされてアイスクリームを頂いた。近所の某セブンなんとかも大繁盛であった。


●いやー陽射しがまぶしい!●.jpg

●いやー陽射しがまぶしい!●



それ以外にも、都内では、研修や第三者評価などで、プチ花見をする機会があったので、もったいないから、それらも紹介しておきたい。

佐藤の大吉の名所でもある?府中市武蔵国総社大國魂神社、大吉もあれば凶も出る板橋区中丸熊野神社(ドンキの北池袋店の近くですぞ)、国立市の桜並木も無茶苦茶きれいであった。しかも桜並木が盛大で、人混みもない(もちろん、誉めてますよ)。


●数日前はまだ寒かったが・・・●.jpg

●数日前はまだ寒かったが・・・●


●季節の中で、四季を感じられるのは楽しい●.jpg

●季節の中で、四季を感じられるのは楽しい●


●交差点近くにある、小さいが気持ちの良い神社●.jpg

●交差点近くにある、小さいが気持ちの良い神社●


●よく事故が起きる首都高の場所の下にある(汗)●.jpg

●よく事故が起きる首都高の場所の下にある(汗)●



加えて、なかなか、「本家」の香取神宮に行く時間がないから、桜はないけど、亀有香取神社新小岩香取神社にも、研修前に寄らせて頂いた(笑)。


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●葛飾区の亀有香取神社●


●新小岩の香取神社だが、江戸川区なのだ●.jpg

●新小岩の香取神社だが、江戸川区なのだ●



というわけで、今の時期は、なかなかブログがアップできないので、とりあえずプチ・ブログをアップしました(笑)。

皆さまも、どんなお花見をされたのでしょう? 佐藤は、今日も、花粉や車をよけながら、頑張っております。皆さまもくれぐれもご自愛ください。ではまた!



(麻生財務相が「森友がTPPより重大」って報道批判。違うでしょう。そういうことをやっている総理の政府に決めてもらいたい案件じゃねーんだってことよ、麻生さん!To Be Continued!!)
posted by さとうはあまい at 22:24| 島根 ☁| Comment(0) | 見聞録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする